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失われてしまったものたち さらば新風館

彼方の新風館1





彼方の新風館2






見いだされたもの

2012 / 09
2011 / 05
2017 / 08
新風館
Canon Autoboy Tele / Olympus Pen EE-2 / Last Camera
Kodak T-Max / SuperGold400 / Fuji Premium400

先週「パリ・マグナム写真展」に行った帰り、この辺を歩くのは久しぶりだなぁと思いながら、観てきた展覧会のハリー・グリエールの写真が良かったとかゲオルギィ.ピンカソフみたいに撮れないものだろうかなどと、受けた刺激を反芻しつつ新風館の近くまでやって来た時、新風館の古風なレンガ造りの建物を白いフェンスが囲んでいるのに気づいた。
あれ、新装改築中なのかなと思いながらも、改装にしても何だか建物の規模が敷地の半分くらいに小さくなってないかと気づき、フェンスの一部が開かれて中を通り抜けられるようになってるところを見つけて覗き込んでみれば、以前円形の舞台があったところだと思うけど、その辺りすべて建物が消えうせて駐車場になってた。
一体何があったんだと不審に思いつつもその場は何枚か写真撮っただけで帰宅、帰ってから調べてみるとなんと新風館は既に閉館となってた。しかも一年以上前の去年の三月に。
新風館が閉館していたのもそうだけど、この烏丸御池辺りに一年以上も立ち寄ってなかったことに気づいて、これにも我ながら吃驚した。そんなに足が遠のいていたとは。
まぁ一年以上、ひょっとしたらもっと以前から立ち寄ってないくらいだから、「さらば」なんて云うほど愛惜の情があるほどでもなくて、たまに立ち寄って写真撮ったり、中央の広場の椅子で休憩したり、テナントで入っていたヴィレッジ・ヴァンガードを冷やかしていた程度だった。でもこの世界から、一応今のところからっぽの建物が半分くらいは残ってるようだけど、残り半分が消えうせてしまったことにはやぱり心を騒がせるものがある。
元はたしかNTTの古いビルで、その古風な雰囲気を生かしたファッション中心の施設だった。フェンスの向こうには半分だけまだ残ってるその元NTTの煉瓦作りの建築もそのうち全部取り壊してしまうのかなぁ。駐車場の入り口から空き空間となった元広場の辺りを縦断できるようになっていて、元新風館だった空間の中にちょっと足を踏み入れてみたんだけど、残った部分も上層に上がるための階段とかは全部取り払われて工事の足場があっただけ。一番上の階のヴィレッジ・ヴァンガードのあったところはまだ残っていて、でも今は扉の向こうのおそらくからっぽになった暗がりを遠くから望めるだけだった。

もうちょっと写真を撮っておけばと思った。今回こういう記事にまとめようとして新風館で撮った写真を探そうとしたものの、意外と撮ってなかったのか他の写真に紛れてしまったのかあまり見つけ出すことが出来なかったのが残念だ。
もう一つ写真で残しておけばよかったと思ってるのが寺町の電気屋街。あの辺りの様変わりは凄まじくて、わたしがたまに行っていた時とはまるで別世界のようになっておまけに寂れてる。こういう変わり果てた街を見てると、なんだかみんなどこに行ってしまったんだろうと、一人取り残されてるような気分になってしまう。

☆ ☆ ☆

写真はなにしろこの前の「パリ・マグナム展」以降に撮った出来立てほやほやの最後のが、やっぱり自分にとってはいちばん新鮮なものになってる。どことなくちょっと不穏な感じがしないか。ちなみにこの赤煉瓦の建物が話の流れでもちろん新風館となる。建築はここから左側にもっと続いていたのに、この場所で断ち切られて、フェンスの向こうは駐車場になってた。


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遠い囁き

ショーウィンドウ
2014 / 05 / OLYMPUS PEN EE-2 / KodaK TriXを自家現像





マネキン
2014 / 05 / OLYMPUS PEN EE-2 / KodaK TriXを自家現像





光の中で
2014 / 05 / OLYMPUS PEN EE-2 / KodaK TriXを自家現像




遠い囁き
2014 / 07 / Fuji Natura Classica / Natura 1600



今回のも以前に撮って、ブログにはまだ載せてないものから。わりと気に入ってはいるんだけど、どういう形で纏めようか考えてるうちに、いつのまにか、そのうちいい思いつきでもあったら披露する写真の範疇に入っていた。

全部グランフロント大阪で撮ったもの。こういう皆が知ってる公共の場所で写真撮ると、他人も似たような写真撮ってる可能性が出てくる。
この写真じゃないけど、少し前の出来事で、ある写真ブログを訪問した時、わたしが撮ったものと寸分違わないような写真が出てきて吃驚したことがあった。そのわたしの写真は対象の特徴に頼りすぎ、さらに真正面に向かって撮りすぎで、ちょっと単調かなと思いブログには出してなかったんだけど、とにかくわたしは見つけた写真が、何しろわたしもそこで撮ったものだから、撮られた場所をピンポイントで指摘できるし、同じ被写体に対面してるどころか、立ち位置もわたしの撮ったのと同じ場所で、ほぼ同じ距離感で撮られたものだとすぐに分かった。違うところはわたしは雨の日に撮って、画面の隅に傘を差した人物が配置されてる程度だった。
ちょっと見に視線を引くものを撮るっていうのは、写真撮る動機としては極めてオーソドックスなものなんだけど、誰が見ても風変わりなものとか、それに気づくのはわたしだけじゃない場合もあるっていうこと。まぁ、先にやられたっていうよりも、そんな誰もが視線を寄せそうな被写体に注意が向いて、大して繊細でもない感覚で見たままにシャッターを切ってしまった自分の感覚に本気で苛立った。

グランフロント大阪は風変わりを売り物にしてるような場所っていうわけでもないけど、それはこういう公共の施設を撮る場合にも当てはまる。
といっても他人と違う写真を撮るために、それはもうどうしてこんな視点、画面構成で撮ったんだと思うくらい独特のフレーミングをやっても、何だか、自分は他人とは違うと言うことだけを声高に主張してるような、サブカルっぽい写真になりそうなだけっていう気がする。大体他人と違う写真にするために視点を選ぶとか、自分と世界との関係が形になるはずの視点がこれでは本末転倒じゃないかと思うし、自分の些細な個性らしいものをブーストして、眼の前の世界をねじ伏せようとするような、そんな写真は何よりも撮りたくない。

自分が撮ったのとそっくりな写真を見つけたり、こんなことを考えてるせいなのか、最近は珍しくみえるもの、特異なものをそのまま撮ると言うような行為からはちょっと身を引いた感じの撮り方になってる。わりとオーソドックスな空間をそのまま切り取ったかのような写真っていう感じを試したりもする。こういう写真は見慣れたものが一瞥した限りでは風変わりな演出もされずにフレームの中に転がっているようにも見えて、それがかえって謎めいた写真になったりしないかとも思ってる。でもそういうありきたりを装うことで、薄膜のように表面を覆うことになるかもしれない謎めいた感じを想像するのは楽しいけれど、ただそういうのを写真として成立させるのはやっぱり難しいだろうなぁとも思ってる。

☆ ☆ ☆

最初の写真は図像的な関心によるいろんなものに俯瞰好きの好奇心がブレンドされてできてる。
二枚目の顔が花のマネキンの被写体は去年の夏の盗作デザイナー騒動の時に盗作デザイナーの擁護に回ったお仲間女性デザイナーの作品に似たようなのがあった。口から吐き出した花が顔の表面に纏わりついてるような感じのイメージだったかな。口から何かが出てくると言うことからしてちょっと生理的な嫌悪感、不気味さを呼び起こすところがあって、この人も盗作をばらされてたけど、このイメージだけは結構面白かった。このグランフロント大阪のマネキンのイメージとどちらが先だったのかな知らないけど、顔を花の集合体に置き換えるという、綺麗なものがあふれてるのにどちらかと言うと不気味なイメージは、わりと無意識的に共有されてるところがあるのか、これもよく似てるといえば似てる。
最後のカラー写真のは、何だか限定的な言葉で語ろうとするようで、こういう感じはどことなく俳句っぽい?。自分としては気に入ってたんだけど、このくらい何もない空間のほうがいいと思いながらも、要素が少なすぎる印象を与えるかなとも思い、なかなかブログに出せなかった写真だった。

☆ ☆ ☆

モノクロを撮ったのはオリンパスペンのEE-2。ハーフカメラの中でも特にお手軽カメラで、絞りだとかなんだとかまるで操作する必要もなく、とにかくシャッター切るだけで写真が撮れる。ハーフサイズの写るんですのような感じかな。
普通ハーフカメラは35mmカメラのフレームの半分を使って一枚写真撮る形になってるから、普通のカメラの倍の枚数撮れるということもあって、36枚撮りのフィルムよりも少ない24枚撮りのものを入れる場合が多い。昔はさらに少ない12枚撮りなんていうフィルムもあったらしい。
フィルムは現像し終わるまで何がどう撮れたか確認できないから、ハーフカメラは24枚撮りを使うほうがそういうストレスは少なそうなんだけど、このほとんど写るんです的なハーフカメラにはあえて36枚撮りのフィルムを放り込んだほうが面白いかも。とにかくあまり何も考えずに目の前を通り過ぎるものを掬い取っていく、パンフォーカスで元々ピントを合わす必要もないカメラだから、ピントがどうとかお構い無しに、多少ボケてたりぶれたりするのも味のうちとばかりに撮っていくのが楽しい。そういう疾走感に満ちた撮り方をするには36枚撮りを入れてるほうが相応しいような気がする。
見た目も可愛らしいくて、持っていて楽しいよ。


ee2


わたしのはジャンクで500円くらいだった。ジャンクコーナーに入ってるのをよく見かけるカメラだけど、たまにまともに動くのが混じってたりする。
電池も使わないので動くかどうか確認するのは簡単で、感度のダイアルをASA400くらいに合わせ、まず店の照明とか明るい窓なんかに向けてシャッターを切ってみてシャッターが切れる、次にレンズを手で覆うか暗がりに向けてシャッターを切ってみてファインダーに警告の赤ベロが出てきてシャッターが切れなかったら、セレンの露出計は生きてるので、あとは巻き上げノブが問題なく回せるかどうか確認するくらい。ジャンクコーナーで見かけたら試してみるといい。

☆ ☆ ☆

最近写真集とかCDの話題を出してないので、アマゾンの商品リンクが貼れない。それでも過去の記事から何かクリックしてくれてる人もいるんだけど、意外と多いのが一番下に貼ってある場違いなヘアケアのアイテム、フィトリークだったりする。場違いすぎて何でこんなものが?というようなノリでクリックしてもらってるのかな。
これ、リンクのほうに詳細は書いてないけど、毛染めした後で、家で洗髪したら静電気が凄い状態になってしまってどうしていいのか分からず、思い余って美容院に相談しに行ってみると、これを使ってみてと渡されたものだった。どうも仕上げにこれを使っていたらしい。
ためしに使ってみると、あれだけ始末に負えなかった静電気もあっという間に完全に収まって、しかもオイル系統のようにべたつきもしないので、おぉ凄い!と感心。美容師さんも云ってたけど、これ、ヘアケア用品なのに、顔に使ってもかまわないものだったりするのがまたユニークで、どういうことかというと一番手短なところではヘアケアが終わった後も手を洗わなくてもいいという利点がある。ただ顔に使ってもいいと云われてもちょっと怖いので実際に顔に使ったことはないけどね。

ちなみに最近染めてる色はアッシュグレイだ。非常にニュアンスに富んだ中間色はシックでお気に入りになってる。任せてる美容院は伏見駅のイズミヤの近くにあるビーハウスっていうところで、なかなか腕のいい美容師さんがほぼ一人で切り盛りしてる。

と、今回は妙な宣伝をして、お開きです。たまにはこういうことも書いてみたい。


高瀬川、木屋町辺り + Hiyodori - Tsutomu Satachi

妖しい触手
枝が触手のように空間を絡め取っていた。 2014 /05





川面に薔薇が浮かぶ
川面を横切る薔薇の列。 2014 / 06

高瀬川に沿って歩いて撮った写真。
雨に濡れたり、体に水がかかるのは猫並みに大嫌いで、晴れてる日でもバッグの中に折りたたみの傘を入れてるくらい。カメラバッグを新調しようとしてレンズの入れ場所なんかじゃなくて傘の入れ場所がないといって買えなかったりするくらいなんだけど、そんなに水と接触するのを忌み嫌うわりに、水辺とかどこかに水が流れてるような空間は結構好きなところがあります。考えてみると去年の春頃に大阪の大川を遡っていった探査行とか京都でも白川沿いとか疎水沿いとか、南のほうだと宇治川、最近では淀川の縁に沿うようにして立ち並ぶ橋本と、川縁に沿ってカメラ持って歩き回ってることは意外と多い感じです。

高瀬川は江戸時代に作られた運河で、鴨川から水を取り入れ、二条の辺りから南に向けて鴨川と併走するように流れ、現在は十条辺りで再び鴨川に合流するような水路を辿っています。昔は合流地点で鴨川と合流せずにそのまま南下し、豪川と一緒になって伏見港の辺りで宇治川へと繋がる流れとなっていて、これは現在のように十条で分断された後も、別経路の川となり豪川とも切り離された独立した川として宇治川に注ぎ込む形となってます。
大体、高瀬川といえば三条から南側の木屋町沿いに、五条辺りまで続く飲食店、歓楽街の中を流れていく川というのが一般的なイメージだと思います。五条以南の五条楽園を通り過ぎた頃からもう観光地的なイメージは消えうせて宅地の合間を流れるただの細い川といった形のものになっていきます。以前伏見港で写真を撮っていた時に宇治側沿いに歩いていて高瀬川の終着地を見たときに、高瀬川ってこんなところまで延びてきてたんだとまるで新発見した探検家のような気分になったことがありました。南端の高瀬川は、それほど一般的なイメージとしてある木屋町沿いの高瀬川とは印象が異なった川となっていきます。というか木屋町沿いの辺りのイメージだけが高瀬川にとってはことのほか特別なものになってるということなんでしょう。
でも特別とは云っても木屋町を流れていく高瀬川が情緒にあふれてるかというと実はそうでもないというのが本当のところかな。一応夜になるとライトアップされてるし、歓楽街のネオンなんかが水面に写りこんでそれなりの雰囲気はあるんだろうけど、昼間見るといつも水は少ないし、ゴミが流れ着いてるところもあちこちにあるし、回りは飲み屋や居酒屋なんかが入った雑居ビルばかりだし、あまり綺麗なところでもなかったりします。かかる橋の数は多いものの、これも何だかコンクリートのそっけない橋ばかり。昼間見て綺麗と思うのは桜の季節、高瀬川沿いの並木道が桜色に染まる頃くらいかな。ここの桜並木は本当に綺麗で春のひと時は高瀬川の存在が引き立つ頃となります。


赤いボトル
川に面して建つビルの、細長いガラス窓の向こうに、赤いガラス瓶が見えていた。 2014 / 10



薔薇の流れる川の写真を撮ったので、高瀬川メインで何か書いてみようと思ったけど、高瀬川を撮った写真が極めて少ないということに気づいて、結局川の写真はこれ一枚。水辺の光景は好きだけど、自分にとっては様々な異なったイメージへと展開するのが若干難しい対象となってるような感じです。




三味線の女
いつの頃からか、三味線を弾く女の絵が貼られていた。 2014 / 05




使用機材は最初と最後がオリンパスのPen EE-2、薔薇の川がニコンのFM3A、赤いガラス瓶のがミノルタのNew X-700です。フィルムはコダックのトライXとフジのプレスト400、カラーのはコダックのスーパーゴールド400を使ってます。



☆ ☆ ☆





Tsutomu Satachi - Hiyodori / A Take Away Show

A Take Away Showというのは、フランス発音楽情報サイト「La Blogothèque」のなかにあるアコースティック・セッションのコーナーということらしいです。
そこに上がってる日本人のシンガーソングライターである、佐立努さんのPV。
音楽も華奢で内省的で儚げで、独特の雰囲気があっていいんだけど、川の情景を写してるのが,また雰囲気があっていい。今回の写真は川の周辺だということもあって、こういう川縁のイメージに乗せた音楽を選んでみた次第です。

でもなんかちょっと卑怯な感じというか、フランスで撮ればそれは雰囲気のある映像が撮れるだろうなと。
異国情緒に憧れてるわけでもないから、京都を異国風に撮っても仕方ないし、自分は自分が見たように自分のいる場所を撮っていけばいいんだけど、街全体が一丸となってどこをどう切り取っても、それなりに絵になるようなつくり方をしてるんだろうと思うとちょっとやっかみ気分になりそうです。かもめまで雰囲気作りに協力してそうなんだもの。鴨川の鳶は河原でお昼ご飯食べてる人の手元から食べ物をくすねようと急降下したりはするけど、鴨川の雰囲気作りに協力してるとは到底思えないです。






The BeginningThe Beginning
(2014/09/09)
Tsutomu Satachi

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【写真】JAZZ 木屋町界隈のギャラリー +【写真集】ハンス・ベルメール

voxビル01


河原町三条下がったところ、木屋町と河原町の間にある、VOXビルの前で。いつも停めてある、前を通るたびに写真撮ったらかっこいいかもと思う黄色い車と、この時始めて目に付いたジャズのポスターの写真。
VOXビルは飲食店なんかも入ってるビルなんだけど、わたしがもっぱら利用してるのは一階にあるアート系の書籍、画集だとか写真集だとか、大手の流通経路に乗ってないような、ひょっとして自主制作?なんて思えるようなのも混じった見たこともないCDやDVDだとかを扱ってる店とその隣にあるギャラリー。もっとも利用するといっても馬鹿高い本や映像、音響メディアばかりで、しかも専門のショップだからきわめて珍しいものがそろってるかというと海外からの輸入の画集なんかは珍しいけど、他はそうでもなかったりして、さらに店が小さいから扱うアイテム数そのものが少なくて、じつのところ買い物はほとんどしたことがなかったりします。多少傾向は違うけどアート系の本なんかは一乗寺の恵文社辺りのほうが利用しやすい品揃えかも。
ここではちょっと前に写真の季刊誌「IMA」の以前に出版された創刊準備号が出てたから買った程度。これだってバックナンバーだから普通の書店では見つからなくても、おそらくアマゾン辺りで簡単に手に入るような本だと思います。わたしが行く時間帯ではお客さんがいるところをほとんど見たことがない本屋さんで、営業できてるのがちょっと不思議な店でもあります。雰囲気はいいんだけど。

ギャラリーのほうは8年ほど前、恋月姫の球体関節人形の展覧会があった時に行ったのが記憶に残ってます。このことはこのブログに以前書いたような記憶があるけど、恋月姫の人形は写真集を何冊か持っていてそれで見ていただけで実物を見たのはこのときが始めて。想像以上に小さく、華奢で繊細な細工を施した人形で、一体持って帰りたくなるような所有欲を刺激された展覧会でした。
欲しければ買えばいいんだけど、一体いくらくらいするのかなぁ。

この写真はジャズのポスターが気を引いて撮ってみたものでした。車のほうもいつも結構目立っていて被写体にはいいんだけど、この時はモノクロということで黄色い色が写せないから撮った時の感覚としては車のほうは脇役といった感じ。
でも仕上がったのを見てみると、一番目をひくのはアンドレ・ケルテスのディストーションのように、車の窓に映る曲がった周囲のビルの反射像で、これが一番かっこいい要素になってるんじゃないかと思います。ジャズのポスターはもっといかしてるかと思ってたら、撮ってみると随分とありきたりのイメージでした。

ちなみにいつもビルの前に目立つ黄色で停めてあるから、ひょっとしたら店前の空間演出のディスプレイの一部なのかと思ってたら、いなくなってる時もあるので、ビルに関係する人が乗ってる車なんだと思います。



vox吹き抜け



vox入り口



VOXビルは中に入ると一番上までの吹き抜けになっていて、周囲はなんだか無骨な感じに仕上げてある、結構かっこいい空間になっています。窓好きのわたしにとっては天から降り注ぐ柔らかい光にきわめて居心地がいい場所です


木屋町界隈の画廊

ギャラリーついでに、VOXビルの近くで、以前は立体ギャラリー射手座という画廊だった場所。今はGABORという喫茶店になってるらしいけど、降りていったことがないから分かりません。優雅な曲線を引いて視界の端へと消えていく螺旋の階段に血が騒いで写真撮ってみた場所でした。壁には色々と展覧会や映画のポスターが貼ってあるから、まだアート関連のことをやってるところもあるのかなぁ。



最初の写真はNikonのFM3A、Ai-s50mmレンズとフジのモノクロフィルムプレスト400で、下の三枚はOLYMPUS PEN EE-2にコダックのモノクロTriXを詰めて撮ってます。両方ともフィルムは自家現像でした。

ちなみにPEN EE-2はこんなカメラ。暫く使ってなかったんだけど最近モノクロフィルムをお供に目に付いたものを、あまり考えずに撮る用のカメラとして使ってます。

オリンパスペン EE-2
ずっと前の記事に貼ったビスケットカメラで撮った写真を流用。これ、BALの最上階にあった喫茶店で撮ったものだ。
BALビルは今建替え中で、古いビルは完全に取り壊され、この写真の空間はもうこの世界のどこにも存在してません。

電池も要らず、ピントを合わす必要もない、フィルムを送ってファインダーを覗いてただシャッター押すだけの簡単カメラ。ファインダーにぶつけた凹みがあったり結構汚れていたりで売り物にならないと判断されたのかジャンク扱いだったんだけど、店でちょっと試してみたらこちらの操作にきちんと反応して普通に写せそうなカメラでした。無水エタノールで拭けば綺麗になったし、ちゃんと使えて今でも使える状態だから、この時のカメラの代金500円の元はもう十分に取ってます。


☆ ☆ ☆



さて、この話題に繋げたくて、恋月姫の人形展の話を振るためにVOXビルから書き始めたと、そういうあまり成功してそうにも見えない経路が見え隠れするのが、今回のこの一文の難点だけど、最近、ハンス・ベルメールの、人形集じゃなくて写真集を買ったんだよと、こういう話題を出したかったということでした。こんな本が以前に出版されていたなんて全く知らなかった。
わたしは結構人形、それも球体関節人形が好きです。興味の大元は今から思うとこのベルメールの人形だったんだけど、上に話題に出した恋月姫の人形なんかも好き。恋月姫のほうはちょうどVOXビルで展覧会があった頃、恋月姫の人形のミニチュアつきという限定版写真集なんか買ったりして、これは絶対にプレミアがつくと思い未だに封を切ってないんだけど、思惑は多少外れて、吃驚するほどの高値にもなってないようです。

フィギュアつき限定版



ハンス・ベルメールは特異なイマジネーションで球体関節人形を作っていたシュルレアリスト。人体の断片化と、その細分化された人体を、球体という神秘の形態やフェティシズムに満ち溢れた隠微な曲面を駆使して再構築した、異形の人形を作り続けた作家です。


ベルメール写真集1



ベルメール2


本はそのベルメールの人形の特集というよりも、というか結果的にはベルメールの人形の集大成にもなってるんだけど、むしろ視点は写真家ベルメールというものにスポットを当てるような取り方をしていて、自作の人形を撮ったもの以外のベルメールの写真も纏められ、写真家ベルメールの全貌を知れるような構成になっています。
序文で澁澤龍彦さんが書いているように、ベルメールの人形の写真、わたしたちはこれらの写真を見てベルメールの人形を知ったわけなんだけど、このベルメールの人形が写った写真を前にして、そこからベルメールの人形の情報を得ることが主目的となり、それが写真であることはそれほど重要視されずにやり過ごしてきているところがあったんじゃないかと。
思うに、ベルメールの人形があってそれを別の写真家が写真に写すという形じゃなくて、わたしたちが目にしてきたベルメールの人形の写真はことごとく人形作家本人が写真にとって形にしたものであるなら、パーツの配置だとか背景となるものだとか、一般にベルメールの人形としてイメージされてるものはベルメール本人が自作の人形をモチーフにして入念に演出し、写真という形で定着させたものと考えるのが妥当なんだと思います。人形が内在させてる異形でフェティッシュでエロチックなイメージを作家自身がもっとも十全な形でイメージ化しようとしたものがベルメールの写真であったと。そしてわたしたちはそういう人形作家による演出を含めた形でベルメールの人形のイメージを把握してるなら、写真家としてのベルメールは人形作家であるベルメールと同じくらいに重要な要素なんじゃないかと思い至ることになるわけです。

だから、この今までの纏め方とはちょっと視線をずらせたところのある、ベルメールの人形の集大成でありながら、ローライフレックスで撮っていたベルメールの写真の全貌を収めようとした写真集は、視線のずらせ方は少しではあるのかもしれないけど、結果としてはかなり新鮮な角度でベルメールの全貌を再照射しようとしたものだといえるんじゃないかと思います。
特に人形以外の被写体を捉えた写真が纏められていたのは興味深かったです。人形の写真はそれこそいろんな形で何度目にしたか分からないものも多数あったけど、これは始めてみたものばかりだったから。ほとんどポルノグラフィーといってもいいくらいの写真で、異形の人形を作るほかなかった背後において、作家がどんなイマジネーションに捉われていたか推察できて興味深いです。

巻末の写真に関する解題も、謎めいた写真の素性や背景を探り、モチーフとなってる人形のその後の動向なども解説されていて写真を見る上ではかなり参考になります。人形の中には写真に撮られて知れ渡ってはいるけど現存してないものがあるというのが意外といえば意外。こういうのって、これだけ有名な作家のものだったら確実に保存されてるものだと思ってました。
それともう一つ興味深かったのは本の最後に謝辞として載っていた文章。
わたしの買ったものは最初に出た版のもので、復刊されたものにはどう書いてあるのか知らないけど、本の最後のほうに纏められたポルノグラフィー的な、局部が見えたというよりも局部を見せた写真にぼかしをかけたことに関して、はっきりと作品を毀損したと書いて、その写真の権利保持者への謝罪文を載せていたこと。修正なんていう言葉じゃなくてはっきり毀損という言葉を使ってる時点で、これが刊行された当時でも時代はそれなりに動いていたんだなと思いました。
復刊のほうはどうなってるんだろう。ぼかしそのものをやめてしまってたらいいんだけど、まだそこまではいってないかな。
ティルマンスの海外で出版されてる写真集なんか、あっけらかんと見せてるのが何の躊躇いもなく日本に入ってきてるし、ぼかしを入れなかったからどうなるって云うものでもないと思うけど。

最初に発刊されたものの他に後に復刊されたバージョンも存在して、でも現在のところは復刊されたものも絶版になってる模様です。
古書の価格は意外なことに復刊されたもののほうが高く取引されてるよう。こういうのって最初の版のものが高値になりそうなのに。わたしが買ったのは安かった最初の版のほうでした。






ハンス・ベルメール写真集 (fukkan.com)ハンス・ベルメール写真集 (fukkan.com)
(2004/08/31)
ハンス・ベルメール、アラン・サヤグ 他

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わたしが入手したほうじゃなく、復刊されたほう(高値のほう)のリンクです。こっちのにしか画像が用意されてなかったので。
ちなみに本のカバーは写真集としてははっきり云ってダサいというか、この表紙だけだと買う気はほとんどおきません。


人形月 特装版 (Ikki amuseum)人形月 特装版 (Ikki amuseum)
(2006/06/29)
恋月姫

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古書で内容を見るとフィギュア欠品というのがほとんどだけど、これをフィギュアなしの特装版状態で買う人なんかいるのか?