2017/10/07
1/B1 ☆ 映画「プリデスティネーション」
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2017 / 08
大津京 / 浜大津
Fuji Natura Classica / Olympus Pen E-P3
Fuji Natura 1600
まだまだ続く大津写真♡
なにしろ7月くらいから今に至るまでここでしか写真撮ってないし。今年の夏はカメラ持ったらとにかくJRで10分ほどの京都にとっては手頃なリゾート地に足繁く通ってた。大吉おみくじの東が良いよという吉方のお告げに従っての場所選択だったけど、本当に琵琶湖湖岸は吉方だったのか、東でももっと違う方向だったんじゃないかと、とにかくここで撮った写真ばかりを前にして変化に富んだ選択をできるかと頭を悩ましながら思ってる。それに夏の開始を皮切りに頭の中に琵琶湖湖岸が勢いよく流れ込んできてスイッチが切り替わったために、ここに通いだす直前に撮っていた写真がかなり綺麗に頭から弾き飛ばされてしまってる。先日そういえば琵琶湖に来る前に何撮ってたんだかと見直してみて初めて、ああこういうのを撮ってたんだと思い出す始末。この頃、嵯峨野で写真撮っていた後のおそらく梅雨の間とその直前くらいに撮っていたものはほとんどブログには出してない。涼しくなってきたらこの弾き飛ばされた方面にちょっと接続しなおしたほうが良いかななんて思ったりしてる。
1/B1なんてタイトルに書いてみて、要するにこれはあるものとあるものの狭間のことだと思い至ると、境界域だとか現実世界に開く異界の入り口だとか、見えるものと見えないものの接線だとか、こういうのって写真に撮ってみたいもののひとつだし、なんだか写真のタイトルにもぴったりなんじゃないかと思えてきた。
今回のは歪な感じっていうのかな。最後のは自分では特にそんな感じがする。おそらく構図的にはもっとおさまりの良い位置があるのかもしれないけど、構図的に収まりきったイメージとかあまり面白いと思わないほうで、どこか崩れて不安定なほうが見ていて落ち着かなくて面白い。大体構図とか結局のところ他律であって、他人が良いと判断したものの総計にしか過ぎない。そんなもので絵を作って面白いのか。この写真は構図が良いですねなんて云われたら、あなたの感覚で組み立てたところなんてどこにもないと言われてるようなもので、本当は怒らなければならないんじゃないかなんてことも思ったりする。
☆ ☆ ☆
Predestination トレーラー
またまた映画の話。
ロバート・A・ハインラインの小説「輪廻の蛇」が原作と知って、よくもまぁこんな小説を映画にしようと思ったものだと興味がわいた映画だった。
元の小説はタイムトラベルを扱った結構短い短編小説で、タイムパラドックスの思考実験のような話。原因から結果へと流れていくこの世界の理の関節をすべて脱臼させてみたらどういう世界が出現するかといった内容で、出口のない迷路に入り込んでしまったような袋小路の論理が生み出していく悪夢の世界を体験できるお話だった。わたしが読んだのは大昔の話で「輪廻の蛇」は長い間絶版になっていたようだ。それがこの映画のリリースが切っ掛けで再版されたらしくて、これは映画の好影響の一つだったと思う。
理詰めの部分を全部放棄して、理由は分からないけどこんなに奇妙な世界が出現するって言うポイントだけで作ればかなりの妄想映画になったかもしれない。でもここではそういう方向をとらずにあくまでも迷宮を彷徨う論理の筋道を辿って映画の世界を作ってる。この脱臼した論理の世界を頭の中で考えてみると何だか脳みその表面がチリチリとざわめいてくるような感じがして止むことがなく、そういう感覚はこの映画の作り方のほうが上手く表現できていたんじゃないかと思う。
で、この映画、こんな事情で映画の表面的なストーリーでさえも書けるようなものじゃない。一応連続爆弾魔の犯行を防ぐために時間を縦横無尽に駆け巡るって云うストーリーにはなってるんだけど、爆弾魔の話って結局のところタイムトラベルを発生させパラドックスを生起させるための切っ掛けに使われてるに過ぎなくて、あくまでも映画の目的は、一体どこが始まりなんだ、一体どこが終わりなんだと、この脳みそがざわめく感覚を生み出すことだったと思う。
しかも物語の中盤手前くらいまでほとんど登場人物二人の会話劇のような様相を帯びてるのも意表をついて面白い。
時空エージェントであるイーサン・ホークが70年代のとあるバーでバーテンに身をやつしてる時、バーにやってきたしょぼくれた中年男に面白い話を聞かせてくれたらビールをおごるという約束で二人の会話が始まる。中年男は自分がまだ少女だった頃、と前置いて身の上話を始める。
もうこの、自分が少女だった頃なんていうフレーズだけで、その会話劇に引き込まれること間違いなしだと思う。
ハインラインには「夏への扉」っていうタイムトラベルテーマの、こちらは長編の小説がある。「輪廻の蛇」のように異様な話じゃなくてもっと読みやすいし、なによりもこの小説には本筋とはあまり関わらないのがちょっと残念だけど、家の扉のどれかが夏に通じてると信じて、冬になると夏への扉を探し始める愛すべき猫ピートが出てくる。映画にするにはこっちのほうがずっと相応しいように思うのに、ハインラインの小説は「輪廻の蛇」以外に「宇宙の戦士」が「スターシップ・トゥルーパーズ」なんて云うのに姿を変えて映画になったのが一般的に目につくくらいで、これはなぜか今までに一度も映画になったことがない。