彗星絵具箱
写真、本、音楽、映画。京都周辺の日常。
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こんばんは! コメント有難うございました☆ 一度注文してしまえば意外と簡単に障壁は崩れ去ると思いますよ。こういうのを食べずに生きていくのは、生きる楽しみの一部を確実に知らないままに通り過ぎてしまうことになりかねません。だから思い切って注文してみましょう。確実に夏の楽しみが一つ増えると思いますよ。 でも食べ物に旗立てるって誰が考えたんでしょうね。一体何の意味があるんだか。確かに見た目は楽しくなりますけど。 確かに狂騒と内省の二つが入り混じってるような感じですよね。わたしはジョアン・ジルベルトを聴いた時貧血で倒れそうな人をイメージしたんですけど、 そんなアマチュアリズム全開の弱弱しい歌なのにその歌を乗せるギターの刻むリズムが結構力強かったりするのに気づいて意外な感じを受けたことがあります。ここにアップしたものだとブラジルなんかまさにそんな感じですよね。 ジオヤーさんがいうように思索的なものでもリズミカルなところは決して崩そうとはしないし、ボサノヴァって特徴はリズムの刻み方にあったりするから、やっぱりブラジル音楽はどんなに内省的に視線が内を向いていても、特徴はリズムなんじゃないかと思います。そしてそういうのにサウダ-ジって云う独特の郷愁感を乗せていくと。 ボサノヴァの誕生の場所に居た人のうちの一人で一応ボサノヴァの女王の称号を得てる人なので、アストラッド・ジルベルトの歌が方向性をつけてるような所はあると思います。感情が入ってるのか入ってないのかよく分からないような歌い方。でもこれはボサノヴァのフォーマットみたいな感じでブラジル音楽全部がこういう歌い方になってるわけでもなくて、世界としては閉じてる感じがします。 オスカー・ピーターソンのは晩年に近い頃のもののはずで、もう指があまり動かないのか、華麗なテクニックを披露するっていうタイプの曲じゃないですね。そういうポイントで聴いてるとちょっと物足りないかもしれないなぁとは思います。でも今年の夏の暑さではこの曲だと押し切られて仕舞いそうな感じもします。 オウムは教えたのかなぁ?自然にリズムとってあんなふうになってるなら本当に吃驚ですけど、案外教え込まれてる可能性もありそうですね。それにしても見事。人でもこれだけノリのあるリズム感で踊れない人一杯いそうです。
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