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知覚の地図Ⅺ 抜殻を拾う夢、饒舌な線路。

缶





壊れ傘





饒舌な線路

使ったのは富士フィルムのコンパクトカメラ、ティアラ。XA2同様のカプセルカメラなんだけど、こっちは同コンセプトに対する富士フィルムのデザイン的な回答といった感じで、向こうが石鹸箱ならこっちはアルミのお弁当箱と、様相を全く違えた結果を出してきているのがなんだか楽しい。そしてどちらも今見ても確実に新鮮、全然古びていない。
カプセルカメラ
とにかく気を許してしまうとストロボがやたらと自動的に光ってしまうのが少々鬱陶しいんだけど、今回はもう光ろうがどうしようがまったく気にしないでいちいちオフにしないまま一本撮っていた。
なんでも撮れる、躊躇いを追い越す速度を持ったカメラだというのは、前回もちょっと書いたことだ。被写体に意味など求めず、世界の色と形のすべてを収める勢いをもってシャッターを切りたいと思う情動を、こういうカメラは加速させていく。でもそうはいっても視界に入るものすべてを切り取っているわけじゃ当然なくて、視界に入ったにもかかわらずシャッターを切らなかったものも当たり前のように存在している。それは高々フィルム一本37枚なんて云う微々たる量では事の最初からまるで相手にされないほど、比較するのもばからしいくらい圧倒的に多かったりする。こうなると何を撮ったのかということよりも、何を撮らなかったのかというほうが関心を呼び起こす。フレームで切り取り、そこはそのフレームの外にある世界とは異なった特別の空間だと特権化することで図らずも意味は付加され、そのことで世界はわたしの目の前から流れ落ち、撮られなかった写真のうちに顕現していく。なぜ撮ったのかは判るんだ。ではなぜシャッターを切らなかったのか。すべてが対象と思いつつ、無意識的に、何を、なぜ撮らなかったのかというのは疑問自体が宙吊りにされて霧散していく。

有栖川 蚕ノ社 帷子ノ辻 鳴滝 と、これは何かというと嵐電、京福嵐山線に連なる駅の名前だったりして、この地霊蠢き満ち溢れるような名前の見事なこと、厨二病路線とでも云われそうな、もうそれぞれの駅がそれぞれの異界へと直行してるに違いない名前であって、嵐山まで電車に乗るだけで異界巡りでもできそうな勢いでもある。JRや京阪や地下鉄の駅にある「六地蔵」、わたしはこの六地蔵の近くにあるMOMOテラスという、ユニクロとGUと3CoinsとJinsが入ってるショッピングモールに行くので馴染みの駅なんだけど、この「六地蔵」という異界への穴が開いてるに違いない名前も、嵐電の華麗な地霊ラインナップには完全に負けてしまう。どうせ嵐山へ行くなら、四条大宮始発の駅から路面電車の風情を残して民家の合間を走り抜ける嵐電に乗って異界巡りしてみるのも一興かと思う。
と、柄にもなく思いついて京都の観光案内。他にも「天使突抜」だとか「悪王子」だとか「血洗町」だとか、単に事物との間の記号関係を逸脱しているような地名が結構あって、京都の地名マップはなかなか面白い。

レジ袋の無料配布の廃止、有料化の義務づけなんて云う愚劣な政策が始まってしばらくたったけど、売る側、利用する側、袋の製造にかかわってる側の困惑、不便、負担に見合うほどの効果といったものが本当にあるんだろうか。わたしの場合はこの袋、ゴミの小分けに使ってるから手元にないと単純に不便。レジで買うこともできるんだけど、今まで無料だったものを、無料で渡してくれていたレジでお金を払って買うのも癪に障るので、わざわざレジ以外の100均で売っているのを買ったり、廃止になる前にレジでもらったのをストックしておいたのを使ってる。こういうのは自分だけかと思ってたら、ほとんどの人がレジ袋を有効に使う術を知っていて、それを活用しにくくなってるようだった。みんな困ってるということだ。わたしみたいにお金を払って別のところから手に入れるようなことをしてるなら、消費されるレジ袋の総数は廃止になる前とはあまり変わらないんじゃないか。有料で売るという選択肢が堂々と提示されてるところからも、義務化自体にそもそもレジ袋を真剣に減らそうという意思はあまりなさそうにもみえる。
たとえ減らす気があったにしても、なによりもこの制度、有料にすれば使う人が減るんじゃないかとみなしているのが、所詮わたしたち生活者はけち臭い貧乏人と見下してるのが透けて見えるようで腹立たしい。代替案のエコバッグは邪魔になるし、使いようによっては不衛生。ちっとも便利じゃないのでできる限り使いたくない。そうなるとむしろ買ったものを持って帰ることの面倒さを考えて買い物を控える場合が増えていきそうな気もする。となるとレジ袋が減る勢いを超えて消費量が減るぞ。
食品はまだイメージ的に見慣れていきそうな感じはする。でも衣料品なんか、さすがにブランド物はそんなことはしてないとは思うけど、商品そのままで手渡されるのはかなり異様な感じがする。本当に誰が得してるんだ、こんな制度。
エコというイデオロギーに盲従して、そこから受ける生活者への影響なんかまるで歯牙にもかけていない、こういう態度は左翼独特のものだと思っていた。これを始めた自民党も極左に偏ったようなほかの政党に比べるとなんだか保守のように見えているというだけで、本質部分は生温い左翼政党なのかもしれないなんて思ったりもする。


ムーミン展フライヤー1
七月に入ってから大阪のあべのハルカスでムーミンの原画展が始まった。アニメのムーミンは熱心な視聴者でもなかった、というかほとんど関心がなかったんだけど、絵柄とか原画の雰囲気はすごい好きで、最近だと去年ユニクロで出たリトルミイの絵柄のTシャツなんかも買ったことがある。わたしは病気のせいで電車のような閉鎖空間に長時間閉じ込められるのが恐怖になってるから、とてもじゃないけど大阪まで行ける自信がない。でも展覧会の内容は知りたかったので、図録をネットで注文して手に入れることにした。
ムーミン展図録
ムーミンは本のほうは講談社文庫で出てるんだけど、これの限定版カバーバージョンっていうのがあって、このカバーのデザインが本当に洒落ていて良い。以前このカバー装丁のものを見かけた時、そのあまりのお洒落さに一目惚れして一冊買ったことがあった。そのうち全九冊揃えてやろうと思ったもののそのままになっていた。今回展覧会のことを知ってこの新装版カバーのことを思い出し調べてみたら、このカバーで出ているのは新装だっただけじゃなく期間限定でもあったらしくて、そう知るともうこれはいつまでも放置しておくわけにはいかずに、手に入るうちに全巻揃えてしまおうと、結局ボックス入りのセットがあるのを見つけて、これも買ってしまった。おまけにボックス入りのを読むのも傷みそうな気がして、実際に多少痛むのも気にしないで読む目的で、ボックスとは別にまた買いそろえたりしてる。我ながら無駄使いだと思ってる。
ムーミン限定カバー
ムーミン限定ボックス



Dancing On The Ceiling · Erroll Garner

エロール・ガーナーのこの演奏で初めて知って好きになった曲。同名の曲が他にもあって、検索するとやたらとライオネル・リッチーが出てきて邪魔をする曲でもあるんだけど、こっちは古いスタンダード曲だ。陽気な中にもどこか愁いをおびた部分があって、その愛らしいメランコリーの質感が自分の感覚にフィットする。でもガーナーのこの演奏以外でもこの曲を聴いたことはあるんだけど、これ以上にいいと思った演奏はない。この曲からこの陽気で愛らしいメランコリーっていうのを引き出しているのはエロール・ガーナーの才覚なんだろうなぁって思う。

Indivisibili · Alessandro Pinnelli,Fabrizio Cesare

どこかで聴いたことがあるでしょ。
一連の曲の中ではこれが一番好きで、一巡するのに大体2時間くらいかかるらしいから、毎回大体一回程度しか聴けない。それでも好きなものだから、周囲の喧騒をかき分けるように聴いているうちにいつしかメロディも覚えてしまって、でもメロディを覚えてしまうくらい聴いていても、これだけでは曲の正体にはたどり着けず、いったい誰のなんて云う曲なんだろうとずっと疑問だった。最近偶然のきっかけで正体はこれと分かったので、本気で霧が晴れたような気分。すっとした。場所がらイタリアもの、モダンなカンツォーネだろうというくらいは予想出来て、それはそれなりに当たっていたというところだけど、真相に迫れるのはそのくらいまでだった。
とまぁちょっとぼかした書き方をしてみたけど、もう一度、これどこかで聴いたことがあるでしょ。

ちなみにYoutubeのもとのページに行くと、コメント欄で答えを書いてる人がいる。




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知覚の地図Ⅹ 世界が終る時、聞こえてくる金切り声

壁上のラインダンス





途上





塔





レール01






ランプとヘレンケラー

ムシムシして本当にこれからの数か月の季節は苦手。夏服の解放感は好きだし、どちらかというと裸族に属するようなタイプの性癖の持ち主なんだけど、とにかく汗っかきで、それが体力を消耗して気力がそがれ続ける。その体力消耗戦がすでに始まってる。
一日出歩くと色の濃いシャツなんかを着ているとたすき掛けしたバッグのストラップの下になった辺りが汗で色が変わってる。乾いてくると塩気が白い跡として残っていたりする。特に今年はマスクなんかしてるから余計にきつい。コロナのせいで、いつもの夏なら冷房がきいてる駅の待合室も、窓を開けて換気してる。

撮り終えて放置していたモノクロフィルム二本を先日現像に出してくる。久しぶりに訪れたフォトハウスKはコロナ自粛の後でも何食わぬ顔で店を開いていて一安心。小さい店内に大して売るほどのものも置いてなく、表のコンパクトなショーウィンドウには古いフィルムカメラがいくつか並べてあるにしても、客だからあまり言いたくもないけど相場よりも高い値付けで回転率がどうのこうのというほどに売れてるようにも見えない。客がいるとすれば店内でデジカメからプリントしてるらしい客がちらほら見えるだけ、昔の「ムツミ」という店名から名前を変えつつ今も続けている古い写真屋さんだから現像を頼みに来る馴染みの人は昔からいるにしても、いったい何で売り上げを確保してるんだろうと他人事ながら謎の店だったりする。自粛の後もそんなことなどなかったかのようにまるで平気な顔で店を開いている様子を見ると、ここは何が起きようとも絶対に潰れないんじゃないかとさえ思えてくる。
現像を頼んだうちの一本は不覚にも途中でカメラを落として裏蓋が開いてしまった云うなら事故フィルム、もう一本はその後カメラが壊れていないか確かめるために落としたカメラにさらにフィルムを詰め込んで写してみたものだった。カメラは電池の残量を示すビープ音が鳴らなくなってしまったのが目に見えておかしくなった部分だったけど、それ以外は落とした後もまるで変りなく操作できていた。現像の結果は意外と被害は軽微で、蓋が開いてしまったほうも37枚撮りのうち30枚は救出でき、その後のカメラの調子を見るために撮ったほうはまるで問題なく37枚全部破綻もなく撮れていた。事故フィルムのほうはふたを閉めてから再度残りを撮る前に念のために数コマを空送りしてるから、その分を差し引くと光が入った影響は思ったどにはなかったといえるのかもしれない。現像する前は10枚も無事ならいいほうだと思ってた。
使ったカメラはオリンパスの昔のフィルムコンパクトカメラ、XA2だ。石鹸箱のように小さく、しかも頑丈で、ゾーンフォーカスだからピントのことなどほとんど考えることなく撮れるお手軽カメラ。しかも見た目は昔のカメラとは思えないほどモダンで今でも十分に通じるデザインだと思う。昔のモダンというと今見るとどこか懐かしい未来、レトロフューチャーっぽい印象になりがちなところなんだけど、そういうところもほとんどない結構すごいデザインのカメラだったと思う。掌に包み込んで歩いているとなんだか凄腕の道具を隠し持ってるようで、感覚は新鮮な何かへと変貌するように高揚してくる。
軽快なカメラを持って出歩いていると、風で木の葉が揺らいだとか、窓に反射する光がまぶしいとか、あるいは食べかけのパスタに刺したフォークだとか、炎天下で屹立する所在無げな街路灯とか、なんでもいいけどそういう日常で普通に目にした、まるで際立たないものを片っ端から撮っていくような撮り方も容易になる。構図がどうしたとかあれこれ思考か割り込んでくる前に直感の管轄内でシャッターを切れる可能性を秘めている。こういうカメラは一見決定的瞬間に強そうだけど、実は決定的でない瞬間にも気兼ねなくシャッターを切れるというほうが愛でるべき特徴なんじゃないかと思う。決定的瞬間なんて云うものに比べるまでもなく、世界は決定的でない瞬間に満ち溢れている。世界の真実は実はそういう決定的でない瞬間のうちに潜んでいるはずだ。
思考は過激に先鋭的に直感へと縒り合されて、出来上がる写真はただのどうってことのない写真、こういうのがひねくれていて面白いし、いつもそういうのを狙っていたい。病気でうろつきまわれなかったので停止していたこういう部分への働きかけが頭の中でまた始動し始めてるならいいんだけど、と自分では思っている。



ギタリスト、ジョン・スコフィールドのバンドのライブ。最初の曲の出だしのこの不思議な雰囲気。これは何だろう。どういえばいいのかミステリアスというのか、どこか見知らぬ聞いたこともない異国の音楽がかすめすぎていくような気配。この音楽のミステリアスな気配と、二曲目のドラムとの掛け合い、そしてそこからドラムソロへと雪崩れ込んでいく白熱振りがお気に入りだ。
二曲目のドラムとギターの絡み合いはどちらかが一瞬でも気を抜けば一気に崩壊しそうなテンションを維持していて耳を掴み離さないし、ドラムソロは他の楽器がとにかくドラムをドライブさせることに全精力を傾けているようなところがいい。ほかの楽器が奏でる曲をドラムが煽っていくんじゃなくてその逆っていう感じかな。もう手に汗握るハイテンションな音空間になっていて感覚のどこかが覚醒していく思いだ。
それにしてもジョン・スコフィールドは一応ジャズのギタリストなんだけど、テレキャスターを使うとか、もう独自路線を走ってる感じが使う楽器からも漂ってくる。こういうギタリストでテレキャスターを使ってるのは最近ではそれなりにいるようだけど、わたしは他にはビル・フリゼールくらいしか知らない。そしてまたフリゼールもカントリーに傾斜するとか不思議なジャズギタリストでもある。なんだかみんな持ってるストラトじゃなくテレキャスターっていうのが絶妙の外し具合だ。
ハゲのおじさんでここまでかっこいいのも見事。はっきり言って髪の毛があるほうが似合わないんじゃないかとも思わせる。ハゲっていうんじゃなくて剃っていたんだけど、「麒麟がくる」の本木雅弘もかっこよかったなぁ。髪の毛がないのがあんなに似合ってかっこいいなんて云う俳優はそうはいないし、モックンは将来万が一ハゲたにしても、もうまるでそのことで気にかける必要はないということが、今から確約されてると思う。




アタック25の司会も回答者も俺がアフレコしたら全問正解余裕でした。








知覚の地図Ⅸ 水晶の檻のなかで

PP






∞





アンティーク





island

Last Camera (1)(2)(3)/ Pentak K100D Super(4)
タイトルはグラディウス外伝のステージの名前から。このゲーム、各ステージの名前がえらくかっこいい。

それにしても写真が全然増えてない。体調の面では外を出歩けるくらいには良くなりつつあるんだけど、この自粛状態でその勢いも滞りがち。病気で抑え込まれているうちに気付けば途切れかけていた写真へと繋がる糸もなかなか繋ぎなおせないでいる。現像を頼んでいるフォトハウスKもこの状況下、潰れてるんじゃないかと危惧していたけど、これはどうやら大丈夫だったようだ。今手元に撮影済みのフィルムが二本、これを早く持っていきたいんだけど、店がまだ潰れてないというのは確認したものの自粛慣れしてしまったのかどうもそこまで出かけていく気分も盛り上がらない。まぁでも近々フィルムは現像してもらいに行くつもりではいる。モノクロなので自分でやってもいいんだけど、薬液もまた買いそろえなければならないし、今はなんだかちょっと面倒な気分のほうが先に立ってる。

指定難病の特定医療費受給者証の今年の更新についての通知がようやく保健所から届いた。噂ではこのコロナ禍のなか、更新のためだけに検査をし書類をそろえて保健所に出向いたりしなければならないのは負担が大きすぎるから、無条件で一年延長するという話が聞こえてきていたし、最近京都府の保健所のホームページでもそういう決定がなされたと発表はされていたけど、どうも半信半疑のところがあった。でも今年の更新は不要と明示してある通知が手元にやってきて、ようやく安心することができた。
わたしの抱えてしまった難病は完治させることは今の医療では不可能で、薬で症状を抑えておく以外に有効な手段がない。薬で症状を消せれば状態としては治癒した状態と非常に似通ったところまで持っていけるんだけど、その状態を維持するためには薬を欠かすことはできなくなる。ちょっとひどい話で、この受給者証っていうのは毎年の病状によって貰えるかどうかが決定されるようになっていて、症状が消えていれば治っているわけでもないのに更新できない制度になってる。どういうことかと云えば薬で維持している状態なのに、比較的穏やかな状態を維持できれば維持していくための薬そのものに対する補助が打ち切られて、必要な薬を続けるのが難しくなってしまうということ。完治させようもない病気に対してこの仕打ちは情け容赦ないという印象がぬぐえない。この辺を患者がもうちょっと安心できるような制度にバージョンアップしてほしいところだ。今年の更新が自動延長になったことで今年限りではあるが、この辺の懸念が払しょくされたのは本当にありがたい。
わりと今調子がいいので今年の更新はどうかなと不安を覚えていた。ねじくれた話だけど、辛いカレーでも食べて、少し調子を落とそうかなんてことさえ考えていた。でも、所かまわずおなかの中の時限爆弾が爆発し、下血し放題なんて云う状態に戻るのはやっぱりいやだ。

なんだかもう都市伝説の域に達しそうな感触さえあった政府支給のマスクが先日ようやくわたしの手元にやってきた。トラブル続きで本気で必要な時に届けることはできなかったけど、マスクが手に入らないという窮状にこたえようとしたその心意気には感じるところが多い。マスクの決定から配布までにかかわった多くの人へは感謝の念しかない。自粛は解除にはなったもののおそらくマスクが必要とされる日々は否応もなく続いていく。このマスクもそういう日々の中で大切に使わせてもらおうと思ってる。

これを書いた少し後で給付金の申請用紙も送られてきた。こっちのほうもなかば都市伝説と化しそうになっていたけど、動き出すとなるとなんだか一斉に動き出した感じだ。臨時収入だし一応経済を回すためのお金という意味もあるだろうから、全部一気に使うなんて云う豪気なことはできないにしても何か買い物に使おうと思って、何を買おうかとしばらく考えた後で、そうだ眼鏡を買おうと思いついた。大体2万ちょっとくらいに収めるようなものを選べば全部使ってしまうほどの思い切りはなくても、臨時収入として納得して使える範囲の金額だろうと思う。
昨年だったか一昨年だったか外出中の路上で盛大に転んで、眼鏡を大破させたことがあった。前歯を折ってしまうなんて云う酷いおまけもついて散々な目にあったんだけど、この時眼鏡を新しく用意している間10年以上前の合ってない眼鏡で過ごして、かけがえの眼鏡も必要だなぁと思ったことがあった。でも喉元過ぎればの典型で、結局そのときに新しく作った眼鏡だけで間に合ってしまえばそれっきり、予備の眼鏡なんて余分な買い物とも思い始めてなかなか買えずに今まで来ていた。この給付金はそれほど急に必要ともしないけれどあれば絶対に便利といったものに手を出すにはいいきっかけだ。
給付金がやってくるまでどんな眼鏡がいいかをいろいろと考えてみる。このブログのURLにも紛れ込ませてあるように丸眼鏡が昔から大好き。でもこれは濃い玉をつけたサングラス限定で、いわゆるロックミュージシャンの眼鏡、ヒッピーの象徴のような眼鏡としての愛好癖で、普通のレンズが入った常用の眼鏡としては最近はいささかダサいイメージのほうが強くなってる。古臭い文豪気取りというかいったいいつの時代を生きてるつもりと聞きたくなるような風情にしか見えなくなって、セルフレームの丸眼鏡に至っては食い倒れ人形にしか見えない。ボストンも昔は形が好きだったんだけど今の感覚ではこれに準じたイケてなさを感じるようになってる。
ウェリントンは今まで一度も使ったことがないんだけど、カチッとしてなんだかビジネス用途といった印象が強い。オーバルは転倒で壊した眼鏡なので新鮮味がなさすぎる。
で、転倒の際に新調した眼鏡はサーモントブローのものにした。いわゆるカーネル・サンダースの眼鏡で、なんだか丸眼鏡よりももっとダサそうだけど、わたしの買ったのはスタイリッシュにブラッシュアップされていて意外と気に入ってる。
とはいってもまたサーモントブローを買うのも芸がないし、丸眼鏡がダサく見えてるとするならここはもう選ぶとすれば四角っぽいウェリントンしかないのかなと、そういう選択に傾きかけているのが現状だ。ビジネスユースに見えないように華奢なタイプ、フレームも黒一色の主張の強いものよりも茶系、鼈甲柄といったのもがいいなぁ。
でもこういう決め打ちで店に行くとまず間違いなく欲しいとイメージしていたものにぴったりなのとは出会えない。絶対に何らかの妥協をすることになる。
サングラスで好きな形というならキャッツアイもあった。去年の夏結構一杯買ったサングラスの中でも丸眼鏡についで気に入って、今も夏を待ちきれずにつけて歩いてる。でもキャッツアイも普通の眼鏡として使うとなると特徴的な部分が悪目立ちしてしまいそうで、いまいちだろうな。



ラトルズの名曲だと思う。いかにもビートルズが作っていそうな曲で、なおかつオリジナリティにあふれている。ラトルズの音楽を作っていたニール・イネスも昨年だったか亡くなってしまったし、本家同様にこのビートルズのパスティーシュ・バンドも年老いていくのがちょっとショッキングだった。なぜかラトルズは年取らないっていうイメージを持っていた。
このプロジェクトにはジョージ・ハリソンが気に入って自身参加したりしていたけど、今はもうこの世にはいないし、ならばこの曲、生き残りのビートルズであるポール・マッカートニーが歌ってくれないだろうかなんて夢想する。


若干旧聞に属するけど面白かったので。とても分かりやすい。

知覚の地図Ⅷ 夜が耳欹てるしじまの音

斜光





夜の木





孤立光
Nikon Coolpix S9700

日焼け予防も兼ねているのか小池都知事のものはサイズ大きすぎだと思うけど、おそらくその都知事の様子や政府支給マスクが後押しする形となって、気がつjけば布マスクの存在感が際立ってきた。サージカルマスクが手に入らないからもうこれしか選択肢がないし仕方なくつけているという状態から、買えないマスクなんてどうでもいい、布マスクで十分、こっちのほうがいろいろ遊べて楽しいなんて云う風に、なんだか知らない間に意識変化を起こしてきているようだ。布マスクが使い捨てマスクの不本意な代替手段じゃなくて、それ独自の選択としての存在感を持ち始めている。
わたしもその風潮に図らずも乗ってしまったような形で、後追いでニューヨークでも布マスクが無料配布されたなんて云うニュースを見るにつけ、いまだに到着しない政府支給マスクの、いつものごとくスピード感を欠いた役人仕様に苛立ちながら自分でも作ってみたくなった。いろいろと調べてみると意外に簡単にできそうなのも気分の後押しになっている。
でも工作意欲を刺激されたからと云ってマスクが好きなわけじゃない。海外の人もつけ始めて日本のマスク文化が広まっていってるなんて云う人を見かけたけれど、装着した存在を別次元へと押し上げる仮面のようなものならいざしらず、顔をひたすら隠すだけのこんなもの、これから犯罪を犯そうとしている者が大っぴらに人相を隠せると大歓迎するくらいで文化でも何でもないだろう。こういうものをつけなくても出歩ける世界がまたやってきてほしい。
まぁそれはともかくとして、マスクを自分で作るにはまずはミシンがいるだろうということになって、2万程度で名の通ったミシンメーカーのものという基準で探してみると、ブラザーの初心者用のミシンに条件に合うものが見つかった。慣れればほかのものも作りたいという野望も抱く一方で、隅々まで使い倒せるかどうかの自信はない。でもおもちゃのようなものも嫌という選択肢にかなってそうなミシンだった。ちなみにLDKで2万円以下のミシンのランキングでは一位を取っていた機種でもある。
ところが、これだ、これに決めたと意気揚々と注文しようとしたら、これがまた予想外の大きな壁にぶつかってしまうことになった。知らなかったんだけど、今ミシンってマスク並みにものすごい品不足になってる。重いうえに送料だってかさむから転売屋が暗躍しているとも思えないし、本気の品不足なのか?リアルショップでは注文しようにも在庫切れ、入荷未定の表示ばかりだ。
ネットだと楽天とヤフーショッピング、両方に店を出しているミシンショップでこの機種の注文を受け付けているのを見つけ、しかも即日発送で値段もそれなりに安かったのでここで注文することにした。ところが注文する段になって、ここでまた結構大きなハードルに突き当たることになる。注文受付開始時間にカートに入れようとしたんだけど、多少注文内容の確認をしてカートに入れるボタンをクリックしただけなのに、受付開始からほんの十数秒でもう売り切れの表示しか出てこない。この店の注文は休日を除くほぼ毎日同じ時間に開始となっていて、その日しくじっても翌日に同じチャンスが用意されてる。ひょっとしたら一日一台くらいしか扱ってないんじゃないかと思いつつ、毎日用意されてるそのチャンスを渡り歩いて数日間、注文完了までの時間を短縮する工夫を重ねてようやく最後までこぎつけることができた。最終的に注文できた経過時間は開始から2秒だった。ミシンはなんとか注文できたけど、ミシンでこの有様だから当然マスク用のガーゼもどこにも見当たらず、ついでにミシン糸なんかも入手困難となって手芸屋の商品リストはまるで絨毯爆撃でも受けたかのように一面焦土と化している。まぁ生地のほうはガーゼに拘らなければわりと何とかなりそうではあるけど。
手芸店での品不足はマスクを作って寄付するというのも流行っているらしくそういうのも一因になっているとか。こういうのを多分に自己満足的な善意の押し付け、善意なら非難される筋合いはないという錦の御旗を掲げ、勝手な了解のもとにわがもの顔で練り歩く、質の悪いもののようにしか見えないのはわたしがおかしいからなのか?
ほかにもマスクからの衝撃波が広がるようにいろんなものが手に入らなくなってる。今本気で困っているのは薬用のハンドソープが完全に店頭から消え去ってしまったこと。なにしろわたしの難病では毎日座薬を使うので消毒要素のあるハンドソープはもう本当に欠かせないものになっているのに、これがどこにも見当たらない。かろうじて本体なしの詰め替え用の薬用ハンドソープを見つけてとりあえず買ってみたものの、これを入れるための汎用のポンプ式ボトルがこれまた店頭から消えてしまってる。買った詰め替え用は泡のハンドソープじゃなかったので入れ物が見つからなければドレッシングのボトルにでも詰めて使おうかなんてことも考えてる。
そういえば、ブックオフのショーケースから中古のプレイステーションも、PS4まで全世代の機種が見事に消えていた。わたしは巣籠期間中の現在、ゲーム三昧とミステリまみれの生活になっているけど、プレイステーションは2と3を所持し、3のほうで初代と3のソフトを遊ぶという形で初代から3までカバーして、店頭からPSが全部消えてしまってもそれほど不自由はしていない。現行機種の4にはいまだに手を伸ばしていない。プレイステーション4は現行の機種ということもあって中古でもソフトが高すぎて手が出ないんだなぁ。FF7のリメイクとか遊んでみたいのがリリースされてるから興味はあるんだけど。
なんだかなにもかもが、誰かが何か一言でも云ったり、あるいは転売屋の悪意ある行為ひとつで大群衆が移動、殺到するという構図が出来上がりつつあるようで、こんなことが重層的に発生し続ければそのうち社会そのものが崩壊してしまうだろう。



Grant Green Trio live

グラント・グリーンにこんな演奏動画が残っていたなんてちっとも知らなかった。ケニー・バレルとバーニー・ケッセルの三人でのセッションの短い動画しか見たことがなかったし、噂ではグリーンの演奏の様子を伺い知れるものはほとんど現存していないということだったから、こういうのが残っているというのはちょっとした驚きだった。音源だけで聴いているとどちらかというと泥臭い、ひょっとしたらコード弾けないんじゃないかとも思わせかねないシングルノートのヘタウマギタリスト寄りの印象だったんだけど、こういうのを見ると手癖で弾いているようないつものファンキーなフレーズの演奏を見せながらも、意外なほどストイックでクールと、印象はずいぶんと違って見えてくる。闇の中から浮かび上がってくるようなイメージのトーンがしっくりと馴染んでいる。


何度目かのブロッサム・ディアリーの「Now At Last」名曲なのにカヴァーしている人がほとんどいない不幸な曲。


知覚の地図Ⅶ 新型コロナでいろいろ考えたこと。 ガラス瓶を使ったライトの工作。

花の隙間





挟み込まれる黄色





三色





円円
Konica EYE / Ricoh AutoHalf E / 写ルンです / Fuji Cardia Travel mini DP
Kodak SG400 / Lomography Colornegative 400


非常事態宣言の発動によって各地で外出自粛とか進行中だけど、京都の祇園祭、これどうするのかな。っていうか今の状態だとまず無理か。京都で疫病が流行った時それを駆逐するために始まったお祭りなのに、何はさておき今年こそが絶対に開催するべき状態になってしまっているのに、結局は新型コロナに対する素戔嗚尊の敗北宣言をすることになるんだろうなぁ。今現在八坂神社には茅の輪が設けられている。この異常事態を表すかの如く、期間を外れての設置は143年ぶりのことらしい。

新型コロナも危機的な状況になりつつあるけど、ネットでこれに関するいろんな発言を読んでいるともうコロナヒステリーとでも言っていいような言説が乱れ飛んでいて、若者の代わりに年寄りが死ねだとかいった命の選別まで平気でやってしまいそうな、あるいは給付金をもらえる人への妬みだとか、人のあさましい感情、敵意が溢れ出さんばかりの様子にむしろこっちのほうがさらに危機的な感じもしてくる。日本人ってこんなに偏狭な正義感を振り回して、それに合致しないものを悪意そのもので糾弾してうっ憤を晴らすような、そんな下種な民族だったのか。その余裕のなさにもう心底うんざりして、新型コロナ関連の話題を目にするのも嫌になってきた。
なかなか難しいところだと思うけどコロナヒステリーのように総浮足だつ状態で、一番必要なのは冷静になることだろうと思う。それにしてもコロナがいろんな人の化けの皮を剥がしていくとは、これもネットで見た発言だけど、いい得て妙だ。
政府が配布するマスクに関して、これも集団コロナヒステリーの一環なのかなんだか小馬鹿にするような非難が飛び交っている。でもこれは医者の立場から、配布される布マスクの意味について高須幹弥氏が冷静に解説していたのを聞いてみると、その意図についてはよく理解できる。

でもこれは政府がこういう風に順序だててわかりやすく説明するべき内容だった。ただマスクそのものはまだ届いていないのでどんなものか判らないんだけど、ネットでは小さくて役に立たないとか書かれていたりするのは、そういうことを云われるかもしれないと予測もできない政府の詰めの甘さというか気配りの足りなさを目立たせている。
政府にいろいろと思慮が足りないところがあるというのでは給付金に関することでもそうだ。ややこしい条件付きというのがどういう正当な理由をもとにしていたとしても不公平であることは間違いない。減収によって非課税世帯レベルにまで収入が落ちたら救済するなんて、非課税世帯の底なし沼に落ちる寸前で、その淵から足を滑らそうとしているひとの手を引っ張り上げて助けているようなイメージとして捉えるなら、元から底なし沼に沈んでしまっている非課税世帯はいったいどうなるのか。この基準はとっくにはまり込んで沼の真ん中でもうすぐ頭まで沈み込みそうになっている人の溺れつつある様子を、助け上げた人と一緒に淵に立って黙って眺めているようで、この条件を付けた者の視線は極めて冷酷だろう。こういう冷酷さ、基準を離れたものへの冷たい視線は断じて保守の視線じゃない。まるでイデオロギーに準じてそれ以外のものを一切認めない思想をシミュレートしているようで、頭でこねくり回しただけのイデオロギーじゃなくて長い年月培ってきた生活そのものを基盤とし、いざとなれば清濁併せ持つようなフレキシブルな面さえ持てる保守の精神とはまるで相いれないような気配を感じる。
これは、わりと云っている人がいそうに思うんだけど、とりあえず国民全員に一律に給付金を配ってしまい、そしてあとで確定申告の際に調整すると、これが一番シンプルで、何事も即座に行うという今の最重要な条件である速度をも満たしているんじゃないか。でもこの速度という面に関しても日本政府はどのレベルにおいても致命的に欠けている。
とまぁこんなことを書いた数時間後に条件付き30万円案破棄、一律10万円に決定なんて云うニュースを目にすることになった。まともな選択だと思うけどまたすぐに妙な条件をつけたり、プランそのものの変更なんてことにならないだろうな。
もう一つ高須幹也氏の解説から。これも冷静で分かりやすい。タイトルはちょっと刺激的だ。

わたしの難病、潰瘍性大腸炎は原因は不明なれどメカニズムは免疫の暴走と考えられている。この場合免疫がバーサク状態になっているとか強すぎる状態になっていると思ってもいいのか、どうなんだろう。持病を持っている人は新型コロナにつけこまれやすいといわれるけれど、これだったらむしろ免疫は自分の腸まで見境なく攻撃しているほどに強化されてると考えていいのか?まぁ確かめるためにわざと人の多そうなところへ出かけてみるような気はまるでないけど。わたしは中等症で、しかも寛解気味に踏みとどまっているので、基礎的な投薬のみで済んでいるけど、症状が進んでいる潰瘍性大腸炎の患者は免疫抑制剤を使う場合もあり、これはもう文字通り丸裸にされてるような状態だから、今のバイオハザード的な世界の中を歩き回る勇気は持てないだろうなぁ。

ところで先日イギリスの首相が退院したというニュースが流れていた。この人の新型コロナに対する対応として国民に呼びかけている演説はわかりやすく人の心に直接入ってくるような演説だったので印象的だった。ともあれ生還されたことは朗報で、そのこと自体が力強いメッセージになるだろう。


父の確定申告を済ませる。亡くなった人も確定申告をする必要があり、ただそれは収入400万以上という条件付きで父は該当しなかったんだけど、試しに計算してみたら還付金が発生するようだったので、もらえるものがあるならと書類を提出しておくことにした。亡くなった人の確定申告は準確定申告というそうで、追加に一枚、通常にはない書類が増えている。増えた書類には役所に提出する書類の常でよく判らない項目が二つあった。二つとも相続に関することで一つは法定ー指定と二つのうちから選ぶ項目の下に、真ん中に横棒を一本引いた四角い記入欄がある。もう一つは相続の総額だったか、これは記入する欄の最後に「円」が印刷されていたのでおそらく金額を書き込む欄なのだろう。総額のほうは金額を書くんだということは理解できるが、父が亡くなってからそういう金額が話題に上ったことさえなくて、金額そのものがまるで判らない。もう一つのほうは何を書けと要求されているのかさえもさっぱり判らない。横長の長方形の枠の真ん中に横棒が一本引いてある欄って、これは一体何なんだ?
のちになってこの横棒の枠の意味合いは判った。指定というのは遺言があった場合で法定はそれ以外。横棒の欄は複数の相続人がいた場合それぞれに対する相続の配分を記述する欄で、たとえば1/2とか1/4とかを書く欄だった。この分数の横棒だけが枠の中に印刷されていたということだ。横棒が一本引いてあるだけの欄から、こんなの判るわけない。
両方とも書きようがなかったので空欄のまま一応税務署の相談コーナーで尋ねてみると、空欄はあったものの書類に不備はないということで、その場で提出することができた。
もう一つこのところやっているのは同じく父のことで、父が会員だったゴルフ場の退会に関する手続き。ゴルフ場の会員権は売買することもできるんだけど、父が会員証書の類を一切知らせておいてくれなかったので、どこかにしまい込んであるのかあるいは認知症のせいでわけもわからずに捨ててしまっているのか、会員だった証になるものを何一つ見つけることができすに、結局売ることは断念して退会するほうを選択するしかなかった。なぜ証書の類を見つけるまで決定を先延ばしにしなかったかというとゴルフ場の年会費を払う時期が間近に迫っていて、これがまた4万ほどの結構な金額になるから、その請求が来るまでにもともとわたしとは何の関わり合いもなかったゴルフ場との関係を切っておきたかったからだ。
それにしてもゴルフ場の事務って、あらゆる場面に実印を要求してくるんだなぁ。証書を紛失していることの喪失届も実印、しかも連帯保証人をつけろといい、その連帯保証人の実印も要求してくる。実印なんてめったに押すものじゃないという認識だったので、こんなに簡単に要求してくることにかなり戸惑う。父の生命保険の解約とか年金の未払い分の支払いとかでも普通の認印しか要求されなかったのに。

最近ちょっとした工作にはまっている。細工する部分はほとんどないので工作とまで言えるほどのものじゃないかもしれないけど、貯蔵用の大きなガラス瓶を使ったランプ風の置物だ。ネットで作り方を見たもので、入れ物となる瓶や材料は全部100均で手に入る。レバー式のガラスポッドの蓋の裏に、庭なんかに刺しておくと夜になったら光りだすソーラーライトの頭の部分だけを取り外して両面テープでくっつけておくだけ。ポッドの中にドライフラワーでも入れておけば夜になるとドライフラワーを柔らかく照らすランタン風の置物になる。採取されて特権化したものはガラス瓶に封じ込められることで、さらに際立つ存在に見え始める。採集されたものの二重の特権化というか、ジョセフ・コーネルの箱に通じる何かがあって、コーネルの箱好きとしては結構長い間眺めていても飽きないオブジェとなる。
ドライフラワーポッド
ドライフラワーは別途入手しなければならないと思う。たとえドライフラワーの作り方を知っていたとしても、素材となる花や果実を身の回りのもので間に合わすには種類が少なすぎて、珍しそうなもの、ドライ映えするようなものは結局どこかで買う以外にないだろう。あと、ソーラーライトはメーカーによっては明らかに暗いものがあった。これは店で実際に点灯してみて確かめたほうがいい。
ちなみにドライフラワー以外はガラス瓶250円、ソーラーライト100円、強力両面テープ(黒色)100円の出費となって、すべてダイソーで入手している。

さて写真のほうはというと、潰瘍性大腸炎はそれなりによくなった状態を維持していて、カメラ片手にさ迷っていた見知らぬ街角で急におなかが差し込んできて10数秒後には大惨事が避けられないなんて云う状態にはほとんどならなくなっているので、写真を撮りに出かける気分は盛り上げていけるんだけど、この自粛の嵐の中でそういう気分を発動させるのもままならなくなっているというところか。それでも撮り終えたモノクロフィルムが2本、今手の内にある。そのうちの一本はカメラを落として蓋が開いてしまい、どんな状態になってるのか予想もつかなくなっているもので、こっちは早い目に現像に出してどれだけサルベージできるか確かめてみたい。でもこれを現像に持っていきたいと思っていても、町中に出ていくのがどうにも躊躇われる。フォトハウスK、無事に店開いてるのかな。

あと美容院もそろそろ行きたい。いつもやってもらっている美容師の人、新型コロナになってないだろうなぁ。電話してみて店が潰れていたりしたらどうしよう。