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独身者の言葉が沸き立つ、昏く蒼い一面のねじまきの海

袋小路
一連の文章を書き連ね、そこから何か所か削除して、全体を意味が通らないものにしてみる。

先日自宅で転倒、眉尻辺りを何かに強く打ち付けて切ってしまった。起き上がろうとして目の前の床を見れば血がぽたぽたと滴ってる。やってしまったという感が強く、さてどうしたものかと途方にくれたんだけど、トイレに駆け込む途中のトラブルだったのでとにかく用を足してしまおうと思った。出血は意外と早く止まって、これは一安心だったものの用を済ませてからどうすべきか見当もつかず、とりあえず出来事の次第を共有してもらおうと姉に電話。馴染みの整形外科に連絡してみようということになって電話してみるものの、これはこの電話で知ったんだけど整形は首から下が対象で頭は外科か脳外科に行ったほうがいいということだった。ということで転倒したのは昼ちょっと前だったから、潰瘍性大腸炎で通ってる病院の外科へ午後から行ってみることにした。
外科で診察してもらった結果、血がすぐに止まったことで推測されるように傷はそれほど大したこともなく、不思議な絆創膏を貼ってもらって治療は終了、頭を打っていたからCTを撮って、これは脳に異常もなく骨折もしていないという結果だった。たいしたことなくてよかった。ただ後で腫れて内出血、うった覚えのない目の周りが悪魔のメイクをしたみたいに赤黒くなってしまった。内出血は皮下を巡るようで赤黒くなった箇所は日によって場所をわずかに違えてるようだった。
使ったから切り刻んだあとだけど、もらった不思議な絆創膏はこれ。名前はデュオアクティブ ET とある。
絆創膏
バンドエイドの糊のついてる部分だけのような外観で、病院で貼ってもらったのには傷を覆う白いものがついていたのに、これには傷を覆うガーゼに当たるような部分が一つもない。貰ったはいいけどそのまま傷の上に貼ってもいいのか、というかそのまま貼る以外にやり方を思いつかない。とりあえず傷に直接貼ってみると、そのうち傷を覆うような白い何かの膜のようなものが自然に形成されていた。


映画音楽屈指の名曲。それにしてもリズ・オルトラーニはモンド映画になんでこんな美しい曲をつけたんだろう。もっとも「世界残酷物語」とセットになることで際立ち特徴づけられもして、曲としてはこの映画への提供は結果としては正解ではあったんだけど。

ちなみに映画のほうの「世界残酷物語」は映画配信サイトギャオのサービス終了の最後の日、3/31まで無料配信中。
https://gyao.yahoo.co.jp/title/63d323fc-7923-4c18-8630-4216ae1222dd
GYAOを初めて知ったのは、のちに「12モンキーズ」の元ネタとなった、クリス・マルケルのカルトSF映画「ラ・ジュテ」を見つけた時だった。表面的にラインナップされてるのは誰もが知ってる飽き飽きした名作映画か、一体どういうつもりで買い付けたのかさっぱりわからない劇場にかける価値もないC級映画がやたらと目につくだけで一見大したことないなと思わせるんだけど、深掘りしていくと大和屋竺の「毛の生えた拳銃」なんていう大昔大学の学生会館で上映されてるのを一度見たっきりのアングラ映画が転がり出てきたりして、偏り、なかなかカオスな場所で面白かった。終焉間際に「荒野の千鳥足」だとか「セックス発電」なんか出してくるから終わるまで目が離せない。













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荒野と技法

提灯

柿の種にピーナツ無しという形で売っているものがある。本来柿の種っていうのはあのおかきの部分のことだから、正統派と云えば正統派と言えるし、あまり消化が良く無さそうなものはご法度の身としては意外と有難くて、こういう形になったものをたまに食べたりする。先日また買ってこようとスーパーに寄った折売り場の棚を何気なく見渡していると、柿の種ピーナツのみというのが目についた。何それ?袋の中はピーナツだけがぎっしりと詰まっていて、それ、ただのピーナツの袋詰めで、断じて柿の種じゃない。

それにしてもなんだろう、この楽しさ。言葉で書くと工芸品のような優雅な道具を使う楽しさなんていう言葉であらわせるんだろうけど、銀面で鏡面反射する外観、孔雀をあしらった洒落た装飾、角を曲面処理した柔らかい手触り、絶妙の手ごたえのある重さ、そういった感覚器官の末端で受け取るものが、予想を超えて複雑な回路を感覚との間に張り巡らしているような様相を見せ、言葉ですくいきれない情動を生み出していく。まずね、ベンジンを充填することからして楽しい。前日の終わり、燃料を使い果たして昼間の灼熱が次第に衰え失せていく様に、まるで息絶えていくような姿を重ね合わせ、次の日の再び復活させる時を待ち焦がれる。燃料で満たし反応を呼び起こすために小さな火種を近づけて、それはアグニをこの銀色の祭壇に降臨させるための儀式のようだ。そして息を吹き返したことを喜び、再び灼熱を宿した銀の孔雀を体の内に捧げ持つこととなる。
カイロ一式
一方反応を引き起こす火種を与えるために使ってるイムコのライター。ジッポよりも古いライターなんだけどアンティークっぽイメージがまるでなく、モダニズムを纏って、時代を超越したような先鋭性を持つデザインがかっこいい。でもこういう見た目はいいんだけど、見た目に反して実は使い勝手がどうもよくない。蓋がフリントホイールと直結してるために開閉が固い。蓋を開閉する快感がほとんどない。大体蓋を開けた瞬間に自動的に着火してしまうために、ふたの開閉だけで遊ぶことができない。さらに持って見ると分かるんだけど指が炎の間近にきてしまい、しかも炎周囲が簡単に熱くなってしまうので、気をつけないと火傷しかねない。使う手順のわりに道具としての楽しさに結びつかず、道具としてはあまり回路を張り巡らせてくれない。デザインがいいだけにそういうところがもったいない。あるいは指の火傷くらい覚悟のうえで使うものなのか。

杖を突いてよたよたふらふら歩いてると「大丈夫ですか」と、本当にいろんな人に声をかけられる。親切な人が多いと実感できてこの世界もまだ生きるに値する世界なのかもと思いなおしたりもする。
先日近所のスーパーで買い物をしていて、ふと足元を見るとスニーカーの紐がほどけていた。かがんで結びなおそうとするとまず間違いなくバランスを崩して前か後ろにひっくり返るだろう。スーパーの売り場の床に持っていた荷物をぶちまけて、床の上に這いつくばってる自分の姿が容易に想像できる。とてもじゃないけど今結びなおすことはできない。どこか休憩所で椅子に座って結びなおすのが一番の策だろうと、ほどけたまま歩いていた。すると見かねたのか客のおばさんが一人近寄ってきて、足悪そうなのに紐がほどけたままだと危ないから結んであげると云って、目の前にしゃがみこんで結んでくれた。結んでもらってる間中恐縮しっぱなしでお礼を云ったけど、正直こういうことをしてくれる人がいることに驚いていた。

Marc Ribot: Musical Improvisation in the Marlene Dumas Exhibition

ギターという楽器の可能性を探る。美術館という空間にこういう音響的な音楽は似合う。それにしても一人でこの音空間を制御してるのは凄い。
もう一曲。ビートルズの曲だけど、どういう弾き方をしても曲の強靭さで潰れない。三つの曲を繋ぎ合わせたものなのに。ビートルズの曲はみんなそんなところがあって、古びさえしない。


ツイッターで言論弾圧をしていたとして、新オーナーのイーロン・マスクによって解雇された元幹部に対する質疑。追及の容赦なさが凄い。曖昧な回答を一切許す気がない。




ジェフ・ベックもあの世に行ってしまうし、最近クリームのビデオ見てたんだけど、クラプトンも老けてしまったなぁ。


昔聴いてたアルバム。


辺境の地にて丘の上に聳えるけだものの振り子を遠望する。

距離

ようやくネット復帰。と云っても実際は10日少し前にすでに復旧していたんだけど、手足の不自由さに加えて再燃した潰瘍性大腸炎に心のいくばくかを折られてしまったのか何もする気が起きずに今に至ってる。10日に消化器内科の診察予約が入っていたので、血液混じりの粘液が出るとかなんとかいろいろと現状報告をしてきた。診察前には大腸内視鏡検査やりましょうくらい言われるかと覚悟していったんだけど、血液検査の結果や報告内容からそれほどでもないと思われたのか、薬であるリアルダを再燃時の最大限用量の4錠に増やす程度で様子を見ることになった。現状は寛解時の用量である2錠服用なので薬の量は倍になる。以前症状が出まくっていた時の用量に戻ったわけで、これで治まってくれればいいけど。血液検査の炎症に関する値は前回の診察時の10月のほうが高くて、症状としてはまだ出てこなくても、この辺りが再燃の始まりだったんじゃないかと思う。それにしてもしんどいなぁ。肉体的な苦痛同等に精神的にも擦り切れていく。

カイロ

少し前からハクキンカイロが欲しくなって、今年になってから燃料となるベンジンと一緒に購入した。ところが購入したのはいいんだけど、どうやらシーズン中に品切れを起こすアイテムだったらしく、のちに直近の期日に更新されたものの注文当初の納期は2月の8日と一月先、結局ベンジンだけ先に到着して、しばらく所在なさげに部屋に佇んでいた。
気の利いたガジェットの特徴というか、手に持ってるだけでその手触りや質感が楽しそうというのが見た目からでも伝わってくる。ジッポのライターの蓋を開け閉めしてるだけで楽しいといった感覚に通じるものがある。形は角の丸みや鏡面反射する銀面がレトロフューチャーっぽく、昔の空想科学絵画に出てくる流線型の宇宙船の部品のようだ。ベンジンが燃料となるからといって、実は火をつけて使うわけじゃない。火口に仕込んである白金と気化したベンジンの化学反応を利用して熱を発生させてる。これもなんだか科学的、未来的で、こんな仕組みが100年前に考案されたっていうのがまさしくレトロフューチャーっぽい。道具として視覚的触覚的に魅力にあふれ、そして暖かいという実用性も兼ね備えてる。わたしはつるの剛士の紹介で知ったんだけど、アニメだかコミックで取り上げられて、今流行ってるんだとか。



カフカ 短編
気分が低迷してるので遅々として進まないけど、現在二冊同時読み。同じく言葉のみを使って成り立っているものなのに、読書感がまるで違ってるのが面白い。カフカもエンタテインメント的に、結構ストーリーテラーの資質があるんだけど、この質感の違いは何だろう。カフカの頭に浮かんだもやもやしたものをわかりやすいものに翻訳しないでそのまま吐き出してるって感じが独特の物語空間を作ってる。カーリイのサイコキラーの物語はサイコキラーは異常であっても物語空間は明晰であって、はみだし収まりきらない歪な空間を形作ることはない。こういう違いなんだろうか。

これ書いてたら、さらに眩暈まで始まってしまった。持病が全部稼働状態になってる。頭を動かすと周囲の世界が高速で回転しだす良性発作性頭位めまい症。寝る時にあおむけに横たわるとこれが始まるので寝るのが恐怖の対象になる。眩暈は長くても一か月ほどで自然に収まるのは経験的にわかってはいるけど、ちょっとハードモードになりすぎじゃないか。眩暈持ちということで常時病院からメリスロンはもらってるから、これでしばらく耐え忍ぶ。

imco
ハクキンカイロでガジェット趣味が刺激されて、ライターまで買ってしまった。イムコのライター。古くからあるオイルライターでオーストリアの本家は製造100年ちょっと手前でライター作りを止めてしまったんだけど、その後日本の会社が権利を買い取って復刻版を出してる。
円筒部分がオイルタンクと着火部分でその横についてる長方形のパーツにはフリント等仕込んである。このライターの駆動部分を開くとフリントを押さえてる部品がばね仕掛けでせり出してきたりして、メカニカルな感覚剥き出しのギミック感がなかなか楽しい。
ハクキンカイロは火を使わないけど化学反応を開始するために最初温度を必要とし、そのために火口に熱を加える必要がある。その用途のためにこのライターを買った。5秒ほど焙るだけなので別に100円ライターでもマッチでも構わなかったんだけど、せっかくハクキンカイロに使うのにどうも見劣りする。しかし煙草なんかもう吸わなくなって久しいし、ほかに使い道もないのにこれは衝動買いに近い。いや、非常時の道具の一つとして常備しておけるか。

屋根の上のしらたき

明けましておめでとうございます。

年末からルーターの電源が入らなくなって、PCがネットに繋がらなくなってる。スマホからでは思うように操作できないし、早急になんとかしないと。でも正月休みて身動きがとれない。

百番目の男

「百番目の男」を読み終える。このタイトルは内容の犯罪に関するものじゃなく、ある寓話の言葉を借りて主人公カーソン・ライダー刑事の人となりを一言で現わしてるものだ。このタイトルはこの書物がまさしく犯罪との関わりにおいて描かれるライダー刑事についての物語の始まりだと、シリーズ一作目で宣言しているようでなかなかかっこいい。
で、売り物だった驚愕の真相がどうだったかというと、正直なところこの物語の何が驚愕の真相だったのかさっぱり分からないという形で読み終えてしまった。大どんでん返しがあるのかと思って、多少身構えて読んでいたんだけど、そういうこともなく、確かに真犯人は予想外な人物ではあったけど、これコンピュータ・ゲームでいったらNPCの一人をいきなり犯人に指摘するようなもので、ほとんど能動的に物語に絡んでこなかった人が犯人だと云われても、それは驚愕の真相というとはまたちょっと違うんじゃないかと思う。
で、みんなこの物語の何に対して驚愕だといっているのか調べてみたら、どうやら死体に残された文字の謎に関してのことらしい。確かにこの文字の扱いは意味とはまるで別次元の真相が用意されていて、あまりに常識はずれなものだったので確かにびっくりはするんだけど、じつはわたしは昔機材を使って似たようなことをして遊んだことがあって、ミステリの中でこんな形で使ってるという新鮮さはあっても、わたしにとってはこれもそんなに云うほど驚愕というわけでもなかった。
というわけで最後に用意された驚愕の真相というのはちょっと肩透かしで終わってしまったんだけど、だからといってつまらなかったわけでもない。むしろわたしにとって面白かったのは終盤近くに登場する犯人が撮っていたビデオ映像の件だった。ライダー刑事たちが犯人の家でビデオテープを見つけて再生してみると、これがまたグロテスクで超現実的な前衛映画のような様相で、隠微な秘密が異様な映像で暴露されていくのを息をひそめて眺めていくことになる。犯行の真の意味合いも遺体に残された文字の謎もこの前衛映像で明らかになる。もちろん小説なのでビデオの映像と云っても文字起こしの形になるわけだけど、直接そのものを見るよりもイメージ豊かに頭の中で再構築されて再生されていく。荒くノイズ交じりの画面の奥でハイコントラストな映像がグロテスクで頭のネジが外れてるようなシーンを繋いでいくのを、主人公たちと一緒になって息をつめて眺めることになるわけで、これはちょっと圧巻の体験となった。
物語は終盤は冒険小説風となって、サイコパスもの嫌いのわたしでもページを繰らせていくほどの勢いはある。登場人物たちもそれなりに魅力的で感情移入を促してくる。意外だったのは主人公の兄。この人もサイコパスの殺人鬼で、出所することも不可能な施設に監視つきで監禁されているんだけど、主人公は事件解決のヒントを教えてもらうために何度かこの兄を訪れていく。対話はまともには進行しないので、登場人物のなかでは真犯人についで感情移入しにくい人物と思われていたのが、エピローグで一変。エピローグを締めくくるエピソードでかなり歪んではいるけど主人公との兄弟愛みたいなのを垣間見せて、余韻をのこして物語を締めくくる。どうしようもなく狂ってるけど、子供っぽい遊び心もあっていい兄貴じゃないかと、物語の読後感は予想以上に良い。
次は長いのを読むなんて書いてたけど、ジャック・カーリイのものは未読のものがあと二冊手元にあり、ここはキャラクターに馴染みができたぶん、手持ちのシリーズものを続けて読んだほうがいいかなと迷ってる。


ストール
ごく最近の買い物で、GUのストール。セールに出ていたのを990円で購入だ。黒のノーカラーボアブルゾンにクリーム色のタートルセーター、くすんだローズレッドのニットグローブにチープカシオ、ツイードライクなグレーのパンツといった組み合わせに合わせるつもり。
さて買ったはいいが首に巻くつもりの、その巻き方が分からない。マフラーはミラノ巻きが好みだったけど、今度はストールをかっこよく巻く研究をしなければならなくなった。




バード南極探検隊が発見した失われた古代文明の遺構の秘匿された写真という体裁だけど、もし本当にあったのならわたしも現場で見てみたい。超巨大壁画なんて実際に目の当たりにすれば鳥肌ものだろう。








ボウル一杯の唾のスープを飲み干す。

赤と黄

一年の終わりはえげつないイメージで。ジャック・カーリイのミステリ「百番目の男」で、主人公の刑事の悪夢に出てくる。字面を見てるだけで気持ち悪い。
とういうことで久しぶりに海外ミステリを読んでる。海外のは名前がネックだなぁ。ずっと日本の怪談を読み続けていたから、登場人物の名前がすっと頭の中に入ってこない。
初紹介された時、最後に驚愕のラストが待ってると評判だった。内容は死体に謎の文字を残していく連続首切り魔といったサイコパスもので、身内からの妨害にあいながらも犯人の輪郭を露わにしていこうとする刑事のバディものといった、海外ミステリに本当によくあるような内容をなぞっていく。本来はサイコパスものってほとんど好きじゃない。謎と論理こそがミステリの王道だと思ってるから、本人しか理解できない論理に従って行動するような犯人が登場するものはどうもミステリを読んでるような気にあまりなれない。それでも半分以上よんでしまってるのはキャラクターの立ち方が際立ってるからなんだと思う。相棒との言葉を費やさなくても相通じる親密感、仲間がアルコール中毒になっていくのを救い出そうとする主人公の言動がその人となりを浮かび上がらせていく。主人公の捜査にとことん嫌がらせや邪魔をしてくる敵対する上司なんか対比が際立って、主人公の苛立ちに簡単に感情移入させてしまう。最後に待つ驚愕の真相というのが何なのか、そこまでいってないからまだ分からないけど、ミステリの騙される快感といったものを満たしてくれるといいな。よく読後コメントなんかで、自分は途中で分かったとか書いてマウントを取ろうとしてる人を見るけど、ああいうのはちょっと可哀そうだなぁって思う。何しろ騙される快感を味わい損ねてるんだから。わたしなんかどんなのでもきっちり最後まで騙されたままでいくんだけどな。
そろそろ放置したままの長い長いもの、たとえば「失われた時を求めて」だとか「重力の虹」だとかに手を出してみようかなぁ。読んだ気になったままの「城」なんかも踏破してみたい。「細雪」もその類のものとして近くに転がってる。


セイロン
最近のとりとめもない買い物。セイロン製のシナモンとチープカシオとHPのカチカチマウス。朝、パンを食べる時、はちみつを塗ってシナモンパウダーを振りかけてる。普通にスーパーに売ってるものを使ってたんだけど、ある時調べてみるとシナモンには3種類あるということだった。一つは正統派のシナモンを名のれるセイロン製、東南アジアなどが生産地となってる、シナモンを名のってはいるけど実質は近接種であるカシアをつかってるもの、そして日本のシナモンであるにっき。スーパーにうってるようなものはほぼ全部カシアで、一方にっきは最近手に入りにくくなって高級化しているらしい。これは京都ではよく見る生八つ橋に使ってる。そういえばこの前京都駅の名店街を歩いてると生八つ橋を物色してる人がいた。地元から行くと観光用の食べ物というイメージが強くて日常的に口にするものでもないんだけど、味は好きだ。八つ橋といえば生八つ橋というイメージで、焼いた八つ橋を食べる人はどのくらいいるんだろう。
にっきはまぁ別として、セイロン・シナモンは結構味に違いがあって、カシアのものに比べるとずいぶんと優しい味がする。別物だとはっきりわかるくらいだ。
真ん中はチープカシオ。普段はダイソーの500円時計なんてのを愛用してるものだから、チープと云ってもこれでも持ってる時計では高級なほうだ。日付と曜日が分かるのが欲しかった。ちょっといかついデザインや視認性のいい文字盤も気に入ってる。周囲のベゼルは回転して、赤い指標を長針に合わせておくと、合わせた時からの経過時間が分かる。

こういうのを見るとチープカシオって基本はダサくて、そのダサさの表情をいろいろと引き出して楽しむと、そういう接し方もあるんだというのが理解できる。ダサさを極めるというのは結構かっこいいんじゃないか。デジタルの辟易するダサさも別視点で照射されて結構ほしくなってきた。今までではこういうの絶対に選ばなかったはずなのに。
HPのマウスはクリック音がして、ブルートゥース接続で安いというので選んだもの。今使ってる静音マウスは指が痺れてるとクリックしたかどうかわからない時が多いので音がするものへ変更したかった。でもクリック音はカチカチという子気味いいものじゃなくて、ぺこぺこしたプラスチックの籠ったような音で、愛着を持つには程遠い。あともうちょっと高さがあるほうが保持しやすい。こういう板みたいな薄いマウスって携帯性優先のためなのか結構ある。電池を入れる方法が最初分からず、なんと上の赤い部分がすっぽりと取れるようになってる。









今年最後は懐かしい曲で。

再燃した潰瘍性大腸炎と痺れる手足とまともに歩けない状態を抱えて年を越しそうだなぁ。