休符で歌う歌声 + Melody Gardot - Over The Rainbow

休符で歌う歌声
光が囁く声を聴けば
2015 / 10 / Nikon F3 + Nikkor Ai 135mm f2.8 / Fuji NEOPAN 400 PRESTO を自家現像




光が囁く声を聴けば
休符で歌う歌
2015 / 09 / Holga 120 CFN +60mm f8 / +35FilmHolder / Lomography Color Negative 400



いつも情緒的な撮り方はしないと書いてるのに、今回は幾分情緒的。たまにこんなのも撮ります。
写真は引き算と云うけど、これは引き算のしすぎかもしれない。

今回のは自分でつけてるタイトルが自分ながらちょっと気に入ってしまった。以前ある写真ブロガーさんのところで、掲載されていた写真に「静寂の音なんていう表現がぴったりきますね」というようなコメントを書いたことがあって、これがちょっと自分でも気に入ってしまい、似たような感じで思いついたのがこのタイトルでした。要するにサウンド・オブ・サイレンス。写真も静けさの音といったもののわたし的イメージです。

新しいブログでも増設するなら、これをブログのタイトルにしてみようかなぁ。


☆ ☆ ☆

こう書いたからといって、サイモンとガーファンクルを持ってくるようなことはやらない。

Melody Gardot - Over The Rainbow

最初の効果音が聞こえだすと、マーティン・デニー辺りのエキゾチカ系?…何かダサい、と思わないこともなく、ボッサのリズムに乗り始めて、おぉボッサノヴァのオーバー・ザ・レインボウ!と身を乗り出すも、フェイクしまくってる歌にこれがオーバー・ザ・レインボウ?と、なんだか最初は散々なんだけど、優雅で洒落たオーケストラが絡みだし、興がのってくるような頃合には、結構耳をかたむけてるようになってると思います。
ささやかな声で歌うところが多いんだけど、外見のささやかさに比べて意外と芯が太いというか質量がある声はこの人の上手さを支えてる感じ。
デビューアルバムは昔オーパの最上階にあるタワーレコードに1000円もしない価格でお勧め盤として紹介されてたのを覚えてます。なぜ覚えてるかというと、ダサいジャケットとその安さからで、印象は大したことがないだろうなぁって言うものだったんだけど、こんなに囁き声で堂々とした歌を歌える歌手だとはそのCDを棚に見たときは想像もつきませんでした。









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曖昧な記憶が棲む場所 + ヴォルフガング・ティルマンス展に行ってきた。 + John Scofield - Endless Summer

楽園
王国
2015 / 09 / Holga 120 CFN +60mm f8 / +35FilmHolder / Lomography Color Negative 400





矩形空間
矩形街
2015 / 09 / Holga 120 CFN +60mm f8 / +35FilmHolder / Lomography Color Negative 400





裏路地人形
陽射しと人形
2015 / 09 / Holga 120 CFN +60mm f8 / +35FilmHolder / Lomography Color Negative 400





鳩

2015 / 09 / Holga 120 CFN +60mm f8 / +35FilmHolder / Lomography Color Negative 400


この夏、トイカメラのホルガを持ち歩いて撮った写真。落とした時はブローニーを6×4.5のフレームで撮っていたんだけど、これは落としたものじゃなくて、35mmフィルムを使えるようにするホルダーを後ろにくっつけて撮影していたものです。
ホルダーは今年の夏、京都ヨドバシに店を出してるヴィレッジ・ヴァンガードのアウトレットで7割引で買ったもの。普通のフィルムを使えるようになって元のブローニー専用状態からかなり手軽になった感じです。

それにしてもこういうカメラの作り出すイメージに対してドリーミーな写りとか、よくもまぁ上手い言葉を見つけ出したと感心するんだけど、本当に云いえて妙だと思います。
もともとピントは思うようには合わない、どこにあわせても似たようなものというカメラなんだけど、単純にピントがずれてるとかボケが入ってるとか云うのじゃないような、一眼レフでわざとピントを外しても、こんな絵にはあまりならないだろうなぁと思わせる何かがあります。滲んだような色合いも独特の雰囲気で、これはプラレンズの特徴なんでしょう。

最初の写真はディテールの飛び方が気に入ったもの。どこか記憶の中に棲んでる街といった曖昧な非実在感が漂ってる。右下の鉄骨が邪魔。気分としてはフォトショップで消してしまいたい気分が一杯なんだけど、せっかくフレームに入ってきたんだから、のけ者にするのもちょっと可哀想。ということではずし要素としてこの写真の一部に参加してもらっておきます
人形はかなり以前に同じくホルガで撮ったのを載せたことがあります。これ、半逆光くらいの陽の当たり方のせいか妙に立体感がある感じがする。逆光はドラマチックだけどあざといし、いかにも良い絵だろうと言いたげなわりに紋切り型のものになりがちで、逆光を前にすると、それでも視覚的なスペクタクル感に誘われて撮ってみようって云う気分と、やっぱり逆光はあまり使いたくないといった気分がせめぎあったりするんだけど、このくらいの斜め後ろからの光はそんなに押し付けがましくなくていいかも知れないなぁって思いました。

鳩は、フラットベッド・スキャナーのノイズが乗ってます。おそらく性能の良いスキャナーでも多少はこういう線的なノイズが入るのは避けられない感じがする上に、わたしのところのスキャナーは一応キヤノンのだけど型落ちで1万しなかった安物の上にかなり使ってるから、こういうのや一面の青空といった、単一の色面なんかだとやたらに目立つ形で現れたりします。
あぁ、新しいスキャナーに買い換えたい。
で、修正したりして目立たなくするんだけど、これはどうしようかなぁ、ノイズの出方が面倒くさそうだし、ブログに載せるのやめようかなぁと思ってたりしてました。
でもティルマンスの展覧会を観た後でこれを眺めてるうちに、そういえばティルマンスの写真にコピーを繰り返してわざとノイジーにした作品もあったと思い至り、このままでもいいかとここに載せる気になったものです。他人の作品を見て決断するって若干情けない。
ノイズ上等、くらい言い切ってしまわないと。

☆ ☆ ☆

さて、そのノイジーな画面に強気にさせたティルマンスのこと。
夏の間は暑いから行かないといっていた国立国際美術館で開催中のヴォルフガング・ティルマンス展へ行ってきました。
ここは館内で写真機取り出したら速攻で係りの人が飛んでくるので、一応ホルガを持ってたんだけど、館内に入る前にバッグの中にしまいこんでしまいました。
展覧会は地下一階のロビーから降りて、地下二階の全フロアを使用しての展示。もう一つ下の階のフロアでは別の展覧会をやっていて、複数階のフロアに渡っての展示じゃなかったので規模が小さいようだけど、展示してある写真はそれなりに量があったから、物足りないという感じはしなかったです。今までに出版されたティルマンスの全写真集も鎖はついていたけどテーブルの上ですべて鑑賞可能にしてあり、そういうのも展示の一つとして構成されていて、こういうのは普通展示してあったにしてもガラスケースの中だったりするから、気前がいいといえば気前の良い見せ方になってました。
お金を払ったからにはせっかく鑑賞可能にしてあるんだから、絶対に十冊以上は展示してあったこういう写真集もすべて見てきたかったけど、はっきり言ってこれは一時で見る限界量をはるかに超えてました。写真集十冊以上を一気に見るなんて、集中力が途切れて絶対に無理です。


ティルマンス展1

(展覧会の図録は変った体裁になっていて、外側を厚紙のカバーで包み、幅広のゴムバンドで止めてる中に二冊の本が入ってました。一冊はこの展覧会の写真集でもう一冊は解説や出展目録など、今回の展覧会についてのテキストを載せた本。
変った形になってるから一瞬「お!」ってなるけど、目録としては普通の本のほうが扱いやすいかも。肝心の写真集のほうも結構薄手のものでした。確かにまだ写真集に纏められてない新作とかも混じってはいるんだけど、この展覧会に関連付けないなら、普通に写真集として出てるものに手を出したほうが幸せになれると思います)

ティルマンス展2

会場の展示はいつものインスタレーションで、実際にこの会場でティルマンス本人が構成したんだそうです。額装されないまま、大きさも巨大なものからL判プリントみたいに小さなものまで、特に大きさで纏められることもなく、壁にそのままピン止めされたり、テープで貼り付けられていたり。ティルマンスは結構いろんな手法で写真撮っていて、手法ごとに纏められるような作品も、そういう纏め方をあまりやらずに、他のものと組み合わされるようにあちこち離れたところに展示されてるといった具合です。
テーマ的なものでグループ化されることもない展示だから、意味的な深みへと潜っていくような構成でもなく、むしろ絶えず組み替えられ再構成されて、その展示の組み合わせが作る空間は変容し、垂直方向ではなくて水平方向へと拡散していくようなものを形成していく印象が強かったです。
ただ、会場を回って見てるうちにちょっと散漫な感じがしたのも事実で、こういう展示方法が、作品を意味的な重力から解き放とうとしてる部分は面白いんだけど、正直なところ手が込んでる割には強い印象としては感覚の中に入り込んでこない場合が多かったです。インスタレーションの良いところとあまり良くないところは、この展覧会でも出ていたんじゃないかと思います。

ティルマンス図録頁


ティルマンスは90年代に自分の生活の中、身の回りにあるものや友人たちの生活、当時の若者や、ティルマンスはゲイなので、ゲイ・コミュニティに集う人たちの様子などを写して登場してきた写真家です。今ではわたしも含めてこういう日常を切り取るような写し方は極めてオーソドックスなものになってきたけど、当時はこういう写真を撮る先駆けになった人だったんじゃないかな。時期から見ると日本でもヒロミックスとかが出てきた頃?ひょっとしたら潮流としてそういう写真がやってくる必然性でもあった時代だったのかもしれないです。
若者のポートレートとか、何度も書いてるけど、ティルマンスが撮ったとしてもわたしにはよく分からない類の写真だったりします。妙に尖がった人が写ってたり、ジャージの上下でかっこつけて写ってたりするのを見たり、そういうのには興味を引かれて、ジャージの上下なんて日本ではダサい極み扱いなのに、これでもいいんだと、ジャージ好きになったりした影響はあったけど、人間性がどうのこうのとか性的なマイノリティがどうのこうのといったことにはまるで反応しなかったのは今でもほとんど変わらずです。
ただこの展覧会ではもちろんこの類の写真も展示してあったけど、あまり印象には残らなかったから、展覧会の主軸の扱いでもなくなっていたのかも知れません。というか分からないという異物感よりも結構頻繁に見てるから見慣れてしまったか?

とにかくわたしはこの写真家が日常を切り取る時の感覚が好き。といってもとても風変わりな、人を驚かせるような切り取り方はほとんどしてないんですよね。もう本当に普通に写してるとしか思えないから、波長が合わないとまるでどこがいいのか分からない、ただ適当に撮ったスナップにしか見えないかもしれない。でも波長があうと、感覚的なもので成り立ってる部分に自分が反応してることに気づいて、そうなるとティルマンスの写真は俄然面白くなってきます。これ観た後で会場周辺の街中で写真撮ったりしてたんだけど、今見たあんな風にかっこよくは撮れないなぁと、ただスナップしてるように見せながら何かある、その何かって一体なんだったんだろうと、思い返すことしきりでした。

あまり情緒的な切り取り方をしてないのが、わたしがティルマンスの写真で好きなことの一つです。これは明確に言える。たとえば詩集のなかに挿入されてそうな類の写真ではなくて、だからといって理知的というものでもないんだけど、対象をその色で包んでしまおうとしがちな心情、感情じゃなく、もうちょっと醒めた感覚を拠り所にしてるような写真。あまりべたべたせずに自分の周囲の世界の「形」を見極めようとしてるクールな感覚とも云うようなものが気に入ってるんじゃないかなと自分では思ってます。

それともう一つ、ティルマンスはいろんな手法で写真に関わろうとする写真家で、そういう多彩なアプローチを見せてるところも好き。
この展覧会でも、具象に限界を感じてスタジオに閉じこもり印画紙と薬品を使った抽象的な作品を作り続けていた時期の物が展示されていました。写真集では知ってたけど、これは実物で見たほうが絶対に面白かったし、実物を見られてよかったと思いました。
反対に現代の生活ではネットにあふれては消えていく情報の海を扱わないといけないと言うことなのか、ネットで見るモニター画面をそのままプリントアウトしたようなものがテーブルの上に所狭しと並べられてた作品があって、これはつまらなかったなぁ。まず第一にそもそも写真ですらなかったし。

面白いつまらないはまぁ別にして、第一線にいながら守りに入ることなくいろんな手法を試行する姿勢は、これはやっぱり大したものだと思います。この夏話題の一流盗作デザイナーやその擁護者たちのように、モチーフによっては似てくることがあるなんて情けない自己正当化してる場合じゃない。
写真の可能性はまだまだ未知の領域として目の前に広がってるんだよと、写真とか思いのほか狭い領域に凝り固まり収斂しがちなメディアだと思うから、こういう試行錯誤を積極的に繰り返してそういう領域を示そうという精神は思い切り影響を受けても良いはず。
そういう精神に触れるのもこのティルマンスの展覧会の見所の一つなんだろうと思います。

期間は23日までなので、今これを書いてる時点からは残りはあと一週間ほど。写真が好きで興味が出てきたら早く見に行ったほうが良いよ。
もう暑くもないし。








☆ ☆ ☆

Endless Summer - John Scofield


もう夏は終わったというのに、あんな夏は大嫌いだと言い切っていたのに、今時分になってこんな曲を取り上げてみます。
あんな夏がエンドレスだったらと思うと、夏の間に取り上げなかったのは正解だったとは思うけど。

ファンキーで官能的で、かっこいい演奏。もうこの一言ですべて言い切ってしまえます。緩急をつけながらも全体に疾走感がある曲で、意外とメロディアスなのも聴きやすさを追加して良いです。
ジョン・スコフィールドがこんなにオーソドックスに歌うギターを弾くのはわたしにはかなり意外なことでした。
この人のギターはアウト・スケールの変態みたいなメロディがグネグネとのた打ち回ってるという印象しかもってなかったから。
反対にスコフィールドの変態フレーズが好きな人には、このアルバムはかなり物足りなく聴こえるかもしれないです。
それと、この前のフリゼールもそうだったんだけど、こういうフィールドではあまり見ないテレキャスター使ってるんですよね。一人ジャンルのようなギタリストはテレキャスターを好むとかいった法則でもあるのかな。
わたしはテレキャスターの形、好きだけど。一番はレスポールであるにしても、ストラトよりも好きかも。









展覧会の図録はそのうち書店に出てくるかもしれないけど、今は国立国際美術館に注文するなり買いに行くなりしないと手に入らない。ティルマンスの写真集として一般的な出版物で手に入れやすいとなると、日本語のものはテキスト主体の本が一冊と美術手帖で特集したもの以外は出ていないから、海外の出版物となり、この「neue Welt」辺りになるんじゃないかな。2013年頃のティルマンスの最新写真集。今もまだ最新という冠がついてる写真集のはずです。
これと少し前の記事に載せておいた過去の代表作三冊がボックスセットになったものをプラスして、金銭的な面も含めてそれなりに手軽に、ティルマンスの全体をそれほど不足なく俯瞰できると思います。