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さらば夏の光たち

出町の夏空
2016 / 09 / Olympus Pen S 3.5 / Kodak SuperGold 400





夏草のベンチ
2016 / 07 / Konica C35 EF / Lomography Colornegative 400





夏の校舎
2016 / 07 / Konica C35 EF / Lomography Colornegative 400


語尾がちょっと違う吉田喜重の映画のタイトルやね。吉田喜重の映画はもう凝りに凝ったスタイリッシュな映像の集積物と云ってもいいような映画なので大好き。これは単純にタイトルとして思い浮かんだだけだったけど、思いついたついでに、映画のほうもまたちょっと見てみようかな。何だか内容よりもその内容を形にしている構造や形式のほうに反応しがちなわたしの性癖がよく出ている映画の好みのような気がする。

最初のは出町柳の辺りの鴨川、夏草のベンチと夏休みの校舎は藤森神社の近くで撮った。
出町柳は加茂大橋から鴨川デルタを望むようなロケーションを良く見るけど、わたしはむしろ鴨川デルタに降りて、出町橋のほうを向いた空間のほうが好き。以前大阪の大川を源流までさかのぼって写真を撮り続けていたことがあったけど、出来上がったのを見た時にその頃のことを思い出した。あの時は川と橋をうんと下に配置して空が圧倒的な分量で画面を占めるような撮り方を意図的にやってたんだけど、今回のはちょっと大人しめかな。9月に入ったというのに、この夏こんな夏っぽい空が広がったのを始めてみた。
ハーフカメラで撮るような対象でもないなぁと思ったものの、普通の一コマの半分しかフィルムを使わない細部の解像感のなさが、むしろちょっとした雰囲気を付け加えているかもしれない。

ついでに書いておくけど、ペンS3.5は今回も単体の露出計を持たないで使っていた。露出計のついてないカメラを使う時単体の露出計があるともちろん露出値はどうなんだと迷うことはない。でも実際はそんな細かいことを考えなくてもあるパターンを覚えておくとそんなに失敗もせずに写真を撮ることができる。
考え方は太陽の光線は場所によって色々と強くなったり弱くなったりといった風に異なるわけではなく、どこにいても光量は一緒、というのが元になっていて、感度分の16というのが有名だけど、わたしは「千八(せんぱち)」のほうを使ってる。
感度分の16は晴天の時に感度400のフィルムを使った場合、絞りを16、シャッタースピードを1/400にすると適正露出になるというもの、感度100のフィルムを使った場合は絞り16、SS1/100となる。一方「せんぱち」のほうは感度400のフィルムを使って晴天の時に絞りを8、シャッタースピードを1/1000秒にすることで適正露出になるという設定方法だ。感度分の16は自分でやってみた感じだとアンダー気味になるように思えて、ネガを使う分には、こっちは逆に若干オーバー気味になるんだけど「せんぱち」のほうが破綻してない絵に仕上がる感じがする。フィルムは露出オーバーの方向での許容量はかなり広いから、失敗も少なくなると思う。ちなみにわたしの持っているニコンF3の露出計は「せんぱち」のほうの値に近い結果を示す。
で、晴天の時の露出設定、感度400のフィルムを使って絞り8、SS1/1000を基準にして、曇り、日陰はそこから二段開く、さらに夕方はその基準から三段、実は眼で見てるよりも意外と暗い室内で五段、夜は八段、逆光時はこの基本パターンにプラスしてさらに一~二段、それぞれ開く、とこれだけのパターンが頭に入ってるだけで、大抵の状況で本当に写真が撮れる。日がさしている場所と木陰のような場所が半々くらいで混在してる時は一段程度開くなんていう風にパターンを増やしていくと結構ニュアンスも拾い上げるような撮り方さえできたりする。
露出計のついてないクラシックカメラを使おうと思うなら、高い単体露出計に手を出す前にこういう方法を試してみるのも一興。こんな厳密性に欠けたやり方でも、意外にまともに撮れるから、結果に吃驚するかも。

面白いんだよなぁ。この簡単なパターンでも、知らないと昔のカメラは登攀不能な絶壁が立ちふさがってる如く、まるで何も撮らせてくれようとしないのに、こんな単純なパターンを知ってるだけで魔法のように写真を撮ることができるようになる。この違いの僅差が生み出す結果の格段の差。本当にこれは魔法の呪文なのかもしれない。


☆ ☆ ☆



いつの間にやら写ルンですの30周年記念バージョンの第二弾が出ていた。当然封入されてる記念グッズも第一弾のものとは違うようだ。
今回は違うカメラで撮った写真だけど、今使ってる写ルンですはあと5枚ほどで撮りきるので、撮り終えていいのかあったらまたここに載せてみるつもりだ。オークションで落としたカメラの試し撮りなんかしてたから、写ルンですは持って出てはいたけど、撮っていたのは単発的で、そんな使い方の結果として夏の始め頃からの季節一つ分の写真が詰まってるはず。正直何を写したかあまり憶えてないから、残り数枚早めに撮りきって現像に出すのが自分でも楽しみだ。



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鏡の如き映るもの + Arto Lindsay - Child Prodigy

水田に写る
2016 / 05 / OLYMPUS PEN S3.5





中空の畦道
2016 / 05 / OLYMPUS PEN S3.5





水の痕跡
2016 / 05 / OLYMPUS PEN S3.5



先日電車に乗っていて窓の外を漫然と眺めていたら、水を張った水田に脇の畦道と等間隔に並んでる電柱が写り込んでる光景が流れすぎていった。その日は空一面が単色のグレーで塗り潰したような曇り空の日で、まるで抽象的なラインが、空を反射して水面までグレー一色となった平面に浮遊してるような様相を見せていた。
大体ピクトリアリズムの写真には距離を置くっていうようなことを云ってるけど、こういうのを見てしまうと撮らなければと思うわけで、でもこの時は用事があって乗っていた電車だったから、あの鏡のような水田の写真を撮ってくる!とばかりにその近くの駅で降りることも出来ずに、用事が済んだら撮りに戻ってこようとその水墨画のような光景が目の前を通り過ぎるままにする他なかった。
用事が済んで3時過ぎくらいだったと思うけど、もう一度この場所にやってきて、今度は電車を降りて、鏡面界となっていた水田の近くまで歩いていったんだけど、近くまでやってきてその様子を見て唖然。
通り過ぎたのは大体10時半頃、戻ってきたのが3時過ぎ頃だったから、この間約5時間ほどだったんだけど、この五時間の間にすっかり田植えが済んでしまっていた。あの鏡のように見えていた水田には苗が等間隔に並んでまるで産毛が生えたようになってる。ちっとも鏡のようじゃない。
この日は土曜日で、何も土曜日にしかも今にも雨が降り出しそうな日にこんなに張り切って田植えしないでもいいだろうに。いつもの我がタイミングの悪さに呆れかえりながら、畦道と電柱が反射してる水を張った、産毛が生えてない水田が他にないか探し回ることとなった。
結果昼前にみたような条件が揃っていたところは見つからず、こういう写真を撮ることになったんだけど、これはこれで結構気に入ってるイメージになってたりして、ひょっとしたら撮ろうと思っていた水田で田植えもされずにその場所を撮って満足していたら、今回の写真は撮らずにやり過ごしていたかもしれないから、その場ではタイミングの悪さを呪ってたけど、後になってからはこれはこれでよかったんじゃないかとも思った。
せっかく戻ってきたのに新たな場所探しやってるうちに本格的に雨が降ってきて、結局3~4枚ほど撮っただけでこの日は退散した。
思ったんだけど、曇りの日も結構いいなぁって。まだらに雲が空を覆ってるような曇り空だとあまりそんなことは考えなかったかもしれないけど、均一のグレーの色面が広がってるような日の空気感とか光の感じは、抽象度が増してこの世界の光景とはちょっと印象を異にするようなニュアンスが加わるような気がする。遠くにあるものがグレーの中にしっとりと湿度を持って霞んで行くような雰囲気もなかなかいい。

☆ ☆ ☆

使ったカメラはオリンパスペンS3.5。随分と前に買ったカメラだけど、ファインダー内のブライトフレームが微妙に傾いていて、気づかずに撮った写真の大半がわずかに傾いだ写真になってたのに嫌気が差して使ってなかった。でもブライトフレームは目安程度に、ファインダーの外枠を基準にすれば傾かずに撮れそうと思い、さらに傾いてもかまわないような構図で撮れば問題なしと思い至って、最近写ルンですとハーフカメラにぞっこんなので、せっかく持ってるんだからまた使ってみようという気になったというわけだ。
「S」はペンとしては二代目で、この二代目のペンは仕様の違いで二種類のタイプが存在する。初代ペンの後継としてまず少し明るめのレンズと高性能化したシャッターをつけたS2.8というのが出てきて、その後初代のレンズが評判よかったのか、二代目のペンのレンズを初代のものに戻したタイプのものが登場した。わたしが使ってるのはレンズを初代のほうに戻したS3.5のほうだ。初代から見ると、二代目と見た目はそっくりなので、結果的には初代のシャッターを高性能化した形のカメラといったものになってる。わたしが買った時はまるでそんなことは知らなかったんだけど、オリンパスペンSとしては2.8のものよりも生産台数が少なくて、綺麗な状態のものがなかなか見つからない、若干レアな扱いになってるものらしい。最初はなんだもっと明るいレンズのものがあるのかと外れくじを引いたような気分になってたけど、レアと知ると現金なもので、これが目の前に現れたのは幸運だったんだと思うようになった。

s3.5

まず、このところ写ルンですを使っていて気づいたんだけど、この写ルンですの最初から固定されてる設定、ISO400のフィルムで絞りが10、シャッタースピードが1/140秒というのをそのままこのペンSに流用すれば、まさしく写ルンです的に使えることになる。完全マニュアルカメラなのでとっつきが悪そうに見えるけど、考え方次第でお手軽カメラに変貌したりする。
実際露出計を持たずに一本撮ってみて、写ルンですだったら躊躇なくストロボを使ってる陰が淀んでるようなところは体感露出で設定値を変えなければならなかったけど、外してるのは数コマだけで首尾は上々だった。

ペンはデフォルトの構え方で縦のフレームになる。以前ペンは何が何でも縦構図で撮るのがカメラの特性を生かして面白いと書いたけど、実際のところ縦構図好きを表明してることには変わりないものの、最近はどうもパターン化してるというか、縦に構えても今まで撮ったようなイメージとしてしか目の前に立ち現れてこないことが多く、今回のペンSを使ってる時は横の構図で撮ってみたものが結構多い。さらに今回のようなのは対象自体が横構図を要求してると思う。

あとね、広く視界を取った写真も、そういうことに意図的になってシャッターを押したのも考えてみれば久しぶりという感じ。
クローズアップは倉石信乃が言うように、細部の全体化、抽象化であって、かつて神宿った細部を視覚化するものではない。細部が実現されるのは逆にパンフォーカスの画面、それも制度化された視線で整理されない、ぞんざいに投げ出された(この辺りの思考がかっこいい!)画面なんだという考えには賛同する。
おまけにパンフォーカスという、遥か遠くから手前のものまではっきりとピントが合って見えるというのは、見ようとしたものしか見ない人の視覚と比べれば、極端に不自然で人工的で、言うならむしろサイケデリック、幻想的なヴィジョンだと思ってる。こういうところがスティーブン・ショアのような写真が好きなところだったりする。
かつて細部に神が宿った、サイケデリックで幻想的なものだと看做すなら、安物カメラで実現してるパンフォーカスの写真も際立って面白くなってくる。


☆ ☆ ☆


Arto Lindsay - Child Prodigy


アート・リンゼイをもう一曲。あのダンエレクトロのレトロフューチャーっぽいギターを掻き毟って、ノイズを撒き散らしていた人と同じ人だとは到底思えない透明感にあふれた、美しい、でもどこか逸脱感があるブラジリアンミュージック。
これがブラジル回帰の始まりとなったアルバムなんだけど、これ以降のほかのCDとかも聴いてみると、ノイズ止めてこういう音楽に宗旨替えしましたっていうスタンスじゃなくて、ノイズからこういう音楽までまるで同じ美意識で捉えて音楽を作ってるのがよく分かる。結局は分け隔てなく音そのものに対するセンスが抜群にいい人なんだと思う。






90年代後半の坂本龍一のレーベルGUTからでてる。そういえは坂本龍一なんかとコラボしてたから、ひょっとしたらDNAのノイズギターの人というよりも新感覚のちょっと洒落たブラジリアンミュージックの人って云う受け取り方の人も多いのかもしれない。