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チョコレート・ファイター体験記

先週の11日に、映画「チョコレート・ファイター」を観に行って来ました。
実はわたしは格闘技の映画って今まで、というか今でも完全に守備範囲外で、ほとんど興味が沸きませんでした。ブルース・リーにしても、何故こんなに夢中になってる人がいるのか昔からさっぱり分からなかったし、ジャッキー・チェンの映画は人間離れしたアクションには多少興味を引かれはしたものの、そこから好んでのめりこんでいくということも無かったです。
ジャキー・チェンの映画辺りからハリウッド映画に拡がって云ったカンフータイプの映画、細かい手順に沿って一定のリズムでお互いにリズミカルに手を出し合うような格闘シーンとか見ても、何だか極めて派手で過激な「せっせっせ」でも観てるような気分になることのほうが多かったです。

それで、格闘技映画にその程度の興味しかなかったのになぜこの映画に興味をひかれたのかというと、少女が小細工無しの極めて過酷な格闘を演じてるっていうのを知って、これが妙に新鮮に頭の中に入ってきたんですよね。スタントは使わない、ワイヤー、CGは一切使わない、フィルムのコマを落として早く動いてるようにも見せない、その条件で人間離れしたアクションを、おそらく存在としては最も遠い位置にいるかもしれない少女がこなしてる。人間離れしたアクションっていうのはカンフーものの中でもジャッキー・チェンの映画の唯一興味を引かれた部分でもあったので、ここではカンフーじゃなくムエタイなんですが、それをこういうかけ離れた少女がやってしまったって云う点に新鮮さを感じました。何か前代未聞のものが観られるんじゃないかと、そんな風に思ったわけです。

上映してたのはムービックス京都で、観に行った日は上映最終日の一日前。記録的な意味合いで書いておくとスクリーンは以前の松竹座、今は一階が紀伊国屋書店になってるムービックス京都の南側の建物の2F、9番スクリーンを使用して、終了間際のこの時点での上映回数は1日2回になってました。お客さんは大体10人くらいだったかな。期間中にどれだけ客が来たかは分からないですが、最終日一日前にしてもちょっと少なかったかもしれません。
劇場の中央少し前辺りを予約して、まぁチケット買うときにどこでもほとんど空いてますと云われたので予約する意味も無かったんですが、ともあれその辺りに座って観ていると、遠くから人の気配はかすかに伝わってくるものの、ほとんど独占状態で観てるような感じになってました。終了してから劇場を見渡してみたんですが、最後列近くに並ぶように座席が埋まっていて、意外と後ろの方の席を確保する人が多かったようです。
わたしは今までに一度も経験が無いんですけど、劇場で本当に1人で観てる状態になれば、完全独占状態で凄く気分良いか、逆に自分だけのための巨大な施設を動かしてもらってると思って居心地が悪くなるか、どちらになるんでしょうね。

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当日のムービックス京都の中です。

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一応一度だけ鑑賞した印象をちょっと纏めておくつもりで書いてるんですが、何時になるかこれをブログにアップする頃には当然上映は終了してるわけで、記事にするタイミングとしてはあまり良くないです。こういうことをするつもりならあまりぎりぎりまで放りっ放しするのは考えものですね。

☆ ☆ ☆

主役の少女ゼン("ジージャー"ヤーニン・ウィサミタナン、通称ジージャー)は、傷のあるものに惹かれるという性癖を小さい頃から持っていた日本のやくざマサシ(阿部寛)と、タイのマフィアの女ジン("ソム"アマラー・シリポン)との間に生まれた子供。
勢力を拡大しようとする日本のやくざとナンバー8(ポンパット・ワチラバンジョン)率いる現地のマフィア組織の抗争が続くタイで、マサシはナンバー8の片腕とも云うべき女ジンと運命的な恋におち、ナンバー8の前からジンをさらっていったが、やがてマサシの身を案じるジンによって日本へ帰国することを勧められる。
マサシを帰国させてからジンは1人でマサシとの子を産み、その少女を日本にちなんだ言葉「禅」からゼンと名づけた。
ゼンは脳に障害を持って生まれた子供だった。しかし、日常は他人とまともなコミュニケーションもなかなか取れないような生活ではあったものの、その障害と引き換えにゼンには常人には到底持ち得ない身体能力が備わっていた。
ゼンは驚異的な反射神経と、目にしたものの動きを全て瞬時に把握して自分のものにすることが出来るという能力を持っていた。
ジンと一緒にナンバー8から身を隠して生活していた住処の近くにあった、ムエタイ道場の練習風景を眺めるだけで、ゼンはムエタイのすべての動きを自分のものにしていく。TVで観るカンフー映画や格闘ゲーム(!)からも格闘術のあらゆる動きを完璧に把握していった。
ゼンは幼馴染のムン(タポン・ポップワンディー)と一緒になって、その驚異の身体能力に磨きをかけながら成長していった。

やがて母親ジンが白血病を患っていることが発覚する。ゼンとムンは路上で反射神経を利用した大道芸を披露して小銭を稼いでいたが、母親の薬を賄うにはそれでは到底追いつかなかった。

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金に困り果てている時ムンはジンが隠し持っていた昔の帳簿を発見して、未だに回収してない借金がかなりあることを発見し、帳簿を元に昔の負債者から金を返してもらおうと、ゼンとともに負債者のところを廻り歩くことにした。

やがてその事がナンバー8の知ることになる。自分の島を荒らされてることと、ジンが未だにマサシへ心を残してることを知った嫉妬心から、ナンバー8はジン親子とムンへ復讐し、破滅させることを決意する。

☆ ☆ ☆

お話はまぁこういう感じで動き出すんですが、簡単にまとめて読み返してみたら、ディテールには荒唐無稽というかユーモラスな部分が結構入り込んでる話だったんだなぁとあらためて思ってしまいました。かなりシリアスな部分とか絵的に美しい部分が随所にあって観てる間はそれほどとも思わなかったんですが、ヒロインがやってることって、映画の前半部分は借金の取立て屋ですものね。ジージャーの台詞も、ゼンの設定がコミュニケーション不全ということもあって全体に台詞はかなり少なかったんですけど、その辺りのシーンでは口を開けば「金返せ」という類の台詞しか出てこなかったです。
荒唐無稽なユーモアの混ぜ加減で全体的には不思議な感触が加わった映画になってる感じがします。

この映画の最大の見所は華奢な美少女が同時に史上最強のファイターでもあるという、その矛盾に満ちた特異な存在感にあったと思います。普通だとこの二つはまず両立不可能。大人の女だと戦う女はたとえばアンジェリーナ・ジョリーのトゥーム・レイダーとかいろいろあるんですが、こういう少女ではほとんど無いんじゃないかと思います。
そこでこの両立不可能とも見える要素を同じ場所に並置するために、プラッチャヤー・ピンゲーオ監督が選んだ方法はこの美少女ヒロインを障害者にするという設定でした。
知的障害者が特定の分野のみに特異な才能を発揮する所謂サヴァン症候群の設定なんですけど、この症候群が出てきた映画で直ぐに思いついたのが「キューブ」。あの映画でも他のことでは全く役立たずなのにキューブから脱出するための複雑な計算だけは暗算で簡単にやってしまう人物が出てました。
ただこの映画で描かれるような、驚異的な反射神経とか一度見ただけで全ての動きを把握し自分のものに出来るという能力が本当にサヴァン症候群から生まれてくるのかどうかは、わたしは知らないです。ちょっと都合が良すぎる?

主人公を障害者に設定してこういう形で表現するのは、今の日本ではおそらく不可能だと思います。そういう意味では国情の違いが出ていて興味深いかもしれません。他にも終盤近くにゼンの前に立ち塞がる強敵の障害者が出てきたり、まぁこれは障害者でもないけど、タイだからなのかオカマの暗殺者集団が出てきたりで、いささか見世物的な演出もしてあるんですが、ゼンの周囲はむしろ他とは違う選ばれた者といった存在感の方が強く出る描き方をしてる映画なので、わたしは障害者がどうのこうのといったこととは全く関係無しで、普通に共鳴し感情移入して観てました。
監督は映画の冒頭に子供たちに対してメッセージを残してます。これはハンディキャップのせいで普通の生活もなかなか送れないような子供たちへの応援のメッセージだと監督は云ってるんですが、ゼンのようにある意味恵まれてある障害者は稀にしかいないわけで、あれが直接的に応援の言葉になるのかなというのはちょっと考えるところがありました。

この自らの内に閉じようとして、限られた人間との間にしか意思疎通のルートを開けないような今にも壊れそうな存在なのに、自分の大切にしてるものを奪われ損なわれようとしてるのを目の前にして怒りを全身から暴発させる、存在感に満ちた少女ゼンを演じたジージャーはまさに適役。驚異的な身体能力を駆使して、史上最強の少女という、ある意味倒錯的とでも云えるような今まであまり見たことのない魅力を持ったキャラクターを怪演してます。

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もともとテコンドーの使い手で高校の時にはバンコクのユース・テコンドー大会で金メダルを取るほどの腕前だったらしく、そういう格闘技の素質をこの映画のために4年間特訓して挑んだそうです。
見た目はどちらかというと日本人に近い感じの美少女で、日本人であるわたしにはより親近感がある女優さんでした。
脳に異常がある知的障害者(日本での宣伝などでは自閉症、心の病と言い換えてたそうです)という役どころなので、台詞は極めて少なく、先に書いたように借金の取立て屋をやってるシーンではとにかく金返せのバリエーションを繰り返すだけなんですが、新人女優でテコンドーの実力だけ買われて映画に登場したために台詞が多いと不都合だったとかそういう表現のレベルじゃなくて、ジージャーは確実に知的障害者という役柄を演じてました。そういう部分に説得力がないと、そこから派生して獲得していく驚異の武術も荒唐無稽の部分のみ目立ったような結果になったと思います。

前に取り上げた「ガタカ」も云うならば不適正者ヴィンセントという障害者を極めてクールな美しさで描写した映画とも云えたわけで、そういう云い方でいくとこの映画は血なまぐさい形の真っ只中で障害者をまた別の凛とした美しさで撮ろうとした映画だといえるかもしれません。

☆ ☆ ☆

格闘アクション映画なので、映画の比率は同然の事ながらアクションシーンを重点に置くような形にしてあります。マサシとのドラマ部分とかゼンの成立背景とかは前半に纏め、マサシなんかは物語りに絡んでこないように最初の内に日本に返してしまって、ゼンとムンが取立て屋を始めることから、アクションシーンの連続となって行きます。
借金の取立て屋を始めてから、ストーリーを挟み込みながらも連続するように3つのバトルステージが映画の中で展開していきます。この3つのステージはムンが発見したジンの昔の帳簿に記されていた人物を順番に訪ね歩くという形で連なっていました。
そのステージとは、最初に製氷工場、まん中に、これは倉庫会社なのかな、棚とか箱とかが天井高く積み上げられてる巨大な空間、そして最後に精肉工場。それぞれの空間の特徴は取り立てに行く負債者の職によって異なったものになってます。
わたしはカンフー映画って積極的にはほとんど観て来なかったので知らなかったんですが、最初のステージの製氷工場とかはブルース・リーの映画にも出てきた場所らしいですね。2番目のステージに出てくるロッカーの扉を使った攻防は、これはわたしにも分かるジャッキー・チェン的な雰囲気があったし、バトルステージ全体に過去の格闘映画に対するオマージュ的なものが含まれてるようでした。

最初の製氷工場で借金を取り立てに行ったゼンは負債者には全く相手にされずに逆にその場にいた手下の男たちに袋叩きにされます。そして命の危険に晒されるような状態にまで追い詰められて初めて、今まで見てきた格闘の動きが全身に降りてきてゼンはファイターとして覚醒することになります。
ファイターとして目覚め、袋叩きにあった状態から立ち上がって別人のような戦闘モードに入ったゼンは、このシーンではまるでブルース・リーのようで、あの特徴のある怪鳥的な雄たけびや鼻に手をやる動作などを見せます。この辺でわたしは、ひょっとしてこの映画の格闘ってブルース・リーのコピーを見せるだけ?って思ったんですが、これはゼンのキャラクター付けの細かい設定のようなもので、要するにゼンがそれまで観ていた映画がブルース・リーの映画だったから、最初に無条件で降りてきた動きがブルース・リーのものだったということのようです。わたしは延々とブルース・リーもどきの映画を見せられるのかと少々不安になったんですが、実際はブルース・リー的な格闘を見せるのはこの製氷工場のシーンだけでした。ゼンは戦いを重ねることで相手の動きを見切って全て自家薬籠中のものにしていくので、戦闘のスタイルは映画が進むにつれて変化していきます。

ただこの3つの戦闘ステージの配置は物語的にはあまり上手くない配置だったと思います。
それぞれのステージは趣向を凝らしてます。倉庫会社では入り組んだ障害物や段差のある中での戦闘で、ジージャは180度開脚横回転だとか、低空で投げつけられた障害物の下をすれすれで潜り抜けるなんていう無茶なアクションを披露してくれますし、精肉工場では肉きりの刃物が投げつけられ飛び交うような、相手にダメージを与えるだけじゃなくて完全に殺すことを目的にするようなステージが展開します。

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でも、それぞれのステージはこういう風に戦闘タイプの違うものを揃えてるんですが、物語的には同じ重みづけのエピソードが並置されてるだけというか、ジンの帳簿に載ってる人物を1人づつチェックしていくだけの単調な作業をこなしていくのに似たような展開になりがちでした。
似たようなエピソードで登場人物の名前だけが変わってる短編集みたいなのを読んでる感じ。一つのステージを勝ち進んだことが次の展開に何らかの影響を与えてるという感じがなくて、エピソードがあまり繋がりも持たずに並んでるのを順番に観ていく感じというか、物語的な展開としてはいささか単調な進行になってました。バトルステージごとに趣向が凝らされてたのでこれはちょっと勿体無かったかもしれません。

バトルステージが物語的な盛り上がりとともに機能してるような感じは、ナンバー8がジン親子とムンに対して復讐を始めてからの展開に従ってようやく出てきます。

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それまでの取立て屋モードの戦闘では、それぞれの負債者が倒すべき最終目標となって、ストーリー的には強敵が相応しいと思うのに、結局は全員ただのおじさんにしか過ぎず、配下の屈強な部下を差し向けては来るものの部下を全員倒したところでバトルモード終了、負債者はその時点で大人しく金を返すだけでエピソードそのものの終わりという展開になってたんですが、ナンバー8の本拠地であるアジトビルでの最後のバトルステージに入って、ここにきて初めてゼンの目前に強敵が立ち塞がることになります。TVゲームで云えば中ボスといったところでしょうか。
わたしが観た感じではこの映画、この場面に来るまでに、これを突破しなければ先には進めないって云うような感じがするところってほとんどなかったんですよね。

ここで現れるのが、これがまた異様な相手で、はっきり云って映画の中での扱いはゼンと同じ戦闘に特化したサヴァン症候群の障害者。アディダスのジャージ上下を来た眼鏡で坊主頭の少年で、名前はトーマス、まるで全身が暴走したチック症にかかってるかのように、全く予測不可能な動きをする強烈なキャラクターとして登場します。
主人公の前に立ちはだかる、明らかに常人とは違う感じのこういう強敵は設定としてはかなり荒唐無稽になるかもしれないけど、要所要所に配置した方が物語的には盛り上がっただろうと思います。最後のアジトビルでの戦闘では他にもこういう格闘技マスター的な人物は出てきてはしたものの、異様な雰囲気を引き連れて登場するのはこのトーマス少年だけでした。トーマス少年のような際立ったキャラクターを持つ存在が他に出てこなかったのは、ちょっと残念でした。
この少年の登場シーンは映画全体の空気感を変えたし、そこまで襲い掛かってくる敵をなぎ倒して進んできたゼンがトーマス少年の予想外の動きに翻弄されていく展開もあってなかなか面白かったです。また、ゼンが翻弄され追い込まれながらも、トーマス少年の動きをトレースして自分のものにしていく過程もトーマス少年の存在が異様であるだけに際立ってくるところもありました。

敵アジトビルでの最後の戦闘は、映画のクライマックスでもあるんですが、4階建てのビルの壁面の垂直、水平両方向への空間をフルに使った縦横無尽の攻防戦となります。これは分量的にも結構長くて、壮絶の一言でした。
足場は人の幅ほどの窓の下の出っ張りだけ、路上の空中高くに突き出た看板に体当たりして反射しながら下の出っ張りに移動とか、そんな細い足場と看板を使って空中を乱舞するような、もう絶対に何人か死んでるんじゃないかと思うくらいの驚異的なアクションシーンが延々と続きます。4階からそのまま地面まで落ちた人もいたし。こういうところは、映画の宣伝ではワイヤーアクションは使ってないと言うことでしたけど、明らかに使ってるでしょうね。でもワイヤー使ったからと云って、それがこのシーンの勢いをそぐような方向には向いてなかったので、それはそれで構わないと思いました。
わたしはこの最後の壁面の壮絶な攻防を眺めていて、スクリーンから伝わってくる熱気というか波動というか、何だか知らないけどこちらの感情を無茶苦茶に揺り動かしてくるようなものに翻弄されて、感情の制御を若干失ったような感じになり、別に悲しくもないのになぜか涙が出そうになりました。
でも、この最後の攻防を観て涙流しかけたのって絶対にわたしだけじゃないと思います。

☆ ☆ ☆

それとこの映画、最初の方にも書いたように阿部寛が出てるんですよね。映画は阿部寛の日本語のナレーションで始まるので、タイの映画だと思って観始めたわたしは、これでまず吃驚しました。ひょっとして間違って吹き替え版を選んだんじゃないかって。
でもこのナレーションはどうやら日本で公開した「チョコレート・ファイター」だけの特別仕様だったそうです。

阿部寛って出始めた最初の頃は、モデル出身で見た目だけで飽きられたら消えていくだろうって思ってたら、結構存在感のある俳優になってしまって、この映画でもかっこよかったです。
前半で日本に帰国して退場してしまったマサシも、ゼンたちがナンバー8の手にかかって窮地に追い込まれてると知って、日本で築き上げたもの全てを投げ捨ててタイに戻り、終盤のアジトビルでの攻防では日本刀を持って単身殴り込みをかけてきます。この辺は完全にやくざ映画のノリかも。阿部寛も「トリック」なんかで見せていたとぼけた部分を完全に隠してシリアスに徹してます。

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この父親の行動で刀の動きをトレースしたゼンが、同じく日本刀を振りかざして襲い掛かってくるナンバー8の配下の者たちを刀じゃなく両手に鞘を持って立ち向かっていくというひねりが入った格闘シーンへと繋がっていくんですが、マサシの再登場はそういうシーンを導き出しては来るものの、物語的には前半しにしか登場してなかったので、中途半端な感じは免れませんでした。せっかくのいい俳優を使ったのに、ちょっと勿体無かった。
もっともマサシの出る部分はノワール風の映画で、ゼンが活躍する部分とはちょっと合いにくいって所はあったかもしれません。ラストはマサシの、傷のあるものに惹かれ続けるという冒頭のナレーションに戻るような終わり方で映画を纏めていくんですが、ゼンのなかで父親がどういう位置に居たのか、物語の中では母子の絆に関しては丹念に描写されてたのに、父親との絆についてはゼンの側からもマサシの側からも全然描写されてないから、若干ぶれたようなまとめ方という印象でした。

☆ ☆ ☆

この映画で阿部寛のベッドシーン、全裸が観られます。

☆ ☆ ☆

一度観た印象としては、大体こんなところです。
高橋留美子展の時にも書いたように、わたしは映画でも何か戦利品を持って帰らないと気がすまないので、パンフレットは必ず買ってます。

チョコレートファイターパンフ

「チョコレート・ファイター」のパンフレットもいつものように買ったんですが、このパンフレット表紙の紙も中の紙と同じようにぺらぺらの材質のを使ってるんですよね。
こんなにちゃちな映画パンフレットっで初めて手にしました。これで700円したんですが、やっぱり高すぎという印象です。

☆ ☆ ☆



追記 京都では上映は終了しましたが、6/17現在、未だ上映中、あるいはこれから公開という地域もあるそうです。

チョコレート・ファイター公式サイト

↑のTheaterガイドで詳しい情報を知ることが出来ます。




原題 Chocolate
監督 プラッチャヤー・ピンゲーオ
公開 2009年


☆ ☆ ☆


チョコレート・ファイター 予告編



こっちはタイ版の予告編?



チョコレート・ファイターのアクションシーンをいくつか集めたものがYoutubeに置いてありました。
ジージャーファンが作ったもののようで、BGMは映画のものではなくてThe Ting Tingsの曲です。




☆ ☆ ☆


最後まで読んでくださってありがとう御座いました。

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【洋画】 スナッチ

個性の塊みたいな癖のある俳優が集まってるので、「オーシャンズ~」みたいにそれぞれが得意な能力を生かして、犯罪を成功させる物語だとばかり思ってたら、全然違ったお話でした。この映画、奪われたダイヤを中心に複数の犯罪集団が入り乱れる話です。

しかも映画に出てくる組織、集団の全部がダイヤを中心に動いてるかといえば、全然違うストーリーラインなのに間接的にダイヤ争奪戦のストーリーと接触して巻き込まれていくラインもあって、物語としてはかなり複雑。そのうえ登場人物が10人くらいいるという、完全娯楽映画で後には何も残らないくせに、やたらと頭を使わせるような映画でした。最初に注意をそらしてしまうとまずほとんど理解できなくなるのは確実。

☆ ☆ ☆

話の舞台はイギリスです。
フォー・フィンガー・フランキー(ベニチオ・デル・トロ)が86カラットのダイヤを盗み出したのが始まり。
それをきっかけにどういう人物が登場してくるかというと、

フランキーが強奪したダイヤを、買い取って捌こうとするマフィア、アヴィー(デニス・ファリナ)と、盗品宝石の裏取引屋ダグ・ザ・ヘッド(マイク・リード)。
アヴィーはダグから電話で、無類の博打好きであるフランキーが賭けボクシング会場に行ったと聞かされ、博打では歯止めが利かないフランキーを制止するべく、アメリカからイギリスまで渡ってきて、フランキーを確保しようとする。しかしフランキーは行方不明になっていて見つからない。
フランキー探しに雇ったブレッド・トゥース・トニー(ヴィニー・ジョーンズ)通称「弾丸歯」とともにアヴィーはフランキーを探し回ることに。

フランキーの仲間割れしたメンバーから、そのダイヤを盗み取る依頼を受けたロシア人ボリス・ザ・ブレイド(ラデ・シェルベッジア)通称「銃弾をくぐる男」。
ボリス・ザ・ブレイドは賭博好きのフランキーを賭けボクシングに誘い出し、依頼した強盗に襲わせる計画を立てる。
そこでボリス・ザ・ブレイドから賭けボクシングのノミ屋を襲うように依頼されるのは黒人の質屋ソル(レニー・ジェイムズ)と、同じく質屋のビニー(ロビー・ギー)と逃がし屋のタイロン(エイド)の3人のお笑い強盗団。

裏組織の総元締めで冷酷無比なブリック・トップ・ポールフィールド(アラン・フォード)通称ネメシス。
賭けボクシングの日にノミ屋に強盗が入ったことで、この強盗団を探し出すことになって、これが間接的にダイヤのラインに絡んでいく事になる。

裏ボクシングのプロモーターのターキッシュ(ジェイソン・ステイサム)とトミー(スティーヴン・グラハム)。
パイキー(映画では放浪民と出て来ます)とのいざこざで間近に迫った裏ボクシングのボクサーを潰され、このままでは元締めのブリック・トップに殺されてしまうと思って、無類の強さを誇ってるパイキーのミッキー・オニール(ブラッド・ピット)を裏ボクシングの代役に立てようとする。
ブリック・トップがダイヤの存在を知ったために、ターキッシュとトミーも、元はダイヤなんか全然関係なかったのに巻き込まれていくことに。

☆ ☆ ☆

こういう連中が入り乱れて、話が進んでいきます。話はもつれて要約なんてほとんど不可能。

演出はとにかく凝ってます。ありったけの技巧を凝らしてる。
「スタイリッシュ」って一言云えばその言葉がそのまま当てはまりそうな画面の作り方をしてます。オープニングのビデオモニターを使ったクレジットとか、シーンの繋ぎ方とか、そのまま編集するのが恥だとでも思ってるんじゃないかというようなカットが一杯詰まってる。
この映画、2000年公開だから、それ以降の映画で散々使われてありきたりになってしまった手法、たとえばアクションシーンのスローモーションとか、そういうものも一杯あるんだけど、それでもスタイリッシュな映画ということは十分に伝わってきました。

ただ、こういう複雑な話でこれだけ演出に凝られると、くどさの方が目立ちそうな感じも受けます。映画全体はスピード感のある編集をしてるんだけど、ただでさえややこしい話がカット割りとかいちいち趣向を凝らして切ったり、繋げたりしてあると、混乱に混乱を重ねるような結果になりそう。
もっとも、人物が次から次へと登場する最初の部分を注意深く乗り切ってしまえば、とにかく区別のつきやすい個性の塊みたいな俳優ばかり出てきてるので、演出や複雑な物語で振り回されはしても、意外とそれなりに理解しながら観られる映画でもあるんですけどね。

観ていて思ったのは、これ、タランティーノだってことでした。
男の見本市みたいに癖のあるいろんな男ばかり出てきて、血なまぐさい話の真っ最中に馬鹿げた会話やシーンが挟み込まれる。変わった男が右往左往するのが面白がれるなら、まず間違いなく楽しめます。
アヴィーがブレッド・トゥース・トニーに「弾丸をくぐる男」の由来を訊くエピソードなんて、タランティーノ的で、人を食っててなかなか面白いです。

☆ ☆ ☆

ブラピが出てるものの、扱いは脇役。でも脇役の癖に存在感は話の中心に絡む人物よりも遥かに大きく、やはり大したオーラを持ってる俳優だと再認します。
パイキー、要するにジプシーなんだけど、アイルランド系のわけの分からないなまりのある言葉を話し(意味不明の字幕がでます)、壊れた車を騙して売りつけるようないんちき臭い人物を好演してます。なまりでほとんど分からなくなった言葉というのも、雰囲気は凄く伝わってきてました。
パイキーの居住区のシーンでブラピといつもつるんでるダレン(ジェイソン・フレミング)が、物語的には背景の添え物のような扱いに過ぎない人物だったんだけど、わたしには一人だけ小さいスポットが当ってるように注意を引いて、かっこいい俳優に見えました。

ベニチオ・デル・トロのあっけない最後は意外だったかな。場面場面で物凄くかっこつけて出て来て、物語の発端であるダイヤの強奪者でもあるのに、あの馬鹿げた最後。ベニチオ・デル・トロは、もうちょっと観たかったんだけどなぁ。

☆ ☆ ☆

ただ、これだけ入り乱れてもその割りにスマートさも保ち続けてる映画だから、最後も切れ味のある終わり方をするかと思ったら、文字通り力任せの終わり方をしたので、これはいまいちでした。
あの終わり方だと、どんな話が前に来ていても簡単にけりがつけらるんじゃないかと。

☆ ☆ ☆

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(2007/05/30)
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Snatch - Trailer


原題 Snatch
監督 ガイ・リッチー
公開 2000年


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【洋画】 パルプ・フィクション

観た後になってスティーブ・ブシェミも密かに出てるのを知りました。初見の時はまったく気づかなかった。
探すつもりでもう一度観てようやく発見したんだけど、別にこそこそと隠れてるわけでもなかったなぁ…。しかもただ分からないだけじゃなくて、化けた相手にもよく似てました。あのスティーブ・ブシェミに最初から気づいた人ってどれくらいいたのかな。
それと、エリック・ストルツ。こっちは堂々と顔出ししてるのにエリック・ストルツだと気づかなかった。

☆ ☆ ☆

この映画は4つの話が一つの器に詰め込まれたような体裁をしてます。

1つはパンプキン(ティム・ロス)とハニー・バニー(アマンダ・プラマー)のレストラン強盗。
レストランでコーヒーを飲みながら、いかに効率よく危険を冒さないで仕事が出来るかを話し合った結果、強盗するには今自分たちがいるレストランが一番適してると結論が出て、その場でレストランを襲うことを決定する、強盗カップルの話。

2つ目はビンセント(ジョン・トラボルタ)とジュールス(サミュエル・L・ジャクソン)のギャング・コンビ。
ボス、マーセルス(ヴィング・レームズ)の奪われたお宝を奪い返すために奔走してるうちに、タレコミ屋を誤って車内で射殺してしまい、その始末に四苦八苦する話。

3つ目はビンセントとミア(ユマ・サーマン)。
ビンセントはボスの妻ミアの相手をすることを頼まれて、食事に付き合ったりすることになる。帰宅後、ビンセントのコートのポケットから、ビンセントがたまたま持っていた純度の高い麻薬を見つけたミアはそれを大量に服用してしまい、瀕死の状態になってしまう。ボスの妻が死んでしまえば自分もただではすまないので、ミアを助けるためにビンセントが右往左往することに。

4つ目はボスのマーセルスとボクサーのブッチ(ブルース・ウィリス)。
ボスからいかさまをやるように云われてたのに、裏切って自分に大金をかけて試合に勝ってしまい、マーセルスに追われる羽目になる話。

☆ ☆ ☆

映画は4つの話の時間軸を攪拌してるような作り方で、初見の時は結構複雑な印象を持ってたんだけど、再見してみたらそれほど複雑に混ぜ合わせたような作りでもなかったです。
通常の時間の流れからいけば、ビンセントとジュールスの話が終わる頃にパンプキンとハニー・バニーの強盗の話が起きて、その後マーセルスとボクサーのブッチの話が始まるという順序なのを、最後のブッチの話をビンセントとジュールスの話のまん中に組み込むという形にしてる。強盗のシーンが映画の最初と最後に振り分けられてる以外では、出来事の順序を移動させてるのは結局のところ、ほとんどこれだけと云ってもいいくらいのものでした。

時間軸を組み替えてるので、因果関係がそのままの順序で出てこないところがあります。
たとえばビンセントの最後のエピソード。
ビンセント最後のシーンはブッチのラインの中ほどに出てきて、その結果に至る過程はブッチの話が終わってから始まるビンセントとジュールスの話の後半で出てきます。
ビンセントは安全装置もかけておかないほど銃の管理が杜撰だっていうことなんですが、このせいでジュールスとの話の後半にタレコミ屋を誤って射殺してしまいます。
ブッチの話の中で出てくるビンセントのラスト・シーンは、この管理の甘さが遠因になっているようで、でも逆順で出てくるから、後になって出てくる伏線がその対応している結末に即座に結びつき難く、観終わって暫らく後になってから「あぁ、そういうことだったのか」と発見したりします。
こういうのは何か妙な大発見をしたみたいな気分になって結構面白い。

または、冒頭のパンプキンとハニー・バニーのレストランのシーン。
このシーンはトラボルタ、サミュエル・L・ジャクソン・コンビの話では終わり近くに当って、2つの話はレストランで交差することになります。
映画の冒頭でパンプキンが強盗について話してる同じ時間に、観てる側はそんなことを知るわけがないんだけど、実はトラボルタらも、このレストランの中にいるわけです。
それで、冒頭シーンの、ハニー・バニーの大写し画面の端で、この時点ではまだ話が始まってもいないトラボルタがトイレに向かう後姿を、既に密かにちょっとだけ紛れ込ませたりしてるんですよね。
「あとで気づいて吃驚する」みたいな遊びが、映画の中に一杯ばら撒かれてそうです。

☆ ☆ ☆

自分で自分のことを「パルプ・フィクション」だと云ってるくらいだから、映画の中で展開されるこの4つの話は徹頭徹尾くだらない話です。何の主張もなければ、その話を頭に入れたとしても一切何の役にも立たない。
登場人物がめったやたらと喋りまくる映画でもあって、そのお喋り一つ一つがこれまたくだらない話題のオンパレード。
ボスの奥さんの足をマッサージしたやつをボスが4階の高さから外に放り出したのは、やりすぎなのか適切な報復なのかとか、フランスではハンバーガーの名前をそれぞれどういう風に云ってるのかとか、そんな類の話題を飽きもせずに延々と云い合ったりする。
ただ、くだらない内容の話ばかりではあるんだけど、台詞とかはうまいです。
ジュールスの友達ジミー(タランティーノ監督本人出演)がタレコミ屋の死体と血で汚れた車を持ち込まれた時に喋る「”二ガーの死体預かります”の看板」の台詞の組み立て方とか、凄く面白い。

くだらないものばかりで出来てるので、映画は何か主張を持ってるべきだとかいう見方で挑むと、まるっきり接点の持てない映画になります。
くだらない会話のくだらなさをそのまま楽しめること、鏡を使ったそれなりに凝ったカットとかが出てきたりするのを観たまま楽しめること、そういったことを理屈ぬきで楽しめることがこの映画を観る条件なのかもしれません。

☆ ☆ ☆

物語の意義みたいな話でいくと、個々の洒落たカット、シークエンスだとか、トラボルタとユマ・サーマンのツイストみたいな、俳優のちょっと尖がった仕草だとか、ぐだぐだと続く馬鹿話だとか、気のきいた音楽だとか、そんな目や耳をひきつける要素を一番に見せたいんだけど、そのままでは断片に過ぎないから、その断片を映画の形にするためにストーリーが用意されてるといったような感じでしょうか。
かっこいい断片を繋いでいくための接着剤みたいな役割の物語というか、この映画での物語の意味はそんな程度のものじゃないかと思います。
時間軸をいじったのは、物語が接着剤程度の役割しか担ってないのを目立たなくするためだったのかも。

☆ ☆ ☆

この映画、結構とぼけたお笑いに走ってるところもあります。
クリストファー・ウォーケン演じるクーンツ大尉が語る時計の話なんか、これはあの神経質な顔付きの人物が極めて真面目な雰囲気で喋る事とは到底思えない内容だったので、あまりに予想外で思わず笑ってしまいました。
ボスが奪われたものが入ってるアタッシュケースも面白かったなぁ。開けると中から明かりが灯るように輝いて、中を覗き込む人が感心するんだけど、結局中にどんなものが入ってるのか最後まで披露してくれません。
トラボルタとサミュエル・L・ジャクソンの妙な髪形は、あれも若干お笑いにはしってたのかな。サミュエル・L・ジャクソンといえば「アンブレイカブル」だとか、髪型で笑いを取ることに執念を燃やしてるように見えます。

パルプ・フィクションパルプ・フィクション
(2003/12/05)
ブルース・ウィリスジョン・トラボルタ

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Pulp Fiction Trailer


Misirlou - Dick Dale & The Del Tones

メインテーマです。

原題 Pulp Fiction
監督 クエンティン・タランティーノ
公開 1994年


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【洋画】16ブロック

16ブロック16ブロック
(2007/11/07)
ブルース・ウィリス; モス・デフ; デヴィッド・モース

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監督 リチャード・ドナー
公開 2006年

映画は白人警官と黒人のバディ・ストーリーの典型みたいな外見で、他にも馴染みのあるパターンを援用して、二番煎じ三番煎じの映画のように見えるものの、見終わってみれば予想外の拾い物でした。実はあんまり期待してなかった。

わずか16ブロック先の裁判所に証人を護送するだけの簡単な仕事のはずが、途中で激しい攻撃を受け、事態はとんでもない方向に…、といったストーリーで、普通こういうシチュエーションだと大抵アクション映画にしてしまうんですが、主役がブルース・ウィリスだからなおのことアクションにしてしまいそうなのに、意外とアクション方向には走らずに風変わりな友情の物語になっていきます。テーマ「人は118分で変われるか?」のほうに、完全に軸足を置いてる。

ブルース・ウィリスが凄い老け役で出てきます。しかもただでさえくたびれてるのに、さらにアル中でよれよれ。その老けメイクと演技にどうしても注意がいって最初のうち物語の方に入りにくかった。
面白いのはこの役ではかなり額から後退した状態であっても一応髪の毛があるのに、スキンヘッドのマクレーン刑事の方が若々しく見えるってことです。髪の毛も状況によっては、あれば良いってものでもなかったりして。

始まって暫らくしてから、裁判所に護送される証人がブルース・ウィリスに謎かけをします。
「嵐の日に自分以外にもう1人だけ乗れる車を運転してると、老婆と自分の親友と自分好みの女の3人に出くわした。さてこの中のいったい誰を助ける?」っていったような内容の謎かけ。
ブルース・ウィリスは終盤この証人との別れ際に、この不思議な謎かけに対して答えを云うんですが、こういうエピソードとそれを物語に組み込むタイミングはちょっと洒落てて好きです。

敵役のデヴィッド・モースが、ブルース・ウィリスと友人関係にあることを駆け引きの道具としか思ってないような根っからの悪人ではなく、長年の友人でありながら、敵側として追い詰めても行くという両極が一点に折り重なってるような複雑な悪役を演じてました。
この人一見頼りがいのありそうな善人風の風貌でもあるのでこの役にはぴったり。
デヴィッド・モースは善人と悪人が混在する役ってたとえば「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とかでも既にやってますね。



DVDにはもう一つのエンディングが入ってます。個人的にはデヴィッド・モースの行動から派生していくこのもう一つのエンディングの方がデヴィッド・モースの二面性が出ていて良かったと思うんだけど…。劇場公開版のエンディングはダイハードとの兼ね合いとかそういう事情で上のほうから何か云われて選択せざるを得なかったのかな?あえてこういう別エンディングをDVDに残しておいたのは、製作者としてはこちらが本当のエンディングだと主張したかったからじゃないかと邪推してみたり。