秋の日に拾い集めた時間たち

蔦

2015 / 11 / Golden Half + 22mm Lens / Fuji SUPERIA PREMIUM 400





エスカレーター

2015 / 11 / Golden Half + 22mm Lens / Fuji SUPERIA PREMIUM 400



前回の写真が向こう側への憧憬によって成り立っていたとするなら、今回はもうちょっと地表に留まってるところがある。
特異なものに視線が絡み取られて凝視したというよりも、通り過ぎなかったから結果視線を止めてしまったっていう感じ。感覚は極めてプライベートで、主観的なものだけど、その正体は自分でもよく分からない。
通り過ぎずに、そこで視線を流さなかったということの意味が、まるでカメラを通せば理解可能なものになるかもしれないとでも思ってるようなシャッターの切り方?
唯プライベートといってもこういう風に写真を撮って自分の視線を追体験してみると、プライベートだとか主観的だとか、自分のものといいながらも随分と視線はコード化されてると思う。生まれてから見聞きしたいろんなものがブレンドされて、自分のものだと、自分では思ってる感覚を作り上げていて、それは結局のところ他者の集合体に過ぎないもののようにも思えてくる。




滑り台

2015 / 11 / Golden Half + 22mm Lens / Fuji SUPERIA PREMIUM 400





片隅の花

2015 / 11 / Golden Half + 22mm Lens / Fuji SUPERIA PREMIUM 400




蔦のような壁を這い回るものは、廃墟の記号だから面白い。でもこれよく見ると壁に這わせるように網が仕掛けてある。装飾的に這わせてあるわけで自生してるわけでもなく、廃墟的に見ようとしたならこれはちょっと興ざめなところがあるんだけど、撮った時には気づかなかった。
公園なんかにある遊具は被写体としては難易度が高いと思う。何だか結構良い被写体になりそうに見えるのに、実際に撮ってみるとまるで様にならないというか、どうでもいいようなイメージにしかならなくて途方にくれてしまうことがほとんどだったりする。


☆ ☆ ☆


ちょっとお気に入りの造形作家、というかクラフト作家とでも云うのかな、そういう作家さんがいて、なぜその作家さんが気に入ってるかというと、その造形作家さんが撮っていて、自分の作品の素材にもしてる写真がわりと面白いからだったりする。影響を受けた写真集に宮本隆司の「建築の黙示録」をあげてたような作家さんだから、「建築の黙示録」は正確に云うと廃墟そのものじゃなくて解体中の建築を撮った写真集なんだけど、分類するならこれはどう見ても廃墟好き。こういう廃墟好きなんていうところでも感覚的に親和性があるんだと思う。
で、何でこんな話を始めたかと云うと、最近この人が愛用していたカメラのことを知って、これがあの興味を引いた写真を撮ったカメラなんだと思うと、わたしも欲しくなって手に入れたから。こういうところは基本的にミーハーな性格の持ち主だ。
フィルムカメラはペンFが好きでこれを使い、それ以外のデジタル一眼で使ってるのがペンタックスのK100D Superというカメラだそうだ。
フィルムのペン好きで廃墟好き。わたしも似たような志向があるから同調する写真があるのも当然のことか。
情報の出所が2009年とちょっと古く、今もこのカメラを使ってる可能性はかなり低そうだけど、少なくとも自分が面白いと思った写真はこのカメラで撮られたのが分かっていたから、今は当然遥かに性能がいいデジイチが出てるのを承知で手を出してみることにした。今時フルサイズでもないこんな古いデジタルカメラを買うのは馬鹿げてるかとも思ったけどね。
2007年くらいに出てきたカメラで、なんと画素数は610万画素。いまのアイフォンよりも貧弱な様子だ。ちなみにまるで傷も汚れもない綺麗なボディで、一度もページを繰ったことがないだろうというほど折れ目一つついてないマニュアルも含め付属品が全部ついて値段は1万円しなかった。形は今のデジタル一眼特有のおにぎりのような丸っこい形で、わたしはカメラの形としてはあまり好きじゃない。
ニコンのフィルムカメラにF100っていうのがあって、このカメラ使い勝手は凄く好きなんだけど、形が今のおにぎりタイプに変化していく途上にあるという雰囲気で、このせいであまり手に取らないカメラになってしまってる。このK100D Superのおにぎりカメラを使うことで、F100も使う気分が盛り上がるかな。

k100d super

今主流のカメラと違うところは、センサーがCCDだということと、単三の電池駆動だということかな。専用のバッテリーだと生産されなくなった時点でカメラも先が見えない状態になるけど、市販の電池を使ってるとそういうこともなく、これは結構なポイントかも。あと、この作家さんはこれに70年代の古いペンタックスのレンズをつけて使ってるということだった。このカメラは古いペンタックスのレンズでも、本体の機能をかなり制限なく使える設計になっていて、それはコンセプトとしてはいいと思う。しかも古いペンタックスのレンズって安いんだ。
ただ70年頃というならタクマー銘のスクリューマウントのレンズになるのかなぁ。プラクチカマウントのレンズはわたしも何本か持ってるんだけど、さすがにこれはカメラに取り付ける形そのものが違うから、使えるといってもアダプターが必要になる。
もうちょっとで10年前となるようなカメラを持って、そのうち出かけようと思う。センサーが今のものとは異なってるのが好影響となって、さてフィルムカメラのように時代を違えたような雰囲気の写真が撮れるだろうか。









古いフィルムカメラ使ってると、本やCDのことでも書かない限り、アマゾンのリンクが貼れなくて面白くないので、ゴールデンハーフは何度目のリンクになるか分からないけど、貼れそうなものを書いた時は積極的に取り上げてみる。
K100D Superのほうはアマゾンだと結構高い。




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秋の空を滑空するか、眼差。

枯葉
枯葉のステップ
2015 / 11 / Golden Half + 22mm Lens / Fuji SUPERIA PREMIUM 400





壁が奏でる
壁が奏でる。
2015 / 11 / Golden Half + 22mm Lens / Fuji SUPERIA PREMIUM 400






秋の空を滑空するか眼差
秋の空を滑空するか、眼差。
2015 / 11 / Golden Half + 22mm Lens / Fuji SUPERIA PREMIUM 400


とは云っても、見上げてはいるものの視界は壁に遮られて、空に通じてるのは一枚だけだけど。
写真は全部、この秋にサブカメラの一つとして持ち歩いてるトイカメラのゴールデンハーフで撮ったもの。ハーフサイズのアスペクト比はライカ判のものより、縦位置にした時に横幅が若干広いのが、わたし的には結構使いやすかったりする。ライカ判も悪くはないけど、たまに細長いなぁって思うことがあるから。重いというよりも持ち運ぶ時の馴染まなさが半端じゃなくて、あまり持って出かけないMamiya RZ67 Pro IIのフレームに、まだちょっと細長いけど近いかな。ゴールデンハーフは一番安価で手軽に使える6×7に近いフレームっていうところか。

元々フィルムの面白さに気づくことになったきっかけがトイカメラだった。だから、トイカメラは今でも大好きだし、普通のカメラに少し倦んだ時なんかには使いたくて心がざわめくこともある。夏頃からトイカメラの叩き売りで重宝してる、京都ヨドバシのヴィレッジヴァンガードのアウトレット。その店で豪快に放出されてる様子からしても、既にトイカメラなんて流行でもなんでもなくなってるけど、トイカメラ好きとしてはそのほうが気分的には使いやすい。
でも、好んで使ってるからといって、こういうのが個性的だとはほとんど思わない。かなり以前に、これはフィルムじゃなくてトイデジのビスケットカメラについて書いたことは今でも考え方としては変っていなくて、むしろ類型的なものの典型なんじゃないかと思う。

☆ ☆ ☆

今回の写真はいつにも増して主観的というか情緒的な写し方になってるかなぁ。
純粋に客観的かどうかという観点なら、そちらの方向を向いて、ある特定の範囲をわたしという個人的な視線で切り取ってる段階から既に客観的ではなくなって、主観的なイメージになってる。カメラ任せに撮っていて情緒的というのも考えてみれば妙な話なんだけど、ピントリングさえついてないような曖昧なフォーカスや、現実の色からはどこか傾斜してるような色合い、安定しない光の入りかたといったものが、そういう風に見えるサインを含んでいるんだろう。本来的にはもうちょっとドライな撮り方が性にあってるような気がするんだけど、こういう類型的な逸脱、情緒的に見えることもあるちょっと胡散臭い揺らぎのようなものもなかなか楽しい。それに、すぐに凝り固まってしまう感覚に、本格的逸脱への未踏の道に気づかせてくれるかもしれない可能性だってある。

☆ ☆ ☆

最初のは東福寺辺りの鴨川の、堤防の壁面に降り積もっていた枯葉。撮っていた時は東福寺では紅葉の真っ盛りで、駅周辺でさえも、しまった来るんじゃなかったと思うほど人が多かったんだけど、撮りに行こうとしていた場所は東福寺とは正反対の方角だったので、一気に人の気配は途絶えて、それほど辟易することもなかった。
一番下のも同じく東九条辺りで撮ったもので、遠くに京都タワーがぼんやりと見えてたりする。ちなみに東九条は映画「パッチギ」の舞台になったところで、映画は無知を下敷きにして平気な政治的プロパガンダに辟易するものの、そういうのを無視できるなら、不良学生がひたすら喧嘩に明け暮れる娯楽映画としては楽しめる。少し前の、でも今となってはもう見ることも出来ない京都の町も懐かしい。俳優は主役じゃなかったけど桐谷健太が面白いんだなぁ。沢尻エリカも可愛らしかった。

真ん中のは藤ノ森の高架下。右下の縦に細いグレーの出っ張りと下の白っぽいラインと暗号めいた文字がポイントだ。





調節は出来ないけど、フラッシュがつけられるホットシューを装備してるのが、この類のトイカメラとしてはかなりの利点となってる。
写りは実は意外なほどまともで、しっかりと撮れるカメラ。普通によく撮れるのでトイカメラっぽさを期待するとちょっとがっかりするかも。



夏のラフスケッチ 構造化する世界 + Danny Boy - Mahalia Jackson

扉と窓の構成
柳小路近く 2014/09

四角い枠が画面を区切る。区切られたフレームにはそれぞれに様々なテクスチャ。意味ありげな文字。無彩色に近い色面と赤いパートの色彩的コントラスト。
ファインダーを覗いてる時に頭の中を巡っていたのはこういったことだったかも。
今回の写真もこの夏使っていたトイカメラ、ゴールデンハーフで撮ったものだけど、今回のはノーファインダーじゃなく、きっちりとファインダーを覗いてます。ただ覗いたからといってファインダーで切り取ったそのままで写真になってるわけでもないんだけど、ノーファインダーよりもシャッターを切った時の意図は反映されてると思います。
それにしても、単純なプラスチックレンズがついただけのおもちゃのカメラなのに、写る時は嘘みたいに質感も伴って写る時があるのはちょっと吃驚。

続いて夏の、とタイトルにいれてはみたけど、10月に入ったとなるとさすがにちょっと季節外れの感じがしてきて、この冠詞は取り外してしまおうかと、夏の、といっても別に夏らしいものを撮っていたわけでもないし、ただ撮っていた季節が夏だったというだけの話だから、それほど重大な意味が含まれてるわけでもない。
でも、ラフスケッチだけだと、何もこんなに特別なもののようにわざわざタイトルにしなくても、わたしが撮ってる写真は結局のところ全部ラフスケッチみたいなものだから、あえてつけるタイトルでもないような気もします。

いつも記事のタイトルはどうしようかと思案のしどころになってます。
場所が限定されていたり、何かテーマを持って撮ってるとそうでもないんだろうけど、今夏のような、町の中を歩き回って目に付いたものを片っ端から撮ってた写真はどこへ行って集中的に撮ったというのでもないから、伏見稲荷大社!のようなつけ方も出来ません。

で、メインタイトルが心許ないものだから、副題めいたものを追加してみるんだけど、今回のは大層なことを言ってるように見えながら、写真とか絵画とか、結局のところ混沌とした世界に理解可能な秩序を与える作業のようなものだから、構造化する世界なんて大層に書いても、大半の写真や絵画がそういうことと似たことをやってる以上実は何も言っていないのと大して変らない副題だったりします。
さらにこういう副題をつけておいて云うのもなんだけど、写真を撮ったりするのはそういう作業なんだろうと思う反面、目の前の混沌を混沌として形にするのも魅力的に思えてきたりして、被写体と背景のヒエラルキーだとか見栄えのいいバランスだとか、そんなもの一切関係なく、あらゆるものが等価であるような、云うならばノーニューヨークのような態度で写真撮れないかなと思うこともあります。構造化する世界の写真を撮りながら、解体する世界を夢想したりして、写真を撮る時の態度はいささか両方向に引き裂かれ気味。


重機
河原町三条角、ビル解体工事現場 2014/09

硬質で無骨なイメージかっこいい、機械の一部がかっこいい、錆もかっこいい、様々な角度で走る縦のラインが何だかモダン。色面構成的。
これはこんな感じかな。でも本当はファインダーを覗いてる時はあまり考えないほうがいいです。頭であれこれ考えてるうちに、どこか理屈に落とし込んでしまうと、写真が感じるじゃなくて納得するっていう形になってしまいがちで、納得する写真って、納得した時点で完結して、終わりになってしまいます。後々まで何か引っかかるものが残るような写真は納得する写真からは生まれないように思います。
だからこんな風に書き出してはみたものの、言葉に置き換えるのもプラスになる面、マイナスになる面、両方ありそう。

まぁ感覚が高揚するのも、萎えてしまうのも、感じるままにやればいいってことなんだろうけど、でも、たとえば見てなにかを思ったものや事は一度言葉にしてみるのは、言葉にすることで取りこぼしてしまうものがあるのは承知の上で、自分が感じたことに形を与えることが出来るから、たまにやってみるのはいいかも知れないとも思ってます。

今回は何だか取りとめのないことを書いてる。


自宅付近
自宅付近 2014/08


今回の写真は上にも書いたように総てゴールデンハーフで撮ったもの。さらにノーファインダーではなくきっちりとファインダーを覗いて撮ったコマから。
フィルムは上の二枚がフジの感度800のもの、最後のがコダックのスーパーゴールド400でした。
この類のカメラは低感度のフィルムを使っても絞りを開いて遊ぶようなことも出来ないし、ゴールデンハーフに関してはハーフサイズなので元から粒状性がどうしたとかいう撮影にもならないから、晴天の昼間だけじゃなく撮影できる時間帯、状況を増やすために出来るだけ高感度のものを使ったほうがいいです。

フィルムといえば気温もそろそろ下がり始めて、現像液の温度管理もやりやすくなってきたので、暫くやめていたモノクロフィルムをまた使い出そうかと思っています。カメラの調子を見るために今入れてるカラーフィルムを撮り終わった後で、夏前にハッセルに装填した期限切れフィルム、これ結局一度も使わずに夏を越してしまったんだけど、これを撮ってみてまだ使えるようだったら、残りの期限切れ二本を早急に使うのと平行してモノクロをいれてみるつもり。
そういえば最近カメラ雑誌を立ち読みしていて、フィルムは意外と増益にシフトしてるとか書いてありました。特にイルフォードのモノクロフィルムが、これはコダックのTri-Xの結構な値上げと入手しがたさや、フジが感度100以外のモノクロを全廃してしまったことの影響だと思うけど、今までの収益も順調だったうえにさらに売り上げを伸ばしてるそうで、わたしもコダックの仕打ちに今ストックしてるコダックのモノクロを使い切ったらイルフォードに変えようと思っていたから、同じように考えた人が大勢いるんだろうなぁと思いました。
イルフォードは海外では老舗のモノクロ専用の乾板、感剤メーカーなんだけど、コダックとフジの二強の影で日本では普及度はいまひとつ。各フィルムの違いが名前から予測できないところがあるので区別しがたく、この辺りをもうちょっと上手く宣伝したらもっと買いやすくなるんじゃないかと思います。
あと、チェコのフォマっていうモノクロフィルムも使ってみたい。





☆ ☆ ☆




Danny Boy - Mahalia Jackson


子供のt期にはじめて買ってもらったステレオセットに、お試しでついてきた音源に、この曲が入ってました。
なんて綺麗な曲なんだろうと虜になってから、今に至るも世界で一番美しい曲の座を、わたしの中で守り続けてます。
もちろんそこから今まで山のようにいろんな音楽を聴いてきて、「マイロマンス」だとか「マイフーリッシュハート」だとか「ティルゼアウォズユー」だとか、美しいと思うお気に入りの曲は増えたけど、ダニーボーイは未だに別格の特別席に陣取っているようです。

なまじ好きなものだから、好きな音の積み重ね具合とかも歴然とあったりして、いろんな編曲のものを聴いても、ここの和声はこういう音の組み合わせじゃないと思うところが必ずあって、これが完璧っていうのが未だに見つけられずにいます。

マヘリア・ジャクソンが歌うこの曲は、最初ゴスペルでダニーボーイ?なんていう場違い感ありありの第一印象で聞き始めたんだけど、程なく圧倒される結果となりました。思うような音の重ね方じゃないところもあるんだけど、そんな感想も吹っ飛ばしてしまうくらいの堂々とした歌いっぷり。
ゴスペル調アイルランドフォークソングなんていうなんだか居心地の悪そうな形にもせずに意外と原曲に忠実に歌ってたりして、それでこのマヘリア・ジャクソンの存在感なんだから、これはやっぱり凄いとしか言いようがないんじゃないかと思います。
ソウルフルなダニーボーイというのがこれほど聴かせるものになるとは思いもしなかったです。


1964年のアルバム「Great Songs Of Love And Faith」に収録されてます。
これはゴスペルというジャンルから離れて、単純に歌手としてのマヘリア・ジャクソンの存在を世間に認めさせたアルバムだったそうで、それはこのダニーボーイ一曲を聴いても容易に納得できるんじゃないかと思います。




☆ ☆ ☆





GoldenHalf ゴールデンハーフ RED TREES レッドGoldenHalf ゴールデンハーフ RED TREES レッド
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GoldenHalf(ゴールデンハーフ)

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ゴールデンハーフ、キティちゃんヴァージョン以外もオーソドックスなのがいくつか入手できるようになってるけど、これは再生産ということじゃなくて、おそらく在庫整理?
キティちゃんのがほぼ半額で買えるのに、この値段で売れるのか??









夏のラフスケッチ 向日葵、さらに六角堂。 + It Must Be True - The John Buzon Trio

枯れた向日葵
墨染 2014/09

枯れた向日葵。夏のイメージそのものの向日葵とはちょっと違うけど、朽ち果てていくものは結構共鳴するところがあるし、こういう状態の花も好きだったりします。
これも前回に書いたようにゴールデンハーフを使ってノーファインダーで撮ってます。全部が全部ノーファインダーで撮ってたわけでもなく、半分半分くらいの割合で、ノーファインダーの時も大体どんな感じになるかは想定してカメラを置いていたから、そんなに予想外のイメージになることもなかった感じです。そして、ひと夏こういう撮り方をしていて、ノーファインダーは面白いけど、気分としてはちょっと飽きてきました。

ゴールデンハーフのファインダーはスメ8に負けないくらいアバウトなファインダーで、レンズの真上についてるから左右はあまりずれないけど写る範囲は、印象としてはファインダーでフレーミングしたのの1.5倍くらい外側まで余分に写ります。このオブジェの上端はこの位置ぎりぎりのところに置く、なんていうことを目論んでフレームに配置しても出来上がった写真はぎりぎりの位置なんてどこ吹く風といわんばかりの状態になっていて、撮った本人も何これと思うものが多いです。
アバウトなファインダーで覗いてしっかりフレーミングしてもあまり意味は無いし、そんなだからノーファインダーで撮っていたところもあるんだけど、基本的にファインダーの覗き窓から外の世界を眺めるという、ちょっと隠微なイマジネーションといったものに捉われてるところがあるから、ノーファインダーで撮ってるとそのうち、やっぱり覗きたいと物足りなさが累積されていくような気分になることが多かったです。


六角堂の龍
六角堂 2014/07

こっちは夏の始まり頃に撮った六角堂の手水場の龍。ミノルタのSR505で、これはきっちりとフレーミングしてスナップ。

花模様
六角堂 2014/09

前の記事に写真を載せた鳥の列、日をあらためて行ってみると、誰かが遊んだのか端っこが花模様に並び替えられてました。ゴールデンハーフで撮ってるからこういう写りのものになってるけど、でもこれは鳥の置物にピントがあってたほうがいいです。これだと何が並んで花の模様になってるのか分からない。この場合、鳥の置物が、っていうのはちょっとした外せない要素のように思えます。
ところでこの鳥の置物、水子地蔵の前にずらっと並べてあるんだけど、最初見たときは、まさか参拝客が自宅から私物をもってきて並べてるとも思えず、お寺の人も片付ける気配も無いのはどうしたんだろうと疑問だったのが、売店に入ってみると謎は一気に解けてしまいました。
これ、鳩おみくじっていうような名前で売店で売ってます。足元に穴が開いていてそこにおみくじが通して入れてある小さな置物でした。以前はこんなものが並べてあったことなんてなかったから、売り出したのもそんなに昔のことじゃないかもしれないです。
おみくじは境内のしだれ柳に結び付けてあって、六角堂の独自のイメージになってるように、それの鳩版っていうことで、こっちもそのうち六角道の風物になるかもしれません。



☆ ☆ ☆



It Must Be True - The John Buzon Trio


The John Buzon Trioは「Cha Cha on the Rocks」というアルバムに入ってた「Don't Worry 'bout Me」が好きで聴いていた程度で、どういうミュージシャンなのかは実はあまりよく知りません。ハモンドオルガンの音が好きだったから、オルガンバンドだったというのが気を引いた理由の一つだったのかも。

ジャンル的にはイージ-リスニング、ラウンジ周辺のダンスミュージックっていうところなんだろうけど、わたしが始めて聴いたきっかけはモンド系列の音楽からだったので、どちらかと言うといささか胡散臭い感じがするというか、昔の日活映画のダンスホールのシーンなんかに出て来そうなイメージがある音楽です。
4~50年前のキャバレーやダンスホールにタイムスリップするような感じとでもいうのかなぁ。
洗練されてる音楽でもないんだけど、その野暮ったさが逆に新鮮に聴こえる時があります。






Vol. 9-Cha-Cha De AmorVol. 9-Cha-Cha De Amor
(1996/07/09)
Ultra Lounge

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こういう類の音楽を集めたコンピレーションアルバム、ウルトララウンジの一枚です。





夏のラフスケッチ + Minha Namorada - Neco and the Ipanema Strings

模造の鳥かご
寺町 2014/08

今年の夏が始まる時に、こういうカメラにフィルム入れて準備万端!なんて云うようなことを書いたけど、まさかこんな夏になるなんて予想もしてなかったから、思惑は大外れとなりました。
その場で足踏みして様子を伺ってるような性格の悪い台風が現れた頃から、台風が去れば天気も持ち直すだろうと思っていたのが、その後も一向に晴れ間も見せてくれない、曇りと雨が交互にやってくるような日々が延々と続く羽目になって、夏に持ち出すつもりでフィルムを詰めたハッセルなんか今のところ結局一度も触りもせずに夏が終わってしまいそうな気配になってます。ハッセルに詰めたブローニー、使用期限は七月末だったのに。しかも同じ期限のフィルムがまだ二本も残ってるし。
夏らしさといえば、一番遠慮したい酷暑だけが例年を上回るような勢いだったから、この点でも大層なカメラを持ち出す気にならず、一度コンタックスT3を持ち出した日があったんだけど、炎天下を少し歩いただけで黒いチタンのT3は熱したフライパンのように熱くなって吃驚。こんなに火で炙られたようになったらカメラも絶対に痛むだろうと、なおのこと今年の夏は本格的なカメラを持って出ることもなく過ぎていくこととなりました。

かといって外出時にカメラを持ってないととんでもないものを忘れてきたような気分になるから、今年の夏は久しぶりに気楽なトイカメラを中心に持って歩き回ってました。
最近もずっと持って出歩いてるのはゴールデンハーフというトイカメラ。名前から予測できるようにトイカメラでは珍しいハーフサイズのカメラです。ハーフカメラは今現在オリンパスのEE-2にもフィルムを詰めて持ち歩いてる最中だから、今夏はハーフサイズ三昧の日々となってます。
今時フィルムが倍撮れるなんていうことで喜ぶ人も極めて限られてるだろうけど、これだけのことでも気軽にシャッターが切れるという気分になったりします。
思えば去年の夏もオリンパスペンFで撮って、あとで「この夏見ようとしていたもの」なんていうタイトルで記事にしてたように、ハーフカメラ三昧の日々でした。今回のはペンFのようにレンズ交換できるカメラじゃないので、目的の望遠一本だけ選んで撮って、距離の圧縮効果で平面的な絵画的印象にしようとした去年のものとは、同じハーフカメラで撮ったものだとしても印象はそれなりに違ってると思うけど、変化があるほうが面白いんじゃないかと思います。


鉢植え
新風館 2014/08




氷
六角通 2014/08

今のところ今夏このゴールデンハーフで撮ったのはフィルム2本と今現在入れて撮ってる最中のが1本という進捗具合。
EE-2のほうも夏のフィルムは1本撮り終えて2本目にかかってる最中となってます。
ちなみに今回の写真の使用フィルムはコダックのスーパーゴールド400の24枚撮りでした。
カメラそのものがラフなカメラだからというわけでもないんだけど、意図的にノー・ファインダーで、またピントが合う最短距離もほとんど気にしないで撮ってることが多いです。最短の撮影距離が1.5mらしいというのは一旦脇に置いておいて、撮ろうとしてるものの10cmくらい近くまでカメラを持っていって、そのままファインダーでどう写ってるか確認せずにシャッターを切るようなやり方。それとストロボも積極的に使ってます。

ファインダーという枠を通して世界を見ることへの偏愛のようなことを以前に書いて、このやり方は以前に書いたのとは矛盾するんだけど、ファインダーを覗くとどうしても構図的なものが頭の中で動き始めることも多く、こういう、云うならみんながいいとする枠組みのようなものに合わせてしまう自分の感覚の凡庸さに倦んで来るような時、そういうのとはちょっと違うところへ着地させられないかと思うこともあったから、こういうラフな撮り方は自分の中ではそういうのを試してみてる意味合いもあるんじゃないかと思います。
立派なファインダーだと無視するのもなかなかやりにくいです。

☆ ☆ ☆

ちなみにゴールデンハーフってこんなカメラ。

ゴールデンハーフ

形はコダックのボックスカメラ、ホリディにそっくり。大きさがうんと小さくなった以外は権利関係大丈夫なのかというくらい似てます。
今はもうカメラ自体は製造してないようだけど、京都の話でいくと何店舗かあるヴィレッジヴァンガードにまだ売れ残ってるのが棚の上のほうに埃をかぶって置いてあったりします。でも売れ残りでも5000円前後の正価の値札のままで、とても高い。面白いカメラだけど、この値段出すならわたしならオリンパスペンのEE-2のほうを買ってます。
わたしの持ってるのはキティちゃんヴァージョンのもの。実は向かって左下にキティちゃんのプリントがあったんだけど、ここ、ちょうど指が当たるところで、キティちゃんはあっというまに剥げ落ちてしまいました。総体にプリントはヤワヤワで、カメラの表面にインクを乗せてるだけという印象。わたしのこれ、そのうち真っ白なカメラになりそうです。
写りは見た目のトイっぽさにもかかわらず、実はかなりまともに写ります。自分で思うには、最短距離を無視して撮ったりするのはそのままだとまともに写り過ぎるからというような意識もあるのかもしれないです。
絞りは晴れと曇りとフラッシュ時の3種類の切り替え。晴れの時の絞りの値は説明書によるとf11でシャッターは1/100の単速らしいから、感度400のフィルムを入れると晴天の日向で2段くらい露出オーバーになるのかな。オーバーの度合いはフィルムの許容範囲だから、感度400のフィルムで日向から薄明るい日陰くらいまでを撮影範囲にした設定といえると思います。日向からの光が回り込んでこないような影の部分は感度400のフィルムだと、絞りをf8設定の曇りにあわせて一段開いてもぎりぎりくらいで、撮影するのはちょっときついかも。
だから完全にお天気カメラという性質のカメラで、撮影状況を広げようとするなら、フラッシュは必携となります。このカメラは、何の調節も出来ない、ただ光らせるだけという仕様でも、ホットシューが装備されてフラッシュがつけられる仕様になってます。これってゴールデンハーフのちょっとしたチャームポイントになってると思います。

使っていて思ったんだけど、ほとんど何もすることがないカメラだから総てが分かりやすい存在かと言うと、むしろある程度露出の体感が無いと、真っ黒なコマを量産してしまう可能性があるので、晴天順光以外の条件で撮ろうとするなら、意外とハードなカメラになってしまう側面もあります。
大体どんな明るさでもシャッターが切れるから、ストロボが必要な状況かどうかも分かりにくいし、その点ではここは暗すぎて写せないとカメラが教えてくれるペンEE-2のほうがよっぽど簡単だったりします。



☆ ☆ ☆

Minha Namorada - Neco and the Ipanema Strings


このジャケットのイメージとネコなんていう名前で勝手に女性ギタリストだと思ってしまうけど、実は男のギタリストです。
60年代のブラジル音楽で代表的なギタリスト。
全体的には今で言うところのラウンジっぽい感じで、この前のと同じく夏の午睡にぴったり。粒が揃ったギターの音は引っ掛かりもなく、聴きやすくなってます。でもイージーリスニング的ではあるけど、グルーブのあるタイム感で結構表情蓋かなフレージングや、粒のそろった音を併せ持って、わたしは意外とテクニカルな人っていう印象を持ちました。
曲は作曲がカルロス・リラ、作詞がヴィニシウス・モライスという美しい曲。邦題は僕の恋人なんていうベタなものがついてます。






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