2017/11/18
拘束された馬の首 / Joel-Peter Witkin 「The Bone House」


2015 / 06 心斎橋
Nikon AF600
Ilford XP2 Super
インパクト狙いのタイトル。まるで違う印象へと導いていくようにつけてみたけど、一応嘘はついてない。
それにしてもモノクロを撮る時はハイコントラストの写真が好みなんだと自分でも痛感する。もう版画に近いようなもので良いというか、ひょっとしたら版画家にでもなりたかったんじゃないかと思うくらい白黒はっきりしたイメージが好きだ。そういえばビートルズの昔からあの有名なジャケットのように、影で世界を黒く塗りつぶせという思いが常に自分の傍らに寄り添ってるような気がする。トーンが豊かでなめらかで独特のしっとりした色気のあるモノクロ写真は、自分で撮るとなるとそういうのは全然撮れないし、狙ってみても全体に締りのないイメージにしかならないから、なおのことそういう風に思うのかもしれない。
☆ ☆ ☆
インパクト狙いのタイトルなんていうので書き出して、実際にまさしくこのタイトルに沿うように退廃的でグロテスクでなおかつ美しいなんていう写真が撮れたら良いと、これはいつも思ってる。わたしのなかでそういうタイプの写真家の筆頭はジョエル=ピーター・ウィトキンだ。

極めてグロテスクで退廃的で、でもそういう側面を織り合わせていかないと絶対に生まれてこない、特異ではあるけれど、言葉にしてみれば美的としか云いようのないものに満ち溢れてる写真を撮る、唯一無比の写真家。私がこの人の名前を知ったのは昔、美術の文脈においてだった。写真が予定調和的に持ってるものとはあまりにかけ離れてるせいなのか、写真そのものであるにもかかわらず、おそらく今も写真の文脈ではあまり名前が出てこない人なんじゃないかと思う。

なにしろ被写体がモルグから持ち出した人の死体の断片や奇形だというんだから、この地点でもう出発してる場所が常人とはまるで異なってる。
子供の時に交通事故で千切れて転がってる少女の首を見てしまったことが感性の出発点だったというジョエル=ピーター・ウィトキンはそういう死体の断片を組み合わせて、まるで静物画のように静謐なイメージを作り、あるいはまた死体に色々と装飾を施してポートレート風の写真を撮る。そうやって撮られた写真には異界へと回路が開いた、死の匂いを撒き散らす幻覚に近いイメージの地平が広がってる。被写体がここぞとばかりに異様なものである反面、全体のイメージの構成は古典的な絵画に寄っていて、その辺りのバランスが被写体の異様さにもかかわらず優美な美しさといったものをもたらしてるんだろうと思う。
いくらこの超現実的で幻覚的なイメージが好きだからといって、あまりにも唯一無比的過ぎて後に続こうという気も起こさせない、この辺りがもどかしいところかもしれない。影響の受けようもないのでジョエル=ピーター・ウィトキンは遠巻きにして眺めてるだけしか出来ない写真家としてわたしのなかでは居座り続けてる。
それにしてもこんな写真家の写真をレビューのためとはいえ載せてしまって自分の写真と同じ区切りの中に並べたら、イメージの質に始まって、動機の切実さも含めてあらゆる部分で完膚なきまでに負けてるじゃないかと、否応なしに気づいてしまうなぁ。いくらお気に入りとはいえ自分の写真に並べてこういうタイプの写真集のレビューをやってしまうというのも考えものだ。
ジョエル=ピーター・ウィトキン自選の写真集。わたしの持ってるこの本はわりと手頃な価格で手に入る。色々と結構高価で手が出しにくい写真集ばかりというなかで、自選ということもあってジョエル=ピーター・ウィトキンの全体像を知るには良い写真集だと思う。箱に入って本そのものは布装と、豪華で堅牢な仕様なのも良い。ペーパーバックのようなのはこの人の写真ではあまり似つかわしくない。
これをきっかけにしてもっと知りたくなったら、さらに大部のものへと手を出せばいい。