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硬水歌集 機械式辻占師言行録Ⅷ

日之影





ミネラルウォーター





朽





物体X





スポットライト
2016/10 祇園
Canon A35 Datelux / Nikon Coolpix S9700

前回の記事でコンタックスT3はあと七枚で撮りきると書いたのはもうちょっとでフィルム一本終了できるという意味だったのに、結果は思惑に反して現在もあと七枚で撮り切るという状態のまま。結局一月の間一度もシャッターを切らなかった!写真は思索じゃなくて体力次第というのが体を通して理解できる一月ではあった。潰瘍性大腸炎はこの数週間それなりに安定してきている様子なので、暑さもようやく過ぎ去りつつあるし、ここは感覚を取り戻すべくカメラを手にして少しずつ行動範囲を広げていきたいところだ。どうしても写真を撮りにいきたい衝動があるのかどうか、それほどでもないから難病に負けて足が動かなくなっているんじゃないか、その辺りを自問する機会も増えている。というところで何しろ写真が増えていないものだから今回も以前に撮ったものから。とはいってもひょっとして既にここに載せたんじゃないかと記憶があやふやになっている写真もあって、すべて始めての写真だったらいいんだけど、我ながら既出くさいのが混じってるような感覚をぬぐえない。撮ったのは祇園。京都の顔のような場所だけど、その分通俗的な要素をぬぐいきれずに写真を撮るのは難しい場所だと思う。祇園といえば最近「舞妓さんちのまかないさん」というコミックを読んだ。花街の裏側というか閉鎖的でいささか特殊なその街で生活をしている人の息づかいを伝えるようなお話。青森から共に舞子さんになる夢を持って祇園へやってきた仲良しの少女二人。一人は舞妓として頭角を現していくがもう一人は目が出ずに結局裏方のまかないさんとして花街の住人となる、その立ち位置が違ってしまっても続く二人の絆と友情を軸として、屋形の台所から映し出す舞子さん修行中の少女たちの四季っていう感じかなぁ。料理が登場して、タイトルにまかないとあっても、いわゆるグルメ漫画とはちょっと毛色が違うと思う。京都の描写がひとコマだけでどこか分かったりするのも楽しく、これは京都の住人の特権なのか。タイトルは全部漢字にしてみたシリーズ。写真を眺めているうちにソングブックなんていう単語が頭に浮かんで、いろんな(ミネラル)ものを混ぜ込んだ写真が歌う歌の歌集っていう感じ。つけてみて色々と上手くこじつけ出来たとほくそ笑んでみる。先々月だったか病院に行った時、主治医の先生からオリゴ糖をとってるかと聞かれ、まぁこれは病院で最初に貰った潰瘍性大腸炎のガイドブックにも載っていたものだしとっていると答えると、梅エキスもとったほうがいいよとさらにアドバイスを貰う。病院内の売店、わたしの診てもらっている病院にはローソンが店を出してるんだけど、そこで売ってるものでいいからと、なんだかこの先生、ローソンの回し者かと思いながらもその日は梅エキスを購入して帰った。その日の夕食時に開封してみると、中の茶色い遮光ガラス瓶に入っていたのは粘度の高い黒々とした液体だった。付属の小さなスプーンのほんの先っちょですくいとった極微量を恐々舐めてみたら、それだけでもうあまりにも酸っぱくて、この酸っぱさはむしろ大腸に対しても刺激一杯なんじゃないかと思ってしまい、翌日から口にし始めるも、朝の超微量以上の分量をとる勇気が出なかった。先月診察の日に梅エキスとってるかと聞かれ、一日一回ちょっとだけと答えると、毎食後に計一日三回とったほうが良いと云われ、量に関しても結構大胆でもかまわないって云う感じの話しっぷりだった。考えてみればパッケージにはそのままでもいいけれど、とりにくかったらお湯で薄めるという方法もあると書かれていて、お湯に溶かすくらいなら付属のスプーンで普通にすくえるくらいの量は必要だろうなぁって云うのは想像できることだった。ということでその診察以降、わたしの場合は食事は以前からほとんど一日二食ですましているから、食後にとるなら一日二回、付属スプーンで普通にすくえるくらいの量、それでも小さなスプーンなので大した量でもなかったが、そのくらいの量をとり続けてみることにした。最近調子が安定してきているのはひょっとしたらこういうのが関係しているのかなと思う。薬じゃなくてあくまでも食品だから薬効どうのこうのというのはないんだろうけど、オリゴ糖が善玉腸内細菌の栄養源となって腸内環境を整えるように、梅エキスも潰瘍性大腸炎の基本薬であるリアルダ(メサラジン)を飲み続けた上でその薬が効果的に働けるような腸の下地を整える補助くらいの役割は果たしているのかもしれない。一応検索してみると梅エキスが潰瘍性大腸炎を緩和させるような研究データもあるようで、極端にすっぱいから大腸への刺激になるんじゃないかという最初の懸念は杞憂ではあったようだ。健康食品としては粘膜関連以外でもいろいろと健康に役立つ効果があるらしいから、潰瘍性大腸炎に効果がなくても摂取していれば体のほかの部分にも何か好影響が出るかもしれない。ということで一応情報として書いておくけど、わたしがとっているのは病院内のローソンで売っていた火の国屋というところの梅エキスだ。ここはどうも地元のメーカーらしい。他メーカーの梅エキスも大して変わらないと思うけど参考なるかもしれないので。ローソンと云っても病院内の店はそれなりに特化しているようで、街中のローソンでは扱っているかどうかは分からない。ちなみにオリゴ糖のほうは、おそらく抽出した原材料の違いだと思うけどいろいろと種類があって、わたしが利用しているのはガラクトオリゴ糖だ。ヤクルトから発売されてるもので、わたしにはなんだかこれが一番しっくり来る。難病の申請は七月に通っていたけど、今年の更新が十月と言うことで、七月の承認通知の中に更新の書類も一緒に入っていた。その更新手続きの期限が七月末だったので、初めて認定を貰った2,3日後にその更新の書類を提出することになって、その更新された受給者証は九月の下旬に無事に到着した。これでこれからの一年間はこの病気に関する医療費の負担はかなり軽くなる。毎年こういう更新をやらなければならないようで、そのたびに今度は通るかなと不安に駆られる期間が発生するんだろうなぁと思うとちょっと憂鬱ではある。今回は申請がとおった直後の更新だったので役所で最新の、正確な名前は忘れたけど課税証明のような書類を用意するだけでよかった。でも次回からの一年ごとの申請だとそのたびに病院からも診断書みたいなのを書いてもらわなければならず、これがまた5000円くらいの出費になるのが痛いと言えば痛いところだ。


Ofenbach - Rock It (Official Video)

わたしがお邪魔しているブログで紹介されていた曲。催眠的、催淫的官能的であまりにもかっこよかったのでわたしも便乗して載せてみた。そこのブログ主さんが指摘するベースラインも耳に残ってかっこいいけど、そのベースラインに絡みつく、やる気のないフォークダンスのような低体温のダンスステップも意表をついて洒落ていて視覚的快感を惹起する。癖になりそうだ。





11巻までリリースされて、全体としては未完。


ガラクトオリゴ糖は母乳中にも含まれている成分を主としているというのが人の体に馴染みやすそうなイメージではある。ヤクルトから発売されているというのもこの類のものの専門の会社だからなんだか安心感がある。ただ、オリゴ糖には他にも植物から取り出したものとかいろんな種類がある中でこれが桁外れに高価というのがちょっと難儀なところなんだけど。




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飛行船を見た日

祇園の飛行船





祇園のエントランス





駐車場の片隅で





重なるコーン




2016 / 10 / 祇園
Canon A35 Datelux
Fuji 100


去年の秋に祇園辺りを歩いて撮った写真。祇園らしさを外してやろうって云う意図で撮っていたものだけど、これ、考えてみれば祇園だと云わなければそんな思惑はまるで関係なくなる。で、そんな思惑で何を撮っていたかというと、祇園っぽいの対極を目指して、とりたててどうという事のないものばかり撮っていた。
とは云うものの、どうということもない被写体を選んでいるにしても、本当にどうという事もないなぁと思って選んでいたかというと、振り返ってみると必ずしもそうではないような気がする。被写体として選ばずにカメラを向けなかったものと、なんら特異なものがなさそうに見えてカメラを向けてシャッターを切ったものの差が自分の中には歴然とあったんじゃないか。その差異は他人に伝わるかどうかは別にして、自分的にはシャッターを切る切らないで応答は出来ていたと思いたいところだ。

飛行船は結構京都の空を飛んでいるのを見かける。宣伝のためなのに飛行船を見たという記憶しか残らなくて、何の広告を背負っていたのかよく憶えていない。これはあまりどうということもないものでもないか。
二枚目のはおそらくラブホの出入り口。これは外しているようである意味祇園っぽいかもしれない。
あとは孤独な自動車とかっこつけて積みあがったコーンといったところ。
せっかくどうってことのない被写体を選び境界線上でイメージを成立させようとしていたのに、まだ写真としてかっこつけてやろうって云う魂胆が見え隠れしている。


☆ ☆ ☆

The Ocean


The Rain Song


飛行船ということでZepの好きな曲から。
最初のは15/8拍子に終盤はシャッフルなんていう変拍子の、まるでコンクリートを打ち付けているようなハンマービートがかっこいい。ジミー・ペイジの独特のグルーブ感へ引きずり込んでいく骨太のリフもいつも通り。
レインソングはSince I've been loving youに並んで、Zepの中で好きなバラード。天国への階段よりもはるかにお気に入りだ。これもギターのリフが好きなんだなぁ。

それにしてもドラゴンスーツを難なく着こなしていたジミー・ペイジがあんなにじいさんに、しかもギターもそこはかとなく下手になるとは思わなかった。ヤードバーズ出身の三人のギタリストの中では、今はジェフ・ベックがいいな。ギターの語り口というか、そういうのが突出している。おもちゃ的なギミックにしか過ぎないトレモロアームをあれだけ繊細に縦横無尽に使うのはこの人の独壇場だ。
ロック系のギターを弾く人はYoutubeで見るような腕自慢の人も含めてほとんどがブルースフィーリングに絡め撮られたような弾き方をしていて、もうこればっかり、ギターの弾き方はこれしかないという視野の固定感に、ブルース好きでもないものとしては閉口してしまう。クラプトンが自分ではいまひとつ好きじゃないのはこの辺りにあるんだと思う。ブルースなんか爪の先ほども影響を受けてないよといったギタリストのほうが好きだなぁ。ロバート・フリップなんかは今は知らないけどそんな感じだった。




薄幕の向こう / 非在の器

ガラスの向こう
2016 / 10 / Canon A35 Datelux / Kodak SG400





暗い電車
2016 / 10 / Nikon S9700



さしずめアリスなら鏡となるところなんだろうけど、ワンダーランドを目指すのは意気投合するにしても、鏡となると実際はカメラ構えたまぬけ面が写るだけなので、わたしの場合は仕掛けはガラスとなる。ガラスと鏡だと似て非なるものなんだけど、まぁ、固いことは云わない。というか鏡は透過する事はないから、わたしの場合はガラスのほうが性にも合っているとも云えそうだ。
薄い膜の向こうに何かが見えている、そこにあって触れそうにも思えるのに触ることもできないというもどかしい感じ、そういう到達不可能な感覚が、解く必要もない謎が生まれてくるようで好きだ。
ガラス窓の向こうに垣間見えるもの、あるいは標本箱のようなものへの嗜好性。標本箱の場合はある世界の雛形を封じ込めている、それだけで小さな世界が完結しているという感覚も好き。写真だって、ある世界を採集するように、小さく完璧な雛形を閉じ込めて形にする、標本箱のように撮れないかとも思う。

ただの脱いだ衣服に非在の器なんていう大層な言葉をくっつけて、でも言葉をくっつけることでそういう属性を生み出しているようなところもあるから、こういう遊びも結構好きだ。写真だけで語らせるという志向の一方で、言葉によって写真をずらしていくというのも、この場所で何時も必要以上に言葉を費やしているのでも分かるように、そんなに違和感を感じなかったりする。
いうなら、非在の器という言葉で顕現させようとするのは、そこにはないものを写すという感覚、その気配の間接性のようなものに惹かれる。

思うに、ある被写体を写すとしてその被写体に背後から、あるいは見出すことも出来ないような謎めいた場所から投影されている、間接的な何かを絡め取る事ができるなら、きっとその写真は何か面白そうなものを内在したものとして立ち上がってくるような気がする。
大抵は面前の被写体だけが写っているような写真になってしまう。ただ、まるで反対のことも云ってみると、被写体そのものを、余計な思惑、装飾を剥ぎ取って、ものとしてのみ撮れるなら、これはこれでまた面白いとは思うけれど。

まぁね、わたしの思考は曖昧に揺れ動いてるってことだ。


☆ ☆ ☆


最初の写真はこう云った思惑以外にも、イメージの質感としての出来もちょっと気に入ってる。後付で若干コントラストを上げているけれど、そのコントラストの効き具合とか、藍色っぽい、色被りでもないんだけど、主要な色調も自分としてはいい感じだ。

二枚目のは最近足を運んでいる笠置へいくJR奈良線のとある駅で撮ったもの。一両の車両分の窓を通して反対側のホームの様子を撮っている。人の配分とか窓枠が区切る構成とか、わりと演出でもしたような感じがして面白くて撮ってみたもの。全体の暗さが怪しげで意味ありげで、これもまた良いでしょ。


☆ ☆ ☆

昨日笠置山に登ってみた。思っている以上にきつい坂道の連鎖で、そのうえ麓で予想していたのよりも遥かに距離があって、なかなか天辺に辿り付けない。大体頂上にもみじ公園なんていうのがあって11月に入ってからライトアップされてるという告知を見たら、誰もがかんたんに訪問できると思うし、こんなに登山をやらないと見られない場所だなんて思わない。
ということで、この時はあと0.1kmという表示のある場所までたどり着いたにもかかわらず、なんだかいかにも脇道然とした、入ってはいけないような細くて揃いもしてない石の段が上の暗がりに延びているのを見て、標識も含めて放置されている道のようにしか見えないことに残った気力をそがれてしまった。その放置されているような不揃いで崩壊しかかっている感じの細道を少し登って、結局あと0.1kmを歩けずに途中で引き返し、この時点で登山は断念。ひょっとして道に迷ってる?って云う感じもぬぐいきれなかった。人が通っているとそんな気分にはならなかっただろうけど、登山口から登攀中はとにかく誰にも出会わなかったし、まぁこの世界を独り占めなんて面白がれはするものの、そろそろ日没が差し迫っている気配の夕方に、山奥で一人っきりというのは結構心細い。写真撮ってる場合じゃないぞと浮き足立ってくる。




変格的祇園

祇園壁面
2016 / 10 / Canon A35 Datelux / Fujicolor 100




自転車と影
2016 / 10 / Canon A35 Datelux / Fujicolor 100




祇園の窓
2016 / 10 / Konica EYE / Fujicolor 100





東山のエントランス
2016 / 10 / Konica EYE / Fujicolor 100




前回のコメント欄でちょっと書いたことだけど、最近はイベント的に用意されているようなものや所へはあまり出かける気にならなくなっている。時代祭に遭遇して、これ以上人が増えないうちに退散することしか頭になかったし、そろそろ紅葉の季節だというのに一向に写真撮りたいと云う気分が盛り上がってこない。
気になったもの、目を引いたもの、なぜか知らないけどわたしの情動が動き出すような気配を感じたものや場所にカメラを向けているという態度は変わってはいないし、やっていることはいつだってまったく同じなんだけど、それでもどこかに意外と変化していってる部分もあるようだ。
そういう変化が自分にとってどういう意味を持っているのかはよく分からないけど、抗う必要もなさそうなので、自分の自然に任せておくほうがいいんだろうなと思う。
変化といえば、最近ユルゲン・テラーの写真集を見ていて、デジタルのパキパキしたイメージもそんなに悪くないなぁって思った。
デジタルは従来的な写真の真似事なんかしないで、デジタルっぽさを前面に出したほうが面白いんじゃないかなぁ。
フィルム好きは変わらないにしても、自分が思う方向での使い方が見えてくるならデジタルを持ち出す機会は若干増えていきそうな気もする。

大体ね、いろんなものに結構影響されるほうなんだな。いろんなところで見聞きしたものの断片が意識的無意識的を問わずに一杯集まって、わたしはといえばそういうのを攪拌する機械のようなものかも知れない。

☆ ☆ ☆


写真は秋に入ってから入り浸っている祇園とその周辺で撮っていたもの。祇園っぽいものに身をゆだねたり、また反対に身をかわそうとしたりと、結構忙しい。
最初のは四条通りから花見小路を南に入ったすぐのところ、一力茶屋(祇園一力亭)の向かい側にある壁面。一列に並んだポスターを撮ろうと思ってシャッターを切ったんだけど、出来上がった写真を見ると並んだポスターの見せるありきたりな絵面よりも壁のテクスチャが結構良い。その場で見ていたらただのポスターが貼ってある壁に過ぎないのに、写真に撮ってみると相貌は意外なほど変化する。


☆ ☆ ☆


昨日、写真を撮りに笠置に行ってきた。一駅進むだけで電車の乗り換え、そのたびに30分近く待たされたり、最後は一両のワンマン電車に誘われて木津川の渓谷巡りと観光気分を味わうも、京都で乗り込んだ時に改札を通った交通カードがここでは使えないといわれたり、波乱万丈の行程だった。しかしまぁ京都の南端にこんなに辺鄙なところがあるんだと、実は中学の時にブラスバンド部の交流で笠置にある中学校に行ったことはあったんだけど、街中の様子なんか全部頭の中から消え去ってるので、非常に興味深かった。一両編成の電車って生まれて初めて乗ったし。
波乱万丈の行程に思いのほか時間をとられであまりうろつきまわれなかったので、もう何度か行ってみるつもりだ。てんやわんやの電車行と写真の顛末はまぁそのうちにということで。
笠置は個人的には笠置観光ホテルという心霊スポット込みの巨大廃墟のある場所なんだけど、一般的には木津川の渓谷と笠置山のハイキング、そして桜や紅葉の名所としても有名であるらしい。上で紅葉なんて興味ないよといいながら、見ごろになったと情報を見れば、いそいそと出かけているかも知れないなぁ。