2015/10/01
仄暗い世界の片隅 + Bill Frisell - Shenandoah

集合するもの
2015 / 09 / Holga120GCFN + 60mm f8 / Ilford HP5

目の前に光の道が現れる。
2015 / 09 / Holga120GCFN + 60mm f8 / Ilford HP5
この夏トイカメラのホルガで撮っていた写真。再びモノクロです。
地面に落としたホルガを使ってます。落とした時のフィルムは路上に転がり出て全面的にアウトだったから、その後に入れたフィルムで撮っていたのが今回の写真。
真四角写真じゃないからあまりホルガっぽくないけど、ホルガはこういう6×4.5のフレームでも撮れます。
こんなフレームマスクを使ってたのはいつものへそ曲がりの発露というより明確な理由があって、一つは縦構図が好きだということと、周辺減光がそれほど好みじゃないって云うこと。もう一つは撮れる枚数が6×6の場合よりも4枚増えるっていうこともありました。6×6のブローニーで撮れる12枚は撮り切るにはいい分量かもしれないけど、仕上がって眺めた時にあっという間に見終わってしまって、何だか物足りない感じがいつも付き纏います。
縦長のフレームに交換して撮ると、真四角で撮った時にトンネル効果なんていう言葉で売りにしてる四隅の部分を使わないことになるから、周辺の光量落ちが目立たなくなります。
周辺の光量落ちに関しては、若干周囲が薄暗くなるといった感じのものだとか、ランダムっぽい形で出てくるものは、ドラマチックな感じになって効果的な場合もあるものの、こういうトイカメラのようにまるで画面の真ん中をくりぬいたように露骨に出てしまうとわたしにはちょっと邪魔だと思うほうが強くなってきます。今の気分だとスクエアフレームで撮っても、よほど効果的でもなければ、おそらく一回り小さくトリミングして周辺部分は捨ててしまうかも。
ただのレンズの設計不足に過ぎない周辺の光量不足を、トンネル効果という言葉を使って表現の一環のような扱いで売ろうとするトイカメラの商業主義を嫌う人は、トンネル効果なんていう言葉そのものを嫌う人も多いだろうけど、この辺りはわたしは考え方がちょっと違っていて、むしろただのレンズの設計不足に過ぎないものを言葉を与えることで対象化し、不備なものじゃなくて価値を持ったものという形を与えたのは、わたしは発想としては面白いものだと思います。言葉を与えることで対象は形を持つって、他のことで前に一度書いたことがあるけど、これもそんな感じ。
だからといって、周辺光量落ちはあまり好きじゃないという感覚には変りはないんだけど。
ちなみにホルガについてちょっと書いておくと、香港生まれの非常に安価なカメラ。当時販促用のノベルティなんかに利用されていたダイアナというこれまた安価なカメラがあって、このダイアナがホルガの発想の元になってるということらしいです。ダイアナのほうは70年代に生産終了となっていたのを、のちにロモグラフィーが復刻させて今風トイカメラとして遊べるようになってます。ダイアナは絞りが何段階にも変えられたりしてホルガよりもずっとカメラらしい作りなのに、全体の破綻具合はホルガよりも上というような何だかとんでもないカメラ。何かに載っていたダイアナで撮った写真で好きなのがあって、そういうのが撮りたくて買ったんだけど、未だその気に入った感じでは撮れずにいます。
それはともかくホルガは最初は中国の市場を相手に売ろうとしたものの、結果的に庶民には買えず、裕福層は高級カメラを買うから結局中国では上手く売ることが出来ず、それではと元々はストロボを作って成功した会社だったのでその販路を利用して売る方向へ切り替えたら、たまたまあるカメラマンが使ったのがきっかけで欧州のほうで評判になり、その後世界へと知れ渡ることになったという話です。何だかロシアのLC-Aと広まり方がよく似てる。
ホルガは李定武という人が作ったのは分かってるんだけど、その元になったダイアナのほうは九龍の長城塑膠工廠で作られていたということだけで、誰が発案したのかなど資料がなくて今ではよく分からないらしいです。
九龍城という魔宮を配した九龍の空間のどこかで、どんな人の頭にこの稀有なカメラのアイディアの最初の明かりが灯ることになったのか、もう知ることもできないとなると余計に想像力を刺激するところがあります。
何を喋ってるのかさっぱり分からないけど、どうやらこの人がホルガを世に送り出した人らしい。
☆ ☆ ☆
何かしら偶然性への道を開くための道具と思ってるから、意図するように撮れなくても当たり前なんだけど、それにしても気に入ったものが撮れる確率は少ないかも、この夏のホルガも消費したフィルムの数が少なかったのもあって、気に入ったものは本当に僅かという結果に終わりました。前に使ったのは大阪港に写真撮りに行ってた時だから、かなり長期間使わなかったというのも思わしくなかった原因の一つなんだろうと思います。何にしてもやっぱり使わないと。
最初のは実は何なのか撮った本人も分かりません。何かの工場の壁に並べてかけられていた謎のオブジェ。
ストロボを焚いてるわりに、全然明るくなってない。ホルガのストロボはほとんど遠くまで届かない感じで、ひょっとしたら2mも届いてないんじゃないかなぁ。カラーのストロボはさらに光は届かなくなるし屋外ではほとんど色がつかないし。ストロボがついてると便利そうだけど、外部ストロボを使う仕様の一番安いホルガのほうがストロボ周りは使い勝手がよさそうです。

マネキン
2015 / 09 / Holga120GCFN + 60mm f8 / Ilford HP5
最近のマネキンは美形の顔つきといった造形をしないのが増えてるのかなぁ。これなんかほとんどシュールレアリスムの作品みたいになってる。こういうものを撮る時の常で、この写真の中に閉じ込めた空間がかっこいいとするなら、それはマネキンを作った側か、写真を撮った私の側の腕前なのかどちらなんだろうって言う疑問がまたしても頭に浮かんできます。まぁマネキンを作ったほうっていうのが正解なんだろうけど、撮った側としてはそれで終わるのはやっぱり癪に障る。成果の幾分かは何とかこちらの側へと引き寄せたい。
自分を取り巻く世界を構成するものを採集するように撮ってると、こういう疑問はいつだって目の前に立ち現れてくるもので、たまにそういうのに嫌気がさしてくると、木だとか猫だとか撮りたくなってきます。木は神様以外の誰のデザインも受けてないし、猫は肖像権なんか主張しないから気が楽です。
☆ ☆ ☆
Bill Frisell - Shenandoah
フリゼールのシェナンドーは「east/west」に収録されてるのが好きだったんだけど、見つけられなかったので別バーションのを。
マリリン・モンローの「帰らざる河」とか西部劇の主題歌や主題歌っぽい曲は結構好き。
欧州から渡ってきた移民によって作られていった国だから、アメリカの音楽の基本部分にはたとえばアイルランドの古い音楽なんかに通底してるところもあるだろうし、そういう部分に反応して好きになってるところもあるんだと思います。
そう思ってそういうのを期待して、アメリカの歌そのものだろうとカントリーなんかを聴いてみたら、まるでイメージと違う音楽だったりするんだけど、西部劇に出てくるような音楽とか、カントリーとはまた別物なのかなぁ。カントリー&ウェスタンって一くくりになってるけどかなり違ってる気がする。