チョコレート・ファイター体験記

先週の11日に、映画「チョコレート・ファイター」を観に行って来ました。
実はわたしは格闘技の映画って今まで、というか今でも完全に守備範囲外で、ほとんど興味が沸きませんでした。ブルース・リーにしても、何故こんなに夢中になってる人がいるのか昔からさっぱり分からなかったし、ジャッキー・チェンの映画は人間離れしたアクションには多少興味を引かれはしたものの、そこから好んでのめりこんでいくということも無かったです。
ジャキー・チェンの映画辺りからハリウッド映画に拡がって云ったカンフータイプの映画、細かい手順に沿って一定のリズムでお互いにリズミカルに手を出し合うような格闘シーンとか見ても、何だか極めて派手で過激な「せっせっせ」でも観てるような気分になることのほうが多かったです。

それで、格闘技映画にその程度の興味しかなかったのになぜこの映画に興味をひかれたのかというと、少女が小細工無しの極めて過酷な格闘を演じてるっていうのを知って、これが妙に新鮮に頭の中に入ってきたんですよね。スタントは使わない、ワイヤー、CGは一切使わない、フィルムのコマを落として早く動いてるようにも見せない、その条件で人間離れしたアクションを、おそらく存在としては最も遠い位置にいるかもしれない少女がこなしてる。人間離れしたアクションっていうのはカンフーものの中でもジャッキー・チェンの映画の唯一興味を引かれた部分でもあったので、ここではカンフーじゃなくムエタイなんですが、それをこういうかけ離れた少女がやってしまったって云う点に新鮮さを感じました。何か前代未聞のものが観られるんじゃないかと、そんな風に思ったわけです。

上映してたのはムービックス京都で、観に行った日は上映最終日の一日前。記録的な意味合いで書いておくとスクリーンは以前の松竹座、今は一階が紀伊国屋書店になってるムービックス京都の南側の建物の2F、9番スクリーンを使用して、終了間際のこの時点での上映回数は1日2回になってました。お客さんは大体10人くらいだったかな。期間中にどれだけ客が来たかは分からないですが、最終日一日前にしてもちょっと少なかったかもしれません。
劇場の中央少し前辺りを予約して、まぁチケット買うときにどこでもほとんど空いてますと云われたので予約する意味も無かったんですが、ともあれその辺りに座って観ていると、遠くから人の気配はかすかに伝わってくるものの、ほとんど独占状態で観てるような感じになってました。終了してから劇場を見渡してみたんですが、最後列近くに並ぶように座席が埋まっていて、意外と後ろの方の席を確保する人が多かったようです。
わたしは今までに一度も経験が無いんですけど、劇場で本当に1人で観てる状態になれば、完全独占状態で凄く気分良いか、逆に自分だけのための巨大な施設を動かしてもらってると思って居心地が悪くなるか、どちらになるんでしょうね。

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当日のムービックス京都の中です。

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一応一度だけ鑑賞した印象をちょっと纏めておくつもりで書いてるんですが、何時になるかこれをブログにアップする頃には当然上映は終了してるわけで、記事にするタイミングとしてはあまり良くないです。こういうことをするつもりならあまりぎりぎりまで放りっ放しするのは考えものですね。

☆ ☆ ☆

主役の少女ゼン("ジージャー"ヤーニン・ウィサミタナン、通称ジージャー)は、傷のあるものに惹かれるという性癖を小さい頃から持っていた日本のやくざマサシ(阿部寛)と、タイのマフィアの女ジン("ソム"アマラー・シリポン)との間に生まれた子供。
勢力を拡大しようとする日本のやくざとナンバー8(ポンパット・ワチラバンジョン)率いる現地のマフィア組織の抗争が続くタイで、マサシはナンバー8の片腕とも云うべき女ジンと運命的な恋におち、ナンバー8の前からジンをさらっていったが、やがてマサシの身を案じるジンによって日本へ帰国することを勧められる。
マサシを帰国させてからジンは1人でマサシとの子を産み、その少女を日本にちなんだ言葉「禅」からゼンと名づけた。
ゼンは脳に障害を持って生まれた子供だった。しかし、日常は他人とまともなコミュニケーションもなかなか取れないような生活ではあったものの、その障害と引き換えにゼンには常人には到底持ち得ない身体能力が備わっていた。
ゼンは驚異的な反射神経と、目にしたものの動きを全て瞬時に把握して自分のものにすることが出来るという能力を持っていた。
ジンと一緒にナンバー8から身を隠して生活していた住処の近くにあった、ムエタイ道場の練習風景を眺めるだけで、ゼンはムエタイのすべての動きを自分のものにしていく。TVで観るカンフー映画や格闘ゲーム(!)からも格闘術のあらゆる動きを完璧に把握していった。
ゼンは幼馴染のムン(タポン・ポップワンディー)と一緒になって、その驚異の身体能力に磨きをかけながら成長していった。

やがて母親ジンが白血病を患っていることが発覚する。ゼンとムンは路上で反射神経を利用した大道芸を披露して小銭を稼いでいたが、母親の薬を賄うにはそれでは到底追いつかなかった。

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金に困り果てている時ムンはジンが隠し持っていた昔の帳簿を発見して、未だに回収してない借金がかなりあることを発見し、帳簿を元に昔の負債者から金を返してもらおうと、ゼンとともに負債者のところを廻り歩くことにした。

やがてその事がナンバー8の知ることになる。自分の島を荒らされてることと、ジンが未だにマサシへ心を残してることを知った嫉妬心から、ナンバー8はジン親子とムンへ復讐し、破滅させることを決意する。

☆ ☆ ☆

お話はまぁこういう感じで動き出すんですが、簡単にまとめて読み返してみたら、ディテールには荒唐無稽というかユーモラスな部分が結構入り込んでる話だったんだなぁとあらためて思ってしまいました。かなりシリアスな部分とか絵的に美しい部分が随所にあって観てる間はそれほどとも思わなかったんですが、ヒロインがやってることって、映画の前半部分は借金の取立て屋ですものね。ジージャーの台詞も、ゼンの設定がコミュニケーション不全ということもあって全体に台詞はかなり少なかったんですけど、その辺りのシーンでは口を開けば「金返せ」という類の台詞しか出てこなかったです。
荒唐無稽なユーモアの混ぜ加減で全体的には不思議な感触が加わった映画になってる感じがします。

この映画の最大の見所は華奢な美少女が同時に史上最強のファイターでもあるという、その矛盾に満ちた特異な存在感にあったと思います。普通だとこの二つはまず両立不可能。大人の女だと戦う女はたとえばアンジェリーナ・ジョリーのトゥーム・レイダーとかいろいろあるんですが、こういう少女ではほとんど無いんじゃないかと思います。
そこでこの両立不可能とも見える要素を同じ場所に並置するために、プラッチャヤー・ピンゲーオ監督が選んだ方法はこの美少女ヒロインを障害者にするという設定でした。
知的障害者が特定の分野のみに特異な才能を発揮する所謂サヴァン症候群の設定なんですけど、この症候群が出てきた映画で直ぐに思いついたのが「キューブ」。あの映画でも他のことでは全く役立たずなのにキューブから脱出するための複雑な計算だけは暗算で簡単にやってしまう人物が出てました。
ただこの映画で描かれるような、驚異的な反射神経とか一度見ただけで全ての動きを把握し自分のものに出来るという能力が本当にサヴァン症候群から生まれてくるのかどうかは、わたしは知らないです。ちょっと都合が良すぎる?

主人公を障害者に設定してこういう形で表現するのは、今の日本ではおそらく不可能だと思います。そういう意味では国情の違いが出ていて興味深いかもしれません。他にも終盤近くにゼンの前に立ち塞がる強敵の障害者が出てきたり、まぁこれは障害者でもないけど、タイだからなのかオカマの暗殺者集団が出てきたりで、いささか見世物的な演出もしてあるんですが、ゼンの周囲はむしろ他とは違う選ばれた者といった存在感の方が強く出る描き方をしてる映画なので、わたしは障害者がどうのこうのといったこととは全く関係無しで、普通に共鳴し感情移入して観てました。
監督は映画の冒頭に子供たちに対してメッセージを残してます。これはハンディキャップのせいで普通の生活もなかなか送れないような子供たちへの応援のメッセージだと監督は云ってるんですが、ゼンのようにある意味恵まれてある障害者は稀にしかいないわけで、あれが直接的に応援の言葉になるのかなというのはちょっと考えるところがありました。

この自らの内に閉じようとして、限られた人間との間にしか意思疎通のルートを開けないような今にも壊れそうな存在なのに、自分の大切にしてるものを奪われ損なわれようとしてるのを目の前にして怒りを全身から暴発させる、存在感に満ちた少女ゼンを演じたジージャーはまさに適役。驚異的な身体能力を駆使して、史上最強の少女という、ある意味倒錯的とでも云えるような今まであまり見たことのない魅力を持ったキャラクターを怪演してます。

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もともとテコンドーの使い手で高校の時にはバンコクのユース・テコンドー大会で金メダルを取るほどの腕前だったらしく、そういう格闘技の素質をこの映画のために4年間特訓して挑んだそうです。
見た目はどちらかというと日本人に近い感じの美少女で、日本人であるわたしにはより親近感がある女優さんでした。
脳に異常がある知的障害者(日本での宣伝などでは自閉症、心の病と言い換えてたそうです)という役どころなので、台詞は極めて少なく、先に書いたように借金の取立て屋をやってるシーンではとにかく金返せのバリエーションを繰り返すだけなんですが、新人女優でテコンドーの実力だけ買われて映画に登場したために台詞が多いと不都合だったとかそういう表現のレベルじゃなくて、ジージャーは確実に知的障害者という役柄を演じてました。そういう部分に説得力がないと、そこから派生して獲得していく驚異の武術も荒唐無稽の部分のみ目立ったような結果になったと思います。

前に取り上げた「ガタカ」も云うならば不適正者ヴィンセントという障害者を極めてクールな美しさで描写した映画とも云えたわけで、そういう云い方でいくとこの映画は血なまぐさい形の真っ只中で障害者をまた別の凛とした美しさで撮ろうとした映画だといえるかもしれません。

☆ ☆ ☆

格闘アクション映画なので、映画の比率は同然の事ながらアクションシーンを重点に置くような形にしてあります。マサシとのドラマ部分とかゼンの成立背景とかは前半に纏め、マサシなんかは物語りに絡んでこないように最初の内に日本に返してしまって、ゼンとムンが取立て屋を始めることから、アクションシーンの連続となって行きます。
借金の取立て屋を始めてから、ストーリーを挟み込みながらも連続するように3つのバトルステージが映画の中で展開していきます。この3つのステージはムンが発見したジンの昔の帳簿に記されていた人物を順番に訪ね歩くという形で連なっていました。
そのステージとは、最初に製氷工場、まん中に、これは倉庫会社なのかな、棚とか箱とかが天井高く積み上げられてる巨大な空間、そして最後に精肉工場。それぞれの空間の特徴は取り立てに行く負債者の職によって異なったものになってます。
わたしはカンフー映画って積極的にはほとんど観て来なかったので知らなかったんですが、最初のステージの製氷工場とかはブルース・リーの映画にも出てきた場所らしいですね。2番目のステージに出てくるロッカーの扉を使った攻防は、これはわたしにも分かるジャッキー・チェン的な雰囲気があったし、バトルステージ全体に過去の格闘映画に対するオマージュ的なものが含まれてるようでした。

最初の製氷工場で借金を取り立てに行ったゼンは負債者には全く相手にされずに逆にその場にいた手下の男たちに袋叩きにされます。そして命の危険に晒されるような状態にまで追い詰められて初めて、今まで見てきた格闘の動きが全身に降りてきてゼンはファイターとして覚醒することになります。
ファイターとして目覚め、袋叩きにあった状態から立ち上がって別人のような戦闘モードに入ったゼンは、このシーンではまるでブルース・リーのようで、あの特徴のある怪鳥的な雄たけびや鼻に手をやる動作などを見せます。この辺でわたしは、ひょっとしてこの映画の格闘ってブルース・リーのコピーを見せるだけ?って思ったんですが、これはゼンのキャラクター付けの細かい設定のようなもので、要するにゼンがそれまで観ていた映画がブルース・リーの映画だったから、最初に無条件で降りてきた動きがブルース・リーのものだったということのようです。わたしは延々とブルース・リーもどきの映画を見せられるのかと少々不安になったんですが、実際はブルース・リー的な格闘を見せるのはこの製氷工場のシーンだけでした。ゼンは戦いを重ねることで相手の動きを見切って全て自家薬籠中のものにしていくので、戦闘のスタイルは映画が進むにつれて変化していきます。

ただこの3つの戦闘ステージの配置は物語的にはあまり上手くない配置だったと思います。
それぞれのステージは趣向を凝らしてます。倉庫会社では入り組んだ障害物や段差のある中での戦闘で、ジージャは180度開脚横回転だとか、低空で投げつけられた障害物の下をすれすれで潜り抜けるなんていう無茶なアクションを披露してくれますし、精肉工場では肉きりの刃物が投げつけられ飛び交うような、相手にダメージを与えるだけじゃなくて完全に殺すことを目的にするようなステージが展開します。

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でも、それぞれのステージはこういう風に戦闘タイプの違うものを揃えてるんですが、物語的には同じ重みづけのエピソードが並置されてるだけというか、ジンの帳簿に載ってる人物を1人づつチェックしていくだけの単調な作業をこなしていくのに似たような展開になりがちでした。
似たようなエピソードで登場人物の名前だけが変わってる短編集みたいなのを読んでる感じ。一つのステージを勝ち進んだことが次の展開に何らかの影響を与えてるという感じがなくて、エピソードがあまり繋がりも持たずに並んでるのを順番に観ていく感じというか、物語的な展開としてはいささか単調な進行になってました。バトルステージごとに趣向が凝らされてたのでこれはちょっと勿体無かったかもしれません。

バトルステージが物語的な盛り上がりとともに機能してるような感じは、ナンバー8がジン親子とムンに対して復讐を始めてからの展開に従ってようやく出てきます。

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それまでの取立て屋モードの戦闘では、それぞれの負債者が倒すべき最終目標となって、ストーリー的には強敵が相応しいと思うのに、結局は全員ただのおじさんにしか過ぎず、配下の屈強な部下を差し向けては来るものの部下を全員倒したところでバトルモード終了、負債者はその時点で大人しく金を返すだけでエピソードそのものの終わりという展開になってたんですが、ナンバー8の本拠地であるアジトビルでの最後のバトルステージに入って、ここにきて初めてゼンの目前に強敵が立ち塞がることになります。TVゲームで云えば中ボスといったところでしょうか。
わたしが観た感じではこの映画、この場面に来るまでに、これを突破しなければ先には進めないって云うような感じがするところってほとんどなかったんですよね。

ここで現れるのが、これがまた異様な相手で、はっきり云って映画の中での扱いはゼンと同じ戦闘に特化したサヴァン症候群の障害者。アディダスのジャージ上下を来た眼鏡で坊主頭の少年で、名前はトーマス、まるで全身が暴走したチック症にかかってるかのように、全く予測不可能な動きをする強烈なキャラクターとして登場します。
主人公の前に立ちはだかる、明らかに常人とは違う感じのこういう強敵は設定としてはかなり荒唐無稽になるかもしれないけど、要所要所に配置した方が物語的には盛り上がっただろうと思います。最後のアジトビルでの戦闘では他にもこういう格闘技マスター的な人物は出てきてはしたものの、異様な雰囲気を引き連れて登場するのはこのトーマス少年だけでした。トーマス少年のような際立ったキャラクターを持つ存在が他に出てこなかったのは、ちょっと残念でした。
この少年の登場シーンは映画全体の空気感を変えたし、そこまで襲い掛かってくる敵をなぎ倒して進んできたゼンがトーマス少年の予想外の動きに翻弄されていく展開もあってなかなか面白かったです。また、ゼンが翻弄され追い込まれながらも、トーマス少年の動きをトレースして自分のものにしていく過程もトーマス少年の存在が異様であるだけに際立ってくるところもありました。

敵アジトビルでの最後の戦闘は、映画のクライマックスでもあるんですが、4階建てのビルの壁面の垂直、水平両方向への空間をフルに使った縦横無尽の攻防戦となります。これは分量的にも結構長くて、壮絶の一言でした。
足場は人の幅ほどの窓の下の出っ張りだけ、路上の空中高くに突き出た看板に体当たりして反射しながら下の出っ張りに移動とか、そんな細い足場と看板を使って空中を乱舞するような、もう絶対に何人か死んでるんじゃないかと思うくらいの驚異的なアクションシーンが延々と続きます。4階からそのまま地面まで落ちた人もいたし。こういうところは、映画の宣伝ではワイヤーアクションは使ってないと言うことでしたけど、明らかに使ってるでしょうね。でもワイヤー使ったからと云って、それがこのシーンの勢いをそぐような方向には向いてなかったので、それはそれで構わないと思いました。
わたしはこの最後の壁面の壮絶な攻防を眺めていて、スクリーンから伝わってくる熱気というか波動というか、何だか知らないけどこちらの感情を無茶苦茶に揺り動かしてくるようなものに翻弄されて、感情の制御を若干失ったような感じになり、別に悲しくもないのになぜか涙が出そうになりました。
でも、この最後の攻防を観て涙流しかけたのって絶対にわたしだけじゃないと思います。

☆ ☆ ☆

それとこの映画、最初の方にも書いたように阿部寛が出てるんですよね。映画は阿部寛の日本語のナレーションで始まるので、タイの映画だと思って観始めたわたしは、これでまず吃驚しました。ひょっとして間違って吹き替え版を選んだんじゃないかって。
でもこのナレーションはどうやら日本で公開した「チョコレート・ファイター」だけの特別仕様だったそうです。

阿部寛って出始めた最初の頃は、モデル出身で見た目だけで飽きられたら消えていくだろうって思ってたら、結構存在感のある俳優になってしまって、この映画でもかっこよかったです。
前半で日本に帰国して退場してしまったマサシも、ゼンたちがナンバー8の手にかかって窮地に追い込まれてると知って、日本で築き上げたもの全てを投げ捨ててタイに戻り、終盤のアジトビルでの攻防では日本刀を持って単身殴り込みをかけてきます。この辺は完全にやくざ映画のノリかも。阿部寛も「トリック」なんかで見せていたとぼけた部分を完全に隠してシリアスに徹してます。

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この父親の行動で刀の動きをトレースしたゼンが、同じく日本刀を振りかざして襲い掛かってくるナンバー8の配下の者たちを刀じゃなく両手に鞘を持って立ち向かっていくというひねりが入った格闘シーンへと繋がっていくんですが、マサシの再登場はそういうシーンを導き出しては来るものの、物語的には前半しにしか登場してなかったので、中途半端な感じは免れませんでした。せっかくのいい俳優を使ったのに、ちょっと勿体無かった。
もっともマサシの出る部分はノワール風の映画で、ゼンが活躍する部分とはちょっと合いにくいって所はあったかもしれません。ラストはマサシの、傷のあるものに惹かれ続けるという冒頭のナレーションに戻るような終わり方で映画を纏めていくんですが、ゼンのなかで父親がどういう位置に居たのか、物語の中では母子の絆に関しては丹念に描写されてたのに、父親との絆についてはゼンの側からもマサシの側からも全然描写されてないから、若干ぶれたようなまとめ方という印象でした。

☆ ☆ ☆

この映画で阿部寛のベッドシーン、全裸が観られます。

☆ ☆ ☆

一度観た印象としては、大体こんなところです。
高橋留美子展の時にも書いたように、わたしは映画でも何か戦利品を持って帰らないと気がすまないので、パンフレットは必ず買ってます。

チョコレートファイターパンフ

「チョコレート・ファイター」のパンフレットもいつものように買ったんですが、このパンフレット表紙の紙も中の紙と同じようにぺらぺらの材質のを使ってるんですよね。
こんなにちゃちな映画パンフレットっで初めて手にしました。これで700円したんですが、やっぱり高すぎという印象です。

☆ ☆ ☆



追記 京都では上映は終了しましたが、6/17現在、未だ上映中、あるいはこれから公開という地域もあるそうです。

チョコレート・ファイター公式サイト

↑のTheaterガイドで詳しい情報を知ることが出来ます。




原題 Chocolate
監督 プラッチャヤー・ピンゲーオ
公開 2009年


☆ ☆ ☆


チョコレート・ファイター 予告編



こっちはタイ版の予告編?



チョコレート・ファイターのアクションシーンをいくつか集めたものがYoutubeに置いてありました。
ジージャーファンが作ったもののようで、BGMは映画のものではなくてThe Ting Tingsの曲です。




☆ ☆ ☆


最後まで読んでくださってありがとう御座いました。

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【洋画】 ガタカ

映画の話題としてはこの前取り上げたガン=カタの映画に続いて、今度の映画は「ガタカ」。
これがタイトルなんですが、邦題だけじゃなくて原題もこれです。ガン=カタっていう言葉が頭の中にあって、映画のタイトル「リベリオン」よりも印象が強ければ、ガン=カタを観ようと思って間違ってこっちを選ぶ人も多いんじゃないかと思います。ひょっとしたら続編?って思わせるような響きもありますものね。でも期待しても残念ながらあの凄かった銃の演舞は一切出てこないです。

ガン=カタは出てこなくても「ガタカ」もまた同じように近未来を舞台にしたSFです。とは云うものの普通にSFと聞いた時に頭に思い浮かぶようなものとはおそらく全然違う印象を与える映画になってるはずです。
見上げる空に飛び立っていく宇宙船は出てくるものの、物語の舞台としての宇宙船はラスト近くのごく一部を除いては一切映画の中には出てきません。化け物じみた宇宙人との派手な戦闘もない。
この映画はそういうにぎやかで楽しいテーマじゃなく、遺伝子操作が可能になった社会で人間がどう扱われていくかといった社会的なテーマや、兄弟間の確執、持つ者持たざる者のそれぞれの苦悩といった文学的ともいえるようなテーマが中心になっています。

そしてそういうテーマを載せて展開する画面もまた従来的なSFのイメージとは異なって、ワイドスクリーンを効果的に使った極めてスタイリッシュな絵作りをしてます。
襲い掛かる宇宙モンスターや飛び交うビームに画面を揺るがす大爆発といったものが満ち溢れる躍動的な画面ではなくて、どちらかというと絵画的な構造の、静的でクール、未来と過去が入り混じったような不思議な感触の画面が映画全体を占めていて、近未来という時代の、遺伝子を元にした徹底した管理社会の雰囲気、テーマ性をうまく視覚化しています。

タイトルになってる「ガタカ」なんですが、映画の中では主人公ヴィンセント・フリーマン ( イーサン・ホーク )が自分の遺伝子を誤魔化して社員として潜り込む企業の名前として出てくるだけで、直接的な意味は説明されません。
それで映画を観てるだけでは結局この言葉の意味は分からずじまいで終わってしまうんですが、どうやらDNAの塩基配列頭文字、A(アミン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)を組合わせて作った造語だということのようです。

音列は硬質で低温度的な響きがかっこいいです。多少はわたしのお気に入りのガン=カタに引っ張られた印象ではありますけどね。

☆ ☆ ☆

近未来のどこかの時代、人は自らの遺伝子の構造をつきとめ自由に扱う術を獲得していた。
多くの人は我が子が遺伝子的な問題を抱えて生まれてこないように、試験管の中で人工的に操作された出産を望んだ。
しかし中には自然にゆだねるのが最良という考えの元に、昔からの性行為を出発点として自然分娩にいたる過程を選ぶ親たちも存在し、そうして生まれた子供たちは「神の子」と呼ばれることになった。

ヴィンセント・フリーマンもそういう神の子の一人。
この時代は生まれた直後に実施される血液検査で生涯にかかる病気、寿命などを予測できるようになっていて、ヴィンセントは99パーセントの心臓疾患発病率を予想され、寿命は30歳程度と分析されていた。実際にヴィンセントは周りの人間が始終気を使わなければならないような病弱な幼少期を送ることになる。
最初の子供に懲りて両親は次の子供を時代のやり方に沿って授かることを決心する。そしてヴィンセントの弟として、遺伝子的な劣悪因子や疾患を取り除き、両親の遺伝子の掛け合わせとしては最高の状態でアントン・フリーマンが生まれた。

兄であるヴィンセントはあらゆる意味で弟アントンにかなわなかった。やがてヴィンセントは地上にあるもの全てを憎むようになり空高く上っていく宇宙飛行士になることを夢見るようになった。しかし、世界は遺伝子的に優れた「適正者」と劣化した遺伝子の持ち主「不適正者」に二分された階層社会になっていて、宇宙飛行士への道と弟アントンは「適正者」の世界に属して、ヴィンセント自身は「不適正者」の階層に属するものだった。「適正者」と「不適正者」の間は明確に断絶していて、不適正者が適正者の社会に入り込むことは不可能なことだった。
それでもヴィンセントは宇宙飛行士になる勉強を続けていたが、両親はヴィンセントに努力しても無駄なことが存在するといつも云い聞かせていた。

そういう環境のなかで、ヴィンセントとアントンは親の目を盗んでは浜辺に行き何処まで遠くへ泳げるか競うという度胸試しをやっていた。
いつもは弟が勝っていたが、ある日、アントンが途中で力尽き、溺れかける事態が発生する。その時の度胸試しでは溺れかけた弟をヴィンセントが助けることとなった。
絶対に勝てないはずの弟に勝ってしまったこの出来事で、今まで自分に出来ることの限界を他人が決めていた有り方ではなく、予め課せられた不可能を克服するだけの可能性が自分にも残されていることを確信したヴィンセントは、社会に合わせて確かめもせずに自分の可能性を規定しようとする家族の元を去る決心をすることになった。

家を出たヴィンセントは職を転々とし、やがて不適正者の属する新下層階級の清掃員の一人として「ガタカ」にやってくる。
ガタカ社はこの時代に宇宙開発を行う唯一の巨大企業で、宇宙飛行士になるにはここに入る以外に無い。厳重なゲートで選別されてガタカ社に入っていく適性者の集団を清掃しながら毎日眺めていたヴィンセントは必ずこのゲートを潜ってガタカ社に入る決意をするのだった。

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ところが入社のテストを受けてみても、ドアノブに触れただけでその痕跡からDNAを辿られて、不適正者であることがばれてしまって入り込むことが出来ない。いくら努力しても血液検査をされれば即座に落とされるという状況にあって、ヴィンセントはDNAブローカーに会うという最終手段をとることを決意した。
ヴィンセントに体格的に一致する適正者としてブローカーから紹介されたのが元水泳選手のエリート、ジェローム・モロー(ジュード・ロウ)だった。
ジェローム・モローは最高の遺伝子をもつ超人。しかし過去に自殺未遂を起こしていて、そのときの行為が原因で今では車椅子の生活になっていた。
ヴィンセントはジェローム・モローの生活を保障する代わりに、ジェローム・モローのIDを譲り受け、遺伝子を含む垢、ふけ、髪の毛、尿などを提供してもらい、その遺伝子を内包する老廃物を使うことでガタカの検査を突破し、ジェローム・モローに成りすましてガタカの一員になることに成功した。

ヴィンセントがジェローム・モローとしてガタカでの生活を続けていたある日、ガタカ内部で殺人事件が生じる。殺されたのはガタカ社で近々予定されている土星の衛星タイタンへの探査船の打ち上げに反対していたある上司。
その結果ガタカ社で警察の捜査が始まることになった。チリ一つ見逃さない警察の現場検証に、たまたま落としたヴィンセントの睫毛が一本紛れ込んで、蒐集物の分析の結果、不適正者ヴィンセントがガタカ社に紛れ込んでいることが警察にばれてしまった。
ジェローム・モローとして認知されていたヴィンセントに、即座に警察の手がのびてくることは無かったが、警察は確実にヴィンセントを囲い込み、殺人の容疑者としてヴィンセントに向かって捜査の範囲を絞り込んでくる。ヴィンセントはしだいに窮地に立たされていくことになった。

☆ ☆ ☆

簡単に云うならば、4つの遺伝子の物語が4人の主要登場人物に仮託されて語られる、そういう構成の物語になってます。
主人公のヴィンセントは自然のままの状態で、この社会では、あるいは今の現実の社会でも劣性と見做される特質を持った遺伝子を山のように抱えてしまってる存在、映画の冒頭に引用される2つの言葉のうち最初に出てくる「神が曲げたものを誰が直し得よう?」という伝道の書からの言葉をそのまま体現してしまってるような人物。そしてそういう兄に対応する弟のアントンはたとえば天才同士の掛け合わせといったものではなく、ごく普通の人間である両親の遺伝子という制限はあっても、その組み合わせのうちでは最良の選択をなされた存在。
ジェローム・モローは超人と呼ぶに相応しいような完璧な遺伝子の持ち主でありながら、なぜかその遺伝子の能力を十全に発揮できず、目の前に越えられない壁を見出してしまった人物で、もう一人紅一点で、ヴィンセントに惹かれていく女性アイリーン(ウマ・サーマン)は遺伝子操作されて生まれてきたにもかかわらず、ある種の欠陥を抱え込んでいて、適正者の社会にいる資格を充分に持ちガタカ社内部に居場所も見つけながら、ガタカ社の目的である宇宙に飛び立つことを拒絶されてる人物といった感じに役割を割り振られています。

主人公の兄弟は冒頭の伝道の書の言葉と、それに続いて映画の冒頭に出てくるウィラード・ゲイリンの言葉、ゲイリンは実在の人物で1974年に「Harvesting The Dead」という論文を書いて脳死体の医学的な利用価値について言及した人らしいんですが、そのゲイリンの言葉「自然は人間の挑戦を望んでいる」というのをそれぞれ体現してるような存在で、残るジェローム・モローとアイリーンは操作され適正者の側にいながらも、完全なものとしてではなくそれぞれが翳りを背負わされてる人物とでも云い表せるかもしれません。

このように映画「ガタカ」の登場人物はそれぞれかなり明確な役割を割り振られてスクリーンの中に登場します。そしてそれぞれ担ってる遺伝子のロールプレイングをする登場人物といった感じで配置されます。
登場人物それぞれに事情があるものの明確に役割を振られている分、ストーリーの見通しは意外なほど良くて、物語の構造自体も各登場人物ごとにブロック状に切り離せるんじゃないかと思えるくらい、分かりやすい形を取って目の前に展開していきます。
ヴィンセントと弟アントンとの確執のある少年時代の回想、その回想が終われば、適正者を騙って潜り込んだヴィンセントのガタカ社での日々とそこで起こった殺人事件、ヴィンセントに適正者のアイデンティティを与えるジェローム・モローの孤立した生活という風に、それぞれがお互いの領域に関わっているように見えながら、大枠の部分ではきっちりと別の物として扱われ物語の秩序に沿って並べられてる。
複数のストーリーを用意して、ある程度個別の枠組みに収めてしまってるためにいささか散漫な印象があるものの、区画整理された道を歩いてるような見通しのよさがあるというか、そういう感じをうける物語でした。

☆ ☆ ☆

この映画を見終わってみてわたしが感じたのは、まず第一にヴィンセントの、主人公であるにもかかわらず、それほど印象に残らない存在の希薄さでした。

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ヴィンセントがこの映画の主人公であるのはまず間違いがないところ。これには誰も異論がないと思います。
冒頭部分、自分の垢などをガタカ社で不用意に落とさないように、皮が擦りむけるほどに焼却炉に擦り落としてから出社するシーンに始まって、ヴィンセント自身のモノローグで始まる、自分がガタカで適正者に混じって生活してることへ至る過去の回想から、無表情にエリートを演じてるガタカでの日常と場面は続き、最後もヴィンセントのエピソードで終わるこの映画の物語は終始ヴィンセントを画面に捉えていて、明らかにヴィンセントの物語として成立しています。
わたしはヴィンセントが不適正者であっても不可能を努力で可能にして、最後には夢にまで見た土星探査の宇宙飛行士になる物語として観ていました。おそらくこれはわたしたけではなく、この映画を観た大半の人がそういう観点で観始めると思います。
ところが確かにそういう風に進む物語ではあるんですが、実は物語の大半はガタカ内部で起こった殺人事件の話に割り振られてしまってるんですよね。この殺人事件の話はもちろんヴィンセントに密接に関わってくる事件なんですが、ここで扱ってたはずのヴィンセントが生きることを強要されてる遺伝子に規定された生存の形そのものとはあまり関係のないエピソードに終始していくことになります。

この殺人事件というのは、先に書いたようにタイタン探査宇宙船の打ち上げに反対してた上司の殺害というものなんですが、この上司は殺害された形で初めてスクリーンに登場してきて、それ以前の話の中では全く出て来ない人物です。
会社の自室で殺されてるのが発見されるまでに映画としてはまだたったの8分ほどしか経ってない。この8分の間にこの人物は一度も登場しないので、このシーンがやってきた時にわたしが思ったのは、「これ、誰?」っていうものでした。
以後警察が介入してきて、ガタカにヴィンセントが潜り込んでるのがばれてしまい、誰がそのヴィンセントなのかを探る捜査が始まるものの、殺された上司は捜査の過程でガタカのやり方に反対してた人物と説明されるだけで、後は最後まで「これ、誰?」の放置状態です。どういう生活をしていてどういう考えの元に土星探査に異を唱えるようになったのか、この人物に関するそういった描写は皆無で、おそらくヴィンセントとの人間的な係わり合いさえも無い人物でしょう。

結局映画の中で大半を占めているこの出来事は、云うならば殺人事件としての意味合いさえも与えられていない事件として扱われていて、ヴィンセントを追い詰めていくサスペンスを作り出すために用意された物語上の仕掛けにしか過ぎないのは一目瞭然でした。
だから映画はその仕掛けに引きずられて、ヴィンセントが自分に向かって閉じかけてくる容疑から抜け出すためにいろいろ算段する描写に特化してしまい、本来表すべきだった不可能を可能にする努力といったシーンはほとんど出てこないことになってました。

ガタカ社の社員全員にかけられた不適正者の容疑と、その不適正者ヴィンセントを割り出すために試行される様々な検査。ヴィンセントはその検査を全てクリアするべくいろいろ知恵をしぼるんですが、観てる側が感心するほど考え抜いた方法を使うわけでもなく、その場の偶然に頼ったり、理由をつけて暴れた隙に検体を擦りかえるとか、姑息な手段ばかりを披露します。
一応ガタカ社でジェローム・モローに匹敵する能力を発揮するためにヴィンセントがかける努力、本当はこちらの方が本筋なんですが、これもエピソード的に映画の中に挿入はされるものの、腹筋の運動をするときに負荷として使っていた分厚い書物の背が画面に映って、それが宇宙航法に関する本だということが分かったり、といった極めて間接的な描写に終始します。実際に本を読んでるシーンなんて過去の回想に僅かに出てくるだけです。
これでは、ジェローム・モローの体の一部を使って適正者に成りすましたきっかけから、やがてジェローム・モロー並みの能力を身につけるまでに至る壮絶な努力の物語の印象なんて絶対に持たないです

おそらくヴィンセントが地道に努力する過程を延々と映しても、映画を維持できないと判断したせいだと思うんですが、殺人事件によるサスペンスという、この映画が採用した展開は映画を維持は出来ても映画が用意してるテーマを展開するにはあまり適切だったようには思えませんでした。

そういえば弟との肝試しの遠泳でも、これで適正者の弟に勝ったことがヴィンセントに遺伝子の呪縛から解放される道筋も残されてると確信させる出来事だったのに、なぜ勝てたのかはほとんど理由なんてなく、勝てたのも偶然にしか見えないような描き方をしてました。このヴィンセントの出発地点の出来事もエピソード的には弱いといえば弱いです。
ただこの遠泳のシーンは映画の中では三回あるんですが、どのシーンも俯瞰を効果的に挟み込んだりして極めて美しいシーンだったので、シナリオ的には弱くても、絵で納得させるだけの力はあったかもしれません。

☆ ☆ ☆

一方、遺伝子的な超人ジェローム・モローのほうは、これは車椅子に座ってるということもあって自宅から出るシーンはほとんどなく、ガタカ社で展開される映画メインの出来事とは切り離されたような扱いになってるんですが、印象は主人公のヴィンセントよりも余程強烈で、こちらが主役といっても云いくらいの存在感がありました。こちらの印象の方が強烈なので、イーサン・ホークの演じた主役の印象が必要以上に薄いものになってしまってるとさえ云えるかもしれません。

ほかの人物の描写が、たとえるなら最初に割と単純な答えの数字が用意されていて、その数字に行き着くように数式を組み上げていたような作り方をしてたのに対して、この人物は最初から最後まで変数ばかりで構成されてる複雑な人物として造形されてるような印象をあたえました。

最高級の遺伝子を持ちほとんど全てのことで万能とも云える可能性を秘めて水泳選手のスターになったものの、努力を怠ったわけでもないのにいつまでも2位の銀メダルに終始し、遺伝子が確実に保障してるはずの一位に辿り着けない。何故そこへ行き着けないのか自分でも分からないままに、最高級の遺伝子の持ち主という重圧に耐え切れなくなって自殺するために車の前に飛び出したものの生き残ってしまい、自殺未遂の結果半身不随となってそのまま水泳界がら行方をくらませた人物。
最初にヴィンセントと会った時は生活を保障してもらうために、自分のIDを初め、自分の垢やふけや尿を提供する自分のあり方に対して冷笑的な姿勢を示す人物、たとえば身長は?と訊かれて130センチ(車椅子に乗ってる高さ)と答えるような人物として登場するんですが、これだけでも屈折して陰影にとんだ人物としてかなり強い印象を与える感じです。

そしてこの冷笑的な位置にいてヴィンセントとの取引をあくまでもビジネスと考えていた地点から、自分の遺伝子を使って自分の代わりに努力して階段を登っていくヴィンセントと付き合ってるうちに冷笑的だったジェロームの人間性に変化が起きて来ます。
実はこの映画に出てくる登場人物で、他人との係わり合いのなかでその存在を大きく変化させていく人物っていうのはこのジェロームだけなんですよね。ほかの人物も多少は他人の影響を受けはするものの、あくまでも背負わされた遺伝子のロールプレイングをする駒という形を崩さない。さっきのたとえで云えば最初にその人物のものとして想定された単純な数字を乱そうとはしません。ところがジェロームは最後の答えにあたる数字をどんどんと変化させてくる。

ヴィンセントはガタカ社のなかではジェローム・モローのIDとそれを保障する遺伝情報を利用して入り込んでるので、ヴィンセントではなくてジェローム・モローその人です。そしてジェローム・モローはもう一人のジェローム・モローが努力を重ねて宇宙飛行士への道を突き進んでいき、ジェローム・モローの名前を宇宙飛行士として歴史に残そうとしてるのを目の当たりにしていく。自分は水泳選手として銀メダルに甘んじた生涯だったが、自分の一部をまさに共有して自分が届かなかった地点まで登ろうとしてるジェローム=ヴィンセントを見てるうちに、ヴィンセントの存在を自らのことに重ね合わせるように考え、冷笑的だった状態から積極的に協力していくことになります。
ジェローム・モローの屈折振り、複雑さは最後のシーンで取る行動にも現れていて、複雑なキャラクター造形の総仕上げとして曖昧さを最大限に振り切らせたようなシーンが用意されてるんですが、やっぱりこの幾通りにでも解釈できそうな締めくくり方と云いこの人物が映画「ガタカ」のなかで一番印象的といえるんじゃないかと思います。

このジェローム・モローを好演してるのがジュード・ロウ!
「スカイキャプテン」のあの人です。

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刑事が自宅にやって来るというシーンでガタカ社から戻ってくるのが間に合わなくなったヴィンセントの代わりに、刑事がやって来る前に地下の作業場から一階のフロアまで車椅子無しで螺旋階段を這いずり上がっていくような、制限時間つきの一種のスペクタクルシーンはあるものの、大半は車椅子に乗ってるために身体的な表現がほとんど出来ないという状態でこの複雑な変化を伴うジェローム・モローを演じてます。
ほとんどのシーンを限定された上半身の動きと表情のちょっとした変化だけを頼りに演じきってるわけで、その的確な演技ぶりはおそらくこの映画の最大の見せ場になってると思います。

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そして、全ての遺伝子が最高級という人物に相応しい、ジュード・ロウの徹底した美青年振り!
美しくないということはその美しくない分だけ遺伝子が劣化してるという理屈なので、この観点からもジュード・ロウの美貌ぶりはまさに適役でした。

☆ ☆ ☆

ヴィンセントに好意を寄せるアイリーンは人物的な役割よりも、ウマ・サーマンの近未来的な美貌といったもののほうが印象に残る感じでした。人造人間みたいに作りこまれた美貌って云うかあまり人間味を感じさせない人形的な冷たさがあって、映画全体のクールな印象をそのイメージで一人背負っていたというような印象。

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キャラクター的には適正者でありながら欠陥を持っていて宇宙に飛べない境遇にある自分と、同じ臭いをヴィンセントに嗅ぎつけ、接近して密かに身元を調べてみるもののジェローム・モローの完璧なプロフィールと出合ってしまって、感情を揺れ動かされるというような存在なんですが、役回りよりもやっぱり画面に出てくる時のイメージの方が突出してたような気がします。

あと脇役なんですが最後で物凄く印象に残る役割となった、いつもヴィンセントの適正検査をやっていた医師(ザンダー・バークレイ)。この人が意外な役回りでラスト近くに良いところをほとんど全部さらっていきます。役回りとしたらかなり美味しい役です。
はっきりとは書かないですけど、この医師がまさかこの場面でこういう言動をとるとは予想してなかったので、わたしの場合はかなり感動的な印象として残ることになりました。

☆ ☆ ☆

この映画は遺伝子を操作されることによって生まれる差別社会というものを描き出していきます。今はまだ遺伝子相手にそこまでコントロールすることは出来ないけれど、何だか将来は本当にこういうことが出来そうな社会が到来するかもしれないっていう部分もあって、現実の差別と引き合わせて考えたりできる部分もあります。

一応映画の中で描かれたテーマは、こういう優生学的な社会では最初からはじき出されてるヴィンセントはもちろんとしても、適応してるジェロームのような人間も必ずしも幸福にはなれないというものだと思います。
それでは人が幸福に生きるというのはどういうことなんだろうと。
ヴィンセントの正体がアイリーンにばれた時にヴィンセントがアイリーンに云う「何が不可能なのか、欠点を探すことばかりに必死になって本当のところが見えなくなってくる、可能性はあるんだ」という言葉に集約されてるんだろうと思います。
欠点を無くしていくことを目指す社会よりも欠点を許容していく社会の方が人はいつも可能性に満ちていて幸福に生きていけるというのが、この映画の云おうとしてることなんでしょう。

ただ、そういう主張はとても納得するものだし、優生学的に優れた種を優遇していく社会などおぞましいだけというのは賛同するにしても、映画の中ではこういう言葉も出てくるんですよね。
ヴィンセントの両親が「神の子」としてヴィンセントを生んだ後、その扱いに困って弟は遺伝子操作の子として生もうと決心して、医者を訪ねる場面。
医者は生まれてくる子供の受精卵からあらゆる劣性遺伝子を取り去っておくというんですが、ヴィンセントの両親はそこまで徹底しなくてもある程度は自然に任せたほうが良いんじゃないかと問い返します。
その時医者は、子供には最高のスタートを切らせてあげなさい。それでなくとも人間は不完全な存在。ハンデは無用なんですと返答します。

わたしは映画が終わった後もこのやりとりが頭の中に残っていて、たしかに欠点を見つめ許容する目こそが人を可能性に導いていくというこの映画が導いていく結末は素晴らしいんだけど、もしも遺伝子を操作することが可能になった時にこの医者の言葉、提案を投げかけられたら、それにうまく反論できるだろうかっていうことも考えました。

☆ ☆ ☆

この映画が内包してる差別を巡る様々なあり方は突き詰めていくとかなり重い主題になってしまうんですが、映画のほうはそこまで深刻にならないで欲しいとも云ってるようなところもあります。

今までガタカ社だとか、宇宙開発を行う唯一の企業だとか便宜的に書いてきたけど、実は映画の中ではこの企業?組織?に関しては「ガタカ」っていう名前しか明らかにしようとはしないんですよね。実際のところ社員らしい人間が廊下を歩いたり整然と並んだ机でコンピュータ相手にデスクワークしてる光景は映るんですが、この人たちはここで何をしてるのか全然説明が無い。タイタンに打ち上げる宇宙船だってタイタンに行って何をするのか目的さえも明らかにならない。映画のほぼ全域を占めてる舞台が一体どういうところなのか映画の中で説明する気配さえないという扱いになってます。

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極めつけは最後にヴィンセントが乗り込むことになるタイタン探査船なんですけど、なんと乗組員はスーツ姿で乗り込みます。乗り込んだ宇宙船の中には背もたれ付きのソファがあって乗組員はそこに普通に腰掛けます。船室内部はミラーボールが反射してるような光が踊ってるただの部屋で、まるでカラオケみたいにしか見えません。1997年に作った映画でこの宇宙船の描写は特別の意図でもない限り普通あり得ないです。
映画全体の舞台である「ガタカ」と宇宙船の描写で、この映画は基本部分でリアリティを放棄していて、SFの衣を借りてるだけの社会派的な映画じゃなく、本来的なSF、ファンタジー的なものして観て欲しいと云ってるようにわたしには思えました。

☆ ☆ ☆

ヴィンセントとアイリーンが見上げる空に、雲を残して彼方へ飛び立っていく宇宙船の描写はきわめて美しいです。


☆ ☆ ☆


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イーサン・ホーク

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☆ ☆ ☆

''Gattaca'' Trailer [1997]



監督 アンドリュー・ニコル (Andrew Niccol)
原題 Gattaca
公開 1997年


最後まで読んでくださってありがとう御座いました。

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【美術】 高橋留美子展 - 美術館 「えき」 KYOTO

土曜日の25日に京都伊勢丹の中にある美術館、美術館 「えき」 KYOTOで開催されてる高橋留美子展に行ってきました。京都の伊勢丹は京都駅の西側にあるんですが、駅と融合するような奇妙な構造になっていて、だから美術館もこういう名前になってます。
この展覧会は去年東京では既に開催済みだったようです。その後仙台、新潟と廻って京都へ。京都での展覧会が終了すれば、松坂屋名古屋本店(7月22日〜8月3日)、北九州市立美術館(8月22日〜9月20日)、高松市美術館(9月25日〜11月1日)と巡っていく予定だそうです。

高橋留美子展チラシ表

高橋留美子チラシ裏

伊勢丹に入って美術館のある階まで上がってみれば、伊勢丹の通路の要所要所にこういう表示がありました。
伊勢丹内

それで美術館まで辿り着くとこういう感じになります。
ここは出口なんですが、伊勢丹の中の案内に従って進んでいくと、美術館の入り口じゃなくて出口の方が正面に現れるようになっています。つまり鑑賞し終えた人をそのまま伊勢丹に導いていくっていう考えなんでしょう。
「えき」 1

美術館の入り口はこの写真でいうと左側に通路があるんですが、その通路をずっと進んだ最奥の場所にあります。

☆ ☆ ☆

初日だったせいか、思った以上の人出になってました。
高橋留美子といえば80年代を席巻した漫画家で、おそらく当時マンガを書こうとしていた人の大半はこの人の絵柄の影響を受けたというか、高橋留美子の描くキャラクターはこういうタイプのマンガを描くときの、ある種のプロトタイプになってたと思います。
今は大友克洋から始まった、写真をトレースしたような背景や骨格から考えてるような人物描写のリアルな絵柄が主流になったり、萌え美少女のような絵柄が中心になったりで、萌え絵の元祖みたいな絵柄ではあるものの、高橋留美子の絵は今のマンガに直接的な影響力を持つという立場にいるわけではなくなってきているようです。でも展覧会のこの人出を見る限りは、それでも人気は全然衰えていないっていうのが再確認できるような感じでした。
この人の凄いのは少年漫画誌を活動の場にして30年近く未だに少年漫画を描き続けてるっていうこと、実は少年漫画を描き続けるっていうのは手塚治虫にも出来なかったことでした。

会場に飾られてた絵は「うる星やつら」「めぞん一刻」「らんま1/2」「犬夜叉」の代表的な4作からのものが大半で、短編などからのものは添え物程度に出展されてるだけでした。
代表作からといってもコマ割りのなかでキャラクターが動き回ってるマンガ本編の原稿じゃなくて、特別扱いの、たとえば少年サンデーの表紙や増刊号に付属したポスターのために描かれた絵とか、カレンダーのための原画、コミックスの表紙用に書き下ろされたものの原画と、そういうものがほとんど。基本的には彩色されて見栄えのする一枚絵ばかりが選ばれて額に入れられてるようでした。
展覧会としては若干安易、見た目の綺麗な原画を適当に並べておけばいいだろうって云うような手抜きコンセプトが見え隠れするような感じもあります。

印刷物では絶対に感じ取れない、目の前の色を塗った筆跡の延長に実際の筆があって、その先に筆を動かした高橋留美子の手が存在したというところまで想像させる臨場感が原画には確かに存在するし、印刷前提のマンガという事でそういう部分は原画でもあまり表立って現れないようにしてる部分はあるのかもしれないけど、そういうのを感じ取れるとやはり見ていて面白かったです。

それと感心するのは「線」が活きてるっていうこと。
Gペンを使って絵の適切なところに強弱をつけて引いていく表情のある「線」がやっぱり上手いです。力の入った勢いのある部分から細く綺麗にぬけて次の「線」に流れを繋いで行ったりするのを観ると、単純に観ていて視覚的に気持ちいいんですよね。これは極めて感覚的で、「線」を引く練習を相当やらないと会得できないものだと思います。

展示物としては僅かだったんだけど、仕上げの過程が見える本編原稿がやっぱり生々しい感じがして面白いです。切り貼りしてるネームがそのまま確認できたり、鉛筆でラフに書き込みがしてあったり、高橋留美子の名前が刻印されてる特別の原稿用紙に描かれてるのを目の当たりにしたり。
愛用の道具もちょっとだけ展示してあって、これはマンガやイラストを描いてる人には常識かもしれないけど、隅の何箇所かに1円玉をセロテープで貼り付けてスペーサー代わりにしている定規がありました。あと「火の用心」だったか、なぜかそんなロゴが入ってる愛用の座布団だとか。こういうのをもっと展示して欲しかったと思います。

☆ ☆ ☆

それで展覧会場は人が並びながらも前がつかえるわけでもなく、後ろから押されもしない自分のスピードで充分に観て歩けるくらいのものだったんですが、一区画だけとても混んでいて絵の前に辿り着くのにあまり動かない行列ができてる場所がありました。
この場所がなんだったかというと、高橋留美子以外の漫画家34人が「うる星やつら」のキャラクター、ラムちゃんを描いた絵を展示してる、特別規格「My Lum」のコーナーでした。

正直なところ展覧会自体は、高橋留美子の展覧会なのに高橋留美子の展示物が何だか適当に集められてるだけという印象を受けて会場を廻っていたので、実はこのコーナーがこの展覧会の中で一番面白いものでした。
34人の中には吉田戦車だとか諸星大二郎だとか花輪和一だとか一癖どころじゃない癖の固まりみたいな漫画家も多数参加していて、それぞれが自分の持ってる「ラムちゃん」のイメージを画像にしてるんですが、それぞれの漫画家の「ラムちゃん」との距離の取り方か千差万別で、でもこの漫画家だったらやりかねないっていうような絵柄にきちんとなってたりして、凄く面白かったです。
それぞれの絵の下に各漫画家のラムちゃんに対峙した感想が書いてあるパネルが掲げられていて、悪戦苦闘した感想だとか途方にくれた様子だとか、これまた読んでいて非常に面白いものでした。このコーナーで動かない行列が出来てたのは、絵を観てはこのキャプションを皆が楽しんで読んでたからじゃないかと思います。

☆ ☆ ☆

わたしは展覧会に行くと、なにか戦利品を持って帰らないと気がすまないたちで、美術館の売店は大好きな場所。展覧会に行ったら絶対に立ち寄ります。
この美術館 「えき」 KYOTOっていう場所は岡崎にあるような本格的な美術館とは違い、云わば伊勢丹の一部の扱いで、一応出口手前にグッズ売り場はあるんですが(写真に写ってる部分です)、伊勢丹の売り場から関連商品を持ってきたんじゃないかという品揃えの方が目についたりするあまり張り合いがない場所です。

大体目録も売ってない場合が多いんですが、今回は売ってました。
高橋留美子展 目録

目録は展覧会に行けばその記録として、余程くだらない体験をした場合以外は大抵確保するんですが、これは名前こそ高橋留美子展って書いてあるものの展覧会の記録というよりも小学館が一般的に売り出した唯の高橋留美子画集のような体裁でした。普通の本屋でも買えそうな雰囲気の本。
しかも買う前に一応中身を確かめて、それであえて買ったんですが、この目録にはおそらくこの展覧会の一番面白かった目玉企画「My Lum」がずっかり抜け落ちてます。これは物凄く残念。一番面白かったものが載ってないってどうかしてます。

実はこの「My Lum」、新装になったコミック「うる星やつら」の各巻の末尾に1作家づつ載せてあるんですよね。展覧会の目録に載らなかったのはこの新装版「うる星やつら」の売りにするための商売上の戦略だったというわけ。
わたしは羽海野チカが描いたラムちゃんの絵がどうしても欲しかったので、この出口のグッズコーナーに置いてあった新装版、それぞれ読めるようにしてあったのを一冊ずつ巻末を確かめて羽海野チカのラムちゃんが載ってる32巻目を一冊だけ買いました。

でもこの新装版コミックに載ってるのはモノクロ、会場にあったのは色付きの絵だったのでかなり不満です。原画に近い色付きのが欲しい…。


もう一つ、京都会場限定ってことで、そういうのを取り混ぜてこまごまとしたものを。
ピンバッチなんて集める趣味は無いんだけど限定という文字に引かれて…。
それと限定でも何でもないテンちゃんキーホルダーが混じってますが、実はわたしは結構なテンちゃんファンだったりします。
戦利品 1

こっちはちょっとした気の迷いで。
雷おこし

中身はラムちゃんの形でもしてるかとちょっとは期待したけど、ただの雷おこしでした。


☆ ☆ ☆


東京で開催された時の高橋留美子初日挨拶の模様らしいです。



☆ ☆ ☆


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【京都】 桜、雨の中の岡崎疎水、高瀬川桜並木

4日の土曜日に桜がどのくらい咲いてるのか確かめたくなって、咲いてたら写真も撮ってくるつもりで見に行ってきました。あいにくの雨でどうしようかちょっと迷ったんですが、雨に濡れる桜も風情があるかも知れないと思って出かけることに決定。
場所的に京都はいくつか桜の観光スポットがあるんですが、わたしの好きな場所という判断理由で岡崎の疎水沿いの桜並木と木屋町高瀬川の桜並木を一番の場所に選びました。丸山公園も良いんですが、お正月に初詣の記事でちょっとだけ写真載せたので、結局一番候補にはしませんでした。
岡崎のこの辺は平安神宮のような観光地や美術館、京都会館(コンサートホールです)などの施設が集まってる場所で、わたしにとっては散策するのに良い感じの場所です。

この記事は写真が多いので、写真は番号を振って地図に撮った場所を記しておきます。位置関係が分かりやすくなるかも。
マップ、画像は全てクリックすることで大きな画像が表示されます。
岡崎マップ

岡崎のこの辺りに行こうとすれば、わたしのところからだと、地下鉄の東西線に乗って東山駅で下車します。上の地図で云うと、左下に「東山」って書いてあるところ。
京都の地下鉄って云うのは、烏丸線という烏丸通を南北方向に走ってる線がさきにあって、東西線は随分と後になってから追加された新しい路線です。
この東西線ではホームドアが取り入れられていて、この形式の駅は東京地下鉄南北線に次いで、日本国内では2例目だそうです。
電車のドアとホームのドアの2重になっていて、ホームからの転落事故とかがないってことなんでしょうけど、ここで暴漢なんかに襲われたら、線路に下りて逃げることが出来ないんじゃないかと。そういうことまで考えて無かったのかな。

☆ ☆ ☆

東山駅から地上に出て、東に直ぐのところで疎水の分流というか川に出合うので、その川沿いに北に向かいます。ちょっとした京都の裏通りのようなところを通って、疎水の本流に出会うまでこの緩やかにカーブしてる川沿いを歩いていくんですが、その途中で対岸に結構立派な桜があります。対岸へは簡単な橋が架かってるので桜の真下の行くことも可能です。写真1。

01

分流と本流が交わる手前辺りです。ここまでやってくると、この辺りの観光シンボルでもある大鳥居が見えてきます。写真2
02

疎水の本流に出会ったあと、大鳥居に向かう橋の上から。写真3
03

この橋の上から撮る桜の写真はこの場所の桜の写真としては定番で、橋って云う限定された場所から撮るので、大概同じアングルになります。この日の状態ではあまり咲いてるようには見えませんでした。6〜7分くらいかな?右に見える建物は国立近代美術館。写真2で大鳥居の左横に見えてるのと同じ建物です。

疎水沿いの遊歩道からの眺めです。写真4〜6
04

05

遊歩道を歩いていて、疎水上をやってくる遊覧船と遭遇しました、おそらく疎水のどこかまで行って折り返し戻って来るんだと思います。その行き帰りの二艘がすれ違うところ。
席は船の両側外向けに設置されてるようで、結局往復することで疎水両岸の景色を楽しめるようになるんでしょう。
06

それで、この辺りの観光地的なシンボル、大鳥居の写真も一枚。本当に巨大ですよ。
写真3の橋を渡りきった辺りで撮りました。
鳥居

橋を渡り終えた辺りから大鳥居のある北に向かって左横にある国立近代美術館が、この日は展覧会の間に当っていて、所蔵美術品の展示しかやってなく、ロビーとかは券なんかを買わなくても利用できたので、雨にちょっとうんざりしてきたところもあって休憩がてら入ってみました。写真7
07

美術館の中です。広いロビーのガラス外壁に沿って椅子が並べてあり、外の桜を鑑賞できるようになってました。
わたしはやっぱり美術館のこういう雰囲気が好き。

美術館を出て東側に道路を渡って、京都市美術館の方に行きます。写真8
08

こちら側の桜はさらに咲いてなくて見た感じ5〜6分くらいかな。美術館の中庭っていうのかちょっとした空間が取ってあるんですが、ここは桜のシーズン中は美術館の展示そっちのけで花見の人で賑わうところで、でもさすがに雨が降ってる中で花見をしてる人はいませんでした。
鳩がいるだけ。どこの鳩もそうなのか知らないけど、京都の鳩は物怖じしません。立って写真を撮ってると平気で足元に寄ってきて身繕いなんかしてます。お花見の真っ最中だと、餌がもらえるので鳩全体が浮き足立ってるのがよく分かります。

さらに北に歩いて平安神宮にも寄ってきました。写真9〜10
09

10

10-2

左近の桜の写真です。ほぼ満開状態。わたしはよく知らないんですが葉っぱに赤い色のが混じってるんですよね。これが凄く特徴的に見えます。ただ遠目に見ると赤が勝ちすぎて桜色よりも沈んだ感じに見えるのが、わたしにはもう一つな感じかな。

実は岡崎に来ても美術館周辺だけで普段はこの辺りにはあまり近寄らないので、いつもあるのかどうか確信がないんですが、屋台の店が並んでる一角があります。写真11
11屋台

11

売ってるものはこういうのでした。忍者頭巾とか云うのもあったんですが店の人が睨んでたので写真に撮れませんでした。売ってるアイテムは新京極辺りで売ってるものと大して変わらないように見えますけど、ちょっとどぎついかな。

わたしは京都会館の西がわの桜並木も好きなんですが、ここもまだあまり咲いてなくて、写真に撮るほどのものでもなく、断念。

☆ ☆ ☆

岡崎を後にして木屋町、高瀬川に向かいました。さきほどの地下鉄東西線で一駅西に行けば三条鴨川辺りに出られるので、高瀬川はそこから歩いて僅かのところにあります。
高瀬川マップ

ここは4日土曜日の時点でほぼ満開でした。もし高瀬川の桜並木を見に行くなら、早くしないと時期を逸してしまう可能性があるかも知れません。
三条から四条まで南下しながら写真を撮って行きました。写真12〜14
12

13

14

北車屋町からの西木屋町通がある部分は高瀬川の両側が歩道になってるんですが、それより南は片側が料理屋、飲み屋が川縁に沿って並んでるので通行できるのは片側だけになります。写真15

15

片側だけの並木道になった中ほどに、元、立誠小学校の建物があります。この辺りは繁華街や花街の中心地のような場所ですが、その真ん中に小学校がありました。建物は今でもあるんですが、今は学校じゃなくて祇園木屋町特別警察隊の拠点になってるそうです。ここに小学校の建物があるのは不思議な感覚を呼び起こします。
高瀬川と四条通りが交差するところの見事な桜。写真16

16

橋の上から記念に写真を撮ろうって云う人が後から後からやってきます。わたし、ここで写真を撮ってたら見ず知らずの人にシャッターを押してくれと頼まれてしまいました。適当にシャッターらしいボタンを押して返したけど、上手く写ってたかな。

繁華街までやってきたので、いつも行くCDショップとか覗いてたらいつの間にか暗くなってました。もう一度この場疎に戻ってみると、桜がライトアップされてたので、その写真も撮ってみました。写真17.18

17

18

この日は本当に雨に濡れて、この頃になると撮ってるわたしは心底うんざりしてたんですが、撮った写真を見てみると、やっぱりちょっとは雨の風情が加わってるのかな。


☆ ☆ ☆


と、ここまでが6日の記事として書いた分。

これを書いて数日後に岡崎疎水の桜が開花率80〜100%になったと情報が出ました。土曜日にあまり桜が咲いてなかったのはやっぱり心残りだったので、それを知ったら満開の桜も写真に収めたくなって、もう一度デジカメを持って見に行ってきました。今回は文句なしの快晴。ここから先は8日の追加記事になります。

同じく地図付きで。
岡崎疎水再探索

支流沿いの桜です。写真1
土曜日でも満開状態だと思ってたんですが、さらにボリュームが増してました。撮影位置は支流にかかってる柵のない細い橋のまん中辺り。桜に隠れてよく見えないかもしれませんが、支流の堤防に腰掛けて女の子がスケッチしてました。
4/8 01

遊歩道と、前回と同じく橋の上から。写真2.3
4/8 02

4/8 03

前回はあまりにも咲いてなかったので撮らなかったんですが、橋の反対側の光景。写真4
4/8 04

雨に濡れる地面と鳩がメインだった美術館中庭の光景。お花見の客が集まってます。桜は写真4の桜と同じです。写真5
4/8 05

平安神宮にも寄ってきました。左近の桜はこんな風に…。なんとこの4日ほどで花が見事に散ってしまってました。写真6
こんなに散ってしまうのが早いとは思わなかったので、あまりの変わり様にちょっと吃驚。わたし以外に見物に寄ってくる人もほとんどいません。
4/8 06

わたしの好きな京都会館西側の桜並木。背景の建物が京都会館なんですが、何か上のほうに文字でも書いたような部分がありました。これ何だろう?撮影位置は疎水を挟んで対岸に見える形で撮ってます。写真7
4/8 07

☆ ☆ ☆

それでまた帰り道に高瀬川の様子見もしてきたんですが、かなりの部分が葉桜になってましたが、まだ桜の花も残っていて、桜花の観賞は充分に可能でした。
路面に花びらが散って、高瀬川を流れていく桜の花びらも趣があります。
4/8 高瀬川

☆ ☆ ☆


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【洋楽】 Passion and Warfare - Steve Vai

今回のアルバムはメタル的なプログレッシブ・ロックということで、実は普段ほとんど聴かない、本来的にはわたしの守備範囲外の類の音楽なんですが、演奏してるギタリスト、スティーヴ・ヴァイはギタリストの有り様としては気に入ってる部分があり、守備範囲外のジャンルではあるものの好きな曲が入ってるアルバムでもあるので取り上げてみることにしました。

スティーヴ・ヴァイは以前に記事にしたエリック・ジョンソン同様に、超絶技巧で名を馳せるギタリストの一人です。
ただしギターを持ってギターを弾いて音を出してるからギタリストに違いはないのだけれど、そこから音を導き出したり、音を組み立てていく発想の中には自分が抱えて演奏してるギターそのものにそれほど依ってないようなところがあって、そういう部分がユニークであり、そのユニークさの点で他の超絶技巧派のギタリストとは異質で独自の立ち位置を確保してるミュージシャンだろうと思います。
エリック・ジョンソンつながりで云うなら、エリック・ジョンソンと同様、ジョー・サトリアーニの主催する超絶技巧ギタリストの集い「G3」に参加してることでも知られています。

1960年6月6日、6が並んだ日のニューヨーク生まれ。スティーヴ・ヴァイが楽器に触れた最初はギターではなくてオルガンだったそうです。そしてそこからアコーデオンを経て、ギターに辿り着きます。
アコーデオンからギターへってどうにも脈絡のない転進に見えるんですが、おそらくその時のロックの隆盛、年齢から言うとハードロック周辺の音楽に感化された結果だったんでしょう。Led Zeppelin?構築的なギター・サウンドっていうことから、ジミー・ペイジ辺りに相当影響されてるような気もします。

学校はバークリー音楽大学に行ってるんですよね。きちんと音楽の基礎教育を受けてる。
そのせいなのか、ヴァイの出発地点はバークリーに在学中に異能のギタリスト、フランク・ザッパに雇われたことなんですが、その時の雇われた仕事というのが、ギタリストじゃなくて、ザッパのギターを楽譜に起こすこと、採譜係だったそうです。採譜が出来るというのは、かなり耳と音感が良かったっていうことでもあります。

1980年の卒業後、この採譜の縁で今度はギタリストとしてザッパのバンドに参加、そこで4年ほど在籍した後、1984年にソロデビューのアルバム「Flex-Able」を出すことになります。
その後、同じく超絶技巧派のギタリスト、イングヴェイ・マルムスティーンがバンド、アルカトラスから脱退した穴埋めに抜擢され、軽々とその代役をこなして、驚異的なテクニックのギタリストとしての知名度を上げていきまず。
さらに1989年には元ディープ・パープルのデイヴィッド・カヴァーデイルのバンド、ホワイトスネイクにギタリストとして参入します。

ホワイトスネイクのワールドツアーに参加するのと同時進行でこのアルバム「Passion and Warfare」のプロモーションも開始して、ホワイトスネイクに関してはワールドツアーが終わると同時に脱退してしまうんですが、翌年発売になったこのアルバムはワールドツアーでのプロモーションが成功したのか大ヒットを記録することになりました。

☆ ☆ ☆

スティーヴ・ヴァイの演奏スタイルは一言で云うなら、自由奔放、これに尽きるんじゃないでしょうか。
やること、やろうとしてることにほとんどリミッターがかかってないような感じ。ギターって云う楽器のテクニックを極めていって、その果てにギターという楽器の完璧な演奏形態を模索するというような求道的な方法だけじゃなくて、スティーヴ・ヴァイはギターという楽器がそのなかにどういう音を潜在的に秘めてるのか、それを導き出し明るい場所に引き出すためには、従来的なギターからギター的な音を弾き出してくるテクニックなんか無視しても構わないとでも云ってるようなアプローチの方法も取ってきます。
その結果としてアルバムの中には非常に多彩な音が詰め込まれることになります。このアルバム「Passion and Warfare」も例に漏れず、音色的に極めて多彩なギターサウンドが聴ける仕上がりになっています。当時のギターフリークはこれを聴いて吃驚したんじゃないかと思います。どうしたらこんな音が出せるんだろうって。

変化自在のギターサウンドを奔流のように繰り出してくるスタイルなんですが、その一方で音の形としては全体としてワウワウ系統のエフェクターを好んでるような感じがします。
これとトレモロ・アームを駆使して音から音へ糸を引いていくように繋がってる粘り気のある旋律空間を作り上げていくというか。この粘り感は極めて多彩なヴァイのギターの音に通低してる基本的な特徴かもしれません。

もう一つ、この人見かけは細面で神経質そうな印象なんですが、だからといって演奏は気難しい雰囲気のものかといえば、実は正反対でかなり遊び心のあるパフォーマンスに走ってる部分があります。
わたしはエリック・ジョンソンの時に、ギターの早弾きとか超絶技巧って音楽の演奏を見てるって云うよりも、曲芸に近いものを見てる感覚の方が強いって書きました。
そういう意味でいくと、スティーヴ・ヴァイは超絶技巧の演奏が見世物的であるのを充分に理解してます。演奏を見ればそれは直ぐに分かります。見世物的な要素を逆によく目立つようにパフォーマンスとして演奏に組み込んだりしてる。
だからこの人のライブはコケ脅かし的で、ユーモラスで面白いです。ライブを見てしまうとCDの視聴体験が結構大きな欠落感を伴って、物足りなさとして耳に入ってくるくらい、パフォーマンス性に長けた演奏で楽しませてくれます。

☆ ☆ ☆

曲目はこういうの。

1. Liberty
2. Erotic Nightmares
3. The Animal
4. Answers
5. The Riddle
6. Ballerina 12/24
7. For the Love of God
8. Audience Is Listening
9. I Would Love To
10. Blue Powder
11. Greasy Kid's Stuff
12. Alien Water Kiss
13. Sisters
14. Love Secrets

邦題はそのままカタカナ表記にしたものがあてられています。

1990年リリースの、スティーブ・ヴァイにとっては2枚目のソロ・アルバムです。
ギター中心のインストゥルメンタル・アルバムで、人の声としては台詞のような断片的な言葉が曲間などに混じり合っている部分がある以外では、歌もののような形としてはアルバムの中には入ってきてません。
ギター・インストゥルメンタル・アルバムって単調になってしまってほとんど成功しないんですが、これは先にも書いたようにヒットして大成功、いまではギター・インストゥルメンタル・アルバムの代表のような形になってます。
アルバム全体の音の印象はメタル系のプログレッシブ・ロック。さらに一曲一曲が何らかの形で結びついて全体で意味を成してるようないわゆるコンセプト・アルバムの形をとってます。この人のギターは必ずしもメタル系のギターそのものと云えるようなものでもないんですが、時代的な影響があるのか、これはメタル的な音楽性を下敷きにした部分が多い仕上げ方になってるような気がします。
コンセプト・アルバム的な部分から見るとプログレッシブ・ロックによく有りそうな意味を持たせすぎた大仰さというか、そういうものが全体を覆っていて、当時はどうだったのかは知りませんが、今聴くとこういうコンセプト・アルバム仕様といったものにちょっと古臭い感じを憶えます。

わたしのお気に入りは7曲目の「For the Love of God」、5曲目の「The Riddle」、3曲目の「Animal」辺り。

スティーヴ・ヴァイはアルバムの7曲目に必ずバラード、ラブソングを収録していて、各アルバムの7曲目だけ抜き出して一枚のアルバムに纏めた「The 7th Song Enchanting Guitar Melodies - Archive」というコンピレーション・アルバムもリリースされてます。
どうも「7」という数字に特別の思い入れがあるらしく、ラッキーセブンなんていう単純なものでもないんでしょうけど、テクニカルな側面よりも情緒的なものを特化させた曲を並べる指定席に相応しい数字としてるようです。

「For the Love of God」の曲調は、西洋人が感じる中央アジア辺りをイメージした異郷風の旋律という感じなんでしょうか。
結構映像的な音楽で雄大な光景が目の前に広がっていくような感じの曲です。そういう雄大な世界を渡っていくヴァイのうねり感のあるギターの音が、極めて官能的。
今書いてみて改めて思ったんですけど、この曲のキーワードは「官能的」、これ以外に無いでしょうね。

「The Riddle」はミディアム・テンポの、曰く云いがたい曲調の音楽なんですが、一体何処に着地しようとしてるのかさっぱり分からない、ぐねぐねとのたうちまわるようなギターの旋律が面白いです。

「The Animal」これもミディアム・テンポくらいのあまり早くないリズム。ハードロック的な展開で進みます。スロー気味のテンポなのに途中から始まるギターのソロが結構奔放に弾きまくっていて、対比が楽しい曲。

反対にもうひとつだったのが、8曲目の「Audience Is Listening」のような曲。これ前半は曲じゃなくてスティーヴ少年がギターを持って学校に通ってた頃の日常風景です。先生との会話があってそれに答えるスティーヴ少年の返事が全部ギターの音で表現されてます。いわばトーキング・ギターといったものです。ちなみにこれのPVはそのまま映画の一コマみたいに学校の先生と会話してるシーンだったりするので、逆に云うとアルバムに収められてるのはPVのサントラ風に考えることも可能です。
曲の演奏中にヴァイが弾いてるギターは饒舌でうねうねとしたフレーズが多いので、実はそのままトーキング・ギター的といっても良いんですが、だからといって人の会話の片方をギターの音で代用するって言うアイディアは、ダサいんじゃないかと思います。

☆ ☆ ☆

これだけ奔放に弾くギターではあっても、その場の感情に身を任せて弾いてるんじゃなくて、実はヴァイはほとんどアドリブはやらないんだそうです。アドリブでこなそうとするとスケールの羅列になったり手癖で弾いたりといったことが多くなるので、演奏の多彩さ、曲の構築度を保障しようとすれば、綿密にスコアで組み上げていく方法がもっとも相応しいと判断してるのかもしれません。
アドリブをやらない、決まった演奏に終始するという点でスティーヴ・ヴァイの音楽を「心がない」と評する人もいるらしいんですが、わたしにはこういう方法で実現する「精緻に組み上げられた奔放さ」のようなものが、スティーヴ・ヴァイの音楽の面白さなんじゃないかと思います。

☆ ☆ ☆

パッション・アンド・ウォーフェアパッション・アンド・ウォーフェア
(2005/02/23)
スティーヴ・ヴァイ

商品詳細を見る


☆ ☆ ☆

For The Love Of God - Steve Vai


2005年にThe Holland Metropole Orchestraと共演したライブ演奏の「For The Love Of God」です。
このアルバムに入ってる元の「For The Love Of God」にはエレクトリック・シタールというこれまた奇妙なものが混さりはするけど、オーケストラは使わないで完成した曲でした。
このビデオを見て最初は未だにロック畑のクラシック・コンプレックスでもあるのかなと思ったりしました。昔はオーケストラと共演となると、ロックっていかがわしい音楽じゃなくてオーケストラとも共演できるんだと云いたげな、オーケストラを権威付けに使ってる感じがあったので、これもそうかなと思って聴き始めたんですが、ヴァイのギターが入ってきた瞬間から、ギターが完全にオーケストラを従えたような感じになって、オーケストラを使うことの付け足し感はほとんどなくなってしまいました。このアルバムのバージョンに較べても色彩感が豊かな演奏になってるようです。
それで特筆すべきはやっぱりスティーヴ・ヴァイのパフォーマンスで、ケレン味のある動作や見世物的いかがわしさが面白いです。もうギターが入る前に舞台で立ったまま手で小さく拍子を取ってる段階からパフォーマンス臭が濃厚に漂ってきて、演奏中は見得を切るような動作をはさみながらのギタープレイに、極めつけのトレモロ・アーム大回転!
こんなことこの人しかやりません。

The Riddle - Steve Vai


ぐねぐねとのたうつ変態的なフレーズのてんこ盛り。変な曲としか云い様が無いです。

The Animal - Steve Vai


この曲はライヴではアドリブで演奏する数少ない曲のひとつだそうです。ハードに始まるものの、ベースソロの後くらいからはバックのリズムがかなり押さえ気味になってギターのソロを際立たせていく感じになります。知らない間にギターのプレイに注視してるのに気づいたりしますよ。


☆ ☆ ☆


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tag : 洋楽 ロック スティーヴ・ヴァイ

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でもわたしが不快と判断したコメは問答無用で虚空の彼方に投げ捨てますので。

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