砂塵 + Throbbing Gristle - Desertshore Installation

花弁
2016 / 04 / Canon 7 / Fuji PRESTO400を自家現像





丸い窓
2016 / 04 / Canon 7 / Fuji PRESTO400を自家現像





砂嵐
2016 / 04 / Canon 7 / Fuji PRESTO400を自家現像


昨日の15日はわたしの誕生日! 
京都では葵祭の日で、毎年このお祭りの日に一つ歳を重ねる。葵祭のほうにしたら、お前の誕生日なんか知らないと言うだろうけど、わたしとしては葵祭はなんだか他人事じゃないような感じが少しだけあったりする。
最近は迷い道に入り込んだような写真の撮り方になってるけど、これからの一年、そういう気分を吹っ切れたらいいなぁ。

☆ ☆ ☆

気温も上がってきて現像液の温度管理もほとんど室温で大丈夫な季節になってきたこともあって、今年になって始めてやってみたモノクロフィルムの自家現像。久しぶりだったので思い切り勘違いして、かなりイレギュラーな手順を踏んでしまい、その結果が今回の写真となる。ちょっと前にフィルム写真に起こることのすべては失敗なんかではありえないと書いたので、たとえ勘違い処理の結果だったとしても、それもまた偶然の産物、口が裂けても失敗なんて云わない。
二段増感で撮ったフィルムだった。フィルムの本来の感度、このプレストの場合はISO400なんだけど、その感度400のフィルムを感度1600の設定で撮影する。感度1600で撮ったら当然のことながら光量不足のフィルムが出来上がる。その露出アンダー状態のフィルムを現像の段階で増感現像して全体を持ち上げるというようなやり方だ。何か難しいことをやってるように見えたらそれは全然違って、単純に現像時間を普通よりも多めにとるといった作業だ。
わざと露出不足の状態で撮ったフィルムを通常よりも長い時間をかけて現像すると、光量が少なくても一応光が入った部分は時間を長く取った分現像がどんどんと進み、光がほとんど入らなかった暗い部分は時間をかけてもあまり像が持ち上がってこなくて、結果ハイコントラストなネガが出来上がる。基本光量が不足してるわけだからフィルムの粒子は目立つことになって、全体にざらついた質感の写真になる。
また、増感での撮影、現像はこういうハイコントラストや荒れた効果を狙う意味合いもあるけど、シャッター速度を稼ぐためという意味合いもある。実際のところ二段程度の増感だったら、今のモノクロフィルムは性能がいいので、そんなに荒れた感じにもならなくて、シャッタースピードを稼ぐ意味合いで使うほうが多いかもしれない。
で、この今回のフィルムなんだけど、フジが出してるデータ表をみて、二段増感で液温20度だったら9分か、と確認した後で現像を始めたのはいいとして、普通に現像する時は現像液を二倍に希釈して使ってたから、この時も何も考えずに水で薄めて現像してしまった。
ところが後で気づいたんだけど、確認したデータは現像液をそのまま使った時のデータだった。要するに薄めた現像液で原液のときに要する時間で処理したために、まるで現像時間が足りない状態で切り上げてしまったというわけ。しかも、データ表を良く見ると二倍希釈の時は一段オーバーまでしかデータが記載されてなくて、希釈した現像液での二段増感はフジフィルムのほうから、それはどうなるか分からないよと宣言されてるようなものだった。

そんなイレギュラーな作業の結果できあがったのがこんな感じ。
・・・意外と上手くいってる?
確かにコマとコマの境目がどこか分からない、シートに入れるのにカットしたいんだけど、どこでカットしたらいいのかさっぱり分からないというようなコマもあったんだけど、きちんとイメージが出てきてるコマもそれなりに出来上がって、フィルムの上に並んでた。
暗く幻想的なイメージになってなかなか面白い。

でもこういうイメージは気をつけてないとすぐに、とにかく森山大道エピゴーネンへの道まっしぐらっていう感じになってしまうのが玉に瑕かな。誰かの撮った写真そのものの影響とかは受けないようにしつつ、それでも、随分と前にここで取り上げた田原桂一の窓シリーズの、光の粒子が物象化したような感じは自分なりに撮ってみたいと思っていて、こういう方法でいけるんじゃないかと思った。森山大道は良くなくて、田原桂一エピゴーネンはいいのかと云われると、これは言葉を濁すほかない。
この後さらに一本二段増感で撮って、これはちょっと現像に時間かけすぎて全体に白っぽいイメージとなっていた。今、次のモノクロを入れた状態になってるのはもうちょっと極端に、三段増感、現像時間少なめでやってみようか。

使ったカメラ、キヤノン7はライカのL39マウントのレンズを使える、古いレンジファインダー。でもこれはもう使わない。
ファインダーの覗き口の周りが金属の角ばったデザインで囲まれていて、眼鏡のレンズの片隅に擦り傷がついたから。これは昔のカメラでもちょっと酷い。ファインダーの中は広くて見やすいんだけど、眼鏡に傷がつくのとの交換では、これはあまりにも分が悪すぎる。眼鏡かけてる人はこの機種は要注意だ。

☆ ☆ ☆

こういう類の音楽が合いそう。


Throbbing Gristle - Desertshore Installation (Jam Extract)


スロッビング・グリストルの曲。今はグリッスルという読み方になってるようだけど、昔はグリストルといってたように思う。
これ、確か12枚組のCD-Rでリリースされたものだと思うけど、アマゾンにはなかったし、CD-Rという時点でほとんど自主制作盤のような感じで、というかインダストリアル・レコードというのがスロッビング・グリストルのプライベート・レーベルだったりして、すべてが大手の流通に乗るCDでもなさそう。
スロッビング・グリストルの音楽はサブカル御用達のような小さな輸入盤専門のレコードショップに置いてあった怪しげなレコードで聴いてたから、むしろCDになってるのをアマゾンなんかで見つけたらかえって吃驚する。えらく堂々としていて、日の当たる場所においてあるような有り様は、暗い、いかがわしさにはあまり似合わない。

どこか肉感的で催眠的なリズムがかっこいい。ノイジーなギターサウンドはちょっと浮いてる感じがしないでもないけど、中盤のコーラスが入ってくる辺りの雰囲気はこの類の音楽にしては冷たい美しさに満ちていて結構好きだ。


☆ ☆ ☆




上の曲が入ってるのは探せなかったので、セカンドとついてはいるものの、スロッビング・グリストルの実質的なデビューアルバム。
でも音楽的な音とは随分と離れてるというか、聴くのは一種の修行のようになるかもしれない。







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ラフスケッチ 鋭角的な理髪店、Bと風車 + Don't Bother Me / Till There Was You - The Beatles

バーバー
2014/09



いつもタイトルをつけるのに頭悩ますのに、これは「バーバー」あるいは「理髪店」以外にないだろうと、こんなにすっきりとタイトルつけられたのはひょっとして初めてだったかも。ただ、「バーバー」あるいは「理髪店」とつけても、さらに不可解さを増すために「鋭角的」なんていう形容を付け加えても、タイトルの意味合いはだからどうなんだと問い詰められれば一言も返す言葉を用意してないほどにほとんど無意味ではあるんだけど。ようするに散髪屋さんに思い入れがあって撮った写真じゃないって事。
自分の撮る写真は本当は大半を「無題」にしておきたい。でも記事のタイトルを全部無題にすると後で何の写真を載せた記事だったかさっぱり分からなくなるので、そういうこともできないままに続けてます。

実はこれを撮った日、ここで3回ほど写真撮ってます。いつもガラスがあればもっと反射を!と願うほうなんだけど、この場所はガラスに反射像が入って欲しくなかったから、シャッター切った瞬間、誰か通った人が写りこんだかなと思って撮り直し、二枚撮って一旦この場を立ち去ったのに、歩いてるうちにさらにもうちょっと椅子を画面に入れたほうが良かったかと思い始めて、もう一度戻って撮り直し。結局一番最後に撮ったのがお気に入りの写り方(この写真です)だったので、撮りに戻ったのは正解でした。こういう撮りなおしって、結局最初のひらめきが一番良く、どこをどうしたほうがよさそうなんていう、手直し的思考が介入すると、破格であった部分まで切り離して勢いを失うというような結果になることが多いので、最後に撮ったのがよかったと思えるのもあまりない経験でした。

幾何学的な、ロシアンアヴァンギャルドだとか、バウハウスなんかにありそうな感じで目に止まった場所でした。何か明文化できるようなテーマだとかで撮るよりも、色とか形で反応してるようです。冷たい感じのメタリックな椅子と、ガラスに書かれたロゴが白い壁に投影されてるのがかっこよかったです。





風車とビニール傘
2014/09




タイトルをつけるとしたら「Bと風車」っていうところ。基本無題にしておきたいのにタイトルをつけるとなると、わたしの場合は内容を的確に示すというよりも、意味不明の方向に何とか持っていこうとする傾向でもあるようです。
こっちもエッジが立ったオブジェばかりが集まってる感じなので、個別に眺めていた時はそうも思わなかったんだけど、理髪店のと並べてみると、似たようなロシアンアヴァンギャルド的な雰囲気がないこともないって云う感じかな。撮ったのは文化博物館の近くにある雑貨屋の前でした。

いつ行っても大抵同じ場所に同じものがあるという、こういう決定的瞬間でもなく、演出としてセットアップされたものでもない対象を撮っていて思うのは、このカメラ持って立っていた私の足の位置に立って、同じ高さで同じ角度で同じ天気の同じ時間帯に、同じ画角のカメラでシャッターを切れば、同じ写真が撮れるんだろうなぁということ。こういう行為を自己表現のような文脈で考えると、何しろ極端に言えばただシャッターを切っただけの行為でありそれは他人にも置換可能な行為でもあるから、あまり馴染まないところがあるように思えます。
これは写真が、こういう媒体としては唯一といってもいいんじゃないかと思うけど、基本的に修練なしに誰もが人差し指さえ動かせれば簡単に撮れるものだということも大きいような気がします。絵を書くとか楽器を演奏するとか、まず練習して基礎的な技術を習得しないと、まるで話が始まらないのとは正反対。そんななかであえてオリジナリティを主張するなら、この鋭角的な理髪店を撮った時にわたしが立っていた位置を、わたししか写真が撮れない位置という扱いにするしかなく、考えるまでもなくそんなナンセンスなことはありえない。
だから、基本部分で、カメラは誰にでも使える、シャッターさえ切れるならその場にいた撮影者でさえ置換可能だという特徴を、今までの良く理解していた表現物の文脈に押さえ込もうとして、あえて細工していく独自の表現とかテーマ主義のようなもので補強してるところもあるような気がします。絵画なんかに比べたらこんなに新しいメディアなのに、写真やってる人はやたらと師匠、弟子のような古色蒼然とした徒弟制度に寄りかかろうとするのも、ひょっとしたら表現行為としての写真の持つ根なし草的な寄る辺なさの性なのかもしれません。
でもわたしはこういう自己表現だとかテーマだとか、そういうものとまるで関係なしにシャッターを切るだけでも成立してしまう写真という領域は、それゆえに面白いと思うほうだったりします。バウハウスが写真を積極的に取り入れたのも、カメラさえ持っていれば、この誰もが修練なしに簡単に関われるということが理由の一つだったと聞いてるし、わたしは自我とか自己とか、檻のようなものだと思うところもあるので、手を加えて表現物的な方向を目指したりテーマの従属物的な扱いにしたりするその裏面で、自我の檻の境界をあいまいにしてくれそうなところがいつも寄り添うようにしてあるのも、カメラで写真を撮るという行為を気に入ってる理由の一つなんだろうなぁと思ってます。


使用したのはキヤノン7。ズミタールとインダスターをとっかえひっかえ使ってます。
少し前の記事でわたしのキヤノン7は露出アンダー気味と書いたけど、他のカメラで撮ったのも似たような傾向なので、ひょっとしたらスキャナーの調子が悪いのかも。ネットで買った一万円しなかった型落ちのキヤノンのフラットベッドスキャナー、Canoscan 8600Fっていうのを使ってフィルムを取り込んでるんだけど、もう限界なのかなぁ。ガラスは内側から曇ってるようで取り外せないからふき取ることも出来ないし、フィルムのような透過原稿以外のものをスキャンする時に上蓋の裏側につけておく板は爪が折れて止まらなくなってるのでビニールテープで止めてるような状態になってます。
これ、プレビュー画面と取り込んだ画像の色がはっきりと違うなんていうくらい性能は大したことないんだけど、安いのにブローニーフィルムもスキャンできて便利でした。しかしいくら便利でも上手く動かなくなりつつあるのならこれはどうしようもないわけで、何だか出費を迫られそうで頭が痛い。

ちなみにわたしはこの類のスキャナーをずっとフラットヘッドだと思ってました。気づいたのは数年前だったけど、正確にはフラットベッドです。


☆ ☆ ☆


Don't Bother Me - The Beatles


もう一曲、ビートルズ時代のジョージの曲。収録されたアルバムの中では捨て曲扱いしてる人もいるけど、わたしはこの曲も結構好きでした。
どこがどうだからといえないんだけど、云われてみるとなるほどジョージの作った曲っぽいと思わせる部分が多々あるというか。
闇の中から斜光で半身が浮かび上がる超有名なジャケットの、ビートルズとしては2作目になるアルバム「With The Beatles」に収録。ジョージのものとしては始めて世に出た曲でもあります。このアルバムはイギリスで63年にリリースされた、今は公式アルバムの扱いだけど、アメリカや日本では違う形でリリースされていて、レコードは収録曲違い、ジャケット違いで数種類存在します。以前にそういうヴァージョン違いのもセットになった形でCD販売されたんじゃなかったかと思うけど、今はおそらく公式のこの形のみになってるんじゃないかな。
初期ビートルズのアルバムは本当に輝きに満ちてる。このアルバムでは全曲オリジナルじゃなくて、14曲中6曲が当時のR&Bなんかのカバーなんだけど、わたしは一度もとの曲はどんな感じだったんだろうと思って探せたものをいくつか聴いてみた事があって、どれもこれもビートルズのカヴァーしたもののほうがかっこいい、元の曲はそれなりの時間の刻印を押されて、その時代のかっこよさに留まってるのに、ビートルズのものはオールディーズ的な雰囲気にはほとんどならないのに吃驚。
ブライアン・エプスタインやジョージ・マーティンなど、当時のビートルズのサウンドやイメージコンセプトのようなものを作り上げていったスタッフの先を見通す力(眼力です)が突出していたのは明らかで、総ての曲でオリジナルを越えてしまってるのを初めとして、リーゼントをやめさせてマッシュルームカットにしたことや、革ジャンからスーツに着替えさせたこと、上に書いた斬新なアルバムジャケットデザインとか、やろうとしたことのほとんどが通例の発想のようなものを飛び越えていたんじゃないかと思います。

あと、このアルバムには「Till There Was You」が入っているのも、わたしには大きなポイントになってます。曲はミュージック・マンというミュージカルに出てくるもので、ビートルズのオリジナルじゃないんだけど、デッカのオーディション・テープにも入っていて、メジャーデビューする前から演奏していた曲の一つでした。
ポールのロックンロール以外の音楽的なルーツが垣間見える感じ。ポールはペギー・リーが歌ったのを良く耳にしていたらしいです。

Till There Was You - The Beatles

63年のイギリス王室主催のロイヤル・ミュージック・パフォーマンスでのライブ映像。
デッカのテープのほうはまだちょっとこなれてない感じが残ってるんだけど、これを見るとライブでもほとんどレコードの印象通りの演奏してます。メジャーデビューしてから腕も上がってる感じです。
エリック・アイドルが真似してたけど、首振りすぎ。








With the Beatles (Dig)With the Beatles (Dig)
(2009/09/09)
Beatles

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ラフスケッチ 祇園、八坂神社 + Deve Ser Amor - Herbie Mann

影と街灯
祇園 2014/09


夏に撮っていた写真の続き。夏に撮っていたとはいえ、ゴールデンハーフで撮るのを一休みした後に撮ったものだから、9月にはいってから中ごろ辺りまでの最近の撮影です。撮る態度は若干傾向はあるんだけど、相も変らず被写体には意味を持たせずに、統一感がないです。
結局天気も優れず遠出する気にもなれなかったので、夏の前半は梅田辺りにも出かけていたけど、それも面倒くさくなって近場で写真撮ってることが多かったです。結果大半が祇園だとか河原町から烏丸にかけての市街地とか新風館や六角堂の辺りに行動範囲は限定されていた感じ。祇園から八坂神社を経由して知恩院に行こうとしたけど、知恩院の手前で気力減退となって撤収したこともありました。このところ神社を撮ろうと思うことが多く有名すぎて撮りにくい平安神宮に挑戦とばかりに行ってみた時なんか、地下鉄の東山の駅で降りて地上に出たとたん雨が降り出して、そのままユーターンしてきたこともあります。気分も気候もこの夏はわたしにとってはあまり撮影には適してない期間となったようです。




光と窓と植物
祇園 2014/09


今回の最初の三枚は祇園を歩き回って撮っていたもののうちの三枚だけど、舞妓さんとか出会ってもほとんど撮る気にならなかったので無視、巽橋の辺りは観光客で人手が途絶えることがなくて撮りにくかったりして、結局祇園の街中の路地なんかで光がニュアンスを与える空間の様子や、白川の辺りに人懐っこい猫と、まるで人なんか眼中にない無愛想な猫の、逃げない猫が二匹ほどいるので、その猫を撮ったりしてました。無愛想な猫のほうはたまに歩いてる様子を見る限りかなり年寄りなのか、結構自動車の下の暗がりで伸びてることが多く、写真に撮ってみたらまるで車に轢かれた現場写真みたいになってました。



自動車の下で昼寝
祇園白川 2014/07
一枚だけ夏の初めに撮った猫の写真。




美人の幟
八坂神社 美御前社 2014/09

八坂神社にある末社の一つ、美御前社の幟が作る壁。
手水場の写真を撮ろうと思って近づいたものの、フラットに光が当たるだけであまり面白くもなく、傍らにあったこの幟の列を撮ってみたもの。グラディウスのリップルレーザーを思わせる、まるで美人の波動攻撃のようです。



☆ ☆ ☆


使っていたカメラは猫のがフジのナチュラ・クラシカで、他のはキヤノンのモデル7型。キヤノンのほうはかなり前に買ったまま使ってなかったものです。

キヤノン7
キヤノン7+インダスター61 L/D

キヤノン7はライカLマウントのレンズを使うレンジファインダー機で、レオタックスで使っていたライカのズミタール50mmと、これまた随分前に買ったまま使ってなかったロシアのインダスター61 L/D 55mmf2.8の二本を使って撮ってます。インダスターは買って帰ってピントリングを回すと外れて床に落ちてしまうというとんでもない状態だったんだけど、ドライバーで締めなおして使いました。
今回のはインダスターで撮ったもの。ピントリングが外れるような代物にしてはよく写ってるというか、若干露出アンダーの影響もあるんだろうけど、重くしかもハイコントラスト気味で、モノクロで使うと面白そう。
ただちょっと光が漏れてるのかなぁ。ハレーションなのか、よけいな光が画面の隅に入ってます。フィルムの2本目はフードをつけて撮ってみて(1本目はわざとハレーションを呼び込むためにフードはつけてなかった)、それで大丈夫のようだったから、カメラの不具合でもなさそうな感じではあるんだけど。

キヤノン7型はマイナーチェンジしたのが後継機として存在するけど、結局はレンズ交換できるレンジファインダー機ではライカに勝てないと判断して一眼レフに開発をシフトさせていった他の日本のカメラメーカー同様に、キャノンで最後の、さらに当時においては日本で作られたレンズ交換できるレンジファインダー機としても最後の機種となったものです。
重くて全体に角が立った無骨なカメラなんだけど、無骨といっても巻き上げレバーの曲線なんか妙に色気があって、デザイン的に洗練されたところもあります。ただやっぱり角は立ってないほうが優雅だろうなぁとは思うけど。
ファインダーが大きく見やすくて、レオタックスは50mm固定の小さなファインダーしかついてないから、他の画角のレンズの時には外付けのファインダーを用意しないといけない一方で、こちらはファインダー内部で複数の画角のフレームに切り替えることができ、様々なLマウントのレンズを使うのに使いやすいかと思って買ったもの。相も変らず委託品の店で確か7~8000円くらいだったはず。インダスター61も2~3000円だったから、思うにカメラ関連で何万も出したことって数えるほどしかない。

でもわたしのキヤノン7はちょっと調子がよくないようです。露出が全体的にアンダー気味だからシャッタースピードが適切な速度になってない感じ。
それとセレンを使った電池いらずの露出計内蔵で、わたしのはわりと正確に動いてるようだけど、正面に測光窓があり結果がカメラ上部に表示される形は、その小さな文字表示を覗き込むのにつられて、往々にして測光窓をわずかに空に向け気味になることがあり、そうなると手元でほんの数度上に向いただけでも空の明るさをよけいに読み込んだり、元々わずかに角度が変っただけでも反応が良すぎるのか露出計の針は大きく動き回って、なかなか上手く読み取れないことが多いです。結局単体の露出計も持って出て、そっちで計るほうが簡単だったりするから、露出計なしの廉価版、ポピュレールのほうが軽快でよかったかなと思います。
まぁ使うなら本家のライカを使うのが一番使い勝手がいいっていうものなんだろうけど、やっぱり高価すぎ。ライカは一度くらいは使ってみたいんですけどね。
父は丹平の会員だったから、写真の仲間で老眼でピントが合わせられないから使っていたライカをあげるなんていう人はいないのかと聞いてみたら、そんな人いるわけないと一蹴されました。





☆ ☆ ☆


Deve Ser Amor - Herbie Mann


以前、妖精の木陰のダンスなんていう言い方で載せようと思って見つからず、代わりに作曲者本人のバーデン・パウエル版を載せたことがある曲。でも本当に載せたかったのはこっちのハービー・マンが演奏したものでした。







DO THE BOSSA NOVA WITH HERBIE MANN - COMPLETE BRAZILIAN SESSIONSDO THE BOSSA NOVA WITH HERBIE MANN - COMPLETE BRAZILIAN SESSIONS
(2013/02/26)
HERBIE MANN、Pedro Paulo 他

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