1/B1 ☆ 映画「プリデスティネーション」

1/B1





包囲されたバイク







柵と色

2017 / 08
大津京 / 浜大津
Fuji Natura Classica / Olympus Pen E-P3
Fuji Natura 1600

まだまだ続く大津写真♡
なにしろ7月くらいから今に至るまでここでしか写真撮ってないし。今年の夏はカメラ持ったらとにかくJRで10分ほどの京都にとっては手頃なリゾート地に足繁く通ってた。大吉おみくじの東が良いよという吉方のお告げに従っての場所選択だったけど、本当に琵琶湖湖岸は吉方だったのか、東でももっと違う方向だったんじゃないかと、とにかくここで撮った写真ばかりを前にして変化に富んだ選択をできるかと頭を悩ましながら思ってる。それに夏の開始を皮切りに頭の中に琵琶湖湖岸が勢いよく流れ込んできてスイッチが切り替わったために、ここに通いだす直前に撮っていた写真がかなり綺麗に頭から弾き飛ばされてしまってる。先日そういえば琵琶湖に来る前に何撮ってたんだかと見直してみて初めて、ああこういうのを撮ってたんだと思い出す始末。この頃、嵯峨野で写真撮っていた後のおそらく梅雨の間とその直前くらいに撮っていたものはほとんどブログには出してない。涼しくなってきたらこの弾き飛ばされた方面にちょっと接続しなおしたほうが良いかななんて思ったりしてる。

1/B1なんてタイトルに書いてみて、要するにこれはあるものとあるものの狭間のことだと思い至ると、境界域だとか現実世界に開く異界の入り口だとか、見えるものと見えないものの接線だとか、こういうのって写真に撮ってみたいもののひとつだし、なんだか写真のタイトルにもぴったりなんじゃないかと思えてきた。
今回のは歪な感じっていうのかな。最後のは自分では特にそんな感じがする。おそらく構図的にはもっとおさまりの良い位置があるのかもしれないけど、構図的に収まりきったイメージとかあまり面白いと思わないほうで、どこか崩れて不安定なほうが見ていて落ち着かなくて面白い。大体構図とか結局のところ他律であって、他人が良いと判断したものの総計にしか過ぎない。そんなもので絵を作って面白いのか。この写真は構図が良いですねなんて云われたら、あなたの感覚で組み立てたところなんてどこにもないと言われてるようなもので、本当は怒らなければならないんじゃないかなんてことも思ったりする。


☆ ☆ ☆

Predestination トレーラー


またまた映画の話。
ロバート・A・ハインラインの小説「輪廻の蛇」が原作と知って、よくもまぁこんな小説を映画にしようと思ったものだと興味がわいた映画だった。
元の小説はタイムトラベルを扱った結構短い短編小説で、タイムパラドックスの思考実験のような話。原因から結果へと流れていくこの世界の理の関節をすべて脱臼させてみたらどういう世界が出現するかといった内容で、出口のない迷路に入り込んでしまったような袋小路の論理が生み出していく悪夢の世界を体験できるお話だった。わたしが読んだのは大昔の話で「輪廻の蛇」は長い間絶版になっていたようだ。それがこの映画のリリースが切っ掛けで再版されたらしくて、これは映画の好影響の一つだったと思う。

理詰めの部分を全部放棄して、理由は分からないけどこんなに奇妙な世界が出現するって言うポイントだけで作ればかなりの妄想映画になったかもしれない。でもここではそういう方向をとらずにあくまでも迷宮を彷徨う論理の筋道を辿って映画の世界を作ってる。この脱臼した論理の世界を頭の中で考えてみると何だか脳みその表面がチリチリとざわめいてくるような感じがして止むことがなく、そういう感覚はこの映画の作り方のほうが上手く表現できていたんじゃないかと思う。

で、この映画、こんな事情で映画の表面的なストーリーでさえも書けるようなものじゃない。一応連続爆弾魔の犯行を防ぐために時間を縦横無尽に駆け巡るって云うストーリーにはなってるんだけど、爆弾魔の話って結局のところタイムトラベルを発生させパラドックスを生起させるための切っ掛けに使われてるに過ぎなくて、あくまでも映画の目的は、一体どこが始まりなんだ、一体どこが終わりなんだと、この脳みそがざわめく感覚を生み出すことだったと思う。
しかも物語の中盤手前くらいまでほとんど登場人物二人の会話劇のような様相を帯びてるのも意表をついて面白い。
時空エージェントであるイーサン・ホークが70年代のとあるバーでバーテンに身をやつしてる時、バーにやってきたしょぼくれた中年男に面白い話を聞かせてくれたらビールをおごるという約束で二人の会話が始まる。中年男は自分がまだ少女だった頃、と前置いて身の上話を始める。
もうこの、自分が少女だった頃なんていうフレーズだけで、その会話劇に引き込まれること間違いなしだと思う。

ハインラインには「夏への扉」っていうタイムトラベルテーマの、こちらは長編の小説がある。「輪廻の蛇」のように異様な話じゃなくてもっと読みやすいし、なによりもこの小説には本筋とはあまり関わらないのがちょっと残念だけど、家の扉のどれかが夏に通じてると信じて、冬になると夏への扉を探し始める愛すべき猫ピートが出てくる。映画にするにはこっちのほうがずっと相応しいように思うのに、ハインラインの小説は「輪廻の蛇」以外に「宇宙の戦士」が「スターシップ・トゥルーパーズ」なんて云うのに姿を変えて映画になったのが一般的に目につくくらいで、これはなぜか今までに一度も映画になったことがない。












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漂光 / William Basinski - Watermusic II

びわ湖大津館1





浮遊する光





落下する光






幕間

2017 / 08
びわ湖大津館 / 大津京 / 浜大津
Olympus Pen E-P3 / Canon Demi EE17
Fuji Premium 400

びわ湖大津館の中で撮っていた写真と街中、そして大津港の商業施設。
薄暗い館の中はデジのほうが撮りやすいと思ってフィルムカメラは使わなかった。でも使っていてやっぱりデジカメはあまり面白くない。操作のすべてが、その結果に対してそうなって当たり前という感覚しか呼び起こさないし、上手く撮れたものも手酷い失敗をしたものも等しく大した手ごたえもなくて、奇跡が起きそうな予感なんてまるで訪れてこない。他のものなら手軽で便利で高性能なのはすべてにおいて優位に立つと思えるけれど、こと写真に関してはそうは話は簡単ではないようだ。あとで、別の建物だったんだけど似たような光の状況でナチュラクラシカを使ったら、感度1600のフィルムを装填していたこともあって、特に破綻なく撮れてた。だからびわ湖大津館も、明るいレンズと高感度のフィルムを使えば、この程度なら撮れていたと思う。こう考えると残念なような気もするけど、もう一度フィルムで撮り直しに行くかといえば、手もつけられないほど失敗したわけでもないので、そこまでする気にもなれないというのが本音なところかもしれない。
それにしても窓から差し込んでくるような間接光とか、どうして美しいと思ってしまうのかなぁ。その感覚的な根拠のようなものを探ってみても、個人的なものへと還元できるようなものじゃないというところまでは辿れても、意外となぜこういうものに惹かれるのか根本的な部分で分からないところがある。なせ差し込む間接光のようなものに惹かれるのか、ということについての写真とか撮れると結構面白いかも、なんて思った。

☆ ☆ ☆

琵琶湖畔で夏の中ごろから写真を撮り続けている最初の拠点は大津京だった。そしてその後浜大津の大津港辺りが増えて今のところ拠点は二箇所となってる。
この二箇所、同じ側の琵琶湖湖畔の、陸地側にゆるやかな弧を描いてやや入り込んでる部分の両端に位置して、それなりに距離を置いてはいるんだけど、お互いの場所からそれぞれ離れた場所にあるもう一つの場所を湖面を挟んで見ることが出来る。大津京のびわ湖大津館がある柳が崎湖畔公園、ついでにいうと遊覧船ミシガンが停泊する桟橋もある場所なんだけど、最初にそこから湖面の向こうを眺めた時は小さく林立するビルが見える場所というだけだったのが、その向こう側に見えていた浜大津側に立ってみると、どういう施設が見えていたのか理解でき、また最初に降り立ってこちら側を眺めていたびわ湖大津館の周辺も小さくではあるけど区別できるのに気づくと、お互いに向こう側に見えるものが何か分かるようになって、視界に入る空間が具体性を帯びてくることとなった。
ちょっとね、二つの場所が具体的なものとして把握できてくると、どちらからでもいいけど向こう側まで歩いてみようかと思い始めたんだな。でも思いついたはいいものの、地図で見るとこのくらいなら歩けそうという感じにも見える一方、歩くにはちょっと遠すぎるようにも見える結構判断のつきにくい距離に見えた。
浜大津と大津京の間は京阪の今時珍しい路面電車が走っていて、浜大津から行くと、三井寺、別所、そしてJR大津京駅に隣接する皇子山駅と、間に二つの駅を経由する距離感となる。一度この路面電車に乗ってみて、三井寺まではかなり近かった以外、そこから先は皇子山まで普通に駅間を移動するような感覚だった。ローカルの路面電車はその土地の生活空間に入り込んだような雰囲気もあり、妙に旅情があって面白い。でもこれを歩くとなるとやっぱりいろいろと微妙かなというのが正直なところだった。
そんなこんなでこの程度ならそんなに苦にせずに歩けるんじゃないかと思いつつも、暑いさなかにそんなことをするのは嫌だと思うところもあって躊躇いが続いていたんだけど、数日前にちょっとした気まぐれで躊躇いを押しのけて歩いてみることとなった。
きっかけは浜大津の港で、遊覧船ミシガンの発着場である琵琶湖汽船の乗り場の北西側に広がってる船が集まってる部分が、関係者以外立ち入り禁止になっていて、これじゃ港っぽい写真が撮れないと、その先に入れるところがないかさらに歩いていったことだった。
長々と柵で囲まれた立ち入り禁止の区域を過ぎるとホテルらしいビルの裏側が遊歩道のようになって港の縁に出られるところに出くわした。様子を窺うとホテル専用でもなく、ここから短距離ではあったけどどうやら港の縁を巡ることができそうだった。やったと思って、ようやくそこで柵に邪魔されずに写真を撮りつつさらに歩いていったら、どうも琵琶湖疏水の開始地点のような、川の入り江に似たところに導かれて、遊歩道はそこで行き止まりになっていた。
そこからは先に進めずに、もう一度ここへ入ってきたところまで戻り、湖岸に沿った大通りに出てから写真を撮るためにいろいろ脇道にちょっかいを出しながらも行き止まりになっていた辺りまで進んで見ると、そこは思ったとおり琵琶湖疏水の開始地点だった。
琵琶湖疏水は京阪の路面電車の三井寺駅の脇を通っていたはずだから、港で写真が撮れる場所がないかと歩き回ってるうちに駅一つ分歩いてきたということになる。
こうなるとあと駅二つ分くらいなら歩けるんじゃないかと思いついて、その道をさらに先へと進んでみることにした。道はその先で湖岸に沿って湾曲し、その部分を越えて直線状になったところまで出てくると、先のほうにイオンの看板が小さく見えているのに気づいた。あれはおそらく大津京にあったイオンセレクトの建物だ。そう思うと何だか目標が目の前に現れたみたいで、気分はもうこのまま進んでみるほかなくなってしまった。やがて湖岸の琵琶湖競艇場の長い施設の脇を通り過ぎ、左手少し離れたところに皇子山競技場を眺めて歩き続けて、茶が崎を超えて少し行った辺りで、大津京で歩き回って見慣れていた場所にたどり着いた。それまで点としてしか存在しなかった場所が線として繋がっていくのは単純に面白い。こんな場所へと繋がっていたんだという感覚は探検家が新大陸を発見したような気分を想起させる。
それなりに猛暑は収まって普通に行動してるなら汗もほとんどかかないような気候になっていたし、気分的には予想していたほど距離があったとも思わなかったんだけど、それでも体感していた以上の運動量だったのか、この時はたどり着いた時点で結構汗ばんでいた。おまけにサンダルなんかで長時間歩くものじゃないと、その足腰の疲れように、これは家に帰ってから痛感した。
結局この日は途中から向こうに小さく見えるイオンの看板にたどり着くのが目的になってしまって、琵琶湖疏水に行き当たった辺りからあまり写真を撮れなかった。でもこの琵琶湖疏水の辺りはまた足を伸ばして写真を撮ってみたいと思ってる。
この日見つけた港の汀で、曇り空の中、水中から突き出た杭や張られたロープが水面に反射して、グレー一色となった空間に浮かんでるような抽象的なイメージに夢中になって写真を撮っていたんだけど、この曇り空の港で目にしたものがグレーの中の線と形象に還元された空間として上手く写真に撮れてるかどうか、暫くフィルムを取り出せないので期待は宙吊りになったままとなる。

☆ ☆ ☆

William Basinski - Watermusic II

BGM風にこういう音楽を置いてみた。水辺で撮ってる写真なので、と云っても今回のは直接水は写ってはいないけど、タイトルは一応写真とは照応してる。
聴く側の事情など一切無視してドラマチックな起伏もまるでなく、でもある一定レベルで持続する美しさが存在する。そしてただそれだけしか存在しない。
この端正な音的イメージを視覚的に展開してみたいところだ。バシンスキー自身が自らの音楽に映像をつけたビデオを作製してるけど、わたしが感応してるのはああいうイメージでもないんだなぁ。



それにしてもこれが、この調子で一時間近く続くというんだから、付き合う側も大変だ。


真昼の水辺の旅

岬





柳が崎桟橋





踊り場
2017 / 08
大津京 / びわ湖大津館
Olympus Pen E-P3 / Last Camera
Fuji Premium 400

あの突き出てる岬風のところまで行ってみたかったんだけど、太陽光を遮るものもない湖岸を歩き続けて、あまりの暑さにここでエネルギー切れ。
この辺り一体は砂丘なんて説明してあったから興味津々で歩いていった。でもやってきてみれば見ての通り一面緑が広がっていただけ。緑の下の感触は踏み出してみれば確かに砂地だったものの、そうはいってもこれでは砂丘とはいえないだろう。おまけにところどころ砂地が露出しているところを歩いてみたら、あっという間にサンダルに大量の砂を巻き込んで、砂丘だったとしても結局は嫌になっていたことは間違いなし。

色々と考えてとりあえず大津京に降りてみると決定したのは前回に書いた。そして降り立った大津京の駅から無目的に歩き回ってるうちに、びわ湖大津館という旧琵琶湖ホテルの風雅な建物に出会った。この元ホテルに行き当たったのはこの決定の収穫だったと思う。
湖畔にあった旧琵琶湖ホテルは浜大津へのホテルの移転後、大津市が買い取っていろんなイベントの施設として保存、再利用されている。館内は京都府庁旧本館のように撮影可能なので、間接光が入ってくる古い建築の仄暗い内部の写真なんていうのを好き放題撮れる稀有な場所だった。でも湖岸に関してはまったくの期待はずれで、この辺りの湖岸周辺は岸辺に林立してる高級高層マンションに占有されてしまって、どうにも立ち入ることが出来ない様子。要はマンションの住人たちに琵琶湖を望む視点を占有されてしまってるというわけだ。
ヨットハーバーなんていう看板が立っていて、実は遠めにどうも廃墟っぽい建物が見えていてここに近づけないかと道を探していて見つけた場所だったんだけど、ここからなら湖岸に出られるかもと思って道を入っていっても、結局ヨットハーバー関係者以外立ち入り禁止なんていうゲートで行く手を塞がれてしまうだけで、そこから先に進むことが出来なかった。この道に迷い込む切っ掛けだった廃墟然とした建物はヨットハーバー内部にあり、目前にまで近づけたものの遮断ゲートによって遮られて、あれは廃墟だったのかいまだに分からない。
あとは前もって調べて、そこにあるのを知っていたブックオフに立ち寄り、100円文庫の棚から京都の店ではあまり見かけない出物がないかと漁るくらいで、講談社文芸文庫の坂口安吾だとか、D・M・ディヴァインの「三本の緑の小壜」とか、小林信彦の文章などどうでも良くて、荒木経惟が撮った写真が目当てだった「私説東京繁盛記」といったものを見つけてそれぞれ100円で買った。数日通っただけだけど、今は大津京では早くも撮る場所はこのくらいかなという気分に傾いてきてる。
湖岸はもうちょっと撮りたい場所ではあるので、早々と河岸を変えようかな。

ラストカメラの試し撮り以降、ここへ持ってきていたカメラは旧琵琶湖ホテルで写真撮ろうと思って、暗い室内では使い安いデジカメと、屋外で撮るつもりだったキヤノンのハーフカメラの二台体制だった。
ハーフカメラのほうはまだ20枚くらい撮らないとフィルムを出せないんだけど、既に先日撮った10枚程度を、オートにしていたつもりがそうじゃない状態で撮っていたという失敗をしてる。大体5,6段くらい露出オーバーになってるんじゃないかなぁ。露出不足じゃないので何らかのイメージはサルベージできると思うけど、残りを早く撮り終えてこの勘違いして撮っていた部分がどうなってるか知りたい。フォトハウスKでハーフサイズもCDに焼けるようになりましたと教えてもらったから、ここはどんな感じになるか見てみたいと思って暑い中撮る枚数が多くなるハーフカメラを持ち歩いてるのに、最初に焼くCDは波乱含みのものとなりそうだ。


ee17
今回の写真では使ってないけど、今持ち出してるキヤノンのハーフカメラ。Demiなんていう名前どおり見た目はフランス風で洒落てるんだけど、何かあまり持ち出そうという気にならない。使っていてもうひとつ楽しくない。両側にストラップをつける部分がないとか、妙に重いとか、ファインダーが覗き甲斐がないとか、露出計をオフに出来ないとか、細々とした要素が積み重なって自分にはあまり気がのらないカメラになってるんだと思う。おまけにそこはかとなく調子悪いし。





Last Cameraに装填していたフィルム。