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【美術】 高橋留美子展 - 美術館 「えき」 KYOTO

土曜日の25日に京都伊勢丹の中にある美術館、美術館 「えき」 KYOTOで開催されてる高橋留美子展に行ってきました。京都の伊勢丹は京都駅の西側にあるんですが、駅と融合するような奇妙な構造になっていて、だから美術館もこういう名前になってます。
この展覧会は去年東京では既に開催済みだったようです。その後仙台、新潟と廻って京都へ。京都での展覧会が終了すれば、松坂屋名古屋本店(7月22日~8月3日)、北九州市立美術館(8月22日~9月20日)、高松市美術館(9月25日~11月1日)と巡っていく予定だそうです。

高橋留美子展チラシ表

高橋留美子チラシ裏

伊勢丹に入って美術館のある階まで上がってみれば、伊勢丹の通路の要所要所にこういう表示がありました。
伊勢丹内

それで美術館まで辿り着くとこういう感じになります。
ここは出口なんですが、伊勢丹の中の案内に従って進んでいくと、美術館の入り口じゃなくて出口の方が正面に現れるようになっています。つまり鑑賞し終えた人をそのまま伊勢丹に導いていくっていう考えなんでしょう。
「えき」 1

美術館の入り口はこの写真でいうと左側に通路があるんですが、その通路をずっと進んだ最奥の場所にあります。

☆ ☆ ☆

初日だったせいか、思った以上の人出になってました。
高橋留美子といえば80年代を席巻した漫画家で、おそらく当時マンガを書こうとしていた人の大半はこの人の絵柄の影響を受けたというか、高橋留美子の描くキャラクターはこういうタイプのマンガを描くときの、ある種のプロトタイプになってたと思います。
今は大友克洋から始まった、写真をトレースしたような背景や骨格から考えてるような人物描写のリアルな絵柄が主流になったり、萌え美少女のような絵柄が中心になったりで、萌え絵の元祖みたいな絵柄ではあるものの、高橋留美子の絵は今のマンガに直接的な影響力を持つという立場にいるわけではなくなってきているようです。でも展覧会のこの人出を見る限りは、それでも人気は全然衰えていないっていうのが再確認できるような感じでした。
この人の凄いのは少年漫画誌を活動の場にして30年近く未だに少年漫画を描き続けてるっていうこと、実は少年漫画を描き続けるっていうのは手塚治虫にも出来なかったことでした。

会場に飾られてた絵は「うる星やつら」「めぞん一刻」「らんま1/2」「犬夜叉」の代表的な4作からのものが大半で、短編などからのものは添え物程度に出展されてるだけでした。
代表作からといってもコマ割りのなかでキャラクターが動き回ってるマンガ本編の原稿じゃなくて、特別扱いの、たとえば少年サンデーの表紙や増刊号に付属したポスターのために描かれた絵とか、カレンダーのための原画、コミックスの表紙用に書き下ろされたものの原画と、そういうものがほとんど。基本的には彩色されて見栄えのする一枚絵ばかりが選ばれて額に入れられてるようでした。
展覧会としては若干安易、見た目の綺麗な原画を適当に並べておけばいいだろうって云うような手抜きコンセプトが見え隠れするような感じもあります。

印刷物では絶対に感じ取れない、目の前の色を塗った筆跡の延長に実際の筆があって、その先に筆を動かした高橋留美子の手が存在したというところまで想像させる臨場感が原画には確かに存在するし、印刷前提のマンガという事でそういう部分は原画でもあまり表立って現れないようにしてる部分はあるのかもしれないけど、そういうのを感じ取れるとやはり見ていて面白かったです。

それと感心するのは「線」が活きてるっていうこと。
Gペンを使って絵の適切なところに強弱をつけて引いていく表情のある「線」がやっぱり上手いです。力の入った勢いのある部分から細く綺麗にぬけて次の「線」に流れを繋いで行ったりするのを観ると、単純に観ていて視覚的に気持ちいいんですよね。これは極めて感覚的で、「線」を引く練習を相当やらないと会得できないものだと思います。

展示物としては僅かだったんだけど、仕上げの過程が見える本編原稿がやっぱり生々しい感じがして面白いです。切り貼りしてるネームがそのまま確認できたり、鉛筆でラフに書き込みがしてあったり、高橋留美子の名前が刻印されてる特別の原稿用紙に描かれてるのを目の当たりにしたり。
愛用の道具もちょっとだけ展示してあって、これはマンガやイラストを描いてる人には常識かもしれないけど、隅の何箇所かに1円玉をセロテープで貼り付けてスペーサー代わりにしている定規がありました。あと「火の用心」だったか、なぜかそんなロゴが入ってる愛用の座布団だとか。こういうのをもっと展示して欲しかったと思います。

☆ ☆ ☆

それで展覧会場は人が並びながらも前がつかえるわけでもなく、後ろから押されもしない自分のスピードで充分に観て歩けるくらいのものだったんですが、一区画だけとても混んでいて絵の前に辿り着くのにあまり動かない行列ができてる場所がありました。
この場所がなんだったかというと、高橋留美子以外の漫画家34人が「うる星やつら」のキャラクター、ラムちゃんを描いた絵を展示してる、特別規格「My Lum」のコーナーでした。

正直なところ展覧会自体は、高橋留美子の展覧会なのに高橋留美子の展示物が何だか適当に集められてるだけという印象を受けて会場を廻っていたので、実はこのコーナーがこの展覧会の中で一番面白いものでした。
34人の中には吉田戦車だとか諸星大二郎だとか花輪和一だとか一癖どころじゃない癖の固まりみたいな漫画家も多数参加していて、それぞれが自分の持ってる「ラムちゃん」のイメージを画像にしてるんですが、それぞれの漫画家の「ラムちゃん」との距離の取り方か千差万別で、でもこの漫画家だったらやりかねないっていうような絵柄にきちんとなってたりして、凄く面白かったです。
それぞれの絵の下に各漫画家のラムちゃんに対峙した感想が書いてあるパネルが掲げられていて、悪戦苦闘した感想だとか途方にくれた様子だとか、これまた読んでいて非常に面白いものでした。このコーナーで動かない行列が出来てたのは、絵を観てはこのキャプションを皆が楽しんで読んでたからじゃないかと思います。

☆ ☆ ☆

わたしは展覧会に行くと、なにか戦利品を持って帰らないと気がすまないたちで、美術館の売店は大好きな場所。展覧会に行ったら絶対に立ち寄ります。
この美術館 「えき」 KYOTOっていう場所は岡崎にあるような本格的な美術館とは違い、云わば伊勢丹の一部の扱いで、一応出口手前にグッズ売り場はあるんですが(写真に写ってる部分です)、伊勢丹の売り場から関連商品を持ってきたんじゃないかという品揃えの方が目についたりするあまり張り合いがない場所です。

大体目録も売ってない場合が多いんですが、今回は売ってました。
高橋留美子展 目録

目録は展覧会に行けばその記録として、余程くだらない体験をした場合以外は大抵確保するんですが、これは名前こそ高橋留美子展って書いてあるものの展覧会の記録というよりも小学館が一般的に売り出した唯の高橋留美子画集のような体裁でした。普通の本屋でも買えそうな雰囲気の本。
しかも買う前に一応中身を確かめて、それであえて買ったんですが、この目録にはおそらくこの展覧会の一番面白かった目玉企画「My Lum」がずっかり抜け落ちてます。これは物凄く残念。一番面白かったものが載ってないってどうかしてます。

実はこの「My Lum」、新装になったコミック「うる星やつら」の各巻の末尾に1作家づつ載せてあるんですよね。展覧会の目録に載らなかったのはこの新装版「うる星やつら」の売りにするための商売上の戦略だったというわけ。
わたしは羽海野チカが描いたラムちゃんの絵がどうしても欲しかったので、この出口のグッズコーナーに置いてあった新装版、それぞれ読めるようにしてあったのを一冊ずつ巻末を確かめて羽海野チカのラムちゃんが載ってる32巻目を一冊だけ買いました。

でもこの新装版コミックに載ってるのはモノクロ、会場にあったのは色付きの絵だったのでかなり不満です。原画に近い色付きのが欲しい…。


もう一つ、京都会場限定ってことで、そういうのを取り混ぜてこまごまとしたものを。
ピンバッチなんて集める趣味は無いんだけど限定という文字に引かれて…。
それと限定でも何でもないテンちゃんキーホルダーが混じってますが、実はわたしは結構なテンちゃんファンだったりします。
戦利品 1

こっちはちょっとした気の迷いで。
雷おこし

中身はラムちゃんの形でもしてるかとちょっとは期待したけど、ただの雷おこしでした。


☆ ☆ ☆


東京で開催された時の高橋留美子初日挨拶の模様らしいです。



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【美術】幻想美術ー時を越えてー コレクターズコレクション 澁澤龍彦ゆかりの作家たち。 その他

展覧会の情報です。
といっても一つは既に始まってる…。

「幻想美術ー時を越えてー コレクターズコレクション 澁澤龍彦ゆかりの作家たち」

幻想美術1

幻想美術2


澁澤龍彦といえばヨーロッパの異端芸術なんかに関心を持った時、一番最初に接するような人だと思います。少し詳しくなってくると入門者向けのように感じられて、澁澤龍彦の本はあまり読まなくなったりするんですが。
その澁澤龍彦がヨーロッパ異端美術を紹介する一方で、積極的に関わり世に出した日本の幻想的美術家たちの作品が集められた展覧会のようです。

チラシからだと、合田佐和子のように状況劇場や天井桟敷の宣伝媒体、舞台美術で60年代の熱気が纏わりついてる作家の作品とか、澁澤龍彦が通俗的シュールレアリズムと評して世に出さなければ、扇情的な雑誌の絵描きとしておそらく埋もれて行っただろう秋吉巒の絵画だとか、そういう作品が観られそうな感じの展覧会です。
藤野一友の絵画も展示リストに入ってる。この人は昔のサンリオSF文庫のフィリップ・K・ディックの表紙に使われるような幻想画家である一方、中川彩子という別名義でSM雑誌にSMの絵を描いてた人です。わたしは中川彩子のほうの画集を持ってます。
建石修志の鉛筆画なんかは、わたしにとっては「幻想文学」の表紙とか、「虚無への供物」の作者、中井英夫の諸小説の挿絵や装丁で馴染みがあります。

また、ホームページのほうには、荒木博志のアトムも出展って書いてますね。
荒木博志のアトムってこういうのです。
アトム1

アトム2

アトム3

わたしはこれの実物を観たいと思ってるんですが未だに観たことが無い。

京橋のギャラリー椿で2009年3月14日まで開催だそうです。

☆ ☆ ☆

もう一つの展覧会は、どちらかというと展覧会よりも、この写真をブログに貼りたかった欲求の方が強かったんですが、

「第28回エコール・ド・シモン人形展」

四谷シモン


人形作家四谷シモンの人形学校「エコール・ド・シモン」の展覧会。四谷シモンの人形も何点か出展されるようです。

紀伊國屋画廊で2009年3月12日(木)~3月24日(火)まで。

☆ ☆ ☆

両方の展覧会に共通するのは四谷シモンの球体関節人形です。
わたしは球体関節人形が好きなんですよね。
四谷シモンの人形は必ずしも球体関節人形の文脈そのものに位置してるわけでもないんですが、人形を作る切っ掛けがハンス・べルメールだったらしいから、中心テーマには掲げられなくても、球体関節がもつ観念的なものは蔑ろにはされてないように思えます。

2003年に京都の文化博物館で「今日の人形芸術 想念の造形」っていう展覧会が開かれて、吉田良らとともに四谷シモンの人形も数点展示されてました。

今日の人形芸術1

今日の人形芸術2

写真では知っていたものの本物をみたのはこれが初めてで、実物を前にしてわたしはちょっと動きがたい状態になった経験があります。何だか分からないけどとにかくこの場から離れたくないっていうような感覚。
人形が出す波長とぴったりと合ってしまったという感じなのか、実は球体関節人形の文脈ではもっとお気に入りの人形なんて一杯あるんだけど、四谷シモンの人形は美術書では知っていてもそれほど夢中にならなかったタイプのものだったのに、この時はなぜかそんな感じになってしまいました。
この感覚は未だにある程度だけわたしのなかに残っていて、その残った分量だけ四谷シモンの人形に気が引かれる思いがします。

四谷シモンの人形が少しだけ観られます。
四谷シモンwebギャラリー


☆ ☆ ☆

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ガーナの手書き映画ポスター

以前ネットを散策しながら集めていたのを思い出して、ハードディスクの中を探してみたら捨てずに残してあったのを発見。全部はちょっと無理なので少しだけ記事に載せてみます。

西アフリカ、ガーナ(Republic of Ghana)で80年代に登場して90年代には消えていった非常に風変わりな映画ポスターの画像です。紙製ではなく、カンバスに手書きされたもので、同じ絵柄のものがあっても微妙に異なってるそうです。
80年代にガーナではビデオ機器や、ビデオカセットが流入してきて、小規模の移動映画館が誕生しました。
この小規模移動映画館はテレビや、時には持ち運びできる小型のプロジェクターを持って町から町、村から村へ巡回していきます。
そして、客を集めたり、移動映画館を宣伝したりする必要から、こういう巨大なポスターが製作されることになりました。
この一連のポスターは、絵師が実際に映画を観て、それを元にして油彩で描いていったようです。
そうして出来上がったポスターは移動映画館の周囲に高く掲げるように取り付けられて、映画館が移動するのに合わせて移動していくようになってました。そういう扱いのせいで雨風に晒されるのは当たり前という極めて過酷な状態で使われ、また用がなくなったポスターはカーテンやマット代わりに使われたりして、生き残ったポスターも相当なダメージを受けたものとなっているそうです。

絵師は映画を観た後で描いてるんですが、ポスターを観ると、描かれた内容はもとの映画にあまり拘束されてないんですよね。
ガーナ周辺の映画は観たことは無いんですが、なかには映画に無いシーンが描きこまれることも当たり前だったらしくて、映画を表現するというよりも絵師のヴィジョンを表現するという要素が勝ってるような創作物になっています。

90年代以降はガーナでもテレビやビデオが広く普及していって、それにつれてこの移動映画館は廃れていきます。ポスターも普通の紙製のものに変わって行き、結局この異様なカンバス製手書きポスターは80年代のガーナに出現して、あっという間に消えていった幻影のような文化となりました。
不思議なことにこのポスターが現れたのはガーナだけで、ガーナ以外のアフリカの周辺国では描かれなかったそうです。

わたしがガーナの手書き映画ポスターを気に入ってるのは、稚拙なタッチで描かれた得体の知れなさもあるんだけど、それに神話的、呪術的なイメージが混ざり合って混沌としてるところ。
得体の知れなさと呪術的なものが相乗効果を起こして、非常に胡散臭くて妖しい世界を作っているようにみえるところが良いです。

☆ ☆ ☆

こういう絵柄のポスターです。わたしは見世物映画とか好きなので、最初の2枚なんかはかなり好奇心を掻きたてられます。いったいどんなに変わった映画なんだろうって。
次のがレイダースとフレディ…。
アメリカ映画ももちろんガーナに入ってきて、主にホラーとかアクション映画だったようですが、大体ほとんどがこんな感じの扱いを受けてます。

ghana 01

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WEB POSTER EXHIBITION - Painted movie posters from Ghana
Extreme canvas

↑にもいくつか画像があります。Extreme canvasのほうは、ガーナの手書きポスターについての本なんですが、現在入手困難のようです。

☆ ☆ ☆

資料としては、ガーナの手書きポスターはドイツで展覧会が開催されていて、その時のカタログがあります。
どうもこれも入手困難なのは変わらないようなんですが、アート系のメディア・ショップのようなところで探せば見つかるかもしれません。
ちなみにわたしは持ってません。
実は今になってこのカタログ、欲しくなってきてるんですよね。手に入る時に買っておけばよかった。

カタログ




↓ポスター画像を追加してます。良ければこちらもどうぞ↓

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