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眞晝の汀への旅

海上警察





連鎖波頭





湖畔の古びたビル





桟橋

2017 / 08
浜大津 / 大津京
Canon Demi EE17
Fuji Premium 400

最初のは、遠くから見ると汀の広々とした空間をどこか引き立てる雰囲気を纏っている建物という感じで、これはちょっと写真に撮っておかないとと思いながら近寄ってみると、なんと予想外に警察の建物だった。海じゃないから海上じゃなくて水上警察とでも言うのかな。近寄って眺めてるとパトロールに出かけるのか、琵琶湖に開いた裏手のドックから警備艇らしい船がタイミングよく出航していった。
二枚目のは何枚か波頭を撮った中で一番波に見えなかったもの。半透明のゼリーのチューブみたいだ。
古い建物に気を惹かれて撮った写真は、古い建物の雰囲気とはちょっとずらして撮ってみようと思ってシャッターを切った。そして最後はオーソドックスな桟橋のスナップ。

この夏撮ってる写真を眺めてみれば、暑さに辟易しながらそれでも撮りに出かけないと何も始まらないと思って、なんだか意に反して動こうとしない体をむりやり押し出してるようなところがやっぱりどこかに見られるというか、これが撮りたかったという強い意志もなく撮ってるせいか、雑然とした仕上がりになってる写真が多い。ブログにどれを載せようか選ぼうとしても、この夏の写真は決まらないことが多くなってる。
暑さに加えて撮ろうと思えるものを探す注意力も散漫になり、今までに見たこともないような感覚を覚えさせるからというよりも、そのはるか手前でこういうものを撮れば絵になる可能性が高いと前もって理解してるものへと注意は焦点を合わせようとする。いろいろとごちゃごちゃとフレームの中に現れてくるものは魅力的な混沌を形作るでもなく、意識の注視点を見失った雑然としたものとしか現れようとはしない。
目の前の空間と回路を繋げない。繋げると思ってファインダーを覗いてみても、確信は解きほぐされてまさしく炎天下に放り出された氷の欠片のように溶け出していってしまう。こういうのが今夏に撮ってる自分の写真の総体的な印象だ。

それに湖岸ってそう何日も通って写真撮る場所でもないのかなと思い始めてる。水平線の写真なんて、どう変化付ければ良いのか皆目見当がつかない。

この前の記事のタイトル、「真昼」を後で「眞晝」に変えようと思って忘れてた。難しいほうの漢字を使ってかっこつけてるのはどちらかというとダサいと思うほうだし、写真を写眞なんて書くのは極力避けるのに、この場合は「眞晝」のほうが良い。でもこういう旧字体、PCで上手く表示されるかな。
タイトルの元ネタは辻邦生の小説。もう忘れ去られた作家扱いの人なんだろうか。




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