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マシュマロ / イヤリングを作ってみた!

駐車





水煙と子供





光る壁





絡み合うc



2016 / 03 心斎橋
2016 / 08 梅田
2016 / 02 心斎橋
2016 / 04 京都駅
Olympus Pen S3.5 / Howay Anny-35 / Fuji Natura Classica / Olympus XA2
lomo100 / Fuji Natura1600 / Kodak SuperGold 400


いつも色や形を頼りに写真を撮ると云っている。でも狙っているもの、見ようとしているものは、見ていた色や形のように輪郭のはっきりしたものでは必ずしもなくて、もっと茫洋とした何かであることのほうが多い。矛盾しているのかなぁとぼんやりとではあっても思い巡ることもある。
で、なんとなくこういうことに思いをめぐらしていると、マシュマロという存在が頭に浮かんだ。マシュマロって色は区切りがいいし輪郭もきっちりとある形でありながら、存在そのものはふわふわと頼りない手触りで茫洋としている。わたしが写真に見ようとしているものの形って、ひょっとしたらマシュマロのようなものなのか?
以前京都矩形化計画なんていう名前で写真サークルでも作ろうかといったことを書いたけど、この「マシュマロ」というタイトルで写真ブログを作ってもいいかな。確固として茫洋という二律背反のような要素以外にも、どのようなものをどのような目論見で撮ろうとも、必ず美的であることを外さないという、これがひょっとしたら一番かもしれないポイントをも押えていそうで、意外と的確に自分の写真の進む方向を示しているようにも思える。まぁ「彗星絵具箱」には愛着はあるけどね。
実はこのブログを始めた当初、まだ誰も見に来る人がいないような最初の頃には、まったく違う名前で店を開いていた。あまりに酷いタイトルだったので気恥ずかしくなって三日ほどで今の名前に変えてしまった。今のタイトルは急場しのぎの感もあったけど、その後変えずに今まで来ているから結果としては長持ちしてる。

☆ ☆ ☆

最近自分でイヤリングを作ってみた。
フープイヤリング ハンドメイド1

ネットで見つけたイヤリングだったんだけど、その写真みて、これ、自分で作れるんじゃない?って思った。
作った結果が上の写真。うん、なかなかよく出来てると、ここに載せている写真同様に自画自賛してみる。
作ったといっても市販のフープイヤリングに丸カンにつけた飾り部分を通しているだけだ。他の飾り物をいくつか丸カンにつけた状態で用意しておくと、土台のイヤリングに丸カンを通しているだけなので付け替えることが可能になっている。
わたしはピアスの穴を開けていないので土台のフープはこの形になる。ピアス、開けてもいいんだけど、メンテナンスとかが面倒臭そうで踏み切れないなぁ。おまけに耳って福相に関係してそうで、その穴からお金がもれっぱなしになるイメージがある。

これは1cmのコットンパールで作ってみた。細工は9ピンに菊座とコットンパールを通して繋ぐ部分のわっかを作り、丸カンにつけているだけなので、物凄く簡単。
道具は平やっとこ×2、丸やっとこ、ニッパーくらいあれば十分で、材料も100円から300円くらいで大概揃ってしまう。やっとこは持っているとアクセサリーをアレンジしたりするのに重宝する。ケイバのが一般的な使いやすいツールとなってるようで、わたしもここのものを使っているけれど、これはちょっと高い。安いのだったら、アクセサリーの専門店である貴和製作所のものなんかだと500円くらいで手に入るから、揃えておくと何かと便利だよ。ただ道具はお金かけておくほうが結局のところ使いやすいっていうところに落ち着いたりする。費用は抑えたほうがいいけど、どんな分野でもこういう部分ではケチらないほうが結果は良さそうだ。
選ぶ時に、挟む部分に溝が掘っていないのを選ぶこと。これがポイント。ここに溝があると掴んだものが滑りにくくはなるんだけど、アクセサリーの素材とか結構柔らかい金属で出来ていたりするので、挟んだ部分に溝跡の傷がつくことがあるんだな。

材料は京都だと、数は少ないけれど東急ハンズに貴和製作所の小さなコーナーがあるし、他だとわたしはヨドバシカメラの地下のユザワヤで調達している。さらにネットの通販を利用すれば材料に関しては不自由はしないと思う。でも通販の場合は実際の大きさとか見られないから種類はあってもものすごく選びにくいので、選択肢が限られていても可能なら実物がある実店舗のほうがわたしは買いやすい。


☆ ☆ ☆

前回の記事に書いた関西深夜ローカルの番組。おそらく「ディープ・キッチュ」というタイトルの番組だ。司会はばんばひろふみじゃなくて、今の名前でいうと松尾貴史だった。番組タイトルから見るとキッチュという芸名で出ていたころだと思う。今や反日左翼思想の代弁者になってしまって、というか正体を隠さなくなってもはや関心もなくなってるけれど、ばんばひろふみだと思っていたところから思うに、キッチュに対してはサブカル的なもので視線がひっかかってはいても、当時もそんなに印象に残るほど面白いとも思ってなかったのかも知れない。
問題の俳句のコーナーは「田辺のレッツゴー俳句ing」動画でもないかと探してみたけど見つけられず。キッチュはどうでも良いけど、あの俳句のコーナー、もう一度見てみたいなぁ。








工具のメーカーでケイバっていうのはあまりイメージ的に結びつかないというか、アクセサリーのツールとしてはとても使いやすいんだけど、そういう存在だと知らないで目の前に複数メーカーを並べられたら、手に取ろうとはあまり思わないブランドネームだと思う。



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眩暈椅子再び

ぐるぐる2





木の島





通路街灯





ぐるぐる3



2016 / 11 / 棚倉
Howay Anny-35
フジ 業務用400


以前のぐるぐるの記事で書いた、棚倉で電車を降りて写真を撮ろうというきっかけになったもの、棚倉で停車した電車から二重の窓越しに見えていた得体の知れないものは三枚目の地下通路への入り口にあった葡萄の房状に連なった巨大な球体のオブジェだった。しかしわたしがその奇妙なオブジェの写真を撮ろうと思って初めて棚倉で降りた時、この地下通路に隣接する駅の部分で大規模な改修工事が始まっていて、その余波なのかどうかは知らないけれど、謎の球体の房は撤去された後だった。
今までこの駅を通るたびに眼に留まっていたのに、いざ写真を撮る気になって訪れてみると跡形もなくなっている。まだ凶のおみくじを引く以前のことではあったけれど、今から思うとその前哨戦が既に始まっているかのようだった。どうして撮りに来たタイミングで撤去するかなぁと、自分の運の悪さを嘆いてみたものの、ないものは確認できないし、しばらくはあの球体は何だったんだろうとわたしの中で謎として残っていた。停車した電車の窓からみた地下通路へ向かう一角は謎の球体を除いても、車窓から見ると何の施設なのかいまひとつよく分からない空間に見えていたから、実際に下りてみてあぁここは地下の通路へ降りていく場所だったんだと、これは納得して疑問解消となったんだけどね。
後になって、この地下通路に並ぶ場違いな街灯に、まるで巨人のネックレスでもかけるようにつけられていた謎の球体の房は、去年の木津川アートの作品の一つだったと知ることになる。木津川アートで検索してみたらネット上に写真が出ていた。正体を知ってみれば枯れ尾花の典型というか、車窓と地下通路の窓の二重の隔壁の向こうに、薄暗い通路の照明のなかで浮かび上がっていた謎の巨人のネックレスの纏っていたものは綺麗に霧散してしまった。
でも写真には撮ってみたかったなぁ。
ちなみにこの地下通路、夜に通ると人の気配で上にあるシャンデリアが自動的に輝きだすそうで、この体裁といい、通路を抜けたところでであった眩暈椅子といい、やっぱりどこかおおっぴらに異界へ通じているような気配があって、唯の辺鄙な田舎町とは思えないところがある。のどかに眠りこけているような雰囲気の下で何か隠し持っているんじゃないか。

こういう毛色の変わったものを撮って、その出来上がった写真を眺めてみると、事物にすべてを還元していくような方法は好きではあっても、対象が特異であればちょっとその特異性に寄りかかりすぎているようにみえるところもある。そう見え出すと写真はあまり面白く見えなくなってくる。
写っているものはぐるぐる眩暈椅子ではあるけれど、写そうとしていたものはぐるぐる眩暈椅子じゃない。写真を撮っていてそういう部分はいつも多々あるんだけど、こういう直結しない部分が出てくるほうが面白い。特異な対象を前にするなら余計にそんなことを思ったりする。









もっと拾い集めた夏の光たち

俯瞰する駅
2016 / 08 / Howay Anny-35 / Kodak SuperGold 400 使用期限切れ





光の幾何学
2016 / 08 / Howay Anny-35 / Kodak SuperGold 400 使用期限切れ





斜め京都タワー
2016 / 08 / Howay Anny-35 / Kodak SuperGold 400 使用期限切れ



こうやって眺めてみると、今夏の写真はAnny-35三昧となってるなぁ。まぁこればかり使ってると飽きてはくるんだけど、トイカメラとしてみるとわたしが嫌いな周辺の光量落ちもなく、シャッタースピードはバルブともう一つ、おそらく1/50秒前後くらいだと思う単速のものしかついていないものの、絞りは4段階に切り替えが出来たりして、結構それなりにカメラ的な作りになっている。
当時はこれを子供が使っていたということで、子供たちが外界の光の様子を見て絞りの値を変えるなんてことを平気でやっていたと思うと、道具が簡単に、親切になっていくというのはどういうことなんだろうとちょっと考えてみたくなる。

トイカメラ三昧といえば去年も夏の間はホルガばかり持ち出してたりして、トイカメラ三昧していた。と書いて去年の夏の間に2回もカメラを落っことしたのを思い出した。ホルガはヴィレッジヴァンガードのアウトレットで7割引のものを数台買ってたから、気分的には、しまった!と思っただけで後はひかなかったものの、ナチュラクラシカを落とした時は青ざめてしまった。
それ以降はカメラを落としてしまうなんてことは一度もないから、この時立て続けに二回も落としたのは何かが憑いていたんじゃないかと思いたくなる。桃山御陵の辺りだったから、御陵の主からの写真撮るなというサインだったのか。

黒い金属のカメラなんか持ち出してると、炎天下でまるで焼けた鉄板のようになってきて、これ本当に大丈夫なのか?熱で壊れるんじゃないかと?と不安になってきたりする。だから今しばらくはトイカメラ的な少々手荒に使っても気にならないようなカメラで歩き回ってると思う。ストラップも首にかけるようなのは汗まみれになるから、こういう点でも手持ちでいけるコンパクトなカメラが選択肢になる。汗にまみれたストラップとかみんなどうしてるんだろう?ちゃんと洗濯でもしてるんだろうか?
汗といえば、暑い中を歩き回ってるとリュックの背に当たる部分がかなり濡れる。リュックが汗臭くなってきたらどうしよう。

☆ ☆ ☆

最初のは俯瞰好きの血が騒いだもの。自宅の二階のベランダから下を見下ろすだけでも血の気が引いてしまうほど高いところは苦手なのに、なぜかこういう俯瞰の光景は夢中になる。
でも、このイメージは何かが欠けてるんだよなぁ。歩いてる人が多いとか少ないとかそんなレベルじゃないところで何かが足りてない。決め手に欠けて締りのないイメージになってる。
二枚目はこの世界にある時間だけ現れる形と色。
三枚目は、こんな風に京都タワーを撮った写真はまぁ他にないだろうという写真かな。
と云ってみても世界は広いから、どこかで似たようなイメージで京都タワーを撮った人とか絶対にいるだろうなと思うところもあったりして。
これ反射してるガラスの向こうはおそらく伊勢丹のレストランか何かだと思う。空の反射でガラスの向こう側は見えないけど、向こうからはこちらが見えてるのを承知でカメラを向けていた。ガラスの向こうの人は撮っているわたしを目にしても、ガラスの反射狙いだとは思わなかっただろうなぁ。


さらに拾い集めた夏の光たち

足水浴
2016 / 08 / Howay Anny-35 / lomography Colornegative 100





夏の午後の庭掃除
2016 / 08 / Howay Anny-35 / lomography Colornegative 100





ソファのある部屋
2016 / 08 / Howay Anny-35 / lomography Colornegative 100



豊栄のジュニア・カメラ、Anny-35で撮っていた写真の続き。

最初のは鴨川に併走して流れる禊川。鴨川縁の料亭なんかが設置する床の真下を流れてる小川で、少し前にこの川の縁にずらっと人が並んで座って、全員が禊川に足をつけてた光景を見て、写真に撮りたかったことがあった。でもちょうどその時、フィルムを現像に出しに行った帰りで、カメラの中にフィルムが入ってなかったんだったか、理由ははっきりと憶えてないんだけど、目の前に興味を引く対象があったのに撮れなかった。
それ以来ここを通るたびにまた皆がいっせいに足を水につけて並んでる光景に出くわさないかなと期待してるのに、未だにそういう光景と再会できずにいる。
これはたまたま同じ場所に人が集まってた時で、状況が似てたから撮ってみたものだけど、やっぱり皆が禊川に足をつけてる様子のほうがいいなぁ。なぜこの人たちが集まってるところを撮ろうとしたのか、これではもう一つ良く分からない。
でも配置はいいと思うんだ。鴨川縁の散策路がディテールを飛ばして、暖色の色面となって画面を占める分量とか、その明るい色面と禊川とのコントラストとか、マスとして集まってる人の量感のバランスとか、集まって三角形を成してる形とか、そういう画面構成的なものはわりと気に入ってる。前提として並んで足をつけていた人のイメージが頭になければ、むしろ構造だけで成り立たせてるイメージとして、写真にあまり意味を乗せたくない自分の志向には沿ってるところもある。

Anny-35は、なんだかフィルム写真の香りが濃厚に漂う、まぁフィルムを使ってるから当たり前と云っちゃ当たり前なんだけど、それでもそういう質感のあるイメージを生み出すカメラという感じでなかなか面白い。
難点はとにかくフレアが出てしまうことで、太陽を背にしてないと写せない、まるで「怒りの荒野」のガンマンのようなスタイルを強要するのがうっとうしい。ということで今内面反射防止処置の真っ最中。
一旦組みあがった状態のカメラの内部に細工するとか、もう本当にいらいらする作業で、大体貼り付ける予定の植毛紙を切り出すための寸法が測れなかったりするから、ただ貼るだけのことなのに恐ろしいほどの時間を費やしてる。結局壊れたらまた買ってくださいという子供用のアイテムで、ばらして修理するというようなことを想定してないカメラなんだろう。
なんやかんやで最後は適当に貼り付けて、ついでに数少ない外せる部分だった軍艦部を外してファインダー内部なんかも反射防止処置したあと、また24枚撮りフィルムを一本試し撮りしてきた。これはお盆が明けたら現像に出しに行くつもりだ。今度のは試写ということで新しいのを使うのもなんだかもったいないと思い、5年位前に使用期限が切れたフィルムを使ってみたんだけど、上手く写ってるのか、これも現像が楽しみになってる。

☆ ☆ ☆

先日町内の地蔵盆の日程表なんかが配られてきていた。八月の後半に各町内で行われる地蔵盆は云うなら子供のお祭りで、小さい頃に住んでいた壬生御所ノ内町の地蔵盆はそれはそれは豪華なお祭りだったから、町内中の子供の心をときめかせてた。でも今住んでるところはなんだかおざなりに形だけっていう感じがしないでもない。クライマックスのくじ引きは壬生御所ノ内町の地蔵盆では、大人から見るとそうでもなかったのかもしれないが、子供にとっては高価なおもちゃのてんこ盛りだったのに、今のところの地蔵盆は台所用品とかだったりする。そりゃ役には立つんだろうけど、台所用品では子供の心はときめかない。

そういう子供にとっての一大イベントである地蔵盆が終わると夏休みの終わりが見え始めて来て、夏の終わりが実感として感じられるようになってくる。今年はこんなに辟易する夏だけど、それでも地蔵盆が終わる頃には、大人になった今も、過ぎていく夏への感傷は生まれてきそうだ。



拾い集めた夏の光たち

細い路地に光が降り注ぐ
2016 / 08 / Howay Anny-35 / FUJICOLOR 100





提灯
2016 / 08 / Howay Anny-35 / FUJICOLOR 100





鯉
2016 / 08 / Howay Anny-35 / FUJICOLOR 100




リコーのオートハーフを落札してから、そしてあのレトロなカメラを掻っ攫われてから、何度かヤフオクを利用してみて思うのは、出品側は何とか誤魔化そうとしてるけど、出てくる品物はやっぱりほとんどがどこか訳ありのものだと云うことだ。説明もそのまま素直に受け止めることなんか出来なくなって、そんな目で読んでると、どこかにテンプレでもありそうな業者風の書き方はかえって胡散臭いというか、実際に自分で使っていたものですというような説明書きのもののほうがまだしも信用できそうだ。
撮影に影響するようなカビや埃は一切ありませんとか書いてあるのを読んでも、影響しないカビや埃は一杯ついてるんだろうなぁと思い、大変綺麗な一品ですなんていうのはまず疑ってかかるべきというのが数回利用しただけで何となく理解できてくる。

昨日オークション終了間際のフォクトレンダー・ビトーⅡという昔の蛇腹のカメラに5000円ほどで入札したらそのまま最高額入札者となって、まぁこのカメラは大体こんな価格でやり取りされてるようだけど、実物も見ないで蛇腹のカメラとか無謀だよなぁ、穴が開いてるに決まってるぞ、という思いが頭に浮かんできたら、しまったなぁ、払いたくないなぁって云う気分のほうが大きくなってきた。結局さらに高値で入札した人が続いて自分は落札の権利を失ったんだけど、これは横取りされたというより、払わなくてすんだ、助かったという安堵のほうが大きかった。
信頼できるような品物は多くないというのが分かってながら、入札してみようと思わせ、競り上げに付き合ってしまうというのはやっぱり伏魔殿そのものという感じだと痛感する今日この頃だったりする。


☆ ☆ ☆


トイカメラで拾い集めた夏の光たち。

anny-35
豊栄産業というところが60年代に発売していたカメラで、色々触ってみた感じでは子供が使うためのきちんとしたカメラというコンセプトで作られてるような印象だ。カテゴリー的にはトイカメラなんだろうけど、子供のおもちゃと見るにはかなり本格的なカメラだったりする。
カメラの素性はネットで検索しても日本語ではあまり出てこない。英語のフォーラムなんかがあったから、どうやら海外のほうが知られてる様子だ。日本語で書かれたものではなんと祖父が作ったカメラという内容でブログの記事にしていたところを見つけて、その記事では豊栄産業はその人が社長を引退してから潰れてしまったと書かれていた。
ビートルズが形になるかならないかの頃に製作されたカメラで、このカメラがこの世界に誕生した時、その世界はビートルズを知らなかった世界だったというのが、なんとも奇妙な感じを抱かせるし、そんな時代の機械が時間の堆積を潜り抜けて、しかも高級カメラ的な扱いもされなかったのに、今になってもまだこの世界に存在し使えるというのも、考えてみたら凄いことだと思う。たとえばその頃の洗濯機とか今でも使ってるところなんて想像もできない。
ただ使えるといっても経年による影響はあって、わたしのもレンズに点々とカビ跡がついてるような状態だった。
古いカメラとかレンズとか、ライカなんかはカビなんて当たり前、それが味になるといった扱いの仕方をしてるようなところもあるけど、わたしはカビが発生してるなんて言う事態を静観できるほど達観した感覚を持ち合わせてない。
間の悪いことにカビ跡はレンズの裏側についていて、しかもレンズの外し方が分からない。というか外せるような作り方になってるのかさえも分からない。しかたないのでバルブでシャッターを開いた状態にしたまま本体の裏側から綿棒を使ってオキシドールで拭い取ってしまおうと思った。
一応カビ跡は取れて見た目はクリアになったものの、光にかざした角度ではうっすらと汚れを広げてしまったような感じで、なんとかレンズを外して裏側から直接思う存分拭き取ってみたい衝動に駆られてる。
あとフィルム室内の反射防止処置がレンズ周りの一部にしか施されてなくて、光沢をそれほど抑えてない黒い暗箱の中に、あろう事か銀色のビスの頭が銀色のまま顔を覗かせてたりするから、逆光気味だと思い切り派手なフレアが出るんだな。
取扱説明書でも必ず太陽を背にして撮ってくださいと書いてあった。
最初の写真なんかも夏の光なんて表現してさもそれ風の光を捉えたように振舞ってるけど、これ単純にフレアが生じてるだけだったりする。こういうのの対策に使う植毛紙は以前スメ8の内部反射防止用に使ったものが手元にあるけど、Anny-35のフィルム室内は結構起伏があって貼り難そうだから、そのうちつや消しの塗料でも塗ってみようかと思ってる。
フレアが全部収まってしまうと、これまた普通のカメラになりすぎて面白くなくなったりするから、絶妙の按配でフレアが派生するカメラになるのが理想だけど、こんなの普通のカメラを作るよりも難しいんじゃないかなぁ。

☆ ☆ ☆

夏の光を拾い集めて街中の探検に勤しんでるけど、やっぱりこの暑さはかなり耐えがたい。そういえば去年の今頃、富野荘の駅から木津川の堤防まで歩いていった時、到着したはいいけど堤防なんていう遮るものもない場所で容赦ない暑さに晒されるやいなや、こんなところをうろついてたら駅まで戻れる体力もなくなるかもしれないといきなり弱気になってしまい、到着しただけでそのまま踵を返して駅まで戻ってきたことがあった。あの時は駅の待合の冷房の効いたところに逃げ込んでもまったく汗が引かずに、おそらく熱中症一歩手前くらいまで行ってたんじゃないかと思う。だから去年の夏だって相当に暑くて、でもそんな暑さの中でも写真撮りに出かける気分はあまり削がれはしなかったのに、今年の暑さといったらなにかと気に触るというか、相性が悪い。
暑さを凌駕するような夏の鮮烈な体感もそれほどなくて、もう暑いのに飽き飽きしてるんだよなぁ。