fc2ブログ

爪先立った僧正のテーブルが走る。地面に貼られた奇遇のタイルをテーブルだけが知るある秘密の順番で踏みながらいびつな旋律を奏でていく。音楽はとぐろを巻き粘土のようになって耳をふさいでいく。

哲学の道 廃墟看板
哲学の道の南端少し降りたところにあった喫茶若王子の廃墟の案内看板。この看板から通行禁止になった石段を下りていくさきに木立を通して廃墟になった喫茶店が垣間見えていた。廃墟の常としてまるで永遠に止まってしまった時間の墓標のようだった。撮影は手元に残したデータによると2012年となっている。もうそんなになるんだと思って調べてみると現在はこの案内ワゴンも含めて喫茶若王子の廃墟は全部解体されて更地になってるらしい。この辺りはのら猫のたまり場みたいなところで今でもそれは変わらないだろうけど、この写真を撮ったころにいたのら猫は全員もうこの世界にはいないだろうなぁ。若王子も含めて諸行無常だ。

病院の帰りに久しぶりにブックオフに寄り道してきた。この寄り道の大した距離でもない余分な道のりが歩けなくなってる状態だと結構きつくて、最近はほとんど行ってなかった。久々に行ってみたブックオフはなんだか精彩を欠いていて、100円文庫の棚が100~200円文庫の棚になって今まで100円で売っていたような結構な数の本が倍額の値上がりになっていたし、数か月ぶりに行ってみたのにたいして代わり映えのない品ぞろえ、売れてない本はまるで売れてないまま棚を占領していた。このなんだか停滞してるような雰囲気はどうしたんだろう。ゲームのほうがよく売れてるのかな。そういえばゼルダの最新作の中古が棚に並んでいたけど、まだまだ高くて買う気になれないものの、あまり値下がりはしなさそうだ。もっとも前作を途中で放棄してるからまずそっちをクリアしないといけないんだけど、オープンワールドのゲームとして評価が最高値に上がってるのは理解できる出来なんだけど、アクションが高度に洗練されていてついていけない。ついていけないけどやってみると無類に面白いというジレンマに陥ってる。
ゲームは思いつきで買える値段でもなく寄り道としては置いておくとして、この時は代わり映えのしない本棚から数冊選んで購入して帰る。
購入した本はダンテの「神曲煉獄編」岩波文庫版「紫禁城の黄昏」冒険小説の代表作「鷲は舞い降りた」の完全版、「クーデターの技術」の四冊。「神曲」は地獄編を持ってただけなのでこれは100円で入手できて素直によかった。「紫禁城」は「ラストエンペラー」でピーター・オトゥールが演じていた人物の著作。買って帰ってから「ラストエンペラー」好きなのに今まで手を出さなかった理由を思い出した。これ左翼出版社の岩波が左翼に都合の悪い部分を削除して出した屑本だった。「きけわだつみの声」同様に岩波はこういう言論を冒涜するようなことをわりと平気でやる出版社だった。近年はボルヘスの本を出したり、ブルトンのシュルレアリスム宣言を現在の時点でほぼ最強の状態で文庫にしたりしていたから油断していた。「鷲」は昔読んでるはずだけどまた読みたくなって。「クーデター」はわりとこういうきな臭いテーマが好きなんだけどまぁ大したことは書いてないだろうなぁ。クーデター史みたいなのでも纏めてあればそれでいいか。今回は紫禁城の完全版を探そうと思った以外大した収穫でもなかった。
今読んでるのは西澤保彦の「神のロジック、人間のマジック」今はタイトルを変更してるようだけど、こっちのタイトルのほうが好きだ。芥川の短編やカフカの短編、アンナ・カヴァンの「氷」など読み散らかす乱読の中、何か月か前に「少女たちの羅針盤」を読み終えてる。少女たちが劇団「羅針盤」を旗揚げしていく過去編とそのうちの一人が新人女優として映画作成に参加する様子の現代編が交互に描かれ、現代編ではこの女優が羅針盤にかかわって過去に殺人を犯していて、それを撮影現場で告発しようとする者がいることを仄めかされる。いったいこの女優が羅針盤の誰なのか、告発しようとしてるのは撮影スタッフの誰なのか、殺人とはいったい何が起こったのか、そういったことを謎のコアとして物語が進んでいく。ミステリとしては小ぶりな作品だったけど事件が終盤手前にならないと明らかにならないという考えてみれば結構大胆な構成で、女優の正体など明かされてみれば真相は予想外に意外性にとんでる。ただわたしはミステリというよりは少女たちが旗揚げした劇団羅針盤の栄光と挫折といった青春小説的な部分に感情移入しながら読んでいた。一粒で二度おいしいなんて言う評価もできるかもしれない。ただ劇団が見舞われるいじめとかの話は読んでいてつらい。人が理不尽で卑劣な暴力にさらされるこういう話は正直あまり読みたくない。








スポンサーサイト



真昼の海の輝きのなか、あの祝福と呪いが交錯した光は、ひそかにわたしに刻印を施す。刻印は身を灼きながらつぶやくだろう。あるべきものがあるべき姿として現れると。

壁機械

怪獣総進撃という昔の東宝特撮映画を見ていて、それまでのスター怪獣を一つの島に集めるって要するにジュラシックパークだ、ひょっとしてゴジラのこれがスピルバーグの発想のもとになってるんじゃないかと思った。日本は早くもアイディアとして実現してたんだと思うとちょっとうれしくなる。島の周囲にそれぞれ怪獣がいやがる霧だとか電波を発して島のエリアから外に出られなくしてるという設定なんだけど、中にはモスラの幼虫もいて、モスラと云えばインファント島の守り神、そんな存在を怪獣島なんてところにところに閉じ込めて故郷に帰れなくしてるのはいくらなんでもちょっとひどい。
昔の特撮映画のミニチュア然とした街並みがまるで箱庭に入り込んだようで、ドールハウスに住んでみたいと思い続けている自分としては垂涎の的になる。秀逸だったのは「空の大怪獣ラドン」の精密再現した福岡市・天神のミニチュア世界で、ラドンの羽の巻き起こす衝撃波でなぎ倒されてしまうんだけど、街路樹にしがみついて飛ばされないようにしてる人の中に混じってみたかった。この作りものの世界に入り込んで歩き回ってみたかった。CGを使うようになってこういう作り物めいた感覚は永遠に映画から失われてしまった。それがひたすら残念だ。

オリゴ糖を買いに病院内のコンビニに出かける。最初の主治医の先生にオリゴ糖と梅肉エキスを進められ、ここで売ってるもので構わないかと聞けばそれでいいとのこと。梅肉エキスはその後店で扱わなくなったので仕方なく別のものを別のところから調達しているが、オリゴ糖は今に至るまで最初に買ったこれを続けてる。ヤクルトが出してるガラクトオリゴ糖のシロップだ。母乳由来のガラクトオリゴ糖で、スーパーなどで売ってるフラクトオリゴ糖とは異なり、これはなぜか病院のコンビニ以外の、他の店に置いてるのをあまり見ない。こっちが潰瘍性大腸炎に適してるというわけではなくて、体に取り込んでも不具合が起きなかったという消極的理由と,、なぜかフラクトオリゴよりも高価だというのがなんだか効きそうなイメージに結びついたという理由で、わざわざ病院のコンビニまで出かけていっては、これ限定で入手してる。
でもこのところまともに歩けなくなって、なのに病院に行くには送迎バスに乗らなければならず、歩く補助に使ってるカートを持って出られない。杖だけでもまぁ歩けないこともないんだけど、どうしても行かなければならない定期の診察以外で送迎バスに乗って病院に出かけるのは現時点では結構億劫になる。
一応アマゾンで調べてみるとアマゾンでは扱っていて、でも価格はボトル一本2000円近くしてる。えぇ!病院のコンビニで売ってるのってこんなに高かったか?とちょっとびっくり。病院では最初に買った時以降そんなに値段を注視して買ってないから、いざいくらだったか2000円もしてなかったのは確かだけど正確にいくらで売ってたか記憶にない。
そこで結局値段を確かめるために病院へ行くことにした。億劫と云ったのが嘘のような行動力だ。
確認できたところでは病院のコンビニで売っていたヤクルトのオリゴ糖の値段は1200円だった。かたやアマゾンの送料別の2000円に対して同じものがなんと1200円。この差はいったい何だろう。何だか掘り出し物を発見したような気分になって、コンビニを出る時には思わず2本も買ってた。朝のヨーグルトに少し入れる程度だからボトル2本消費するのにいったいいつまでかかるんだ。
帰宅してからアマゾンに確認しに行くと、残り一本だったものが売り切れて在庫なしになっていた。あの2000円のを誰かが買ったんだ。買った人はまさか1200円で売ってるなんて知らないだろうなあと思うと、妙な勝利者感を感じた。
ところで母乳由来ということで、ヤクルトのオリゴ糖製造工場では、おっぱいが張った女性担当要員がずらっと並んで、一斉におっぱいを絞り出してる製造風景が頭に浮かんだんだけど、母乳由来なんて言うものの原料は実際のところどうやって確保してるんだろうなあ。

大好きな曲 Look to the Rainbow









閉じた合わせ鏡の中で、光は幽閉され行き場を見失う。写し絵の鏡の中で現実は隠されており、黒い光の無限反射の果てに見いだされるその解は 

木立の神社

パソコンのモニターを眺めていて、ふと机の上に視線を落としてみれば、左腕を置いていた場所に、広い範囲で血をにじくった跡があった。松田優作の有名な台詞をまさしく生々しい感情を伴って初体験したような瞬間だった。椅子のひじ掛けを見てみると同様jに血濡れの状態になってる。何事かと思って肘の辺りを鏡で調べてみたら、直径1cmくらいに皮膚がはがれてくすんだピンクの肉が剥き出しになてる箇所があった。いったいいつどういう経緯でこんな怪我をしたのかまるで覚えがない。怪我をした瞬間に痛みもあったはずだし、机のうえになすりつけてる間も痛みがあったはずなのにまるで何も感じなかった。
頭に疑問符が山のように浮き上がったまま、とりあえず絆創膏を貼っておいたけど、なかなか傷口が乾かず、家に常備してあった抗生物質の傷薬はあいにく期限切れで、ドラッグストアに買いに行くことに。アマゾンの売値を調べていったら、ドラッグストアのはその約二倍の値付けになっていた。この値付けにひいてしまったけど、早く欲しかったのでとにかく購入した。あとでアマゾンのを確認してみたらセールでもないのにほぼ半額引きの但し書き付きで、なにか曰くつきの商品だったんだろうか。
それにしてもいまだにどうしてこんな傷を作ってしまったのかまるで分らない。
「にじくる」ってなすりつけると云った意味合いなんだけど、漢字変換できなかったから調べてみたら、京都の方言だと。一般的に使われてると思ってた。

しばらく前に島田荘司の「屋上」を読み終える。以前になんだか嫌な予感がするようなことを書いたけど、予感は見事的中し、まぁ一言で云うなら絵にかいたような駄作だった。御手洗潔ものの50作目にあたるものだったらしいが、50作も書けばこんなになってしまうんだと妙に納得、これではコアな御手洗ファンででもなければ許容できないだろう。
四人の人間が同じビルの上から動機もないのに次々と落下する謎はそんなことで人が全く同じように飛び降りるわけないだろうっていうう程度のものだし、人間瞬間入れ替わりに関してはあまりにも馬鹿らしくていったい自分は何を読まされてるんだと訝しむほどだ。映像化すれば絶対にこの部分は何だこれはと笑えないコントのようになるのは間違いないだろう。土台文字で書いてこそ成り立つトリックで実現不可能なものであり、ある意味小栗虫太郎ばりのものと言い張れば言い張れそうな感じもしないこともないが、あちらは怪しげな衒学趣味で目もくらむような大伽藍を構築して煙に巻く世界を成立させているのにくらべ、「屋上」はメリハリのない関西弁で面白くもないユーモアを作り出そうとしているのみ、この出来損ないのコントみたいなトリックも、あまり必要性を見いだせない関西弁の使用と重ねてみると、ひょっとしたら全体をユーモアミステリとして仕上げたかったのかもしれないけど、関西弁を使ってユーモアミステリにしようとする考えは安直に過ぎ、現に馬鹿げたトリックと平坦な関西弁に空中分解して面白くもなく、ちっともユーモアに結実していない。
ただ島田荘司は魅力的な謎を作り出す才能は傑出していて、謎が解けるまでは読ませるんだなぁ。なのに謎はまるで手品の種明かしのように解かれて、あとは幽霊と見誤った枯れ尾花が山のように積み上がってるばかりの荒涼たる光景になってしまう。「アトポス」とか「眩暈」辺りまでは単行本で出た時にまっさきに読んでいたのに、いつの間にか、といいうか「奇想天を動かす」辺りから文庫でいいやと思いだしたのはこういうところが原因なのかも。
それでもたまに思いついたように読んだ「巨人の遊戯」だとか「ネジ式ザゼツキー」は面白く読めたんだけど、この「屋上」はまるで駄目だった。
つまらなかった本に言葉を費やすのも興ざめなのでこれはこの辺にして、これを読んだあとは「ムーミン谷の彗星」と「星の王子様」なんていうのに手を出した。
ムーミンの「彗星」は日本だと一作目と紹介されたんだけど実際は二作目。ムーミンにしては彗星が落ちてくる話で随分と重苦しくシリアスな話になってる。まだムーミンの世界が固まってない状態ではあるものの、干上がった海、赤く染まる空、家路を急ぐムーミンたちの前に現れる終末下のダンスパーティなど、その分陰鬱でシュールとなった世界は馴染みのあるのとはまた違ったムーミンというのが楽しめてわたしは好きだ。ほの暗いイメージの強い物語にあって結構センスのいいユーモアが所々にちりばめられてるのもちょっと予想外で、楽しくていい。そしてスナフキン初登場の巻でもあって、スナフキン好きとしてはポイントが高い。もっとも一番お気に入りはリトルミイではあるんだけど、この巻にはまだ登場していない。ちなみにリトルミイには兄弟が34人もいるって知ってた?
ムーミン彗星
講談社文庫版のムーミンシリーズにはいくつかカバー違いのものがあって、わたしは21世紀版の限定カバーが飛びぬけて好き。あまりに気に入りすぎてボックスセットを一つ持ってる上に読むためのものをもう一冊ずつばらで持ってる。
「星の王子様」は人間批評みたいな部分がちょっとうざったい。象を飲み込んだ蛇の絵で始まるにしては、もうちょっとイメージの多彩さで語れなかったものかと思う。
すっかり児童文学脳になってしまったあと、次は何を読もうかと思って手元に積んである本を眺め選んだのが、「奇っ怪建築見聞」という日本の不思議な建築の話をまとめた本。実在の幽霊屋敷である三角屋敷に住んだレポートが載ってるというので買った本だ。でこの本を読んでいて気づいたのは寒い間怪談や幻想譚ばかり読んでたのに夏になってからこの類の本をさっぱり読んでなかったこと。もっとも夏に怪談っていう図式は自分にはいまいちよく理解できなくて、蒸し暑い夜に本気で気味悪い話なんか読んだりしたら逆に嫌な汗をかいて寝苦しくなったりするだけだろう。
この建築の本は岩窟ホテルだとか京都にあったオールプラスティックの透明建築だとか常識外れの建築の話が多く、それはそれで面白かったんだけど、幽霊屋敷は三角屋敷だけだった。気味の悪い話に回帰気味となったわたしの志向にはちょっと物足りなくなって,また怪談、心霊ものに舵を切るべく、次は川端康成が残したこの手の作品を集めた本を読もうかと思ってる。実は川端康成は心霊的、幻覚的、病み果てた妄想的な薄気味の悪い作品を数多く書いていて、踊り子さんだけの作家じゃない。
ちくま文庫の「東雅夫編 文藝怪談傑作選 川端康成 片腕」という本なんだけど、手に入れたのは結構前で、美味しいものは一番後までとっておくわたしの悪い癖が出て、パラパラと頁を繰って拾い読みをする程度で今もまだ手元で眺めて、中身を想像しては楽しんでる。
美味しいものを一番最後まで残していざ食べようとする時には満腹になってたりするのが分かってながらこういうことをするんだな。

ディア・ハンターのテーマだ。


大好きな歌 My Romance






DONBASS 2016 ドンバス ドキュメンタリー アン=ロール・ボネル【 日本語字幕】




音楽もあまり聞いたことがないタイプの薄気味悪さでいい。






のけものたちの砦に砂時計の季節がやってくる。砂の音は砦の長い回廊に降り積もり、その音に抗うようにどこかから大声が聞こえてくる。19MMUS!

死んだ雀の羽


先日歯科に行った時、7,8年ぶりくらいに、温度で色が変わるリングをつけて行った。エスニックの雑貨屋で籠に盛って売られていた安物の指輪で、その直前にアクセサリー入れをひっくり返してしまって持っているのを思い出したものだ。
ところがつけて出かけたのはいいが、治療が終わって診察室を出てみるとどこかで落としてしまっているのに気づいた。家を出てから電車と送迎バスを乗り継いでやってきてるからどの辺りで落としたかなんてわかるわけない。これは諦めるしかない。まぁ安いものだからまた欲しくなったら雑貨屋に買いに行けばいいかと、でもカートなんて持ってはいれるような広い店でもなかったなと色々考えて帰路に就いた。ところが別に探すつもりでもなかったけど、帰りの送迎バスを降りて、駅に向かう路上で道に落ちてるリングを見つけた。歩きにくくてうつむき加減に歩いていて自然と目についた。リングは落とした時に路上を転がるでもなく、目の前にこれ見よがしに落ちていて、拾ってみるとまさしく色の変わるリングだ。こんなヒッピーリングをつけてる人が自分以外に都合よく落としてるとも考えられず、自分のものに間違いなさそうだった。熱い路上に長時間接していたせいか、あるいは踏まれたせいか色の出方がちょっと汚くなっていたけど、ともあれ絶対見つからないと思っていたものが再び自分の指に戻ってきてラッキーと舞い上がった。
舞い上がった気分で駅に着くと目の前に乗るべき電車がやってきていて、改札を通った足でそのまま電車に乗ろうと思ったら、乗り口で派手に転倒してしまった。ホームと電車の段差に脚を取られたようで、完全に車両の床に伸びてしまい、持っていた荷物は周りに飛び散らかしてる。近くにいたおじさんと女の人が起きるのに手を貸してくれて、周りに散らばった荷物をかき集めたあと座席に座ったんだけど、やってしまったとドキドキしたのがなかなか収まらなかった。
ドキドキしたまま怪我でもしてないか確認してみた。転倒した勢いでなんとリュックが肩越しに背中から胸元に移動して、これがどうやらクッションにでもなったのかどこも痛くなったところはない。顔を打って今治療してきた歯を台無しにすると云った最悪の事態にも見舞われてない。派手に転倒したわりに、電車内の視線を集めた以外は何の影響もなかったのはラッキーだった。
この日はこのように二度の幸運を体験した。でもその前にリングを落とすというのと転倒するという二つの不運を体験している。

まさしく禍福は糾える縄の如しの日だった。結局何も起こらないことが最も幸運だったわけだけど、この考えは若干違和感を覚えて居心地が悪い。本当に何も起こらないことが至上の幸運なのか。
たとえば普段の道を普段通りに歩いていて、目の前を歩いていた人に横合いから車が突っ込んできたとする。一寸のタイミングの
違いで自分が遭遇したかもしれないと思うと、これはラッキーなんだけど、自分の行動にはまるで変化はなくても、外的要因でその吉凶がどこかで決まってしまってる。せめて自らの行為が幸運に結びつくようにならないものか。

映画「Fall」を見る。これは高所恐怖症だとまず画面をまともに見てられないだろうな。地上600メートルの鉄塔の上に上ったはいいが梯子が崩落して、頂上の小さな足場から降りられなくなる話だ。一つのシチュエーションに限定して、、絞り込んだテーマに先鋭化するその割り切り方が潔い。舞台は地上600メートル上の、人が三人も立てばめいっぱいの狭い足場で、登場人物はクライマーの女性二人と、絵にかいたような低予算映画だけど、そのそぎ落とした状況がむしろシェイプアップした勢いを生み出しているようだ。それにしても高所の恐怖一点に絞り込んで、このえげつないほど制約を課された状況のもとに100分近くある映画を成立させたシナリオの力技も結構すごい。結局こんなとんでもない場所に立たされて自力で降りられない以上結局やれることはシンプルにただ一つ、地上の誰かにここにいることを知らせること、このただ一つの可能性を巡って考えられる限りの試行錯誤が、立ってることだけで眼がくらみそうな場所で繰り広げられる。高所を舞台にする発想と足がすくむような効果的な演出、そしてこのパワーのある脚本を加えで、際立って勢いのある映画になってる。
物語の最後近くにツイストが一つ用意されてる。中盤過ぎたあたりで、一瞬あれ今のどうして?と違和感を感じる箇所があって、これがこのツイストの伏線になってる。他にもなぜあの時水を飲まなかったのかというのも伏線だなぁ。小さな齟齬が頭の隅に引っかかって、これがツイストの正体で解消されるのはやっぱりちょっとした快感だった。







ジョージ・A・ロメロの有名な映画の、トム・サビーニによるリメイク版。
ダウンロードして、字幕サイトで拾ってきた日本語字幕と一緒に動画ソフトへ放り込めば字幕付きで見られる。
https://subscene.com/subtitles/night-of-the-living-dead-1990
YOUTUBEに上がってた映画なんて適当だろうと思ってたら、この字幕とタイミングがあってた。






夏の光のガラス瓶をかざせば、つかの間見えた始まりの場所に、踊る生と死の白い兔たちよ。

柵

久しぶりに洋服屋さんへ行って、といっても安上りにGUなんだけど、厚底サンダルを買った。変な歩き方をしてると、靴の中で爪先が押しつけられて痛みだすことがあって、サンダルなら大丈夫かもしれない。あとアンダーウエアと区別がつかない無地のTシャツとタンクトップを数枚。夏はこの程度で乗り切れるから楽でいい。サンダルは履き心地に問題なければ色違いでもう一足くらい買い足しておくのもいいかな。GUのサンプル写真を見ると靴下履いてサンダルという人も多いけどこれはどうなんだろう。

痺れを軽減する薬リリカの影響も多分にあると思う睡魔に囚われて、気がつけばやたらと居眠りをしてるし、梅雨に入ってからの蒸し暑さや痺れふらつきのストレスも相まって、集中力がなかなか元に戻らない。気がつけば時間ばかりが過ぎて、手元には何も残らないような日々が続いてる。
そんななかでわずかずつ読み進めていたジャック・カーリイの「デス・コレクターズ」をようやく読み終えて、これはすっとした。やっと次に進める。別に読みにくかったわけでもなく、読み終えてみれば意外なほど面白かったので、ちょっともったいない読み方だった。ジェフリー・ディーヴァーの再来ともいわれてるらしくて、ツイストの効いたプロットなんか納得だ。
30年前にパリの美術学校でシリアルキラーの画家の卵とその崇拝者によって結成された謎めいたコミュニティと現代アメリカに出現した魔術的装飾を施された死体の物語。死体に残された絵画の切れ端が30年の時間を飛び越えてこの二つの物語を結び付けていく。過去の謎めいた出来事に現在の事件が新たな角度から光を与え、その照り返しを受けた現在の事件の輪郭が際立ってくる。こういうのってまさしくミステリの王道の枠組みで、そこへプロローグから周到に張られた伏線だとか、死体の魔術的な装飾の真意だとか、終盤近くに姿を現す時空的に掻かれたことがあり得ない絵画というとびっきりの不可能性を纏った謎なんかが絡みあい盛大に盛り上げていく。注意力散漫で居眠りばかりしながら読んでいたわたしはこの不可能性を具現した絵画の登場でぱっちり目が覚めた。こんなありえないもの出してどうやって解決させるんだ。
シリアルキラーとかサイコパスを登場させてもその猟奇的な犯罪に深入りせず、飽き飽きしたプロファイリングなんかで解決しようとする気さえない語り口も気に入った。
前作同様終盤はアクションものの冒険小説風、ラストは主人公の兄が収監されてる収容所施設でこのスケール感のある物語は終わる。ここで中盤頃から登場していた真っ白い壁に向かってオーケストラの指揮でもしてるような動作を繰り返していたある収容者のこの行動の真意に主人公が気づくシーンがあるんだけど、これがちょっと感動的というか印象に残る。
これを読み終えて次に手を出したのが島田荘司の「屋上」


このカバー絵、どう見てもネタバレ。いいのか?
屋上

とある銀行の屋上から自殺なんて絶対にしないと公言してる行員が四人、立て続けに飛び降り自殺してしまうという、呪われた屋上で起きる奇怪な事件の話だ。解決編の前に読者への挑戦状が挟み込まれて昔懐かしい探偵小説の趣向が気分を盛り上げる。今この解決編の途中まで読み進めているところで、もちろん挑戦状を叩きつけられてもさっぱり分からないんだけど、嫌な予感というか、目の前にあったのにどうして気づかなかったのかと唖然とするような心理的な陥穽と云ったものじゃない、かなり機械的なトリックが出てくるんじゃないかといった駄作臭が濃厚に漂ってきてる。「奇想、天を動かす」の失速感がまちうけてそう。
それにしてもミステリ作家は大変だ。一回演じるごとにすべて種明かしを強いられるマジシャンみたいなもので、どんなにすごいトリックを思いついても一回切りしか使えないし、おまけに読み手のほうをみれば、ついてくる読者はすれっからしのミステリマニアでここぞとばかりにあら捜ししてくるような連中ばかり。さらに序盤で犯人が分かったと云ってマウントを取りにくる読者も現れるし、まるで自分の功績のようにネタばらしして悦にいる不届き者もわいてくるはで、いい加減嫌になってこないんだろうか。


アイルランドの古い歌。ダニー・ボーイとか好きな歌いっぱいあるし、こういう楽器で弾くと映える。








まぁ作り物なんだろうけど、こんなのが壁に貼りついてるのを発見したら発狂ものだろうなぁ。作り物にしてもこんなおぞましいものをイメージできる発想力が凄い。悪夢のような造形から動きまですべてが未知なるものが発する危険信号に満ち溢れて鳥肌ものだ。