2021/02/20
知覚の地図 XVIII 踊り虫、交えて響く。



Diana F+ / Diana mini
オブジェを形として還元する。オブジェの日常的な属性を捨て去り、純粋に美しい形として抽出する。その時その形はオブジェの事物性そのものになるのだろうか、それとも観念的な存在となるのだろうか。あるいは観念的なオブジェ?
いずれにしろ稲垣足穂が云うようにオブジェを欠いた事物は詰まらない。
有用性や、意味の領域で饒舌であるものの背後にオブジェが隠蔽されているものは総じて不純で詰まらない。
では写真にとってオブジェとは何か?
フィルムは写真にとってのオブジェ性を一部であるものの担保する。
写されるものにオブジェを顕現できるのかどうか。写しこまれるのは、写しこめることができるとして、それは結局のところオブジェそのものなのか、オブジェの影にしか過ぎないものなのだろうか。
ひと月前くらいに踊り虫っていう単語を思いついて、さらにそのちょっと前に「交響」って言葉は交わって響くという意味なんだろうなぁっていうような、まるで当たり前でどうでもいいようなことを考えるともなく考えていたことにくっつけてみた。それでいつもの如く意味不明のタイトルとなる。本音を云うと次の記事に予定してるタイトルのほうがきな臭い感じがして好きなんだけど、まぁそれは次回のお楽しみということで。このタイトル、数日前に子供用アコーディオンを買ったことと絡めてみると、無意味を競っているにもかかわらず、なんだか妙に意味的雰囲気にマッチしてるような気もする。ひと月前の思い付きが、一月後にこれまたおもちゃのアコーディオンを買うというひらめきをそれとなく予兆でもしていたということなんだろうか。
ということで、数日前にフライングタイガー・コペンハーゲンっていう外国の楽しい雑貨を集めてる店で子供用のミニ・アコーディオンを買った。店は京都では河原町三条、BALLビルをもうちょっと北に上がっていった辺りにある。よく売れてるのかわたしが見た時点で店には残り二台という状態だった。ここでは1700円で売っていて、アマゾンで見るものよりも安い。ロゴや色を変えていろんなところから出てるようだけど、もとになってる構造やデザインはどれもまるで一緒のもののように見える。トイカメラなんかでよくあるように、作ってるところはおそらく一か所で注文先にあわせて意匠だけを変えて出荷してるんだろう。(2週間ほど後でまた行ってみたら、全部売れてた。フライングタイガーが製造してるわけでもなさそうなので出荷次第ではまた店頭に並ぶかもしれない)
遊んでみるとこれが結構難しい。子供用ということで単純にブカブカ音が出て、キーを押したら音が変わるっていう程度でもいいというコンセプトなのかもしれないが、半音こそないものの一応ドレミ全部、それも一オクターブ以上の音が出せて、さらにベースや和音などに使う伴奏用のボタンもついてるので、やるつもりになれば意外と曲が弾けるような構造にもなってる。ただ子供のおもちゃだからこの程度でもいいわという部分がネックになって、それなりにまともに曲として聞こえるような演奏をしようとすればハードルは恐ろしく上がってしまうようだ。
構造は全くハーモニカと同じ。一つのボタンで、蛇腹を伸ばす時と縮める時、それぞれ出る音が違う。これが混乱する。たとえばドレミすべての音にそれぞれ一つのボタンが対応していて、蛇腹を引くときも縮める時も一つのボタンで出る音は同じというほうがボタンの数は倍増するけどずっと分かりやすい。
まず蛇腹を引き延ばした状態で、右手の一番上のボタンを押して蛇腹を縮めると「ド」、そして同じボタンを押したまま蛇腹を伸ばすと「レ」の音が出る。蛇腹を操作する時は蛇腹を壊さないために空気の通り道を確保しておく必要があって、必ず一つはボタンを押しておかなければならないんだけど、そうすると「ド」の音を出すための準備にボタンを押したままで蛇腹を伸ばしたら「レ」の音が出てしまうということになる。こういうことが「ド」以外の各音にも生じてしまうことになって、それはとても理不尽な話となるだろう。
そこでそういう事態を回避するために音を出さずに蛇腹を動かすための空気を逃すボタンが一つ別に用意してある。このボタンは押して蛇腹を動かしても何も起こらないボタンで、役割を知らないと意味不明のボタンだ。
音階操作でボタンを操る合間に必要な時には空気を抜くボタンを駆使して蛇腹を伸ばしたり縮めたりする。これが子供用アコーディオンの基本的演奏メソッドだ。ややこしいよ、これ。まず間違いなく混乱する。簡易にし過ぎたための煩雑さだ。子供用のおもちゃだけどおそらく子供にはほとんど扱えないと思う。
それでも苦闘の末にその操作に慣れることができたなら、子供用のおもちゃのくせに、これがまた結構味のある演奏も可能な楽器と大変身する。この音の質感、雰囲気だと、普通ならノイズ扱いにしかならないような蛇腹のギチギチした音も演奏に彩を添える装飾へと変化するだろう。トイカメラのノイジーな要素と同じだ。
それなりに曲を弾くということを離れても、なにより単純に持ってブカブカさせてるだけで面白い。音を出すという行為の快感をシンプルに楽しめる。外観も、大体蛇腹っていうのがいい。蛇腹カメラも大好きだし、その古風な佇まいがオブジェの波動を周りに広げてる。
どうやら毎年同じく子供用の、プラスチック製おもちゃウクレレも売り出してるようで、それを知ったからにはどうしても手に入れなければという思いに今から絡めとられてる。おそらく売り出しは夏前くらいか。期待して待とうと思ってる。

何だかもう愛の賛歌の圧倒的なパフォーマンス。音楽ユニットとしてもユニークなんだけど、むしろフラワーショーや横山ホットブラザーズ系列に連なる果てに行きついた、尖がったパフォーマンスっていう感じもする。王道のお笑い芸人という位置にいるだけで安閑としているお笑い芸人たちは、搦め手から攻め込んでくるこのパワー・プレイにもう完全に負けてるんじゃないか。
現象学的に云うなら押しつけがましい主観の、他者との共感を侵食しながらの強制的な共有って感じか。客席の人はその客をも巻き込むパフォーマンスの威力によって、我を顧みる余裕もなく笑いの内に完全に組み伏せられてる。
思想書を漁っていて巡り合った本、「現代思想の遭難者たち」。いしいひさいちの4コマ漫画をメインにした本なんだけど、これが予想以上に面白い。ある意味奇書の類だろうとさえ思う。名だたる思想家をネタにした4コマ漫画で、フッサールだとかハイデガーだとかヴィトゲンシュタインだとか、それぞれの思想家の思想のキーワードや思想から見え隠れする人となりを使って笑いのフィールドに引っ張っていく。これ、よく仕事の依頼を受けたなぁって思う。元ネタが哲学で笑いを取ろうなんて難易度が高すぎるし、一つ二つくらいはネタが思いついたとしても、本一冊分のネタを展開するって至難の業だったと思う。でもこれがまたそれなりにうまくいって、こんなしかめっ面らしい場所からくすぐり笑いを引き出してるのが凄い。ラフに見せながらもキャラクターの人柄まで見た目で示してるような、愛嬌のある絵柄が効いていて、それぞれの思想家にも近所に住んでる変な人が大騒ぎしてるような親近感もわき、これをとっかかりに思想そのものにも近づきやすくなるかもしれない。まぁそれでも馴染む感じは得られてもこの本で思想そのものを理解するっていうのはちょっと無理ではあるだろうけど。
もとは講談社発行の「現代思想の冒険者たち」という全集の月報に連載されていたものらしく、もとの思想のほうはこの全集で、そしてこちらは頭がオーバーヒートしそうになった時にどうぞということなんだろう。それにしても月報で4コマ漫画を載せるっていうのも大したアイディアだったと思う。
単行本二種と文庫本がリリースされているようだ。単行本はオリジナルとその後に出た増補版、文庫はさらに追加分を加えてるらしく、おそらく内容が一番多いのは文庫。でも絵が主となる内容なので文庫では致命的に絵が小さくなり、そのうえネタが哲学となるとその分言葉も多くなって、結構見づらいんじゃないかと思う。
最後に唐突にある情報。
サイゼリヤのレジで買える、店で使ってるオリーブオイル。エクストラバージンオリーブオイルで、日本のスーパーで売られてるようなものは大半が偽物らしいけど、これはイタリア、MIRA社の本物だ。しかも500mlで850円と安い。わたしはオリーブオイルは何時もこれを利用してる。
レジで一本分けてと注文して、渡されたのを手にしてみると、低温で保管されてるらしくて瓶の手触りはやけに冷たく、オリーブ色の暗いガラス瓶越しに中をよく見れば、これがなんとなかば凍ってる、というか固まってる。油が凍るのか!?と思うんだけど、低温で固まるのはどうやら精製度が低いからであって、と書くとなんだか粗悪品のようにもみえるものの、実はこういうのはまさしく搾ったままのオイルに起きる現象だということらしい。低温で固まるこっちのほうが栄養豊富な高級オリーブオイルなんだって。