2018/03/03
極私的





2017 / 05
Diana Mini
Kodak Tri-X
誰かと共有するつもりもないような極私的な視線。形を成すかなさないかの境界で揺らぐイメージにすらならないイメージ。視線の外周をかすめすぎていく何か。そしてそういう何かを捉えるために焦点をずらす眼と世界。世界は無意味だと、そういう主張をするほどにも意味を持たない、無意味な事物の繋がり渡る集積。後で見て言葉になるのはそんなところなのかもしれないけど、これは本当に後付けで云ってるだけで、撮っている間そんなことを考えてるわけでもないと思う。ぼんやりとした視線ほとんど具体的な事物が目に入らないような半眼で眺める世界の、その世界に茫洋と分け入っていく視線の隅に垣間見えたように思った何か得体の知れないもの。自分ではそういうものの痕跡気配をフィルムの感光面に封じ込めるためにシャッターを切りたいと思っていつもカメラを携えて歩き回ってはいるものの、出来上がる写真の中に見えるものはすべてわたしにとってはいつの間にか既知となったものばかり。期待するのもむなしく得体の知れないものなどどこにも写ってはいない。こういう眼の定めで歩いていると後ろからクラクションを鳴らされるのは常態となってしまって、これは気をつけていないと、とことあるごとに冷やりとして我にかえる。先日四条の十字屋に入ってみて、今はここは一階がカフェ、地下一階が以前の十字屋の面影を少し残す雑貨ショップと成り果てていて、音楽のオーラもほとんどなくなってしまった場所に化してはいたんだけど、まぁそれはともかく何とまぁ様変わりしてしまったものだと思いつつ店内を歩いてる時に目についた12インチのEPレコードのジャケットがあった。エマーソン北村と言うミュージシャンのレコードだったんだけど、ジャケットの写真はどう見てもサブカル狙いの、怪しげで尖がった感性を見せびらかしてるようでどこか薄っぺらい底が見えてるようなものだった。でもこのジャケットでどんな音がおさまってるのかちょっと興味が出てきて帰ってからYoutubeで探してみたら、出てきたのがこういうものだった。
十字屋でみたレコードに入ってるものでもなさそうだったけど、意外と音は、こういうものにありがちなモンドミュージックっぽいところも希薄で、ふわふわした優しげなラウンジミュージックのような雰囲気。このある種気持ちのいい音の連鎖はあのジャケットで妙な期待を抱いてしまうと肩透かしをくらいそうだ。ちなみに十字屋でみたジャケットはこういうものだった。
最近ちょっと音楽づいてる。ウクレレなんていうのを衝動買いしてしまった。これでストレンジャー・イン・パラダイスだとか、リバー・オブ・ノーリターンだとか、好きな曲を弾けるようになりたいな。
もうほとんど最初から壊れてるといってもいいような破綻カメラ。一台で真四角フォーマットとハーフサイズが、フィルムを入れ替えずに撮影途中で切り替えられるなんていう、妙に豪華な仕様になってるのがまるで不釣合いにみえる。