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極楽鳥大爆発

壁
kodak signet35
もの云わずに息をひそめてそこにあるイメージ。
新幹線大爆破なんていう映画を見ていて、何でも後に大爆発とつければ派手なイメージになるだろうなと。カリンバ大爆発とか、いろいろ試してみると結構シュール、ところで最近ブラッド・ピット主演で「Bullet Train」なんていう映画ができて、これ新幹線大爆破の英題と同じなので、てっきりリメイクだと思ってたんだけど、実はリメイクじゃなくて伊坂幸太郎を原作にした全く別物の映画だった。画面の調子はどことも知れない異界風の東京など、これはこれでポップで異様で面白いんだけど、ちょっと予想外だった。

夏の終わりころから腕と手がしびれ始めて、腰で診てもらってる整形に相談してみると、足元のふらつきなんかも出てきていたので、頭のMRIとMRAを撮ることに。結果は異常無しだったので、今度は頸椎のMRIを撮って、これはヘルニアというのか一部はみ出て脊髄の神経を圧迫してる部分が見つかった。自然に良くなる場合も多いということで一応しびれに対応した薬を出してもらって様子見することになった。この薬眠くなる副作用があるということなんだけど、確かに居眠りしてしまうことが多く、でもパソコンの前で居眠りしたり本を読んでいて寝落ちしたりなんてしょっちゅうだし、薬の影響の居眠りなのかどうか判断できない。
腕全体が何か一枚薄皮をかぶったような感覚で、指先はちりちりとして可動部分に制限がかかってるかのような動きになり、力が入りにくい。力が知らない間に抜けてしまう。おそらくこのせいだと思うけど一度、飲み物を入れた大きなガラスコップが持っていた手から滑り落ちて全部絨毯にぶちまけたことがあった。キーボードもちょっと打ちにくくなってる。ウクレレは弾けはするけど指板への指のタッチがとにかく変で気持ち悪い。親指だけで済むカリンバが一番影響を受けてない楽器か。
足のふらつきのほうも原因を探るのに最近腰椎のMRIを撮って、これで三回続けてMRIを撮ることになり、検査代が半端ない。一度で済ませられないものなのか。頭と頸椎はセットで撮れそうに思うんだけどなぁ。

ホスタロ
日本のカリンバメーカーHOSTAROの、8月新発売だったものが一月ほどで限定セール、1000円引きとなって売られていた。定価2980円だったのが1980円。この値引きは結構大きいし、躊躇うような高額商品でもなく短い期間だけの話だったので即注文。
でもこのタイプのカリンバはもうこれでいいかな。持ってるのは二台ともソリッドタイプだから持ってないタイプにボックス型もあるんだけど、どうせ似たようなものだろうと今一つ物欲がわかない。カリンバで欲しいのは夢弦工房の3オクターブ、半音付きのクロマチック・カリンバ。でも受注生産のようでかなり高価で手が出しにくい。半音付きというのもいいし、これキーも細くて親指が太くても弾きやすそうでいいんだなぁ。形も異様で目を引く。




こういう曲をカリンバで弾いてみたい。









アルバムEast/Westに収録されていたバージョン発見。このアルバムの演奏が一番好き。フリゼールってライブだと何だかたどたどしくてとてもじゃないけどうまいプレーヤーに見えないんだけど、これはそうでもない。終盤のループ剥き出しでタガが外れたようになるのもかっこいい。



有栖川有栖 「こうして誰もいなくなった」 角川文庫 110円
宮田親平 「科学者の楽園」をつくった男 河出文庫 110円
大森荘蔵 「思考と論理」 ちくま学芸文庫 確か500円ちょっとくらい。
柳澤桂子 「生と死が創るもの」 ちくま文庫 110円
町田康 「バイ貝」 二葉文庫 110円
芥川龍之介 「藪の中・将軍」 角川文庫 110円
カバーが天野喜孝でとんでもなくかっこいいし、当時の同時代人の書評を集めたものが巻末についていたのもすべて初見で興味ぶかかった。大体こういうのって新潮文庫で手にすることが多いと思うんだけど、浮気してみるのも面白い。
かっこいい芥川


「日本怪談集」を読み続ける。稲垣足穂の化け物小説は面白いんだけど漢字交じりのカタカナ文で読み終えるのにかなりの体力と時間を費やす。その後に続く作品は戦時中のレイプ殺人を扱うものとかどこが怪談といったものが続き、ちっとも怖くなくて読む熱意を削がれ、今読んでる幸田露伴の幻談は釣りに関する蘊蓄が延々と続いて、いつになったら怪談が始まるんだよと緊張感が崩壊、病院通いなんかもあって集中力も維持できずにいつまでたっても「日本怪談集」が読み終わらない。いい加減別の本に移りたいんだけどなぁ。
と云いつつ幻談を何とか読了。そりゃあの釣竿はああいう対処にしたくなるだろうなぁ。いかにも幽霊らしい幽霊とかは出てこなくても怪異の心理に与えた特殊な影響は理解できるし、化け物が人を驚かすわけでも恨みで呪い殺すわけでもない、こういうある意味不思議な感触の話はどうやって思いついたんだろうということを考えた。辛気臭い辛気臭いと思いつつ読み進めたものの、読み終えてみると意外と読み応えがある。




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知覚の地図 XXXVII 極楽鳥の困惑

雲間
Kodak / No.2 Folding Autographic Brownie (蛇腹劣化穴だらけ) across100

そういえばキース・ジャレットのあのシンプルな曲はカリンバやウクレレにちょうどいい曲じゃないかと思いつき、でもタイトルは何だったかどうしても頭に浮かんでこない。過去に記事にしてアップしてるし、その記事を見ればタイトルが分かるかもと思ってそれならばと探してみた。10年くらい前の記事でその曲について書いていたのを見つけタイトルはspirits 15 とわかってその件は一件落着。記事に載せていた曲自体はメンバーオンリーみたいな扱いになっていて視聴できなくなっていた。そんなことしている一方で、探している間ついでに10年前に撮っていた写真もいやおうなしに目に入ってきて、これは思わない形で記憶をよみがえらせることとなった。
自分ながら懐かしい。今は何というか見たままオブジェがごろっと転がるようなそっけない写真を好んで撮ることが多く、でも10年前はこういう世界の見方をしていたんだと、まぁ大して変わらないところも多々あるにはあるけど、それでもちょっと新鮮だった。
10年近く前に撮って記事にしていた写真の一つ。
並列
チェキなんていうカメラを使ってるガジェット好きおもちゃ好きの感覚は今回書いたウクレレやカリンバなんかでも見られるように今もわたしの中でずっと続いてる。目についたものを皮膚感覚みたいなもので撮っていたのは今でも大して変わらないけど、なんか洒落た写真にしようという下心が見え隠れしてるような。無意味なものを無意味に撮るといった思い切りのよさみたいなのがあまりないなぁ。意味のない世界の断片が連なって何か構造を見せ始めるようなのは今のわたしにも興味深い。

ウクレレセット2
前回に続き、さらに所持してるウクレレの二本を披露。左がアリアのマホガニー合板、ロングネック・ソプラノで右がフライングタイガーで買ったプラ製のおもちゃのウクレレ。アリアは製造は中国だけど国内ブランドで、楽器としては優等生的というかそつなく仕上げてある。低価格のウクレレのなかでは外れがないと好まれてるブランドだ。でもこうやって写真に撮ってみるとアリアのほうはオーソドックスすぎてあまり面白くない。写真映えするのは圧倒的におもちゃウクレレのほうだろう。このフライングタイガーのウクレレ、見た目に反して実はちゃんと弾ける。強度を出すためだろうけど裏側へせり出すように異様にネックが太いといったアンバランスさを無視するなら、チューニングはきちんと合うし、フレットの位置も適当じゃなくちゃんと演奏できる音が出るように配置されてる。おもちゃだよと全身で主張してるくせにオクターブチューニングまで合ってるのは大笑いだ。最初の一本にこれを手にするのは無謀そのものだけど、複数持ってるうちの一本なら予想外に楽しめる出来になってると思う。違う柄でも出ているからコレクションしてみるのも面白い。でもその違う柄を毎年更新して新作が出るんだと思い込んで期待していたら、実際はそうでもなかったのは残念だった。
アリアのほうはストラップのピンが胴体の後部にはついてるんだけど、ネック側にはついてない。腕で抱えろとばかりに何もついてないのも当たり前にあるから一本だけついてるのもラッキーといえばラッキーかもしれないけど、一本だとストラップのつけ方が限定されて、それはまるでフォークシンガーのフォークギターのようで、わたしがつけたい形じゃなかったりする。結局エレキギターっぽくストラップをつけようとするとネックの根元辺りにもう一本自分でピンをつけなければならないことになって、やることはシンプルなんだけど、それはネジ穴を開けなければならないという工程を必ず含む作業となる。これがまた悩ましい。何しろ一度開けてしまうとそれっきりで、ここじゃなかったと思ってももう遅い。一応ピンは一本買ってあるんだけどこのせいでいまだにつけられずにいる。

アムーンカリンバ
安くておもちゃっぽい楽器熱は相も変わらず続いていて、最近はカリンバを買った。エレキギターを買った際にしばらく足を向けなかった楽器屋にまた立ち寄り始めたりして、その楽器屋の棚に注目の楽器みたいな形で置いてあったのを見て、カリンバの存在を再認したのもきっかけだった。
一応どのメーカーのがコストパフォーマンスがよくてお勧めされてるか調べたうえで、ammoonというブランドのがいいと判断。でもammoonカリンバは何かの事情で市場からすでに消え去っていた。さらに調べてみると以前ammoonカリンバとして売られていたものが無刻印の形で今も売られているという情報も見て、行き当たったのがこれだった。さてこれは刻印のないammoonカリンバなんだろうか?まぁ目的のブランドのものでなかったとしても音がいいならそれはそれで構わないわけで、これはammoonの特徴として人気だった高音のサスティーンの伸びの良さとかも実装されているものだった。
17音の一番ベーシックなカリンバだ。残念だけど半音は出せない。微妙な和声の曲は弾くとするなら単純化される。半音キーも用意された二段構えのカリンバもあるけど、高価だしいきなり扱うには手にあまること間違いなしだろうと思う。ロンドンデリー・エアとか弾いてみたいんだけど、曲が内在させている魅力的なコード進行で奏でるのは無理だろうなぁ。
全体にオルゴールのような音色がとても心地よい。でもこのオルゴールっぽさはちょっと意外だった。何しろもとはアフリカの楽器。もっと素朴で土臭い音が草原のイメージを引き連れて届いてくるような印象があった。そういう意味では普通に市販されているカリンバはある種楽器的に洗練されて本場のものとは別次元のものへとなっているようなところもある。あるいは選曲や演奏方法にポイントがあるのか。たとえばポリリズムで弾けばアフリカの息吹みたいなのが感じられるようになるのだろうか。どうせなら風をはらむ服好きとしては、アフリカン・テイストでも弾けるようになってみたいものだ。




久しぶりに聴いたラストエンペラーのオープニング曲。西洋音楽ではなかなか耳にすることができないパーカッションのエスニックな響きがいい。作曲家は坂本龍一をメインに三人名前が連なってるが、このパーカッションはだれの発案だったんだろう。
映像もセンスある。タイトルバックに玉璽が斜めにスクロールしながらせり出してくるイメージなんか今見ても凄いかっこいいな。



読書はあまり進まず、先月と同じ本をまだ読んでる。同じ本ばかり読んでると他に目移りしてしまってそっちをつまみ食いしたりするからますます読み終わらない。
「日本怪談集 奇妙な場所」は収録作の最初から七作目、稲垣足穂のあの化け物小説「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」の途中まで。今までに何度も読んでる作品なのに、これは何度読んでも読むたびに面白い。化け物オンパレードのポップでシュールでモダンな味わいの時代物なんてほかじゃあまり見ない。もととなった古文書「稲生物怪録」はよほど作家の想像力を刺激するのか他にもこれをモチーフに作品を書いている人がいる。泉鏡花の「草迷宮」なんかが有名だ。吉田健一の「化けもの屋敷」は全く怖くない。何しろ化けもの屋敷に住むことになった主人公自身がまるで怖がってないし、怪談なんだけど作者の思惑が怖さ以外のところに集中して、結果怖くないことを主眼に幽霊の存在論のような妙な場所で組み立てられた怪談というユニークさで読ませる。筒井康隆の「母子像」の強烈なイメージやけたたましくシンバルを打ち鳴らすサルのおもちゃの使い方など、まさしく手練れの作家発想のものと納得。あとをひく最悪の結末も怪談の出来として頭一つ抜きんでていた。




後藤明生 「壁の中」 中央公論社 2400円
ポストモダン小説の怪作と云われればとりあえずどんなものか読みたくなってくるものの、とっくに絶版、古書価格高騰でなかなか読めなかったもの。のちに新装版も出て手に入れやすくなって、これは旧版だけど入手してみた。新装版で追加されてる多和田葉子の解説等が載ってないものの、本の体裁は旧版のほうががっしりしていて好みだ。
木田元 「わたしの哲学入門」 講談社学術文庫 350円
ハイデガー入門的にわかりやすく読める、かもしれない本。メルカリで入手。
ジャック・フィニィ 「盗まれた街」 早川文庫 110円
何度も映画化され作品として新鮮なものでもなく、特に読みたかったわけでもないんだけど、アマゾンで中古が1200円ほどしてたので、こんな値付けを見てしまうと読みたいどうのこうの関係なくこれはもう買う以外ないと。



知覚の地図 XXXVI 月が笑いながらのぼる夜、浜辺で極楽鳥たちが笑いながら踊り狂い、深い海の底の瓢の中で笑いながら秘密だけが進化していく。

足

最初見た時は鳥の足が落ちてるのかと思った。

アンプ

ということでアンプ入手。ロックバンドの背後でいつもそそり立っているマーシャルみたいなのは代表的かもしれないけど、代表的過ぎてちっとも面白くない、しかもいかにもアンプ然としている風貌は部屋においてもなんかちぐはぐそうなのでこれは避けて、ヤマハのアンプを中古で購入。説明には10回ほど使用なんて書いてあったけど本当かどうか。でも使用感のない綺麗な中古アンプで音出しも問題なく、DTMのバンドルソフトもアクティベーションできる使用可能なものが付属してる代物だった。THR10Ⅱという機種で、THRシリーズでは最廉価機種の一つ上のバージョンのもの。これのさらに上位機種は電池駆動とワイヤレスがついているものと、それのさらにパワーを増強させたものの2種類あったけど、それだけで3万ほど上乗せになって、しかも電池駆動はちょっと魅力的だったけどワイヤレスは別にいらないなぁと、妙な発信機をギターから飛び出させてるよりもシールドをストラップの端に引っ掛けてる姿のほうがかっこいいと思ってるから、ここまでの出費はする気になれなかった。
一番シンプルなものよりも、一応後でもうちょっといい機種のほうがよかったと思うかもしれないので一つだけ上位のものを選んだんだけど、実際に音を出してみて冷静になって考えると用途的には一番下のベーシックなので十分だったかな。
何しろこっちはすでにロックギターにはまるで興味なし、歪ませたりする気もまるでないから、使う音質はクリーンかクランチの二種類で十分。かければ気持ちいい空間系の簡易なエフェクターもついてるけど、こういう効果はかけると無駄にうまくなったように錯覚させるから、練習用としてはこういうのもほとんど使わない。上位の機種での機能はあればそのうち使うかもというのが大半だった。
でも内在する余力があるとみるなら、使わない機能にお金をかけてるとはいえこっちを選んでよかったとは思ってる。
色々繋いでみたい。

2ウクレレ

ついでに持ってるウクレレののうち二本を披露してみよう。両方ともEnyaのウクレレで、Enyaは中華ブランドなんだけど、云われなければ分からないくらい、意外なほどきちんとした楽器を世の中に送り出してる。別にハワイアンをするために手にしたわけでもなく、どちらかというと小さなギター的な関心で弄ってる楽器だから、ハワイアンコアだとかなんだとか、ハワイ的な音を出す高価な素材にこだわりもないし、生来の外道好きとも相まって、こういう手軽で風変わりな楽器を楽しむ形になる。左のオーソドックスなのがマホガニー単板のテナー・サイズ、右は写真に撮ってみると何だか黒い塊でいまいち冴えない見え方になってるけど、実物は結構スタイリッシュな、Enya Nova Uっていう、コンサート・サイズのウクレレで、樹脂製、カーボンファイバー & ポリカーボネートで成形されたものとなってる。
ウクレレは特殊なものを除けば主にサイズは3種類あって、小さいほうからソプラノ、コンサート、テナーとなってる。普通ウクレレといった時はソプラノのウクレレのことになるみたいだけど、ソプラノはちょっと小さすぎて弾きにくい。
樹脂製と聞くとおもちゃっぽいと最初に頭に思い浮かぶし、確かにその連想は当たっていて右のはスタイリッシュなおもちゃっぽい。でもその印象とは裏腹に意外なほど頑丈で、むしろ一体成型のために細部に狂いもなく、音のほうもキラキラと乾いた明るい音で、それなりに前に出る。ただ音に関しては弦のタイプによってかなり変わってくるし、わたしとしてはもうちょっとしっとりした音のほうが好みだったので、この撮影のあと、久しぶりに本気で触ってみようとずっと張りっぱなしだったフロロカーボン弦からナイルガットのものに変えている。変えたついでにレギュラーだった4弦をLow-Gのものにも変更してみた。
ウクレレはデフォルトで4弦(G)が1オクターブ高くチューニングされていて、初めて触ったときは弦を張り間違えてると思ったんだけど、実はこれが正常、このチューニングがウクレレ独特の音色を作っている。でも旋律を弾くタイプの演奏だとこれだとちょっと不便だし、和音弾きの時も違和感が出ることもたまにある。それでギター・ライクに1オクターブ下げたチューニングもできるようにLow-Gという弦も用意されている。この弦は当然レギュラーの4弦よりも1オクターブ低い分太くて金属の巻線になってたりするので、普通のウクレレだとナットの溝にはまらない時もあるんだけど、この樹脂製のウクレレはそういうことも考慮してるようでナットの4弦の溝は最初から太く彫られていて、Low-Gでも簡単に張ることができた。
天邪鬼な性格が出て、ギターを買ったとたんに持っているウクレレも弾きたくなって、せっかくアンプまで買ったんだから新しく手に入れたギターを練習すればいいのに、いまのところ手軽な分だけこっちを手にする機会のほうが多かったりする。ひとつには「フールズ・ラッシュ・イン」のウクレレ用の楽譜が手元にあったことを思い出したからということもある。
楽譜
キヨシ小林編曲の割と広く流布しているウクレレ用の楽譜集「ウクレレ・ジャズ」これの最後のほうにこの曲が入ってる。初心者向けのそんなに難解な譜面でもないんだけど、初心者用だからと云ってラモーンズみたいに3コードで押し通すようなパンクな編曲じゃなく、要所要所に決めの繊細な和音を挟み込んで、基本的にはシンプルな編曲なのに全体は洒落た曲想になるような仕上がり方になっていて見栄えがいい。
この「フールズ・ラッシュ・イン」もそんな編曲ではあるんだけど、いかんせんシナトラ伴奏のヴィンセント・ギャロ版が一番と思ってるようなこだわりのある曲だと、お気に入りの編曲のここが決めだと思ってるところが全く違う様子に仕上げてあると、これは違うという思いのほうが強くなってしまって、駄目だとは思わないにしても、こうじゃないんだけどなぁという思いで弾くことになる。これも、この楽譜集に入ってる「ストレンジャー・イン・パラダイス」もそんな感じだった。この本の編曲そのものは洒落てるんだけど、こっちの思い入れのほうが強すぎて、頭の中にある曲との差異に戸惑ってしまう。原曲の気に入ってるコード進行とかフレーズとか強引に織り交ぜて自分なりにアレンジしてみようかなぁ。
他にも楽譜がないから、最終手段としてもう自分で強引にウクレレで弾けるように捏造してみようかと思ってる曲だとヘンリー・マンシーニの「Dear Heart」だとかデイヴ・クラーク・ファイヴの「because」だとか、トレメローズの「Silence Is Golden」とかある。我ながら似たようなテンポ似たような曲調のものばかりだ。しかも古い。



レコード盤の映像を見ていたら、その手に伝わってくる感触を思い出して、レコードを通して音楽を聴き始めていた頃の生々しい感覚がよみがえってなんか胸に迫ってきた。

この前アマゾンを見ていたら、このNova Uのテナータイプでピックアップ付きなんて言うのが出てるんだなぁ。これだとアンプにつなげることができる。テナーということでさらに弾きやすく、フレットも一体成型のものから金属製のものに変更するような改良もされていて、いいなこれ。物欲を刺激される。セールで値段が下がってる頃合いで買ってるかもしれない。







ワクチンの副作用、主に自己免疫疾患について。これサンテレビで先日報道されたものの一部だなぁ。これを共有する前に被害者の声などを含む元のを引っ張ってきていたんだけど、元の報道はあっという間に削除されてた。

ツイッターを埋め込むのにやり方が分からずしばらく悩む。わたしみたいな人もいるだろうから参考に書いておくと、ツイートの右上の点々が並んだアイコンをクリックすると、埋め込みの項目が出てくるからそこからコードを入手できた。下に並んでるアイコンの「共有」からではこういう形でブログに持ってくることはできない。

もとの報道の再アップ版。何度か削除されてるので、これも短命かも。上のはこれの一部分を抜き出したもの。



日本国紀

日本の怪談を巡る一方で「日本国紀」を読み始める。物語作家の手による日本の通史。歴史小説のように範囲を狭めて物語るものはあったにしても、作家の手による通史というのは、わたしは知識不足で分からないんだけど、ほかにもあったんだろうか。
とにかく鎌倉時代まで読み進んで、大河ドラマの「鎌倉殿の13人」とシンクロし、文字で登場する人物に、小栗旬だ!とか具体的なイメージが付け加わり、時代背景もドラマで展開する視覚的要素が絡まってなんとも臨場感が出てきて面白い。で、この辺りまで読んで、この本は版を重ねるごとにずいぶんと大幅に加筆訂正されてるという事情は知っていたから、これは新装版を読んだほうがいいかもしれないと思って結局買いなおし、また最初から読み直している。新装版は文庫の上下巻の二冊組。読みやすさ、読書がもたらす空間のゆとり具合は従来の単行本のほうが圧倒的にあるのがもどかしい。同じ内容でも文庫は受け取る空間の感触がやっぱりせせこましい。
歴史は出来事の生起する順を定めるだけのものじゃなく、むしろそんなのは歴史でも何でもなくて、年表なんてどこを探しても歴史の欠片も見当たらない。ただ出来事の順を記しただけの表は、物語ることによってはじめて歴史となる。歴史はそういうもののうちにしか立ち上がってこないし存在もしないと思ってる。思うに過去を知るための基盤となるいろんな資料、そういうものも書き手の思惑によって書かれている。一編の物語にする際に取捨選択された出来事にも作者の意図は反映していて、そのうえでどういう人間がどういう生き様を見せたのかが作者の目を通して生き生きと語られる。逆に言うとそういうことを伝えようとする衝動なしにどのようなものも書き終えることなどできないだろう。過去から届く、そういう歴史資料を書き残し未来へと繋げてきた人の衝動、思惑を取りのけて作る歴史に何の意味があるのか。そんなことを考えると物語作家こそが歴史を語る最適任者であるとさえ思う。さらにいうなら大河ドラマで歴史を我がもとに引き寄せ自らの血肉とするのも歴史に対する態度としては大正解だと思う。
ちなみに「鎌倉殿の13人」でやたらとこの時代に親密になってしまって、時期的にはもう少し先のことになるけど「元寇」に結構な興味を抱いてしまった。蒙古、高麗軍4万に対して圧倒的な数の劣勢を強いられた鎌倉武士。鎌倉武士たちが守るべき一所を離れた場所で何を思い、何を拠り所にして、いかに戦ったか。単純に神風が吹いて元軍が敗走していきましたなんていう話じゃなくて、もう良質の冒険小説が出来上がる下地が全部そろってるような出来事だったじゃないか。
元寇をテーマにしてどんな小説があるのかちょっと調べてみたら、簡単にリストアップされたのは高橋克彦の「時宗」と伴野朗の「元寇」の2作品。でも「時宗」のほうは北条時宗がテーマで元寇はその中のエピソードみたいな扱いに見え、「元寇」のほうは蒙古軍側にも結構描写が割かれてるような、鎌倉武士の戦いぶりに特化した内容でもなさそう。レイテ戦記の元寇版みたいなのが読みたいんだけどなぁ。実際は蒙古、高句麗、日本に残された各資料で食い違いがあるために、何が起こったのか詳細はよく分からないらしいからこれはちょっと無理か。
コミックでは「アンゴルモア 元寇合戦記」という、最初に戦場となった対馬で、蒙古、高麗の大軍に対峙した対馬勢の、領民を守りながらの戦いぶりを描いたものがあった。勝ち戦など最初から望めずに撤退戦を余儀なくされるなか、多大な犠牲を強いられながらも地の利を生かした戦略を駆使して活路を切り開いていく主人公は元鎌倉武士の御家人で今は流人となって対馬に流されてきた義経流の使い手、これに先祖代々防人として対馬に定住し、壇ノ浦で入水せずに落ちのびた安徳天皇を頂点に据える謎の集団なんていうのが掩護に参戦してきたりして、虚実入り乱れてめっぽう面白い。
ゲームでは元寇後の対馬を舞台にした「ゴースト・オブ・ツシマ」なんていうのがあるし、案外コミックやゲーム好きのほうが元寇には馴染みがあるかも。
あと、「鎌倉殿の13人」そのものは、そのもとになった「吾妻鏡」が竹宮恵子によってコミカライズされてる。ただかなり人間関係がややこしい群像劇のエピソードが関係もにわかに把握できないような唐突さで並列的に繋がれていくものだから理解のしづらさはむしろ「鎌倉殿」の上を行ってる。ということで大河の理解の助けになるかと思って読み始めたものの、結果は逆で大河の副読本としては役に立たず、むしろ出来事の連鎖を補完しメリハリをつけ、キャラクターを個性的に描き分けている「鎌倉殿」のほうが、参照することによってこのコミックの理解の助けになりそう。そう思うと簡単に説明しただけで理解が及ぶ前に突っ走っているところも多々あるものの、大人数の群像劇を的確に捌いていく三谷脚本の今回の大河の出来は相当いいってことだろう。



佐藤春夫 美しき町・西班牙犬の家 他六篇 岩波文庫
梅原猛 写楽 仮名の悲劇 新潮文庫
井沢元彦 逆説の日本史 5 中世動乱編 源氏勝利の奇跡の謎 小学館文庫 すべて古書110円。

写楽の正体って今ではどうやらほぼ定説といったものができあがってるようだ。ならこの本の結論は間違っているんだけど、その結論へ至る論理の筋道をたどるという点では今も楽しめるんじゃないか。
ちょうど今やってる大河、「鎌倉殿の13人」の時代に照準があってる内容だ。このシリーズのこの巻だけ、タイミングよく古書で見つけたので即購入。

増えた積みゲー。
ゼルダの伝説 スカイウォードソード 2900円
ブレス オブ ザ ワイルドもろくに進んでないまま放置状態なのに。



知覚の地図 XXXV 永遠の二つ手前で、傘を差し雨を待つ極楽鳥たちの群。外套は染み出す想念を吸って重くなっている。叛乱は成就するか。

潜る道

中華ギター
アマゾンでDonnerという低価格中華ギターを衝動買い。コメントを見れば、安物まるだし、調整しても使用に耐えないと、ここぞとばかりに貶しまくってるものから、特に問題なくよくできていて、コストパフォーマンス抜群といったものまで、両極端の評価でまんべんなく割れていて、全く判断の材料にならない。高いお金を出して最初から安心品質のギターを買うならこういう風に迷いもしないんだけど、そこまで出費する気もなくて、選択肢は今のところこの安物ギター一つならば、結局質云々は購入してどういうものか実際に触って確かめるしか方法がなく、物欲肥大化に押されてここは賭けに出てみようと注文してみた。
なんと注文から二日ほどで家に届き、美味しいものを後に残しておくタイプなので未開封のまま一日ほど置いた後、期待半分不安半分、賭けの結果はどうだったかと舞い上がり気分で開封してみると、箱から出てきたのは思いのほかまともな、というか良品と云ってもいい作りのギターだった。
アマゾンのコメントで貶されていたポイントは、この人たちいったいどんなものをつかまされたんだと思うくらいことごとく的外れ。ネックは反ってもいないし、フレットの処理も綺麗。弦高は12フレットで標準的な2mmにきちんと調整されているし、オクターブピッチも狂いなく問題なし。ペグもまだら模様の巻き上げ感じゃなく、一定の重さでスムーズに動き、一日経過くらいだとチューニングもほとんど狂わない。ボディの塗装も綺麗で、外観の仕上げでただ一つ、1フレットにうっすらと汚れが付着していたのがマイナスポイントだったんだけど、これはまぁ目立つこともないし許容範囲だった。
アンプを持っていないからピックアップなどの電気系統は確認できず、ここが初期不良で壊れてる可能性はあるものの、それ以外は普通によくできてるギターだった。各部分の材質なんかで高級なものと鳴りが違うとか弾きやすさに違いが出ると云ったことはあるだろうけど、弾きやすさ弾きにくさは標準的なレベルを保っていて、高級ギターと比べでもしない限りそういうことはそもそも気になるポイントになりようもない。
ということで衝動的な買い物の賭けとしては電気系統未確認という点を除けば、もっともこの点がかなり重要なポイントであるかもしれないというのが痛いところではあるものの、総じて大当たりという結果になった。そりゃ余裕があるなら欲しいブランドの馬鹿高いギターもあるにはあるんだけど、こういう分野でやたらヴィンテージとか言う価値判断が横行しているのに反感をおぼえることもあり、そんなのちっともロックじゃない、パンクの精神好きとしては資材置き場に捨ててあったようなボロギターに弦を張ってこそかっこいいんだろうと思うほうが強かったりする。
それにしても買ってみて改めて思うのは、パンクやノーウェイブの精神は感性の奥深くに根付いてはいるものの、今となっては音楽としてのロックにはほとんど興味なく、昔からブルースにはまるで感覚を喚起されたこともないのに、いったい何を弾くために買ったんだということだ。ネットではギターの速弾き自慢のほとんどがチョーキングフルスロットルのブルース味濃厚なフレーズを披露しているが、そんなの練習したいとも思わない。買ってから気づくのは遅すぎるのか。
普通こういうギターを買うなら選択肢はストラトキャスターのタイプだと思うんだけど、わたしが気に入っていたギタリストはなぜかストラト使いがほとんどいなくて、このテレキャスターのタイプを使ってる人が多かった。だから形は昔からこのテレキャスターのシルエットが大好き。ジョン・スコフィールドにビル・フリゼール、初期のころのジミー・ペイジとか、最近だとユーチューブで路上演奏しているフュージョン系ギタリストのChutaさんとか。テレキャスターの、王道からの絶妙の外し具合というか、そのくせロックギターの芯だけでシンプルに屹立しているような姿も併せ持っているひねくれもの具合が、各自の音楽にもどこか反映しているようで、なんとも小粋な感じがする。でもこういうギタリストがお気に入りだったからと云って、では自分は目指せフュージョンとか目指せスコフィールドっていう感じかというと、そうでもないんだなぁ。



ヴィンセント・ギャロの映画「Buffalo '66」の中でシナトラ・バージョンの伴奏で歌われる「Fools Rush In」だけど、こういうのをギター・アレンジで弾いてみたい。プレスリーや同アレンジのシナトラのものよりも、このバージョンが好き。

あと揃えなけらばならないのがアンプだ。ソリッドギターなのでそのままでも音は出ても金属弦をはじく音しかしない。アンプを買うならば家で鳴らすだけなので音量に関してはその程度で十分なんだけど、最終的に耳に届く音が安っぽければ、おそらく嫌になってくるだろうし、ここは安物買いはひとまず中断して多少はお金をかけるつもり。アンプを一台揃えておくと電気化したウクレレも繋ぐことができる。ちょっとした物欲にかられたことでどんどん深みにはまり、散財期間が続く。

いつのころから始まったか日本の怪談、幻想譚を読み継いでいって、その流れは今も途切れることなく、最近は内田百閒の「冥途・旅順入城式」を読み進めている。「冥途」は1922年発刊の内田百閒の第一短編集で処女作、「旅順入城式」は1934年発刊の第二短編集となり、両方とも異界と狂気が溢れる作品集となってる。戦前を区切りとして、内田百閒としては同趣向ではこの二冊限りの短編集を一冊にまとめた岩波文庫版は最良の選択となっているだろう。ちなみに「冥途」は発表当時、世間的にはあまり相手にされなかったらしい。今回は何度目かの再読であり、その再読もそろそろあと何話かを残すのみというところまで進んでる。ただこの同趣向の二冊の短編集を読んでると、最後のほうは正直なところちょっと飽きてくる。なにしろ、結局のところ扱っている感覚は全部一緒、極端なことを云えば舞台や取り巻く状況はそれぞれの話で異なっていても、核にあるのはもう全部同じで、同じ話を延々と読んでいるのと変わらないような気分になってくるからだ。ただその核になっているものがユニークで、内田百閒にしか顕現してこないものだったりするのが特筆すべきところなんだと思う。
云ってみるなら存在の奥深くに巣くっているような不安感、後悔、盤石の現実という幻想の下で、たやすく一歩踏み誤る、身近の足元に待ち構える狂気。そういったものが通奏低音として作品の基底部分で低く鳴り響いている。その薄気味悪い通奏低音のうえで主人公、名前もなく明言されてはいないけどほぼ100パーセント無条件で男性の主人公が暗い土手の上を歩いたりやばそうな気配が濃厚な深い藪の手前で踏みとどまったり彼方に灯りの見える横道の入り口で途方にくれたりする。現実の中に異界の気配が流れ込んでくる場合もあるし、いきなり異界で浸食された現実の中に放り込まれてる場合もある。だれか分からない随伴者がいつの間にか後ろについてくるのを気づいても、誰だか知っているような気はするが、誰なのか思い出せない。思い出すととんでもない恐ろしいことが起こりそうな気がする。作品集全体を覆う感覚だけど、まるで夢の中で感じるもどかしさ焦燥感そのものだ。
全く外観が異なった全く同一の物語がそういう異界と現実を交差させ、さまざまな薄気味の悪い、あるいは病みつかれてなお超常的に美しいイメージを積み重ねていく。水鳥を追いかけて川面を泳いでいるうちに、周囲の世界を飲み込みながら、絶えることなくせりあがっていく水面と、その視界一面を覆いつくすようになった水面が空と接する間際の光景。天井まで届く巨大なガラス棚に、死んだ兵士たちが折り重なるように展示されて耐えがたい臭気に満ちた展示室。一読脳裏に焼きつくような鮮烈な世界が一話読了するたびに目の前を通りすぎていく。
「冥途」のなかで一番有名な「件」は別格として、わたしが好きなのは狐に化かされる話を童話的なほのぼのとした路線じゃなくて、逃れようのない迷路に取り込まれた悪夢として描いた「短夜」、頭のネジのすべてが抜ける寸前まで一気に緩んでしまったようなヴィジョンで締めくくる「豹」、どことなくクーロンズゲートの雰囲気を思い出させた「遣唐使」、本人も気づかないうちに狂気が忍び寄ってくる「山高帽子」、この辺りか。ぐにゃぐにゃする馬の脚と大砲の弾が一面に突き出てる前庭を踏み越えて入っていく「遊就館」や、すでに決定し逃れようのない哀しみに満ち溢れた表題作の「旅順入城式」もいい。





久しぶりにこういう話題。自分の中ではすでに結論が出てるのでその様々な側面の確認みたいな接し方になりつつある。ユーチューブの元画面のコメントの中で、多く医師同じ考えなら、ずいぶん違った世の中だったろうなと書いてる人がいて、まさしくその通りだっただろうと思う。





種村季弘編 日本怪談集 奇妙な場所 河出文庫
この前取り上げた日本怪談集は二冊で完結となっていて、これは残りの一冊。
東雅夫編 文豪怪談傑作選特別編 文芸怪談実話 ちくま文庫
東雅夫編 文豪怪談傑作選特別編 百物語怪談会 ちくま文庫
小川洋子の偏愛短編箱 河出文庫
小川洋子の陶酔短編箱 河出文庫 メルカリ等、オンラインで入手。大体みんな500円前後だったと思う。辛抱が足りなくなってきたのか、本来は長編好きのはずなのに、このところちょっと短編づいてる。
ジョン・アーヴィング 「ガープの世界」上下 新潮文庫 110円
ジョン・アーヴィング 「サイダーハウス・ルール」上下 文春文庫 110円
西部邁 国民の道徳 220円
百田尚樹 日本国紀 220円
と云いつつやたら長い本も買ったりはしてる。