2009/10/23
【洋楽】 Concert By The Sea - Erroll Garner
ピアニスト、エロール・ガーナーによって、カリフォルニアの港町カーメルで行われたコンサートの記録です。先日四条河原町のファッションビル「オーパ」9階にあるタワーレコードをうろついてる時に、このCDがジャケット面を表にして飾ってあったのをみて、今の時期にぴったりかもと思ったのが今回取り上げる切っ掛けになりました。このアルバムには秋に似合わなければ一体何時が似合うんだと問い詰めてもいいくらいお似合いの超有名曲、「枯葉」が入ってるんですよね。
しかもいろんな「枯葉」の演奏がある中で、わたしはこのコンサートでの「枯葉」の演奏がことのほか好き。
このコンサートでエロール・ガーナーが演奏した「枯葉」は他の演奏者だとあまりこういう演奏はしないんじゃないかというような、ある意味ちょっとユニークな仕上がりになっていて、そこがわたしにとっては非常に面白いところだったりします。



しかし実はこのアルバム、「枯葉」が大好きと云ってる割に、わたしのなかではかなり長い期間聴いてない類のCDの扱いになっていて、タワーレコードで偶然目にするまではほとんど忘れてました。そういう扱いになってたものが久しぶりに目の前に現れたので、ちょっと懐かしさもあって店頭で見つけた時にはしげしげと眺めたりしてみることに。
それで眺めて程なく気づいたんですけど、タワーレコードで見つけたこの「Concert By The Sea」のジャケット、波が打ち寄せる岩場の海岸に、両手を天に向かって広げ何かを謳歌するような女性をあしらってるというデザインのCDジャケットなんですが、棚に正面向けて置いてあったものはわたしが持ってるCDとは微妙に違うものを使ってました。
実際見比べてみると結構違ってるんだけど、絵を構成するコンセプトが全く一緒だったので、店頭で見つけた最初の瞬間は違ってることにあまり注意が向きませんでした。
わたしが所有してるCDをスキャンして並べてみると、こんな具合です。
上のがわたしが持ってるCDのもので、下のが店頭で見たもの。


家に帰ってから調べてみると、どうやら今店頭に置いてある下のデザインの方がオリジナルのレコードジャケットに使われてた写真のようでした。でも、岩場の海岸線と画像左下付近に何かを謳歌するような女性をあしらってるという、ほとんど同じコンセプトのデザインなのに何故2種類も用意したのか、これがわたしには全く意味不明。最初に使った画像で何か気に入らないところでもあったのかもしれないけど、どこが駄目だったのか、わたしには分かりません。
☆ ☆ ☆
わたしが持ってるCDのジャケットの方をもとに話を続けてみると、直接演奏者の写真なんか使われてないけれど、全体的に開放感とどこか喜びの感覚に満ちているような感触があって、絵柄としてはそれなりに見栄えのするものになってるように思えます。エロール・ガーナーのピアノが陽気で、音楽の幸福な時間を紡ぎだすことだけに熱中してるような演奏なので、エロール・ガーナーの写真なんか出さなくてもその音楽の本質を表現してるジャケットだとも云えるのかもしれません。
ただそれでも一つだけ以前からちょっと違和感があるところがあって、それはどこかと云うと、左下の女性のイメージなんですよね。
わたしの持ってるCDから一部拡大してスキャンしてみるとこんな感じ。

この女性なんですけど、何だかヒッピー風に見えませんか?
わたしにはそう見えます。60年代中~後期、70年代初頭にかけてくらいの典型的なファッション。
それでこのCDの場合、明るさに満ちたエロール・ガーナーの演奏と、ヒッピー的な自由を謳歌するイメージが非常によく合っていて、わたしはこれを手に入れた当初、アルバム自体がヒッピーの時代のレコードのような印象を持ちました。
でも実際は60年代のレコードでも70年代のレコードでもなく、このコンサートが港町カーメルで録音されたのは55年です。実に半世紀近く前の録音なんですよね。
このジャケットがヒッピー時代のものだと云う印象を最初に受けてから、わたしの中ではこのジャケットから受けるイメージと実際の年代の間には感覚的な違和感が生じてしまうことになりました。
同じ図柄のイメージを2つ用意してるというのもそうなんですが、50年代のレコードに何故70年前後の時代を思い起こさせる女性が配置されることになったのか、これもわたしの中では未だに「謎」のままとなっています。
ただCDの音自体は半世紀前の録音とはいっても、どうもカーメルの教会として使われてる、かなり音響効果のいい施設(公会堂)で録音されたらしく、そういう条件がよかったのか今でもそれなりに聴ける音で収録されてます。
☆ ☆ ☆
エロール・ガーナーの音楽は上にも書いたように楽しく陽気で、幸福感と開放感に満ちた音楽と、ほとんど一言で云い切ってしまえます。眉間に皺を5~6本も寄せて、呻吟しながら聴くような音楽とは完全に無縁の場所で立ち上がってる。そういう側面を指して「演芸ピアノ」なんていう云い方で揶揄されることもあるんですけど、わたしにしてみれば演芸ピアノのどこが悪い?としか云い様がないです。
このCDの最後の曲「Erroll's Theme」で司会者がメンバー紹介した後にちょっとだけインタビューめいたものが入ってこのCDは終わるんですが、そのインタビューの中にエロール・ガーナー自身の声で「ルイ・アームストロング」の名前が出てきます。それにならうなら、エロール・ガーナーはその音楽を楽しむことに徹底した演奏で、ピアノのルイ・アームストロングとでもいえる存在じゃないかと思います。
1921年にペンシルバニアに生まれて、1977年1月2日に55歳で死去。結構若くして亡くなってます。
ちょっとキャリアを調べてみたんですけど、1944年にニューヨークに出てきて、割と早目にミュージシャンとしての居場所を見つけたようで、50年にコロンビアと契約してからソロであったり、トリオであったり、当時のサックス奏者であったチャーリー・パーカーらとも共演してレコードを残していったらしいです。
そしてそういうピアニスト生活を送ってるうちに、この「コンサート・バイ・ザ・シー」が大ヒット。
そのヒットが切っ掛けで、それまでは共演ミュージシャンの受けは良かったようですが、ごくありきたりのピアニスト扱いという範囲に留まってたのが、一般的にも一流のピアニストとして知られるようになりました。
演奏してる光景とか手の動きとか見てると俄かには信じがたいんですけど、著名なピアニストとして活躍したものの、実はエロール・ガーナーは正規のピアノ教育を受けていませんでした。3歳の時にレコードのコピーでピアノを始めて以降、ピアニストとして頭角を現しても、この人のピアノは全部独学。
さらにそれに加えて、楽譜の読み書きも生涯を通じて全く出来なかったそうです。よくもまぁそんな状態でピアノを習得していったものだと思うんですが、どうやらエロール・ガーナーはかなり良い耳と記憶の持ち主だったらしくて、正規の教育は受けなかったものの、そういう自分の特質を頼りに独自のピアノを形作っていったということのようです。
楽譜が読み書きできなかったということに関して、この人はスタンダード曲「ミスティ」の作曲者としても有名なんですが、この曲はニューヨークからシカゴに向かう飛行機の中にいるときにエロール・ガーナーに降臨して来たらしく、楽譜が書けないものだから降臨してきたメロディをその場で記録しておくことが出来ずに、帰宅するまでずっと頭の中で繰り続けて、帰って来てから大急ぎでピアノで弾いたものを録音してようやく記録することに成功したって云うエピソードが残ってます。この時エロール・ガーナーの音楽的な記憶力が並みの力しか持ってなかったり、飛行機の中から帰宅するまでの間にエロール・ガーナーの注意をそらす様な出来事が起こったり、誰かが執拗に話しかけるなどの邪魔をしてたら、「ミスティ」はこの世界に誕生してなかったかも知れないなんて思うと、この曲を聴く時に偶然が生み出した奇跡に似た何かが「ミスティ」とともに木霊の様に耳に届いてくるのも感じ取れるかもしれません。
☆ ☆ ☆
エロール・ガーナーがピアノの教育を一切受けなかったということは、ガーナーのピアノにマイナスに働いたどころか、ある種積極的な特徴を与えました。
この人のピアノの最大の特徴は「Behind The Beat(ビハインド・ザ・ビート)」と云われる独特のリズム感にあります。これがエロール・ガーナーのピアノに独特の臨場感を付け加えてます。
どういうものかというと左手のリズムよりも旋律を奏でる右手の動きが僅かに遅く出るという特徴。演奏上の一種の手癖です
こういう特長を持った演奏になったのは、一つにはガーナーが左利きだったということもあるんですけど、本式のピアノ演奏の訓練を受けなかったために左利きという癖も奏法上の矯正を受けなかったし、両手を同じタイミングで使いこなす基礎的なことも学べなかった結果だったんだろうと思います。
普通ならちぐはぐな演奏になってしまう可能性のほうが高いのに、エロール・ガーナーの場合はこのアンバランスさが結果的にはガーナーのピアノに非常に個性的なスウィング感、ドライブ感を付け加えることになりました。
左手は「ビハインド・ザ・ビート」という個性的なスタイルのもとで、左利きという特質がまともに出た、ストライド・ピアノ風の強力なビートを刻んでくるような弾き方を特徴としてたんですが、もう一方の右手の方はどうだったかというと、右手の演奏は力強さにあわせて、歌心とリリシズムに満ち溢れた和音や旋律を奏でていくようなスタイルでした。わたしはエロール・ガーナーの生来持ってるリリシズムは結構好きなほうなんですが、この辺りの力強さとしなやかさのようなダイナミックなコントラストもガーナーのピアノの魅力なんだと思います。

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さらに演奏スタイルの特徴として、これは結構目立つと思うんですが、エロール・ガーナーは演奏中に唸ります。メロディに乗せて、その背後でメロディに同調するように唸ってる。このアルバムでも結構盛大に唸り声が聴こえてきます。
演奏中に唸るミュージシャンはピアニストでは割と見かけるような印象です。わたしが今思いつくだけでも、キース・ジャレット、バド・パウエル、セロニアス・モンク、クラシックならグレン・グールドとピアニストばかり頭に浮かんできます。ホーン奏者は口にマウスピースを咥えてるので演奏中に唸るのは不可能なんですが、それ以外の楽器で、たとえばギターなんか演奏しながら唸るのには絶好の楽器だと思うのに、唸りながら演奏する人ってあまり思いつかないです。カート・ローゼンウィンケルが旋律を口ずさみながらギターを弾いてるのを聴いた事が一度だけあって、その時に珍しいなぁと思ったくらいでしょうか。
なぜ唸るのか、本人でない限りその衝動は理解不能でしょうけど、頭の中に渦巻いてる旋律をピアノの鍵盤に移し変えていく最中に思わず声として出てしまうのか、ただ単純に声に出してしまうと楽しいからなのか。
一つ云えることはこのタイプの演奏家は自分が声を出すことが演奏にとって邪魔にはなってないと考えてるんだろうなと類推できることです。完成した音よりもその場で音を引き出してる行為の方が重要だと思ってるような感じ。でもなぜピアニストにこのタイプの人が多いのかはやっぱりよく分からないです。
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それと目立つ特徴としてもう一つ。
エロール・ガーナーは本当に楽しそうにピアノを弾きます。演奏中に鍵盤とその上の自分の手元を見てるよりも、演奏しながら楽しそうに客席を眺めてる時間のほうが多いんじゃないかという、そんな演奏スタイルのピアニストでした。ビル・エヴァンスのように深く俯いて沈思していくのとは全く正反対。客席の方に顔を向けてはニコニコしてる。
何だか客席に向かって「みんな、楽しんでる?」っていうようなことを語りかけてるようで、陽気で楽しい音楽を追い求めたミュージシャンの演奏スタイルとして妙に納得できたりします。
演奏中のエロール・ガーナーの動画があったので。曲はこのアルバムとは関係ないんですけど、演奏スタイルがどういうものだったかはよく分かります。
それにしても、チャーミングな演奏♪
Jeannine ( I dream of lilac time )
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アルバム「Concert By The Sea」に収められてる、1955年の9月19日にカーメルの公会堂で開催されたコンサートの曲目は次のようなものでした。
1. I'll Remember April
2. Teach Me Tonight
3. Mambo Carmel
4. Autumn Leaves
5. It's All Right with Me
6. Red Top
7. April in Paris
8. They Can't Take That Away from Me
9. How Could You Do a Thing Like That to Me
10. Where or When
11. Erroll's Theme
邦題はこんな感じです。
1. 四月の想い出
2. ティーチ・ミー・トゥナイト
3. マンボ・カーメル
4. 枯葉
5. イッツ・オールライト・ウィズ・ミー
6. レッド・トップ
7. パリの四月
8. 私からは奪えない
9. つれない仕打ち
10. いつか,どこかで
11. エロールのテーマ
この日の楽器構成はベースにEddie Calhoun、ドラムにDenzil Bestというシンプルなトリオ構成。エロール・ガーナーは規模の大きい編成は好まなかったそうで、この演奏形態もそういう嗜好にあってるようです。
曲のプログラムはジャズやポピュラーのスタンダードを中心にして「3」のようなオリジナル曲を混ぜてるような構成になってます。
最初の曲「I'll Remember April」はアボット/コステロ・コンビが出演した1942年の映画「Ride 'Em Cowboy」に使われたGene de Paulの曲。
わたしは「想い出」なんていう言葉がつけられてるだけでしっとりしたバラードを思い浮かべるんですが、これは結構軽やかな曲です。「四月」という季節に相応しい明るく、暖かい気分に満ちた曲。
エロール・ガーナーはこの最初の曲の出だしから、ミディアムアップテンポ寄りのスピードでブロックコードを強く繰り出していきます。様子探りのウォームアップなんか全然眼中にないという感じで、いきなりのハイテンションでコンサートは始まるわけですが、この最初の曲がエロール・ガーナーのピアノがどんなものか即座に分かるような紹介を兼ねてるような感じです。
2曲目の「Teach Me Tonight」は、これもGene de Paulの曲。
最初は全く売れなかったのがDe Castro Sistersが歌うことで徐々に広まっていき、Jo Staffordの歌で大ヒット。
色々取り上げられることのあるスタンダード曲ですが、わたしはこの曲のガーナー風の処理も結構好き。テンポはミディアムくらい、歩く歩調に合わせたくらいのスピードで進んでいきます。De Castro Sistersが歌ってるようなのを聴くと、ちょっとゴージャスな印象があるんですけど、ここではリラックスした感じの弾き方で紡がれるシングルトーンの旋律が、歌心に溢れていてなかなか心地いい感じです。
3曲目はエロール・ガーナーのオリジナル。タイトルでも分かるように若干ラテンのテイストが入ってます。でもほんの僅か。ラテンものだと思って聴くと拍子抜けするかもしれません。この曲で再びアップテンポに戻って、終盤で2つのメロディラインが縒り合わさっていくような複雑な動きをするのが面白いです。エロール・ガーナーは左右の手で、異なった旋律を同時に弾く事も出来て、この最後の絡み合うメロディはおそらくそういうやり方で演奏してるのだと思います。
次の曲がわたしの大好きな「枯葉」。1945年にJoseph Kosmaが作った超有名曲です。マルセル・カルネ監督の映画「夜の門」でイヴ・モンタンが歌ったのが今知られるこの曲の、歌曲としての原型らしいんですがこれはあまりヒットしなくて、後にジュリエット・グレコが歌うことで一般に知られることになります。このコンサートでは始めてバラードらしいバラードの登場となる曲です。
「枯葉」は有名曲なので、いろいろ演奏されたものが残ってます。ジャズで一番有名な「枯葉」の演奏といえば、マイルス・デイヴィスがアルバム「サムシング・エルス」に残したものになるんでしょうか。
ビル・エヴァンスも銀行員風のファッションが衝撃的なアルバム「ポートレイト・イン・ジャズ」でこの曲を演奏してます。わたしはビル・エヴァンスの「枯葉」はスコット・ラファロ、ポール・モチアンとの三つ巴のインタープレイがスリリングで結構好きなんですが、何故だかマイルス・デイヴィスの「枯葉」はあまりピンと来ないです。出だしのフレーズからして肌に合わない雰囲気があるというか。マイルス・デイヴィスは電化マイルスの頃の演奏なんか大好きなんですけど、マイルス版「枯葉」のイメージはわたしの持ってる「枯葉」のイメージの範疇には入ってないという感じが強いです。
この「コンサート・バイ・ザ・シー」でのエロール・ガーナーの「枯葉」はといえば、一般的な「枯葉」のイメージは冷たさの混じりだした秋の風が吹く中をちらほらと枯葉が舞い降りてくるような、ちょっと寂しい感じの光景だろうと思うんですが、おそらくこういうイメージのものとはかなり異なった印象を与えることになると思います。
エロール・ガーナーが演奏すると、このメランコリーにつつまれた曲でさえもどこか明るい光が差し込んでるような、春の暖かい陽光が肌のどこかに射して来てるような感触が紛れ込んでくる感じがします。
全体の感じを一言で云うなら「絢爛豪華」とでもなりそう。他の曲同様にこの曲も強弱つけたメリハリのある演奏で、ブロックコードでオーケストラ的な厚みを出してるところなんか、2~3枚の枯葉がひらひらと舞い落ちてくるというよりも、何十枚もの枯葉が山のように頭上に雪崩れ落ちてきては、風に乗って周囲で乱舞してるような感じにさえ聴こえるかもしれません。
また、ダイナミックな演奏だから余計に目だってくるのか、旋律が際立つ部分ではエロール・ガーナーのリリシズムがよく表現された演奏になってます。この「枯葉」に限ったことじゃないんですけど、スケールを羅列するだけの演奏というのではなくて、この人の演奏はピアノが本当によく歌うんですよね。特に「枯葉」は元の旋律が極めて綺麗なので、ころころと気持ちよく転がっていくピアノの音が歌心に満ちたメロディを紡ぎだしていく様はかなり聴き応えがあると思います。
続く5曲目の「It's All Right with Me」もこのアルバムの中では「枯葉」に次いで好きな曲です。Cole Porterが1953年のミュージカル「カンカン」のために作った曲。この曲、タイトルから想像できなくても聴いた瞬間に、どこかで聴いたことがあるって云う人は多いかもしれません。バラードに続いてコントラストをつけるかのように再びのアップテンポの曲の登場となって、疾走感に満ちたガーナーの演奏が楽しめます。
☆ ☆ ☆
このアルバムでわたしが気に入ってる曲は大体前半に集中していて、これは何故かといえば、後半ちょっと飽きてくるというと云い過ぎなんですけど、煽り方がほとんど「ビハインド・ザ・ビート」一つなものだから、聴いてる内にどうしても同じ印象のようなものを聴いてる感じになってくるからなんですよね。
さらに7曲目の「April in Paris」なんかは、このアルバムでは二度目のバラード登場になるんですが、その前に演奏された「枯葉」の印象が強すぎて、かなり損してるような感じになってます。
6曲目の「Red Top」はちょっとユーモラスな感じの曲、9曲目の「How Could You Do a Thing Like That to Me」の洒脱な感じのものとともに軽妙さをアルバムにもたらすような構成も考えられてはいるんですが、全体の印象としては前半部分よりもやはり若干弱い感じがします。
11曲目は「ただ今の演奏はエロール・ガーナー・トリオでした!」っていう感じの纏め的な短い演奏で、その後司会者が奏者の紹介に入ってコンサートの幕が下ろされるという展開になってるので、この日の事実上のラストとなってる曲は10曲目の「Where or When」ということになると思います。
曲そのものの話題とはちょっと離れるんですけど、この「Where or When」を「いつか、どこかで」っていう風に訳した邦題が本当にいいです。短いのに詩的で、いろんな情感やニュアンスを含んでる。原題の「Where or When」はこの邦題が持ってるような詩情やニュアンスを含み持ってるのかどうか、一体どうなんでしょう。
英語圏の人間じゃないので分からないけど、おそらくあまり含まれてないんじゃないかなんて思ったりします。
それはさておき1937年にRichard Rodgersが作曲したこの曲、他の人の演奏ではもう少しゆっくり目のテンポになってると思うんですが、そういう曲をエロール・ガーナーはかなりアップテンポで煽り立てるように弾いていきます。ひょっとしたらこのコンサートの曲の中で1、2を争うくらいハイスピードで。
力強く打ち鳴らされるブロックコードの上を、音数の多い旋律部分が縦横に駆け巡って、印象が薄かったアルバム後半部分を盛り上げていきます。後半部分の曲では最後で本領発揮というか、これが飛びぬけて印象的。考えてみれば、お終い近くなのにこれだけ強く勢いのある演奏が出来る力があるというのはやっぱり凄いことだと思います。
☆ ☆ ☆
ところで「枯葉」が入っていて、それがまたわたしの大好きな演奏の「枯葉」だったりするから、今の季節、「秋」にぴったりと思いついてこのアルバムを選択したわけですけど、改めて聴き通してみると、これはやっぱり「秋」のアルバムじゃないですね。音楽を聴くことの楽しさをそれこそ耳だけじゃなく体全体に呼び起こしてくるような、力強さと輝きに満ちた演奏が並んでいて、「枯葉」は入ってるものの、「秋」というよりもどちらかというと「春」の方が相応しいようなアルバムです。後半部分に「パリの四月」が入ってるし、そもそもCDのスタートする曲が「四月の想い出」なんていう曲で「春」を織り込んでる。
アルバム全体の雰囲気は最初の曲から既に明示されていたっていうことなのでしょうね。
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オープニング曲の「 I'll Remember April」です。
4曲目のお気に入り。「Autumn Leaves」
エロール・ガーナーのフレーズの作り方は、わたしにはどことなくギターの演奏を思わせるところがあります。チョーキングだとかハンマリングだとかギターを弾くテクニックで出来上がるようなフレーズをピアノのテクニックで弾いてしまってるという感じ。この曲の旋律の弾き方でもそういう感じを受けるんですがそんな感じを受けるのはわたしだけなのかな。わたしはそういう弾き方がある種ブルージーな感覚をガーナーの演奏に付け加えてるような気がしてます。
5曲目のこれまたお気に入りの「It's All Right With Me」
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完全盤と名を打ってリリースされたCD。なんともうワンパターン別のジャケットが使われている。
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最後まで読んでくださってありがとう御座いました。
2017年一月に追記訂正。