砕け散る世界を拾い集めてみれば + Luiz Henrique - if you want to be a lover

リングとボール
2014 / 05 / Minolta X-700 / Fuji PRESTO400





風船
2014 / 05 / Minolta X-700 / Fuji PRESTO400





すっぽん
2014 / 05 / Minolta X-700 / Fuji PRESTO400





狭間
2014 / 06 / Fuji Natura Classica / Fuji Venus 800



結局のところ、この前欲しくなってると書いた、森山大道の現在愛用してるカメラ、ニコンのクールピクスS9500を、アマゾンで購入してしまった。中古で13000円くらいのを、まぁどんなものかと好奇心を満たされるだけでもいいかなと思って注文。
当たり前のことなんだけど届いたカメラはごく普通のコンパクトデジカメだった。フィルターっぽいものをかけて画質を変える以外は絞りもシャッタースピードも意図的に変えられない、基本シャッターを切るだけのカメラ。いささか拍子抜けするこういうカメラで森山大道は写真を撮ってる。森山大道がこういうコンデジを使ってるのは小さくて目立たない、起動が早い、ズームが使えるといったことが理由らしいので、そういう条件は満たしてるんだろうけど、ある意味カメラの特性に頼らない写真で勝負してるところはかなり度胸があるともいえそう。
ちなみにアマゾンではどんなに検索しても黒は出てこなかった。森山大道は極力カメラを目立たなくするために、黒のクールピクスに刻印されてる銀色のニコンのロゴも、黒のテープを貼って隠してるらしいけど、黒が見当たらなかったということはひょっとしてブルータスの特集が出てから、こういう理由で売れてしまったということなんだろうか。
何だかあまり使いもしない、それもそれほど高価でもないデジカメがじわじわと増えてきてる。そんなこといってないで使えばいいんだけど、よほど疎外する理由でもない限り持って出るのはフィルムカメラだし、フィルムカメラのほうが面白いものだから、デジはなかなか手にする方向へは動かないようだ。このクールピクスのようなコンデジはサブとしては持って出やすいようなので、今サブで持ち歩いてるのはオリンパスのXA2なんだけど、これの合間にそういう形で暫く使ってみるかな。

この前の記事でブルータスの特集が入門編のような体裁だと書いたけど、入門編としての情報は予想外に密度が高くて、こちらも森山大道入門レベルの知識をすべて持ち合わせてるわけでもないから、丁寧に読んでみると意外と読み応えがある特集だった。コヨーテのは10年近く前の特集だし、なによりも今月に出た特集のほうが活きがいいというか、生々しい感じがする。

☆ ☆ ☆

今回の写真は以前に撮ってブログに載せてなかった写真から。
色彩にしろ事物間にしろコントラストが効いてるイメージが好きだというのが、黒と白のコントラストだけで出来てるモノクロを撮った時には如実に表れてくるようだ。
細部を切り分けていくような写真は向かうところは二方向あって、一つはその切り出した細部に周囲のものとはここだけは違うという意味づけをしようとするもので、もう一つは意味の連鎖の中にあった細部を切り出すことで、その連鎖の中で細部が持っていた意味を剥奪しようとするもの、同じようにディテールに迫るような方法論だけどまるで正反対の結果へと着地していく。
わたしが撮ってるのはどちらかというと後者のほうだと思う。適当に云ってしまうとマクロレンズなんかを使って部分を拡大してみるような撮り方は前者のほうの撮り方なんじゃないかな。その証拠にわたしはマクロレンズを一本だけ持ってるけど、数えるほどしか使ったことが無い。まるで意図しない雰囲気のイメージしかファインダーの中に現れないものだから、そのうち使わなくなってしまった。
コンテクストの中で意味の連鎖のひとつとなっていた事物を、そのコンテクストから切り離した時に、その事物の背後から一体どんなものが顔を出してくるか。仮に異界だとか彼方だとかの単語で代用してるけど、そうい得体の知れない鵺のようなものが顔を覗かせるのか、今のところわたしにはよく分からない。
何かそういう鵺のような巨大なジグソーパズル的なものがあって、細分化し意味から遊離した写真はそのパズルの微細なパズルピースのような気もするけど、どれだけそのピースを集めてみても、おそらくその巨大な鵺的な何かのパズルは完成しないようにも思える。

☆ ☆ ☆

写真は全部祇園で撮ったものだけど、まるで祇園なんていう感じがしない。
2枚目のがもう何だかホラー映画のような感じで、このツブツブ感は嫌がる人がいるかもしれないなぁと思ってなかなか出せなかったもの。
3枚目のすっぽんの写真が祇園の料亭の感じで一応それっぽいかな。「あ!すっぽんだ!」と水槽の前で眺めていたら、すっぽんのほうは目をつけられたのを感じたのか水の中に潜り込んだものの、そのままずっと眺めていると、明らかにもう息が続かないといった様子になって、思わず水面に鼻を出そうとしたところを撮った写真。2014年に撮ったものだからこの写真に写ってるすっぽんはとっくに鍋の中に消えてしまってるだろうなぁ。
最後のはタイトルをつけるとしたら「束ねられた建築」なんていう感じか。フレームの中にもう一つフレームを作る形の変形といったところかな。上のほうを斜め横に走る電線もあまり邪魔という感じにも見えず絶好のアクセントになってるように思う。
グラフィカルな強さみたいなのはやっぱり歴然とあって、どんな写真を撮るにしても、そういう強さは何とか盛り込んでみたい。
祇園の辺りは意外と風変わりな装飾のビルが立ち並んでいて、巽橋だとか舞妓さんだとかだけじゃなく、こういう建築物もある意味祇園の顔のような側面を持ってる。



☆ ☆ ☆



if you want to be a lover - Luiz Henrique ('68)


これ、以前にビザールなマシュ・ケ・ナダなんていう言い方でここに載せた歌を歌ってた人。マシュ・ケ・ナダのほうはモード・モザイクというちょっとモンド系っぽいお洒落なラウンジのコンピレーション・アルバムに入ってたんだけど、その名前の表記がこれとは違っていて、追跡できなかった歌手だった。どうもこっちの名前のほうが通りがいいみたい。
いかにもボッサノヴァという感じのルーズな囁き声とゆるいグルーブ感が心地良い。素朴なブラスやストリングスも交えて意外とメロディアスな盛り上がりがあるのもポイントかも。

ちなみに以前に紹介したビザールなマシュ・ケ・ナダというのはこれ。
Luis Enriquez - Mas Que Nada

奇怪なスキャットと、土俗的というか、ドラムとかパーカッションというよりも太鼓といったほうが相応しい、地の底から響いてくるようなリズムが、目一杯怪しげな雰囲気を撒き散らしてる。
そういえばビザールな音楽特集なんてやるつもりだったけど、中断したままだ。

☆ ☆ ☆



空を行く鯨の写真がかっこいい。こんなのその場に居合わせないと撮れないわけで、よく云われるように、そこに居合わせるというのも写真を撮る才能のうちなんだろうと思う。








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境界域#2 光の集まる場所で + ひとりぼっちの旅 - はしだのりひことシューベルツ

境界域001
2014 / 10 / KODAK SUPER GOLD 400





光の集まる場所01
2014 / 12 / ILFORD XP2






光の集まる場所02
2014 / 10 / KODAK SUPER GOLD 400





細い花
2014 / 11 / FUJI SPERIA PREMIUM 400






四枚とも今熊野観音寺で撮ったもの。観音寺といっても、これを撮った同じく去年の秋、紅葉の写真の時に背景として一部写した、というより写っていただけで、ほとんどお寺そのものは撮影の被写体にはなってません。
だから観音寺がどんなところなのか、去年の紅葉の時から引き続き、さっぱり分からないはず。

最初のはちょっと露出をミスってる感じかな。色もうまく取り込めなかったし、コントラストも必要以上に高くなってる。でもフィルムはそういうイレギュラーなことが起こるのが楽しいという側面もあるから、そういうのもフィルムを使う醍醐味の一つだとも思ったりします。フィルムは画質がどうのこうのということよりももっと別のところに特質があると思うところもあって、このことはそのうちまとまった形で書いてみたいです。
三枚目のは深い森の一部に光りが射して、妖精が舞い踊ってるような場所という、まぁありきたりといえばありきたりのファンタジックなイメージを重ねていたんだけど、撮った写真ではあまり収束した光には見えないです。上手く重ねられなかった割に、既存のこういった類のイメージに寄りかかろうとしてるのだけは目立つように思います。

☆ ☆ ☆

使用したカメラはモノクロのがフジフィルムのナチュラ・クラシカで、細い植物以外のカラーの二枚はミノルタのNEW X-700、植物のがいつものNIKON F3HPでした。
カメラをとっかえひっかえして使うのはそれだけでもちょっと気分が変ったりするので楽しいんだけど、こういう纏め方をするときには若干煩雑になるので、ある場所で撮る時はこのカメラとか決めたほうがいいのかも。後で写真探す時も、わたしはパソコンの中ではカメラごとに日付、内容と分けて分類していて、同じ場所で撮ったものでもその時使ったカメラ別に分かれてしまってるから、あの写真どこに保存したかと探すのに時間使うことがあります。
カメラも大体いつも二台持ちが基本で、一台は首や肩にかけたりするようなものと、もう一台はコンパクトにバッグの中にしまいこめるようなものというパターン、そのパターンの枠組みの中で出かけるたびにカメラの組み合わせを変えたりするから、後で目的の写真を探す時の混乱はさらに輪をかけて酷くなります。
いずれにしても数が多くなってくると探すのは苦労するようになるとは思うんだけど、カメラの使用に関してもある程度条件つけておいたほうがいいかもしれないです。

ミノルタのX-700、わたしのは露出のロックが出来る後期型。アダプターを介してM42マウントのレンズを使う目的で手に入れたんだけど、ミノルタのレンズが意外と質感豊かに写るものだったので、結局ミノルタのレンズばかり使うことになって、当初の目的だったマウントアダプターも未だに買わずじまいです。
このカメラ、ボディはやわなプラスチックで持っていても楽しくないし、結構壊れやすい。中古カメラ屋で見つけても何かしら変になってる固体が多い印象です。
わたしの持ってるのなんかはレンズの絞り値をファインダーに導く小さなミラーが外れて、ファインダーで確認できなくなっていたりして、何をしても壊れそうにないニコンのカメラなんかと比べると総合的な質は今ひとつ。でもそんな頼りない作りのカメラにも、ファインダーがかなり見やすいって云う特筆すべきポイントがあって、これは一度体験してみる価値はあるかも。
アダプターを介してM42のプラクチカマウントのレンズをフィルムで使うには、とにかく見やすいという点で最適のボディだし、本来的なミノルタのレンズは、わたしはボケ命の撮り方はしないけど、ボケ味は柔らかく、ピントがあったところは本当に立体的に写るいいレンズが多い印象です。それにミノルタのレンズは需要があまりないからなのか結構安い。

と、こんなこと書いてるけど、ミノルタは最近出番がなくなってます。お気に入りのノルウェーの写真家の使ってるカメラがニコンのF3とFE2と知り、FM3Aは名前にFM3とついてはいるけど実質的にはFMとFE両方の後を継いだハイブリッド機種だから、この写真家とわたしが使ってるニコンのカメラの志向がほぼ完全に一致してると気づいてからは、35mmのカメラではF3とFM3Aの出番が格段に増えてしまいました。
オリンパスのOM-1も最近ほとんど使ってないし、我ながらこういうところは結構流されやすいという感じかも。



☆ ☆ ☆


ひとりぼっちの旅 はしだのりひことシューベルツ



古いフォークソングをまた一曲。
Youtubeの動画はなぜか前半をライブの録音、後半をスタジオ録音と同じ曲が2曲続く形になってます。
後半のスタジオ録音のほうのアレンジが結構好み。おそらく青木望さんの編曲だと思うんだけど、この人の編曲した曲は結構好きなのが多いです。
はしだのりひこは以前四条辺りを歩いてるのを何度か見たことがあるけど、今はどうしてるのかな。いろいろ漁ってるうちに知ったのは伏見の人らしいということ。それにしても別に意図してるわけでもないのに「伏見」というキーワードが頻繁に出てくる。
バックにこういう動画を流して聴いてると、旅情といったものを感じてきます。さすが「旅」とタイトルに入ってるだけのことがあるというか。
歌詞はこういう雰囲気のあるフレーズを適当に組み合わせてるだけで、あまり意味になってないような気がするけど、雰囲気が伝わればいいのかなぁ。







BIG ARTIST BEST COLLECTION/はしだのりひこ(シューベルツ)(クライマックス)BIG ARTIST BEST COLLECTION/はしだのりひこ(シューベルツ)(クライマックス)
(1989/06/07)
シューベルツ,クライマックス はしだのりひこ、クライマックス 他

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蹴上、岡崎辺り + 赤瀬川原平さんの本をもっと読みたかった。 +Elysian Feels - Future Sound Of London

関西電力蹴上発電所
関西電力蹴上発電所 2014/05

煉瓦の建物繋がりで。
今年の春に蹴上の浄水場でつつじの写真を撮っていた頃、蹴上は久しぶりだったのでまたちょっと付近を歩いてみて撮った写真。実はこの建物、以前にトイカメラで撮ったものを一度ここに載せたことがあるんだけど、今度はモノクロで、画角も違うし、まぁ写真の雰囲気も変化してるだろうということで。
この発電所は側面は背よりも高いフェンスに遮られ、発電所との距離も離れていて上手く撮れず、この三条通に面してる部分のみ遮るフェンスもなく、高い位置から見下ろす形ではあるけど、撮影しやすい場所となっています。おそらくこの建築物の写真撮る人はほとんどがこの場所から撮ってるはずで、似たような写真が量産されてると思います。近寄れないということもあわせて、雰囲気を変えて写真を撮るといっても限度があるのがもどかしい被写体かもしれないです。

正式には関西電力の第二期蹴上発電所。琵琶湖疏水を利用して京都に電力を供給していた施設です。明治45(1912)年に完成したとあります。


蹴上発電所 窓
関西電力蹴上発電所 2014/05





蹴上発電所 星
関西電力蹴上発電所 2014/05



窓ガラスは割れたまま、壁面は蔦が這いまわり放題の巨大な廃墟。としか見えないし、実際のところ廃墟同然なのかもしれないけど、柵に沿うように歩き回って周囲を眺めてると、完全に放置され荒れるに任せたままという正真正銘の荒んだ廃墟とはちょっと印象が異なっていて、私が見物に行くような時間では今までに人の気配に出くわしたことはないものの、古びた煉瓦の建物の片隅に、普通に今風の出入り口らしきものが見つかったり、かなり手入れされてるような印象を持つところも結構あったりします。調べてみるとどうやら今も稼働中の施設のように記してあったり、京大の関連施設になってると説明してるところも見つかったりするんだけど、廃墟にしては小奇麗といいながら、現役のものとしては荒れすぎてるという、謎めいた雰囲気のある施設です。使ってるならどうしてガラスくらい嵌め直さないのかなぁ。

割れたままに放置されてる窓ガラス、建築物の上層階にあり近寄りもできないけど、離れた柵越しにその割れたガラスの向こう側、薄暗い中の空間の一部が詳細も分からないまま、薄明るい影のように垣間見える、こういうのは凄く想像力を刺激して、破れた窓ガラスの向こうでは、きっとある瞬間に凍りついたように時間が止まった空間が広がってるんだろうなと思い巡らすと、中の様子を見てみたいという欲望が沸きあがってきます。中を覗いた瞬間に立ち消える好奇心で、覗き窓に隔てられてるからこそ湧き上がる欲望なのかもしれないけど、それでもやっぱり中を見てみたいです。





インクラインからの階段
蹴上インクライン 2014/04

この辺りにやってきた時は大抵、インクラインの線路跡を歩いて、昔使っていた船なんかがまるで放置されてるとしか思えない形で雨ざらしの屋外展示されてるところまで上がってくると、そこから発電所施設の一部が、まるで「ミスト」の世界を思わせるような、住民が誰もいなくなった後も謎めいた機械が自律的に動き続けてる世界といった佇まいで建ってる、その傍らを通り抜け、人の気配のないままに山のふちを巡る水路を辿って、その先にある南禅寺の水路閣の上層へ辿りつくようなコースで歩き回るのが常なんだけど、この写真を撮っていた時はちょっと足を伸ばしてみようと、いつもはインクラインの線路跡を登りきったところで方向転換して「ミスト」の世界に入るところを、ここは方向転換せずに、さらに先へと歩いてみることにしました。

南のほうへ少し下り東へと九条山に分け入る道を選んで、木立の中の道を日向大神宮の方向へ。
日向大神宮の手前にはちょっとした人家の集落があって、それほど麓とは離れてはいなかったけど、こういうところに住んでる人もいるんだと物珍しげに辺りを見回しながら歩いてました。


木漏れ日の道
木立の道 2014/05





日仏交流会館 廃墟
関西日仏交流会館 2014/05
画面中央の赤い花がポイントだったんだけど、全然目立ってない…。


何だかお金持ちが住んでる?といった雰囲気があるようなないような集落を歩いてると、いきなり目の前に巨大な建物が現れてきました。凝ったデザインで並んでる閉じた窓の列や多階層のような外観が集合住宅かホテルのような施設を連想させるものの、人の気配が全くない。
今まで通ってきた小さな集落も外へ出て歩いてる人は一人もいなかったし、春の陽光が照り返る、無人で静まりかえった道路に一人立って、これまた人の気配が絶えた不思議な建築物を前にしてると、空間そのものが現実感を失っていきそうな感じになっていきます。
あぁ、これも廃墟なのか、と思いつつ、ここは柵等設けてなかったので、入り口らしい大きなガラスをはめ込んで閉ざされてるところへ近づいてみるとその脇には貼り紙がしてあって、この建物は関西日仏交流会館ヴィラ九条山というものらしく、なにぶん今年の春に一度読んだ切りなのでまるで正確には覚えてはいないんだけど、現在は使用しておらず別の場所に移転してる、でも今年の秋くらいにはこちらの会館も改装して再開するつもり、といったようなことが書かれていました。
一時休止的な状態であるということだけど、本当かなぁというくらい時間が途切れてしまってる印象があり、私が記憶してる通りだったら、今頃は再開して活気に満ちてるかもしれないものの、何だかその可能性は低そうな感じがします。

ここも中に入ってみたいなぁという欲望を抱きながら、交流会館の際から二手に分かれてる道を、一本はどうもさらに山の上にある老人ホーム的なところに通じてる道のようだったので、残りの一本のほうへ進もうとすると、交流会館の前にいた時は木立だか建物だかに遮られて見えなかったものの、角を曲がったとたん日仏交流会館のような再開予定のある廃墟途上のものじゃなく、本格的な廃墟が目の前に現れることになりました。

急に広い場所を見渡せるようになったわたしの視界に、この時は上手く写真に撮れなかったんだけど、単純に柵に遮られてる向こう側で荒れ果て朽ち果ててる巨大な施設の全貌が飛び込んできます。いかにも廃墟でもありそうな荒れた空間に囲まれた中とか、そんなところにあるんじゃなく、ごく日常的に明るい太陽に照らされた山沿いの集落を縫う道路のすぐそばにこんなものが存在するのはとても超現実的な光景でした。
帰ってから調べてみると九条山旧浄水場ということらしいんだけど、ここはちょっとかっこよく写真を撮ってみたい。

この時辿った道は旧浄水場の廃墟を傍らにして通り過ぎると、そのまま山を降りて麓の三条通りに出てくるようになっていました。三条通りをそのまま南に下っていくと程なく全和凰美術館の廃墟があるし、三条通りをはさんで向かいの山すそにはアクアパーク東山の廃墟があると、この辺りは廃墟の集積地になってるような感じです。廃墟巡りツアーとかできそう。


ミニチュア風アクアパーク東山
アクアパーク東山 2011/11

あまり気に入った撮れ方でもなかったのでアップしなかった、以前に撮ったアクアパーク東山の廃墟の写真も。しまっていたフォルダの日付によると、3年ほど前に撮った写真になります。
これ、昔の怪獣映画にでも出て来そうなミニチュア風の写り方になってる。ミニチュア風に写る写し方があるのは知ってるけど、そんなこと考えないで撮ってるのに何でこんなに作り物臭いんだろう。


☆ ☆ ☆

この前の記事をアップした日だったか次の日だったか、赤瀬川原平さんが亡くなったというニュースが流れてました。
わたしはこの人の本を結構読んでいて、昔は桜画報のころから、超芸術トマソンの頃まで、小説家として芥川賞を取った頃、老人力で世間的にも名前が知れ渡っていった頃くらいからちょっと離れていたんだけど、カメラを使い出すようになってから、「金属人類学入門」など、赤瀬川さんのクラシックカメラ好きというもう一つの顔のほうに手を出し始め、最近は以前読んで手放してしまった本なんかを古本で安く買いなおしていたりしてました。
60年代の日本の前衛芸術の一角を担うところから小説家まで、写真はまぁ趣味のほうで画業ほどには飛びぬけて上手いとは思わなかったけど、極めて多才な人という印象。著作に共通してるのは思いもつかないようなものの見かたをユーモアを交えて提示するといった感じのもので、その視点はこれも赤瀬川さんが著作で紹介した宮武外骨の「過激にして愛嬌あり」というキャッチがぴったりだったんじゃないかと思います。昔読んだような本を買いなおしていて、そういえばこのところこの人の名前をメディアで見かけなくなったと思っていたところの訃報だったので、何だか納得してしまったところもあるんだけど、もう新しい本が読めないのは本当に残念です。
昔青林堂に桜画報大全を注文した時、送られてきた本には頼んでもいないのに赤瀬川原平と直筆のサインが入ってました。赤瀬川さん、暇なのか?と思ったことがあります。
これも昔、60年代から70年代にかけての美術手帖を古書店で買いあさっていたことがあって、これに連載されていた赤瀬川原平さんの「資本主義リアリズム講座」というのがめっぽう面白かった記憶があります。お札の工作というような講義の回に読者が本当にお札を作ってしまい問題になったことがあったらしいので、そのせいなのかこの連載ものは未だにまとまった形で本にはなっておらず、こういうのをまとまった形で読みたいと思ってます。

本屋に行ってみても追悼のコーナーが出来てるわけでもなく、澁澤龍彦さんが亡くなった時も本屋はほとんど反応しなかったし、その頃から本屋文化はまるで駄目になった印象なんだけど、未だに駄目なままで続いてるっていうことかな。


☆ ☆ ☆


Elysian Feels - Future Sound Of London



Elysian Feels by the Amorphous Androgynous
さわりの部分だけだけどライブの様子。



フューチャー・サウンド・オブ・ロンドンの曲は別名義であるAmorphous Androgynousでリリースしたアルバム「アリス・イン・ウルトラランド」を聴いた時にビートルズのサイケデリック方面の今風の再構築だと思ったことがあって、時代を経てよみがえったシタール鳴りっぱなしのエレクトリック・トリップミュージックに心騒いだことがあったんだけど、この曲もその延長上にある感じかな。
スネアを連打するドラムが結構好き。




Isness & the OthernessIsness & the Otherness
(2012/05/22)
Amorphous Androgynous

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この曲はいくつかヴァージョン違いがあって、ここに載せたのはアビーロードヴァージョン。わたしはこのヴァージョンが好き。アルバムとしてはThe Othernessに収録されてます。







人の形を成したもの

茶碗坂のほていさん
茶碗坂 2014/07

清水寺に向かう茶碗坂の、寺にはいるちょっと手前くらいの民家の玄関横に堂々と鎮座してるほていさん。このほていさん、わたしは妙に気に入ってしまって何度か写真撮ってるんだけど、なぜかどうも上手く撮れない。うまく撮れないというよりも納得した撮れ方にならないという若干困った被写体でもあります。大体光の当たり具合で強烈な影が出来る位置に立ってるほていさんで、結構光は移ろっていき、その加減が思うようにならないといったところなんだろうけど、この写真は胴体に妙な光が当たる時間帯だったようで、胸とお腹が奇妙な形を浮き上がらせてました。

人を撮るのは大の苦手。街中で写真撮ってると、人というのは結構大きな意味合いの被写体になると思うんだけど、だからといって撮るとなるとかなり敷居が高い。
知人ならともかく、知らない人を写した写真は後で見返してもわたし自身の感覚から云えば結局これは誰なんだと思うばかりであまり面白くないし、根本的に人見知りの内弁慶な人間なので、全くの通りすがりの人に、道を訊くような、知らない人に話しかける誰も文句のつけようがない理由でもあるようなのとはまったく逆の、他人に話しかけるにしてはまるで必要性もないような、撮影の許可を求めることからしてストレスが大きすぎて、気分が萎えます。
アクセント的に欲しいと思うような時には添景として人の姿を入れるようなこともあるんだけど、こういう風に画面の隅っこに人らしいものを入れるのも何だか未練がましいっていう気も最近ではしてきて、こうなると、人らしいものがフレームに入ってたら、珍しく人が写ってるなんて云われるような武田花さんの写真のように、積極的に人を入れない写真にしようかなとも最近は思ったりしてます。

第一わたしはポートレート写真って云うのがさっぱり分からない。とても美人で見惚れるとかいうのだったら分かるけど、しわだらけの老人の写真を出して、人生がどうのこうのなんて云いたそうなものは、わたしは写真は徹底的に表層的なものしか写さないと思ってるから、何だか薄っぺらいヒューマニズムもどきのものを纏って、表層的であることを恥ずかしがってでもいるように、いかにも意味ありげに仕立ててるもののようにしか見えないところがあります。



満身創痍の飛び出し注意
藤森 2014/07

藤森小学校の門の前にいつも立ってる飛び出し注意の子供。満身創痍とでもいえそうな見かけで、飛び出すとこうなるよと、身をもってメッセージにリアリティを盛り込んでるのだろうか。

写真として人を撮ることの意味合いとか未だにいまひとつ理解し得ないところがあり、それは基本的にはわたしの人間への関心の薄さのようなものとリンクしてるんだろうと思います。
でも人の生き様のようなものを描こうとしたりすることにそれほど注意が向かない、というか自分の任じゃないと思ってるにしても、人に関わることにまるで無関係でい続けてるというわけでもなく、人の形については結構興味を持ってるんじゃないかと思ってます。
人の形は呪物の根源にあるものだし、マジカルでとても特殊なもの。
本来の人そのものには臆してしまうことがあるけど、人形好きだったり、マネキンや人の形をした看板なんかを見ると結構嬉々としてシャッター切ってるのは、人の形を取ることで呪物化するそういう妖しげなところに惹かれてるからかもしれないです。

浮輪とマネキン
梅田 2014/07

こういうのを写真に撮ると、いつも思うんだけど、この写真がたとえばかっこいい仕上がりになっていたとしても、そのかっこよさはディスプレイした人のセンスによるものであって、写真を撮った自分にあるものじゃないだろうっていうこと。
そこから、ならば自分の表現にしてしまおうといろんなテクニックを積み重ねてイメージを表現的に組み立てていくか、写真の本義は記録にあるとして記録者に徹するか。まぁこんな極端な分かれ方は実際にはしないと思うけど、シャッターを切るだけで誰でも目の前にあるイメージを簡単に切り取れるカメラという媒体を使う限り、そういうことはいつも頭の片隅に残ってるんじゃないかと思います。

この写真は乱舞する浮輪の様子も面白かったんだけど、マネキンの光の当たり方がかっこよくてシャッターを切りました。





向日葵、他。 + BEBO DE CUBA - Bebo valdes

向日葵1
小椋干拓池 2014/07




向日葵と鉄塔
小椋干拓池 2014/07

小椋の干拓池に向日葵が咲いていたので、これは夏っぽいと思い、撮影してみました。
宇治川を挟んで南に広がる広大な干拓地。荒涼たるものなんていうアイディアで以前に写真撮りに来たところ。宇治川を挟んで北側には三栖閘門の聳え立ってる姿が見えるところです。
見渡す限り農地と川縁の荒れ野と送電線の鉄塔しかないような場所に、なんだかぽつぽつと小さな群れを成すようにして向日葵が咲いてました。
この辺りの農地、見たところ田んぼがほとんどなんだけど、季節の狭間のような時期にやたらカラフルな花が咲いてる一角が出現することがあります。商売で植えてるのかどうかいまひとつよく分からないままに、程なくしてまた普通の田んぼに戻るような変化だったりするんだけど、この向日葵もそういう感じなのかなと思ってました。

もうちょっと撮ってみようかと思って暫く後にもう一度行ってみたら、広い干拓池の空間の中で、離れ小島のように小さな群れを成して咲いていた向日葵は見事に全滅、枯れ果てていたので、やっぱりお金に換えるために植えられていたものでもなかったようです。
でも、それにしても、農地にそんなものが生えてきて、商売目的じゃなく手入れもしないなら、さっさと取り除くとかすればいいのに、どうして枯れはてるままに放置してあったんだろう。

撮影したのは先月の半ば過ぎ、梅雨はまだ明けてなかったかな。それほど青空でもなかったけど真夏並みの日差しで、見渡す限りの平野だから日差しをよけるために身を寄せるような影も無く、少し歩き回っただけで辟易して帰ってきました。
ということであまり思うようには撮れなかったけど、せっかく撮ってきたので載せておきます。
最初のは後ろの蕾とセットで撮ってみようと思ったもの。
二枚目のは群生してるわけでもなかったから、周囲にあるものとのコンビネーションになる写真が多くて、鉄塔との組み合わせが面白いかなと思って撮ったもの。個人の農地の中に咲いてるのがほとんどで、有刺鉄線の囲いの向こう側なんていう状況が多かったです。
使用したカメラはミノルタのNEW X-700。MDロッコールの50mm 1:1.7で撮ってます。フィルムはイルフォードのモノクロXP2。囲いの向こう側といったロケーションが多かったから望遠持ってくればよかったと思って撮ってました。



群生するものたち
小椋干拓池 2014/07


同じ時に撮ったもの。植物の名前は知りません。なんだかメインで撮っていた向日葵よりもこっちのほうがかっこいい?
こっちを中心に記事にしたほうがよかったかな。



☆ ☆ ☆

Nocturno de Batanga - Bebo Valdes


Ar Ni Froken Pehrson



キューバ音楽の重鎮べボ・ヴァルデスのアルバム「BEBO DE CUBA」から。アルバムはCD二枚に渡って「Suite Cubana」、と「El Solar de Bebo」の二編構成になる大作となっていて、熱狂とメランコリーといったラテン独特の雰囲気が目一杯詰まってます。
2曲とも「Suite Cubana」のほうから。
曲順としては「Suite Cubana」の最後となる2曲目の旋律が凄い好き。でも吃驚するほどシンプルなテーマが流れたと思ったら暫くパーカッションが続いて、また冒頭のテーマが一度演奏されてお終いという風に、ユニークといえばユニークな構成なんだけど、ほとんど曲的に展開する間もなく終わってしまうのが物足りない曲でもあります。
ちなみにこのアルバムは第48回のグラミー賞で最優秀トロピカル・ラテン・ポップ・アルバム賞を受賞したんだそうです。







Bebo De CubaBebo De Cuba
(2005/05/31)
Bebo Valdes

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