2010/09/19
記事の日付を見てみると7月の13日、夏になる直前の梅雨の真っ最中という時期にビスケットカメラの事を取り上げて、前からずっと気になってたトイカメラのこと、この場合はフィルムじゃなくてデジタルでしたけど、その一端を体験してみて感じたこと、思ったことを書いてみました。
この記事でも書いたように、ビスケットカメラは画質はちゃちの極みではあったものの、そこから生み出されるものから受け取ったいろいろなものは意外なほど面白くて、手にしたきっかけは凄く単純に安かったから、なんか流行ってるみたいだったからっていうものだったけど、ビスケットカメラにたまたま手を伸ばした結果、わたしはそれまで気にはなっていたもののずっと横目で通り過ぎていたトイカメラの前で立ち止まって、しげしげと眺め回すようなことを始めてしまうことになりました。
この最初に手にした6月の下旬から7月の初め頃は、ビスケットカメラはトイカメラの中でも一番ちゃちな部類、トイカメラの雰囲気をまねたおもちゃという印象がわたしには結構あって、トイカメラの面白さの一端を実体験したあとではビスケットカメラのようなおもちゃじゃなくて本格的なトイカメラを使って見たいって云う欲求が結構強い衝動としてわたしの中に現れてきました。
フィギュアの記事でもちょっと気配がわかるかもしれないですけど、わたしのなかには若干コレクターの気質といった感じのものがあります。
コレクターといっても、欲しいものがあるなら世界中を飛び回っても探し出してくるといった真性のコレクターなんかじゃまるっきり無くて、欲しいものがあればまず自分のものにしておきたいという欲望が起き上がるものの、無理と分かると仕方ないかと簡単に他の手に入りそうなものにターゲットを変えてしまうようなお手軽コレクターの類なんですが、それでも関心を持ったものは手許に集めておきたいって云う欲求がまず最初に立つような性質があるんですね。
その性質がカメラ対象に発動したのかこの夏の間の大きな出来事だったと云えるかも知れません。
写真撮りに屋外に飛び出して歩き回る合間に、わたしはいくつかトイカメラを買い集める行動に出ていました。といってもフィルムカメラはやっぱり敷居が高くて、その周辺を巡るような感じになり、最初はビスケットカメラよりもちょっと高いデジタルものを選んでました。
そしてそういうちょっと本格的なトイデジを使っていくうちにやっぱりトイカメラはフィルムが本筋、デジタルものはフィルムカメラが作り出すもののシミュレーションだなぁっていう考えかたに傾いていきます。
そういう風になっていったのは、大体8月に入って暫くしてからのことだったかな。そしてその頃から、遠巻きにして回りを巡っているだけだったフィルムカメラにもようやく手を出すことになりました。
この夏に買ったフィルム使用のカメラとしては、35ミリフィルムで真四角写真が撮れるDiana Miniや、トイカメラの範疇には入りにくいかもしれないけど、サンプルを観て色味のとりこになったフジカラーのナチュラ・クラシカがあります。
なんだかこの夏は写真撮りに炎天下の街を歩き回ったり、夏の映画なんて「インセプション」一本しか観てなくてその記事さえ書いてないのに、時間があればやたらカメラ屋や雑貨屋に入り浸ってカメラ眺め回したりと、とにかくカメラを中心に動いていたようなところがあります。
ビスケットカメラから、トイデジカメへ、トイデジカメからフィルムのトイカメラへと今まで横目で眺めていたところへまで手を出す領域は広がって、今の関心はフィルムのトイカメラを試した結果、トイカメラに限定することなくフィルムカメラの楽しさそのものにまで拡がってます。
ビスケットカメラっていう2000円ちょっとで買える、携帯のカメラ機能よりもちゃちなおもちゃカメラをたまたま手に取ったために、数ヵ月後には今まで立ち寄ったことも無かったカメラ屋の中古の棚を熱心に眺め回すようなことになるとは、わたし自身本当に夢にも思わなかったです。
☆ ☆ ☆
ビスケットカメラの後に買ったちょっとだけ高価なトイデジっていうのは、ビスタクエスト社のVQ1015 ENTRY っていうのとVQ5090っていうのの2種類でした。トイデジだとこの辺りが簡単に入手できてよく名前が挙がるものになってます。

トイデジタルカメラって、「これはトイであって、これはトイじゃないただのデジカメ」といった区別が出来るような明確な定義があるわけでもないんですよね。大きなくくりとして通常のデジカメとはちょっと違う写り方をするって云う程度の区分に過ぎないようなものがあるだけ。そういう区分けで行くとVQ5090っていうのはヴィヴィッド・カラー・モードというのがあって、これで撮ると色味がキャンディーみたいに彩度の高い仕上がりになるというのがトイデジ的ということになるんでしょう。フィルムのトイカメラを模倣してるわけでもないトイデジの一つという感じです。
パフェの写真とか、漫画ミュージアムの写真とかこのところ記事に使ってる写真の大半をこれで撮ってます。でもこのデジカメ、近距離はピント合わないし、普通のモードで撮ると大して解像度もないただの安いデジカメ程度の写り方しかしないんですよね。
もう一つのVQ1015は完全にフィルムトイカメラのデジタル・シミュレート・カメラです。周辺減光、極端なコントラストや白飛び前程の露出設定、カラーバランスの崩壊など、フィルムのトイカメラでよく起こる現象の共通項のようなものを拾い集めてデジタルで再現してるような写真を作り出してきます。異様な絵が出来上がるんですけど、パターン化しすぎてるようで、しかもそのパターンだけで絵作りしてるところがあって、意外と予測可能な感じもあり飽きるのも早そうな感じもします。
トイデジは8月中はこの二つを使って良く遊んでたんですけど、これで撮った写真は記事に使ってるということでちょっと脇においておいて、今回はわたしの元に集まってきたカメラの中でもっと風変わりなものを2つ取り上げてみることにします。
一つはこれ。学研の大人の科学って云う本についてた付録の二眼レフカメラで、ちゃんと名前もついていて、その名前はガッケンフレックス。

発売は去年の10月なので、もうそろそろ一年たとうとしてます。いつものごとくわたしの性癖で本屋で見かけてから実際に手に入れるまでには若干のタイムラグがありました。買った人が組み立てるカメラって、二眼レフって言うのは激しく興味を引かれるけど形だけそれっぽいもので中身は話にならないくらいちゃちなものじゃないかって思ったんですよね。ネットで作例なんかみるとそれなりに写るカメラっていうのが分かってきて、手に入れたのはそういういろんな情報を目にしてからでした。しかも手に入れてから実際に組み立てるまでの間、暫く放置してる期間がありました。作り出すと出来上がるまで熱中するだろうし、ある程度時間を見ておかなければならないように思えて、一応本を手に入れた事で満足したような形になってました。
それを組み立ててみたのがこの8月の出来事の一つ。
組み立てそのものはそんなに難しくなかったです、基本的に箱状の形態なので似たような部品が多く、これは右側側面の板とか、間違わないようにちょっとだけ注意を払う程度。接着剤は使わずに、ねじで留めていく仕様になっていて、プラスティックの素材にねじ山を切りながらねじ込んでいく形になってるから、力を入れすぎてねじ山をつぶさないようにということは気をつけて組み立てていきました。ちなみにドライバーも同梱されてるので、このキット以外に用意するものはなかったです。
組み立てとしてはシャッターの部分がほんのちょっとだけややこしかった程度です。3つの部品の組み合わせになってるんですけど、かなり奇妙な形のパーツで、その形状から動きが予想できないんですね。組み合わせていく段階でばねも何種類か仕掛けていくようになっていて説明書でもちょっと複雑に見える部分もありました。動きが予想できないからこれで本当に動くの?って思いながら奇妙な形のパーツを説明のとおりに組み合わせていきます。シャッターが完成した後、シャッターを切って3つの部品と複数のばねが動く様子を見て、あぁこういう動きをさせるための形だったのかって始めて理解できることになるような感じ。ガッケンフレックスはシャッター・チャージもない、フィルムを送らなくても何度でも切れるもっとも単純なシャッターの仕組みですけど、カメラの暗箱内部に一瞬光を取り入れるという目的の動きをシャッターにさせるための仕組みはよく考えられていて面白かったです。
二眼レフには見てのとおりレンズが2つついてます。下のレンズが実際に写真を撮るためのテイクレンス、上のが見ている光景をファインダーに送るビューレンズという構造になってます。ガッケンフレックスはこの仕組みをシンプルながらも再現していて、ファインダーは唯の飾りじゃなく、ビューレンズから送り込まれたファインダーの光景をもとにしてピントあわせが出来るようになってました。
ビューレンズから送り込まれた写像は内部のレフレックス(反射板)で90度に反射され、カメラ上部に設置されたファインダーのスクリーンに映し出されて、それをうえから覗きこむ形になります。
このフードに囲まれた薄暗がりの中に浮かび上がる光景のなんとも魅力的なこと。どうっていうことのない日常の風景が切り取られ、覗き込むファインダーの暗がりの中に、まるで映画の一齣のように特別の意味を背負って目の前に現れるような感じで、わたしは薄明の中に出現するこの光景に夢中になりました。
キットの中にはストラップなんかは含まれてなかったので、本格的に持ち出して使うわけにも行かずに、暫くはファインダーを覗いてただその光景を眺めて楽しんでました。
その後ストラップは雑貨屋からアクセサリー用の皮ひもなんか買ってきて試したりしてたんですが今ひとつしっくり来ずに、結局市販のものから適当に選んで買ってきて取り付け、フィルムも装てんして、実際に撮影できるように準備完了となります。
それで先日ようやくガッケンフレックスの試し撮りをしようと決めて、北山のほうにある京都府立植物園に行ってきました。
植物園で撮った写真はこんな感じ。

GakkenFlex ; Kodak SUPER GOLD 400
仕上がった写真をそのままスキャナーで読み取ってます。

温室なのかな?正体の分からなかった小屋。巨大なドーム状の本格的な温室は園内の別の場所にあります。
ウエストレベルファインダーは水平を取るのがちょっと難しいです。これもわずかに傾いてます。

この日の植物園は花の気配がありませんでした。

木々に囲まれて置かれていた謎の構築物。

誰も居ない広場の真ん中で孤独に噴きあがっていた噴水。
みんな似たような構図になってるのはここでは一応触れないでおくとして、割と思ってた以上にまともに写る感じの結果となってました。周囲は激しくぼけてるけど、中心辺りは甘めのピント状態を保って絵にしてくれてます。わたしがこの時撮ったものには周辺減光はあまり出なかったんですけど、いかにもトイカメラっていう写り方の写真が出来上がってくるようです。
撮り終えたフィルムは11日に近所のスーパーに入ってるカメラのキタムラへ現像してもらいに行きました。
一日くらいかかると思ってたのにその場で大体40分くらいで仕上がるということでした。トイカメラで試し撮りしたフィルムなのでまともに写ってるものがほとんどないかもしれないって一応断ってから頼んだんですが、店の人はトイカメラっていう言葉を聞いてもそれほど不思議そうにはしてなかったので、そういうカメラが世の中に存在してることは知っていたんだと思われます。一応どんな写り方をしたのか確かめたいので箸にも棒にもかからないようなものでもプリントしてみてくださいと頼んで、仕上がりを待つことになりました。
本当にちゃんと写ってるのかとか、全滅だったらみっともないなぁとか出来上がりを待つ間ちょっとドキドキしてました。テストの答案を返してもらう時の気分って云う感じもありましたけど、待ち時間は結構楽しかったです。
それで仕上がったのがこういう写真でした。
現像されたネガを見てものすごく意外だったのは、24枚撮りのフィルムで、ガッケンフレックスの巻上げノブが動かなくなるまで撮影したのに、結果は13枚しか撮影してなかったということでした。現像が仕上がったフィルムを見てみると13枚撮影した後、フィルムの後半は写して失敗した痕跡もなし。出来上がった13枚の写真はネガの状態でみると全部連続して並んでるので撮影に失敗して実際の枚数が減ってしまったというのもなしで、写せなかった11枚はまさしくまだ巻き上げられるのに巻き上げてシャッターを切らなかった部分っていうことになってました。
なぜ13枚以降巻き上げられなくなってたのかは今のところ理由は分からないです。ガッケンフレックスには何枚撮ったかということが分かるようなカウンターはついてません。フィルムを巻き上げる段階で一枚分を送ったというのが判断できる目安があるだけ。だからフィルムが巻き上げられなくなった時点がフィルムの終了ということになるんですが、まだ11枚の余裕があったなんて全く思いしない結果でした。今度撮る時は裏側にメモでも張って何枚撮ったか記録しておいた方がいいかもしれないって思いました。
ちょっと植物園の事も書いておくと、撮影に行った日の植物園はどうしたのかと思うくらい人がいなかったし、これのどこが植物園?と思えるくらい花が咲いてませんでした。
炎天下の園内は散策してる人もほとんどいなくて、来てはいけないところに一人で迷い込んでしまったような感じでした。植物園の世話してる人だと思うんですけど水をやってる作業服の人にたまに出会ったり、数少ない花の前で写生してるような人に出会うだけ。園内の地図に食堂があったので行って見たら、本当に営業してるのかというくらい活気のない建物で出入りするお客さんの気配もなく、はっきり云って怖くてなかに入れませんでした。
歩いても歩いても視界に展開するのは草と木ばかりというこの日の体験は、植物園にやってきたにしてはあまりにも凄まじく、綺麗な花が一杯咲き乱れていて、それを観に来た人が散策してるというわたしの思惑との間に生じた落差に唖然とするものがありました。
ガッケンフレックス以外のカメラも持っていってたので、それで撮った当日の植物園内の様子も載せておきますね。

VQ5090 Photoshopでカラーバランスにちょっとだけ細工してます。

Biscuit Camera
数少ない花が咲いてた場所。
☆ ☆ ☆
もう一つのカメラはハッセルブラッドのこと。これはもうトイカメラどうのこうのっていう話じゃなくなってくるんですけど、フィルムトイカメラからフィルムカメラ一般へ興味が拡大していく中で接点が出来たカメラでした。
実は父親が昔写真を趣味にしていて、引越しする前の家には暗室まであるくらい本格的な活動をしていたことがあります。写真雑誌に入選して載ったこともあって、載った号の本は全部大切に本棚にしまわれてます。
その父が持っていたカメラの中に確かハッセルブラッドがあったんじゃないかって想い出して訊いてみたんですよね。ハッセルブラッドがあったと思うけど、使ってないなら頂戴って。
返事はいとも簡単に構わないよっていうことで、なんともあっさりとした経緯で8月の中盤過ぎた頃わたしの手許にスウェーデン製の高級中判カメラ、ハッセルブラッド500CMがやってくることになりました。
父は今はカメラよりもゴルフに趣味が転じて写真にはほとんど関わらなくなったんですけど、わたしが子供の頃の父は結構カメラを所持していた記憶があって、他のカメラはどうしたのかということも訊いてみました。するとハッセルブラッド以外はもう全部売ってしまったという返事が返ってきて、どうやら手元にあるのはこのカメラ一つだけのようでした。ハッセルブラッドだけ売らなかったのは、高額なカメラだったので買う時にかなり苦労して、そのせいで手放す気にはなれなかったからだそうです。

上から覗き込むウエストレベルのファインダーと真四角な写真が撮れるカメラとしてはローライフレックスなどの二眼レフカメラとともに代表となるカメラ。今ではフィルムカメラの衰退もあって中古の状態では一般人も買う気になれば買えるカメラになってますけど、昔はプロ御用達のなかなか手が出せないカメラの筆頭だったそうです。アポロが月に連れて行ったカメラもハッセルブラッドのカメラだったんですよね。
いわば歴史を背負ったカメラメーカーとそこが作り出すカメラといった存在。そういう歴史を背負ったカメラを手にとるのは、その歴史に自分もちょっと参加できたような気分になれるところがあって、なかなか楽しいです。そしてわたしとしてはなによりも上から覗き込んで真四角な写真を撮りたいと思っていたから、これはまさにわたしが欲する条件にぴったり合ったカメラでもありました。
ところがあまりメンテもしてない状態で保管されてたので、きちんと動くかどうか試しながら色々調べてる時に、このハッセルブラッドには16枚撮りのフィルムマガジンがつけてあることに気づいたんですね。ハッセルブラッドは中判カメラで一般的な35mmのフィルムより大きいブローニーって云うフィルムを使います。このフィルムは12枚撮りの時は四角い写真が撮れるんですけど16枚撮りにしたら普通の横長の写真を撮るモードになってしまいます。つまりわたしは故障してるような様子はないかいろいろ観察してる間に、このハッセルブラッドがこのままの状態だと真四角な写真が撮れない形になってるって気づいてしまったわけです。
写真でも分かるように、わたしのところにやってきたハッセルブラッドはアイレベルのプリズム・ファインダーに交換してあってそのままではウエストレベルで上からファインダーを覗きこむことも出来ないようになってました。
これがどういうことだったかというと、目の前のハッセルブラッドはわたしがこのカメラの利点だと思っていた2つの要素を両方とも封印したような形になっていたということです。このことに気づいた時、期待感に満ちて触りまくってたわたしの頭の中は一瞬真っ白に。
封印を解くには両方とも自分の目的に合ったパーツに取り替える必要があります。ある意味解決の方法としては凄くシンプルなんですが、この方法はちょっと費用がかかるというか、それを実行するには、国産の二眼レフやローライフレックスの廉価版、ローライコードくらいなら買えてしまう位の出費は覚悟しなければならないようでした。はっきり云ってそういう予算があったらわたしとしてはその予算で買える扱いやすい二眼レフカメラ買ってます。この予算は気分としてはとんでもないほど出しにくい類のものでした。
こんな凄いカメラを前にして使わないのは絶対に勿体無いし、最終的にはいずれ自分で使いたい形に持っていって使うつもりではいるんですけど、今のところはこんな状態に陥ったまま考えあぐねてるというか、ちょっと途方にくれてしまった状態になってます。クラシックカメラってメンテナンスを筆頭に吃驚するほど費用がかかるって云うのをこれを手にして見て痛感しました。
ちょっとハッセルの話からは外れるかもしれないですけど、わたしはトイカメラを通してフィルムカメラの面白さを再認識することになりました。
世の中の動きから云えば、トイカメラの興隆でフィルムにスポットが当たってるところもないこともないものの、全体的にはやっぱりフィルムの領域は衰退していく方向に進んでるんだと思います。最近出来た京都駅南のイオンモールでも、カメラ売ってるところは全部デジタルカメラしかおいてないような状態になってました。
こういう流れでフィルムカメラに手を出すっていずれ消え去るのが分かってるものにお金をかける馬鹿げた行為のように思えるかもしれません。でもわたしは、いずれ衰退していくものなら、むしろ逆にフィルムで遊べるのは今しかないんじゃないかって考えるようになったんですね。今しか遊べないものならなおのこと、この気づいてしまった面白さを存分に体験しないのはなんだか凄く勿体無い事だって。だからデジタルも良いんですけどそれはそれとして、今の気分ではフィルムのカメラにもっと関わりたいと思うようになりました。
フィルムのカメラと付き合うのは、フィルムを装てんする時に手に伝わる感触や巻き上げる時の感覚から、一枚フィルムを消費するのと引き換えにシャッターを切ることへの逡巡と決断、プリントが出来上がるまで待ってる時のドキドキ感まで、あらゆる感覚を総動員して楽しいですよ。
☆ ☆ ☆
6月の終わりから7月の初め頃にかけて、云わば梅雨の真っ最中にこういうことに手を出してみて、よりによって梅雨時にやり始めるものじゃなかったかなぁって思ってました。買ったカメラを使いたくても雨降ってるとどうしようもないですから。
今年の梅雨は、すでに過ぎ去ってしまったせいか、あるいはその後に続いた夏の印象が強烈だったせいか、早くもあまり記憶は正確でもなくなってるんですけど、確か西日本中心に結構な豪雨があった梅雨だったと思います。それでカメラ手にして遊ぼうと思ってたのもなかなか実行できずに軽い欲求不満の状態になって、7月頃は早く梅雨が明けないかなとずっと思ってました。
そして待望の夏がやってきたわけです。
ところが梅雨が明けたとたんやってきた夏がどんなものだったかは既に周知の如く、つい最近まで居座っていて、数日前にようやくどこかへ行くために腰を上げてくれたような状態になったけれど、それはもうとんでもない暑さで日本を焼き尽くすような夏でした。
雨も降らない、強烈な日差しが照りつけるだけの日々が毎日毎日延々と続いた夏。京都では夕立さえほとんど降りませんでした。
夏がくればカメラ持って遊びに出かけようと思ってたのにそんなとんでもない夏がやってきて、それでも最初のうちは暑いなぁと思いながらもそれなりに歩き回ってたものの、8月の中頃にもなると、前人未到の領域を目指してただひたすら勢いを増すだけの暑さに押されて、夏になったらカメラでいろんなものを撮りまくってみようというわたしの密やかな野望は、心のどこかに畳み込まれてしまったような状態になりがちでした。
その日がとんでもない暑さになると分かっていても実際は外出の折には必ずカメラを持って出かけてました。でも今日はあそこまで足を伸ばしてみようと思って歩き出しても、そこへ行き着く前に力尽きるというか気力が萎えてしまい、もうどうでもいいや、早く涼しくエアコンが効いたところに戻ろうという思惑のみが頭の中を占領するような状態になってました。被写体を見つける注意力も散漫、構図なんか考える余裕は噴出す汗を拭い去る労力と気持ち悪さの前に、簡単にどこかに消し飛んで行ってしまいます。
大体持ってるカメラが陽射しに晒されてるだけで熱くなってくるんですね。こんなにまるで火に熱したみたいな状態になってきて電子部品は大丈夫なんだろうかとか、汗ばんだ手で長時間持っていて影響はないんだろうかとか瑣末といえば瑣末なことなんですけどそんなことまで考えてしまって屋外でカメラを日に晒してる時はなんだか気が気じゃなかったです。
結局夏の後半は、梅雨時に色々期待して意気揚々としてたほどには思うようにカメラを使えなかったという結果に終わった感じでした。
8月の後半頃からシャッターを押す指の動きが鈍くなったのは、凶悪な暑さ以外にも、お散歩写真も結構難しいもんだなぁって思い出したこともあるかもしれません。
お散歩写真っていうコンセプトは凄く魅力的だし面白いです。写真を撮るって言う行為が、観光地とかへ出かけて何百年もの歴史を背景にした遺物や自然の驚異なんかを写して来るような、写す価値のある特別なものを写す特別な行為ではなくて、というかそういうのも写真的な行為なんだけどそういうのとはまた別に、特別でもないものを自分の生きてる空間から切り出してみる、日常的な行為そのものといえるような写真もまた写真的な意味合いがあるっていうことですね。写す側にとっては普段の視線という形からファインダーを通してみるという形に視線を特殊化させることで、普段目にしていたものがまた別の意味合いを持って目の前に立ち現れてくるかもしれないっていう感じというか。普段接していて気づかなかった関係に気づくのか、散歩していて普段目にはするもののただそれだけこのことで終始して何も関係をもてなかったものに、カメラを通すことで新しい関係を作り上げられるのか、どちらかは分からないけれど、こういうお散歩写真という行為を通して自分が生きてるありふれた日常にちょっとだけずらした何かを見出し付け加えることが出来るのは確かだと思います。
でもこのお散歩写真、始めた頃はフレームに切り取るだけで、撮った写真の中に何か見慣れないものが立ち上がってくるような気配を持ったものも散見して面白いんですけど、何十年も歩き続けた見慣れた散歩道で見つけることが出来るそういう光景って、そのうち枯渇してくるんですよね。角度を変えたり自分との距離を変化させてみたり、光の当たり具合の変化などでも様相はまるっきり変わってしまうのもわかってながら、散歩する見慣れた道筋っていう圧倒的な日常的リアリティが、その場所なり事物をフレームで切り取ろうとする意図を凌駕してくる。
まぁ簡単に言うと被写体がなくなってくるという感覚に支配され始めるっていうことです。少なくともわたしの場合は8月の後半はそんな感じになりがちでした。シャッター切ろうとしても、特に写真という形にするほどのものでもないかなとか、数日前に確か似たような写真撮ったとかそういう想念が頭に浮かんで、ファインダーを覗きこみはするけどシャッター押すまで行かなくてその場を通り過ぎることが多くなってきました。
☆ ☆ ☆
さて、こんな風にわたしのカメラ遊びは、記録的な暑さの中で突っ立ってシャッターを押すか押さないかの合間で揺れ動いてるうちに、8月を通り過ぎてきたわけなんですが、それでもこの夏の期間に何枚かの写真は撮ってました。今回はそのうちの何枚かを並べてみます。
まずは空の写真。これは結構撮ってます。
実は撮るものが見つからなかったりした時には、大抵空の様子を撮って遊んでました。どうも空の写真って言うのはお散歩写真の定番らしいんですけど、空の青は綺麗だし雲の様子は刻々と変化するし、夏の空は光に満ちていて意外と写真を撮るのは楽しかったです。

VQ5090
今年の夏は
「Camera Talk」というトイカメラ写真の投稿サイトに参加して、いくつか写真を投稿してました。これはその投稿した写真の一枚になります。
両脇のビルが何か古びたビルに見えます。右側の円柱形のほうは、最近移転して閉鎖にはなりましたけど、LOFTの入ってたビルで、それほど古いって云う訳でもないです。でも色温度をデイライトにして撮ってみたらなんだか赤茶けた色が乗って、廃墟っぽいというかちょっと面白い感じになりました。考えてみれば左側のビルも去年だったか潰れてしまったビーバーレコードって言う京都の老舗のCDショップが入っていたビルで、今もテナントは空いたまま。だからロフトも移転してこの両側のビルはある意味本当に廃墟を一部抱え込んでるんですね。そういうのが期せずしてビルの色味に出てしまったのかもしれません。

VQ1015 Entry
夏が始まって直ぐくらいの時に撮った鴨川の様子です。四条大橋からの眺め。まるで街が陽射しで焦げていってるような感じです。ちなみにこのトイデジ、ファインダーが全く役に立ちません。全部ノー・ファインダーで撮る以外にないカメラになってます。

GakkenFlex ; Kodak SUPER GOLD 400
植物園の後でガッケンフレックスで撮った空の写真です。空と電柱っていうのはお散歩写真のゴールデンコンビらしいんですけど、たしかにこの被写体はトイカメラで甘い絵にしてみると雰囲気のあるイメージに仕上がるみたいです。
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纏め的に云ってしまうと、街で見かけたリズミカルなものっといった感じになるのかな。そういうのも何枚か写真に撮りました。なにもイヤホン耳に突っ込んで自閉的に閉じてしまわなくても街の中には音楽が、リズムが溢れてるよっていうわたしからのささやかなメッセージ。

VQ5090
これも「Camera Talk」の方に投稿した一枚です。場所は京都駅南のイオンモールなんですけど、最近行って見たらこの椅子とテーブルは全部片付けられてました。別に画面に動くものがあるわけでもないのに、左上から右に向けて流れていく動きが感じられるようです。上の円形の部分が右方向への動きを促してるのかな。青い子供用のテーブルと黄色い色の椅子が一つだけ入ってたのはこの写真を撮るという意味においてはものすごくラッキーでした。この青色と黄色があると無いとではかなり印象が変わってくると思います。

VQ5090
これは実際に音が出たとするなら明らかにベース音ですね。椅子なんですけど形もちょっとおたまじゃくしっぽいかな。

VQ5090
これはわたしとしては失敗した写真。
だってこれ、わたしが自分で並べたようにも見えるのがまず致命的に面白くないです。そういう作為を含めてしまうと何でもありになってしまうし、街角スナップって言う意味合いもなくなってしまいます。モップっていう被写体ももうひとつかなぁ。わざわざ写真にしてまで見たいものでもないですよね。
単純に並んでるだけというのも、だからこそちょっと気を引いてシャッター切ってみたんですけど、写真にしてみれば単調なイメージにしかならなかったです。Photoshopでカラーバランスを変化させて、バックのブロックの色を好みの色にしてるのが隠れたポイントになってます。
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VQ5090
手前から向こう側に伸びていく細い路地やトンネルと、その路地やトンネルの行き着く果てに開けた明るい未知の空間が垣間見えてるって言う構図に何か惹かれるものがあるのか、路地を見たら結構写真を撮ってました。大抵何の意味も無く向こう側に消えていく路地が写るだけでわたしが感じたものの気配さえ定着させられない結果に終わるんですけど。
向こう側に開けた空間こそないものの曲がった廊下の向こうに未知の空間が開けてる感じを伴って、ちょっと気を引いたのでシャッターを切ってみた写真です。あるいは正面奥に見える扉の向こう側が路地の彼方にみる明るく開けた未知の空間に相当してたのかも知れません。

VQ1015 Entry
モーリスカフェの記事を書いてから、つまりあのこちらを窺う妙なうさぎに誘われてからというもの、わたしのなかにはなにかうさぎに惹かれるものが出来てしまったようで、うさぎの置物とか見たらかなりの高確率で買ってしまってます。「Camera Talk」で使ってるプロフィール写真もうさぎの置物だし。
それでうさぎの写真も撮れる機会に遭遇したら、ほぼ確実にシャッターを切るような感じになりました。でも野良猫がいるようには野良うさぎはさすがに街中で出くわすことは無いので写真に撮るといっても大抵看板に描いてある絵だとか置物になってしまうんですけどね。
これは雑貨屋イノブンのビルの屋上に作ってある小さな庭園に飾ってあった置物。カメラを地面につくくらいまで下げてノー・ファインダーで撮ったものです。でもこういうのって、庭園に置物とベンチを飾った人のセンスによってる部分が大きいから、撮ってはみたものの撮った本人としてはそれほど面白くも無い部分もあったりしますね。
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Biscuit Camera

Biscuit Camera

Biscuit Camera
それと電源、メモリー周りが実用的じゃないので暫く使ってなかったビスケットカメラを久しぶりに使ってみたんですけど、やっぱりこの独特の雰囲気は良いですね。わたしはこういうテイストが付随する写真って結構好きです。
他のたとえばメモリーカードを使ってるような機種を使った後では、ちゃちさでもう使わなくなるかなと思ってたのが、逆に雰囲気のよさを再認したような感じになって、ガッケンフレックスの試し撮りに植物園へ行った時に連れて行くことになりました。
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そろそろ涼しくなってきてカメラ持って出歩くには最適の季節になってきました。夏の間はこんな感じでしたけど、これからは暑さに阻止されることも無く出歩けると思うとなんだかワクワクしてます。それとカメラそのものも収集熱にちょっと火がついた感じになっていて、これからの秋の季節は欲しい機種が幾つかあるのを集めるのにも夢中になってるかもしれないです。
上のほうでなんだかシャッターが押しにくくなったと書いたけど、結局こういうのは頭で考えて行動するのはやっぱりあまりいい結果を出さないような感じがします。頭の方で躊躇いが出てもとにかくシャッターを切ってみる。これが一番いい方法かな。
それと自分の撮った写真を眺めていて思ったのは対象物を目の前においてまるで展覧会の展示物みたいにして眺めてるなぁって云うことでした。一歩踏み込みが足りないような感じ。対象に後一歩近づいて撮ると結構違った世界が広がりそうな気がしてます。
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