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【洋画】 耳に残るは君の歌声

ロシアの貧しい村に住むユダヤの一家の少女フィゲレ(クリスティーナ・リッチ)が、アメリカに出稼ぎに行ったまま音信が途絶えた父親(オレグ・ヤンコフスキー)を追って、大戦前夜のヨーロッパからアメリカへ旅をする話です。
政情不安やユダヤ人迫害など外的な要因で動く他ない場合もあるものの、父親はフィゲレが行動を続ける最大の動機になってます。

ところが映画ではこの父親は、幼少時代のフィゲレと共に暮らし、美しい声で子守唄を聴かせているような生活を写すプロローグと、最後の数分にしか登場しません。
原題の「The Man Who Cried」のThe Manが誰を指すのかということだって、この映画の主要男性登場人物の他の2人、パリ時代の恋人チェーザー(ジョニー・デップ)とパリのオペラ歌手ダンテ(ジョン・タートゥーロ)を合わせても父親以外にないと思うのに、映画のタイトルになっていながらこの出番の少なさ。

フィゲレにも、ロシアから追われるようにしてイギリスに渡り、そこからパリの劇団の踊り子になるくらいまではまだ幼少時の父親の記憶を携え、父の面影を追っているようなところがあるものの、パリの劇団でチェーザーに出会ってからは、チェーザーに熱を上げて、チェーザーの話が中心になっていきます。パリ時代のフィゲレにははっきり云って父親の歌なんかちっとも耳に残ってません。

代わりに中心的になったチェーザーの話も、ナチのパリ入場に合わせて切り捨てられて、この時点でパリにいるのが危険となって、ようやくアメリカに渡る筋道に戻ってきます。ところがアメリカに渡ってからの展開は、二、三回聞き込みをした程度で簡単に父親の居場所がわかって、そのまま再開シーンになだれ込み。
アメリカに渡ってからの話はそこで何かが展開するというよりも、全部がまるでエピローグのようで、パリ時代の話から見ればもう完全に付け足しとしか思えないような扱いになっていました。こんなに早く簡単に見つかるなら、パリでジョニー・デップと恋愛してないで、さっさとアメリカへ渡ればよかったのに。
父を追って旅をするテーマから見ればパリの劇団での話は全くの寄り道で、映画は途中で完全に主題を見失っています。

演出の不足というか、説明の不足というか、そういう部分がいろんなところにある映画でした。
わたし自身が歴史にそれほど詳しくないということを棚に上げても、やはり映画内で起こってる出来事の素性がよく分からない。
フィゲレが村を出るきっかけになる暴動、村の焼き討ちも「あいつらがやってくる」程度の一言でしか説明してくれない。あいつらって誰?
イギリスへ船で渡る時、一緒に行動していた年長の少年たちだけ関門で止められて船に乗れないんですが、何故止められたのか説明してくれない。
フィゲレはイギリスに着いたとたん、おそらく孤児だけを並ばせてるんだろうけど、その列に並ばされて「スージー」という名札をかけられ、今日から「スージー」だと云われる。並ばせて名札をかけているのが何の組織かも分からないし、何故「スージー」という名札が用意されていたのかも説明がないし、フィゲレがその名札を身につけなければならない理由も分からない。
全てを語るのはこれもまた冴えない演出だと思うものの、ここまで省略した演出だと、理解さえできない状態になってしまいます。

☆ ☆ ☆

パリの踊り子時代に出てくる踊り子仲間のローラ(ケイト・ブランシェット)、このケイト・ブランシェットが八面六臂の活躍でなかなか良かった。同じロシア出身ということでフィゲレと同居したりするくらい仲良くなるんだけど、自分に利益になることとかはフィゲレを差し置いても結構したたかであったり、かといって友達を利用するだけじゃなくて、多少は自分の利益にかなってる部分も含んで打算的ではあっても親身になって付き合ったり。おまけに陽気で華やかで、あの時代の写真とかで見る女性のイメージや雰囲気を全身で体現してるようなキャラクターでした。あっけない最後が可哀想だったんだけど。

クリスティーナ・リッチは本当に特異な雰囲気を持っていて、一歩間違えばフリーキーなイメージになってしまいそうなところがユニークで面白い。踊り子のフルメイクで画面に出てる時は、もうまるでほとんどブライス・ドール。
あと子役がよくもまぁこんなに似てる子供を見つけてきたと思えるくらいそっくりでした。とても可愛らしかった。

パリの劇団の団長はハリー・ディーン・スタントン、「パリ、テキサス」のトラヴィスです。さらに云うと「エイリアン」で猫のジョーンジィを追っていって最初にエイリアンの餌食になるクルーでもあります。こうやって見ると随分と年食ってます。

☆ ☆ ☆

元々監督が目論んでいたように、この映画は音楽映画です。残念ながら映画としては空中分解してますが、音楽映画としての見所はかなりあります。クロノス・カルテットとフレッド・フリスのスコアが映画全体に敷き詰められるし、ビゼーのオペラ「真珠採り」の楽曲「耳に残るは君の歌声」は画面上のジョン・タートゥーロ演じるオペラ歌手ダンテを通して聴こえてくる他に、音楽の形態を変えながら幾度も繰り替えされます。
何よりも特筆すべきなのは、ジプシー楽団タラフ・ドゥ・ハイドゥークスが劇中でロマ・ミュージックを披露してくれることです。これは、実際に演奏してるのを観ながら聴く機会なんてあまりないだろうから、単純に面白い。

☆ ☆ ☆

物語のラストはまるで斧でぶった切ったような終わり方をします。一般的にはこの終わり方は不評なんだろうけど、わたしは結構好き。
それまですべてがある速度で進んでたのに画像の方だけいきなりその場で止まってしまったために、一緒に進んでた情感だけが勢い余ってさらにその先にちょっとだけ足を踏み出したような形になって、映画から受けたその感情の形が、勇み足で飛び出した分だけよく見えるような終わり方だと思ったから。
終わり方としては盛り上げるようなシーンをごたごたと続けるよりもむしろ余情をもって潔いと思いました。

耳に残るは君の歌声耳に残るは君の歌声
(2005/11/25)
クリスティーナ・リッチジョニー・デップ

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耳に残るは君の歌声 トレーラー



原題 The Man Who Cried
監督 サリー・ポッター(本当です)
公開 2000年


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【洋画】 ローズ・イン・タイドランド

ローズ・イン・タイドランドローズ・イン・タイドランド
(2008/09/26)
ジョデル・フェルランド;ジェフ・ブリッジス

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主役ジェライザ=ローズを演じたのは、ほぼ同時期に公開されていた「サイレントヒル」の子役と同じジョデル・フェルランドです。

それにしても今一焦点の定まらない映画のように思えました。テリー・ギリアム、結局何がしたかったんでしょうか?

この映画に出てくる登場人物のほとんどは、ジェライザ=ローズの父親ノア(ジェフ・ブリッジス)のように現実世界から薬の世界へ完全に退避してしまうか、あるいは完全撤退しないまでも、それぞれ自分独自の空想のフィルターをかけて現実に向かい合ってます。

頭に手術跡(ロボトミー?)がある男ディケンズ(ブレンダン・フレッチャー)はジェライザ=ローズに、自分は世界を終わらせる秘策を持っていると告げ、「世界」とは憎悪の関係を結んでいるようです。
その姉デル(ジャネット・マクティア)は失われていくものを留めようと剥製を作り、本当は勝てるわけの無い「死」をなんとか出し抜いてやろうと抵抗しています。
それぞれ目の前の現実と、それと関わりあうために拡げる空想の間に葛藤がある。

ところが主人公のジェライザ=ローズは基本的に空想好きという設定のようで、両親が共にヤク中という現実のなかで生活してるものの、生活が悲惨だから空想に逃避してるようにも描かれておらず、現実も空想も少女の中ではどれもこれもみんな同じ、すべてが等価のもののように描かれています。生きてることも死んでることも、対象との距離感を持つ他の登場人物との関わりも、みんな同じように混じり合って、最後には一様な場所に並置されただけのようになってくる。

映画は結局少女の空想の内容そのものを、あるいは妄想モードに入ってる少女の有り様を、見かけは多彩だけど動きに乏しいヴィジョンとして次々に見せつけてるだけという感じになってきます。

父親があの状態で物語もほとんど動かないままに、ジェライザ=ローズの現実や空想が数珠繋ぎになってただひたすら紡ぎだされるだけだから、そのうち全体に収拾がつかないような気配になってきて、観ている途中から、映画としてどう終わらせるつもりなんだろうと思ってました。
それなりの結末には持っていけてたんですが、何だか打算的な結末でここでもまた共感できなかった。

☆ ☆ ☆

話そのものは陰惨の極みで、全体に悪趣味です。ジェライザ=ローズが陥った絶対的な孤独は痛さとして伝わってくるほどに酷い。
少女の空想を扱いながらカメラはちょっと引いた立場で、そういう少女を取り巻く陰惨な現実も描写していきます。
悪趣味な現実描写に重ねて、大なり小なり頭のねじが外れたようなキャラクターばかり出てきて、映画全体のイメージは被害者のいない「悪魔のいけにえ」の不思議の国のアリス版といったところでしょうか。

主役のジョデル・フェルランドは可愛らしいだけの子役という感じじゃないです。とても芸達者。この映画では1人5役、頭だけの人形で遊ぶ時の人形の声4体分を全部1人でこなしてました。

☆ ☆ ☆

画面はなんだかワイエス風っていうか、そんな絵柄が多い。でも舞台はだだっ広い草原に建つ一軒屋とその室内がほとんどなので、あまり広がりがありません。
結構きつめの広角レンズを使っていて、画面の端っこが歪んでます。実は上映中それで若干気持ち悪くなりかけてました。奇妙な登場人物ばかり出てくる映画にはこういう歪んだ画面があってるといえばあってるのかもしれませんが。

ジェフ・ブリッジスの羽織ってる「ことぶき」印の半纏が最初から随分と気になるんですよね。あの「ことぶき」、日本語で記されていてなまじ言葉として読めるもんだから画面に出てくるたびに視線がそちらに行ってしまって。

Tideland Trailer


原題 Tideland
監督 テリー・ギリアム
公開 2006年


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【洋画】 パリ、テキサス

パリ、テキサス デジタルニューマスター版パリ、テキサス デジタルニューマスター版
(2006/08/25)
ハリー・ディーン・スタントンヴィム・ヴェンダース

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テキサスのどこかにあるパリという土地、自分が生を受けた土地でありそこに行けばまた0から始められるかもしれない場所、その神話的な場所を探してテキサスの荒野を彷徨う男、トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)。この主人公が纏う詩的なイメージが際立ってます。
ただお話そのものとしては随分とありきたりなメロドラマでした。

砂漠を彷徨っていたトラヴィスが、とうとう力尽きて行き倒れてしまったところから物語は始まります。行き倒れて救助されたことで居場所がわかったトラヴィスを弟が迎えに来ます。
トラヴィスが身を寄せることになった、ウォルト(ディーン・ストックウェル)とアン(オーロール・クレマン)の弟夫婦のもとには元妻ジェーン(ナスターシャ・キンスキー)が託していったトラヴィスの息子ハンター(ハンター・カーソン)が一緒に住んでました。

トラヴィスとハンターの、父子の情の通いあっていく様がちょっと面白いんですよね。トラヴィスのほうは長い放浪で人と向き合う方法を忘れてしまったかのように、さらに長い間会ってない実の息子っていう特別な関係も重なって、どう振舞えば良いのか途方にくれてしまってる。息子ハンターの方が最初こそ他人行儀であったのが、そのうちぎこちなくはあるけれど、次第にトラヴィスに手を差し伸べてくるようになる。
どちらかというと子供のハンターの方がトラヴィスを導くような大人の対応をしていて、その辺りのハンターの心の動きが何だか健気です。

ところがトラヴィスとハンターがジェーンの元に行こうと決める辺りから、物語は明らかに質が変わっていきます。
親身になって世話してくれた人の良い弟夫婦のことを、この二人は全く気にかけなくなる。弟夫婦の家を勝手に飛び出して、元妻、母親の方に向かう物語の後半は物凄く自分勝手になって行きます。特にハンター。生きてきた時間の半分を共有した養父母に対するハンターの無関心は酷すぎる。
二人が全く無視してしまう結果、弟夫婦は後半の物語から完全に消えてしまいます。トラヴィスを引き取ったために我が子のように養ってきた息子を失ってしまうという結果になっているのに、弟夫婦のことはもうどうでもいい話とでも云わんばかりの扱い。

ありきたりのメロドラマであるうえに、物語の後半弟夫婦のラインを意図不明の形で投げ捨ててしまってる脚本はあまり良い出来とは思えません。そういう脚本なのに、映画が2時間以上の長さを飽きもさせずに見せ切ってしまうのは、これはやはり映像の力によってるんでしょう。

ロビー・ミュラーの撮影によるアメリカの道々の光景はアスファルトに降る雨の匂い、空気の湿り具合まで伝わってきそうな質感に満ち溢れた絵として見せてくれるし、終盤近くの覗き部屋のシーンもナスターシャ・キンスキーの美しさを確実に拾い上げながら、静かに緊張感のある場面を作り出しています。

劇中に出てくる8ミリの映像も良かった。記憶の中の光景、時間の隔たりそのものを見せるようなイメージの、幸せだった頃の8ミリの映像。トラヴィスらが懐かしそうに、黙ってこの8ミリの映像を眺めるシーンはこの映画で大好きなシーンの一つです。
それと通信販売で買ったテキサスのどこかにあるバリの土地の写真。バリの土地の写真は左端に折れた線が縦に一筋入ってるのが、これがまた良い。こういう写真に折れ線を入れてみる感覚が、映画全編で絵の質を上げてるんだと思います。

☆ ☆ ☆

ライ・クーダーの音楽は映画には合ってるんだけど、個人的にはボトルネック奏法のギターの音は、輪郭が茫洋としていてあんまり好きじゃなかったなぁ…。

☆ ☆ ☆

オーロール・クレマンが「ハンター」と呼ぶ時にフランス風に「アンター」って発音してるのが妙に可愛らしかった。

Paris, Texas Trailer


原題 Paris,Texas
監督 ヴィム・ヴェンダース
公開 1984年

【洋画】 グラン・ブルー

グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版
(2003/06/19)
ジャン=マルク・バールジャン・レノ

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監督 リュック・ベッソン
公開 1998年

海から生まれたと言う他に無い、二人の男の友情の物語。

丸眼鏡所持者なのでジャン・レノが画面に出てくれば丸眼鏡が気になって気になって…。この映画でジャン・レノがかけてたのは部分的セルフレームの一山でした。話によるとジャン・レノの私物でアンティーク、物凄く高価な代物だとか。普通ラウンド・タイプのセルフレームは見た目コメディアンになってしまいがちなのに、ジャン・レノはセルフレームでも漫才師になっていません。

ジャック(ジャン=マルク・バール)とエンゾ(ジャン・レノ)の少年時代のエピソードが語られる、初めのモノクロの部分は詩的で綺麗な絵でした。本当にため息が出るほど綺麗。岩肌の海岸線に沿ってまっ平らな海を滑るように進んでいく、遠くまで空気感のある光景が視線を離せないほどに美しい。むしろカラーになってからの海の描写はありきたりなイメージが重なってきてモノクロの絵ほど心震えませんでした。

それと、ラスト・ショット。余韻を含みながら暗転していくあのショットの神秘的なこと!
物語的な締めくくりとしては結構曖昧なんだけど、絵的な美しさとしては突出したラスト・シーンになってる。

ちなみに主人公ジャック・マイヨールは実在の人物で、実際のマイヨールは最後はうつ病だったらしく自殺で生涯を終えてます。

それにしてもこの主人公ジャック・マイヨール、人が恋しくなれば恋人ジョアンナ(ロザンナ・アークウェット)に縋り、海の住人になってる時は、ジョアンナが妊娠を告げてるのにそんなのどこ吹く風と海に潜って、ジョアンナを置き去りにしたままどこかに泳いでいってしまう、傍から見れば極めて自分勝手な人物として描写されてる。
エンゾが評して子供と変わらんみたいなことを云います。まさにその通りで、映画としては目の前の興味を引くものにしか関心を持たないような、子供の気まぐれを延々と写してるようなものを見せられるわけです。しかも人よりもイルカ相手の方が意思疎通出来てるみたいだし。ジャックにとっては人よりイルカの方が明らかに大切で身近な存在なんでしょう。

だから他人には入り込めそうもない、イルカと仲良しの世界で閉じてしまってる主人公よりも、素潜りの記録を競って、ジャックにライバル心をむき出しにするような、人間臭く、俗人的なエンゾのほうが関心を呼びます。あの風貌も手伝い、ジャン・レノのほうが遥かに強烈な印象を残す。
ジャックよりもエンゾのほうに共感してしまうこともあって、エンゾがジャックに寄せる友情が当のジャックに今一届ききってないように見えるのが、無性にせつなかった。