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木霊

川面
2016 / 01 / OLYMPUS PEN F + E.Zuiko Auto-T 100mm f3.5 / Lomography ColorNegative 400





フレーム
2016 / 01 / OLYMPUS PEN F + E.Zuiko Auto-T 100mm f3.5 / Lomography ColorNegative 400





不気味なキャベツ
2016 / 01 / OLYMPUS PEN F + E.Zuiko Auto-T 100mm f3.5 / Lomography ColorNegative 400





蠢く
2016 / 01 / OLYMPUS PEN F + E.Zuiko Auto-T 100mm f3.5 / Lomography ColorNegative 400


5日の土曜日にPCの修理の約束。さてこれをアップする頃には全部片がついてるとは思うけど、これを書いてる今は修理に来てもらう前に部屋の整理をしておかないといけない事態に直面してる。でもこれがまた大変。なにしろ床の上に足の踏み場もないほど本だとか何だとかが積み上げてある。最低でも修理作業が出来るくらいの何もない空間を確保しておかなければならないと思いつつ、部屋を埋め尽くすいろんなものを移動させてるけど、15パズルでさえも必ず用意してある一マスの空間を確保するだけでも頭を捻るような様相で途方にくれる。
小奇麗に整理するまではとてもじゃないが無理な感じで、作業空間を空けるだけの整理となりそうだけど、一度しか来ない修理の人にいいところを見せても仕方ないので、もうこの見栄え関係なしの一時的な整理の仕方でいいかと開き直ってる。
コレクション癖があるのは認めるけど、そんなにマニアックでもないし、悩みなく収納できるような広い家に住んでるわけでもないから自然とブレーキがかかるようなところもある。でもその程度の嗜好でもいつのまにやらこれだけのものが集まってしまうんだと、我ながらちょっと感心してる。必要最小限の家具しか置かないで無印の広告にでも出てきそうな部屋に住んでる人とか、まるでものを集めたりはしないんだろうか。それは物質に捉われない確かにシンプルな生き方で身軽ではあるかもしれないけど、多少は個的空間を傾向付けるような雑多なものでもないと、生活をしていてつまらなくはないんだろうか。と、なかなか身軽になれない者としての自己正当化をしてみたりもする。

☆ ☆ ☆

幽霊ときたら、中学生の頃に北杜夫の小説が好きだったわたしとしては木霊と展開していく以外に選択肢はない。このところブックオフでの100円文庫漁りのリストに北杜夫も入っていて、何冊か買いなおしたけど、「牧神の午後」とか文庫で出てなかったのかな、全然見当たらない。わたしには中学の頃に結構好きで読んでた作家だった。この年代に北杜夫の本を読んだと言う人は特に理由はないけど多そうな感じがする。でも反対に大人になってから読む人はそんなにいないかもしれない。
ちなみに最近見つけたら買ってるのが谷崎潤一郎の文庫。意外と読んだ気になっているだけで実際には読んでない作家の扱いになってる人は多そうな気がする。わたしも「途上」だとか「柳湯の事件」だとか谷崎潤一郎が書いたミステリ的なものはよく読んでいたんだけど、それ以外はあまり読んでないのに今更の如く気づいたりしてる。「陰影礼賛」なんて写真的興味で読んでみたら、何か発想の役に立つものでもあるかもしれない。
「柳湯の事件」の不気味さは感覚としては今回の写真の4枚目に近いところがある。同じ範疇にあるような感覚を写真に取り込んでみたいというほどに、個人的にこういう感じはやっぱり無条件で好きなんだと思うし、こういう感覚的なものを拾い上げられる作家の感性は、他のも読んでみると結構夢中になるかもしれない。


今回の写真は木霊なんていうタイトルをつけてみたけど、それっぽいのは最初のだけかな。真冬のほうが良かったかもしれない。
最初のははるか上空から大陸の海岸線でも望んでるような感じにも見える。
2枚目のは手前の曲線と背後の直線の対比みたいな感じで撮ろうとしたものだけど、あまり際立った感じにはならなかった。パターンを見つけたりといったような、ラインの整理はまるでする気がなくて、それでも混沌としたパワフルなイメージにもなってないなぁ。
3枚目のキャベツ畑はなんだか薄気味悪い。ずらっと並んで画面を埋め尽くしてる様子や若干転び気味の色の感じでそんな風に見えるんだと思う。青白く生気のない血管のような葉脈に包まれて、キャベツってこんなに気味悪いものだったんだと認識を新たにするかもしれない。まるでエイリアンの卵の集積所。
最後のは普通に言うと失敗写真なんだけど、荒れ具合、破綻具合がそれなりに意図に沿ったイメージになっていたもの。単純にいうと露出不足で色の出方がめちゃくちゃになってるのと粒子が極端に荒れてしまってるのと、さらに不出来なネガをスキャンしたためのノイズが混じってこんな感じになってる。
でも、これがまた意外なほどにシュルレアリスティック!

フィルムを使った時の予想もしないイメージの荒れとかは単純に失敗とすることもない。サラ・ムーンなんかは積極的にフィルムに物理的、化学的ダメージを与えたりしていたようだし、考えようによっては千切れでもしない限り、失敗したフィルム写真なんて本当はどこにも存在しないのかもしれない。






この前カメラの中で千切れてしまったフィルムがこれだったんだけど、結局それ以降も使ってる。何しろ安いしフィルムの画質としても、多少は色のりが悪いときはあるけど、コダックなんかに比べて安い分だけ落ちてると言う感じもしない。というかロモが自社でフィルムを生産してるとも思えないし、ロモのモノクロはフォマのものらしいから、このカラーネガもコダック辺りの低価格フィルムのOEMなんじゃないかなと思ってる。千切れたトラブルはあの時一度だけだったから、あの時のフィルム個別のトラブルだったんだろうと、希望的な観測で捉えてる。
ちなみにロモのカラーネガで感度100のものは色調や画質も積極的に好きな部類に入ってる。


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真冬 1

枯れ野
2016 / 01 / OLYMPUS PEN F + E.Zuiko Auto-T 100mm f3.5 / Lomography ColorNegative 400





壁に描かれたものたち
2016 / 01 / OLYMPUS 35DC +F.ZUIKO 40mm f1.7 / Lomography ColorNegative 400





絡み合うライン
2016 / 01 / PENTAX K100D SUPER + SMC PENTAX-A 50mm f1.7





水路
2016 / 01 / OLYMPUS PEN F + E.Zuiko Auto-T 100mm f3.5 / Lomography ColorNegative 400


基本的にテレビの連続ドラマは何しろいいところで終わって先が見たいのに来週まで待てと言う不遜な態度が気にくわなくてほとんど見てないんだけど、大河ドラマだけは別でこれは数年前のから律儀に一年付き合ってみてる。
去年のは主役級の登場人物がまるでリレーをしてるように交代していく、たとえば最初の中心人物だった吉田松陰はあまり回を重ねないままに刑死、次に主役に躍り出た久坂玄瑞は、何しろヒロインの旦那だからこれはきっと物語を牽引していく人物だろうと思ってたら、意外なほどあっさりと自刃して退場、さらにその後をついで中心になりそうだった高杉晋作も幕府の長州征討に立ち向かう見せ場の後はあっという間に病死と、ヒロインが真の主役だとは頭の片隅では理解していたし、史実もそういうものだったと分かっていても、何だかとてもシュールなドラマだった。
で、今年の大河の「真田丸」
堺雅人のまぶしそうに目を細めるにやにや顔とか、この人こんな顔ばかりだと、一本調子の顔芸が鼻について駄目かと思ったけど、混沌とした世で人の流転する運命を見せるお話はやっぱり動的なストーリー展開でかなり興味を持ってみていられる。ヤクザ映画でならした寺島進がこれまたとんでもないほど甲冑が似合う古武士然とした雰囲気でかっこいい。なんだか他の役者が、上手い下手というレベルじゃなくて、みんなどことなく現代人のふやけたような印象を拭いきれない中で、一人だけ本物の武士が混じってるような雰囲気を身に纏ってる。
この寺島進と真田家の棟梁である草刈正雄が仕組んだ、自らの息子までも巻き込んで騙しにかかる策略の回辺りで、なにこれ面白い!となって、不遜な態度のテレビはひとまず脇に置いておいて、とにかく先の展開が知りたいと、原作でもないのかと探してみた。三谷幸喜のオリジナル脚本のようでこれが原作と言うのはなさそうだったけど、おそらく三谷幸喜も脚本執筆に関してかなりインスパイアされてるに違いない池波正太郎の「真田太平記」というのがあるのを知った。
文庫で出ていて、全部で12巻。
文庫と言えばアマゾンの1円のものかブックオフの100円のものが自分の基準になっていて、よほどのことがない限りこれ以上の出費をする気にはならない。そこでその範囲で売ってないか調べてみたら、アマゾンで見つけた古本は全部定価の半分くらいの値段、ブックオフは普段立ち寄る大半の店で、そもそも真田太平記自体棚に並んでないというような状況だった。
そんななかである日、河原町オーパの上のほうにあるブックオフの100円コーナーに全巻並んでるのを発見、見つけた♪と思ったけど、他に買おうと思った嵩張る写真集も手にしていたので、全部買うのは荷物になると、その時はとりあえず三巻だけ買ってみることにした。
それで何日か後に続きの巻を買おうとまたオーパに立ち寄ってみれば、なんと真田太平記のあったところがごっそりと抜けて、池波正太郎のほかの文庫が陣取ってるような状態となっていた。まぁ手に入れた三巻読み終えてのことじゃないし、三谷脚本とは違う語り口調に三巻読み終わる前に飽きてしまうと言う結末も考えられるから、買った三巻を全部読んでからにしろという神様のアドバイスなのかもしれないけど、まさか数日のうちに、数冊と言う規模じゃなく、残り全部が買われてしまってるとは思わなかった。買った人、これが大河の原作だと錯覚して買ったのだろうか。買ったはいいものの一巻から三巻まで抜けていて、この開幕の三冊だけ買ったのは一体どんな奴なんだ、おかげで全部揃わないじゃないかと思ってるかもしれない。
河原町オーパの100円コーナーにあった真田太平記の残り全冊を買った人がわたしのこのブログを見る可能性は0に近いだろうけど、もし見に来たなら、全巻揃いを中途半端な形にした張本人がここにいると分かるんだけどなぁ。何とかしてここへ見に来ないかな。

ちなみに大河の原作と思ってる人が多くて売れてるのか、今のところブックオフではこのオーパの一度っきりで、わたしがよく行くほかのブックオフでは置いてあるのを未だにほとんど見たことがない。

☆ ☆ ☆

時期的には全部今年の一月に撮った写真で、真ん中の壁の花の絵と絡み合うラインの写真以外はもう一度虚空を撮りに行ったフィルムから。
真冬って言うタイトルはつけてみるとちょっと気に入ってしまった。壁の絵の写真や線の写真もこの中に入れてみるとどことなく冬の変奏曲のようにも見えてくる。撮影時、特に冬を意識したり、冬そのものって言うような風物を取り込んだりはしなかったけど、最初の写真を見ていてその色合いから思いついたにしては、カバーする範囲が広そうだ。
もっともタイトルだとか、そもそも不必要と言う考え方が以前にも書いたようにわたしのなかにあって、気に入ったとは書いてるけど、つけないでいられるならそのほうがいいのかもしれないとは思ってる。

それにしても最初の枯葉の堆積物はどうしてこんな灰青色の色合いになってたのかなぁ。こういう色になっていく枯葉とかあるんだろうか。小椋の干拓池は広大な農地だから、ひょっとして何か農薬でも振り落ちてきた結果なのかな?
絡み合う線の写真は工事中の遮蔽幕だった。手前に柵があるけど、こういう柵とか金網とか、最近はあるのなら一緒に写してしまおうと、何とかして排除しようっていう気にならなくなってる。これは曲線直線、実像影像、ランダムに入り乱れてる感じで撮ろうと思ったから、なおのこと柵が邪魔だとは思わなかった。

☆ ☆ ☆

虚空に消えたフィルムの撮り直しとして始めたフィルムだったけど、結局新しく撮ったりした写真のほうが分量的にも多くなったようで、今回の青白い枯野の写真も虚空のフィルムでは撮らなかったものだし、これはこれでいいと思ってる。結局何をするにしてもやってしまうと前に進んでいく。ただその場で繰り返すつもりであっても、それなりに前へ、あるいはそれは必ずしも前とは限らないぞと言うなら、それなりにここじゃないどこかへ進んでいくというのがよく分かった出来事だった。それに今回撮ったもので思うようにピントがあってなかったり、何しろハーフサイズで撮ってたから、中判くらいで撮った方が絶対に相応しいって言うようなモチーフもあったりして、また思うような形でもう一度撮ってみたいなんてことを考え始めてる。写真は一期一会、その写真は一度しか撮れないから、もう一度撮る必要はないと頑なになる必要もなく、すべては複雑に絡み合う因果の編目を渡るように、こういうのは直感に従って流動的に行動していけばいいんだと思う。


夏のスケッチ + Saul Leiter - early color

sale
sale
2015 / 09 / Olympus Pen F + F.Zuiko Auto-S 38mm f1.8 / Kodak SuperGold 400




渡辺橋1
on the corner
2015 / 09 / Olympus Pen F + F.Zuiko Auto-S 38mm f1.8 / Kodak SuperGold 400


ジャズの曲名でタイトルをつけようと思ったけど、関連付けられそうなタイトルなんていう縛りをかけたら、マイルス・デイビスのアルバムのタイトルを思いついただけで、他はまるで頭に思い浮かばない。saleのほうはlove for saleなんていうのが頭に浮かんだけど、単に単語が一個、一致してるだけでした。
ジャズのお気に入りのアルバムをピックアップして、そのアルバムに収録されてる曲、全曲のタイトルからその曲の数だけ何か写真を撮ってみるっていうのも思いついたものの、こんな体たらくではあっという間に却下となりました。
わたしの大好きな曲「My Foolish Heart」、このタイトルだけでも写真にしろといわれたら途方にくれるばかりとなるのが目に見えてます。そう考えたらレコードのジャケット作ってた人とか、凄い才能だったんだなぁと今更の如く感心します。

☆ ☆ ☆

前回のフィルムの続き、同じくPen Fで撮っていた写真。
ティルマンス展に行った日以降に、またあの辺りへ出かけて撮ったものです。
最初のショーウィンドウの写真が、写ってるものはなんてことのないものなんだけど、何か雰囲気があってお気に入りです。コーナーの俯瞰写真はかっこつける方向としては結構ありきたりな感じがするかな。

☆ ☆ ☆

フィルム機のPenはレンズ固定のレンジファインダーが中心の展開になっていたけど、一機だけレンズ交換可能な一眼レフタイプの「F」というのがありました。

ペンF

その一眼レフタイプのPenにもいくつか世代があって、わたしのFは初代のモデルです。初代の特徴はボディにFのアルファベットの花文字が刻み込まれてること。初代は二回巻き上げしないと撮影できなかったり、露出計がついてなかったりするモデルだからあまり人気が無いようだけど、露出は単体の露出計を持ってるからそんなことはまるで問題にならず、露出計を持ってなくても晴天順光は感度400でシャッター1/1000、絞り8を基準に日陰なら三段開くとか、体感露出で撮ることができる。二回巻き上げも、だからといってどうなんだといった程度のことなので、その程度の違いしかないんだったらこの花文字がついてる機種のほうが持つには絶対にいい。装飾的で持っていて楽しい。わたしは装飾的なものとかわりと好きなほうで、クラシックカメラだと、Exakta Varex VXなんかが一度持ってみたいカメラです。まるでアンティークの道具みたいで、なおかつメカニカルな、スチームパンク・カメラ。
塗装がはげてたから手を出してないけど、京都のカメラのナニワに委託品が一台置いてあるのを知ってます。

ただPenFはレンズ交換ができるといっても、なぜか今の時代レンズそのものが、終わったシステムとしてはかなり高価になっていて、特に広角のものなんかは手が出しにくくなってます。レンズそのものもそれほど市場で見たことがないし、ひょっとしてアダプターを介してデジカメで使うために買ってる人が多いのかなぁ。
だからわたしの場合はレンズ交換できるといってもPenFのレンズはこの標準のと、なぜかこれだけは安価で売ってる100mmの望遠レンズしか持ってません。でも、広角は今もって惑うことのほうが圧倒的に多いわたしの撮り方でいくと、これで十分っていう感じです。

デジタルのPenも、説明書を最初のほうだけ読んだまま放置してるのを一台持ってます。これはでも名前と全体のカメラデザインを受け継いでるだけで、ごく普通のデジタルカメラだし、ハーフカメラとしてのPenはやっぱりフィルムカメラとして存在し、終焉したといってもいいんじゃないかと思います。
だって一番の特徴である縦位置のファインダーがデジタルには実装されてないんだもの。縦構図の対象化こそがハーフカメラのレゾンデートルだと思ってるわたしには、これはありえないです。
とはいうものの、たとえデジタルのPenでオリジナルPenの完全再現とばかりに液晶が縦位置になっていたとしても、馬鹿げてるからわたしは手を出さないと思うけど。

☆ ☆ ☆

このところPenの話題に絡めて、縦構図縦構図とやたらと口にしてるので、縦構図の魔術師、というほど大げさでもないんだけど縦構図好きの琴線に触れるに違いない写真集を一冊。

アーリーカラー1


アーリーカラー2

ソール・ライターの1940年代中ごろから60年代にかけて撮られたカラー写真を集めた写真集、「アーリー・カラー」
ソール・ライターはアメリカの写真家で、もとはファッション写真の分野で仕事をしていた人。でもファッション写真の業界というか写真のあり方に馴染めないところがあって、しだいにその分野から身を引くようになり、やがて表舞台からは消え去ってしまうことになります。もともと名声とか写真家としての成功などにほとんど関心がなかったとも云われてるけど、そういう気質も自らフェードアウトしていったことに関係していたのかもしれません。
再評価のきっかけになったのがこのシュタイデル社が出版した「アーリー・カラー」という写真集で、この本はなかなか手に入らない希少本になってたんだけど、今は再刊されて手軽に手に入れられるようになってます。ちなみにシュタイデル社はドイツの小さな出版社。世界一美しい本を作ると云われる出版社で、ここから著名な写真集も数多く出版されてます。
写真集ってかなり有名な写真家のものでもあまり売れないのか、大抵初版だけ、それを逃したら手に入れるのがかなり困難になるというのが多いです。そんな中、ソール・ライターのこの写真集は再版されたわけで、一般的に今でも名前はほとんど知られてはいないと思うんだけど、一部ではあれ伝説的な写真家としての熱狂的な支持はあったんじゃないかと思います。わたしはまだ見たことがないんだけどソール・ライターのドキュメンタリー映画「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」というのもあるそうで、こんな風な映画って思い入れのある人がそれなりにいないと作られないです。

写真の特徴はとにかく縦フレーム。もちろん普通の横長フレームのもあるけど、印象的なのは圧倒的に縦長のフレーム。
そしてその縦構図の中に詰め込まれた、斬新な構成力といったところかな。
切り取り方はかなりユニークで洒落たものがあり、こんな撮り方は思いつかない、なんてかっこいい把握の仕方だろうって思いながらちょっと嫉妬心交じりでページを繰るような写真集でした。被写体はほぼ全部が都市、おそらくソール・ライターが生活していたマンハッタンだと思うけど、そういう都市の詩情とでも云ったものを、ユニークな視点で切り取ってます。詩情あふれるといっても、絵画的な構成力だとか色の配置だとかが最前面に出てるから、被写体の内情にあまり深入りしないような、硬質のリリシズムといったものに留まってるのもわたしのお気に入りのところ。
反面、被写体の変化は乏しく、おそらくソール・ライターの好みなんだろうけど、水気で曇った窓越しとかガラスの反射とか雪の日だとか、わりと大きなカテゴリーで纏められるようなところもあって、ユニークなんだけどイメージの展開はちょっと単調という印象もある写真集でした。

わたしはもう一冊ソール・ライターの本を持っていて、これは写真だけじゃなく活動の全貌を俯瞰するような本で、写真集としてみるにはかなり不足感のあるものだったんだけど、この本にはソール・ライターの描いた絵画も纏められてました。
ソール・ライターの出発点は写真じゃなくて絵画。もともとニューヨークへ行ったのも画家を志してということでかなり絵画志向があります。
絵画のほうは、同じく絵画志向の写真家で、モノクロが当たり前だった作品的な写真にカラーを使うことを一般化させたニューカラーのウィリアム・エグルストンが描いていたような、気まぐれで得体の知れない抽象画といった印象だったけど、明示されないまでも写真のほうにもその志向は確実に出てきてると思うし、わたしがソール・ライターの写真に惹かれる大きな要因になってるんだろうと思ってます。






数点だけだけどこの「アーリー・カラー」の写真を紹介したものがYoutubeにありました。ビル・エヴァンスの音楽付きで、音楽がつくと詩情倍増って感じになりますね。










☆ ☆ ☆

締めにもう一枚。

ラバーダック2
ラバーダック
2015 / 09 / RICOH GR Digital 3 + GR LENS 6.0mm f1.9


今回はこれでお終い。




アウトスケールステーション + ラバーダックを見に行って来た。

空中回廊
空に架かる回廊
2015 / 07 / Olympus Pen F + F.Zuiko Auto-S 38mm f1.8 / Kodak SuperGold 400


今年の夏の初めに久しぶりにハーフカメラのPenFにフィルムを入れて、京都駅で撮った写真。結局夏の間は暑すぎて、PenFはこの時京都駅で数枚撮っただけで、後は暑さで溶けようがどうしようがあまり気にもならないと思っていたホルガに、でも落としてみるとたかがおもちゃのカメラなのにそれなりにショックだったホルガにバトンタッチ。京都駅の数枚で中断したこのフィルムの続きを撮り始めたのは9月にはいってからでした。フィルムを眺めてみると、この後明治天皇陵やティルマンス展に行った後で渡辺橋から淀屋橋、梅田など、あの辺りを再訪して撮ってた写真が並んでます。24枚撮りを入れても倍の50枚近く撮れるので、その分撮り終わるのに時間がかかり撮った写真をなかなか見られないという、便利なのか不便なのかよく分からないフィルムカメラです。
一応これで夏の間にカメラに入れたフィルムは全部撮り終えたことになります。今年の夏の始まりと締めを担当したのがこのカメラって云うことになりました。結局この夏はフィルム何本撮れたのかなぁ。

と思って数えてみたら、ブローニー合わせて8本くらいでした。二ヶ月でこのくらい、暑さと悪天候でほとんどカメラ持って出かけてないような印象だったけど、そのわりには、多くはないんだけどそれなりに消費してました。ただ春先からの迷いは今も続いてるから、納得がいかない写真の数はかなり多い結果ではありました。


音楽
陽射しのリズム
2015 / 07 / Olympus Pen F + F.Zuiko Auto-S 38mm f1.8 / Kodak SuperGold 400

久しぶりにハーフで撮ったコマを眺めてみると、ライカ判のものよりも若干幅が広いんですね。縦位置はこのくらい幅があったほうが安定感がありそう。
それとハーフカメラはファインダーがデフォルトで縦位置になってます。こういうファインダーのカメラを使ってると、どうしてなのか意地でも縦位置で撮ってやろうと思い初めて、たまに横長で撮ると、この場合カメラは外見的には縦位置で撮ってるような構え方になるんだけど、何だか負けたような気分になるというか。変な感じです。
上に書いたフィルムが倍撮れるなんていうのはハーフカメラに人気があった当時にはメリットだったかもしれないけど、今となってはまるで意味が無いといってもいいかも知れず、だからあえて今ハーフカメラを使うということの意味合いなんかを考えてみると、ひょっとしたらこの縦位置での撮影に自覚的になるという辺りにあるんじゃないかと思ったりします。

それにしても壁に投影される影とかやたら撮ってます。その写真に封じた空間の感触だとか生成されるものはそれぞれ違うんだけど、我ながらもうちょっと工夫すればいいのにと思わないこともないです。


☆ ☆ ☆

18日から中之島でラバーダックが出現してるらしいということで、ティルマンス展以降、ここで写真撮るのが多くなってるから、一度見たかったこともあって見物に行ってきました。

ラバーダック
ラバーダック
2015 / 09 / CONTAX T3 + Carl Zeiss Sonnar T* 35mm f2.8 / Lomography Color Negative 100

川に自由に浮かんで流されてるのかと思ったら、ちょうど薔薇園の辺りに係留された形で川面を彷徨うこともなく、本当のところ川にプカプカ気ままに浮いて橋に引っかかってるような様子が見たかったのでその辺はかなり期待はずれでした。時間とか期日によっては係留が解かれるのかなぁ。
視覚的なインパクトはやっぱり強烈で、周囲の空間を歪ませるくらいの異様な存在感はありました。ちょっとした怪獣映画の中に紛れ込んだような気分を味わえます。でも素材はお風呂に浮かべる小さなラバーダックのものじゃなく、ただの風船という感じ。これはかなり興ざめで、ここはやっぱり本物と同じラバーで作って欲しかった。
一月くらいは展示されるそうなので、その中には係留を解かれる日もあるかも知れず、そういう日に行き合わせたら、橋に引っかかってどうしようもなくなってる様子とか撮ってみたいです。




地蔵盆 +A Pele Do Marfin (Skin Of Ivory) - Buddy Collette

路傍のお地蔵さん1
知恩院付近 2012/01





六角堂で見たお地蔵さん
六角堂 2014/07


八月も終わりに近くなって地蔵盆の季節だから、今回はお地蔵さんの写真。
小さい頃は地蔵盆って全国的な行事だと思ってたけど、どうやら関西が主流というか、ほとんど関西、それも熱心なのは京都くらいの夏のイベントだと知った時は本当に吃驚しました。
お地蔵さんは子供の守り神だから、そのお地蔵さんを祭る地蔵盆は必然的に子供のお祭りになります。今は少子化なんかが影響してたり、わたしが今住んでるところは云うなら新興住宅地といったエリアだから、地域的な結びつきも昔ほどじゃなくて、そういうところは地蔵盆をするにしても簡単なもので済ましてるところが多そうです。でも以前は、それも子供にとっては夏の一大イベントだったりしました。
今住んでるところの地蔵盆は住宅地の中の空き地、舗装してあるけど車が通らない場所にテントを張って一日でお終いという感じの規模だけど、以前に住んでいたところの地蔵盆は路地の空に子供たちが描いた絵を使った大きな行灯を掲げ、日程も始まりの日と終わりの日しかないなんていうんじゃなく、中一日朝から晩まで地蔵盆の日があったと記憶に残ってます。
寺院に祭られてる地蔵菩薩じゃなくて路傍のお地蔵さんのお祭りだから、家と家の狭間に建てられてるような小さな祠を中心に、その前に子供が集えるスペースを作って、そこでいろんなイベントが行われます。おやつの時間だとかお坊さんが読経に来る時にそれにあわせて行う数珠回しの時間だとか、一連の地蔵盆のイベントではクライマックスになる、結局一等賞を一度もひけなかった福引だとか、でもそんなイベントが無くてもそこは子供が集まって遊ぶ、八月の終わりごろに突如として出現する非日常の空間でもありました。

そして、これが終わると夏の終わりが、もっと切実な云い方をすると夏休みの終わりがリアルな感覚となって目の前に立ち現れてくるようになります。最後に現れる非日常な祝祭空間の消滅が、夏の夢の終わりを告げるかのようでした。




☆ ☆ ☆

先日、21日、高瀬川沿いを歩いてると、地蔵盆をやってるところに出くわしました。そういえば高瀬川沿いにお地蔵さんの祠があったと、その光景を見て改めて思い至った感じでした。
地元の人の集まりだったのでカメラ持って輪の中に入り込むことは出来なかったけど、ちょっとだけ写真とってみました。これはすぐに現像できないからここには載せられないけど、上手く撮れてたらそのうち載せてみるかもしれません。

最初の写真はなんだか妙な写り方をしていたもの。フォトショップで加工したわけじゃないです。
木漏れ日が逆光で入ってきたのがこんな感じになって、まるでお地蔵さんが光のベールを纏ってるみたいな写真になりました。
と、自分では納得してるんだけど、でも本当に超常的な写真が撮れてたんだったりして。
二枚目のは右下の白いのがちょっと邪魔でした。これ鉄線に結び付けてあったおみくじの寄り集まったものです。
色ももう一つ冴えない感じ。

最初のがオリンパスのPEN Fで撮ったもの。二枚目のは最近撮ったもので、カメラはミノルタのSR505を使ってます。使ったフィルムはPENのほうは記録してなかったので不明だけど、二枚目のはコダックのスーパーゴールド400でした。凄い豪華な名前のフィルムですが、コダックの中では一番一般的で、安く手軽に使えるフィルムです。



☆ ☆ ☆

A Pele Do Marfin (Skin Of Ivory) - Buddy Collette


チコ・ハミルトンのグループにいたフルート走者、バディ・コレットのボッサのアルバムから。
同じくチコ・ハミルトンの元で演奏したことがあるジャズギタリスト、ハワード・ロバーツとの競演となって、後半になるとバディ・コレットのフルートも歌いだすものの、前半はなんだかハワード・ロバーツのギターのほうが目に見えて活躍して、ギタリストのアルバムのようです。

スムーズで夏の午睡にぴったりの演奏といったところだけど、聞き流し専門の店内BGM的に聴いてみるとちょっと収まりきれないセンスのよさがあって、そういう洒落た感覚が耳に残ります。






ボサノヴァ[紙ジャケット仕様・初回限定生産・初CD化]ボサノヴァ[紙ジャケット仕様・初回限定生産・初CD化]
(2012/07/04)
バディ・コレット

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