彗星絵具箱
写真、本、音楽、映画。京都周辺の日常。
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こんにちは! フィルムが面白くて写真撮り始めたようなところがあるから、フィルム独特のリズムのようなものも写真そのものの属性として捉えているところがあるんですよね。フィルムは面倒と云えば面倒だし、すぐに結果が見られないからせっかちには苛つく方法だと思うけど、むしろ写真の面白さがそういうものの中に詰まってます。 このフィルムが持つ独特のスローなリズムっていうのに馴染んでしまうと、むしろデジタルのは手軽すぎて、結果もすぐにみられて加工もし放題というのはどうにも便利なだけで写真を撮った手ごたえみたいなのにかけてると思う時が結構あります。 デジタルに時間が降り積もっていく感覚なんてほとんどないし。忘れ去った時間にまた出会う面白さもあまり感じない。 今回の写真そのものはデジタルで撮っているので、デジタル写真を否定はしていないんだけど、もうまるで別物、写真と云う似たような結果が残るけど本当は全然違う感覚、思考を呼び起こすものじゃないかと思ってます。だからいつまでもフィルムで撮っていきたいし、古風なフィルムカメラの感触もすごい好きなんだけど、いかんせんフィルムが高すぎて、ちょっと手が出しにくくなってきたっていうのが現状かな。消費期限切れのとかヨーロッパの安いフィルムとか使うのがメインになっていきそう。消費期限切れのフィルムは予想もつかない色転びとかが起きて、それはそれなりに面白かったりするんですよね。 この工場、前を通るといつも写真を撮りたくなってきます。なんか惹かれるところがあるんだろうけど、どこが気に入ってるのか言葉で説明できない。だから写真を撮ってるんでしょうね。河の写真もちょっとした風情があるでしょ。ここは陽が差していると木漏れ日の斑模様ができてまた印象が良くなるんだけど、この時は夕方でもう木漏れ日もできなくなってました。近所の散歩道なのでまた撮ってみたいです。 特に凝ったこともしていないように見えるのが上手くいっているように思います。こういうオーソドックスで静かな写真も撮ってみると面白いです。 人工物と自然、まるで違うものだけどわたしの中で退廃であり詫び寂として通底しているというところかな。
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