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鬼火 Ghost In The Street

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Ghost 2

2017 / 04
2017 / 01
2016 / 01
2017 / 02
高の原 / 新大宮 / 向島
Yashica Electro35 GX / Nikon F100 / Olympus35 DC / Fuji Cardia Travel Mini Dual-P
Lomo ColorNegative100,400 /Fuji Provia 100F / Kodak TriX

この前の街路の写真の続き。
タイトルは横溝正史じゃなくて、ルイ・マルと最近実写化されたあの映画のロートレアモン仕様だ。

街の中で、何で写真なんか撮っているんだろうってたまに思うことがある。初めて行った場所にはものめずらしさで好奇心を刺激されることはあるけど、それが理由のすべてでもなさそうだし、何度も行っている場所も特に思い入れがあってここでなければ嫌だというほどでもない。まだ何か撮れそうな気がして足を運ぶだけで、もうこれ以上撮れそうにない、シャッターを切る気分が盛り上がらないと思えば、思いいれも何も関係無しにどこかほかに写真撮れそうなところはないかと目移り品定めを始めることになる。
思うにその場所でわたしが生きて立っていることの、その空間の一部としてあるいは対立するものとして同化向き合っていることの確認とでもいったものなのか。生きて立っているといってもそんなに大層な事態と捉えてるわけでもなく、わたしのささやかな存在が確かにそこにあって、目の前の空間にどこか関係性を持てそうな気分になったということの検証作業のような気がするところもある。
だから、自己を対象に押し付けて自分色に染め上げてしまうことにもあまり興味がないし、自分がそこに生きてあることを、ある程度客観的な要素を交えることが出来るカメラの眼を通して捉えてみることを面白いと思っているのかもしれない。

わたしという不確かな存在の前に現れ、揺らぐわたしの眼と一瞬交差して他在の眼を通して痕跡を残していく世界。写真の中に幽霊がいるのではなく、ゴーストとはわたしのことだ。

上手く云えない。
街しか撮っていないし、街が好きなわけでもないのに、どうして街の写真を撮っているのか自分でも分からないと云ったのは金村修氏だが、何だか気分はそういうのに似ているのかもしれないなぁと思ったりする。

一つ確かなことがあって、動機はこんなに捉えどころがないものであったとしても、撮った写真はかっこいい写真にしてやろうと、これはいつだって強くわたしの中にある。さてこのささやかで強い思惑は成功しているのだろうか。

☆ ☆ ☆

今回の最初のエレクトロ35で撮った写真は完璧で極端な露出不足で、そのままでは到底まともなイメージを救い出せそうにないコマだったので、あれこれ弄くりまわしてこんな形まで持ち上げてみた。最初からこんなイメージを狙っていたとするならあざと過ぎて嫌みったらしい。
最近ヤフオクで落としたヤシカエレクトロ35GX。1000円ほどで、外見は綺麗、レンズも綺麗、ファインダーは薄気味の悪い汚れでみっしり汚染されている、露出計はそれなりに動くといった代物だった。ちなみに崩壊しきったモルトが元凶だと思うけど、ファインダーを覗こうとすればかなりかび臭かった。古いカメラ、臭いは結構盲点なんだよなぁ。わたしの持ってるのではレオタックスが何だか甘ったるくて古臭いポマードのような臭いがしている。想像するとちょっと気持ち悪いでしょ。
それはともかく、ホラー映画のような様相のファインダーはトップカバーを外してできる限りの範囲で拭き拭きし、ぼろぼろだったかび臭いモルトは新しいものに貼り替えて、この写真はいざ試し撮りと意気込んで出かけた結果の一枚だ。
エレクトロ35GX
結果を見て思うのは結局予想を超えて露出計が不安定、というか電気経路で頻繁に上手く流れていない状態になるのか、酷い露出のコマの時は不正確というよりも絞り優先オートそのものが働いていないような感じだった。
で、使えないかというと、実はこのカメラはこんな状態でもわりと平気で使えるものだったりする。
電池を使うから電気制御のシャッターのように見えるけど実は機械式のシャッターでシャッターそのものは電池に関係なくいつでも単速の1/500秒で切れる仕組みになってる。電池はこの機械式のシャッターの開く時間を、1/500秒から必要な分だけ遅くすることに使っているだけだ。だから電池がなくても単速1/500秒シャッターの、写ルンですっぽいかメラとして使えるというわけだ。
これを知っていると、絞り環には晴れだとか曇りだとかの電池使わない時用のアイコンも併記されているから、感度400のフィルムを入れて、この指標に適当に合わせておくだけで、電池無しでほとんど失敗なく写せるようになる。試し撮りの時はこれに気づかなかった。
というわけで、ヤフオクでこのカメラ、シャッターが切れることだけ確認できていて、レンズの綺麗なものでも安価で見つけたら落札してみるのも面白いと思うよ。
何が好きって、エレクトロなんていう名前がアナクロっぽくてかっこいいじゃないか。

☆ ☆ ☆

月のブレス
アクセサリーシリーズということでもないし、自分で作ったものでもないけれど、こういうのも好きだということでちょっと紹介。
思い切り派手なブレスレット。でもエスニック的なものへの嗜好があるのでこういうのはつい手が伸びる。そろそろ上着とか脱いでも平気な季節になってくるから、出番が近づいてきてる。
何だか豪華だけど実は物凄くチープな値段で買えるものだったりする。中国製でアマゾン内でもいろんな店で同じものを見かけ、大抵2~300円くらいで売っている。ただしレビューを見ると中国から遠路はるばると、ビニール袋に入れただけのものが、石がはずれた状態で届くなんて当たり前の代物のようだ。わたしはそういうのに煩わされたくなかったから、化粧箱に入れて検品くらいはしてそうな店で若干高めのものを買った。それが功をなしたのか、ただ運が良かっただけなのか、実際にわたしの手元に届いたものはトラブルめいたものは一つもない状態だった。
このデザインでペンダントやピアスもある。わたしの耳にはピアス穴なんてないけどそのピアスと、月と太陽の二種類のペンダントも持っている。ブレスレットは太陽モチーフのは腕時計の変種みたいであまり面白くなかったから、この月モチーフのものだけだ。まぁ、同一モチーフのヴァリエーションをほぼ一揃い持っているので、どれだけ好きやねんと云われると返す言葉がない。最初にこのデザインを見た時に、それはピアスだったんだけど一目ぼれだったんだな。

こんなのをつけて、ロング丈のジレにTシャツとジーンズなんて身に纏えば、昔のヒッピーみたいになれるよ。


☆ ☆ ☆



今回の最後のモノクロを撮ったカメラだ。ジャンクボックスに確か100円くらいで入っていた。このカメラ、裏蓋の内側に仕込む、日付用途にしか見えない電池が切れていると、カメラ自体が動かなくなる。外側から電池カバーを開いて入れる、一見カメラを動かしているように見えるメインの電池は実は巻き上げモーターをまわしているだけ。メインに見える電池を交換しても、日付用途にしか見えない、でも本当はカメラの基盤そのものを制御してる電池が切れていると、動かないカメラを前にしてこれは故障していると勘違いすることになる。わたしの100円のカメラもまさにその勘違いでジャンク扱いになっていた。
プラスチック製のこの類のカメラの調達先は、わたしの場合はほとんどジャンクボックスだ。っていうか中古ショップで普通に買おうと思っても、売り物になるクラシックカメラが収まってる棚に並んでいるのを見たことがない。今となっては壊れたらそれっきりの安っぽいファミリーカメラは値段がつかないんだと思う。使ってみると楽しいんだけどなぁ。






どうして好きでもない街の写真を撮っているのか自分でも分からないという一節が出てくる金村修氏の本。
そのうちもっとまともに気合入れて紹介するつもりではいるけれど、目にするもの、習得したもの、自分で考えたことすべてを疑え、解体しろと、氏の撮る混沌とした写真も大好きなんだけど、この写真家の言葉はいつもとにかくひたすらに挑発的で、ある種の毒を脳みそに浴びせかけてくる。
かなり前に、朝日会館の中にあって今はもう閉店してしまったジュンク堂の写真評論の棚に、一冊だけ残っているのを見つけて買った本だ。





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