fc2ブログ

Chocolate Days

chocolatedays





スクエアコンストラクチュア





空間の成立
2018 / 01
2016 / 01
2016 / 11
Pentax K100D Super / Nikon F3 / Nikon F100
Lomography Colornegative 100 / Fuji Premium 400

これを書いてるのはお正月も3日目の夜。三が日もあれよあれよという間に過ぎていって、結構時間の存在を意識したりする時期でもある。ここで何度も書いてるけど子供の頃は正月が一日終わるたびに祭りの終わりが近づいてくる気配に追いつかれそうになって、去っていくお正月を惜しむ気分で一杯になってた。大人になってもその気分だけはまだ残っていて、3日も終わる頃になるとやっぱりちょっと淋しい思いに捉われる。
とはいっても去っていくのを惜しむほどの絢爛たる時間を過ごしたかというとまるでそうでもなくて、今年は例年にも増して何もしなかった三日間だったかもしれない。
まず大晦日、いつもは雰囲気物として流してる紅白も今年は見なかった。毎年知らない歌手の知らない歌を聴いてもほとんど楽しんでなかったから、まさしく年末の雰囲気だけのものとなっていて、今回はこの時間のあいだヤフオクで落札するのに気を引かれて、テレビさえつけてないままに新年となった。
元旦は一日家でネットを眺めたり、去年中に読み終えられなかったミステリを読み終えるべく最後の数十ページを読んだりして過ごし、二日に初詣。どこへ参拝に行こうかもうあれこれ神社の浮気をするのも面倒で、去年に続き一番のお気に入りの八坂神社に行ってきた。でもお正月の神社の雰囲気を楽しむどころか人の多さに辟易して、参拝したあとお守りとか買っただけで即座に退散、一応ブログに載せられるかとデジカメを持って出かけたものの、イベント的なものを撮る気分は何時の頃からか綺麗さっぱりわたしの中から消えうせていて、境内の様子などほとんど撮ろうという気にさえならずに、結局この日撮ったのは最初に載せたチョコレートの店先の写真だけという首尾だった。この日の出来事すべてにまるで乗り気じゃなかったのはおみくじも引かなかったことでもわかる。もっともこれは人出にうんざりしただけじゃなくて、去年の春頃に引いた大吉のおみくじをリセットしたくなかったということもあった。こういうことを思ってるともう二度とおみくじを引けないかもしれないなぁ。
で、今日の3日は買い物で色々と初売りのものを品定めに行ってきたんだけど、GUでバーゲンになってたネックレスとか、アクセサリーを買っただけで大して物欲を駆られるようなものも目にしなかった。むしろヤフオクでこの数日のうちに競り落とそうかと思ってるもののほうがはるかにこちらの物欲を刺激してくる。そして当然の如く今日も人の多さに気圧されて早々と退散してきた。

一応最初のは上で書いたように今回の初詣の時に撮った写真。このチョコレートと書かれた店先は結構好きで、特に二階辺りの壁面にある大きな時計とかがお気に入りだ。この日は店もお正月の休み状態で気兼ねせずに写真撮り放題だった。
このごちゃごちゃといろんなものが重なってる写真のあとは構成要素がだんだんと少なくなってくる。もう何もない一歩手前の空間の写真とかそういうのを目指して撮ってるところもあるから、その現われの一端って云うところかもしれない。
でも何もない空間って、それもやっぱり空間なのかな。









スポンサーサイト



そこには何もない、かも知れない

川の畔で
PENTAX K100D SUPER + SMC PENTAX-A 50mm f1.7




腐臭を放つほどに艶かしい花
PENTAX K100D SUPER + SMC PENTAX-A 50mm f1.7


先月の中ごろからどういうものなんだろうと、色々と体感する目的で持ち出していた古臭いペンタックスのデジイチで撮った写真から。最初はマニュアルフォーカスの50mm一本で、その後年末に35-80mmっていうオートフォーカスの望遠を追加して、追加したのが自分の意図で手を出すのは珍しいオートフォーカスのレンズだったのは、中古で買ったボディが本当にオートフォーカスで動くか確認したかったから。結果年明けをはさんだ期間はマニュアルとオートフォーカスのこの二本体制で撮り始めることになった。
今回の写真にズームで撮ったのは入ってないけど、このズーム、SMC PENTAX-Fという種類のもので、ジャンク扱いでもなく、普通に保障のある怪しげでもない中古屋で、なんと1000円で売ってたレンズだった。送料が1000円くらいしたから、出費の半分がレンズ以外の費用となった代物だ。どうも元はボディとセットのキットレンズとして売られていたものらしい。どちらにしろこのFだとかFAだとかの符号がつくシリーズの安ズームはこの程度の価格帯のものが多く、その割りに写りはまともという評価を得ているようだった。オートフォーカスのフィルムカメラの時代のレンズで、APS-Cセンサーで使った場合、画角は35mm換算で標準域から望遠のとば口くらいの範囲となり、常用するには使いやすい領域だと思う。

☆ ☆ ☆

最初の写真は東九条の鴨川沿いの公園から京都駅の方向に入っていった辺り。再開発のために更地にした空き地がフェンスに囲まれてゴミだらけで放置されてるような場所なんだけど、意外と妙に雰囲気があるように撮れてる。東福寺の近くなのに、鴨川を挟んで反対側のこの辺りは雰囲気も一変するのでまず観光客もこない。
二枚目の枯れた花。これも同じく鴨川縁を七条の辺りから少し下っていった廃屋近くにあった。何の花なのかは知らない。フェンスに囲まれた放置された小さな庭のようなところに立っていた花で、撮影位置をほとんど選べない状況で、隣の枯れ木が邪魔!と思いつつカメラを向けていた。どうあがいても枯れ木を排除できなかったのでいっそのこと一緒に入れた絵にしてみようと思って撮った写真だった。
赤い花の部分が異様だったのでこういう撮り方を無意識にしてたけど、胴体部分だけを細分化して撮ってみても面白かったかもしれないなぁ。でもこの植物を見て赤い花の部分を無視できるなら、相当な直感の持ち主だとは思う。

☆ ☆ ☆

暫く使ってみて、デジタル一眼も撮影することは楽しいと思った。でもデジタルはフィルムカメラの持ってる、シャッターを押し込むことで目の前にある何かを特別なものとしてフィルムに封じ込める、儀式というほど大層なものでもないけど、ちょっとそういうことを自覚するような感覚がフィルムカメラよりも希薄になってるという感じもする。要するに手ごたえが希薄な楽しさとでもいうのかな。
これは人によってはまるで違うと思うけど、すくなくともわたしの場合、その手ごたえのなさに導かれてるのか、この時期撮ってみた写真は、拠り所のない撮り方で撮ってしまってる写真が多くなっていたように思う。撮った写真の数はフィルムを使ってる時よりも確実に多くはなるんだけど、撮った日の夜にPCで確認していても、撮った本人なのにまるでピンとこない、今日のことなのに昼間ファインダー越しに見えたと思ったものがどこかへ消えてしまったような写真ばかりがモニターに現れることになる。
モニタを前にして、どれがよく撮れたのか自分でもよく分からないなぁ、ひきつける強度も、何か足りないと言う不足感もみんな同じように見えるとひとしきり悩んだあと、個別に特徴を出すためのフォトショップタイムになったりする。

単焦点で撮ってた今回の写真のようなのはまだそれでも幾分ましで、ピンとこない度合いはズームで撮ったのが本当に酷い。元々ズームとか横着なレンズで、フィルムで撮ってる時も一応何本か持ってるズームはほとんど使ったことがないんだけど、その横着さがデジタルに乗せるとなんだかここぞとばかりに大手を振るうようで、撮ってる時の感覚そのものが弛緩していく。写真を撮るという行為そのものが、あれ?写真撮るっていうのはこんな感じの行為だったか?なんていう風に、身に沿わなくなってきてるというか、いけないなぁ、こういう傾向。
やってることはフィルムカメラに似てるように思うけど、内実はやっぱりまったく別のものという印象だ。使ってみて基本撮る事そのものは楽しかったんだから、フィルムカメラとはまったく別方向からのアプローチのほうが扱いやすそうだ。

ということで、ペンタックスのデジイチを持ち出し始めてから、オリンパス35DCはずっと持ち歩いてたけど、フィルムを入れたままの状態で中断していたペンFとナチュラクラシカとサーディンカメラ(全部10数枚くらいは撮影済み)にまた比重を移し変えるつもり。

クラフト作家さんからの派生でペンタックスのデジを使ってみてるけど、デジイチといえば、それまでにマニュアルを読んでいたデジペンE-P5も手元にある。これ、去年の中頃にそろそろ型落ちしそうというので安くなっていたのを入手したんだけど、忘れてるわけじゃないとはいうものの、デジはもうこのペンタックスのでいいやと思ってしまうと、使い始めるタイミングを逸してしまいそうだ。

デジタルに関してはもうちょっと思うこともあるんだけど、それはまた別の機会にということで、今回はこれで閉めです。









デジタル用のレンズで使うとまた全然違う結果になるのかもしれないけど、少なくともわたしが使ったフィルム時代のレンズだと、全体にアンダー寄りでコントラストが強く、アンバーにシフトしたような絵になる。アンバー寄りはもうちょっとニュートラルになって欲しいと思う時もあるけど、コントラストの強さとアンダーよりの絵は結構好みのイメージになる時がある。