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陽炎 / A Man in a Room, Gambling - Gavin Bryars and Juan Muñoz

膨張する視線





ふくろう





陽炎の花






バス停
110フィルムを使って、ベビー・ホルガなどトイカメラで撮ったものをスクエアフレームにトリミング。撮影は2013年頃。

この、とにもかくにも圧倒的な低画質。まるでニエプスの始原の写真にカラーがついたような、そんな仕上がりだ。よく写るという方向へ向かう道筋とよく写らないという方向へ向かう道筋の、二方向に伸びる展望というか可能性があるのなら、よく写るほうの行き着く果てにあるもの、たとえばトーンの再現性だとか精密さだとか光の再現度だとか、そういうもののシンプルさに較べて、よく写らないほうの道筋にある分岐点は意図的無意識的イレギュラー、逸脱を初めとしてあらゆる偶然性を巻き込んでそれこそ無数にあるような気がする。この二方向に分かれる道筋のどちらが面白そうかというと、こんなの考えるまでも無く無数に分岐して混沌へとなだれ込んでいく、よく写らない方向だろう。ということで時折壊れかけの怪しいカメラを持って出かけることがやめられないこととなっている。とはいうものの安易に付加しがちな情緒とは遠く離れてオブジェそのものといった身も蓋もないような剥き出し感の横溢する解剖学的な写真も同じように好きなわけで、でもこれは一見まるで異なった志向のように見えて、写真的な中道志向から両極に振り切れているけれど方向が真逆なだけで本質はほとんど一緒なんじゃないかと思っている。解剖学的な写真もまたある一線を越えて詩的な幻想となる。フィルムという物質に定着させてはいるけれど最近写真の物質感のなさのようなものに物足りなさを覚え、プリントという物質に一度落とし込んで、その紙という物理的な存在になったものを加工して何か出来ないかなんて思ったりしている。手に触れる形となったもの、手によって変化させられるような物質的なもの、何だかそういうものに触れてみたいという気分。画家が物足りなくなって彫刻に手を染めるようなのと感覚的には近いかもしれないかな。我が嗜好はデータそのものといったデジタル写真とはますます逆方向を向きつつあるようだ。




A Man in a Room, Gambling | Gavin Bryars and Juan Muñoz

雑踏の中で拾い集めた意味にも届かないようなざわめきの交差のようなもので出来上がったノイズミュージック、頭の中でいつも低く騒いでいるような音とも云えない音、写真に合う音としてそんなのを選びたかったんだけど結局適当なのを思いつかず。で、ギャヴィン・ブライアーズのこんな曲を選んでみた。でも自分がこの写真を撮った時に頭の中に流れていたような音楽とはやっぱりちょっと違うかな。









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【トイカメラ】去年終盤からお正月にかけてのお散歩写真 ~祇園周辺を中心に~ +年の最初は日本風に?

去年の終わり頃から今年のお正月の始まりにかけていろいろと撮っていた写真の中からいくつか選んで載せてみます。一つのカメラで集中して撮ってるつもりでも、出来上がった写真をあとで眺めてみると、その地域の全体の雰囲気を定着させるような写真というよりも、わたしの撮り方は一本のフィルムの中にそのフィルムがカメラの中に存在していた期間に出かけた場所の記憶が断片的に雑然と収まってるという感じ。その時々に立ち止まっては眺めたものたちの近視眼的で断片的な記憶みたいなものが殆どで、これで出かけた地域全体の雰囲気が分かるといったものとは程遠い写真になってるという感じでした。
場所的には10月下旬頃から11月にかけて動物園に行ったり紅葉を撮りに行ったりした関連で馴染み深くなった蹴上周辺だとか、普段出かけるたびにちょっと足を延ばして散策してる祇園周辺の風景が中心となってフィルムに詰まってました。


☆ ☆ ☆

この期間は貰ったデジカメ、ニコンのP5100というのが思いのほか気に入ってしまってこれの出番も結構多かったんですけど、気分はフィルムカメラにかなり親和性を感じるようになっていたので、常時フィルムカメラも携えて行動してました。フィルムカメラで比較的良く持ち出してたのはこういうカメラ。

LC-A+
LOMO LC-A+というトイカメラでした。
もとはロシアのカメラなんですが、わたしが持ってるLC-Aは最後に「+」がつく、最近になって製作拠点を中国に移して作られるようになったバージョンのものです。
妙な形してるカメラでしょ。底部にスライド・スイッチがあってそれをひくとファインダーとレンズに相当する上下の窓が開くようになってます。
わたしはトイカメラというと、今は潰れてしまって影も形もなくなってしまった寺町の洋書屋「ランダム・ウォーク」でみたホルガの印象しかなくて、ずっと長い間ホルガのみがトイカメラの頂点に立つという認識でいました。でも実は頂点に立つトイカメラというのは二つあって、そのひとつがホルガであるということには間違いないんですけど、残りの一つというのがこのLOMO LC-Aというカメラでした。本格的にトイカメラに興味が湧いてくるまで不覚にも知らなかった。
LOMOというのがメーカー名でLC-A+というのがカメラの名前です。LOMOのほうがロシアの光学機器メーカー、レニングラード光学器械合同の頭文字を繋げたもの。カメラの名前であるLC-Aの方もLOMO Compact Automatの頭文字を並べたもので出来上がってます。

ロシアの大衆向けカメラとして売られ、一つ一つの出来にばらつきがあるような程度の低品質のカメラだったんですけど、思うように撮れないカメラということでそういうことに価値を見出したヨーロッパのアート志向の若者の間で人気が出たカメラでした。この辺はまさにホルガと相似するような扱われ方ですね。
共産国の崩壊に伴って、自由主義側の高性能で安いカメラに押されて生産中止になったり、色々と紆余曲折の歴史があるカメラなんですが、現在はロモ社は生産からは手を引いていて、ロモグラフィーという支援組織が新生LC-Aとして機能を追加したLC-A+を中国を拠点にして生産しています。

ロシア以外の場所に広まっていくうちにトイカメラというちょっと特異な領域を代表する形になってしまったカメラだったことも影響してか、マニアックというかコレクター気質の人を刺激するところがあるようで、今のロモグラフィー製じゃなく、ロシア時代のロモ社製造のものだけが本物のLC-Aというような扱いをされることが多くて、昔のものの中古品が高値でやり取りされてるカメラでもあります。
わたしが持ってる「+」はLOMOが作ったものでもない現行の機種なので、ロシア時代のものだけがLC-Aを名乗れるカメラと考える人から見ると、おそらくロモグラフィーが中国で作った、LC-Aに似てるだけの唯のまがい物カメラとしか考えられないだろうと思います。

わたしがこのカメラを買ったのは10月頃に大阪の梅田に行った時のこと。この時梅田のカメラ屋の中古の棚にこれが並んでるのを見かけまじた。梅田の阪急前には大阪駅前第1~4ビルというビル郡があって、何故か知らないけどカメラ屋が複数店を出してます。この時気晴らしに大阪に出かけてこういうカメラ屋を見て歩いてるうちに、このなかの一軒で、LC-A+が売られてるのを見つけてしまったというわけです。しかも値段を見ると1万円もしてないような状態で。
トイカメラ扱いのせいなのか普通の中古カメラショップでは意外と見かけないカメラで、実際に中古の棚に並んでるのを見たのはこのときが始めてでした。
そしてこのカメラ、トイカメラとは思えないくらい値段的には馬鹿げた高値がついてるカメラでもあります。現行の新品だと確か3万円近くするはず。意外と小振りで適度な重さがあって持ってみると手に伝わってくる感じ、掌への収まり具合はなかなかいいものの、カメラとしての機能的な完成度、質から云うととてもじゃないけどこんなにお金を払って買うカメラじゃないです。これに3万使うならもっとはるかに質のいいまともなカメラが買えます。中古も安くなるどころか希少価値がついて、ロシア時代のものは同じくらいの値段でやり取りされてるし、わたしにはこういうことがネックになって興味はあったけれどなかなか手の出せないカメラでした。
それが1万円以内で店に出てたわけだから、見つけた時点でかなり気持ちが傾きました。とりあえず店の人に棚から出してもらってどんな状態なのか色々と自分で触って見ます。目利きでもなんでもないから触ったからといって何が分かるわけでもないんですけど、明らかに壊れてるようなところはなさそうでした。正直なところ安くなってると云ってもそれは通常やり取りされてる価格帯の3万円に比べてという話であって、わたしにとっては1万円は高額な買い物です。でも欲しくなってまた大阪に来るのも面倒だし、買わない方がどうも後悔しそうだったので、結構長い間考えた挙句、買うことに決めました。「+」付きでマニアからはまがい物扱いにされることもあるものだけど、値段的にいったらこれでも十分だとも判断しました。
ちなみに中古でカメラ買ったのはこれが初めての体験でした。

LC-A+の写真を見ると分かると思いますけど、巻き上げクランクの上に黒いビニール・テープが貼ってあります。これはわたしが貼ったものです。買って帰って持ち歩いてみるとクランクを収めて留めておくバネがいかれていて、これがぶらぶらと垂れ下がるように動き回るんですよね。些細なことだけど意外とこういうのはけっこう鬱陶しかったりするし、不用意に触ってフィルムが緩んだりしそうな気がしたので、テープで固定してしまいました。巻き上げクランクはフィルムを全部撮り終わったときにしか使わないから、こんな応急処置で十分です。実はこれ、店で試しに触ってる時は気がつきませんでした。

シャッターはきちんと切れるし、自動の露出も動作していて機械的な不具合はこの留めが効かないクランク程度といったような状態のカメラでした。あとは実際にフィルムをつめて撮影に不具合が出ないか確かめるだけ。そこで10月の半ば過ぎにこれに実際にフィルムをつめて試し撮りに蹴上の方に連れていったというわけです。

☆ ☆ ☆

噴水
LOMO LC-A+ : Kodak Ektar 100 ( 使用カメラ : 使用フィルム ): CanoScan 8600F
クリックで拡大します。

インクラインの跡地にある噴水。向こう側に船を乗せて運んだレールが見えてます。普段行ってもあまり人がいないところなんですが、そういう人の気配のないところに立って噴水が水を出してるのを眺めてると時間に忘れ去られてるようなちょっと不思議な感じがしてきます。噴水の動力が勿体無いように思えるけど、この噴水は疎水の高低差を利用して水を出してるそうで、ある種の自動機械のような感じになってるらしいです。
インクライン跡地ということで奥に見える線路がこの場所の主役であるのは間違いなし。でも線路は写真にとって見たりしても、線路上からでは傾斜してる状態が良く分からないので、絵として面白いものが殆ど撮れないという感じでした。
写真としては色味が少なくてちょっと単調になりすぎたかな。しかも全体に薄暗くてメリハリもない感じ。

放置状態のオブジェクト群
LOMO LC-A+ : Kodak Ektar 100
まるでミステリにでも出てくるような謎の建築物
LOMO LC-A+ : Kodak Ektar 100

インクラインで使われていた道具、装置がそのまま保存されてます。でも保存されてるといっても特別の収蔵施設に収めるわけでもなくどちらかというとそこら辺りに放置状態。放擲されたままその場所に時間が積み重なってるような感じで、あり方としては廃墟に近い印象を受けるんですね。またインクラインの線路沿いには、どうやらごく稀に人が入ってきてるような気配があるからかろうじて廃墟になりきってないような、限りなく廃墟に近い印象の謎の建物がいくつか散在してます。

ミスト風
LOMO LC-A+ : Kodak Ektar 100

跡地の中を歩いてると人のいない場所でこういう目的の分からない作業場に出くわしたりして、まるでゲーム「ミスト」の中をリアルに歩いてるような感じ。ここ、場所の持つ感触から云ったら誰もが気軽に出入り自由な、歩きやすい廃墟といった感じのところです。だから好きなのかも。

第二期蹴上発電所の遺構
Wide Lens Camera : Agfa Vista 400

またインクラインの傍らには三条通りを挟んで関西電力の第二期蹴上発電所という建物もあります。今は使われなくなった施設で歴史的な建物として保存されてるところです。窓ガラスは破れ、壁には六芒星が掲げられてるちょっと妖しげな気配を纏った建物。保存されてる建物ということで廃墟というのとは少し違うんですけど、この発電所も廃墟的な彩をこの一帯に付け加えてるかもしれません。

ちなみに廃墟というポイントだとこのインクライン跡から少し南に下っていくと、九条山の中に「アクアパーク東山」というウォーター・スライダーとプールの巨大でかなり不気味な廃墟があります。こちらは正真正銘の廃墟。
「アクア・パーク東山」の向かい側には全和鳳美術館というこれまた本格的な廃墟もあるし、この辺は廃墟好きには結構楽しめるポイントなんじゃないかと思います。

☆ ☆ ☆

トイカメラ風味
LOMO LC-A+ : Ferrania Solaris 400

鴨川沿い、四条から川端通りを少し下がったところにある団栗橋公園にあった遊具です。もう典型的なトイカメラのモチーフと写り方になってます。
LC-A+の写り方の癖は暫く使ってると大体分かってきます。派手目の色乗りと日光が出てる時などに顕著に現れる極端なハイコントラスト。それと周辺減光とオートで動いてる露出計の不安定さ。このあたりの特徴が合わさって、トイカメラ的な印象の画面を作ることがあるといえるんじゃないかと思います。
これなんかは夕方に撮ったということも関係してるのか絵に描いたように周辺で光量が落ちてるし、ゾーンで適当に決めるピントもぼやけた感じを追加してドリーミーな絵に仕上げてます。ちょっと典型的過ぎて返ってあまり面白くないかも。

白川散策1
LOMO LC-A+ : Ferrania Solaris 400
巽橋周辺
LOMO LC-A+ : Ferrania Solaris 400

ちょっと京都っぽい風景を。
四条京阪を少し上がったところ川端通りから東に向けて白川南道に入っていく辺り。白川疎水沿いの散歩道の光景です。写真には入ってないですけど、右の木立の向こう側を白川が流れてます。白川の対岸は祇園の料亭なんかの窓が川に向けて並んでる感じ。
この写真を撮ったのはスキャンしてPCに放り込んでおいたフォルダをみると、11月の初旬のことで、まだ陽射しに勢いがありました。
晴天で撮るとわたしのLC-A+は影を真っ黒に描き出す傾向があるみたい。おそらくわたしのものの個体差なんだと思いますけど、陽射しがきつい時に不用意に影が落ちてる風景を撮ると画面中に黒い幾何学が踊ってる異様な写真が撮れる確率が多いです。この二枚も同時プリントしてもらったのはそんな感じで、プリントしてもらったのを参考にフィルムからスキャンする段階で若干自分なりに補正してます。
神社は巽橋の向かい側にある小さな神社。今の状態でわたしは神社に入ることが出来ないので、周辺をうろついただけでした。喪中の間は神社に入れないというのは、入るとわたし自身に良くないことが起こるというような意味合いよりも、喪中で穢れを身に纏ってるから神社側が入ってくるなと拒否してるからなんだそうですね。

スクエア・フォーマットは絵にしやすい?
Nikon Coolpix P5100

これは同じ通りの川端通りに出て行く終点あたりの光景。遠景で車が見えてるところが川端通、その向こう側は鴨川です。
撮ったのは去年の終わり間近、12月の29日。スクエア・フォーマットの構図の練習をしてる時に撮ったものです。ハッセルで練習として撮るのはフィルムのコスト的にちょっときついので、ニコンのデジカメを四角サイズに変更して撮ってました。
撮ってるうちに日の丸構図も含めて結構どんなものでもそれなりに絵にしてくれる感じもあるサイズという印象になってきてるんですけど、そういうのって明確にこの構図は駄目っていうのがない分判断に迷うところはやっぱり大きいような気がします。
スクエア・フォーマットって考えてみたらレコード・ジャケットのサイズなんですよね。そういう風に考えると今まで数え切れないほどレコードジャケットなんて眺めてきてるわけだから、多少は馴染みが良くなるかもしれないなぁって思いました。

☆ ☆ ☆

寂れた祇園
LOMO LC-A+ : Ferrania Solaris 400

ここも祇園の中にある風景です。舞妓さんが歩いてるようなイメージとはちょっと違う祇園。
裏寂れた風情とか割と好きで、こういう光景に出会うと足が止まってしまうタイプ。廃墟的なものに通呈してるようなのが気に入ってるんだと思います。そういうのから派生して錆の浮いてる金属とかも好きだし、最近は枯れた花も写真にとって見ると結構面白いのに気づきました。

暗黒風景
LOMO LC-A+ : Ferrania Solaris 400

これも祇園の光景。八坂神社の少し南側、東大路通に抜けていく脇道の一つで、ジグザグの曲がり方がかっこよかったので思わずスナップです。撮ってる時に立て看板の下に人が怪しげに立ってたんですけどシャッター切ろうとする段階で逃げられてしまいました。
これはLC-A+の露出が完全におかしくなってたんだと思います。これ撮ったの確かお昼過ぎ。なのにこんなに暗い画面になってます。色転びも半端じゃないし。
ひょっとして壊れてる?という疑いが2割ほど頭に思い浮かばないこともないものの、でもシャッター押すだけでサラ・ムーン風の写真が撮れるような、暗黒が満ち溢れてくるカメラっていうのがあればかなり欲しいと思ってるから、たまにこんなのを撮ってくれるのはわたしとしてはちょっと歓迎したいところかもしれません。
ただ暗黒風景は良いんですけど、暗黒が綺麗に現像されすぎてる感じかなぁ。この暗闇にまだらの濃淡でもあればもっと雰囲気が出てくると思います。

祇園風景
Nikon Coolpix P5100

ニコンのコンデジで撮った祇園の風景も一枚だけ。撮ったのは確か11月頃だったかな。左の明かりがかっこいいです。それに京都っぽい家でもあるし。

☆ ☆ ☆

うさぎと自動車
LOMO LC-A+ : Ferrania Solaris 400

最後にもう一枚。これも祇園にある店の店先です。何の商いをしてる店なのか良く分からないけど。
お正月が出来なかったのでお正月とは関係無しとして、ひっそりとうさぎさんを差し出してみます。この写真、去年からのうさぎ好きの延長で撮った写真で、撮ってる時の眼目はもちろんうさぎでした。でもいまはこの写真の好きなポイントがちょっと変わってきていて、ガラスに写り込んでる自動車の写り込み具合がお気に入りになって来てます。写り込み写真ってちょっと意図的に撮ってみたいと思ったりしてます。

☆ ☆ ☆

今年に入ってから清水寺周辺の坂の多い街並みをハッセルブラッドを肩から提げて何度か散策したり、叡電の茶山の付近から白川通りに併走する疎水分線沿いに京大のグランドの脇を通って銀閣寺に至るようなコースをコンタックスのコンパクトカメラにモノクロフィルムを詰めて歩き回ったりしてました。清水の方は初詣に神社に近づけないからお寺なら入っても構わないかなという考えで歩いてました。ところがこの時期の京都は朝こそ太陽光が降り注ぐような晴天なのに昼過ぎになると必ず霧のような雨が降り出してくるという天気が続いていて、何度か足を運んだのに全部肝心の時間帯にはハッセルは濡れないようにしまいこんでしまってる状態のほうが多かったです。疎水脇を歩いてた時なんか、朝の晴天などまるで嘘だったかのように小雪が降ってきたりしてました。
晴れた空に騙され誘い出されては、雨と雪に晒されるというなんだかお正月早々から天気にいいように翻弄されたような感じ。そのせいかどうか知らないですけど、連休に入る頃くらいから結局風邪をひいてしまうことになりました。
連休以降は熱出してしまって布団に入ったり出たりの風邪ひきモードの生活が続いて、確かに暫く休みますとは云ったものの、こういう意味の休みじゃなかったんだけどなぁって思ってました。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

Me, Japanese Boy
Pizzicato Five


お正月気分の時にセレクトした似非日本風がポイントの曲を一つ。
バート・バカラックの曲で64年にボビー・ゴールズボロの歌でヒットしました。
ハーパース・ビザールの演奏したのが飛びぬけて良いんですけど、残念ながら見つかりませんでした。
曲は日本人ならいい加減うんざりしてる勘違い日本の典型的な曲調という感じかな。でもバカラックが作ってるせいか、曲自体の出来がいいのでうさんくさい日本のイメージもそれほど気にならないで聴いていられるところがあります。でもいつまでたってもどうして区別がつかないんだろう。
これはピチカート・ファイブがカヴァーしたもの。勘違い日本的なイメージを逆手に取ってるようで面白いです。日本勢だとほかでは布施明もカバーしてます。

☆ ☆ ☆
2021/09 追記

ハーパース・ビザールのも見つけたので追加しておきます。
☆ ☆ ☆


Astrud Gilberto「イパネマの娘」日本語版


ちょっとゲテモノっぽいものついでに思い出したので、この日本語で歌うアストラッド・ジルベルトを一曲。「ゴールデン・ジャパニーズ・アルバム」というのに入ってます。アマゾンだと幻の珍盤扱いでした。
曲はまぁ周知のものなんですけど、ブラジルの人が日本語で歌うとこんな感じになるらしいです。
解消しようのない違和感があってなかなか楽しい。

Grant Green Deep River



探してみたらグラント・グリーンの「ディープ・リバー」があった。色々なミュージシャンのアルバムにギタリストとして呼ばれ、自身のアルバムもそれなりにリリースしてたけれどセールス的にはあまり成功しなかったブルー・ノートのギタリスト、グラント・グリーン。
これは彼が遺したゴスペル・スピリチュアル・ソングを集めたアルバム「Feelin' The Spirit」に入ってた曲で、わたしがグラント・グリーン好きになったきっかけの曲です。ちなみにハンドルネームを決めた理由にこの人の名前も入ってました。
垢抜けないしワンパターンだし、決して上手いギタリストじゃないんですけど、どこかひきつけるところがあって。こういうのは歌心があるっていうのかなぁ。この演奏なんかシングルトーンでとつとつと弾いてるだけという印象が強いんですけど、それでも無条件で心に染み入ってきそうです。
ちなみにこの「ディープ・リバー」、アルバムではボーナス・トラック扱いで、さらに日本版のCDには収録されてませんでした。最近リリースされた版では収録されたものも出たようですけど、未収録のものと混在してるみたい。

ピアノを弾いてるのは若き日のハービー・ハンコック。リリカルでこのピアノの演奏もまた魂の響きに満ちてるようです。

夢であいましょう


中村八大が作った曲の中ではかなり好きなほうに入ります。NHKの古いバラエティ番組の主題歌だった曲で、当時歌ってたのは坂本スミ子。オーケストラをバックに坂本スミ子が歌うのもドラマチックで良いんですけど、いい状態のが見つかりませんでした。
この曲は他の人が歌ってるのってほとんど聴いたことがなかったので、忘れ去られた曲だと思ってたのが、今歌ってる人がいるんですね。
歌ってるのは村上ゆき。古い日本のスタンダード曲を取り上げてるジャズ・シンガーです。ピアノバックのシンプルな演奏でわたしの持ってたこの曲のイメージとは若干違ってたんですが、こういうのも良いです。わたしはこういう時代の歌が大好きなので、もっと知れ渡って欲しいと思います。
Youtubeを漁っていて気づいたんですけどこの曲は嵐の二宮もカバーしてるらしくて、ひょっとして現在では若い人の方が知ってる人が多くなってる曲かもしれません。



☆ ☆ ☆


シークレット・ライフ+2シークレット・ライフ+2
(2008/05/28)
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【トイカメラ】植物園のリベンジをかねて動物園へ +ラテン・スピリチュアルその他

何だか同じ場所をぐるぐると廻り巡ってるような生活を送ってるうちに時間ばかりが過ぎ去って行くようで、動物園に行ったときのことを書こうと思い、撮った写真をスキャンして放り込んでおいたパソコンのフォルダを見てみれば、フォルダ名に記入しておいた日付は10月の半ば、思わないうちにもう一月も経ってました。
感覚的には夏が一年の真ん中にあると思ってるせいか、毎年この時期になってもまだ一年の半分が残ってるような気になってるんですけど、実際には1/4くらいしか残ってなくて、わたしにとって秋は来たと思えばあっという間に過ぎ去っていくといった感じの季節となってます。今年はあんな出来事に見舞われたために特にそんな感じが強いです。心の一部を夏の終わりの頃に置き去りにして来てしまったような感じがあって、なおのこと周囲で移り変わっていく季節の変化が早いような気がしてます。

☆ ☆ ☆

ということで、もう一月も経ったとは思えないんですけど十月の中ごろに京都市の動物園にカメラ片手に出かけてきた時のことをちょっとだけ書いてみます。タイトルに書いたので分かるように、夏の盛りにガッケンフレックスを首からぶら下げて植物園に試し撮りに行った時の、誰もいない、花も咲いてない木ばかりが目立つ緑一色の動くものの気配さえない単調な写真を撮ってしまったことにいささか忸怩たる思いを抱いてしまって、いつかもう一度もうちょっと小ましな写真を撮ってみたいって思ってたんですよね。
行く目的の場所を動物園に定めたのは同じ植物園って云うのも何か芸がないような気がしたから。夏の盛りのあの時の状態は最低であり、今行けば状況は好転して見物客で賑わって花も咲いてるかもしれない可能性も考えては見たものの、それほど間も空けずに再び植物園に行くのは二番煎じ的であまり新鮮味のない選択のように思えました。それでもう一度植物園に行くのはあまり気が進まなかったので、「園」繋がりという割と単純な発想で行く場所を動物園に決めてしまいました。

植物園は北山通りという名前で分かるように京都の北のほうにあります。意外と交通の便はよくて地下鉄の烏丸線に乗れば北山駅で直接植物園の入り口の前に出てこれるような形になってます。そこで今回の動物園なんですが、同じ「園」だから動物園も北山通りの近くにあるかといえば、こちらは結構はなれていて東山の方、岡崎公園の京都市美術館の裏側に設置されてます。美術館は正面が西側を向いてる建物だから、裏側というと美術館の東隣になります。美術館の裏手はちょっとした庭園になっていてその庭園を東に突っ切ると南北に走る並木道に出てきます。これが美術館の敷地の東側の境界といった感じで、動物園は並木道から車道を一本挟んだ場所で美術館の東裏側にその正面入り口を開いてます。
わたしは美術館はよく行くし、京都の観光案内でよく出てくる平安神宮の大鳥居の辺りから平安神宮、京都ホール、といった岡崎公園の西側は行動範囲の内に入ってます。でも行動はそのエリアが中心で動物園のある方角にはほとんど足を延ばしたことがなかったので、動物園が近くにあるということだけは知ってはいたんですが、まさか遊歩道に隣接した車道一つ挟んだだけという位置に、よく行く美術館とほとんど地続きで存在してるとは今まで気がつかなかったです。
面白いものでたとえば2~3メートル先に脇道があっても、そこを曲がって足を踏み入れない限りは、その曲がり角がたとえ目の前にあったとしても、その先を知らないというポイントでははるか遠くの海外を旅してるのと大して変わらないということなんですよね。逆に云うと見慣れた街角でも普段足を踏み入れない脇道を曲がるだけで、その行動からは海外旅行と同じような質のものを得られてるのかもしれないなんて思ったりします。

今回の動物園は普段散歩してる場所の、2~3メートル先の脇道を曲がったら思わないほどの目の前に予想外のものがあったという、ちょうどそんな感じの新鮮さがありました。

☆ ☆ ☆

植物園では目的の花も咲いてなくて動くものもなくひたすら緑一色の風景の中で真夏の日光に晒されて汗だけは体が干からびるほどかいていたという体験でしたけど、動物園はそういう状況とはまさしく正反対の場所で、園内は人で賑わっていて、動くものが一杯あって、色とりどりのものを一杯目にすることが出来るだろうと、「園」繋がりという単純な思い付きではあったものの、植物園では体験できなかったそういったことが目の前に繰り広げられるだろうと密かに期待してました。

まぁ結論から言ってしまうと、植物園ほどではなかったけど、こちらも期待した割には大したことがなかったと、そんな感じで動物園を一回りして出てくることになりました。
子供の時に訪れたことはあったはずなんですけど、そんなことはもう完全に忘れてしまうくらいに時間が経って訪れた動物園は、第一印象が何だか寂れてるっていうものでした。お客さんは結構来ていて園内の雰囲気は賑やかだったにも関わらす、全体の印象は何だか華やかさに欠けた印象というか。
大人の視線で観てしまったということもあるのかもしれません。そのほかにも一つの檻に1,2頭の動物しか入ってないようなコーナーが多かったり動物園全体の規模もそれほど大きくないということとか、檻や手すりやいろんなところの塗装なんかが微妙に剥げてたりするところがあって、動物を扱ってる場所だからある程度は仕方がないのかもしれませんけど、そういう状態で放置されたままになってる細部を見つけ出してしまうと、やっぱり印象としては寂れた感じがするのを避けられませんでした。

動物も、動き回って色とりどりで、園内では写真に撮れるものが一杯あるんだろうと思ってたのが、かなり予想を覆された感じでした。まず、檻の存在。虎とか熊とか見栄えがする動物の檻は動物が居住する区域を区切る檻とその檻から緩衝地帯を設けるような感じで少し空間を作って人を遮る柵が儲けられてました。柵といっても人も動物も越えられないようなもう一つの檻といってもいいくらいの背の高い柵。動物を見るのはこの二重の檻越しで、写真を撮るには邪魔としか言いようもないものです。腰くらいの高さの柵だけで区切られてるような場所では駝鳥だとかラマとかいました。でもラマは近づくと唾を吐きかけられる可能性があるということで、あまり近寄る気にもならず。全体が覗けるコーナーだとサル山なんかもありましたけど、ノミ取りしてる猿ばかりで全然動く気配さえない状態。梟が、知恵の象徴ということでちょっと写真に収めたかったのに、このコーナーも肝心の梟が檻の奥のほうに引っ込んでるか、夜行性なのか知らないけど巣箱に篭って出てきてくれないといった感じで、鳥の名前は檻の前に説明で分かるんですけど、どんな鳥なのか実物が出てきてくれなくてさっぱり分からないって云うケースが多かったです。

それと、植物園でもそうだったんですけど、こういう場所では展示されてるものとそれを眺めるものって云う二極化した構図を必ず取らされてしまうんですね。対象物との間には必ず越えられない距離が設けてあるという感じ。だから写真にとっても、客観的な対象物を距離をおいて客観的に眺めてるという構図しか取れないような感じになってきます。わたしは自分で写真撮ってみて感じてるのは、このぐらいでちょうどいいかなと思う位置から1,2歩踏み込んだ方が絶対に面白いっていうことなので、その一歩を踏み込ませないような構図を取る以外にないこういう展示目的の施設では写真を撮ってもあまり面白くないっていうのが、カメラを覗き込みながら動物園をうろつきまわってた時の感想でした。結果、このときの写真は記念撮影風のものを大量に生産して終わったという感じの着地をしてしまってます。

☆ ☆ ☆

動物園周辺ではこんな感じの写真が撮れました。
いささか不本意な首尾ではあったんですが、これもまたこの日にわたしがものごとを観ていた有り様として、まさしくわたしの感覚そのものだったんだと思います。

美術館裏にある並木
Wide Lens Camera ; Agfa Vista 400

これは動物園の前、京都市美術館の東裏側にあった並木道。美術館にはよく行くものの西側の入り口から入って西側に出て行くことがほとんどだったので、こういう道があることに気がつきませんでした。街路灯が真ん中に入ってしまったのがちょっと邪魔な感じ。

動物園正門前の光景
Wide Lens Camera ; Agfa Vista 400

動物園の入り口付近です。横断歩道に並んでる人はもちろん知らない人の一家。動物園の入り口しか目に入ってなかったので、この人たちがいることにほとんど気が向かなかったです。
近くによると動物のモチーフの飾り物が目に付くんですけど、この場所から見てるとあまり動物園って云う感じがしてません。

鳥類のためのドーム
Wide Lens Camera ; Agfa Vista 400

正面から入って直ぐのところにこういう鳥類を集めたドームがあります。実はこの日に撮った写真の中ではこれが一番のお気に入りです。どことなく絵画っぽい感じというか、写ってる細部はリアルなものなんですけど、全体はそういうリアルさをちょっと脇においてるような感じの写り方。昔の動物図鑑なんかの挿絵にでも出てきそうな雰囲気があります。
真ん中に対象物を置く日の丸構図の典型ですけど、この場合は正解だったような気がします。
植物園でも温室の巨大ドームがありました。実は植物園の方はこの温室ドームに入ろうとすると別料金を取られるようだったので入らなかったんですけど、ドームって云うのは意外とかっこいいというか、植物園の巨大温室ドームなんかは中に入って植物越しに見上げてドームを撮ったりしたらかっこいい写真が撮れたんじゃないかと今更のように思ったりしてます。
ともあれ「ドーム」がかっこいいというのはこの日の動物園での発見の一つではありました。

正体不明の展示館
Wide Lens Camera ; Agfa Vista 400

これは、何を見せたいのかよく分からないというか、自分でも仕上がったプリントを見て、何でこれを撮ったんだろうって一瞬思い至らなかった写真です。直ぐに思い出したんですけど、この丸いモザイクの屋根がきれいだったから撮ってみた写真でした。構図をあれこれ考えてるうちにこんな茫洋としたものになったというか。でもなんでこんなしまりのない画面になったのかなぁ。
この施設もなにをどう見せるための場所なのかはその場にいてもよく分からなかったです。どうも子供相手限定で何かしてるような雰囲気でした。そういう意味では中心を欠いてるような写真の印象はわたしがこの施設に感じた印象と通じてるといえばいえないこともないんですけどね。

実際に見ると迫力満点の虎
Wide Lens Camera ; Agfa Vista 400
典型的動物園スナップ
Wide Lens Camera ; Agfa Vista 400

動物園なので動物本来の写真を2枚。実は鑑賞者の位置しか取ることが出来ないのにちょっと興ざめしてきて、動物園に行ったにもかかわらず動物の写真はほとんど撮ってきませんでした。見栄えのする動物は二重の檻の向こうで行ったりきたりしてるだけで、写真は檻を含めて撮る他無く、現像するまでもなくものの見事に記念写真風のものしか出来上がらない気配が濃厚になってきてました。この写真もまさしく予想したとおりの記念撮影のスナップといった感じです。
虎の方は人を隔ててる柵の間から手を入れてカメラを緩衝地帯に突き出して撮ってみたんですけど、虎の住居区域を隔てる檻はやっぱり視覚的には邪魔物になってます。
対象を観賞するような距離のある写真じゃない、動物園の斬新な撮り方がないものかと考えないこともなかったんですけど、ともあれこの時はいいアイディアは浮かばず仕舞でした。

麒麟のオブジェ
Wide Lens Camera ; Agfa Vista 400

動物園の中ほどにあったキリンのオブジェ。檻の中にいる動物よりも写真の対象にしやすそうな感じでした。キリンの檻は動物園に入った直ぐ横にあったんですけどこのキリンのモニュメントは何故か離れたところに立ててありました。
右下に写ってるベンチとゴミ箱!これはキリンに注意を奪われていて、その時は写ってるとは思わなかった。

空を巡る象
Wide Lens Camera ; Agfa Vista 400

これも動物よりも被写体にしやすかったもの。動物園ならどこでもこういうものがあるのか、小さな遊園地の区画があって、他にも観覧車とか遊覧汽車なんかが子供相手に賑やかに動いてました。この遊具の写真は左の運転室の建物の屋根くらいまで上昇した後で下に降りてきたのであわててシャッターを切ったものです。その時は何故か運転室の屋根くらいの高さまで上がっては降りていく乗り物だと勝手に納得してしまって、一枚写真を撮って満足した挙句その場を去ってしまったんですが、上がる高度を変えて何度も上下するものだったんでしょうね。
もうちょっと高い位置まであがるのを待って撮った方が迫力があったかもしれません。

蹴上インクラインへ それにしても写りが悪い
Wide Lens Camera ; Agfa Vista 400

これも動物園で撮った写真ですけど動物園の中の光景じゃないです。動物園の南側は疎水の水路が走っていて、園内の東南の角から南側を見ると水路とこういう噴水が見られるようになってます。ちなみにこの水路は写真の右側、方角で言うと西に向かって流れていって美術館脇の、桜の季節には両岸が桜の花で満開になる水路になっていきます。左脇にある建物は琵琶湖疎水記念館。この写真でちょっと説明しにくいんですけど、中央から左よりに奥の方向に向けて水際から草色の地面に変化してる部分、ここは既に水はなく、普通に歩けるような状態になってるんですが、この道を画面の奥のほうにずっと進んでいくと次第に上り坂になって蹴上のインクライン(傾斜鉄道)の跡地に出てきます。ここは一種の廃墟とも言うような場所で、実は散策すると動物園よりも面白かったりします。後日インクライン辺りも写真を撮りに出かけたのでその時の話はまた機会があれば書いてみるつもりでいます。
この写真を撮った日は薄曇で向く方向によっては空は雲一色になってるような天気でした。雲が広がって色のない空とその空を反射して同じく色彩を欠いた水面が画面の大部分を占めてます。写真の写り具合もあって、楽しい動物園で目にするとはなかなか思えない光景です。

ちなみにインクラインの線路跡地のゆるい傾斜をずっと上っていくとこういう場所に出てきます。
インクラインの線路跡の下をくぐるように設けられたこのトンネル、名前が変わっていて「ねじりまんぽ」っていうんですよね。

道なりに歩いていくと南禅寺のほうへ
Wide Lens Camera ; Agfa Vista 400

動物園周辺の地図

☆ ☆ ☆

最初のほうでも書きましたけど、動物園は動物を観て楽しむところではあるけど、その延長にあると思ってた写真を撮ると云うことに関してはあまり向いてない場所だったなぁっていうのが園内を一回りしてみての感想でした。
檻に囲ってさぁ見てくださいと用意され差し出されてるものを写真に撮ると云うのは、対象への関わり方をかなり限定されてしまうし、固定化された関係から出ることなく終わってしまうことが多かったような気がしました。
こういう感覚の枠組みといったものに囚われてしまうと、対象物が騙りかけてくるものがあったとしてもなかなか耳には届いてこなくなるように思います。

どうやらわたしが囚われてるらしい枠組みから云うと、ラマに唾を吐きかけられるのもものともせずに近づいていくとか、虎の檻に入るとかしてみると様子は変わるかもしれないけど、京都市動物園はそこまで命をかけて撮影するような場所じゃなかったです。

☆ ☆ ☆

番外編 1

動物園のたしか北東の端っこだったと思います。爬虫類館という建物があって、夜行性の爬虫類なんかを展示してました。無料で入れるところだったので、せっかく来たんだから一応中を窺って写真を撮ってみようと思って入ってみました。
夜行性動物の展示というだけあってなかはやはり暗く、どうせ撮れないだろうと判断して、失敗した場合でもフィルムを一枚消費してしまうようなカメラはやめて、一緒に持って行ったデジカメのほうを使って撮ってみることに。
予想通り薄暗がりのなかで人が流れるように歩いたりしてる場所では手ぶれと被写体ぶれの集合のような写真になってしまったわけですが、眺めてるうちにFhotoshopで加工したら面白くなるかもしれないと思い出して、色々といじくってみました。
その結果がこれ。どことなく「No New York」のジャケット風写真の出来上がり?

爬虫類館にて
king Ocean Z520 + Photoshop

番外編 2

このカメラに最初にフィルムを入れた当初はフィルムを消費するのがためらいになってなかなかシャッターが押せませんでした。持って出かけてもこっちは1,2回シャッター切る程度で後は失敗しても気にならないデジカメでほとんど撮ってるっていうような感じ。だから先月動物園とその後に行った蹴上のインクラインの写真で36枚全部撮り終わって現像に出したんですけど、一番最初のコマに写ってたのは真夏に鴨川に出ていた夜店の列の写真といったものでした。それ以外にもフィルムカメラに慣れないうちに撮ってる部分には1~2枚単位でこの夏の間にこのカメラを持って出かけたいろんな場所の写真が並んでます。
そんな雑多な写真の中から、ちょっとピックアップ。

六角堂の写真です。

六角堂全景
Wide Lens Camera ; Agfa Vista 400
六角堂の鳩
Wide Lens Camera ; Agfa Vista 400

寺町辺りから六角通りを通って「ポコ・ア・ポコ」という中古のCD、DVDショップを覗き、六角堂に立ち寄ってから烏丸御池の新風館に抜けていくというのがわたしの散歩のコースの一つです。中古CDショップが目当てで六角堂はその道筋にあるという関係に過ぎないところもあるんですけど、散歩途上にあるこの六角堂は割りと馴染みがあるお寺になってます。ちなみにこのお寺は参ると縁結びの効能があるそうです。池坊のビルの隣に位置していてまわりを高いビルに囲まれてるような感じになってるので、ビルの合間にちょっとした異空間が開けてるような雰囲気もあるかもしれません。
全景の方は真ん中の木が邪魔かな。でも木よりも手前で撮ろうとするとこの付近だとどの位置にいても、どれかが真ん中辺りに位置しそうで、この角度では位置取りはちょっと難しそう。
鳩の方はこれは京都のお寺にいる鳩に限らないのかもしれないけど、ここの鳩は特に凶暴みたいです。売店で売ってる豆を買って鳩にやろうとすると、撒かれるのなんか待ってなくて、手や頭に平気で乗っかってきて持ってる豆を直接奪い取ろうとしてきます。この写真撮った時もカメラ出しただけで何かもらえると思ったのか近寄ってくる鳩が結構いました。

両方ともアンダー気味で暗く、感度400のフィルムだったので粒子感も若干あります。でも実はこういう暗くてざらついた写真も好みだったりします。真ん中がスポットライトが当たってるみたいにぼんやりと明るく、周囲に行くほどざらついた闇に溶け込んでいくような写真。これは夕方に撮ったために明るい写真にならなかっただけの話なんですけど、意図して暗い写真も撮ってみようかななんて思ったりしました。

☆ ☆ ☆

今回動物園に連れて行ったカメラのことも簡単に書いておきますね。

付録のカメラ
PowerShot S710IS

どういうカメラだったかというと、こんな雑誌って言うかムックの付録についてたカメラです。わたしが買ったのは今年の春過ぎくらいでちょっと前のことになります。
もともとVivitar Ultra Wide and Slimというカメラがあって、それのカラーバリエーションを増やしたWide Lens Cameraというのが今市販されてるんですけど、それをそのまま付録にした形になってます。ムックに付録でついてるカメラは市販されてるWide Lens Cameraと全く同じ。clover-sanのワンポイントのマークはこの付録版だけの特徴ですけど、カメラの構造のうえで付録だからこの機能が削ってあるといったようなことは一切してないです。それでカメラだけで市販されてるものよりも500円ほど安かったのかな。こちらはムック本がついてることも考え合わせると実質はもっと安い形になってるかもしれません。ただ本がついてるといっても極薄で作例写真がちょっとだけついた取扱説明書と残りは他のトイカメの広告みたいな内容でしたけど。

カメラそのものはオール・プラスティックでものすごく安っぽいです。市販版は3000円くらいで売ってるものだったと思うけど、値段も含めて重さも存在感も凄く軽いカメラ。実際に巻き取りクランクなんかが折れてしまうことがあるようです。壊れにくく作るような配慮はしてないけど、ひたすら安い値段で売るから破損したら買い換えてくださいって言うスタンスなのかな。

でも全体が安っぽい割りに、レンズはプラスティックだけど焦点距離22ミリっていう、こういう類のカメラにはあまりついてない超広角のものがついてます。これがアンバランスな印象を与えてちょっと面白いです。一つのものをクローズアップするように撮るのは全く不得手かもしれないけど、その場の雰囲気とか空気感をまるごと収めてメリハリのある絵にしてしまうのは大得意という、かなり極端なテイストを持ったカメラになってます。

☆ ☆ ☆

絞りはf11というかなり暗い値で固定、シャッタースピードも1/125で固定というような仕様なので露出のことなど一切考えようもなく、さらに深い被写界深度に写るものすべてを納めて、ピントをあわす必要もないような思い切った本体。そういう極端な本体に、さらに極端な広角レンズを搭載して周囲が歪むのもお構い無しに迫力のある絵を作ろうとするカメラ。
最初のうちはシャッター切るたびにフィルム一枚消費するのでなかなかシャッターを押せなかったけど、そのうちフィルムの消費に関しては結構割り切れた感覚になって抵抗無しにシャッターが切れ始めると、安っぽくてフットワークのいいカメラに破格のレンズが乗っかった、枠に収まりきれないような印象はまるでロケン・ロールなカメラといった感じになってきます。
パンフォーカスで見えるもの全部にピントが合って、柔らかく暈すことなど一切考えてないようなところも、ソリッドな感じでロック・スピリットかも、なんて思ったりしました。

動物園は期待はずれでも、ロックなカメラと一緒に行動してるのは意外と面白かったですよ。

☆ ☆ ☆

Maria Rita - Herois da liberdade


リオのカーニバルを代表するサンバチームG.R.E.S.Imperio Serranoの、1969年のサンバ・エンヘード曲。エンヘードってテーマ曲くらいの意味合いだと思います。
歌ってるのはマリア・ヒタ。ブラジルを代表した歌手エリス・へジーナの娘です。お母さんとそっくりの声質。
クイーカの脱力的な伴奏と何だか鼻歌交じりのような曲調で始まる曲ですけど、最後の方は意外なほどスピリチュアルで感動的な印象の展開になって行きます。オーオーオオーオーのところと高らかに歌い上げるラストフレーズ「Liberdade senhor」とバックコーラスが重なるところが凄い好きです。

Maria Ritaのこのヴァージョンは他のミュージシャンの曲も入ったコンピレーション・アルバム「Aula De Samba」に収録されてるだけで、彼女本人名義のアルバムには入ってなかったんじゃないかと思います。

Esperanza Spalding - Ponta de Areia


原曲の邦題は「砂の岬」
ブラジルのミュージシャン、ミルトン・ナシメントが1975年にリリースした曲です。
元は子供のコーラスを織り交ぜたりして結構素朴な感じも併せ持ってる曲ですけど、Esperanza Spaldingのこのアレンジは随分と原曲のイメージとは違ったところで成立してるようです。微妙に不安定な和音の上を渡り歩いてるような展開で元曲の素朴さ、サウダージ感を残しながらも現代的で洒落た演奏になってるように思えます。

ベース弾きながら歌うジャズ・シンガー。作曲家でもあり、最年少のバークリー音楽院の講師でもあるという何だか凄い才人です。バークリーは学校の先生が勧めるからという理由で受験、時期はずれの試験を特別に受けることになって、演奏してみたらその場でOKが出たんだとか。でもバークリー音楽院って最初はどういうところなのか知らなかったそうです。
ウッドベースを弾きながら歌うって云うのもなかなかかっこいい。

日本だとTHE BOOMがカヴァーしてるらしいので、メロディは聴いたことがある人も多いかもしれません。

KENNY DORHAM - Autumn In New York


季節がら、このタイトルだと今出しておかないと来年までアップする機会がないかもしれないので。
ケニー・ドーハムの、トランペットなのに全然きらびやかじゃない、つや消しみたいな音も好きなんですけど、この曲のこの演奏はピアノと特にベースの響きの方が好きだったりします。
メロディラインの作り方から随分と歌いにくそううな印象だし最初は器楽曲だと思ってたんですけど、この曲、歌ものなんですね。ヴァーノン・デューク作曲で34年にミュージカル「Thumbs Up!」で使われたもの。歌のほうはわたしはジョー・スタッフォードが歌ったのが結構好きでした。
このケニー・ドーハムの演奏したものは昔ラジオで聴いたのが最初だったように記憶してます。録音しておいた音楽番組を聞き流してると耳を捉えて離さなくなった演奏が流れてきて、それがこの「ニューヨークの秋」だったという感じ。
録音してたおかげで、後から演奏者が誰だったのか、どういうレコードに収められてるのかも苦もなく分かりました。これがメロディだけ耳に残って、誰が演奏してるのか分からないって云うことになると、何かのきっかけでもう一度出会うようなことでもない限り、いつまでたっても正体がわからないというもどかしい事態に陥ってたと思います。

ちなみにブルーノートから出てるCDの日本版は複数出ていて、1枚のダイジェストになったものが多いんですが、このアルバムの完全版は2枚組になってます。

Patti Page - Try to Remember


以前この曲を記事に載せた時、このパティ・ペイジのものを探しきれなくて、別の歌手が歌ったものにしたことがありました。たまたま思いついて探してみたら、今回は首尾よく見つかったのでアップしておきます。
わたしはこの曲は、パティ・ペイジが歌う夢見心地でふわふわとした浮遊感に満ちたこのアレンジが大好き。

☆ ☆ ☆

一応動物園のお話だったので、動物もので締めくくりです。



☆ ☆ ☆





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Aula De SambaAula De Samba
(2008/03/25)
Various Artists

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EsperanzaEsperanza
(2008/05/20)
Esperanza Spalding

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'Round about Midnight at the Cafe Bohemia'Round about Midnight at the Cafe Bohemia
(2001/12/20)
Kenny Dorham

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Hush Hush Sweet Charlotte / Gentle on My MindHush Hush Sweet Charlotte / Gentle on My Mind
(1999/09/28)
Patti Page

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【トイカメラ】お散歩写真のことと使用したカメラについて。+秋に似合う曲をいくつか

九月の下旬から十月の初め頃にかけて撮った写真をちょっとだけアップしてみます。
写真を撮ったといっても事情が事情だったので写真を撮るためだけにどこかへ遠出する気にもなれなくて、あまり動き回ることもなく日常行動してる場所で撮るのに終始してました。だから以前に見慣れた光景の中ではなかなか被写体が見つからなくなってると書いた状態そのままにあまりシャッターを押せなかったというような感じでした。いつも数多く撮ってもその中で気に入ったものは僅かにしか見当たらないような撮り方をしてるので、撮る枚数が少なくなれば必然的に気に入った写真の数もそれほど多くにはならなかったです。

わたしはこのところ出歩く時はいつもカメラを持ち歩いてます。デジタルのキーホルダータイプというか、外見的にはこれがカメラだと知らないとほとんどカメラには見えないどちらかというとスパイカメラのようなものをポケットに一つ、バッグの中にはデジタルのトイカメラ一つとフィルムカメラ一つの合計3つ、これをいつも持って出かける形が最近のスタイルです。

母を失ってしまうという経験をして、気がつけばいつもそちらに向かおうとしてる気持ちを紛らわしたかったということもあるし、母親が永遠にいなくなってしまった理不尽な世界の中で、ある種現実感を見失わないように無意識的にでも日頃の行動を繰り返していたところもあったのか、遠出こそしなかったもののカメラ三つはいつもと同じように必ず携えて、そのまま日頃行ってた写真を撮るという行為は続けてました。まぁ写真だけがわたしを現実に繋ぎとめていたというわけでもないんですけど、最近の日常生活の中で関心を持っていたものの大きなものの一つだったので、悲観してこういうことまで止めてしまうと元の日常生活に戻れなくなるんじゃないかというところもあったのかもしれません。

日常といえばこちらがその日常に戻れないかもしれないような精神状態に陥ってる最中でも時間が経てばおなかが空くし、空腹になればご飯を食べたくなるといったことが、ものすごく理不尽でした。
わたしにとっては体の一部をもぎ取られたかのような出来事だったのに、おなかが減ったり、どんなに哀しくても起きていれば眠くなったりと、何事もなかった時と同じように生活が続いていく。いつかそこに戻るべき世界ではあると思ってはいるものの、母を亡くすといった体験の直後では何か異物感をはらんだ空間に感じられるところがありました。

生活空間が激変してしまったわたしの事情なんかまるで感知しないかのように過ぎていくこういう日常を前にして、一体感が持てなくなりそうなところもあって、写真を撮るという行動は、乖離してしまいそうなそういうものと繋がっているためのささやかな接続ラインの一つでもあったような感じです。

☆ ☆ ☆

気を紛らわせながらこんな写真を撮ってました。

花 1
SQ30m

近所に老人園芸広場のような一角があって、そこでは一年契約で小さな区域を借りて年寄りが野菜を植えたりしてるんですけど、その広場の一角に咲いてた花です。園芸広場自体はまるで畑みたいなもので写真にとっても面白そうでもなく、周囲の光景が入らないように仰ぎ見るような形でシャッターを押しました。
あまり立体感がなくて、まるで何かの図案のような絵になってます。この空の色にはこの花の黄色、この花の黄色にはこの花の緑、この緑にはこの空の青と、それぞれの色味のニュアンスの中でも最適のものが選ばれ並んでるようで気に入ってます。
また、空の青の余白部分に雲の一片でも入っていればこの写真の印象は完全に違うものになってるようで、そういう意味ではカメラを向けたのは割りと適切な一瞬じゃなかったかなと思います。

花 2
SQ30m

もう一枚花の写真。どこで撮ったか忘れました。花も結構見かけたらカメラ向けてるので、その中の一枚っていうところです。画面内の配置は悪くないと思います。真四角のフレームってわたしは好きなんですけど、バランスを考えるのは結構難しそうな印象を持ってます。
ところでこれは何の花なのかなぁ。わたしは花の名前はからっきし駄目で、今まで嫌って云うほど見てた木がサルスベリだったと最近になって知ったくらいです。

記憶への道
SQ30m

これは墨染のほうで撮った写真。所用で毎週行くところがあって、そのときにいつも通る通りです。別に有名な通りでもなんでもなくて、ただの住宅街の中に走ってるありきたりな通りの一本。ここは右手の塀の中から木の枝が道路の方に突き出してる場所で、通る時には結構邪魔なんですけど、木陰からのぞき見てる感じがなんか面白そうなので撮ってみました。目の前に垂れ下がってる木の葉が中心になるようにマクロ・モードで撮ったので、それより向こうの方にある道路の方はボケてます。もっとも手前の木の葉のほうもそれほどピントが合ってるわけでもないですけど。
ピンボケの写真は記憶の中の光景って云う感じが強いと思うんですけど、そんな感じ方をするのはわたしだけなんでしょうか。木陰から眺めてるという形なので、ピンボケの道路の光景からもちょっと身を引いてる感じがあって、記憶の中をのぞきこんでるという感じが出てるように思えます。

駅
SQ30m

それで、ピンボケ写真のテイストが結構面白かったので、あえてマクロ・モードで遠景を撮ってみたのがこれ。場所は阪急の西院の駅です。たまにピントの範囲の切り替えスイッチを戻し忘れてこういう写真を撮ってしまうことがあるんですけど、これは最初から意図して撮ってみました。
出来上がるイメージはそれなりに面白いものの、駅で撮ろうがどこで撮ろうが、この方法で出来上がるイメージの印象はそんなに多彩じゃないだろうなぁって云うのが本当のところかな。見せようとしてるのがボケてるということであって、写されてる対象じゃないと、形式を見せてるだけで内容的にはやせ細ってるような感じがします。
でも茫洋としたイメージそのものはそれに頼ると展開形としては拡がりはないかもしれないけど、わたしとしてはそんなに嫌いな方じゃないです。

禍々しいレストラン
SQ30m

これは出来上がった写真を最初に観たときの印象は、何だか禍々しいなぁっていうものでした。コントラストの強いイメージや空の雲の感じが不穏な雰囲気をかもし出してる感じというか。左奥の建物も全体の怪しい雰囲気作りにかなり貢献してます。
実際は鴨川の四条大橋の北東にあるレストランのビルで、看板の文字を見るとそうだと分かるんですけど、ここでのイメージはあまりレストランって云う感じじゃなくなってます。わたし自身もこんな見え方をするビルだとは写真にとって見るまで気づかなかったです。
茫洋とした絵も好きだけど、こういうコントラストが効いてる絵も結構好きです。何だか矛盾してるような気がしないでもないですけど、要するに何かが極端に特化してるようなものが好きということなのかもしれません。

☆ ☆ ☆

夏の間に撮った写真でまだアップしてなかったものもちょっとだけ置いておきます。

魔人
VQ5090
侵食
VQ5090

極端なものが好きというわたしの性癖が見え隠れするような感じ。
魔人は頭の上のほうの背景に余計なものが写りこんでいて、トリミングしてるんですけど、そういう処理についてどうしようかなと結構迷っていた写真でした。それでブログに載せなかったんですね。下のは色味がちょっと気に食わなかったので細工した写真です。

☆ ☆ ☆

使ったカメラはこういうもの。
SQ30mという名前で細長いスティック状の形をしたカメラです。ピアノブラックの本体の正面にレンズ穴が一つついてるだけのシンプルな形。

カメラにみえない
PowerShot A720IS

これも8月くらいに買っていたカメラなんですけど、実は最初は買う気なんかなかったんですね。それなのに買ったのは、完全に魔がさしてしまったって云う感じでした。
一見カメラに見えないこういうカメラは既にVQ1015Entryっていうのを一つ持ってたということもあるし、この類のカメラがファインダーを持ってないと云うのがもう買わなくてもいいやって思ってた要因の一つでした。
VQ1015と同じくこれもまともなファインダーを装備してません。それでもVQ1015のほうは役立たずのファインダーが、撮影時にはポップアップしてきて一応は飾り的な感じでついてはいるんですけど、こちらはそういうのは全くつけようとする発想そのものがない作り方になってます。
だからこの手のカメラは必然的にノーファインダーで撮ることになります。何を撮ろうとするかくらいまでは制御できますけど、どういう風に撮れるかまでは関与できないって云う感じの撮り方。さらに云うならば何を撮ろうかという段階も省いてシャッターを切ることも可能な方法でもあります。

手順の中に偶然性を取り入れるこういうやり方は絵画でも音楽でも昔からある方法で、方法としてはそれほど目新しものでもないです。
だからノーファインダーで撮るのは邪道なんて全く思わないし、結構思惑からはなれた写真が出来上がったりするのでそれなりに面白いとも思います。そう思わなかったら二台目も買うなんていう行動には出てなかったです。

でもわたしとしてはファインダーを覗きこむって云うのに結構特別な意味合いも感じてるので、これが最初から出来ない類のカメラはやっぱりわたしがカメラに関して感じてる面白さのかなりの部分をスポイルしてるところがあるように思えます。
覗き窓を通して世界を切り取るという感覚。四角い窓を通すことで世界が違った見え方をする瞬間。こういうのが楽しくてカメラで遊んでる部分がわたしにはかなり大きいです。ファインダーを通して目の前に立ち上がってくる光景の美しさ、ファインダーで世界を切り取ってひそやかに覗き込むことでしか立ち現れてこないような美しい世界。写真はその切り取られた世界が見せた美しさの欠片をフィルムに定着させる行為であるとも思ってる類の人間なので、チャンス・オペレーションのようなものに頼ってるカメラは、一つ持ってれば十分だと思ってました。
カメラを所有するなら、ファインダーがしっかりとついていて、ファインダーを覗きこんだときに世界が美しく見えてくるようなそんなカメラが欲しいとさえ思ってます。

そんな風に思ってたのに、魔が差してこのカメラを手にしてしまったのは、このカメラが世界を真四角に切り取れるという形になってたから。それと黄色というか黄緑色というか色の出方がちょっと独特なところがあったのが気に入ったからでした。でもこのカメラ独特の特徴を気に入りはしても、この類のトイデジはやっぱりもう買わないだろうと思います。フィルムカメラの方で真四角の写真が撮れるものを手に入れたら使わなくなるんじゃないかって云う予感が早くも出てきてる感じです。

早々に使わなくなりそうな予感の要因には、ファインダーがないということの他にも、シャッターのタイムラグが5~6秒くらいあるというのも入ってるかもしれないです。このカメラ、とにかく反応が遅い。シャッターを押してから撮影完了の合図があるまでカメラを動かすわけには行かなくて、街中でこれを使うとカメラを持ったまま5~6秒固まってなくてはならない羽目に陥いります。その姿は傍から見るとおそらくとても異様。
冷や汗が出るほど、ものすごくかっこ悪いです。

☆ ☆ ☆

秋の夜長に合いそうな曲をいくつか。月とピアノのバラードが一応のキーになってます。

Keith Jarrett - Don't Worry 'Bout Me


1938年にRube Bloomによって作られたスタンダード・ナンバー。シナトラだとかビリー・ホリディが歌ったのが有名かも。わたしはJohn Buzon Trioっていうラウンジ系のなんだか怪しげなミュージシャンの「Cha Cha On The Rocks」っていうアルバムで聴いたのが最初でした。もともときわめて美しいメロディの曲なんですけど、キース・ジャレットのこのピアノはまた突出して美しいというか、結構聴き惚れてしまう演奏になってると思います。
でもキース・ジャレットの演奏ってピアノ弾きながら百面相はするし、演奏途中で腰を浮かせて身をくねらせるわで、かなり風変わりな演奏スタイルです。このライブ映像でもその片鱗を窺うことが出来ます。
没頭するあまり奇矯な演奏スタイルになるって結構ピアニストに多いような気がします。

Wynton Kelly Trio - Moonlight In Vermont


ウィントン・ケリーは随分と昔に代表作「ケリー・ブルー」を聴いた時には全然ぴんと来なかったピアニストでした。これを結構最近になって聴くまでは対象外のピアニスト的な扱いに終始してた感じ。今聴いてみると割りときっちりとしたタイム感を基盤にスイング感を保持しながら、音数が多い場合てもビル・エヴァンス的な抑制の効いたピアノで、なんだか結構好みじゃないかって思ったりしてます。
この曲はリラックスしてラウンジっぽくというか、カクテル・ピアノ的な感じで聴けるのがいいし、ピアノの音も何だかきらきらと粒だってるようで結構好きです。

Ella Fitzgerald - Blue Moon


これぞジャズ・ヴォーカルっていう歌を聞かせてくれる人ですね。
エラ・フィッツジェラルドってわたしの場合、最初に観た写真が何だか凄く迫力のあるおばさんと云うイメージにみえたものだったので、力任せの豪快なボーカルを聴かせてくれそうな印象があったんですけど、実際に聴いてみると優雅で、かわいらしいとでもいえるような声質に聴こえてたことがあり、わたしにとっては聴く以前と実際に聴いた後で印象がかなり変わってしまった歌手です。
この曲はRichard Rodgersが1934年に作曲したスタンダード・ナンバー。Richard Rodgersはマイ・ファニー・ヴァレンタインなんかも作ってます。
「ブルー・ムーン」はプレスリーがカバーして歌ってるのも有名かもしれません。
わたしとしてはこの曲はジョン・ランディスの映画「狼男アメリカン」で、リック・ベイカーの手による狼男の変身シーンのバックに使われたのが印象に残ってます。

Keith Jarrett-Spirits (No.15)

Keith Jarrett - Spirits 15 from mudshark on Vimeo.



これもキース・ジャレットの音楽なんですけど、そう云われないとキース・ジャレットだと思わないかも。
アルバム全体が民族楽器のアンサンブルの曲になっていて、しかも民族楽器を演奏してるのが全部キース・ジャレット。キース・ジャレット一人による多重録音になってます。
民族楽器を使ってるということで、聞きなれない音楽文法にのっとった外国語でも聞いてるようなとっつきの悪い感じの音楽になるかといえば、意外とそういうこともなくて、全体はキース・ジャレット生来のリリシズムにあふれていてとても聴きやすいです。この曲はなかでも特にリリカルな感じかな。
それにしてもこのアルバムで鳴ってる楽器を全部キース・ジャレット一人で演奏してるって云うのは、かなり驚異的ではあります。ピアニストのアルバムなのにピアノがほとんどでてこないというのもこれまた驚異的。

Joao Donato - Sambou Sambou


ブラジルものも入れておこうということで、ジョアン・ドナートのを一曲。軽快でキュートでなかなかお洒落な曲。ジョアン・ドナートはピアノだけじゃなく、作曲家、アレンジャーとしても有名な人で、美しい曲をいくつも書いてます。ピアノも重厚じゃないけど、どこか力が抜けてリラックスしながらもきっちりグルーヴ感のある美しい響きを持っていて私は好き。一見軽く聞き流せるような印象を持つんですけど、ここから受ける感覚がどういうものか改めて把握してみようとすると、その感覚は結構複雑で言い表しにくい音楽であることに気づいたりします。

☆ ☆ ☆

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【トイカメラ】わたしの夏のカメラ事情 そしてこの夏の青空や街に散見するリズムのことなど

記事の日付を見てみると7月の13日、夏になる直前の梅雨の真っ最中という時期にビスケットカメラの事を取り上げて、前からずっと気になってたトイカメラのこと、この場合はフィルムじゃなくてデジタルでしたけど、その一端を体験してみて感じたこと、思ったことを書いてみました。
この記事でも書いたように、ビスケットカメラは画質はちゃちの極みではあったものの、そこから生み出されるものから受け取ったいろいろなものは意外なほど面白くて、手にしたきっかけは凄く単純に安かったから、なんか流行ってるみたいだったからっていうものだったけど、ビスケットカメラにたまたま手を伸ばした結果、わたしはそれまで気にはなっていたもののずっと横目で通り過ぎていたトイカメラの前で立ち止まって、しげしげと眺め回すようなことを始めてしまうことになりました。

この最初に手にした6月の下旬から7月の初め頃は、ビスケットカメラはトイカメラの中でも一番ちゃちな部類、トイカメラの雰囲気をまねたおもちゃという印象がわたしには結構あって、トイカメラの面白さの一端を実体験したあとではビスケットカメラのようなおもちゃじゃなくて本格的なトイカメラを使って見たいって云う欲求が結構強い衝動としてわたしの中に現れてきました。
フィギュアの記事でもちょっと気配がわかるかもしれないですけど、わたしのなかには若干コレクターの気質といった感じのものがあります。
コレクターといっても、欲しいものがあるなら世界中を飛び回っても探し出してくるといった真性のコレクターなんかじゃまるっきり無くて、欲しいものがあればまず自分のものにしておきたいという欲望が起き上がるものの、無理と分かると仕方ないかと簡単に他の手に入りそうなものにターゲットを変えてしまうようなお手軽コレクターの類なんですが、それでも関心を持ったものは手許に集めておきたいって云う欲求がまず最初に立つような性質があるんですね。

その性質がカメラ対象に発動したのかこの夏の間の大きな出来事だったと云えるかも知れません。
写真撮りに屋外に飛び出して歩き回る合間に、わたしはいくつかトイカメラを買い集める行動に出ていました。といってもフィルムカメラはやっぱり敷居が高くて、その周辺を巡るような感じになり、最初はビスケットカメラよりもちょっと高いデジタルものを選んでました。
そしてそういうちょっと本格的なトイデジを使っていくうちにやっぱりトイカメラはフィルムが本筋、デジタルものはフィルムカメラが作り出すもののシミュレーションだなぁっていう考えかたに傾いていきます。
そういう風になっていったのは、大体8月に入って暫くしてからのことだったかな。そしてその頃から、遠巻きにして回りを巡っているだけだったフィルムカメラにもようやく手を出すことになりました。
この夏に買ったフィルム使用のカメラとしては、35ミリフィルムで真四角写真が撮れるDiana Miniや、トイカメラの範疇には入りにくいかもしれないけど、サンプルを観て色味のとりこになったフジカラーのナチュラ・クラシカがあります。

なんだかこの夏は写真撮りに炎天下の街を歩き回ったり、夏の映画なんて「インセプション」一本しか観てなくてその記事さえ書いてないのに、時間があればやたらカメラ屋や雑貨屋に入り浸ってカメラ眺め回したりと、とにかくカメラを中心に動いていたようなところがあります。
ビスケットカメラから、トイデジカメへ、トイデジカメからフィルムのトイカメラへと今まで横目で眺めていたところへまで手を出す領域は広がって、今の関心はフィルムのトイカメラを試した結果、トイカメラに限定することなくフィルムカメラの楽しさそのものにまで拡がってます。
ビスケットカメラっていう2000円ちょっとで買える、携帯のカメラ機能よりもちゃちなおもちゃカメラをたまたま手に取ったために、数ヵ月後には今まで立ち寄ったことも無かったカメラ屋の中古の棚を熱心に眺め回すようなことになるとは、わたし自身本当に夢にも思わなかったです。

☆ ☆ ☆

ビスケットカメラの後に買ったちょっとだけ高価なトイデジっていうのは、ビスタクエスト社のVQ1015 ENTRY っていうのとVQ5090っていうのの2種類でした。トイデジだとこの辺りが簡単に入手できてよく名前が挙がるものになってます。

高価といっても比較の問題で


トイデジタルカメラって、「これはトイであって、これはトイじゃないただのデジカメ」といった区別が出来るような明確な定義があるわけでもないんですよね。大きなくくりとして通常のデジカメとはちょっと違う写り方をするって云う程度の区分に過ぎないようなものがあるだけ。そういう区分けで行くとVQ5090っていうのはヴィヴィッド・カラー・モードというのがあって、これで撮ると色味がキャンディーみたいに彩度の高い仕上がりになるというのがトイデジ的ということになるんでしょう。フィルムのトイカメラを模倣してるわけでもないトイデジの一つという感じです。
パフェの写真とか、漫画ミュージアムの写真とかこのところ記事に使ってる写真の大半をこれで撮ってます。でもこのデジカメ、近距離はピント合わないし、普通のモードで撮ると大して解像度もないただの安いデジカメ程度の写り方しかしないんですよね。
もう一つのVQ1015は完全にフィルムトイカメラのデジタル・シミュレート・カメラです。周辺減光、極端なコントラストや白飛び前程の露出設定、カラーバランスの崩壊など、フィルムのトイカメラでよく起こる現象の共通項のようなものを拾い集めてデジタルで再現してるような写真を作り出してきます。異様な絵が出来上がるんですけど、パターン化しすぎてるようで、しかもそのパターンだけで絵作りしてるところがあって、意外と予測可能な感じもあり飽きるのも早そうな感じもします。

トイデジは8月中はこの二つを使って良く遊んでたんですけど、これで撮った写真は記事に使ってるということでちょっと脇においておいて、今回はわたしの元に集まってきたカメラの中でもっと風変わりなものを2つ取り上げてみることにします。

一つはこれ。学研の大人の科学って云う本についてた付録の二眼レフカメラで、ちゃんと名前もついていて、その名前はガッケンフレックス。

ガッケンフレックスの雄姿


発売は去年の10月なので、もうそろそろ一年たとうとしてます。いつものごとくわたしの性癖で本屋で見かけてから実際に手に入れるまでには若干のタイムラグがありました。買った人が組み立てるカメラって、二眼レフって言うのは激しく興味を引かれるけど形だけそれっぽいもので中身は話にならないくらいちゃちなものじゃないかって思ったんですよね。ネットで作例なんかみるとそれなりに写るカメラっていうのが分かってきて、手に入れたのはそういういろんな情報を目にしてからでした。しかも手に入れてから実際に組み立てるまでの間、暫く放置してる期間がありました。作り出すと出来上がるまで熱中するだろうし、ある程度時間を見ておかなければならないように思えて、一応本を手に入れた事で満足したような形になってました。

それを組み立ててみたのがこの8月の出来事の一つ。
組み立てそのものはそんなに難しくなかったです、基本的に箱状の形態なので似たような部品が多く、これは右側側面の板とか、間違わないようにちょっとだけ注意を払う程度。接着剤は使わずに、ねじで留めていく仕様になっていて、プラスティックの素材にねじ山を切りながらねじ込んでいく形になってるから、力を入れすぎてねじ山をつぶさないようにということは気をつけて組み立てていきました。ちなみにドライバーも同梱されてるので、このキット以外に用意するものはなかったです。

組み立てとしてはシャッターの部分がほんのちょっとだけややこしかった程度です。3つの部品の組み合わせになってるんですけど、かなり奇妙な形のパーツで、その形状から動きが予想できないんですね。組み合わせていく段階でばねも何種類か仕掛けていくようになっていて説明書でもちょっと複雑に見える部分もありました。動きが予想できないからこれで本当に動くの?って思いながら奇妙な形のパーツを説明のとおりに組み合わせていきます。シャッターが完成した後、シャッターを切って3つの部品と複数のばねが動く様子を見て、あぁこういう動きをさせるための形だったのかって始めて理解できることになるような感じ。ガッケンフレックスはシャッター・チャージもない、フィルムを送らなくても何度でも切れるもっとも単純なシャッターの仕組みですけど、カメラの暗箱内部に一瞬光を取り入れるという目的の動きをシャッターにさせるための仕組みはよく考えられていて面白かったです。
二眼レフには見てのとおりレンズが2つついてます。下のレンズが実際に写真を撮るためのテイクレンス、上のが見ている光景をファインダーに送るビューレンズという構造になってます。ガッケンフレックスはこの仕組みをシンプルながらも再現していて、ファインダーは唯の飾りじゃなく、ビューレンズから送り込まれたファインダーの光景をもとにしてピントあわせが出来るようになってました。

ビューレンズから送り込まれた写像は内部のレフレックス(反射板)で90度に反射され、カメラ上部に設置されたファインダーのスクリーンに映し出されて、それをうえから覗きこむ形になります。
このフードに囲まれた薄暗がりの中に浮かび上がる光景のなんとも魅力的なこと。どうっていうことのない日常の風景が切り取られ、覗き込むファインダーの暗がりの中に、まるで映画の一齣のように特別の意味を背負って目の前に現れるような感じで、わたしは薄明の中に出現するこの光景に夢中になりました。

キットの中にはストラップなんかは含まれてなかったので、本格的に持ち出して使うわけにも行かずに、暫くはファインダーを覗いてただその光景を眺めて楽しんでました。
その後ストラップは雑貨屋からアクセサリー用の皮ひもなんか買ってきて試したりしてたんですが今ひとつしっくり来ずに、結局市販のものから適当に選んで買ってきて取り付け、フィルムも装てんして、実際に撮影できるように準備完了となります。

それで先日ようやくガッケンフレックスの試し撮りをしようと決めて、北山のほうにある京都府立植物園に行ってきました。
植物園で撮った写真はこんな感じ。

園内1
GakkenFlex ; Kodak SUPER GOLD 400
仕上がった写真をそのままスキャナーで読み取ってます。

謎の小屋
温室なのかな?正体の分からなかった小屋。巨大なドーム状の本格的な温室は園内の別の場所にあります。
ウエストレベルファインダーは水平を取るのがちょっと難しいです。これもわずかに傾いてます。

園内3
この日の植物園は花の気配がありませんでした。

謎の建築
木々に囲まれて置かれていた謎の構築物。

孤独な噴水
誰も居ない広場の真ん中で孤独に噴きあがっていた噴水。

みんな似たような構図になってるのはここでは一応触れないでおくとして、割と思ってた以上にまともに写る感じの結果となってました。周囲は激しくぼけてるけど、中心辺りは甘めのピント状態を保って絵にしてくれてます。わたしがこの時撮ったものには周辺減光はあまり出なかったんですけど、いかにもトイカメラっていう写り方の写真が出来上がってくるようです。
撮り終えたフィルムは11日に近所のスーパーに入ってるカメラのキタムラへ現像してもらいに行きました。
一日くらいかかると思ってたのにその場で大体40分くらいで仕上がるということでした。トイカメラで試し撮りしたフィルムなのでまともに写ってるものがほとんどないかもしれないって一応断ってから頼んだんですが、店の人はトイカメラっていう言葉を聞いてもそれほど不思議そうにはしてなかったので、そういうカメラが世の中に存在してることは知っていたんだと思われます。一応どんな写り方をしたのか確かめたいので箸にも棒にもかからないようなものでもプリントしてみてくださいと頼んで、仕上がりを待つことになりました。
本当にちゃんと写ってるのかとか、全滅だったらみっともないなぁとか出来上がりを待つ間ちょっとドキドキしてました。テストの答案を返してもらう時の気分って云う感じもありましたけど、待ち時間は結構楽しかったです。

それで仕上がったのがこういう写真でした。
現像されたネガを見てものすごく意外だったのは、24枚撮りのフィルムで、ガッケンフレックスの巻上げノブが動かなくなるまで撮影したのに、結果は13枚しか撮影してなかったということでした。現像が仕上がったフィルムを見てみると13枚撮影した後、フィルムの後半は写して失敗した痕跡もなし。出来上がった13枚の写真はネガの状態でみると全部連続して並んでるので撮影に失敗して実際の枚数が減ってしまったというのもなしで、写せなかった11枚はまさしくまだ巻き上げられるのに巻き上げてシャッターを切らなかった部分っていうことになってました。
なぜ13枚以降巻き上げられなくなってたのかは今のところ理由は分からないです。ガッケンフレックスには何枚撮ったかということが分かるようなカウンターはついてません。フィルムを巻き上げる段階で一枚分を送ったというのが判断できる目安があるだけ。だからフィルムが巻き上げられなくなった時点がフィルムの終了ということになるんですが、まだ11枚の余裕があったなんて全く思いしない結果でした。今度撮る時は裏側にメモでも張って何枚撮ったか記録しておいた方がいいかもしれないって思いました。

ちょっと植物園の事も書いておくと、撮影に行った日の植物園はどうしたのかと思うくらい人がいなかったし、これのどこが植物園?と思えるくらい花が咲いてませんでした。
炎天下の園内は散策してる人もほとんどいなくて、来てはいけないところに一人で迷い込んでしまったような感じでした。植物園の世話してる人だと思うんですけど水をやってる作業服の人にたまに出会ったり、数少ない花の前で写生してるような人に出会うだけ。園内の地図に食堂があったので行って見たら、本当に営業してるのかというくらい活気のない建物で出入りするお客さんの気配もなく、はっきり云って怖くてなかに入れませんでした。
歩いても歩いても視界に展開するのは草と木ばかりというこの日の体験は、植物園にやってきたにしてはあまりにも凄まじく、綺麗な花が一杯咲き乱れていて、それを観に来た人が散策してるというわたしの思惑との間に生じた落差に唖然とするものがありました。

ガッケンフレックス以外のカメラも持っていってたので、それで撮った当日の植物園内の様子も載せておきますね。

もう一つの視点による園内の光景
VQ5090 Photoshopでカラーバランスにちょっとだけ細工してます。

唯一の花壇らしい花壇
Biscuit Camera
数少ない花が咲いてた場所。

☆ ☆ ☆

もう一つのカメラはハッセルブラッドのこと。これはもうトイカメラどうのこうのっていう話じゃなくなってくるんですけど、フィルムトイカメラからフィルムカメラ一般へ興味が拡大していく中で接点が出来たカメラでした。
実は父親が昔写真を趣味にしていて、引越しする前の家には暗室まであるくらい本格的な活動をしていたことがあります。写真雑誌に入選して載ったこともあって、載った号の本は全部大切に本棚にしまわれてます。
その父が持っていたカメラの中に確かハッセルブラッドがあったんじゃないかって想い出して訊いてみたんですよね。ハッセルブラッドがあったと思うけど、使ってないなら頂戴って。
返事はいとも簡単に構わないよっていうことで、なんともあっさりとした経緯で8月の中盤過ぎた頃わたしの手許にスウェーデン製の高級中判カメラ、ハッセルブラッド500CMがやってくることになりました。
父は今はカメラよりもゴルフに趣味が転じて写真にはほとんど関わらなくなったんですけど、わたしが子供の頃の父は結構カメラを所持していた記憶があって、他のカメラはどうしたのかということも訊いてみました。するとハッセルブラッド以外はもう全部売ってしまったという返事が返ってきて、どうやら手元にあるのはこのカメラ一つだけのようでした。ハッセルブラッドだけ売らなかったのは、高額なカメラだったので買う時にかなり苦労して、そのせいで手放す気にはなれなかったからだそうです。

ハッセルブラッド500CM


上から覗き込むウエストレベルのファインダーと真四角な写真が撮れるカメラとしてはローライフレックスなどの二眼レフカメラとともに代表となるカメラ。今ではフィルムカメラの衰退もあって中古の状態では一般人も買う気になれば買えるカメラになってますけど、昔はプロ御用達のなかなか手が出せないカメラの筆頭だったそうです。アポロが月に連れて行ったカメラもハッセルブラッドのカメラだったんですよね。
いわば歴史を背負ったカメラメーカーとそこが作り出すカメラといった存在。そういう歴史を背負ったカメラを手にとるのは、その歴史に自分もちょっと参加できたような気分になれるところがあって、なかなか楽しいです。そしてわたしとしてはなによりも上から覗き込んで真四角な写真を撮りたいと思っていたから、これはまさにわたしが欲する条件にぴったり合ったカメラでもありました。

ところがあまりメンテもしてない状態で保管されてたので、きちんと動くかどうか試しながら色々調べてる時に、このハッセルブラッドには16枚撮りのフィルムマガジンがつけてあることに気づいたんですね。ハッセルブラッドは中判カメラで一般的な35mmのフィルムより大きいブローニーって云うフィルムを使います。このフィルムは12枚撮りの時は四角い写真が撮れるんですけど16枚撮りにしたら普通の横長の写真を撮るモードになってしまいます。つまりわたしは故障してるような様子はないかいろいろ観察してる間に、このハッセルブラッドがこのままの状態だと真四角な写真が撮れない形になってるって気づいてしまったわけです。
写真でも分かるように、わたしのところにやってきたハッセルブラッドはアイレベルのプリズム・ファインダーに交換してあってそのままではウエストレベルで上からファインダーを覗きこむことも出来ないようになってました。
これがどういうことだったかというと、目の前のハッセルブラッドはわたしがこのカメラの利点だと思っていた2つの要素を両方とも封印したような形になっていたということです。このことに気づいた時、期待感に満ちて触りまくってたわたしの頭の中は一瞬真っ白に。

封印を解くには両方とも自分の目的に合ったパーツに取り替える必要があります。ある意味解決の方法としては凄くシンプルなんですが、この方法はちょっと費用がかかるというか、それを実行するには、国産の二眼レフやローライフレックスの廉価版、ローライコードくらいなら買えてしまう位の出費は覚悟しなければならないようでした。はっきり云ってそういう予算があったらわたしとしてはその予算で買える扱いやすい二眼レフカメラ買ってます。この予算は気分としてはとんでもないほど出しにくい類のものでした。
こんな凄いカメラを前にして使わないのは絶対に勿体無いし、最終的にはいずれ自分で使いたい形に持っていって使うつもりではいるんですけど、今のところはこんな状態に陥ったまま考えあぐねてるというか、ちょっと途方にくれてしまった状態になってます。クラシックカメラってメンテナンスを筆頭に吃驚するほど費用がかかるって云うのをこれを手にして見て痛感しました。

ちょっとハッセルの話からは外れるかもしれないですけど、わたしはトイカメラを通してフィルムカメラの面白さを再認識することになりました。
世の中の動きから云えば、トイカメラの興隆でフィルムにスポットが当たってるところもないこともないものの、全体的にはやっぱりフィルムの領域は衰退していく方向に進んでるんだと思います。最近出来た京都駅南のイオンモールでも、カメラ売ってるところは全部デジタルカメラしかおいてないような状態になってました。
こういう流れでフィルムカメラに手を出すっていずれ消え去るのが分かってるものにお金をかける馬鹿げた行為のように思えるかもしれません。でもわたしは、いずれ衰退していくものなら、むしろ逆にフィルムで遊べるのは今しかないんじゃないかって考えるようになったんですね。今しか遊べないものならなおのこと、この気づいてしまった面白さを存分に体験しないのはなんだか凄く勿体無い事だって。だからデジタルも良いんですけどそれはそれとして、今の気分ではフィルムのカメラにもっと関わりたいと思うようになりました。
フィルムのカメラと付き合うのは、フィルムを装てんする時に手に伝わる感触や巻き上げる時の感覚から、一枚フィルムを消費するのと引き換えにシャッターを切ることへの逡巡と決断、プリントが出来上がるまで待ってる時のドキドキ感まで、あらゆる感覚を総動員して楽しいですよ。

☆ ☆ ☆

6月の終わりから7月の初め頃にかけて、云わば梅雨の真っ最中にこういうことに手を出してみて、よりによって梅雨時にやり始めるものじゃなかったかなぁって思ってました。買ったカメラを使いたくても雨降ってるとどうしようもないですから。
今年の梅雨は、すでに過ぎ去ってしまったせいか、あるいはその後に続いた夏の印象が強烈だったせいか、早くもあまり記憶は正確でもなくなってるんですけど、確か西日本中心に結構な豪雨があった梅雨だったと思います。それでカメラ手にして遊ぼうと思ってたのもなかなか実行できずに軽い欲求不満の状態になって、7月頃は早く梅雨が明けないかなとずっと思ってました。

そして待望の夏がやってきたわけです。
ところが梅雨が明けたとたんやってきた夏がどんなものだったかは既に周知の如く、つい最近まで居座っていて、数日前にようやくどこかへ行くために腰を上げてくれたような状態になったけれど、それはもうとんでもない暑さで日本を焼き尽くすような夏でした。
雨も降らない、強烈な日差しが照りつけるだけの日々が毎日毎日延々と続いた夏。京都では夕立さえほとんど降りませんでした。
夏がくればカメラ持って遊びに出かけようと思ってたのにそんなとんでもない夏がやってきて、それでも最初のうちは暑いなぁと思いながらもそれなりに歩き回ってたものの、8月の中頃にもなると、前人未到の領域を目指してただひたすら勢いを増すだけの暑さに押されて、夏になったらカメラでいろんなものを撮りまくってみようというわたしの密やかな野望は、心のどこかに畳み込まれてしまったような状態になりがちでした。

その日がとんでもない暑さになると分かっていても実際は外出の折には必ずカメラを持って出かけてました。でも今日はあそこまで足を伸ばしてみようと思って歩き出しても、そこへ行き着く前に力尽きるというか気力が萎えてしまい、もうどうでもいいや、早く涼しくエアコンが効いたところに戻ろうという思惑のみが頭の中を占領するような状態になってました。被写体を見つける注意力も散漫、構図なんか考える余裕は噴出す汗を拭い去る労力と気持ち悪さの前に、簡単にどこかに消し飛んで行ってしまいます。
大体持ってるカメラが陽射しに晒されてるだけで熱くなってくるんですね。こんなにまるで火に熱したみたいな状態になってきて電子部品は大丈夫なんだろうかとか、汗ばんだ手で長時間持っていて影響はないんだろうかとか瑣末といえば瑣末なことなんですけどそんなことまで考えてしまって屋外でカメラを日に晒してる時はなんだか気が気じゃなかったです。

結局夏の後半は、梅雨時に色々期待して意気揚々としてたほどには思うようにカメラを使えなかったという結果に終わった感じでした。

8月の後半頃からシャッターを押す指の動きが鈍くなったのは、凶悪な暑さ以外にも、お散歩写真も結構難しいもんだなぁって思い出したこともあるかもしれません。
お散歩写真っていうコンセプトは凄く魅力的だし面白いです。写真を撮るって言う行為が、観光地とかへ出かけて何百年もの歴史を背景にした遺物や自然の驚異なんかを写して来るような、写す価値のある特別なものを写す特別な行為ではなくて、というかそういうのも写真的な行為なんだけどそういうのとはまた別に、特別でもないものを自分の生きてる空間から切り出してみる、日常的な行為そのものといえるような写真もまた写真的な意味合いがあるっていうことですね。写す側にとっては普段の視線という形からファインダーを通してみるという形に視線を特殊化させることで、普段目にしていたものがまた別の意味合いを持って目の前に立ち現れてくるかもしれないっていう感じというか。普段接していて気づかなかった関係に気づくのか、散歩していて普段目にはするもののただそれだけこのことで終始して何も関係をもてなかったものに、カメラを通すことで新しい関係を作り上げられるのか、どちらかは分からないけれど、こういうお散歩写真という行為を通して自分が生きてるありふれた日常にちょっとだけずらした何かを見出し付け加えることが出来るのは確かだと思います。

でもこのお散歩写真、始めた頃はフレームに切り取るだけで、撮った写真の中に何か見慣れないものが立ち上がってくるような気配を持ったものも散見して面白いんですけど、何十年も歩き続けた見慣れた散歩道で見つけることが出来るそういう光景って、そのうち枯渇してくるんですよね。角度を変えたり自分との距離を変化させてみたり、光の当たり具合の変化などでも様相はまるっきり変わってしまうのもわかってながら、散歩する見慣れた道筋っていう圧倒的な日常的リアリティが、その場所なり事物をフレームで切り取ろうとする意図を凌駕してくる。

まぁ簡単に言うと被写体がなくなってくるという感覚に支配され始めるっていうことです。少なくともわたしの場合は8月の後半はそんな感じになりがちでした。シャッター切ろうとしても、特に写真という形にするほどのものでもないかなとか、数日前に確か似たような写真撮ったとかそういう想念が頭に浮かんで、ファインダーを覗きこみはするけどシャッター押すまで行かなくてその場を通り過ぎることが多くなってきました。

☆ ☆ ☆

さて、こんな風にわたしのカメラ遊びは、記録的な暑さの中で突っ立ってシャッターを押すか押さないかの合間で揺れ動いてるうちに、8月を通り過ぎてきたわけなんですが、それでもこの夏の期間に何枚かの写真は撮ってました。今回はそのうちの何枚かを並べてみます。
まずは空の写真。これは結構撮ってます。
実は撮るものが見つからなかったりした時には、大抵空の様子を撮って遊んでました。どうも空の写真って言うのはお散歩写真の定番らしいんですけど、空の青は綺麗だし雲の様子は刻々と変化するし、夏の空は光に満ちていて意外と写真を撮るのは楽しかったです。

夏の空の写真1
VQ5090
今年の夏は「Camera Talk」というトイカメラ写真の投稿サイトに参加して、いくつか写真を投稿してました。これはその投稿した写真の一枚になります。
両脇のビルが何か古びたビルに見えます。右側の円柱形のほうは、最近移転して閉鎖にはなりましたけど、LOFTの入ってたビルで、それほど古いって云う訳でもないです。でも色温度をデイライトにして撮ってみたらなんだか赤茶けた色が乗って、廃墟っぽいというかちょっと面白い感じになりました。考えてみれば左側のビルも去年だったか潰れてしまったビーバーレコードって言う京都の老舗のCDショップが入っていたビルで、今もテナントは空いたまま。だからロフトも移転してこの両側のビルはある意味本当に廃墟を一部抱え込んでるんですね。そういうのが期せずしてビルの色味に出てしまったのかもしれません。

natu.jpg
VQ1015 Entry
夏が始まって直ぐくらいの時に撮った鴨川の様子です。四条大橋からの眺め。まるで街が陽射しで焦げていってるような感じです。ちなみにこのトイデジ、ファインダーが全く役に立ちません。全部ノー・ファインダーで撮る以外にないカメラになってます。

空と電柱
GakkenFlex ; Kodak SUPER GOLD 400
植物園の後でガッケンフレックスで撮った空の写真です。空と電柱っていうのはお散歩写真のゴールデンコンビらしいんですけど、たしかにこの被写体はトイカメラで甘い絵にしてみると雰囲気のあるイメージに仕上がるみたいです。

☆ ☆ ☆

纏め的に云ってしまうと、街で見かけたリズミカルなものっといった感じになるのかな。そういうのも何枚か写真に撮りました。なにもイヤホン耳に突っ込んで自閉的に閉じてしまわなくても街の中には音楽が、リズムが溢れてるよっていうわたしからのささやかなメッセージ。

街に刻むリズム1
VQ5090
これも「Camera Talk」の方に投稿した一枚です。場所は京都駅南のイオンモールなんですけど、最近行って見たらこの椅子とテーブルは全部片付けられてました。別に画面に動くものがあるわけでもないのに、左上から右に向けて流れていく動きが感じられるようです。上の円形の部分が右方向への動きを促してるのかな。青い子供用のテーブルと黄色い色の椅子が一つだけ入ってたのはこの写真を撮るという意味においてはものすごくラッキーでした。この青色と黄色があると無いとではかなり印象が変わってくると思います。

街に刻むリズム2
VQ5090
これは実際に音が出たとするなら明らかにベース音ですね。椅子なんですけど形もちょっとおたまじゃくしっぽいかな。

街に刻むリズム3
VQ5090
これはわたしとしては失敗した写真。
だってこれ、わたしが自分で並べたようにも見えるのがまず致命的に面白くないです。そういう作為を含めてしまうと何でもありになってしまうし、街角スナップって言う意味合いもなくなってしまいます。モップっていう被写体ももうひとつかなぁ。わざわざ写真にしてまで見たいものでもないですよね。
単純に並んでるだけというのも、だからこそちょっと気を引いてシャッター切ってみたんですけど、写真にしてみれば単調なイメージにしかならなかったです。Photoshopでカラーバランスを変化させて、バックのブロックの色を好みの色にしてるのが隠れたポイントになってます。

☆ ☆ ☆

廊下
VQ5090
手前から向こう側に伸びていく細い路地やトンネルと、その路地やトンネルの行き着く果てに開けた明るい未知の空間が垣間見えてるって言う構図に何か惹かれるものがあるのか、路地を見たら結構写真を撮ってました。大抵何の意味も無く向こう側に消えていく路地が写るだけでわたしが感じたものの気配さえ定着させられない結果に終わるんですけど。
向こう側に開けた空間こそないものの曲がった廊下の向こうに未知の空間が開けてる感じを伴って、ちょっと気を引いたのでシャッターを切ってみた写真です。あるいは正面奥に見える扉の向こう側が路地の彼方にみる明るく開けた未知の空間に相当してたのかも知れません。

うさぎ庭園
VQ1015 Entry
モーリスカフェの記事を書いてから、つまりあのこちらを窺う妙なうさぎに誘われてからというもの、わたしのなかにはなにかうさぎに惹かれるものが出来てしまったようで、うさぎの置物とか見たらかなりの高確率で買ってしまってます。「Camera Talk」で使ってるプロフィール写真もうさぎの置物だし。
それでうさぎの写真も撮れる機会に遭遇したら、ほぼ確実にシャッターを切るような感じになりました。でも野良猫がいるようには野良うさぎはさすがに街中で出くわすことは無いので写真に撮るといっても大抵看板に描いてある絵だとか置物になってしまうんですけどね。
これは雑貨屋イノブンのビルの屋上に作ってある小さな庭園に飾ってあった置物。カメラを地面につくくらいまで下げてノー・ファインダーで撮ったものです。でもこういうのって、庭園に置物とベンチを飾った人のセンスによってる部分が大きいから、撮ってはみたものの撮った本人としてはそれほど面白くも無い部分もあったりしますね。

☆ ☆ ☆

川沿いの道
Biscuit Camera

伝言板
Biscuit Camera

キッチン
Biscuit Camera

それと電源、メモリー周りが実用的じゃないので暫く使ってなかったビスケットカメラを久しぶりに使ってみたんですけど、やっぱりこの独特の雰囲気は良いですね。わたしはこういうテイストが付随する写真って結構好きです。
他のたとえばメモリーカードを使ってるような機種を使った後では、ちゃちさでもう使わなくなるかなと思ってたのが、逆に雰囲気のよさを再認したような感じになって、ガッケンフレックスの試し撮りに植物園へ行った時に連れて行くことになりました。

☆ ☆ ☆

そろそろ涼しくなってきてカメラ持って出歩くには最適の季節になってきました。夏の間はこんな感じでしたけど、これからは暑さに阻止されることも無く出歩けると思うとなんだかワクワクしてます。それとカメラそのものも収集熱にちょっと火がついた感じになっていて、これからの秋の季節は欲しい機種が幾つかあるのを集めるのにも夢中になってるかもしれないです。
上のほうでなんだかシャッターが押しにくくなったと書いたけど、結局こういうのは頭で考えて行動するのはやっぱりあまりいい結果を出さないような感じがします。頭の方で躊躇いが出てもとにかくシャッターを切ってみる。これが一番いい方法かな。
それと自分の撮った写真を眺めていて思ったのは対象物を目の前においてまるで展覧会の展示物みたいにして眺めてるなぁって云うことでした。一歩踏み込みが足りないような感じ。対象に後一歩近づいて撮ると結構違った世界が広がりそうな気がしてます。



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