【洋画】アバター

これを書いてるうちに少々日にちが経ってしまってますけど、先月の20日の水曜日にジェームズ・キャメロン監督の映画「アバター」を観にいってきました。今年のお正月一番の話題作で観たいと思ってた映画だったものの、ここでもよく書いてるように人が集まるところがかなり苦手という性分なので、お正月真っ盛りの間は到底観にいく気にはならず、公開開始からほぼ一ヶ月経過という時期になってようやく行く気になったという感じです。
観にいこうと決めた日にこの「アバター」がゴールデン・グローブ賞の作品賞および監督賞を受賞したというニュースが入ってきて、受賞の話題につられてまた観客が増えたらかなわないなぁとか、受賞のニュースを聞きつけて観に来た唯の野次馬の一人だと思われるんだろうなぁとか、行く間際になってまた余計なことをいろいろと考えたりしたんですが、観に行くと決めた時点で映画を観たいという欲求の方が強くなっていたので、多少は人が多くなっていてもまぁいいかという方向に気分は修正されてました。
上映してた場所はいつものムービックス京都で、その南館の10番スクリーン。上映形態は3D方式の字幕版と吹き替え版、それと従来の2D方式の3パターンが用意されていて、私が観ようと思ったのはこのなかでは3D方式の字幕版でした。
客の混み具合は大体会場の6〜7割くらいといったところだったでしょうか。そんななかで私が取った席は前から6列目のかなりスクリーンに近い位置。6〜7割の入りで席は十分に空いてはいたけれど、見やすい場所はそれなりに既にふさがってるというような状況でした。

館内

ポスター

ジェームズ・キャメロンとしては「タイタニック」以降、12年振りの劇場用の映画ということで、長い沈黙を破っての登場となってます。
ロジャー・コーマンのニュー・ワールド・ピクチャーズのもとで「殺人魚フライング・キラー」というB級ホラー映画も作ったりしてるんですが、一般的には「ターミネーター」で名前を広く知られ、そのヒットをきっかけに依頼された「エイリアン2」が爆発的にヒット、私はこの映画も好きなんですけど興業的にはあまり振るわなかった「アビス」を経て自作の続編「ターミネーター2」で更なる爆発的なヒットという風にキャリアを積んでいきます。この辺りのキャメロン監督の映画を観てる時にわたしが監督に対して抱いた印象は続編を本編よりもはるかに面白く撮れる唯一人の監督といった感じ。楽しめる映画を撮ることに関しては全幅の信頼を寄せられる監督でもありました。そしてその後「トゥルーライズ」をはさんで撮った「タイタニック」が映画史に残るほどの記録的な大ヒットを収めることになります。

わたしはこの人が持っていたエンタテインメントに対する嗅覚というか、より面白く、エキサイティングな方向へと確実に舵が取れる作劇の感性に夢中になったほうです。だから「タイタニック」が空前の大ヒットを飛ばし、山のようにアカデミー賞を受賞した時に、キャメロン監督はこれがきっかけで、自分は本来は娯楽アクションなんかじゃない人物描写に長けた監督だ!なんてことを考え出したら嫌だなぁって思ってました。勘違いするだけの状況はキャメロン監督の周囲には山のようにあったはずだし、今回の「アバター」にいたるまでに12年のブランクが開いてしまったのも何だかちょっと意味深でした。

とまぁ今回「アバター」という久しぶりのキャメロン映画を見るに際して、そういう勘違い文芸監督ジェームズ・キャメロンの勘違い振りを見せ付けられたらどうしようかなぁという若干の不安をどこかに持ちながら観始めることになったわけです。でも観始めてまもなくそんな予測は完全に覆されることになりました。全く要らない心配を勝手にしてただけ。
主人公ジェイクがコールドスリープから目覚め、惑星パンドラに降り立って自分の化身となるアバターと対面するほんの導入部分に過ぎない部分でも、これから始まる長大な物語に必要な知識を混乱なく提示し、謎めいた部分や驚異的な映像も少しずつ混ぜあわせながら、観客の興味を引きつけつつテンポよく語られる物語にあっという間に入り込んでいけます。エンタテインメントがどういうものなのか熟知した監督が作った映画という特質はジェイクのナレーションを背後に最初の宇宙船が登場してくるようなところから既にはっきりと読み取ることが出来るようでした。文芸物監督どころか、というより「アバター」は恋愛物語そのものなので文芸要素も最大限に混入させた上で、キャメロン監督はこの長大な物語をコントロールしながら自らのエンタテインメント魂を思う存分炸裂させてます。

ジェームズ・キャメロンの12年ぶりの新作劇場映画ということの他に「アバター」が私の興味を引いたのは、この映画が3Dの立体映画として作られたことにもありました。
これも映画が始まってすぐに理解できることだったんですが、「アバター」の場合は3Dの技術は物珍しいものとして単純に追加されたものではなくて、映画が自らを完全な形で成立させるためにその3D技術を要求していたから採用されているという感じでした。いうならば惑星パンドラの世界を十全に描写するのに3D技術は欠かせない、あって当たり前の技術。キャメロン監督自身が「カラーの映画は、今はカラーがいいからカラーで撮ってるとは誰も思わない」といったことを言ってますが、この映画の3Dはまさにそういう扱われ方をしていたといえるでしょう。
だから、この映画に関しては、劇場では普通の2D版も上映してるけど、3D以外の形式で鑑賞するのはほとんど意味を成さないです。絶対に3D方式で観なければ駄目。
同じような意味でDVDでの鑑賞も、おそらくこの映画でもっとも大事な部分が完全に抜け落ちたような形になると思われます。劇場の大画面で、画面の中に入り込む感覚で惑星パンドラの真っ只中にいた体験の記憶、DVDでの家庭内での鑑賞はその記憶の痕跡を再確認する程度の意味合いしか持たないのではないかと思います。
この映画は劇場で観たほうがいいというどころか、観るならば絶対に劇場で観なければいけないという映画です。

ちなみにムービックス京都で採用してる3D方式はXpanD。3Dメガネに液晶シャッターを使ってるもので、電池が仕込んであるせいで重いです。ゴーグル的な大きさがあるので普段使ってるめがねの上からかけることも可能。わたしはめがね族で自前の眼鏡をかけて鑑賞したんですが、この3Dメガネはその上に余裕でかけられました。

☆ ☆ ☆

作戦中の事故で脊髄に損傷を負って下半身不随になり、さらに兄のトミーを不測の事態で亡くして失意の只中にあった元海兵隊員ジェイク・サリー(サム・ワーシントン)のもとに、兄が参加していたプロジェクトに兄の代わりに参加しないかという依頼が来た。兄のトミーは地球から5光年ほど離れたところにある惑星「パンドラ」で「アバター・プロジェクト」に参加していて、双子の兄と同じDNAを持つジェイクに後を引き継いでもらうのが最善だという。ジェイクはその依頼を承諾し惑星「パンドラ」に赴くことになった。
「パンドラ」は「ナヴィ」という人間に良く似たヒューマノイドの原住民が暮らし、奇態な動植物が生息している神秘的な森の惑星。そして地球環境は危機的な状態にあってそれを救う鉱石「アンオプタニウム」が「パンドラ」には大量に埋蔵されていた。
この貴重な鉱石を得るために地球側は巨大な採掘場を建設して採掘を続けていたが、「パンドラ」の大気は人間には猛毒で採掘作業に支障をきたす要因になっている。
その障害を排除するために立てられたのが、「パンドラ」の大気内でも平気に生活できる「ナヴィ」と人間のDNAを合成してハイブリッド生命体「アバター」を作り、意識を転送する特殊な装置を使ってその生命体「アバター」と一体化、遠隔操作するというプロジェクトだった。
「パンドラ」にやってきたジェイクは意識をリンクする装置を通して、兄トミーのDNAを使って生み出された「アバター」とリンクし、リアルな肉体では車椅子の生活を余儀なくされていたものの、新たに得た肉体「アバター」を使って自由に走り回れる生活を獲得することになった。

「アバター」を使って「パンドラ」の森を調査したり、原住民「ナヴィ」と共生する試みを続けていた科学者グレース(シガニー・ウィーバー)らと森の探索に出た際、ジェイクは森の中でグレースたちとはぐれてしまう。そして夜の森のなか、危険な猛獣に襲われてるところを「ナヴィ」でオマティカヤ族の娘ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)に助けられることになった。
ネイティリは最初はジェイクを余所者として警戒していたが、「聖なる木の精」がジェイクの体に寄り集まってくる光景を見て、ジェイクには「パンドラ」が受け入れる何かがあるのだと確信し、オマティカヤ族のもとにつれて帰ることに決めた。

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ジェイクはグレースら科学者とともに行動する一方、採掘基地の保安部門の指揮官クオリッチ大佐(スティーヴン・ラング)からオマティカヤ族の内部の様相、住居としてる超巨大な樹木「ホーム・ツリー」の構造などをスパイすることも要請されていた。実はオマティカヤ族が住んでいる「ホーム・ツリー」の地下には大量の「アンオプタニウム」の鉱床があった。
大佐からはスパイ任務を与えられていたジェイクだったが、グレースの「アバター」とともにオマティカヤ族に受け入れられてからは、ネイティリに「ナヴィ」のことや「パンドラ」のことを教えてもらってるうちに、ネイティリに好意を寄せるようになり、また全生命体が共生してる「パンドラ」の生命のあり方にも理解を深め共感するようになっていった。

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やがて、ジェイクのスパイ任務にはかばかしい展開が無いどころか、ジェイクが人間を裏切ってナヴィのほうについてることを知った大佐は、「ナヴィ」を追い払うために彼らの住居であったホーム・ツリーに総攻撃をかける決定を下す。
「パンドラ」は森の木々のすべてが根を張り巡らせて惑星規模の命のネットワークを作っているような場所。そして大佐の攻撃目標となった「ホーム・ツリー」はそのネットワークの要のひとつになる巨木だった。ここを破壊されると「パンドラ」の生命ネットワークが破壊されてしまうことになる。
裏切り者の烙印を押され、「ホーム・ツリー」が攻撃されることを知ったジェイクは完全にナヴィの側に立ち地球側と戦う決意をする。そしてオマティカヤ族に「ホーム・ツリー」を破壊しに地球人が攻めてくることを知らせにいくが、スパイ目的で部族に入り込んでいたことを気づかれ、逆にオマティカヤ族の囚われものとなってしまう。

☆ ☆ ☆

3時間近い長尺の映画で、映画的な体験としては圧倒的なものを受け取れる映画であることは間違いないと思いますが、「アバター」の物語そのものは前代未聞の映画を支えるものとして期待するような斬新なものだったかというと実は必ずしもそういう感じでもなくて、むしろ今までにいろんなところで見聞きしてきたものを思い起こさせるような要素で成り立っている物語という印象の方が強いものでした。
環境破壊、自然との共生、支配者と搾取される者、異文化への理解と拒絶、虐げられた者の反乱、などなど。映画だけでなくて小説などでも繰り返し取り上げられてきたようなテーマが「アバター」のなかにはいっぱい詰め込まれてます。オマティカヤ族がその生活の基本的な部分で体現していたような神話性などは今までの映画、小説などにたとえ取り上げられていなくても、人が共通して持つような感覚として無条件で理解できるようなものだったでしょう。
具体的にはこの映画を観て「ナウシカ」だとか「もののけ姫」といったジブリの映画を思い起こした人が多いんじゃないかと思います。キャメロン監督はどうやら宮崎アニメのファンでもあるようですから。
わたしの場合はジブリ映画の熱心な鑑賞者というわけでもないので、映画を観ている時に連想してたのは映画じゃなくて、ゲームの「ファイナル・ファンタジー」でした。「ファイナル・ファンタジー」のなかでも特に「察廖8鎚未寮弧燭閉じた後にその命は精神エネルギーとして共有され、そのエネルギーが一つの星を覆い尽くすような流れになって存在して新た命や文明を生み出していくという設定、これが「アバター」という森の惑星で木々が根を張り巡らせて惑星を覆い尽くすネットワークを形作ってるっていう世界観と良く似てるなぁって映画を観ながら思ってました。「アバター」の地上や空を駆け巡るクリーチャー、特にジェイクがナヴィからも地球人のスパイと看做され、拒絶された後でもう一度受け入れてもらうために伝説の勇者でないと乗りこなせない飛行生物(翼竜?)レオノプテリクスを従えてオマティカヤ族の前に降り立ったシーンなんかは、そういう目で観てると「召還獣」を従えて降臨してきたかのようでもありました。

なんだかこんな書き方をしてみると「アバター」が独創性もない二番煎じ的な要素で成り立った物語、もっと凄い斬新な物語を語るはずだったのに上手くいかなくて無難な着地点ばかりを探ってるような失敗作のように見えるかもしれませんけど、実はこういう物語のあり方は「アバター」の場合は意図的にとられた方法の結果として出来上がってきたものだったようです。
キャメロン監督は「アバター」の物語に関して「見慣れない環境で、見慣れたタイプのアドベンチャーを作り出したいと思った」と云ってます。
つまり今までにどこかで見聞きしたような馴染みのある要素を物語の中に取り込むのは最初から意図的だったということです。
それでなぜ真新しい新鮮な物語を語ることをやめて、あえて古い良く知られてるプロトタイプともいえそうな物語を寄せ集めてその変奏曲のような映画を作ろうとしたのか、そういうことをちょっと考えてみたんですけど、一つは「アバター」は3D映画として成り立ってるわけだから、3時間近くの間その圧倒的な視覚情報が観てる側に雪崩れ込んでくるわけで、そのうえ物語的に複雑な情報を織り込むと情報量が多すぎると判断したんじゃないかって思いました。3Dで徹底的にリアルに再現した「パンドラ」の世界に観客を放り込むっていうのが明らかに映画の一番の意図のように思えるから、キャメロン監督は全神経をそちらのほうに向けて欲しかったのではないかと。アメリカ人は字幕を読まないでもいいけれど、わたしは字幕版を鑑賞して、字幕に向ける注意さえいちいちはぐらかされるような気分になりましたから。3D映画としての圧倒的な映像と、どこか馴染みのある物語は組み合わせとしては上手くバランスが取れていたんじゃないかって思います。
もう一つは出来るだけ大勢の人、広範囲の世代に観て欲しいという意図もあったかもしれません。この映画の場合は一般に大作映画といわれるものよりもさらに莫大な費用をかけて製作された映画、聞くところによると240億くらいだそうで、こんなにお金をかけて映画を作るってもうよほどのことでもない限りできないかもしれないくらいの規模だから、ややこしい話をひねり出して特定のマニア相手に作るわけにはいかないっていう部分もあったと思います。

地球人による植民化のなかで、自らが住む世界を破壊され、追われていく先住民族のナヴィ、そのナヴィが星の生命総合体とでもいえる「エイワ」によって選ばれたジェイクに導かれて、自分たちの聖地を破壊しようとする人間に対して反旗を翻す物語と、その民族の再生に絡めるように語られるジェイクとネイティリとの民族、文明を越えた恋物語。
「アバター」はこういった祖形とも云えるような要素で骨格を形成してる物語に載せて進行していくわけですが、それではそれが詰まらなかったかというと観終わった後の感想は全くの正反対。3時間近い映写時間中、ほとんど退屈もせずに、というよりも退屈するどころか長い上映時間中、時間のことも忘れてしまうくらい夢中になって観てました。

この問答無用の面白さがどこから来てるかといえば、結局ジェームズ・キャメロンの演出の手腕なんですよね。エンタテインメントが何であるか熟知した監督の手腕で「アバター」は全体がエンタテインメントの最上のレベルを保つように仕上げられてる。ここで演出って云ってるのは、あまり小難しい意味じゃなくて「語り口」程度の意味なんですけど、キャメロン監督はたとえば同じ物語を与えられても他の監督よりもそれをより面白く語れる感性を持ってる人なんだと思います。
緩急自在の語り口、観客の興味を意図どおりに引き出し、それを鷲摑みにするように手にして思う方向に引き釣り回す。見慣れた骨格を基にしていても面白く語る方法を会得していればそこからいくらでも面白い物語を紡ぎ出せます。またそういう感性、技術を持ってると確信してるから、キャメロン監督はあえてよく知ってる様な物語を持ってきても、まるで平気だったのかもしれません。

☆ ☆ ☆

わたしは、エコロジー的な視点とか少数民族に対する抑圧だとか搾取だとか、社会的なテーマを引き出すような観方で映画を観るタイプじゃないので、この映画も登場人物中心というか、驚異的な世界を背景にしたジェイクの遍歴の物語、ジェイクとネイティリの恋物語として観てました。この映画は社会的なテーマを引き出しても物語が類型的な分、そこから引き出されるテーマも類型的なものにしかならないようで、おそらくあまり面白くないです。

登場人物といえば全部ではないにせよこの映画の人物造形って、これもあらゆる世代に対して理解しやすいものにするためだとは思うんですけど、相矛盾する要素を一人の人間のなかに混ぜ合わせて複雑な人間像を作るというよう方法ではなくて、ある程度類型化したものを基礎にしてそのうえにそれぞれの個性を付け加えるようなアイコンを散りばめるという、そういう感じのキャラクター・メイキングをしてるようでした。
主人公のジェイクの場合はとても分かりやすくて、元海兵隊員という類型の上に下半身不随で車椅子生活を余儀なくされてるという個性化のアイコンが付加されるという形。そしてこの歩けないという設定はジェイクの造形という点では実に良く考えられたものだったように思えます。
リンクしたアバターの肉体を使って、無理だと思っていた歩くことや走ることが出来るようになったことが、ジェイクにとってのリアルな世界が採掘基地側の足のなえた肉体ではなく、仮想現実ともいえるアバターのほうにあるとジェイクに思わせていくわけです。
兄のアバターにリンクし、アバターの肉体を我が物として扱えるようになった最初、アバターの肉体ではあったけれど自分のものとして両足で再び立つことが出来た奇跡に狂喜して、研究室の職員を振り切ったあげく、外に出て闇雲に走りまわるシーンのジェイクの喜び、その喜びようから歩けなくなったことが今までどれだけジェイクを苛んできていたか痛いほど分かったし、リンクを解いて本来の自分の肉体に戻った時の再び歩けない現実を前にした絶望も口に出したりこそしないけど、とても良く分かりました。人の1.5倍あるアバターから、リアルな肉体に戻った時の、見るからに萎えてしまった細い足が画面に映るのはなんだか見てられないほど痛々しかったです。
車椅子に乗ってるという設定だけで、ジェイクが地球人としては裏切り者になってまでナヴィ側についたのも、現実の萎えた足の肉体よりも、アバターのいわゆる仮想的な現実の方こそリアルにしたいという思いが意識的にしろ無意識的にしろジェイクのどこかにあって、単純にナヴィの生命観や自然観に感化された結果ではなかったことを良く表現していたと思います。裏切り者になるというポイントでは元海兵隊員という人物造形の基本部分もその変化の振幅の大きさを分かりやすく見せていたかもしれません。
また大佐からスパイを要請される時にもスパイをしてくれれば本当の足をプレゼントするっていう交換条件もだされてます。この条件はナヴィの側につくことでリアルな肉体が足を持つことを諦めなければならないという葛藤を生むし、代わりに得たアバターの肉体は「アバター・プロジェクト」が人間のプロジェクトである以上、人間を追い出してしまうともう使えなくなるかもしれないという葛藤も生みだしてました。クライマックスでパンドラの猛毒の大気が装置のある場所に侵入してきた時でも、装置から防御マスクのある場所までジェイク自身ではたどり着けないっていう形で効果的に使われてました。歩けないって云うだけでちょっと考えただけでもこれだけの陰影をジェイクの人物像に付け加えてるというわけです。

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こういった葛藤を秘めつつも自分の運命に静かに向き合い、パンドラに希望を見出していくジェイクを演じたのはサム・ワーシントン。去年は「ターミネーター4」にも出演して勢いに乗ってる俳優さんです。物静かでどこか朴訥とした印象があり、それがなえた足に絶望はしても表立っては決して泣き言を云わない強さ、ナヴィのなかにいて、彼らと接し学んでいく時の誠実さを上手く体現していたようでした。

でも「アバター」の登場人物のなかで一番印象深かったのは、ヒーローへ向かう王道的な道筋を歩む主人公のジェイクよりも、ヒロイン役のネイティリのほうだったかも。
惑星「パンドラ」の先住民ナヴィの、オマティカヤ族の族長の娘で、見た目はヒューマノイドではあるものの青い皮膚に横縞の模様が入った、しかも人の1,5倍もある巨体の異星人。容貌はおそらく猫科の動物をデザイン・ソースにしてると思われるので、猫好きの人はそれなりに親和性があるかもしれないけど、普通に観れは完全に異形です。

ところがその異形の異星人であるはずのネイティリが、ジェイクに恋し始めると、どんどんと綺麗に可愛らしく見えてくるんですね。ジェイクと出会った当初の、ジェイクを子供のように何も知らない愚か者と思い、女族長の母からジェイクにいろいろ教える係りを命じられて本気で嫌だって云う声を上げた時には全くそんな風には見えなかったのに。
そのうえネイティリはジェイクに見せる少女のような面も持ってるのと同時に、戦いが始まれば戦闘用のペイントを顔に施して、敵に対しては何のためらいもなく矢を放つ強さをも併せ持っています。

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身のこなしもしなやかで躍動感にあふれ、動きそのものが美しい肉体に、強さと可憐さを併せ持ってる女性。ネイティリは簡単に云うとこういうキャラクターとして描き出されていたわけです。
最初から最後まで異星人という異形の形を崩さないで、そういう魅力的な印象にまで持っていけてたのが凄いところなんですが、そういう描写が出来たのもやっぱり演出の力技によってるんだと思います。おそらくこの物語の中心になってる部分は虐待される少数民族とか環境破壊だとかそういうところにあるのではなくて、このジェイクとネイティリのラブロマンスにあると思うんですが、そういう中心部を形作ってるものをきちんと見極めてネイティリを丁寧に描いていった結果ああいう極めて特殊な魅力を持った人物を作り上げることが出来たんでしょう。
ラスト近くアバターにリンクしてない人間形態のジェイクを抱きよせ「ジェイク、マイジェイク」と囁きかけるネイティリの情の深さが泣かせました。
こんな人物を3時間も見せ続けられ、感情をストレートに乗せてくる声を聴いてれば、映画が終わる頃にはジェイク並みにネイティリに夢中になってる人が大勢いたんじゃないかと思います。

ネイティリを演じたのはゾーイ・サルダナ。でもこの役は他のナヴィ役も含めてすべて特殊メイクではなく3DCGで描かれていて、ゾーイ・サルダナの実際の身体、素顔は映画のなかでは一度も出てきません。顔の動きを詳細に捉える新しいモーション・キャプチャーで、エモーション・キャプチャーと名前がついたらしいんですけど、その技術を使ってサルダナの演技をそのままネイティリのCGに移し変え、実際は3DCGのキャラクターなんですけど、ゾーイ・サルダナ本人が特殊メイクを施して演技したものを撮影するのと変わらない動き、感情表現を実現したそうです。

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登場人物のなかではもう一人、ミシェル・ロドリゲス演じる採掘場のヘリの操縦士トルーディ・チャコンもよかったですよ。扱いとしては主役級ではなくて脇を固めるような役どころなんですけど、クライマックスである地球人の武装ヘリの大群対翼竜イクランに乗ったナヴィの戦士との戦争シーンではかなり良い部分を一人でかっさらって行ったという感じでした。普段は「アバター・プロジェクト」の科学者グレースらを世話してる人物なんですが、おそらく科学者らと一緒に居る時間が多いせいで、グレースらの仕事に理解を示すようになり、「ホームツリー」攻撃の際には「パンドラ」とナヴィにとってもっとも大切なものを破壊する作戦に従事してることが嫌で、単機離脱、その後心情的には、直属の大佐にではなく科学者らのほうにつくことになります。
最後の戦争シーンで大佐の乗る旗艦の前に、ナヴィの戦闘用ペイントを施した自分の戦闘ヘリたった一機で立ち向かおうとする登場の仕方はまさに鳥肌ものでした。
キャメロン監督は過去の作品でも、たとえば「エイリアン2」の女性兵士バスケスのような強い女性を好んで出す傾向があるんですけど、ネイティリといいこのトルーディ・チャコンといい、「アバター」でも強い女性の刻印をしっかりと刻み付けて、監督の趣味が全開したような人物造形になってたといえるでしょうね。

☆ ☆ ☆

この映画の最大の特徴は3DCGを駆使して描いた世界を、先にも書いたように立体映画として成立させたことにあります。
映画の意図は惑星「パンドラ」の森や空の真っ只中へ観客を放り込むこと。だから立体表現はほとんどの場合奥行きの表現に使われていて、目の前に飛び出してくるようなアトラクション的な使い方はかなり抑え目にしてありました。
冒頭のジェイクがコールドスリープから目覚めて、装置から排出されるシーン。画面の手前でジェイクが装置から出てくる背後は細長い宇宙船の船内で、はるか向こうの方までチューブ状の船内が見通せ、その空間を無重力状態で乗組員が浮遊してるというシーンがあって、これの奥行き感覚が半端じゃないんですね。おそらくキャメロン監督がこれから観る世界はこういうものなんだよと宣言してるような意味合いのシーンなんだと思うんですが、このシーンの奥行き具合のとんでもなさに感心してしまったのは、おそらくわたしだけじゃないと思います。
その後、超巨大な採掘機のスケール感とか培養器に浮くアバターとジェイクの比較を奥と手前の距離を使ってさりげなく演出してる、小技を効かせたような採掘基地内の描写を挟んで初めてのパンドラの森の探索へ。そしてそこでグレースらとはぐれてしまったジェイクといっしょにパンドラの森を彷徨うことになります。
森の描写は奥行きの表現が効いていて、まるで本当に森の中にいるような感じです。パンドラの世界は誰も見たことが無い異世界ではあるものの、設定としては精緻に作りこまれていて、こういうのはキャメロン監督の映画の特徴かもしれないですが空想的であっても徹底してリアリスティック、奇態な動植物で満ちた世界がまるで現実にどこかに存在するような感じで目の前に広がることになります。このパンドラの異世界の森は特に夜になってからの描写も見事で、様々な発光体が闇の空間を彩り、非常に幻想的で綺麗でした。

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オマティカヤ族に受け入れられ、ハンターになるための通過儀礼で、空中に浮遊してる山「ハレルヤ・マウンテン」に登って翼竜エクランを確保する辺りからは空中を飛ぶシーンが増えてきます。エクランが駆け巡る空間の高さの表現を駆使するシーンは、立体にしてみればかなり見栄えにあるシーンの連続となってました。
そしてクライマックスの戦争シーン。地上の森はAMPスーツで武装した地球人の軍団とダイアホースに乗るナヴィの騎馬軍団、空中は巨大旗艦と武装ヘリの大群とエクランに乗ったナヴィの戦士との戦闘シーンになると、その縦横無尽に動き回るものに対する立体的な演出、展開の派手さといったら今まで見てきた立体視の表現がこのシーンを見るのに目を慣らすための準備期間じゃなかったかと思うほどのものでした。

この映画が最新の3DCG、最新の3D技術を使用して作成されたのはまず間違いありません。ただ3DCGの使い方のほうを観ると、出来上がった画面は超豪華版ファイナルファンタジーといえないことも無いようなところもあって、極めて緻密に仕上げてはいるんですが最新の3DCGを使ってる割には意外と控えめな印象がありました。もうひとつの3Dの方は、これは凄かったです。立体映画としての「アバター」の出来は文字通り特筆すべき仕上がりになっているような感じでした。

でも立体映画としての「アバター」はとにかく目を見張るものではあったんですけど、技術としては最新の3D技術を使ってるにしても、その目新しい立体映画の技術を見せるような使い方はしてないんですね。奥行きはとても深く表現されてはいるけど、奥行きの表現そのものは今までの立体映画でも当たり前のようにあるものでした。
この映画の3D表現が凄いとするなら、3Dを使うのにはこれほど相応しいものは無いという映画で、最も効果的に見えるような演出を通して使われたために、3D形式が本来可能性として持ってるさまざまな効果が、潜在的であったものも含めて最大限に発揮されたような形になったことにあるんじゃないかと思います。
「アバター」はあらゆる場面が3Dをこういう風に使えば一番臨場感が出るといったことの、最上級のサンプルになりえるような完成度の映画になってます。だから立体映画形式を使う場合のもっとも効果のある形を示した映画として確実に転換点となるし、これから以降立体映画を作る際の基準になっていくだろうという意味で特筆すべき映画であるんだと思います。

☆ ☆ ☆

「アバター」を観にいってからこれを書いてるうちに、どうやら興行成績でも「タイタニック」を抜いてしまったようで、ますます怪物振りを発揮してるような感じになってきてますね。
立体映画のメルクマールになったという以外にも周りを取り巻く様々なものがこの映画に祝祭的なイメージを付加し続けてるようです。
こういう今までに例を見ない祝祭的映画の出現した時代に居合わせ、劇場での立体映画という完全な形で体験できたことをわたしはとても幸運だったと思います。こういう映画に参加できた俳優、スタッフ(エンドクレジットは吃驚するような体裁になってます)は本当に幸せだったと思うし、わたしも観客として参加して、その幸福感を多少は分けてもらったような気分になれました。

最後に、わたしは映画に行くといつもパンフレットを買って帰ります。この「アバター」も例に漏れずにパンフレットを買いました。
映画のパンフレットって高い割りに大したことも載ってない内容と言うのが大半で、映画に付随するものでなかったら絶対に買わないようなものが多いんですけど、「アバター」のパンフレットは確か600円くらいだったのに、読むところも多いし、紙質は全ページ光沢のある厚手の紙を使っていて値段にしたら凄くよく出来た仕上がりになってました。
ただ非常に残念なのがミシェル・ロドリゲスの写真で、映画のなかではあんなに美味しい役どころだったのに、パンフでの扱いは付け足しみたいなのが2枚入ってただけでした。
ミシェル・ロドリゲスのファンなら失望間違いなしのパンフです。

☆ ☆ ☆





原題 AVATAR
監督ジェームズ・キャメロン (James Cameron)
公開 2009年


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八坂神社に初詣

2日に初詣に行ってきたので、その時の様子をちょっと書いておきます。
初詣をしてきたのは東山の八坂神社。別に近所に住んでるわけでもないのに、わたしは毎年この神社に初詣に行きます。理由は去年の記事でも書いたかもしれないけど割と単純で、祭神であるスサノオノミコトがかっこいいっていうことと西楼門前の狛犬がお気に入りだということ。もう一つ本殿の背後を東西方向に走る参道の雰囲気が極めて好きだっていうこともあるかもしれないです。

この日は快晴に近い晴れ。寝坊してしまったので八坂神社へは昼を少し過ぎた頃に到着しました。

☆ ☆ ☆

八坂神社に祭られてるのは上記のスサノオノミコトとクシイナダヒメノミコトとヤハシラノミコガミの3柱。確かクシイナダヒメノミコトはスサノオノミコトの八岐大蛇退治で助けられて、後にスサノオノミコトの奥さんになった神様じゃなかったかな。
八坂神社ではその3柱を中心にして数々の末社が、本殿の周囲を囲むように境内に配置されてます。実際に中を巡ってみるとそうも思わないかもしれないけど、規模としては割りと大きな神社かもしれません。

八坂神社のお正月前後の行事としては大晦日深夜から元旦の朝にかけて、「おけら(キク科の植物)」や、奉納された「おけら木」を焼いた火を火縄に移して家に持って帰る、おけら参りというのがあります。無行息災を願うもので、この火でこぶ茶を沸かし、お雑煮をつくって食べると健康で暮らせるといわれています。
この火縄の火を消さないように、おけら火を分けてもらった参拝客は火縄をくるくると回しながら帰るんですが、深夜の京都の街中を小さな炎がくるくると廻ってる光景はある種幻想的な光景に見えるかもしれません。
でもわたしは近くに住んでるわけでもないし、そもそも火縄の火で調理するような器具を使ってるわけでもなく、貰っても途方にくれるだけだと思うので、おけら参りにはほとんど行ったことはないです。

八坂神社はまた祇園祭の大元締めで、祇園祭といえば平安の地に蔓延した疫病退散を祈願して始まったお祭りなので、現代の新型インフルエンザが猛威を振るってるような世界ではお参りするのに一番相応しい神社であるかもしれません。

八坂神社俯瞰図


☆ ☆ ☆

2010年お正月の八坂神社、西楼門はこんな感じでした(写真1)。付け加えておくと西楼門はその形から御篭門という異名も持ってます。

西楼門


八坂神社は東西に走る四条通りの東の端に位置していて、この門が四条通りと八坂神社を繋ぐような形になってます。この四条通りと、さらに南北には東大路通りが前を走ってたりするためにお参りする人はわたしも含めてここから入っていく人が多いんですが、実はここは八坂神社の正門ではありません。本殿と向きあった場所に「南楼門」と云う門があって、本殿と正対してることもあってこちらが正門と考えられます。でも規模といいロケーションといい、どうみても西楼門が正門に見えますけどね。
ちなみに八坂神社七不思議というのがあってそのひとつはこの西楼門。蜘蛛が巣を張らない、雨だれの跡がつかないというが不思議とされてるそうです。この七不思議は本殿下の竜穴だとかいろいろあるので調べてみるのも面白いかもしれません。

祇園石段下から門の方向に上がっていって左右に鎮座する阿吽の狛犬です(写真2、3、4)。わたしは向かって左の狛犬がなぜか大のお気に入り。
狛犬左1

狛犬左2

狛犬右

門をくぐって中に入るとこういう人ごみにぶつかります。今年は何だか人の出が多いです(写真5、6)。本殿に向かう参道はいつもお正月には満員電車みたいな感じになる場所なんですけど今年は特に酷い感じがしました。

門

本殿にいたる参道

ほとんど前に進まない参道をじわじわと進んで本殿前にようやく辿り着きます(写真7)。去年も書いたかもしれないけどお正月の間は本殿の鈴を鳴らす綱を上にたくし上げていて、鈴を鳴らせないようにしてるんですよね。これははっきり云ってつまらないです。鈴を鳴らしてこそ参拝が完璧になるのに…。
本田の正面に来たらできるだけ本殿に近づいて、今年もまたごちゃごちゃとお願い事を挟み込みながらも無事に参拝を済ませました。

本殿1

ここがお守りとか売ってるところ(写真8)。参拝を済ませた後はいつもここでお守りと御神矢を買います。お守りは用途別にかなりの種類が売られていて、わたしは健康を守ってくれるものを買うんですけど、運気が上がるお守りにも気を引かれたりします。全部引き受けてくれる総合のお守りも出してくれないかなと思うんですけどね。少なくとも八坂神社にそういうお守りはないです。

お守り

わたしが好きな本殿裏の参道です(写真9)。東に進んでいくと円山公園の方に出て行くことになります。夏なんかは木漏れ日が地面に落ちて森の中の神社にいるような風景になる場所でそういうところが結構好きです。ここはなぜか余り人が通っていかない場所のように思えるんですけど、どうしてなのかは分かりません。この日も八坂神社のほかの場所では人でごった返してたのに、この参道は人が歩いていてもこの程度。写真は東の円山公園の方向に向いてるんですが、この参道の左手にはいくつか末社が並んでます。見てみると八坂神社の関係者を祭る神社というのもありました。本殿は初詣でにぎわっていても、ここに並んでる神社を参拝してる人はほとんどいなかったです。

北の参道

北の参道B


末社のなかでは一番人気のあるのがおそらく美御前社だと思うんですが、イチキシマヒメノミコトという美人の神様が祭られていて、文字通り美を司る神社です。周りに立てられた幟も化粧品会社のものばかり。ここは他の末社とは違って参拝する人の行列ができてます。社殿の前には神水が湧き出ていてこれをつけると肌の健康にいいとか(写真10)。祇園は八坂神社の門前町だから、当然のごとく舞妓さんが良く参拝に来るそうです。

美容水

円山公園にいたる道です。この辺りは桜の名所なので春先には華やかな場所になるんですか、今はこんな感じ(写真11)。南側の道(写真12)には屋台が並んでるんですけど、なぜかこちらはあまり並んでません。
それでこれが丸山公園の池です(写真13)よく慣れてる鴨がいてカメラを手にしてるだけで何かもらえるのかと近づいてきました。何ももらえないと分かると明らかに「けちな奴!」と言ってる目つきで去っていきましたけど。

円山公園1

円山公園3


円山公園2

円山公園から南の方に抜けていくと高台寺、ねねの道、二寧坂、産寧坂、清水寺と東山の散策地域に繋がっていきます。
この日は、なにせ八坂神社の初詣だけでは去年のコピーみたいな記事になるかもしれないと思ってたので、こちらの方に足を伸ばしてこの辺りのことも記事にしようと考えてました。それで何枚か写真を撮りながら清水寺の方向に歩き出したんですが、八坂神社の人ごみで結構疲れてきてたのと、デジカメの電池切れ警報が出始めたので、清水へ行くのは途中で断念して戻ってくることに。この辺りのことはまた気が向いたら別の機会にでも記事にします。

東山の散策地域から再び八坂神社付近に戻ってきて、初詣の時のいつものコース、四条高瀬川沿いの不二家に立ち寄りました。
ところが今年は福袋が出てなかったんですよね。店頭にあったのはむき出しのペコちゃん人形で何が新春らしいかと云うと、傍らの犬が虎の被り物をしてるのが新春らしいというだけのセットでした。初詣の締めくくりとしてはかなり残念。不二家の福袋が買いたかったです。

2010年ペコちゃん







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2010年 明けましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます


旧年中はいろいろとお世話になりました。
マイペースの極致のようなブログとなってますが、本年もどうぞよろしくお願いします。
今年が皆さんにとってもいい年でありますように。


☆ ☆ ☆

昨年の元旦には一体何を書いてたのかなと思って記事を確かめてみると、昨年は「どんな面白い映画や音楽に出会えるんだろうと思いを馳せつつ〜」なんていうような文句を挟み込んだ文章を書いてました。
希望は今年もほとんど同じかな♪
今年も去年同様に、面白い映画や本、しゃれた音楽に一杯出会いたいなぁなんて思ってます。
去年の希望に今年は本が増えてるのがポイント!
何年か前に少し目を悪くしてから読書量が激減してしまってるんですが、元々は結構な活字人間なので、今年は読書の量を増やしたいとも思ってます。

昨年は元旦の希望が半ば叶ったのか、それなりにいろいろと見聞きできたものもあったんですが、我がブログ「彗星絵具箱」に目を向けてみれば、せっかく見聞きしたものがあったにもかかわらず、最終的に記事の形に仕上げることができたものはそれほど多くはありませんでした。記事を書き始めてはみたものの筋道を見失ったり言葉が繋がらなくなったり、そういうのが多かったです。これは単純に力量不足の結果だったんですが、今年はその辺を少しでも何とかできたらいいなと思ったりしています。これが今年的な目標になるかも。

みなさんはどんなお正月を過ごしていますか?

わたしは、まぁ毎年のことなんですけど、特に旅行に行ったりすることもなく、家に篭りきってるお正月が多いです。初詣に出かけたり、新春セールが始まった百貨店に出かけたり、あるいは友達と久しぶりに会ったりと、そういうことをするぐらいで、特に活発にあちこち動き回ることもないです。家の中でひたすら寝そべってるようなお正月!今年のお正月もそんなお正月になりそう。

あまり動かずにお正月の料理を食べたりするから、わたしとしてはこの時期は体重の増加が一番気になります。できるだけ増やさないようにしようとしても、コントロールがしにくい時期なのでこれはちょっと要注意。元々すぐに体についてしまうような体質なので、家に篭ってる間に食べ過ぎて、こんなことにならないように気をつけなければと思ってます。


アリス1
(スクエア・エニックスがリリースしたフィギュア
Disney characters FORMATION ARTS 「ALICE in WONDERLAND」全5種の内の一つです。)


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【洋楽】我が耳に残るクリスマスソング

前回の記事も京都駅のクリスマスツリーで終わってることだし、繋がりも良いということで今の季節にぴったりなクリスマスソングの話題です。
去年もちょうど今くらいの時期にクリスマスソングの記事を一つ書いてます。それで今回もまた同じように、クリスマスソングの記事でも書こうかなと思いたちました。
そう思い立ってから今年はどういう曲が良いだろうと曲集めに思いを巡らせ始めたんですが、集め始めて程なくしてから、ちょっと困惑することに直面することになりました。
実は去年記事にしたクリスマスの曲はわたしが今まで耳にした曲の中では一番のお気に入りとそれに近いものばかりを集めていたんですが、この時に後先考えずにわたしにとってのベスト1級のものばかりを集めて記事にしたものだから、今年のこの記事にどんな曲を入れてみようかと思っていろいろ考えてみたら、去年のと重複しないような選択にすると、一番のお気に入りが何一つ入ってないクリスマス・ソング集になりかねないって云うことに気づいたんですよね。クリスマスソングなんてそうそう毎年大量に新曲が出てくるわけでもないから、年毎にお気に入りが変わる可能性もまずないと。
お気に入りの入ってないクリスマスソング集を記事にしても面白くないなぁって思って、それでしばらく考えてました。
結局、お気に入りはお気に入りとしてまた記事に入れてしまうしか方法はないと開き直って、今回の記事にも去年の選曲の一部を組み入れることに決定。一応アレンジ違いのものを選んだものの、去年わたしの記事を読んでくれた人には同じ曲がいくつか並んでしまうことになりました。

どんな曲が良いか選んでいて思ったのは、これもまた去年に同じようなことを書いてるんですけど、「ホワイトクリスマス」だとか「ジングルベル」だとか「サンタが町にやってくる」だとか、ポピュラー的なクリスマスソングよりも、やっぱりどちらかというと賛美歌、あるいは賛美歌のような響きを持ってる曲のほうが好みに合ってるかなということ。だからといって別に教会に足繁く通ってるわけでもないんですけどね。でもなぜかこういう響きに心惹かれるところがあります。


☆ ☆ ☆

☆ El noi de la mare ☆





ということでトップバッターは去年と同じ、去年はセゴビアのギター演奏バージョンをアップした「聖母の御子」です。今回の最初のほうはJean-Felix LalanneとMuriel Andersonのデュエットによる同じくギター演奏。下のほうはこの曲のコーラスバージョンがあったのでアップしてみました。
Jean-Felix LalanneとMuriel Andersonのギターのほうはウディ・アレンの2008年の映画「Vicky Cristina Barcelona(邦題 それでも恋するバルセロナ)」の挿入曲としても使われてます。

スペインのカタロニア地方に伝わる古い歌で一般的にはカタロニアのギタリスト、ミゲル・リョベートがギター演奏用に編曲したカタロニア民謡集の中の一曲として知られてます。そしてこの曲はクリスマスキャロルとして良く歌われる曲の一つでもあります。
素朴なんだけどそのシンプルな旋律が含み持ってる和声の動きがことのほか綺麗な曲という印象で、わたしはこの曲のそういうところが大好き。
コーラスのものは他にもいくつか聴いてみたんですが、後半の下降していく旋律部分はなぜか歌の旋律の中には含まれてないんですよね。どうしてなのか分からないけど、この後半部分の旋律が結構好きなので、それを欠いたコーラスバージョンは若干物足りないところがあります。


一応探せるものはCDの情報も置いておきます。

DuetDuet
(1999/04/06)
Muriel Anderson & Lalanne

商品詳細を見る


それでも恋するバルセロナ オリジナル・サウンドトラックそれでも恋するバルセロナ オリジナル・サウンドトラック
(2009/05/27)
サントラビエル・バレスター・トリオ

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☆ It Came Upon The Midnight Clear ☆



賛美歌114番「あめなる神には」という邦題がついてるクリスマスキャロル。
アメリカ産の賛美歌で1850年に音楽家Richard Storrs Willisの手によって作曲されてます。この曲は一風変わった特徴があって、同じタイトルではあってもイギリスで歌われてるものはメロディが異なってるんですね。アメリカのクリスマスキャロルなんかに負けていられるかというような対抗意識でもあったのか、イギリスのこの曲はイギリス本国にある昔からのクリスマスキャロルを作曲家Arthur S. Sullivanが編曲した旋律に乗せて歌われてます。ちなみにこの人は劇作家William S. Gilbertと組んで数々のオペレッタを世に送り出したことで有名な人。ギルバート・アンド・サリヴァンのサリヴァンさんです。
だからこの曲に関しては同じタイトルだからと聴いてみればぜんぜん違う讃美歌が出てくることがあって、おそらくそれがイギリスバージョンなんでしょうけど、わたしの聴く限りでは曲の出来はアメリカ版のこの旋律のほうが圧倒的に良いです。
去年はイーディ・ゴーメが歌ってるものを取り上げました。イーディ・ゴーメらしい非常に伸びやかでつやのある気持ちのいい声で歌われていて、いつもながらの歌の上手さが際立ってるような仕上がりのものでした。この曲はわたしにとってはイーディ・ゴーメのものがベストという扱いになってます。ちなみに「〜That glorious song of old」の部分のEm→A7→Am7→D7っていう和声の動き(おそらくこれで間違ってないと思うけど)に乗って伸びていくゴーメの歌声がわたしにとってのツボをつかれたちょっとしたポイントだったりします。
今回アップしたのはイーディ・ゴーメのものとは完全に曲調を変えて、マヘリア・ジャクソンのゴスペル・バージョンです。心に直接切り込んでくるように歌われる、こういうソウルフルな形もまた聴き応えがあっていい感じです。
ちなみに1991年の映画「A Midnight Clear 邦題:真夜中の戦場」でかなり印象を違える編曲を施されてこの曲が使われてます。わたしはこれも聴いたことがあるんですけど、編曲者が映画の意図に合わせすぎてるようであまり好きな感じではなかったです。


Christmas with MahaliaChristmas with Mahalia
(1990/07/16)
Mahalia Jackson

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このCDは今のところ入手不可。同タイトルのジャケット違いのものがあるんですが、トラックリストが無かったために同じ内容なのか確認できませんでした。



☆ Christmas Time is Here ☆



「PENUTS」の1965年の初アニメ映画「A CHARLIE BROWN CHRISTMAS (邦題 スヌーピーのメリー・クリスマス)」に出てくる曲です。このアニメが成功したおかげで「PENUTS」はTVシリーズ化されることになって、スヌーピーなどのキャラクターが広く知られるきっかけになったそうです。作曲と演奏をしてるのはジャズ・ピアニストVince Guaraldi。
この子供の歌声を使ったボーカル・バージョンはアニメに使われてたものです。後にスタンダード曲になっていろんなミュージシャンがカバーすることになるんですけど、この子供の奇をてらわない素朴な歌声が何だかこの曲には一番あってるような気がします。
わたしはこの曲を聴くと静かに降り積もる雪の光景を思い浮かべたりします。内省的な雰囲気も少しあるような曲ですが、歌詞の内容は意外にもクリスマスの楽しさ、幸福感について歌ってるんですよね。



A Charlie Brown ChristmasA Charlie Brown Christmas
(2006/10/10)
Vince Guaraldi

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☆ In the Bleak Midwinter ☆



邦題は讃美歌468番 「木枯らしの風 ほえたけり」
先にも書いたようにキリスト教徒でもなんでもないわたしの胸の奥にまで、どうしてこれほど迫ってくるものがあるのかと思うくらいに清廉で美しく、教会という空間で歌われることがこれほどふさわしいものもあまりないのではないかと思わせるような曲。
波乱万丈の展開でこちらの感覚を翻弄するでもなく、どちらかといえば訥々と語りかけるような曲調なんですが、むしろそういうシンプルさを持ち合わせてることが胸に迫るような感情を徐々に引き出してくる要因になってる気がします。
桂冠詩人Christina G. Rossettiが書いた詩に、後になってイギリスを代表する作曲家のひとりGustav Holstが曲を作るという形で成立したイギリスの賛美歌。作曲年は1905年というから、現代の賛美歌という扱いになるんでしょうね。
ちなみにこのGustav Holstはあの「惑星」の作曲家のホルストでもあります。「惑星」のなかの一曲「木星」を何年か前に平原綾香が歌にしてました。これも優れて美しい旋律を持った曲でした。

こういう旋律をもってる曲だからなのか、他にもクロスオーバー系の歌手、サラ・ブライトマン、とかケルティっク・ウーマンとか、IL DIVOとか、けっこう大勢のミュージシャンが取り上げたりしてるようです。わたしはシセルが客演して歌ったアルバム「Spirit of the Season」に入っていたバージョンも結構お気に入り。ただアルバム自体はクリスマスアルバムではあるんですけどかなり宗教よりの感じで、単なるクリスマスソング集として聴こうとすると結構違和感があるものでした。良かったのはこれと「Lux Aurumque」くらいかな。

この曲は映画のほうでは1995年の映画「 In the Bleak Midwinter (邦題 世にも憂鬱なハムレットたち)」というのに使われたことがあります。映画のタイトルは曲のタイトルそのままですね。


Gloucester Cathedral Choir(グロスター大聖堂聖歌隊)の「Christmas Carols」というCDが以前にリリースされてましたが、現在は入手不可。



☆ All I want for Christmas is you ☆



趣向を変えてボッサ・アレンジのクリスマスソング。曲はマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」のカバーです。
2006年ごろに発売された「Christmas In Bossa」というコンピレーションCDに収録されてました。リオのレーベル「ALBATROZ MUSIC」から「〜 In Bossa」って云うタイトルの、ジャンルを決めてそのジャンルの曲を全部ボサノヴァにしてしまうCDがいくつかリリースされていて、これはその中の1枚。
全曲本場ブラジルのミュージシャンが演奏していて、この曲を歌ってるのはマルセラ・マンガベイラ (Marcela Mangabeira)という人。実はこの歌手のことはわたしは良く知りません。どうやらボサノヴァの創世期に重要な役割を果たし、のちにプロデューサーになったロベルト・メネスカル(Roberto Menescal)の娘らしいって云うことくらい。アルバトロスというレーベルがメネスカルのレーベルだから、マンガベイラはこのレーベルの歌姫的な扱いのようです。


クリスマス・イン・ボッサクリスマス・イン・ボッサ
(2006/11/15)
オムニバスセシリア・デイル

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☆ White Christmas ☆



もう一曲ボッサ・アレンジのクリスマスソング、こちらは歌ってるのは小野リサです。
曲のほうはもう誰もが知ってるクリスマスの代表的な曲ですね。
一応補足的に書いておくと、ジョージ・ガーシュイン(George Gershwin)にアメリカのシューベルトと云わしめた作曲家アーヴィング・バーリン(Irving Berlin)の作。
曲の初出は1942年公開の映画「スイング・ホテル」で、ビング・クロスビーが歌ったもの。これが大ヒットしてのちにクリスマスソングのスタンダードになっていくわけです。1954年に「ホワイトクリスマス」っていうそのままのタイトルで映画はリメイクされて、この映画の主題歌としても使われました。
アーヴィング・バーリンといえばアメリカのポピュラーソングの創始者のような人です。「God Bless America」の作者でもあるから、アメリカ人でこの人を知らない人はいないんじゃないかと思います。アーヴィング・バーリンの曲だとわたしは「All Alone」なんかが好きかな。セロニアス・モンクが「セロニアス・ヒムセルフ」で弾いてたリリカルなソロ・ピアノ版を良く聴いてました。

マンガベイラの曲もこちらも冬の曲なのにボッサ・アレンジはほとんど違和感が無いです。むしろ冬のイメージの曲に南の国の温かい風が吹き込んで、気候的にちょうど良くなってるような感じさえします。
暖かくした部屋でリラックスして過ごすクリスマスって云うイメージになるのかな。ゆったりと流れる時間に耳をゆだねるのは、なかなか心地良いです。小野リサは声質もハートウォームな印象で、こういうアレンジには良く合ってると思います。


BOAS FESTASBOAS FESTAS
(2000/11/16)
小野リサ

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小野リサのクリスマス・アルバム。現在はamazonでは入手不可。
同じ内容のCDは別ジャケットで再販されていてそちらで利用できるんですけど、再販されたのはただの白っぽいだけのジャケットでつまらないです。



☆  Lux Aurumque ☆



去年のクリスマスソングのなかに、現代音楽の作曲家パトリック・ホーズ(Patrick Hawes)の「Quanta Qualia」って云う曲を入れておいたんですが、今回も同じような枠組みで一曲入れておきます。

エリック・ウィテカー(Eric Whitacre)作曲の合唱曲「Lux Aurumque」。

原題はラテン語で「黄金の光(Light of Gold)」という意味だそうです。「In the Bleak Midwinter」のことを書いてる中にシセルの客演アルバムで良かったとあげたもう一つの曲がこれです。
エリック・ウィテカーは70年の生まれというからまさに同時代をともに生きてる作曲家と云えるでしょう。現在は主に吹奏楽と合唱曲の作曲家として名前を知られています。
現代音楽の作曲家だしラテン語のタイトルがついた曲なんていうのもあるところから、若干面倒くさそうな印象も持つんですけど、ウィテカーは元々ロック好きだったらしくて、現代音楽的な範疇に入りそうにも無い「ラスベガスを喰い尽くすゴジラ (Godzilla Eats Las Vegas!)」っていうような妙なタイトルの曲も書いてます。

この曲の全体の印象は静謐でただひたすら美しい祈りの音楽といったようなものだと思いますけど、わたしがこの曲を聴いた時にさらに思ったのはそういう美しさと同時に、随分と音響的な作り方をしてる合唱曲だなということでした。時間に沿って展開していく旋律というような通時的な要素と同じくらい、その場で同時に鳴り響いてる音の層といった共時的な要素のほうをかなり重点的に考えて作られてるとでもいうか。こういう部分が凄く面白いものとして印象に残りました。最後のほうで途切れ途切れに音の塊が現れては消えていくようなところ。この辺は聴いていて、かっこいいなぁなんて思ったりしました。
共時的な音作りという点では、この曲がどれだけの声部パートに分けられてるかは詳しくは知らないんですけど、大体ウィテカーの作る合唱曲は構造がきわめて細かく分割されていて、多い時では16声部くらいにもなる曲もあるらしいです。隣接した音を細かく重ねるトーン・クラスター(ある音からもう一つ別の音の間にあるすべての音を同時に鳴らすこと)技法を使って、そういう時の響きは斬新というかかなり異様な印象を与えてくるようになります。

トーン・クラスターを使った緊張感のある音と多層にわたるパートが作る飽和状態になったような音空間、こういうのが美しい祈りの音楽と撚り合わされてウィテカーのかなり特異な音楽が姿を現すことになるんだと思いますが、こういう音楽って、その充満する音の海に聴感覚をゆだねてしまえば簡単にトリップできそうな感じがしますね。あるいはウィテカーの音楽を聴くことでトリップ感覚の擬似的な体験に近いようなものを感じ取れるっていうか。
もしも60年代後半にこの音楽が存在してたなら、キューブリックは確実に「2001年」で使ってたんじゃないかっていうことも思ったりしました。宇宙空間の絶対的な孤独とか、ボーマン船長が潜り抜けていくスターゲイトコリドーのシーンとかものすごく親和性がありそうです。


Eric Whitacre: The Complete A Cappella Works, 1991-2001Eric Whitacre: The Complete A Cappella Works, 1991-2001
(2003/04/29)
不明

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わたしが聴いてるのはこのアルバムなんですけど、amazonではどうやらこれも廃盤のようです。
マーケットプレイスのほうで出てるのは、2009年のこの時期、かなりのプレミアがついてますね。



☆ Auld Lang Syne ☆



この曲はたまにクリスマスソング集に入ってるのをみかけるものの、ほとんどクリスマスソングって云う印象はないです。
どちらかといえば聴いてしまうとクリスマスどころか一気に年末まで時間が飛んでしまうような曲です。でもYoutubeを漁っていてシセルが歌ってるのを見つけたものだから、クリスマスソングを探すという目的をそっちのけにして聴きほれてしまいました。その結実として、まぁわたしが好きな曲というだけの理由でここに入れてみたわけです。あえて日本語の題名は出しませんけど、赤ん坊、幼児を除いておそらく日本中の人が必ず耳にした事のある曲のはずです。
元々はスコットランドの古い歌、内容は古い友達と再会して、過ぎ去った懐かしい日々にともに乾杯するっていうような内容だったと思います。ここでは2番以降、シセルはおそらく母国のノルウェー語?だと思うんですが、自分の存在根拠を託してる言葉で歌ってます。そういう言葉で歌うのがふさわしい曲でもあります。

ということで、最後は年末に飛んでいってしまいましたが、2009年のクリスマス・ソング集でした。楽しめました?

では、メリー・クリスマス!です。



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【京都】 錦小路の最奥でマジカルなカレーうどんを食べる〜駅から始まるクリスマス

以前に食べ物の記事を書いたのが約1年前。その時の記事が何についてだったかというと、高瀬川沿いにあるSALVATORE CUOMOっていうピザ屋のランチパスタでした。今回はうどんということで、意図したわけでもないんですけど何だか麺繋がりという感じの配置になってます。
さてその麺繋がりのうどんなんですが、今回取り上げてるのはタイトルにあるようにカレーうどんです。

先日、錦小路の近くに行った時に、京風うどんの店、冨美家に立ち寄って、昔からここのメニューでは極端にツボに嵌って、お気に入りだったカレーうどんを食べてきました。このカレーうどんは高級な料理でも何でもないんですけど、わたしにとってはとにかく他のものとはまるで別格のものという存在になってます。
暑い間は食べる気がしなかったので、気がつけばこのカレーうどんは春ころに食べたっきり。錦に来てそういうことに思い至ったら何だか無性に食べたくなってきて、店の入り口を潜ることになりました。
京風うどんの店冨美家は錦小路の西端の辺りにあります。

☆ ☆ ☆

錦小路といえば、京都に住んでる人にはおなじみの、京都の台所といわれてるような地域、というか「小路」というのでも分かるように「通り」です。食べ物屋が、この場合は出来上がった料理を提供するのではなくて料理の材料を扱う、魚屋だとか八百屋だとか漬物屋だとかなんですが、そういう店が錦小路の両側に軒を連ねて延々と続いて、この通り全体が一種の市場という感じの空間を作り上げています。
場所的には京都市のほぼ中央。京都は全域というわけではないですけど、中心部は碁盤の目状に通りが配置されていて、錦小路は縦横で云うと横の通り、東西に伸びてる通りの一つです。

錦小路地図

東の端は縦に走る新京極通りに行き当たって終点。ここには錦天満宮という神社があります。反対の西端は壬生川通り辺りまでとかなり長い通りなんですが、所謂「錦」と云った時のこの京都の台所といわれる一角は新京極から始まって大丸の東側の通り、高倉通りと出会うところまでを指しています。高倉通りと交差した後も通りはさらに西に延びてるんですが、そこはもう普通に住宅地にあるような通りに変化してしまってます。

☆ ☆ ☆

何枚か写真を撮ってきたので、載せてみますね。
新京極の一筋西側、同じく縦の通りである寺町通りと交差するところから東に向いた時に見える光景です。突き当たりに錦天満宮の提灯が見えてます、手前の鳥居は実はわけありで…。

錦天満宮1

この鳥居の両端は鳥居が建った後に両側の建物が建てられた性で、建物の中にめり込むように入り込んでしまってます。
錦天満宮2


錦小路の東端に位置する錦天満宮。
錦天満宮3

非常にこじんまりとした神社です。足を踏み入れてみるとまるで他人の家の大き目の庭先に入り込んでいくみたいな感じ。祭神は菅原道真で、学問の神様だからここは学業成就をお願いしに行くところなんですが、場所柄なのか商売繁盛なんかも受け持ってくれてます。
名前から錦小路がこの天満宮の門前として栄えてきたかのような印象を受けるかもしれないけど、実際は他の場所にあった神社をここに移転して、錦というもとからあった土地の名前にちなんで錦天満宮と呼ぶようになったということらしいです。
本堂の左横には末社として稲荷神社などが並んでます。
表の通りが土産物屋が多く並んでる新京極なので、修学旅行生なんかがよく歩いてるんですが、この神社に入ってくる修学旅行生はあまり多くないような印象です。
外国の観光客のほうがよく入ってくる感じなのかもしれません。

正面に提灯が並んでるので明かりがついてるほうが見栄えがいいかなと思って、後日夕方にもう一度写真を撮りに行ったのも載せておきます。

意識天満宮4

錦天満宮5


この時観光で来てた外国の人が絵馬を買って、どうやらそれをお土産だと思ったらしくて持って帰ろうとするのを、ガイドさんらしい人が、それは願い事を書いてここに納めておくものだと説明して思い留まらせてました。せっかく買ったのにここに置いて帰らなければならないなんて、かなり理不尽に思ったでしょうね。

☆ ☆ ☆

寺町通りとの交差地点に立って西に向けば、こういう光景が目に入ります。ここからが所謂錦小路の始まり。通りの両脇は靴屋とアーバン・リサーチっていうファッション・ブランドの店なんですが、これは寺町通りを歩く客を対象にしていて、この向こうから市場的な店が並び始めます。

錦小路1

錦を歩いていてすぐに気づくのはこの一帯に漂ってる独特の匂いかも。
つい鼻先の距離しか離れてないのに寺町だとか新京極の繁華街では出会わない匂いなんですね。魚屋、果物屋、それと京都だからか知らないけど結構数多く店がある漬物屋、こういった店の匂いと、店頭で焼いたり蒸したりしてる食材の匂いが重層的に重なったもので、活気のある生活の場所って云う雰囲気が感じ取れるような匂いでもあります。
錦小路2

わたしがこの日カレーうどんを食べに行ったのは平日のランチタイムだったので、人通りはこの程度だったんですが、夕方の5時頃に行くとかなりの人出になってます。日常の買い物をしてる人に混じって外国の観光客もかなり多くやってきてます。
主に生鮮食品を中心にして食材に関しては本当にいろんな店があります。全部で120軒くらいあるそうで、色々なものが見られるから観光客が見物に来るのも分かるくらい。
さっと見た感じでは魚、乾物が多いという印象でしょうか。

錦小路3

錦小路4

錦小路5

実はわたしには、ここは昔から高級食材を扱ってる専門店が集まってるようなイメージがあって、場所的にもそれほど近くに住んでるわけでもないので、錦で日常的な買い物というのはあまりしたことはないです。お正月とかちょっと特別のものを用意したりする必要がある時くらいかな、買い物目的でここに来るの。
だからたまに来て観光客に混じって歩いてると、ちょっとした旅行客のような気分も味わえたりします。

☆ ☆ ☆

とまぁ寺町、新京極側から入って、いろんな食材を品定めしたり、試食を用意してる店も結構多いので、つまんで味見したりしながら散策してるうちに、京風うどんの店、富美家に辿り着きます。
富美屋1

富美家は錦の市場の中にあるって云うのもそうなんですけど、近くに大丸もあるので、そういうところで買い物した後にここに立ち寄って何か食べて帰るという人が多いような気がします。
また表にはテイクアウト用のうどんが各種並んでいて、持って帰って自宅でも食べることも出来ます。冨美家のうどんはこのテイクアウトの品がデパートの地下食品売り場なんかにも並べられていて、錦のこの店が本店なんですけど、わざわざここまで来なくても結構いろんなところで手に入るようになってるんですね。手軽に買って帰って食卓に出せるようになってる。だからおそらく京都の人は大半がここのうどんの味を知ってると思います。京都の人で晩御飯に自宅で富美家のうどんを食べて、手抜きといえば手抜き料理の典型なんですけど、ある種家庭の味のようなものに近い感触として、ここのうどんの味に馴染んでる人はかなり多いかもしれません。

富美屋2

実は京都以外の地域でも思いのほか名が通ってるらしいうどんの店です。でもそういう店なのに店内は本当にどこにでもあるような大衆的なうどん屋という雰囲気。全く飾り気がないうえに空間的にも狭くてはっきり云って貧相という方が相応しい感じでしょうか。
本当のところを云うともうちょっと飾り気があったほうが、食事って周りの雰囲気も味のうちだから、良いように思うんですけど、とにかく高級感を演出する気はまるで無さそうです。まぁこういう店構えの方が気取らずに入りやすいといえば入りやすいんですけどね。ただ店の雰囲気があまりにも外側に向けてアピールしてないので、ひょっとしたら近所の人しか食べに来てないんじゃないかって思ったりすると、ちょっと入りにくい雰囲気もあるかもしれません。

それで、これがお品書き。うどんの種類よりもそのコストパフォーマンスの良さのほうが目につきそう。
お品書き

目的のカレーうどんを注文して、目の前にやってきたのがこれ。
カレーうどん

撮ってみて分かったんですけど、食べ物の写真を撮るって難しいですね。デジカメで撮ってるだけだから元から大層な写真は撮れないにしても、もうちょっと美味しそうに撮れないものかと。熱々だったのにそういう感じもあまりしてない…。
右上にちょっとだけ見えてるのはご飯の入ったお櫃で、お品書きの左端に書いてあるので分かるように、カレーうどんとは別に御飯の小を頼んでます。うどんを食べ終わったあとに、これを放り込んで食べるのがまた楽しい。おそらくお品書きにこれだけ付け足したみたいに唐突に載せてあるのはこういうことをするためじゃないかと思います。美味しいという実利の上にこの行為は楽しいとしか云い様がない感覚を伴ってます。
うどんに御飯って、炭水化物祭りで栄養的には最低の組み合わせなんですが、たまには快楽に溺れるだけの食べ方もまた良いんじゃないかと。ちなみにこの御飯、小なんですけど結構量があります。普段ならうどんと合わせてわたしの食べる量としては多すぎておそらく食べきれないと思うものの、カレーが入ることでなぜか残さずに食べ終えてしまいます。

☆ ☆ ☆

写真でも分かるとおり、入ってる具は極めてシンプルです。形のあるものとして入ってるのは牛バラ肉だけで、あとは九条ねぎを盛り上げて完結。他のカレーうどんだったらもうちょっとカレー的な具材かあるいは油揚げのようなうどん方面の具材が入ってるように思うんですけど、ここのカレーうどんにはそういうものは一切入ってないです。
うどんは京風というので柔らかめの食感。汁は、これも写真を見ただけで分かるように、さらさらというわけではないものの、あんかけのようなとろみはほとんどついてないような感じになってます。箸でうどんを持ち上げる時に汁の抵抗感がほとんどないくらいの僅かなとろみ具合とでも云うのか。本気でカレーっぽいものがかけてあってうどんと一緒に大量の汁も持ち上がってくるようなのを想像してると、結構意表をつかれるかもしれません。

京風の柔らかめのうどんっていうことなんですけど、実はわたしは柔らかいうどんっていうのはあまり好みじゃないんですよね。うどんはどちらかというと讃岐うどんのような腰のあるものの方が良いです。だからこの富美家のカレーうどんが大好きっていうのも、わたしにとってはうどんそのものが気に入ってるって云うのじゃなくて、ポイントはあくまでも汁のほうにあります。
カレーではあっても、うどんというならばあくまでもうどんの延長で成り立つ食べ物なので、この場合もうどんの流儀に従って出汁を使ってカレーを作ってます。そして富美家のはこの出汁がとにかくよく出来ていて美味しい。
利尻昆布に鰹、鯖などを加えて、酒所伏見の水で作った出汁だそうで、味は少し甘めに傾いてるような仕上がり。甘めの出汁だからといってカレーうどんが甘口のカレーになってるかというとこれがまた全然正反対の結構スパイシーで辛めの味に整えてあります。だからといって甘辛カレーなんていう妙なものにもならずに、出汁が利いてスパイシーっていうアンビバレンツなバランスを両方の美味しさが引き立つような微妙なポイントを見極めて、しかもさらさらに近い汁のとろみ具合からでも推測できるようにあくまでもうどんとして成立させようとしてる味といえそうなんですが、そういう味の整え方はここのカレーうどんでしか味わえない独自のものじゃないかと思います。本当に、美味しいですよ。

同じグレードの他のカレーうどんなら、富美家のカレーうどんを食べた後ではおそらく何か一味足りないと思ってしまうはず。一方高級料理のカレーうどんでは、たとえば手打ちうどんって云うのが出てきた時点でも富美家のは機械製麺だからもう既にグレード的には負けてるんですが、富美家体験のあとでは美味しくてもそれはおそらく方向性が違うと思うようになってるはずです。

カレーうどんがやってくる間、店内に貼ってある色紙なんかを眺めてたら、その合間に貼ってあった紙には富美家の出汁がiTQi(国際味覚及び品質審査機関だそうです)の2009年度のSuperior Taste Awardsで二つ星を受賞したと書いてありました。
カレーうどん以外だと富美家のうどんではわたしはしっぽくとかしのだ(きつね)うどんが好きなんですけど、こういううどんを選ぶとこの二つ星の出汁の美味しさを十分に堪能できると思います。特にしっぽくは三つ葉の香りがうどんの出汁の香りに独特の風味を添えていて良い感じです。

☆ ☆ ☆

富美家のうどんでのわたしの好みはこういったものなんですが、一般的には「富美家なべ」が代表的なうどんのように扱われています。でもこれは京都で富美家のうどんを食べなれてないとちょっと危険というか。
値段から云っても豪華なものが入ってるわけではないのは丸分かりで、実際海老天なんかやせ細った海老に何十倍もあるような衣が着せてあるものだし、他に入ってる具材もそれほど特徴のあるものでもないです。手打ちでもない京風柔らか麺も人によってはかなり好みに左右されそうな感じがします。京都は高級料亭ばかりって云うような外人並みの妙な先入観でもあったなら、始めて富美家なべを食べた時に京都で有名な店のうどんがこれ???って言うことになる可能性はかなりありそうです。
ところが京都の人で昔から富美家なべを食べてるような人はちょっと違うんですよね。
たとえるなら映画なんかでよく出てくる時限爆弾で赤と青の二本のコードが残って、どちらかを切れば爆弾を解除できるんだけど、間違った方を切ってしまうと爆発してしまうっていうようなもの。
富美家の富美家なべは正しくこういうもので、食べなれてる京都の人は血の記憶の中に富美家なべとはこういうものという認識が確固としてあるから、一口食べるだけで無条件で正解のほうのコードを切ってしまえるんですが、初めて体験したら口に入れた瞬間、まず間違いなく爆発に通じる間違ったコードの方が切れてしまうはずで、おそらく唯のジャンク・フードの類にしか感じられないかもしれません。
富美家なべって京都の人にとってはある種、魂の奥底に直結してるような存在、京都人の遺伝子に深く組み込まれた存在じゃないかと思います。小さい時から何かの折に食べ続けていて、なべの記憶が血肉化してます。

☆ ☆ ☆

先にも書いたように富美家のうどんはデパ地下とかでテイクアウトできる形で売ってます。
これは後日伊勢丹の食品売り場でスナップしたもので、こんな感じで手軽に家庭で食べられるようになってます。

テイクアウト

カレーうどんのお持ち帰りの内容はうどんと出汁一式、それと具として極薄だけど結構大きい牛バラ肉とねぎが入ってます。わたしは家でこれを作る時は、九条ねぎを結構長めに切ったものを一緒に入れて煮立てます。入ってるねぎだけだとちょっと物足りないです。

それと、総本店での食堂の営業時間はランチタイムのみです。たしか午後4時ごろにはもう営業終了してたような。もし好奇心で食べに行く気になったら、この時間は注意してくださいね。

☆ ☆ ☆

これも必要かもと思いついてテイクアウトのカレーうどんの写真を撮りに伊勢丹に立ち寄った時に目にしたんですが、京都駅に今年の巨大クリスマスツリーが早くも登場してました。毎年この時期になると、京都駅のこの場所にこういう巨大ツリーが建てられます。場所的には京都駅の西端、伊勢丹エリアへと変化していく部分で正面に大階段がある場所です。この場所は平成ガメラ「3」でイリスと前田愛が対面した場所でもあります。
京都駅のクリスマス4


京都駅のクリスマス1

観光客なのか買い物に来た人なのか、いろんな人が立ち止まってはツリーを見上げて写真を撮るので、駅構内の通路には人の流れを促すべく警察官が何人か立ってました。
この日はツリーのもとでエレクトーンのコンサートをやってました。ツリーとステージになった場所は先に書いたように大階段に面してるので、こういう時は大階段が大規模な観覧席に変貌します。

京都駅のクリスマス2

京都駅のクリスマス3

子供たちが次々と登場してエレクトーンの腕前を披露してました。みんな物怖じしないというか、それともエレクトーンに集中してあまり客席側を見てないようだったから、客側を見てしまったらあがってしまうっていうこともあったのかな。
屋外でちょっと寒かったんですが、しばらくエレクトーンの演奏を楽しんできました。
でも早いですよね。もうクリスマスツリーが出現する時期になってしまったんだなって、ちょっと感慨深かったです。


最後まで読んでくださってありがとう御座いました。

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他にも京都のこととか、いろいろあるんですけど、まぁその辺りは追々と。

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でもわたしが不快と判断したコメは問答無用で虚空の彼方に投げ捨てますので。

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