宇治 抹茶ソフトを食べながら寂れた街の大冒険。 + 海洋堂のガシャポン珍獣動物園を集めてみた。

横断歩道と廃屋
廃屋
2015 / 06 / Fuji Tiara + SUPER-EBC FUJINON LENS 28mm f3.5 / Kodak Tri-Xの自家現像





街中のさりげない廃屋
廃屋
2015 / 06 / Fuji Tiara + SUPER-EBC FUJINON LENS 28mm f3.5 / Kodak Tri-Xの自家現像





廃車
廃車
2015 / 06 / Fuji Tiara + SUPER-EBC FUJINON LENS 28mm f3.5 / Kodak Tri-Xの自家現像



JRの宇治駅から宇治橋辺りまでの市街地を探検して撮っていた写真から。
寂れたものとか放置されて誰も見向きもしなくなったものとか好んで撮ってるのもあるけど、それにしても寂れた街角というか、あとちょっと押せばゴーストタウンへとまっしぐらに転げ落ちていきそうな風情の街の印象。実際にほとんど人も通ってなかったし。
JRの駅から北東の方向へ宇治橋の辺りまで進んでいく間にみる街の様子は商店街があってもあまり活気がない様子で、裏通りに入ったら大抵こんな感じの場所になってます。
とまぁ初見であったかのような書き方だけど、実はわたしが通っていた整形外科は宇治橋の近くにあったので、電車乗って一定期間定期的にに訪れたりして、この雰囲気は結構周知のものでもありました。

宇治というと何だか観光地っぽいイメージがあるものの、確かに宇治橋の傍らには平等院があったり、橋を渡って山手のほうに行くと宇治上神社とかあったりはするけど、ピンポイントで観光スポットになってる場所が離れ小島のように点在するだけで、そのピンポイントを離れると、古びて風情があるわけでもない茫洋とした住宅地が広がるばかり、宇治と言う街そのものはまるで自らを観光地として活性化させようなんて思いもしてないような様子です。あるいは平等院とお茶だけでいろんなことが成り立ってしまったからそれ以上のことをやる気が失せてしまったとか。その平等院もそこへ至る参道には観光地的な店舗が並んでるけど、長くもない参道の両側はほぼ全部の店がお茶を扱う店で、こんなの一軒あったら全部事足りると、バリエーションの欠乏感は底なしの気配だったりします。決して東山のようになってとは言わないけど、もうちょっと散策する人のことも考えて欲しい。
一方、宇治橋をはさんで平等院とは反対側のエリアは宇治川に沿ってユニチカの工場地帯が広がっていて、わたしにとっては工場地帯のほうが写真撮るところが多そうなのでちょっと歓迎したいところもあるんだけど、もはや平等院見物の延長で足を踏み入れるところではなくなってます。

宇治橋の辺りに来たらタイトルに書いた如く抹茶ソフトを買ったりするんだけど、抹茶ソフトは夏になると本当にいたるところで売ってます。ある種宇治の名物扱い。


☆ ☆ ☆

今年の春頃から35mmや28mmのレンズを使って、どうも納得がいくように使えない、どう使っていいのかよく分からないと試行錯誤を始めた期間に撮ったもの。試行錯誤の途中経過報告のようなもので今回のは28mmを使って撮った写真です。場所的にはユニチカの東隣辺りの住宅地区域。ユニチカって名前は知ってるんだけど、何してる会社?寂れたほとんど廃墟のような浄水場を見つけたんだけど、水関係の会社でもなさそうだし。

ちょっと引き目で撮ろうと思っていたのもこういう広角よりのレンズを使ってみようと思った動機の一つでした。まぁ、望遠でもうんと離れれば広く写るし、広角でも近づけば近接の撮影ができるんだけど、かたいことは云わない。
広い範囲を写せるとなるといろんなものが画面に入り込んできて、実は混沌としたものは嫌いじゃないんだけど、何を拠り所にしようかと決めかねる場合が多いって云う感じです。混沌が好きなはずなのに、混沌そのものを前面に押し出すほどの思い切りの良さもなく、雑然といろんなものが入り込んだ、何が写したいのかもう一つよく分からないって云うように見える写真の割合が、試行錯誤を始めてから結構多くなってきました。
広角こそ近接で撮影するべきレンズと言う考え方もあるようなんだけど、直線が歪んだりするのがどうも馴染めなくて、あまり撮りたい絵の種類でもなかったりします。

複数の被写体がフレームの中に入ってくるから、被写体単体の写真と言うよりも、よりその場の空間を掬い取るような視点にシフトした撮り方になると思うし、最初に書いたちょっと引いて撮ってみようと思ったのもそういう空間をフレームに収めてみたかったからと云うのもありました。
わたしが思ってる空間はオブジェが入っていて配置されてる容器のような静的なものじゃなくて、オブジェの関係性においてそこで生成されてくるような空間。よく言う空気感といったものもあるだろうし、解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会いが作りだす空間もそういうものの範疇に入ってくると思うと、結構カバーする範囲は広そうな観念ではあると思います。
云うのは簡単なそういう空間をフレーム内に生成したいと、思いついては一人ワークショップのように広く写るレンズのカメラを持ち出してるんだけど、結果はなかなかついてきてはくれない今日この頃ではあります。




陸橋
陸橋
2015 / 06 / Fuji Tiara + SUPER-EBC FUJINON LENS 28mm f3.5 / Kodak Tri-Xの自家現像



☆ ☆ ☆


最近久しぶりにガシャポンをやっていて、目当ては海洋堂カプセルQミュージアムの珍獣動物園全5種の中に入っていたハシビロコウでした。
一回300円とちょっと高い。3回くらいダブったらその時点で止めるという感じでハンドルを回して、数日で結局カピバラが一体ダブっただけで全5種出揃う結果となって、あらゆるくじは外れしか引いたことがない者としてはかなり運がよかったんじゃないかと思います。でも目当てのハシビロコウは結局一番最後に出ることになったから、本気で運がよかったら最初に出てくると思うので、そこまでは運がよかったわけでもなかったと言う感じかな。
これ海洋堂なんですよね。で、かなり期待したんだけどハシビロコウの造形はいま一つって所かなぁ。チャームポイントの後頭部の羽毛とか、あまり入魂の造形にも見えないし。

ガシャポン

ハシビロコウがこのセットの中では一番の売りだと思って、でも全部集まってみるとひょっとしたらハダカデバネズミのほうが一番の売りだったような気配もあるかな。稼動部分のギミックがあったのもハシビロコウとこのハダカデバネズミだけだったし、造形はこっちのほうが気合はいってそうです。と言ってもこれが一番の売りで数も少ししか入ってなかったとしても、あまり欲しくはならないと思うけど。






スポンサーサイト

【写真】木馬と紙の兵隊 +【音楽】Tears For Fears - Everybody Wants To Rule The World

木馬1


伏見稲荷大社のお話の真っ最中ではありますが、話し始めると鳥居と狐と裏参道の猫の写真が暫く続きそうで、選ぶほうも似たようなのを眺めてるとどれを載せようか判断しにくくなったりするから、鳥居と狐と裏参道の猫写真の合間に毛色の違う写真も時折挟み込んでいきます。

ということで、狐と猫の写真の合間に馬の写真。
これ、五条河原町を少し上がったところにある、多国籍風でどうも外人相手の宿泊施設のような感じではあるものの、中は薄暗くてよく分からない建物、雰囲気は喫茶店か雑貨屋のようなところもあるんだけど、たとえそういう店であっても薄暗すぎてお客さんは入らないだろうなぁと思わせる、そんな他人を拒絶してるような妙な店構えの得体の知れない建物のショー・ウィンドウに飾られていたものです。
実はこれを撮る形になっていったのには経緯があって、普段ほとんど通ったことのない五条河原町のあたりを、去年の夏の終わり頃に大徳寺の周辺で写真を撮った帰り、市バスに乗って通り過ぎようとした時、河原町通りに面して等身大くらいの明らかにダンボールかなんかに描いた稚拙なイギリスの儀仗兵の立て看板が視界に入ったのがきっかけでした。
かなり目立つ看板で得体の知れなさでも周囲から浮き上がりまくっていて、あれは何だと思ってバスの窓から首を巡らせながら確かめようとしたんだけど、バスはわたしの意向なんか無視してひたすら通り過ぎようとするだけ。その時は謎の儀仗兵の安っぽい立て看板がある奇妙な一角という印象を与えたまま、わたしの視界から流れ去っていきました。

この紙人形は妙に印象に残っていて、すぐにではなかったけど、五条あたりは東山のほうへ向けて夏頃から写真を撮って歩いていたから、ある時これを思い出し、東山とは反対の方向へと足を伸ばしてみることにしました。五条河原町辺りって四条河原町で繁華街が途切れて以降の地域だから特に行く目的もないところでした。
場所は記憶に残ってるというほど複雑なところでもないから、あっという間に見つかりバスの車窓から眺めたダンボール儀仗兵と間近で対面することに。
その時に撮ったのがこの写真。


ダンボールの兵士


写真は撮ってみたものの、市バスから眺めた時のやけに目立つ存在感もほとんど感じられないような写真にしかならなかったので、特に気に入ることもなく、結局ブログにも載せなかったんだけど、眺めてるうちに、ダンボール兵士の後ろになにやら馬のようなものが写っているのに気がつきました。
これ撮った時、ダンボール兵士にしか注意がいってなかったし、薄暗がりの窓の向こうからなんだかこちらの挙動を見張られてるような気もしたので、その場ではこの背後のウィンドウに気がつきませんでした。
この写真を眺めて紙人形よりもうしろの馬らしきものがどうにも気になって、さらに暫くしてからまたここに写真を撮りに来ることになります。

まずは一度昼間に再訪して、この馬らしくみえたもの、実際は木馬だったんだけど、その木馬を撮ってみたものの、河原町通りを行きかう車が反射で写り込んで、窓ガラスの反射とか好きなほうなのに、この時撮った写真は木馬の様子が上手く撮れなかったのが気に入らない写真となりました。

最初に載せたのはその後3回目にこの場所に行った時に撮った写真です。何回か前の記事でフィルムカメラでも条件を整えたら意外と夜でも手持ちで凌げると書いた、あの延長上で夕方から夜にかけて五条界隈を写真撮って歩いていた時に、そういえばあのウィンドウ、中を照らす照明や電球も飾ってあったようなことを思い出して、照明がついてるなら手持ちで夜がどうのこうのというまでもなく楽勝だと思って、またここまで写真撮りに行ってみたわけです。

やってきてみると、その日だけの事情だったのかなんだかよく分からないけれど、照明装置はついてるもののすべて消灯状態の真っ暗闇。照明のランプも木馬を引き立てるためのただの飾りだったのか、さすがにここまで明かりがないと普通に撮影するには限度を越えてました。
でもせっかくきたんだから、一眼レフのほうはストロボなんて持ってなかったけど、サブで持ってきていたコンパクトカメラにはストロボが内蔵されていたので、とにかく何か撮って帰ろうと、ストロボを使って撮ってみた写真がこんな仕上がり具合になりました。
思った以上にかっこいい。

☆ ☆ ☆

ストロボを使うと自然の光とか柔らかいニュアンスといった写真とはまるで傾向の違う仕上がりになるから、使うこと自体が敬遠されそうなところがあります。わたしもほとんど積極的には使わないほうだし(大体一眼レフ用のストロボそのものを持ってない)、スイッチを入れるたびにストロボがオートになってしまうコンパクトカメラの設定を、撮影しようとするたびに発光禁止にしたりするんですけど、ストロボ写真はたまにフラットで人工的でクールでロケン・ローな写真になることがあるので、ぴかぴか鬱陶しいしほとんど使わないけど実は徹底的に嫌ってるというわけでもなかったりします。上手く使いこなせたら面白いだろうなぁと思うほうかな。ストロボ・フォトって云う語感も未来的でかっこいい。

プロの写真家って意外とストロボ使って、自然に見せるための工夫もそれほど必要ないといわんばかりの状態で、普通に撮ってる人も多いし、暗すぎて撮れないという場合は、撮るのをやめるというよりもストロボを使ってとにかく撮っておくというのが良いような気がします。


木馬2

こっちは木馬の足元のほうを写した写真なんだけど、要素はこっちのほうがバラエティに富んでるものの、ストロボの光芒が入ってるほうがやっぱりかっこいいかな。


☆ ☆ ☆


使ったカメラはフジのティアラ。

ティアラ初代

梅田の駅前第二ビルにある委託品の店で、安価で入手したもの。
写真家植田正治が晩年、印籠カメラとニックネームをつけて愛用していたカメラです。
広角28mmレンズのカメラで普段50mm辺りの標準レンズを使ってるとちょっともてあますところがあるんだけど、さすがに植田正治、氏がこのカメラで撮った写真は「印籠カメラ寫眞帖」という写真集に纏められていて、この写真集を見ると、広角のカメラを苦もなく自在に使いこなしてる様子がよく分かります。28mmレンズはこう使うって云うののいいお手本になりそうな感じ。
氏の鳥取砂丘を舞台にした演出写真は実のところそれほど好きでもないけど、このコンパクトカメラ片手の、実際には隅まで計算されてはいるんだけど、一見そうは見させないタッチで撮られた写真は思いのほか面白く見られました。
鳥取にある記念館にはこのティアラが電池を抜いた状態で展示されてるそうです。わたしの手元にある全く同じカメラは委託品の棚に並べてあった時から自由に触り放題なのに、記念館のティアラはガラスの向こうで触れない状態で展示してあるというのも、全く同じカメラなのになんだか妙な感じというか。
以前京都文化博物館でロボットの歴史のようなテーマで展覧会があった時、現代のロボットとしてソニーのアイボが展示されてました。展示物につき触れないようにという但し書きがついていたと思うけど、家電ショップに行けば簡単に触れるものが恭しく展示されて、妙な感じと思ったのと似てます。


☆ ☆ ☆

Tears For Fears - Everybody Wants To Rule The World


きわめて個人的な理由というか、最近までメロディの一節だけが頭にあって、どういう曲なのかタイトルも何もかも分からないという、そういう曲だったのが最近ある映画をみていてエンドクレジットで連想が働き、ひょっとしてこのグループの曲なのかと調べてみたら、見事に的中。長い間頭の片隅を占めていた謎の一節の正体が分かって、一気に霧が晴れたような気分になった曲です。
音楽は言葉と違って、メロディだけが頭にあるという状態では調べようがなく、再びその曲と何らかの形で出会うまではまず正体を知ることは出来ないと思われるので、もうこの曲が何なのか知らないままでいるほかにないのかと思ってました。
で、もっと古い曲、バッドフィンガーとか、その辺りのグループの曲だと思ってたのが、意外と新しい、といっても古いかもしれないけど、バッドフィンガー辺りの時代から見ると相当新しい時代の曲だったのがかなり意外でした。
探すとするとこの昔の時代だったので、見つからなかったはずです。
わたしは音楽を聴く時にある分野の曲を気に入ってしまうと暫くその分野の曲ばかり聴いてるという聴き方をすることが多く、その間は他の分野の曲をほとんど身を入れて聴いてないという状態になりがち。おそらくこの曲を耳にしたときも他の分野の音楽に夢中になってるときで、特徴のあるフレーズのみが記憶に残ったということだったんじゃないかと思います。

聴いてみると頭に残っていた特長的なフレーズ以外、特徴のない曲だったのが、ちょっと残念。頭に残っていた部分だけで十分だったということなのか。
PVはガソリンスタンドの前でダンスするシーンがのんびりした雰囲気で好き。

頭にフレーズというのではもっと極端なのがもう一曲あって、これは口ずさめるほどのメロディラインさえも頭に残ってなく、一度だけ聴いた時にいい旋律だったという印象が残っただけの曲。細野晴臣が出ていた音楽番組で紹介され、当時のアイドルに提供した曲というのは分かってるんだけど、この曲結構好きと思った時点で曲目の紹介とアイドルの紹介はすでにすんでしまっていて、結局そのアイドルもその後見ることもなく印象に残らなかったから誰かも分からずに、好きな旋律だったという印象だけが今でも残ってる曲。
もう一度聴いてみたいんだけど、細野晴臣全仕事なんていうのに手を出すほどでもなくて、だとするならこれの正体はよほどの幸運にめぐり合えないと分からないだろうなぁと思ってます。



☆ ☆ ☆



印籠カメラ寫眞帖印籠カメラ寫眞帖
(2012/01/15)
植田正治

商品詳細を見る