2010/10/06
近況
お久しぶりです。母の急逝の折に皆様から心のこもったお悔やみの言葉を頂き、どうもありがとうございました、皆様のお心遣いに感謝します。
九月の二十三日、ちょうど秋分の日だった母の葬式からそろそろ二週間が経とうとしてます。最初の一週間は今までに体験したことのない出来事と、周りの慌しい動きや環境の変化に引きずり回されて、右往左往してるだけで過ぎたような感じでした。一週間が過ぎ、そういう慌しさが次第に落ち着きを取り戻してきた後は、何だか母がまだ近くにいるようなこの時間、この場所に留まりたいと思う気持ちと、そんなことに関係なく過ぎていく時間との間にちぐはぐな気分を見出して、ちょっと戸惑いながらも日常の生活を過ごしてます。
でも悲観にくれた生活を送ってるかというと、過ぎていく時間がわたしの生活を生きろと促してくれているのか、沈みっぱなしという事もなくて、気晴らしに買い物に出かけたりといったこともしてました。この一週間ほどは普段に比べて結構散財してる感じです。
母は数ヶ月間、思い返してみると四月頃からずっと入院してたので、家のほうでは母の姿が見えない生活をそれだけの間続けてきてました。だから他界した後も母が見当たらないという家の中の様子はあまり変わらずに、この世界の果てまで探しにいっても、母は本当にもうこの世界のどこにもいないのだということが感情的には納得できないようなところが未だに残ってるようです。
でも、母がいつも座っていた場所を見たりした時、そこに座って母はよくテレビを見ていたんですけど、そこに座っていた母の姿をふと思い浮かべると、ふいに圧倒的な喪失感に襲われることがあります。母が座っていない光景は入院中からずっと家の中で見てきた光景、見慣れてしまった光景のはずなのに、二週間前のあの時に確実に意味合いを違えてしまってることを思い知らされる瞬間があります。
やっぱりこれは悲しいです。でもその欠落感はどうあがいてももう一度埋め尽くすことは不可能で、その欠落した場所を見慣れた光景になるように時間をかけて受け入れていく以外にないんだろうと思ってます。
文章を書き連ねるモチベーションを維持し続けられるか、今のところ全く自信がないんですけど、もう暫くしたらブログのほうも再開してみようかなと思ってます。
その時はまたよかったら遊びに来てください。