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【洋画】 岸辺のふたり -音楽の言葉で綴るー

今回はちょっと趣向を変えてアニメ映画を取り上げてみます。いわゆる「アート・アニメーション」の類に入るものだと思うんですけど、「岸辺のふたり」というタイトルの短編です。
小船に乗って旅立ってしまった父親を岸辺で待ち続けた少女の一生を、たった8分という短い時間のなかに封じ込め表現しきったアニメーション映画。「岸辺のふたり」には「8分間の永遠」というキャッチフレーズがついてるんですが、それがまたこの映画の雰囲気を良く表してるようで、キャッチフレーズとしてはなかなか上手いです。
この短編アニメを作り上げたのは映像作家マイケル・デュドク ドゥ・ ヴィット(Michael Dudok de Wit)という人です。何だか耳に馴染みのない響きを持った名前の監督さんですが、どうやらオランダの人らしいです。
1953年生まれで、いくつか学校を渡り歩くなか、スイスのジュネーブでエッチングを、またイギリスでアニメーションを学んで、最終的には1978年にイギリスのウエストスーリ・カレッジ・オブ・アートを卒業してます。その後バルセロナでフリーランスで活動した後ロンドンに移り住み、コマーシャルの製作などに従事。
映像作家としての代表的な作品はこの「岸辺のふたり」以外では1992年 「掃除屋トム」1994年 「お坊さんと魚」2006年 「The Aroma of Tea」などがあります。
「岸辺のふたり」はDVDでその存在が広く認知され、その後劇場で観たいというリクエストが多く寄せられたために実際に大スクリーンで上映されることになります。「掃除屋トム」と「お坊さんと魚」が併映だったそうですが、8分のアニメが、何か他の長編映画の併映として上映されたのではなく、メインのものとして上映されたのはこれが世界で始めて、DVD発売後にロードショーを行った映画も極めてまれな出来事だったそうです。
ちなみに新宿武蔵野館では去年までモーニングロードショーとして1年間期間限定で「岸辺のふたり」を連続上映していたらしいです。

岸辺のふたり


わたしは「アート・アニメーション」といったカテゴリーに入ってくるようなアニメーションは結構観るのが好きなほうだったりします。数をこなして観て来たわけでもないんですけど、興味を惹かれれば普通の映画と同じように割りと積極的に観たりしてます。でもアート・アニメーション」系の映画って、特に短編なんかは、表現形式の実験的な拡張だとか、絵画的な表現に手の込んだアプローチをしてるようなものだとか、あるいは具体的な物語よりも動きの面白さに特化させてるようなものといった、ストーリーラインに沿って進む通常の映画的な文法からちょっと外れたところに立ってるようなものが多いという印象なので、結構楽しんで観てる割にはどこか少し身構えるような感じでも観てしまいがちになります。

でもこの「岸辺のふたり」に関しては、そういう身構えて見るという感じにはほとんどなりませんでした。
寓意に満ちてはいるけれど、視覚的に現れている形はシンプルで非常に分かりやすいというのがまず最初の印象で、シンプルさに導かれてそのままこの世界に馴染んで入っていけます。実は少女の一生を8分に収めるための手際は結構見事なものだったりするんですけど、そういう表現手段の特異さをあえて対象化して見せようとはしてないからあまり意識に引っかかってくることはありません。
「岸辺のふたり」はそういう凝ってはいるけれど、凝っていることをこれ見よがしに見せない分かりやすい語り口で「人を慕う想い」を伝えようとしたところが、多くの人の共感を呼んだんじゃないかと思います。
ちなみにこの映画はそういう共感に裏打ちされて2001年の米国アカデミー賞短編アニメーション部門、2001年の英国アカデミー賞短編アニメーション賞、2002年の広島国際アニメーションフェスティバルグランプリ、観客賞などを受賞しています。

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いつもならこの辺でどんなお話なのかあらすじでも書いておくところなんですが、この短編アニメ「岸辺のふたり」ではそういうことができません。というのもこの映画に関しては物語的に捉えることが出来るようなものが劇的空間のなかにほとんど存在してないからなんですね。複数の登場人物がいてそれぞれが動き回ることでエピソードが生まれ、こまごまとしたエピソードが複雑な伏線で絡まりあいながら起承転結を重ねていくような、普通の映画だとあって当たり前のような物語がここでは見出すことが出来ません。
そういうストーリーが存在しない代わりにここにあるのは、キーワード的な単語を使って云うなら「反復と差異(ジル・ドゥルーズの超難解な思想書の題名から反転させてちょっと拝借!)」といったようなものです。「岸辺のふたり」は物語的な要素にはほとんど目もくれないで、その「反復と差異」とでも言い表せるような構造を使って、時間の流れの中で変容していく少女の姿と、それでも変わらない父への思慕を端的に描き、絶えることのない「人を慕う想い」という感情を、観ている側に鮮烈な形を持ったものとして呼び起こそうとします。

映画は父が小船に乗って去っていったのを見送った少女が、その後もこの岸辺に自転車に乗ってやってきては、父が去っていった彼方を眺めて再び帰路につくという光景を繰り返し描写していきます。少女の様子は岸辺にやってくるたびに変化し、描写を重ねていくうちに少女から大人へと姿を変えていきます。少女の変化に対して画面構成は季節的な変化はあるものの基本的に岸辺の並木道のふもとという構成からは離れていきません。
全体の構想が少女が父と別れた岸辺に再びやってくるシーンの繰り返しであるために、そこへ訪れてくるたびに見せる少女の変化が際立って見えてくることになります。少女の一生という変化を短期間の中で見せるには、表現としては思い切っているもののこれはおそらく最適の方法だったんじゃないかと思います。
こういう「反復」することを効果的に使った表現方法は、他の分野ではどうかというと、たとえば小説などを思い浮かべてみてもほとんど使われてないんじゃないかと思います。小説は短編であって、それがたとえ生活のほんの一部分を切り出したようなものでも、よほどの実験的な作品でない限り物語性を放棄するようなことはしないはずです。小さな小さな日常の一齣でもそれなりに起承転結があって出来上がってる。これはおそらく映画という同じジャンルで見ても、実写の短編映画の場合も同じことだと思います。そういう意味でこの短編アニメはアニメーションでしか表せない世界を適切に表現することが出来た、アニメーションであることに必然性を持っていたアニメだったと云えるかもしれません。

少し話が外れるかもしれないけど、わたしが最初にこのアニメーションを観たときに連想したのは、実は小説や他の実写映画やアニメーションではなくて、分野としては一番離れてるかもしれない「音楽」でした。
連想した音楽は現代音楽の作曲家スティーヴ・ライヒが作った「18人の音楽家のための音楽」。
もちろん「岸辺のふたり」にはサウンドトラックとして「ドナウ川のさざなみ」をモチーフにした音楽がきちんと使われていて、これはこの短編アニメに極めてマッチしてると思ってるので、サウンドトラックにライヒの音楽を使った方が「岸辺のふたり」のイメージ的には良かったという意味じゃなく、作品を成り立たせてる基本の部分でライヒの作品は構造的によく似てるんじゃないかという意味で連想しました。
「18人の音楽家のための音楽」はものすごく簡単に云うと、いわゆるミニマル・ミュージックと呼ばれるカテゴリに属する音楽で、短いシンプルなフレーズが延々と繰り返されていくなかで、そのフレーズがゆらぎ、干渉しあううちに、少しずつ変化していく部分が浮かび上がってくるという、まさしく「反復と差異」を先鋭的に具体化したような感じの曲です。わたしには「岸辺のふたり」が見せる場面の構成がこの曲と凄く近い場所に居るもののように思えました。
考えてみれば「反復と差異」って音楽の基本構造でもあります。だからその音楽的な「反復と差異」で成り立ってる「岸辺のふたり」は、映画であるから鑑賞すれば映画的な内容を伝えては来るにしても、映画であるにもかかわらず映画から派生してくるものよりも音楽から派生してくるようなものを根本に持ってる特異なアニメーション、音楽の言葉で綴られたアニメーションのようにわたしには思えました。
「岸辺のふたり」は少女の一生を8分に凝縮する、ある意味時間の表現に特化する他ないアニメなので、時間そのものでもある音楽と繋がりあうのはとても自然なことだったのかもしれません。

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「岸辺のふたり」の絵はペンシルとチャコールを使って仕上げられています。全体はまるで水彩画のようなタッチで描かれていて、どこか素朴で暖かい手触りのある絵といった感じになってます。
でも優しいタッチの絵ではあるけど、優しく穏やかなだけの絵かというと、彩度を落とした色調のせいなのか、コントラストのきつい影が落ちてくるような、あるいはほとんど影絵とでもいえそうな描画スタイルのせいなのか、わたしにはどこか少女が抱え込んでしまった孤独を投影するような絵にもみえる時がありました。このアニメが展開するイメージは穏やかな水彩風の外見なので一見シンプルに見えるようですけど、少女のその時々の心のありようを言葉ではなくて画面に登場する風景や、事物で語りきろうとする、思いのほか含みの多い絵であったと思います。

またアニメなら当然動きの表現となるんですけど、「岸辺のふたり」のアニメーションは、全体が静的な水彩画風の雰囲気の割りにはよく動いてるように見えました。車輪の回転、前後しながら走る、あるいは追い抜いていく自転車、風に揺らぐ木の枝などから始まって父と娘がシーンごとに見せるさまざまな仕草まで、実に丁寧に動きがつけられてます。特に鳥が群れで飛び立つ動きの秀逸なこと。「岸辺のふたり」は「動くものを観ることの快楽」といったアニメの本来的なものを呼び起こすポイントにおいても、とても上手く出来上がってるように思えます。
固有の物語を生成させないためにだと思うけど、この父と娘のふたりが画面に登場する時には、バストショットは皆無で表情も描かれず、台詞も一切ありません。でもそんな登場人物の様子でも、動きの表現が多彩で洗練されてるから、この父と娘の存在は凄く表情豊かに生き生きと表現されてるんですね。動きだけを拠り所にして、その場面場面で移ろい行く情感まで伝えてくるように腐心しているところが「岸辺のふたり」のアニメーションには確かにあります。なんだかわたしは俳優の顔芸に頼りきってバストショットばかりの狭苦しい画面になってるような実写映画にちょっと見習って欲しいと思ったりしました。ちなみにわたしが好きなシーンはお父さんが小船に乗りかけてまた思い直し、娘のところに戻って娘を抱き上げるところ。何だか抱き上げ、抱きしめる動作に万感の想いが込められてるようで、お父さんの気持ちが思いのほか伝わってきます。
動きに関してはもう一つ、たとえば風に乗って自転車が猛スピードで去っていくようなちょっとユーモラスな場面もいろいろと用意してあって、結構重い話と上手くバランスを取ろうとしてるようにみえるところもいいなぁって思いました。重い話だからといってここぞとばかりに深刻な語り口にするだけがいいとは限らないって事です。

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わたしはこの映画を観て、「岸辺のふたり」は観る人の心の有り様によっては随分と印象が異なってくる映画になるだろうなというようなことを思いました。ある意味自分を写す鏡のように働く映画といった感じでしょうか。
キャッチフレーズの「8分間の永遠」になぞらえて云うなら、人は永遠ではありえないことを現実の感覚として知ってしまった人は、この短編アニメーションが最後に用意してるヴィジョンにたどり着いた時、思いのほか心を揺り動かされてるんじゃないかと思います。そのことがまだ観念的な領域に留まっていて、現実の側面として目の前に現れてきてない人は「岸辺のふたり」を観ても、何だか繰り返しの多いわりに起伏に乏しい、退屈なアニメとしか目に映らない可能性が高いです。
あるいは、寺山修司じゃないけれど「さよならだけが人生」だと、生きることは失うことの総和にしか過ぎないんだと思い定めてしまったような人には、この「岸辺のふたり」というささやかなアニメーションはそういうニヒリズムに対抗するある種の救いのようなものとして姿を現してくるかもしれませんね。


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原題 Father And Daugther
監督 マイケル・デュドク ドゥ・ ヴィット(Michael Dudok de Wit)
製作年 2000年

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Father And Daugther

Steve Reich • Music for 18 Musicians CD Trailer


「岸辺のふたり」とは直接関係ないけど、一応参考までに。こういう曲です。

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岸辺のふたり [DVD]岸辺のふたり [DVD]
(2003/06/04)
不明

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「岸辺のふたり」のDVDです。現在は廃盤。ただこのDVDは、「岸辺のふたり」一本しか収録されてません。
たとえ廃盤でなくても8分のアニメが入ってるだけのDVDを買えるかどうかはかなり決断が要るんじゃないかと思います。他の作品とあわせて作品集のような形でリリースして欲しいところです。

岸辺のふたり―Father and Daughter岸辺のふたり―Father and Daughter
(2003/03)
マイケル・デュドク ドゥ・ヴィット

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マイケル・デュドク ドゥ・ ヴィット監督は自作のこの短編アニメを自分で絵本にしてます。わたしは読んでないの内容まではどんな出来になってるかは分からないんですが、一応こういう展開もしてるということで。



スティーヴ・ライヒ/18人の音楽家のための音楽スティーヴ・ライヒ/18人の音楽家のための音楽
(2008/10/08)
ライヒ(スティーヴ)

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ミニマル・ミュージックの代表作。一種のトランス・ミュージックでもあります。波紋が拡がるように拡散していく音の波に浸りきってると自我の境界面が溶け出していくような感覚に陥っていきます。
リリースされてるCDにはいくつか種類があるようですが、私はこのバージョンをLPで持ってたので。まずなによりもこのジャケットが好きなんですよね。


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最後まで読んでいただき、有難うございました。






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【洋画】 ウェイキング・ライフ

ウェイキング・ライフウェイキング・ライフ
(2007/05/25)
洋画≪初回生産限定版≫

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映画全編にわたって、画面に見える全ての細部が浮遊感たっぷりにゆらゆらと揺らめき続けます。実際に観てみれば意外と大丈夫なんだけど、ちょっと見ただけでは「絶対に酔う!」と尻ごみしてしまうような、ぐにゃぐにゃのアニメーション映画です。今までに観たことも無いような映像は圧倒的で、凄く面白い。

実在の俳優を使って実写で撮った素材をデジタル処理でロトスコーピングしていく。基本はこういう作り方だと思うんですが、単純なロトスコーピングでも無くて、揺れる世界にするために画面上の各要素を細かくレイヤー分けして、そのレイヤー単位でばらばらに動かすような処理を執拗に施してます。
アニメーターは多人数参加していて、シーンごとに担当が異なり、その結果シーンが違えばかなりタッチが違うものになるといった具合に、絵柄はバラエティに富んだものに仕上がってます。同じ人物なのにシーンによっては陰影を細かく塗り分けられていたり、別のシーンでは単色塗りに一筆書きの目鼻みたいなものになったりする。
でも観た印象としては、映画全体が揺らぐ世界で統一されてるせいか、人物のタッチが変わったとしても、余りちぐはぐには感じませんでした。いろいろ変化があって面白いっていう感じのほうが強かった。

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主人公(名前が無い!)の男が、どこか分からないところから電車に乗って街に戻ってきます。戻ってきた男が街なかを歩いたりしていると、なぜか男の前に脈絡もなく人が現われては、哲学や思想に関する話題を唯ひたすら垂れ流していきます。男を前にして一応対話の形には成ってるけど、ほとんどは相手が勝手に喋り続ける独り言。映画は人を変えながらそういうシーンを延々と繰り返して、膨大な量の哲学的な言葉を浴びせかけて来ます。

これ、観始めた最初ははっきり云って面食らいます。だって主人公がどういう人物かも分からないし、話しかけてくる人物がどういう係わり合いで話しかけてくるのかも分からない。それなのに脈絡もなしにそういう人物が次から次に現われるので、わけも分からないままに相手の話を聞いてるだけの展開になる。

でも暫らく観続けていると、これが主人公の男が見ている夢の中だってことが分かってきます。ただひたすら人が現われて得体の知れないことを喋り続けるのも、現実に起こってることじゃない。夢を見ている主人公本人も自分が夢を見ていることを自覚しています。
しかもさらに分かってくるのは、主人公の男がこの夢から覚めない状態になってるっていうこと。ベッドで目覚めはするんだけど目覚める夢を見てるだけで、実際にはまだ夢の中に居る。それが延々と繰り返されている。男は自分が目覚める夢を見ているだけで実際には夢の中から逃れられなくなってることにも気づいていきます。

覚めない夢について、現実と夢の区別の仕方、現実とは何なのか、そういったことを夢の中の人物と議論したりするシーンも増えてきて、この辺りになると最初は訳の分からない展開だった物語も、凄く面白くなってきます。
何度目覚めても目覚めた夢を見てるだけっていうのは結構こわい話です。映画は特に怖さを強調するような作り方はしてなかったけど、実はこういう場面で一箇所ぞっとしたシーンがありました。照明のスイッチの話のところなんだけど…、一瞬産毛がざわついたというか。

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細部まで揺れてとにかく視線を引っ張リ回す画面と、絶え間なく注ぎ込まれる膨大な言葉で、情報量としてはあっという間に過負荷状態になる映画です。画面から向かってくるものを全て受けきれない状態に簡単になってしまう。特に字幕で観てるとつらい。
映画で展開される思想、哲学問答は、入門書に書かれてるような程度のものが大半で、そのうえ喋り言葉に乗せてるから理路整然としてるわけでも無いんだけど、そういうものでもそれなりに理解しようと字幕を読んでる間は画面からの情報をかなりの部分取り残してしまう事になりがちです。
映像の方を見たいのに、字幕から目を離す余裕がないって箇所が一杯あって、これはもったいなかった。字幕に視線が絡み取られないように、吹き替えで観るのが、この映画のベストな観方かも知れません。

揺れ動くアニメーションはこの世界が現実じゃなくて主人公の頭の中の世界だということを表現するための手段だったわけで、脳内世界を映像として表現するにはどうしたら良いのか、そういうことから出発して、これだけ斬新で、しかも的確な視覚表現に辿り着いたのはやはり凄いの一言です。

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Waking Life Trailer



Waking Life - Making Video Clip

原題 Waking Life
監督 リチャード・リンクレイター
公開 2001年