村時雨 + Melt-Banana - Free The Bee

·村時雨
2016 / 08 / Kodak Pony 135 / Kodak Super Gold 400





レジの光景
2016 / 08 / Kodak Pony 135 / Kodak Super Gold 400





かき氷とわらび餅
2016 / 08 / Kodak Pony 135 / Kodak Super Gold 400


ある日京阪の祇園四条で電車を降りて地表に出ようとしたら、地上は土砂降りの雨の真っ最中。これはその時地下から外に出る階段の途中で雨宿りしてる人を撮ったものだ。京阪が地下に入り込む東福寺の辺りは雨なんか降ってなかったのに、歩いてでも行けるくらい近距離の駅三つ分離れてるだけで、やかましいほどの音を立てて降る雨に取り囲まれていた。
まぁ、通り雨だと分かっていたから大人しくここで雨宿りしてたけど、思ったとおり程なく雲が切れ始めて、鴨川を眺める場所まで傘無しで出てこられるようになった。

夏のイメージは輝きに満ちた青空だとか、その青空で引き立つ入道雲だとか、降り注ぐ光の中で版画のようにくっきりとした影が作る超現実的な様相だとか、そういうのが頭に上ってくるものの、実際はあまり天気がよくない日のほうが多いんじゃないかと、冷静に見渡してみるとそんなことに気づき始めたりする。
湿った空気で大気が不安定だとか、そのせいで午後を少し過ぎた辺りから必ず薄曇の空になったり、この時のようにいきなり暗雲立ち込めて大雨が振り出したり、台風がきたりとか毎日そんなのばかりで、一面の輝きに満ちた青空なんてどこが夏の代表的なイメージなんだよと云いたくなってくる。誰に向かってなのか自分でも分からないけど、ともあれ一言云ってみたくなる。
カメラ持って出歩いてると、こういうことにはかなり注意深くなっていたりするんだな。

三枚目のは祇園白川の路地なんだけど、路地の向こうの出口のフレームの中を誰か横切らないかなと、いかにもベタなイメージを作ってみようとカメラ構えて待ち構えていたのに、こんなに観光客がたむろしてる中で、なぜか誰も通ってくれなくて、もういいやとシャッターを切ってしまったものだ。

☆ ☆ ☆

使ったのはコダックのポニーというカメラ。
kodak pony
軍艦部のミント系の配色と素材感が、どこかデボネアを思い起こさせて、トイカメラっぽい印象もある。見た目はちょっとチャーミングでまぁ確かに幾分かはトイカメラ的な部分もあるにはあるけど、一応きちんと作られた大衆カメラの一つといったところだろうと思う。昔のコダックのカメラで、当然コダックのフィルムの販促用途という目的を背負ったカメラだったので、写りに関しては見かけのトイカメラ風によらず結構しっかりとしている。といっても特徴があるかというとそれほど印象に残る絵を作ってくれるわけでもなく、味のある線を描けないけどそっくりに描くのは上手い絵描きが描いた絵のような感じか。最近家のスキャナーの調子が最低状態なので、フォトハウスKで現像してもらう時に一緒にデータ化したCDを作ってもらってる。そのデータ化してもらった結果の写真と、宥めすかしながら使ってみた家のスキャナでの結果の写真の印象が随分と違っていた。線を描く訓練が不十分な絵描き風の仕上がりはデータ化してもらったほうで、ここに上げてるのは家のスキャナーによるものなんだけど、こっちはそんなに新米の絵描き風でもなくて、どちらがよりフィルムに定着したものに近いんだろう?

うちのポニー135にはシャッターに若干難があって、バルブ以外4種類ある速度のうち最高速はまぁまともに動いてはくれるんだけど、それに続く中間速2種はたまに閉じるのがかなり遅くなる時があり、最低速はまず開いたきりで閉じてくれない。このたまに設定どおりに閉じてくれないというのが曲者で、最低速のように絶対にまともに動かないなら使わないんだけど、ほとんどは動いてくれるものだから排除することも出来ずに、この中間速のシャッタースピードを使う時はロシアンルーレットのようにスリリングな体験となる。
あと使いにくいというほどではないものの距離の表示がメートルじゃなくてフィートの表示になってる。これは1フィート約30センチとみなしてると、3フィートで約1メートルと、距離の目測に利用する程度のメートルへの換算はそんなに難しいわけでもなくて、すぐに慣れてしまうから、フィート表示のクラシックカメラもそれで敬遠するのは結構もったいないんじゃないかと思う。

こんなことを書いたから、予想できる通り、ポニーは目測のカメラだ。
子供用のトイカメラといい、こういう一般的な大衆カメラといい、プロカメラマンを相手にしているわけでもないカメラで、被写体までの距離を決めるのに目測が使われていたのが今もってどうも不思議で、昔の人は苦手意識もなく当たり前のように平気で、あの柱までは4メートルだなとか目測していたんだろうか。目測とかもうほとんど特殊能力で、なんだか一番難しい方法のようにも思えるんだけどなぁ。
もう一つ、ポニーのレンズは50mmで、こういう類のカメラではちょっと珍しい画角となってる。これが結構使いやすい。もっとも被写界深度を利用した目測となると、標準のレンズを使ったために広角のレンズほどには簡単ではなくなるところはあるんだけど。

☆ ☆ ☆

オークションを利用し始めてから、やたらとカメラが増えてきている。それも安いカメラばかり。出品されてるのは中古屋からさらに投げ出されてきたものとか、大抵ろくでもないものが大半だと分かってるんだけど、使ってみたいと思っていても、そう思ったちょうどその時にリアル中古カメラ屋に都合よくおいてある可能性もほとんどない状況で、そういうものが出品されてるのを見ると、オーバーホール前提の代物だと分かっていてもやっぱり興味を引く。
一応ね、そんなにカメラを増やしてどうするんだとも思うところもある。何しろいくらカメラを持っていてもシャッターを押す指は一本しかないわけだし。
でも次にフィルムを入れるのはどのカメラにしようかと迷うのは結構楽しかったりするんだな。持ってるカメラが一台しかなかったら迷うわけにも行かないから、この迷うためにだけ数を増やしていると云ってもいいかもしれない。


☆ ☆ ☆


Melt-Banana - Free The Bee

意外と多彩な音を出してるノイズ・ギターと発狂した鶏のようなボーカルがかっこいい。特にボーカルはまるで声量がないんだけど、その声量のなさを逆手に取ってるような歌いっぷりが浮き足立ったようなドライブ感を生み出して面白いと思う。
ギターの人はこのマスクと帽子はやめたほうがいいと思うんだけどなぁ。あまり音楽にあってないような気もするし、顔を隠すにしてももっとケレン味のあるスタイルにしないと、それ普段着だろうと云いたくなるほど、あまりに華がない感じがする。

で、写真でこういう感じのものを撮るとするならどんな感じの写真になるんだろうかと思う。我が志向の一部は確実にこういう方向に向いているし、ゆるくてふわふわしたものよりもこういう世界のほうが居心地がいいところもあるんだな。







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もっと拾い集めた夏の光たち

俯瞰する駅
2016 / 08 / Howay Anny-35 / Kodak SuperGold 400 使用期限切れ





光の幾何学
2016 / 08 / Howay Anny-35 / Kodak SuperGold 400 使用期限切れ





斜め京都タワー
2016 / 08 / Howay Anny-35 / Kodak SuperGold 400 使用期限切れ



こうやって眺めてみると、今夏の写真はAnny-35三昧となってるなぁ。まぁこればかり使ってると飽きてはくるんだけど、トイカメラとしてみるとわたしが嫌いな周辺の光量落ちもなく、シャッタースピードはバルブともう一つ、おそらく1/100秒前後くらいだと思う単速のものしかない付いていないものの、絞りは4段階に切り替えが出来たりして、結構それなりにカメラ的な作りになっている。
当時はこれを子供が使っていたということで、子供たちが外界の光の様子を見て絞りの値を変えるなんてことを平気でやっていたと思うと、道具が簡単に、親切になっていくというのはどういうことなんだろうとちょっと考えてみたくなる。

トイカメラ三昧といえば去年も夏の間はホルガばかり持ち出してたりして、トイカメラ三昧していた。と書いて去年の夏の間に2回もカメラを落っことしたのを思い出した。ホルガはヴィレッジヴァンガードのアウトレットで7割引のものを数台買ってたから、気分的には、しまった!と思っただけで後はひかなかったものの、ナチュラクラシカを落とした時は青ざめてしまった。
それ以降はカメラを落としてしまうなんてことは一度もないから、この時立て続けに二回も落としたのは何かが憑いていたんじゃないかと思いたくなる。桃山御陵の辺りだったから、御陵の主からの写真撮るなというサインだったのか。

黒い金属のカメラなんか持ち出してると、炎天下でまるで焼けた鉄板のようになってきて、これ本当に大丈夫なのか?熱で壊れるんじゃないかと?と不安になってきたりする。だから今しばらくはトイカメラ的な少々手荒に使っても気にならないようなカメラで歩き回ってると思う。ストラップも首にかけるようなのは汗まみれになるから、こういう点でも手持ちでいけるコンパクトなカメラが選択肢になる。汗にまみれたストラップとかみんなどうしてるんだろう?ちゃんと洗濯でもしてるんだろうか?
汗といえば、暑い中を歩き回ってるとリュックの背に当たる部分がかなり濡れる。リュックが汗臭くなってきたらどうしよう。

☆ ☆ ☆

最初のは俯瞰好きの血が騒いだもの。自宅の二階のベランダから下を見下ろすだけでも血の気が引いてしまうほど高いところは苦手なのに、なぜかこういう俯瞰の光景は夢中になる。
でも、このイメージは何かが欠けてるんだよなぁ。歩いてる人が多いとか少ないとかそんなレベルじゃないところで何かが足りてない。決め手に欠けて締りのないイメージになってる。
二枚目はこの世界にある時間だけ現れる形と色。
三枚目は、こんな風に京都タワーを撮った写真はまぁ他にないだろうという写真かな。
と云ってみても世界は広いから、どこかで似たようなイメージで京都タワーを撮った人とか絶対にいるだろうなと思うところもあったりして。
これ反射してるガラスの向こうはおそらく伊勢丹のレストランか何かだと思う。空の反射でガラスの向こう側は見えないけど、向こうからはこちらが見えてるのを承知でカメラを向けていた。ガラスの向こうの人は撮っているわたしを目にしても、ガラスの反射狙いだとは思わなかっただろうなぁ。


さらに拾い集めた夏の光たち

足水浴
2016 / 08 / Howay Anny-35 / lomography Colornegative 100





夏の午後の庭掃除
2016 / 08 / Howay Anny-35 / lomography Colornegative 100





ソファのある部屋
2016 / 08 / Howay Anny-35 / lomography Colornegative 100



豊栄のジュニア・カメラ、Anny-35で撮っていた写真の続き。

最初のは鴨川に併走して流れる禊川。鴨川縁の料亭なんかが設置する床の真下を流れてる小川で、少し前にこの川の縁にずらっと人が並んで座って、全員が禊川に足をつけてた光景を見て、写真に撮りたかったことがあった。でもちょうどその時、フィルムを現像に出しに行った帰りで、カメラの中にフィルムが入ってなかったんだったか、理由ははっきりと憶えてないんだけど、目の前に興味を引く対象があったのに撮れなかった。
それ以来ここを通るたびにまた皆がいっせいに足を水につけて並んでる光景に出くわさないかなと期待してるのに、未だにそういう光景と再会できずにいる。
これはたまたま同じ場所に人が集まってた時で、状況が似てたから撮ってみたものだけど、やっぱり皆が禊川に足をつけてる様子のほうがいいなぁ。なぜこの人たちが集まってるところを撮ろうとしたのか、これではもう一つ良く分からない。
でも配置はいいと思うんだ。鴨川縁の散策路がディテールを飛ばして、暖色の色面となって画面を占める分量とか、その明るい色面と禊川とのコントラストとか、マスとして集まってる人の量感のバランスとか、集まって三角形を成してる形とか、そういう画面構成的なものはわりと気に入ってる。前提として並んで足をつけていた人のイメージが頭になければ、むしろ構造だけで成り立たせてるイメージとして、写真にあまり意味を乗せたくない自分の志向には沿ってるところもある。

Anny-35は、なんだかフィルム写真の香りが濃厚に漂う、まぁフィルムを使ってるから当たり前と云っちゃ当たり前なんだけど、それでもそういう質感のあるイメージを生み出すカメラという感じでなかなか面白い。
難点はとにかくフレアが出てしまうことで、太陽を背にしてないと写せない、まるで「怒りの荒野」のガンマンのようなスタイルを強要するのがうっとうしい。ということで今内面反射防止処置の真っ最中。
一旦組みあがった状態のカメラの内部に細工するとか、もう本当にいらいらする作業で、大体貼り付ける予定の植毛紙を切り出すための寸法が測れなかったりするから、ただ貼るだけのことなのに恐ろしいほどの時間を費やしてる。結局壊れたらまた買ってくださいという子供用のアイテムで、ばらして修理するというようなことを想定してないカメラなんだろう。
なんやかんやで最後は適当に貼り付けて、ついでに数少ない外せる部分だった軍艦部を外してファインダー内部なんかも反射防止処置したあと、また24枚撮りフィルムを一本試し撮りしてきた。これはお盆が明けたら現像に出しに行くつもりだ。今度のは試写ということで新しいのを使うのもなんだかもったいないと思い、5年位前に使用期限が切れたフィルムを使ってみたんだけど、上手く写ってるのか、これも現像が楽しみになってる。

☆ ☆ ☆

先日町内の地蔵盆の日程表なんかが配られてきていた。八月の後半に各町内で行われる地蔵盆は云うなら子供のお祭りで、小さい頃に住んでいた壬生御所ノ内町の地蔵盆はそれはそれは豪華なお祭りだったから、町内中の子供の心をときめかせてた。でも今住んでるところはなんだかおざなりに形だけっていう感じがしないでもない。クライマックスのくじ引きは壬生御所ノ内町の地蔵盆では、大人から見るとそうでもなかったのかもしれないが、子供にとっては高価なおもちゃのてんこ盛りだったのに、今のところの地蔵盆は台所用品とかだったりする。そりゃ役には立つんだろうけど、台所用品では子供の心はときめかない。

そういう子供にとっての一大イベントである地蔵盆が終わると夏休みの終わりが見え始めて来て、夏の終わりが実感として感じられるようになってくる。今年はこんなに辟易する夏だけど、それでも地蔵盆が終わる頃には、大人になった今も、過ぎていく夏への感傷は生まれてきそうだ。



拾い集めた夏の光たち

細い路地に光が降り注ぐ
2016 / 08 / Howay Anny-35 / FUJICOLOR 100





提灯
2016 / 08 / Howay Anny-35 / FUJICOLOR 100





鯉
2016 / 08 / Howay Anny-35 / FUJICOLOR 100




リコーのオートハーフを落札してから、そしてあのレトロなカメラを掻っ攫われてから、何度かヤフオクを利用してみて思うのは、出品側は何とか誤魔化そうとしてるけど、出てくる品物はやっぱりほとんどがどこか訳ありのものだと云うことだ。説明もそのまま素直に受け止めることなんか出来なくなって、そんな目で読んでると、どこかにテンプレでもありそうな業者風の書き方はかえって胡散臭いというか、実際に自分で使っていたものですというような説明書きのもののほうがまだしも信用できそうだ。
撮影に影響するようなカビや埃は一切ありませんとか書いてあるのを読んでも、影響しないカビや埃は一杯ついてるんだろうなぁと思い、大変綺麗な一品ですなんていうのはまず疑ってかかるべきというのが数回利用しただけで何となく理解できてくる。

昨日オークション終了間際のフォクトレンダー・ビトーⅡという昔の蛇腹のカメラに5000円ほどで入札したらそのまま最高額入札者となって、まぁこのカメラは大体こんな価格でやり取りされてるようだけど、実物も見ないで蛇腹のカメラとか無謀だよなぁ、穴が開いてるに決まってるぞ、という思いが頭に浮かんできたら、しまったなぁ、払いたくないなぁって云う気分のほうが大きくなってきた。結局さらに高値で入札した人が続いて自分は落札の権利を失ったんだけど、これは横取りされたというより、払わなくてすんだ、助かったという安堵のほうが大きかった。
信頼できるような品物は多くないというのが分かってながら、入札してみようと思わせ、競り上げに付き合ってしまうというのはやっぱり伏魔殿そのものという感じだと痛感する今日この頃だったりする。


☆ ☆ ☆


トイカメラで拾い集めた夏の光たち。

anny-35
豊栄産業というところが60年代に発売していたカメラで、色々触ってみた感じでは子供が使うためのきちんとしたカメラというコンセプトで作られてるような印象だ。カテゴリー的にはトイカメラなんだろうけど、子供のおもちゃと見るにはかなり本格的なカメラだったりする。
カメラの素性はネットで検索しても日本語ではあまり出てこない。英語のフォーラムなんかがあったから、どうやら海外のほうが知られてる様子だ。日本語で書かれたものではなんと祖父が作ったカメラという内容でブログの記事にしていたところを見つけて、その記事では豊栄産業はその人が社長を引退してから潰れてしまったと書かれていた。
ビートルズが形になるかならないかの頃に製作されたカメラで、このカメラがこの世界に誕生した時、その世界はビートルズを知らなかった世界だったというのが、なんとも奇妙な感じを抱かせるし、そんな時代の機械が時間の堆積を潜り抜けて、しかも高級カメラ的な扱いもされなかったのに、今になってもまだこの世界に存在し使えるというのも、考えてみたら凄いことだと思う。たとえばその頃の洗濯機とか今でも使ってるところなんて想像もできない。
ただ使えるといっても経年による影響はあって、わたしのもレンズに点々とカビ跡がついてるような状態だった。
古いカメラとかレンズとか、ライカなんかはカビなんて当たり前、それが味になるといった扱いの仕方をしてるようなところもあるけど、わたしはカビが発生してるなんて言う事態を静観できるほど達観した感覚を持ち合わせてない。
間の悪いことにカビ跡はレンズの裏側についていて、しかもレンズの外し方が分からない。というか外せるような作り方になってるのかさえも分からない。しかたないのでバルブでシャッターを開いた状態にしたまま本体の裏側から綿棒を使ってオキシドールで拭い取ってしまおうと思った。
一応カビ跡は取れて見た目はクリアになったものの、光にかざした角度ではうっすらと汚れを広げてしまったような感じで、なんとかレンズを外して裏側から直接思う存分拭き取ってみたい衝動に駆られてる。
あとフィルム室内の反射防止処置がレンズ周りの一部にしか施されてなくて、光沢をそれほど抑えてない黒い暗箱の中に、あろう事か銀色のビスの頭が銀色のまま顔を覗かせてたりするから、逆光気味だと思い切り派手なフレアが出るんだな。
取扱説明書でも必ず太陽を背にして撮ってくださいと書いてあった。
最初の写真なんかも夏の光なんて表現してさもそれ風の光を捉えたように振舞ってるけど、これ単純にフレアが生じてるだけだったりする。こういうのの対策に使う植毛紙は以前スメ8の内部反射防止用に使ったものが手元にあるけど、Anny-35のフィルム室内は結構起伏があって貼り難そうだから、そのうちつや消しの塗料でも塗ってみようかと思ってる。
フレアが全部収まってしまうと、これまた普通のカメラになりすぎて面白くなくなったりするから、絶妙の按配でフレアが派生するカメラになるのが理想だけど、こんなの普通のカメラを作るよりも難しいんじゃないかなぁ。

☆ ☆ ☆

夏の光を拾い集めて街中の探検に勤しんでるけど、やっぱりこの暑さはかなり耐えがたい。そういえば去年の今頃、富野荘の駅から木津川の堤防まで歩いていった時、到着したはいいけど堤防なんていう遮るものもない場所で容赦ない暑さに晒されるやいなや、こんなところをうろついてたら駅まで戻れる体力もなくなるかもしれないといきなり弱気になってしまい、到着しただけでそのまま踵を返して駅まで戻ってきたことがあった。あの時は駅の待合の冷房の効いたところに逃げ込んでもまったく汗が引かずに、おそらく熱中症一歩手前くらいまで行ってたんじゃないかと思う。だから去年の夏だって相当に暑くて、でもそんな暑さの中でも写真撮りに出かける気分はあまり削がれはしなかったのに、今年の暑さといったらなにかと気に触るというか、相性が悪い。
暑さを凌駕するような夏の鮮烈な体感もそれほどなくて、もう暑いのに飽き飽きしてるんだよなぁ。


暑中お見舞い申し上げます

夏の挨拶
2016 / 07 / Konica C35 EF / Lomo ColorNegative 400



梅雨明け前から酷い暑さが続いてます。どうそ皆様もお体を大切にお過ごしください。


写真はこの前、祇園祭の長刀鉾で粽が買えなかった日、さぁどうしようと考えをめぐらせながら歩いてた時に撮ったもの。ちょっと前の記事で菊水鉾の車輪を撮っただけで終わったと云ってた、その当の写真がこれだ。
こういうのを撮る時、以前だったら縦横90度交差で、格子がきっちりと正確なパターンを見せてるような位置から撮らないと気がすまなかったんだけど、最近はべつに正確に並んでなくてもいいんじゃない?という感覚のほうが面白くなってきて、あまり気にしなくなってきた。どこか外した感じがあるほうがなんだか余裕があるイメージに見えるというか、対象との関係性は幾分変化しつつある。

☆ ☆ ☆


使ったのはピッカリコニカという愛称のカメラ。
c35EF

オリンパス35DCと並んで自分的には結構しっくりとくるカメラだ。というわりには梅田のガーデンシティで使ったきりだったんだけど、まぁ細かいことは云わない。距離計は目測で適当にあわせて、ただシャッターを切るだけ。世界初のストロボ内蔵だったカメラは暗いところでも感覚を中断することなく走り抜けていく。
ポラロイドのイメージと結びついてるアンディ・ウォーホルが愛用したカメラの一つとしても知られていて、そういう部分でもお気に入りの度合いが幾分プラス側に傾いてる。ウォーホルは他にもダイアナなんかも使ってたりして、一眼レフのような大掛かりなカメラを持ってる写真なんか見たことがないから、手軽な大衆的コンパクトカメラの類が好きだったんだろう。
大衆的なアイコンを駆使したポップアートと、手軽で誰もが使える疾走感にあふれたカメラは、精神としてどこかで通じてるところがあるのかもと思うと、このカメラはポップな写真を生み出してくれそうな予感も孕んでる。

☆ ☆ ☆

久しぶりに展覧会の話題も。
と云っても写真撮りに歩き回るのも一時間もすれば本気で嫌になってくるような暑さの中で、わたし自身まだ見に行ってない。だからここに書けるのは情報だけなんだけど、現在京都ではダリ展が開催されてる。今回の展覧会は京都市美術館と文化博物館の二ヶ所で同時開催という形をとっていて、文化博物館のほうはダリの作品の中で版画だけを集めた展示になってるらしい。ダリの版画とかわたしはほとんど見た事がないので、これはちょっと珍しいな。でも一ヶ所でやりなよと思う。入場料金が両方ともかかってしまうのはなんとも納得がいかないじゃないか。

ダリ展フライヤー

シュルレアリスムを代表する画家ではあるものの、なぜかわたしがシュルレアリスムのことを思い浮かべた時、ダリはあまり頭の中には登ってこなかったりする。王道すぎるのか、シュルレアリスムという運動体の一つとして納まるよりも、誰もダリのようには描かなかった「ダリ」という極めて個別的な形で完結してしまってるせいなのか、たとえばブルトンだとかエルンストとかがシュルレアリスムと即座に結びついて現れてくるようには、自分の中ではダリは現れてこない感じがするんだなぁ。結果的には典型的なイメージになりすぎて、その分シュルレアリスムの本質の一つを体現してるんだとは思うものの、一般的なイメージとして流布した結果、幾分通俗的なシュルレアリスムという印象でとらえられる部分もどこかにあるような気がする。即座に思い浮かべられないのはそんなところが影響してるんだろうか。
ダリもいいけどマックス・エルンストの展覧会もやってくれないかな。ある日街中で見た絵をきっかけに船員から画家へ変身したというエキセントリックなエピソードを持つイヴ・タンギーの絵画の実物も見てみたい。シュルレアリストじゃなくダダイストだけどマルセル・デュシャンの大回顧展なんてやってくれたら舞い上がってしまうと思う。フィラデルフィア美術館に行かなければ覗き穴から中を覗けない遺作とか本気で覗いてみたい。デュシャンは卒論のテーマだったんだよ。