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知覚の地図Ⅰ

解ける螺旋





窓辺の幾何





黄色いサイン

2019 / 4~10 宇治
CONTAX T3 / CANON DEMI EE17
Lomography Colornegative 400

たとえば、何でもいいんだけど、宇治の平等院と天ヶ瀬ダムと目の前の真新しい電子炊飯ジャーは等価である。平等院と天ヶ瀬ダムと目の前の真新しい電子炊飯ジャーを撮る時の態度には何も変わるところがない。それは対象に特別な意味を認めないということであり、対象に意味を求めないのなら、写真はそのほとんどすべてが私的な感覚に帰結するのかもしれない。意識であれ無意識であれ、あらゆる知覚を巻き込んで流動していくその広い、あるいは狭い、流れ、渦巻きの中で、棹差す如く突き出た杭に引っかかり、流れが滞っている場所ではその淀む流れに沈殿していくように、写真のあらゆる光、陰、暈、滲み、粒子、エッジ、コーナー、曲線、色面が寄り添い集まってくる。その流れの中の散在する特異点に呼び寄せられ堆積していく写真の、そのあらゆる断片、要素が、その配置によって意識、無意識、そして意識無意識でもない何か、云うならば流動する茫漠とした全知覚領域の上へ極私的な地図を作っていく。とまぁちょっと思いついてこんなことを書いてみると、いつも近代的な自我なんて相対化する対象だとか、個性なんてまるで信じないなんていう言い方をしているわりに、写真はむしろ私小説的なものじゃないかと、自分はそういう風に把握してるところもあるのかもしれないと思い至って我ながらちょっと吃驚する。写真は極私的である。社会性とは無縁の場所で成立し、他者にとって理解不能で一向に差支えがない。個的な知覚を普遍化させようなんて意図もなく、その知覚の個的地図の中で固有の文様を作って立ち尽くすだけという孤独な存在、わたしが写真に夢想するものはそういうものなのか。藤枝静男は私小説に特化する道筋で幻影への地平を開いた。こんな書物を紐解いていると私小説的なものは幻影への扉を開く可能性を持っているとの確信へと導かれる。写真においてもそういうことは可能なんだろうか。

今回の写真はなかなか撮りきれないと書いていたCONTAX T3に入れていたフィルムから。そう、このフィルム、ようやく撮り終えることができて先日現像に出してきた。フォトハウスKの店長さんもわたしのことは忘れずにいてくれて一安心。一応病気になってあまり来れないかもしれないけどまたよろしくと近況を伝えておく。久しぶりの仕上がった写真を眺めていて、何か病気とはまるで関係ない場所から撮っているような感じがする。病気の影響は写真を撮りに出かけられないという形で出ているだけで、内容に関してはあまり露にはなっていないようだ。たまに体調がよくてカメラを持って出かける気になったら、そういうことが出来る喜びのほうが写真に出て、病気だからといって陰鬱なものとなるよりも、むしろ明るい写真が撮れそうな気もする。能天気なほど陽気な病んだ写真というのも存在としてはなかなかひねくれていて、撮れるなら面白そうではある。

先日胃カメラをやってきた。初体験ではないものの以前に検査したのは10年以上前、最近胸焼けや痛みを覚えることがあるので潰瘍性大腸炎の診察のついでに云ってみると、逆流性食道炎だと思うけどしばらく検査していないなら、一度胃カメラしておくか?と提案されての結果だった。検査中に見た目変なところがあったらしく生検もとられて、検査直後の診断では画像を見て結構酷い逆流性食道炎だなぁと云われ、あとは生検の結果待ち。そして2週間後に生検の結果を聞きにいくと、結構酷い状態だと云われたのに反して、これは特に問題なしということだった。結局わたしの胃は酷い有り様だけど大層な事態に見舞われているいるわけでもないという状況で、胃酸を制限する薬が出ただけで一件落着だった。それとは別に今回の検査は今までの胃カメラにはなかった不思議な体験が出来て、これがちょっと面白かった。なにしろあとで振り返ってみればげろげろした状態になったという記憶がすっぽりと抜け落ちていた。それだけじゃなくこれもあとで気がついたんだけど胃カメラが喉に入ってくる瞬間もまるで記憶にない。大体喉の麻酔なんぞかけてもそんなのまるで役に立たずにげろげろ状態を回避できるわけでもないというのが今までの胃カメラ体験だったのに、今回に関してはこの苦痛の時間がまるでなかったというのがあとで思い返すとなんとも異様な印象だった。これ、端的に云うと鎮静剤の結果だ。この鎮静剤の動きの不思議だったのは、喉に胃カメラが入ってきた瞬間を覚えてないとか、げろげろした記憶がないというのに、そのあいだ眠らされていてたわけじゃなく、検査中に覚醒していた記憶は確実にあり、ここ、変になっているから生検を取っておこうなんて呟いてる検査医師の声も聞こえていて、変なところって一体何?と思ったことも覚えていた。なのに、あとで思い返すと、あれ?そう云えば一体何時胃カメラのチューブが喉を通っていったんだと、そういうところだけはさみで切り取ったように完全に記憶から脱落してしまっていた。げろげろ状態は奇跡的に上手く麻酔が効いて体験しなかった可能性もあるけど、検査をやっておいて胃カメラが喉を通っていかなかったことなんてありえないわけで、眠ってもいないのにこの挿入そのものの記憶がないというのはまるで理にかなっていない。診察後に渡された検査の明細に、使用した鎮静剤はミダゾラムとあった。検索してみると、この鎮静剤には前向性健忘効果があるとされている。前向性健忘というのは発症以降の記憶を保持できなくなるということらしくて、この場合の発症というのは鎮静剤の投入時のことになるんだろう。体験的にいうなら、何らかの障害というか苦痛というか、そういうのが発生した時点のみを選択的に記憶から除去しているような感じで、なんとも都合の良いというか不思議な効果の薬剤ではある。わたしが潰瘍性大腸炎で診てもらっているこの病院で、これまで大腸内視鏡とこの検査をやってみて、両方ともまるで苦痛を感じなかったのは振り返ってみれば驚きだ。大腸のほうも空気を入れるから普通は検査後も空気が排出されるまで結構長い間腹痛が続くんだけど、空気を入れなかったんじゃないかと思うくらい検査後は普通だった。ここだけ特別なやり方でもしてるんじゃないか。今回の胃カメラにしてもよく鼻から入れるほうが苦痛が少ないなんていう提案をするところもあるのが、まったく無意味になるような検査体験だった。

数日前にGYAOで無料配信されている映画、というより映画未満、映画もどきのとんでもないものを見てしまう。無人島に数人のランジェリー姿の女が漂着して何かいろいろやってるという内容らしいんだけど、基本的になにが云いたいのかまるで不明。さらに無人島といいながら遠くに見える海岸線には明らかに街並みが見えているし、浜辺で格闘しているランジェリー女の背後の海ではジェットスキーで遊ぶ人が堂々と横切っていったりするとんでもない代物だった。これでお金を取ろうとした製作者の根性がもう理解不能。こんなもののクレジットに名前を載せられて平気だった人の感覚も信じられない。こんな映画もどきの作り手として名を名乗り人目にさらして恥ずかしくなかったんだろうか。見てしまうといっても最初の3分もたたないうちに耐え切れなくなって、あとのほうは細切れに飛ばして確認した程度だった。おそらくこの見るということだけで体感できる苦痛をはねのけながら全部見てしまったら、時間の大切さについて今さらの如く身を切るような認識を強いられることになっていたと思う。ちょっと今GYAOに戻ってタイトルを確認してきたら「無人島ランジェリーロワイアル」だった。酷く、さもしいタイトルだ。無人島はおそらく物語的世界を構築するだけの能力も予算もないというところからの、想像力を必要とするようなことは何もしなくてすむという意味合いの設定だろうし、あとは下着姿での殺しあいみたいなのをイメージさせて男どもを釣ろうという魂胆だったのだろう。心底くだらなそうなタイトルと、その酷評で溢れているレビューからどれだけ酷いものなのか怖いもの見たさの好奇心が発動した結果覗いてみただけだったんだけど、好奇心は猫をも殺すの実証となったかもしれない。無料配信は12月12日まで。随分と長い。そしてその間にどれだけの人が時間の大切さについて思いを馳せることになるのだろうか。というか最初からこんなの見ようと思う人もほとんどいないか。






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浅い夢 / 夢の書物

浅い夢の夕暮れ





窓辺の人





ポスター





光る自販機





組紐生物
2018 / 02 小倉
2015 / 10 近所
CONTAX T3 / Olympus Pen E-P5
Fuji 業務用400

以前小椋の干拓池跡で疎らに鉄塔が建つだけの地平線と逆光が零れ不安に広がる雲を撮った写真を載せたことがあって、その時は確かジオヤーさんだったと思うけど、まるで夢の中で見た光景のようだといったコメントを貰ったことがあった。ジオヤーさん最近ご無沙汰だけど元気にしてるかな。で、この雲の写真を眺めていてそんなことを思い出し、これもまた浅くまどろむ夢の中でいつか訪れたに違いない場所だと思って、こういう纏め方にしてみた次第。他の写真もどこかそういう雰囲気を持ってるように思うものを選んできてる。ただ内在させてるイメージ空間の輪郭がはっきりとしてるせいか、浅い夢の中でかすかに覚えてるような茫洋とした質感はあまり感じられない写真だとは思うけど。逆に目に写るイメージがはっきりと輪郭を持っていてもその内在させてるイメージ空間は茫洋としてつかみどころがない触感を持ってるっていうのもあるとは思うし、狙うならそういうもののほうが含みが多いものになりそうな気がする。他人が語る夢の話が好きだ。夢と云っても将来何になりたいとかそういう類の夢じゃなくて、まどろむ中で垣間見てしまうような類の夢、じっとりと汗ばんでくる微熱を伴ってさ迷い歩いてるような、ふらふらと息苦しくて地に足がつかない、奇妙で夢魔的な空間や、意味へと届きそうで届かない断片的な物語。そういうのを聞いたり読んだりすると、獏とした不安、見てはいけないものを見てしまったかもしれないという薄気味悪い後味、毛穴がざわめくような感じといったものを享受できたりする。他人の夢なんか関わりが持てるような繋がりがまるでない、所詮他人事の最たるものだと思う人もいるだろうけど、わたしは積極的に関係が持てる。こういう感覚において他人の夢の話には興味深い繋がりを持ちえることがある。まさにシュルレアリスム的な興味だろうと思う。他人の夢を垣間見るという観点で、わたしの好きな書物が何点かある。たとえば赤瀬川原平の「夢泥棒」たとえばつげ義春の「つげ義春と僕」といったもの。これは本当に睡眠時に見た生々しい夢の記録を纏めてある。赤瀬川原平のほうは何しろもう一つの顔が画家なわけだから、文章と絵を総動員して見た夢の視覚的な再現伝達には半端じゃない労力を費やしてるようだ。つげ義春のほうはこの書物に収められた一つが夢に関するものだった。こちらは後に漫画作品へと姿を変えていったものもあって、生々しい夢からどうやって作品へと形を整えていったか窺い知れるところもあるのが興味深い。アンリ・ミショーは夢とはちょっと違うかもしれないけど、メスカリンやLSDを服用してどういう世界を垣間見ることが出来るか自分の体を実験台にして記述していった書物だ。「荒れ騒ぐ無限」というタイトルが本当にかっこいい。ただこれは相当ぶっ飛んだ人体実験の内容なのに、医師の監視の下とはいえ危険な薬の力を使って精神の、脳髄の未知の領域へと踏み込んでいく話なのに、そんなに云うほどぞくぞくしなかった記憶がある。まぁ読んだのは大昔のことなので今読み返してみるとまた違った印象を持つかもしれないけど。夢といえば大御所の内田百間の掌編夢魔小説やその師匠たる漱石の、怪談として秀逸な第三夜を含む「夢十夜」なんかもある。見渡してみれば夢そのものを扱い多方面に枝を張った巨大複合分野なんていうのが成立しているようで、夢というのは興味の対象としては古臭いようでもいつも気になる結構大きな存在なんだろう。











ちなみに漱石の「夢十夜」は青空文庫にあった。




空が落ちてきそうだった日

影絵
影の領土
2015 / 04 / CONTAX T3 + Carl Zeiss Sonnar T* 35mm f2.8 / Kodak Tri-X の自家現像





群れ
群れ成すものたち
2015 / 04 / CONTAX T3 + Carl Zeiss Sonnar T* 35mm f2.8 / Kodak Tri-X の自家現像



幾分暑さは和らいできたのかな。30度を越してるのは変わりないけど、えらいもので37度なんていうのを暫く体験してたら、30度越えてるくらいではあまり動じなくなって来てます。暑くてもいいけど、こういう辟易する一歩手前くらいの暑さで収まっていて欲しい。でもまた嫌がらせのように、あと何度かは酷暑になるんだろうなぁ。
暑かった期間、体感では軽く37度を越えてそうな日に木津川にカメラ持って出かけた時なんか、駅から木津川の堤防についた時点でもう駄目だと思ったし、この日は堤防についただけでまた陽射しをよける影のほとんどない道を駅まで戻ったんだけど、汗が止まらなくてどうしようかと思いました。軽く熱中症の前段階くらいまでいってたのかもしれなかったです。堤防から先に進まなかったのはもう一つ訳があって、川縁に降りていく石段の途中から草木の茂みが覆いかぶさってその中に踏み入れないといけない感じになってたから、なにしろ太ももから下は無防備に露出させてたから、これであの茂みに踏み入れたら、真夏で勢いづいてるどんな変なものが噛み付いたりしに来るか分からないと思うと、とてもじゃないけど降りていく気にはなりませんでした。

夏の間カメラ持って歩いていて困ることの一つは、些細なことだけどストラップが汗まみれになること。普段持ち歩いてるのがフィルムカメラなので、革のストラップでかっこつけてるんだけど、汗でめちゃくちゃになってきそうです。とくに安い値段で気軽に使ってるものは下手すると色落ちして着てるものを汚したりもするし。
ということで今年は初動から物凄い気温の夏となってることもあって、革のストラップの使用を一旦停止しました。代わりに濡れても問題なさそうな、普通の今流通してるストラップから選んで使ってます。
ストラップに5000円だとか一万円だとか払う人の気が知れず、そんな資金があるなら写りに関連するような機材の類に費やしたいと思うほうなので、値段は1000円台でも高く、1000円以下、襷がけできる長さがあって、目立たない細みのものという条件で探してみたら、この条件では無理だろうと思ってたのに、探せばあるもので一種類だけだけど見つけました。
長さ150センチ、本体の幅2.5センチの紺色に白の水玉模様のもので、800円くらい。今のナイロンテープを使った定番の形のストラップなので、別のカメラに付け替えるとか長さ調節さえも革のストラップのように簡単にはできないから、汗をかく時期に持ち出すつもりのカメラの数だけ購入してつけっぱなしにしてます。
これは夏以外に使って特に不都合があるわけでもないから、秋になってからでもそのまま使い続けてもいいかなぁ。
なんか重たいカメラには幅の広いストラップとか当たり前のように区別して売ってるけど、ハッセルとかペンタックス67とか、軽く2kgを越えてるようなカメラでも純正のストラップはかなり細身、この水玉のストラップよりもはるかに細いものが用意されていて、使ってみても首の骨がずれそうなんていう感じは一切ないから、幅の広いストラップなんて使う必要ないです。

水玉ストラップ

ちなみに、こういうの。
つけてるカメラはプラレンズのホルガに35mmフィルムが使えるようになるホルダーを装着したもので、ホルダーは最近話題にしてるヴィレッジ・ヴァンガードのアウトレットで7割引で購入(ちなみにプラレンズ・ホルガ本体とセットのものが、今はどうか知らないけど、まだ一つ売り場に残ってました)。これはこのところ暑いさなかに持って出かけてるカメラの一つです。
ストラップはホルガについてたストラップの金具を使って繋いでます。ホルガ付属のストラップはかっこいいかっこ悪い以前にぼんやりした印象しか与えない代物で、逆にかっこ悪いものよりも使う気にならないから、金具だけ取りました。
ホルガのストラップをつける部分は裏蓋の止め具兼用で、そのままだと持ち運んでる最中に金具ごとすっぽ抜ける可能性があるということなので、本体へビニールテープを巻いて固定してます。でもそんなに外れやすい金具のようには見えないんだけどなぁ。

☆ ☆ ☆

今回の写真は三枚とも京都の街中で撮影。
上の二枚はこの前の夜行列車の写真と同じコンタックスT3に入れていたフィルムに収めていた写真です。
最初のはなんだか切り絵みたいになってるけど、これ、フォトショップで加工したわけじゃなく、フィルムの段階でこういう写り方になってました。大体撮ってる時も日の当たる場所と影のコントラストがきつい場所で、そういうのを撮ろうと思ってシャッター切ったんだけど、もう少し柔らかい感じを想定してました。
おそらく撮影時の露出を日向に合わせすぎたのかなと思ってるんだけど、どうなのかなぁ。ディテールが簡略化されずぎてるようで、そんなにこういうふうに写したいとも思わないんだけど、もう一度こんな画面を撮ろうと思っても無理かもしれない。

加工といえばこれは少しトリミングして、わずかにセピア色を乗せるのに加工したくらいかな。それもラップするように単純に色を乗せてるだけなので、色のニュアンスは均一であまり面白くもない。
モノクロに色を乗せるというのはやっぱり独特の色気みたいなのが出てくることがあるからやってみることは多いです。ただセピア系はノスタルジックな方向へと傾きすぎるからあまり極端にセピア色って言うのは乗せたくないけど。他は意外とブルーとかグリーンが乗ってるモノクロもかっこいいんですよね。アナログ的に印画紙に焼き付ける段階でああいう色を載せるのはできるのかどうか、フィルムは使うけど暗室が必要な焼付けまではやったことがないのでわたしは知らないし、ああいうちょっと特殊な色はフィルムの化学反応的な過程しゃなくてひょっとしたら写真の行程とは別系列の、印刷の段階での加工の結果なのかなとも思うけど、ともあれ色つきのモノクロとしてはブルーとかグリーンは一見不自然に見えそうだけど、イメージとしては嫌いじゃないです。

あとトリミングは絶対に嫌って言う派の人と必要ならやるって云う派の人と二分しそうです。フィルムで撮ってる人は、たとえばハッセルのフレーム枠にはちょっとだけ切り欠いた部分があって、写真の周囲のその部分もみせることでトリミングしてないと暗に意思表示したりすることがあるんだけど、トリミングに抵抗感がある人が多そうな感じがします。
わたしもどちらかというとやりたくない派で、できるだけ撮った時の状態、判断を重視したいほうなんだけど、まぁそれは結果次第で、トリミングしたほうが面白くなりそうっていう場合はあまり躊躇いなくやるほうかも知れないです。
でも形は整うんだけど、トリミングをやりすぎると写真全体の勢いが失われると言うことは結構あるような気がします。あまり整ってないけど最初に撮った状態のほうが写真としては生き生きしてるとか。
こういう判断は難しいです。


空が落ちる
空が落ちてきそうだった日
2014 / 12 / Fuji Natura Classica + 28mm-56mm f2.8-5.4 / Ilford XP2 SUPER


何もわざわざナチュラ使ってこんな暗い写真撮らなくても。

夏の気分なんかどこ吹く風と云わんばかりの陰鬱な写真で今回は締めくくり。
次回はもうちょっと溌剌とした写真でいってみようかな。



☆ ☆ ☆





ストラップはこれ。150センチなんていう長さのものは意外とないので、色々と余裕をもって使える感じでした。でもこの一般的なストラップの形の、固定するやり方はやっぱり調節がしにくいし、他のカメラに付け替えようとした時はかなり面倒です。デジカメ使ってる人はあまり付け替えないのかな。
革のストラップはワンタッチで付け替えられたりして使い勝手がいいんだけど、上に書いたように汗に弱いし、おまけに高価。もともとブランドのロゴなんてどうでもいいほうなので、ストラップはこういうので十分かな。







夜を行く + Harold Budd - Bismillahi 'Rrahman 'Rrahim + ヴォルフガング・ティルマンス展開催中。

夜行

2015 / 04 / CONTAX T3 + Carl Zeiss Sonnar T* 35mm f2.8 / Kodak Tri-X の自家現像






中庭
中庭
2014 / 01 / Olympus OM-1 + G.ZUIKO 50mm f1.4 / Kodak Tri-X



連日予報は37度、実際には39度くらいまで上がった日もあるようで、とてもじゃないけど昼日中、太陽が思い切り顔出してる時に歩き回るのは無理。一時間ほどが限度じゃないかなぁ。そのくらい炎天下で歩き回ってると頭のなかは「暑い暑い暑い暑い暑い」とたった一つの言葉で埋め尽くされてしまって「写したい何か」とか「かっこいい配置」とか、そういった言葉の入る余地が無くなってきます。
梅雨が明けてから暑い中歩き回るのに負担を減らそうと、ホルガだとかダイアナだとかもう軽い軽いプラスチックカメラを提げて歩いてるんだけど、この夏の暑さと云ったら、プラスチックで出来たカメラが、このまま提げてると熱で溶けてしまうとか、変形してしまうんじゃないかとか心配になってくるくらい酷い体感で迫ってきます。いくらトイカメラ、今のところヴィレッジヴァンガードのアウトレットで7割引の2000円程度で買えるとはいえ、溶けて変形してしまうのはやっぱり悲しい。7割引といえば同じヨドバシカメラのカメラ売り場ではホルガ、ダイアナ、両方とも定価で売ってるんだけど、同じものが2階下に行くだけでこんな値段で売ってるって気づいてる人多いのかなぁ。
まぁそれはともかく、37度なんていう、熱のある汗ばんだ病人に、合わさる肌は全部ぴったりと密着するかのように抱きつかれ絡みつかれて、熱っぽい息を首筋に延々と吹きかけられてるような暑さはとにかく耐えがたく、写真撮りに出かけても上に書いたように1時間も歩いてればもう写真とかどうでも良くなってきて退散って云うようなことを繰り返してます。これ以上遠くに行ったら帰りの行程で絶対に熱中症になって倒れると危機感を覚えさせるターニングポイントまでの距離もとても短くなってる。
でもいくら暑いといっても、こんな気分に持っていかれるのは今年の夏が始めてで、若干自分でも戸惑い気味だったりします。数年前夏の大阪港で暑い暑いといいながら暗くなるまで写真撮ったりしてたのに、一体どうしてしまったのかなぁ。
こういう気分の動きは自分でもちょっと気に食わない。
どうしてしまったのかと思い煩うより、まぁそんなこともあるわなぁと軽く受け流して、そのうちこの暑さも静まってくるだろうから、そうなればきちんと夏の写真も撮っていけるように持っていきたいな。


☆ ☆ ☆


本当は漢字二文字で「やぎょう」としたかったんだけど、漢字にしてみると、写真も電車の写真だし夜行列車の連想のほうが近い感じもあり、「夜行」ってあのハードボイルドの人がいかにかっこよく駅弁を食べるかで四苦八苦する漫画を思い浮かべたりするから、そういう連想から離れるために、漢字二文字をちょっと砕いてみました。でもこれもかっこいいかな。

フィルムカメラは大体どのカメラも夜の撮影は苦手なところがあります。ストリートスナップのように手持ちで行こうとすれば夕方薄暗くなってくる頃が限界なんじゃないかと思います。
だからあまり夜には撮らないんだけど、それでも験しに撮ってみることもあって、今回のもそんな気分で撮ってみたものです。思う形で撮れるのなら夜になってもシャッターを切ってみたい。
撮ってみると手持ちでも意外と撮れるというか、ぶれたりすることをあまり厭わなければ、結構大丈夫って云う認識に変わりつつあります。カラーのネガフィルムは光量が不足すると色が濁ったりまともに出なくなったりするけど、モノクロフィルムはそんな風に意図しない形で画像が破綻することも少なく、増感もしやすいし、夜を行くような時には結構使いやすいんじゃないかと思います。
と云っても街中で夜となれば、夜の光景を演出してるところとか繁華街以外では明かりも極端に少なくなって、撮りたいと思うところもそんなに云うほど多くはないんだけど。

最初のは近鉄の東寺駅。ゴダールの映画「アルファヴィル」の冒頭で夜の中の高架を走る電車が出てくるシーンが結構好きで、この近鉄の高架も自分の中ではゴダールの映画とちょっと重ねてみてるところがありました。

☆ ☆ ☆


Harold Budd - Bismillahi 'Rrahman 'Rrahim

ブライアン・イーノがプロデュースしたオブスキュア・レーベル全10枚の掉尾を飾ったレコード、ハロルド・バッドの「パビリオン・オブ・ドリームス」の一曲目。ハロルド・バッドが一般的に名前を知られることになる最初のレコードだったと思います。
環境音楽と言うか、ブライアン・イーノはこれに続いてアンビエント・シリーズに発展させて、アンビエントはそのままジャンルを形作ることになったから、その祖形としての位置づけになるレーベルでした。物凄く重要な、でもたった10枚で完結したシリーズで、ここからは他にもペンギン・カフェ・オーケストラとか、マイケル・ナイマンとか、面白いミュージシャンが多数出てきました。

静かで瞑想的で、イーノは環境の中に流れていても耳を引かない音楽って云うような言い方を後にしてたと思うけど、これはメロディアスで十分に耳をひきつけるんじゃないかと思います。そういう意味では聴きやすいし、オブスキュアのミュージシャンの中でも、のちにまたイーノと組んで、わたしはこれも大好きなんだけど「プラトウ オブ ミラー」なんていうレコードを出したりと、1レベル上くらいの知名度になったのも納得する感じ。

それとここでは何度も書いてるんだけど、オブスキュア・レーベルに使われていたジャケット写真が凄く印象的で、今でも大好きです。
なぜかCDになってから違うイメージの外装になってしまってるので、これは元のジャケットの写真に戻して10枚組のボックスセットにでもして欲しいです。レコードの時に10枚全部を聴いたわけじゃないので。






これ日本盤は出てないのかなぁ。探したけど見つからなかった。わたしが持ってるのもCDはこれで、このオリジナルじゃないジャケットのもの。このジャケットはつまらない。



☆ ☆ ☆


もう一つ、これは情報だけなんだけど、現在、大阪の国立国際美術館でヴォルフガング・ティルマンス展を開催中です。どうも今回のティルマンスのこの展覧会、巡回するんじゃなく、ここで一回きりで終了の展覧会のようです。ここの展覧会は京阪の駅に告知されるのが常なんだけど、なぜか今回の展覧会は始まるまで気がつかなかった。
90年頃のRaveシーンの若者たちのポートレートで注目された写真家だけど、わたしの場合は相変わらずポートレートはよく分からず、普通のスナップ的な感覚で撮ってる写真のセンスが凄い好きな写真家といった位置づけです。
期間は9月の23日までと言うことで、何だか目録が8月中旬の入荷ということらしく、ならば暑い時に動く気にはならないから、目録も入荷してるだろう9月にはいってから見に行こうと思ってます。
それにしてもこういう展覧会は京都ではあまりやらないというか、ルーブルがどうしたとか、それもまたいいんだけど、今の時代の活きの良い展覧会ももっともっと京都でやってくれないかな。





初期の3冊の写真集をコンパクトにしてセット化したボックス。
本の大きさは若干小さくなったとはいえ、しっかりした箱に3冊が収まってる様子はなかなか存在感があります。
のちにオリジナルのでかい写真集も見ることがあって、やっぱ大きいほうが良いなぁと思ったものの、このセットは印刷も紙質もいいし、おまけに安い。コンパクト版もそんなに捨てたものじゃないです。


街の肖像画#15 影二題 木陰を行く 影とソファ + Alain Delon - LAETITIA

夏の日差しの中で
木陰を行く
2014 / 08 / CONTAX T3 / FUJI SPERIA PREMIUM 400





ソファ
ソファ
2014 / 06 / FM3A / FUJI PRESTO 400 自家現像




影絡みの二枚の写真。両方とも去年撮ったもので、最初のなんかは今くらいの季節に出すと夏を先取りしてるように見えて実は周回遅れの夏のイメージだったりします。
最初のは俯瞰好きの血が騒いだのと、派手な影だぁと舞い上がって撮ったものなんだけど、冷静に見ると木の影の様子は全体的に煩雑になりすぎてるし、形もよくないなぁという感じに見えてきた写真でした。何だか全体にくどいし、これ見よがしにすぎる。
それとわたしは高所恐怖症で二階のベランダから表の通りを見下ろしただけでも足が竦むのに、なぜか写真撮る時は高いところに登ろうとするんですよね。俯瞰の絵は説明的になりすぎるところがあるのに、そう思ってるから地表に足をつけて撮ってる時は誰が説明などするものかと、そういうのは極力避けようとしてるのに、高いところがあればそこで撮りたくなてくるのはなぜなのか自分でもよく分からない。撮ってる時はまるで考慮の外にあるけど、後で思い返すとあまり怖いとも思ってないようだし。

写真は光で撮るものだから当然影も撮る対象となって、奇妙な影というのも食指が動きはするものの、どちらかというとそういうのよりも微妙にニュアンスのある影のほうがやっぱり撮ってみたい対象ではあります。

それにしてもまだ夏本番でもないのに、既に酷暑といってもいいくらいの暑さになって、なんだかちょっとカメラ持って出歩く気分が押され気味になってます。山科の坂道や長い疎水道を延々と歩き回って見飽きたところもあったり、歩き続けて今ちょっと足の調子がよくないことも関係してるのか、さて今日はどんな写真が撮れるだろうとワクワクする気分が顔を覗かせることはあっても、その顔は若干俯き気味って云う感じです。

足のほうは、酷ければ整形に行くしまぁそのうち調子は戻ってくると思う。暑さも体が馴染んでくればそれなりに気分の建て直しも出来ると思うので、後は見飽きてしまった撮影してる場所かな。この前も書いたと思うけど、見慣れすぎた場所というのはやっぱり刺激に乏しくなるのは確かで、見たこともないような場所へ行ってみるのは有効な手段になるはす。
でも特殊な被写体に依存しないという撮り方をしてると、見慣れない場所で見慣れた世界の写真を撮るなんていうアクロバットのような撮影になりそうです。


☆ ☆ ☆


Alain Delon - LAETITIA


ロベール・アンリコ監督の映画「冒険者たち」のフランソワ・ド・ルーベによる音楽。アラン・ドロンが歌ったこのバージョンが映画の中で流れたかどうか記憶にはないんだけど、口笛が奏でるこのテーマは凄い好きでした。特にラストシーンで廃墟になった海上のボワヤール要塞の空撮シーンで回転しながら遠ざかっていく要塞をバックに,、これはピアノ・バージョンだったけど、この曲が流れるのが印象的。
で、エンディングで流れるからこれがこの映画のメインテーマかというと、実はメインのテーマは別にあって、そっちは結構サスペンスフルな音楽となってます。途中から物語にギャングが絡んでくるからなんだと思うけど、今になってみるとこの映画の印象はギャングがらみの部分でもないから、こっちの曲のほうが映画の顔になってるんじゃないかと思います。

映画もフランス映画全盛の時の一本って云う感じかな。見果てぬ夢を追う男二人と女一人のかすかに恋愛感情が絡む友情のお話。友情の上に乗った危ういバランスの恋愛感情とそれぞれの夢の行き着く果てはあまりハッピーエンドでもないんだけど、涙腺崩壊する悲劇という閉め方じゃない、余情たっぷりのロマンチックな映画でした。
映像がやっぱりフランス映画という感じで、綺麗だったような記憶があります。
フランス映画のような撮り方の写真とか、おしゃれな写真が出来上がりそう。