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【洋楽】 Youth Novels - Lykke Li

BJORN YTTLINGプロデュースによる、スウェーデンのガール・ポップ・シンガー。
淡い儚げなメロディを、囁くようなロリータ・ボイスに乗せて歌ってます。

音自体は、エレクトロニカっぽい、バンド・サウンドとでもいうのかな。ギターの音があまり目立たないのが良い。ギターを使ってないというわけじゃないんだけど、音の隙間をとにかくギターで、コードかき鳴らして埋めておこうというような曲作りとは正反対の作り方をしてる。音の隙間をうまく使っていくような感じは結構かっこよく聴こえます。


Youth NovelsYouth Novels
(2008/08/19)
Lykke Li

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Little Bit - Lykke Li

途中から馬鹿げた踊りが始まるけど、曲自体が脱力系ポップ・ソングなので意外と曲に合ったりしてます。
他のPVでも、関節を外そうとしてるようにしか見えないダンスを執拗にやっていて、こういうダンスって流行ってるんでしょうか。

I'm Good, I'm Gone - Lykke Li



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【洋画】 サイレントヒル

同名ゲームの映画化です。わたしはゲーム版「サイレントヒル」のほうは結構お気に入りで、一昨年の公開時に期待と不安半々で観に行きました。結果は大絶賛するというほどまではいかなかったんだけど、意外とよく出来てるといった好印象で観終えました。
クリストフ・ガンズ監督自身がゲームの「サイレントヒル」の大ファンだったらしく、ゲーム版「サイレントヒル」へのリスペクトを込めて、その世界の再構築に神経を使っているのが分かります。大抵のゲーム映画ではこの時点から既にぐだぐだになってるものが多いです。ゴーストタウンと化したサイレントヒルの、灰が降って白く霞んだ光景は、ビジュアル的になかなか雰囲気があったし、異界である血と錆と臓物の金網世界も上手く表現されてました。ゴーストタウンのサイレントヒルが異界に変わっていく過程はゲームでも表現してなかった部分です。

もちろんちょっと残念ってところもあります。

まず、ゲームのように周囲2メートルくらいしか見えないような闇がなかった。映画では暗闇でも画面の隅まで見渡せます。これはディセントの記事の時にもちょっと書きました。
それと異界に人が多すぎて騒がしかったこと。でもこれは仕方ないかもしれません。ゲームみたいに一人で歩き回ってばかりではドラマが作れないし。
あと、病院のシーンがあっさりしすぎてたかな。ゲーム版に出てくる病院は行くのが嫌になるほど、暗くて気味悪くて複雑な場所で、終了するのに物凄く時間がかかるところだったし、映画でも一番奥に最重要人物が陣取ってる場所なんだから、もうちょっと印象に残るシナリオを考えて欲しかった。
ナースの大群は面白かった。勢ぞろいして近寄ってくる様は、ちょっと暗黒舞踏みたいでした。

☆ ☆ ☆

話はゲーム版の「1」を元にして狂信者の宗教集団が登場する、こういうホラー映画ではほとんど定番といえるような内容です。
魔女と決めつけられ火焙りにされた少女アレッサ(ジョデル・フェルランド-少女時代)の、教祖クリスタベラ(アリス・クリーグ)と信者たちへの復讐の物語。
全身大やけどを負いながらも命を取り留めたアレッサはサイレントヒルの病院の一室から憎しみの感情によって世界を変え始める。街全体を覆いつくし重なり合う異界が出現し、アレッサの邪悪な心の化身、ダーク・アレッサ(ジョデル・フェルランド)と、僅かに残った良心の化身、シャロン(ジョデル・フェルランド )が生まれます。
良心の化身、シャロンは保護されるためにダーク・アレッサの手によって外の世界に連れ出され、孤児院に拾われて、その後ローズ(ラダ・ミッチェル)とクリストファー(ショーン・ビーン)の夫婦の養女となるんですが、時がたって復讐を完結させるために外界の人間の手助けを必要としたアレッサに再び呼び戻される事になります。それが発端。
シャロンはうわ言のようにサイレントヒルの名前を口に出すし、背後の事情を知らないローズは、ネットでサイレントヒルの場所を探し出して、娘の異常な状態を解決するようなものが見つかるかもしれないと、シャロンを連れてサイレントヒルに行ってみる決心をします。

ストーリーは結構ゲーム的な展開をします。目につくところに手がかりアイテムが置いてあって、それを見つけただけで次に行く場所を簡単に了解したり。でもこれ、ガンズ監督はわざとそういう演出でやってるようです。111号室発見の件で、部屋を見つけるのに使ったナイフを、その後直ぐに落っことして、武器になるのにそのまんま放置。完璧に用済みアイテムの扱いをしてる。こういうゲーム的な感触を織り込んでいくことに、ゲームをやらない観客とゲーム好きの観客では捉え方がいろいろ異なっていただろうなとは思います。

クリスタベラと信者が閉じこもる異界の中の教会に侵入する手助けとして、シャロンを使ってローズを呼び込んだくせに、三角頭をけしかけるはバブルヘッド・ナースの大群の中を突っ切らせるはで、ローズを散々な目にあわせてるのも、病院の最奥のベッドに居る自分のところまで来られるかどうかの試練を与えていたからだという、これは理由としてはちょっと苦しい…。ゲームが基本どういうものか知ってると、ここは一応それほど突っ込んではいけないところなんだろうと、寛容の方向になびいていくんだけど、普通に観てたらローズが魔物に寄ってたかって襲われていく理由はやはり理不尽でしょうね。

☆ ☆ ☆

ガソリンスタンドで、サイレントヒルに向かうローズとシャロンのやり取りに不信感を持って後を追いかけた結果、第三者として巻き込まれただけなのに一番惨い最期を迎えることになったシビル・ベネット巡査(ローリー・ホールデン)。
ベネット巡査の最後はこの映画の中でも突出して残酷で、描写も悪趣味でした。
何故この部分だけ歪に突き出たみたいに注目を集めるような演出にしたんだろうと、結構な疑問として残りました。

後で、観直したりして思ったのは、ベネット巡査の火焙りのシーンは、アレッサが火焙りにされたのと重ねあわされてるということ。
火焙りにされながらベネット巡査が呟く言葉は「味方は誰もいない」「お母さん、そばに居て」という言葉でした。この言葉はベネット巡査が口にするよりも、信者に囲まれ、母親から引き離されて連れて行かれたアレッサの方がはるかに相応しいものです。
物語的にはベネット巡査の処刑の直後に、ダーク・アレッサを体内に忍ばせたローズが教会に侵入してきて、ラストのクリスタベラや狂信者たちへの復讐の大殺戮シーンへなだれ込んでいくので、その直前に復讐の主体であるアレッサに再登場して欲しかったという事なんでしょう。復讐心の始まりを見せる火焙りの形で。
ベネット巡査のシーンは火焙りにあった時のアレッサの再現としての意味も加えられているように思えます。この役割は第三者で巻き込まれる形のベネット巡査以外の主要登場人物ではおそらく振り当てにくかったんでしょう。

さらに、気づいたこと。
クリスタベラはアレッサを魔女として断罪しました。妹であるダリア(デボラ・カーラ・アンガー)の私生児ということもあって、狂信者の融通の利かない勝手な道徳基準で悪魔と見做したわけなんですが、クリスタベラをそういう狂信者に描いてるようにみせながら、クリスタベラの背後に後光が射してるような描写もあったりするんですよね。
結局アレッサは世界を変容させるような力を得て、ダーク・アレッサなる邪悪の化身まで作り出してるから、やはり悪魔じゃなかったのかと、クリスタベラは本当は正しかったんじゃないかと、そういう見方も出来るようなところがあります。

一応正邪両方を含む人物としても描写しておいて、ラスト前に正義としてのクリスタベラという有り方を消し去り、最後の大殺戮のターゲットに相応しい悪人に戻しておく必要があった。だからクリスタベラにベネット巡査を悪魔として火焙りにさせた。ベネット巡査は唯の第三者として巻き込まれただけで、当然悪魔ではないことは観客は十分に知ってるわけだから、この行為におよんだ時点でクリスタベラは完璧に間違っていることが誰の目にも分かって、確実に悪人の位置に引きもどすことが出来ます。あとはクライマックスに向けて一直線。

ガンズ監督、都合の良いアイテムが次々に出てくるようなゲーム映画を作りながら、何だか妙に手の込んだ小細工を仕込んでるようにも思えます。

☆ ☆ ☆

ショーン・ビーンが出てるんですよね。最後まで蚊帳の外みたいな役だったので、ちょっともったいないなぁと思って観てました。この映画、「物体X」とは正反対に女ばかりが活躍して、男は脇に放り出されてます。
それと意外な役どころのデボラ・カーラ・アンガー。老けメイクが板についてない。


サイレントヒルサイレントヒル
(2006/11/22)
ラダ・ミッチェルローリー・ホールデン

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Silent Hill Trailer


原題 Silent Hill
監督 クリストフ・ガンズ
公開 2006年


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【洋楽】 Mirrored - Battles

MirroredMirrored
(2007/05/22)
Battles

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去年聴いてかなり面白かったCDです。全ての楽器がまるでリズムに奉仕するような感じの演奏。こういうのはポリリズムっていうのかな。さらに変拍子も駆使して全体に複雑で、でも複雑な割には音そのものはタイトに仕上げてる。ドラムが飛びぬけて上手いバンドという印象があります。
PVでもドラムが中心に居座ってるし、そのドラムからまるで旗でも立ててるように、異様に高くクラッシュ・シンバルが聳えてる。このシンバルの元に集まれ!とでも云ってるみたい。しかもあの位置でもきっちり叩いてるし。

ボーカルを使う場合でも言葉を意味よりも音として捉えるのを優先してるみたいで、こういう言葉の扱い方も面白いです。

Atlas (from the album Mirrored) - Battles

Tonto (from the album Mirrored) - Battles



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【洋画】 ジェイコブス・ラダー

ジェイコブス・ラダージェイコブス・ラダー
(1999/12/10)
ティム・ロビンスエリザベス・ペーニャ

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あの結末があるために、大どんでん返しがある映画という扱いになっています。自分はどの辺りで見破ったとか、あるいは最後まで気づかなかったとか。
確かにそういう映画でもあるんですが、わたしには何かそういう受け方をして済ませてしまうとちょっともったいないような映画という感じが強いです。

一応、最後のどんでん返しそのものにはふれないで書こうと思ってるので、おそらく意味不明の部分が出てくるだろうと。こういうタイプの映画は話題に上げるのが難しい…。

☆ ☆ ☆

ストーリーはとてもシンプル。ベトナム帰りのジェイコブ・シンガー(ティム・ロビンス)がなぜか悪夢、というか幻覚に取り付かれるようになる。その悪夢は風景のごく一部が異物感を持つような程度のものから、同棲してる同僚ジェジー(エリザベス・ペーニャ)が悪魔に犯されている光景を見てしまうようなことまで、様々な様相でジェイコブの目の前に現われます。
原因を探ろうと、オカルトの本を読んだりして悩んでる時にベトナム時代の戦友に呼び出されます。戦友から誰かに監視され追いかけられてるといった話を聞かされ、その話によれば同じ部隊に居た戦友たちも似たような状態にあるらしい。部隊で吸っていたマリファナなどに何か特別な薬が混ぜられていた可能性に気づき、やがてベトナムの部隊を使って新薬を試した国家的な実験計画の存在も浮かび上がってくる。
さらにこういう話を中心軸にして、ジェイコブの離婚した奥さんや事故死した息子ゲイブ(マコーレー・カルキン)の話などが絡んできます。

観れば分かるんですが、新薬の実験台の話も最後に明かされるベトナムでの戦闘の真実も、この映画のテーマとは直接的な関係がほとんどありません。ジェイコブの幻覚に対する「現実」的な理由付けみたいに出てくるだけで、真相の代用品として使われてる程度です。

この映画が優れているのは、ジェイコブを取り囲んでいる世界、この世界がどういうものだったのかは最後に分かるんですが、描くのが物凄く困難なその世界を視覚的に分かりやすく描いて見せたことにあります。直接的な幻覚のオブジェだけじゃなくて、地下鉄の駅や整体師の治療室や窓から光の射しこむ部屋の光景まで、この映画に観られる大半のカットにおいて。

直接的な幻覚だと、背中を痛めて動けない状態になったまま病院のX線室に運ばれていく途中で、病院が血と肉片に彩られた廃墟のような場所に変貌していくシーンと、そこに出てくる不気味な振動魔人。

ラスト近くの「光射す部屋」も困難なものの描写としては見事です。
導く者の化身、整体師ルイ(ダニー・ アイエロ)によってジェイコブが核心に導かれて以降、ベトナム時代の認識票を首から提げて、軍の秘密を知る者の話を聞きに行き、その後夜の道をタクシーで元妻の住居に帰ってから「光射す部屋」に行き着くまでの、あのジェイコブの周囲の世界がどんどんと閉じていく感じ。世界中を照らしていた光がまるでスポットライトにでも変化したように、ジェイコブの周囲に向けて狭まっていく感じで、不安感が画面から漂ってきます。
そして、元妻との生活があった場所で、自分に何が起こっていたのかをようやく認め、自分の運命に抵抗するのを止め、全てを受け入れた時、ジェイコブは「光射す部屋」に辿り着きます。その部屋は、ジェイコブの周囲の世界が完全に閉じて、同棲相手のジェジーも、軍の陰謀を一緒になって追っていた戦友も、元妻もどこかに消え去り、部屋だけが存在して外には何もないという感じがよく出てました。でも、不安感はもう画面からは伝わっては来ないんですよね。

☆ ☆ ☆

同棲してるジェジーのもとで高熱を出して倒れたジェイコブは、倒れている間に、離婚した妻と事故で失ってしまったはずの息子と一緒に生活している夢を見ます。死んだはずの息子と夢の中では交流したり、元妻とは「同僚のジェジーと同棲してる変な夢を見ていた」と、笑いながら話をしたりもします。
やがて熱も引いて、ジェイコブは大量の氷を浮かべたバスタブの中で目覚めることになります。再び、最愛の息子が存在しない無慈悲な世界に連れ戻されるわけです。
この時ジェイコブは泣くわけでも喚くわけでもなく、ただ見開いた目から涙を流すだけ。
わたしはこのシーン、その喪失感の大きさに圧倒されて、物凄く痛々しく見えました。そうなんだよなぁ、本当に絶望してしまうと、もう泣き声さえ出ないんだと。ただひたすらに涙を流すだけのシーンを撮ったエイドリアン・ラインは凄い。

こういうエピソードを初めとして、映画の中で語られる息子ゲイブのシーンはどれも観る側の感情を悲劇の方向に揺さぶるしかないんですが、ゲイブは最後には今までとは変わって、ジェイコブへの救いとして画面に登場します。そういう形で最後に姿を見せるのは本当に良かった。
ジェイコブの物語は正真正銘の悲劇なんだけど、あのシーンに出てくる息子ゲイブに、ジェイコブ・シンガーだけじゃなく、彼の悲劇に立ち会ってきた観客も一緒に浄化されたような気分になります。物語そのものは悲劇のままで終わってしまうのに、鑑賞後の感覚はそういうものを見た感じじゃなくて、意外と穏やかな気持ちになるというか、そういうところのある映画です。

☆ ☆ ☆

「ラダー」は劇中ではベトナムでジェイコブらの部隊に実験として使われた、新種の幻覚剤の名前として出てきますが、「ジェイコブス・ラダー」というのは聖書にある話だそうで、ちょっと調べてみたら、このタイトルだけで聖書を読んだ事がある人には十分ネタばれになるんじゃないかと思いました。そうでもないのかな。

1961年制作のロベール・アンリコの映画「ふくろうの河 (LA RIVIERE DU HIBOU)」が元ネタだと云われる事もあります。物語の仕組みというかどんでん返しのやり方がそっくりです。

Official Jacob's Ladder Movie Trailer



原題 Jacob's Ladder
監督 エイドリアン・ライン
公開 1990年


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三条木屋町のPIZZA SALVATORE CUOMO & GRILLでランチ!

PIZZA SALVATORE 1
PIZZA SALVATORE CUOMO & GRILLは高瀬川と三条通りが交差する北西の角にあります。今年の6月頃にオープン。
PIZZA SALVATORE 2
川沿いにはテラス席もありました。
PIZZA SALVATORE CUOMO 3
店に入ったときに案内の人から店内かテラスがどちらが良いか訊かれたので、店内に。テラスは高瀬川を眺めながらの食事で風流かもしれないけど、曇り空で風も吹いてたし、今日はパス。

ランチ・セットはピザとパスタのどちらかが選べて、今回食べたのはピザのランチセットです。ピザは3種類ある中から選べるようになってました。注文したピザはマルゲリータ。セットにはサラダと飲み物がついてました。

一緒に持ってくるんではなくて、別々に持ってくるんですね。まずはサラダ。
PIZZA SALVATORE CUOMO 4
これはあまり特徴がない、普通のサラダです。

次に飲み物。選んだのはアイス・コーヒー。
PIZZA SALVATORE CUOMO 5
それで、サラダに手を出しながら暫らく待ってると、ピザが焼きあがります。トマトとモッツァレラ・チーズとバジルだけのシンプルなピザ。
PIZZA SALVATORE CUOMO 6
上に乗っかってるものは変に味付けしてなくて、妙な癖がない。ピザ生地は結構薄めだったけど、もちもちしていて美味しかったです。

PIZZA SALVATORE CUOMO 7
ランチ・セットの料金は1000円。今度はパスタを食べてみよう。


<三条木屋町のPIZZA SALVATORE CUOMO & GRILLでランチ!2>に続きます。


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【洋画】 ミシェル・ゴンドリー BEST SELECTION

ミシェル・ゴンドリーのミュージック・ビデオ集です。

アイディアはシンプルなものが多いんだけど、仕上げる形はもうほとんどマジックといっても良いくらい。幻覚的な世界に引っ張り込まれます。
それもStar Guitarみたいに、人を食ったようなユーモアで味付けして楽しませてくれる。
最初観た時は「なんだ?ただ車外の風景が写ってるだけ???」って思ったのが、車外のいろんなものが音楽にあわせて流れて行ってるのに即座に気づき、あまりのばかばかしい発想とその発想を臆面もなく映像化してきた勢いに、もうその場で脱帽でした。

ミュージック・ビデオ出身ですが、ミシェル・ゴンドリーは「エターナル・サンシャイン」とか、映画もいくつか撮ってます。そのうちここにも書いてみよう。

Star Guitar - Chemical Brothers


Let Forever Be - Chemical Brothers


Come Into My World - Kylie Minogue









【邦画】 どろろ

どろろ(通常版)どろろ(通常版)
(2007/07/13)
柴咲コウ瑛太

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プロローグの後、オープニング曲に「Huun-Huur-Tu」の「Throat Singing」をフューチャーしたものを使って、異国風日本の雰囲気で始まります。
始まってすぐに、選曲の面白さにのめり込み気味になって観てました。だから最初は好意的です。

冒頭に出てくる仮面をかぶったダンサーも異界情緒満載。
妻夫木の百鬼丸は序盤、闇をはらんでるような雰囲気もそれなりにあってなかなか良い。
最初の大蜘蛛の化け物との戦いも、酷い酷いと云われてる割にはよく出来てると、好意的立場から出発してそのまま引き込まれて観てたんですが、それも中盤の土屋アンナの妖怪の話が終わる頃まででした。

この映画は土屋アンナの妖怪以降の魔物との戦いをダイジェストで見せるという信じがたい演出方法を取ってます。それを語るのが目的の映画なのに、その内容を要約で済ませてる。こんなの有り得ないです。
しかも出てくる魔物はCGIで作りこんだそれまでの妖怪から、まるで「○○戦隊」とでも云ったほうが相応しいような「なんたら怪人」レベルのものばかりになる。着ぐるみが関節部分をたるませながらどたどたと恥ずかしげも無く登場する。
登場順に撮影してるわけじゃないはずなのに、土屋アンナまでは凝った作りにしたらそこで予算が完全に無くなったと、まるでそんな事情が大文字で画面にでかでかと書き入れてあるような状態になってます。

☆ ☆ ☆

テーマは「許し」らしく、主人公二人とも、どろろ(柴咲コウ)は両親を殺した相手に、百鬼丸は自分の体を魔物に売り渡した相手に対して、復讐心の化身みたいになってるのが、最終的にその復讐心から解き放たれる物語です。

どろろは百鬼丸が親のかたきである醍醐景光(中井貴一)の息子と知った時点で、ものの見事に刀で百鬼丸の心臓を突き刺します。百鬼丸はその時はまだ魔物から心臓を取り戻していなかったのでその一撃でやられてしまうことは無かったものの、どろろはためらいも無く刀を突き立てた。これだけでもこの瞬間、どろろは既に百鬼丸を自分の側の人間と考えてることを止めてしまっています。
その少し後で、なにやら悩んだ挙句、百鬼丸に復讐の相手は自分の親だから百鬼丸には切れないだとか、自分は復讐を諦めるから百鬼丸も諦めろと説得にかかります。でも、構わないから切れと云われた相手に、逡巡を重ねて結局切れずじまいだったならまだしも、ほとんど身内のように共に行動していた百鬼丸に対してためらいも無く刀を突き刺しておきながら、その後でこんなことを云っても全然説得力がありません。どろろに百鬼丸を刺させた意図が本当に分からない。

上滑りする言葉の果てに「復讐を諦める」と言葉で云って、どろろの復讐は完了。
ちなみに百鬼丸のほうも醍醐景光との最後の戦いの後で、「恨みを捨てる」と言葉で云っておしまいでした。

その後も醍醐景光に魔物の親玉が憑依するような見せ場もあるんですが、百鬼丸との戦いの後では今一盛り上がりに欠けて、ちょっと蛇足っぽい感じです。

☆ ☆ ☆

柴咲コウの「どろろ」は熱演してるのは分かるんですが、「乱」でのピーター並みに泥臭くて恥ずかしい演技があって、でもこのぐらい過剰にやらないとやはり「柴咲コウ」から「どろろ」へシフトするのは難しいのかな。


どろろ トレーラー


監督 塩田明彦
公開 2007年


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【洋楽】 Timeless - Sergio Mendes

タイムレス(スペシャル・エディション)(DVD付)タイムレス(スペシャル・エディション)(DVD付)
(2006/09/16)
セルジオ・メンデスインディア.アリー

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リリースされたのは2年位前だったかな。セルジオ・メンデスのアルバムは久しぶりのリリースでした。
このアルバムを見た時は、セルジオ・メンデスとヒップホップ???変な組み合わせ!というのが正直な印象。
The Black Eyed PeasのWill.I.Amがプロデュースと云われても、「誰?それ」状態でした。

でも聴いてみて吃驚。

大体ラップとか音楽じゃないとさえ思ってたのに、積極的に聴く気なんて全然なかったのに、もっとも今でも積極的に聴く気はあまりないんですが、少なくともこのアルバムに関しては、違和感がないどころか音楽的な要素を確実に上乗せして来てる。なかにはブラジル音楽を無茶苦茶にされたって思う人もいそうな感じだけど、場の盛り上げ役が加わってるみたいで、わたしにはノリの良いアルバムとして楽しめました。

「Mas Que Nada」とか「Berimbau」、「Samba da Bencao」みたいなボサノバ・スタンダードがよく出来ていて、気に入ってます。

このアルバムは逆に考えれば、お経みたいなラップにブラジル音楽が旋律的な色彩感を追加してるとも云えるわけで、セルジオ・メンデスがヒップ・ホップ導入で新境地を開いたと云うのなら、それと同じようにヒップ・ホップがブラジルを媒介にして新しい側面を持ったとも云えるかも知れませんね。

Mas Que Nada - Sergio Mendes feat. The Black Eyed Peas


Berimbau - Sergio Mendez 2006



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【洋画】 遊星からの物体X

原作はジョン・W・キャンベルの小説「影が行く」。以前に一度クリスチャン・ナイビーが映画化していて、このカーペンター版は二度目の映画化になります。

完全に化け物映画に徹したところがやはり良いんですよね。結構酷評されたり興行的には振るわなかったものの、この部分を徹底的に映像化したから、今ではカルト映画扱い。表現の有効な方法論として「極端化と曖昧化と神秘化」を挙げたのは埴谷雄高ですが、まさにその「極端化」がスクリーンの形をして立ち上がってるような映画になってます。

☆ ☆ ☆

太古の昔に南極に飛来し、氷の下に潜んでいた、何か。たまたまそれを発掘したノルウェー隊を全滅させた後、犬の姿を借りてアメリカ基地に進入してきた、得体の知れないもの。
原題の「The Thing」でも分かるように、この映画に出てくる化け物は名づけられるような定型の姿を持っていなくて、「正体不明」としか云い様のない存在です。その「正体不明」生命体が何をやるかと云えば、ターゲットにした生き物を取り込んでその生き物とそっくりの姿に変身し、取り込んだ相手に成りすますみたいなことをやる。そうやって相手の世界を乗っ取っていきます。

特定の形を持たない、そのうえで擬態を解くときに得体の知れない気味の悪いかたちを現すという「物体X」を視覚化したのは、ロブ・ボッティン。
ロブ・ボッティンは「ハウリング」の狼男変身シーンとこれでホラー映画ファンの間で一躍アイドルとなりました。同業の格としてはリック・ベイカーのほうが遥かに上だったんだろうけど、次に何をやらかすか、みたいな期待感ではロブ・ボッティンのほうが桁外れに大きかった。

この映画の頃はCGIとかはまだ使われてなかったので、物体Xへの変身シーンは特殊メイクの技術で実現化してます。でもこういうのはCGIで作ってしまうとあまり面白い出来にはなりません。リアルな素材感、手作り感が残ってる方が遥かに面白い。だからこの時代に製作されたのはむしろ幸運だったんだと思います。CGIを駆使して今作ったとしてもおそらく唯のB級映画でお終いって可能性がかなり高いです。

不定形という設定をベースにして、まさしく考えられる限り好き放題やったグロテスクな造形は驚きの一言で、最初に「物体X」が現われる南極犬の変身のシーンから、アクセル全開状態です。
犬小屋の中での変身シーンで、他のリアル犬と一緒に撮ってるようなシーンでは、リアル犬のほうが本気で威嚇したり、怖がったりしているように見えたんだけど、そう見えたのってわたしだけなのかな。
一連の変身シーンのなかで、一番人気はこの南極犬の変身か、見せ場たっぷりのノリス・モンスター出現のシーンだと思うけど、わたしは血液検査から始まるシーンも好きです。悲惨な状況のギャリィ隊長には負けるだろうけど、あそこは観ている側にも結構な緊張感が伝わってきました。

舞台が南極の基地っていうのも良いです。しかもブリザードに閉ざされて完璧に孤立してしてしまってる場所。そういう助けも呼べないような隔絶された極限状態の場所で、物体Xとの生存をかけた戦いが行われてる。
「エイリアン」も同じような孤立した場所を舞台にしていて、こういう閉ざされた場所の物語って、何だかそれだけでわくわくします。

☆ ☆ ☆

カーペンターの演出は、誰が物体Xに取り込まれてるとか、誰はまだ人間のままだとか、同じような部屋と通路ばかりという基地の中で、やり方によっては確実に混乱してくる多人数の人間の動きをうまく捌いてるところはあります。でも、たがが外れたようなモンスター造形やこの世の光景とは思えないような変身シーンに食われがちというか、どれほどメリハリをつけて心理的な描写をしても、一度「物体X」が出てしまえば観てる側にとってそういうシーンは、次のモンスターの出現までの待ち時間みたいになってしまうような感じです。

誰が物体Xなのか、疑心暗鬼になっていく心理的な部分が「物体X」登場シーンに食われがちな印象でも気にならないのは、結局わたしにとっては「遊星からの物体X」はカーペンターの映画というよりも、ロブ・ボッティンの映画みたいになってしまってるからでしょう。


チャイルズ役のキース・デヴィッドはこれ以後も他の映画でよく見かけます。「アルマゲドン」で将軍になって出てきたりするのを見ると、あのあと南極から生還して、その後軍隊で出世したんだなぁと、妙な感慨にふけったり。
カート・ラッセルは、この映画の時はやはり若い。今はそれなりに年食ってしまったけど、それでもあまり印象は変わらない感じかな。

あとね、この映画、男しか出てきません。ものの見事に男ばかり。男以外に出てくるのは犬と化け物。
撮影現場はどんな雰囲気だったんだろう。

☆ ☆ ☆

遊星からの物体X (ユニバーサル思い出の復刻版DVD)遊星からの物体X (ユニバーサル思い出の復刻版DVD)
(2008/12/19)
カート・ラッセルA・ウィルフォード・ブリムリー

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☆ ☆ ☆

遊星からの物体X トレーラー


原題 The Thing
監督 ジョン・カーペンター
公開 1982年


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【邦楽】 ハナダイロ - 元ちとせ

ハナダイロハナダイロ
(2006/05/10)
元ちとせ

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とにかく「春のかたみ」。
わたしにとってこのアルバムは、この1曲に尽きます。この歌は本当に好き。
まるで桜の花をそのまま歌の形にしたような曲。
作詞作曲は松任谷由美、こういうタイプの曲を作るのは本当に上手い。
アニメ『怪 ~ayakashi~』のエピソード「化猫」のエンディングテーマになっていた歌です。

春のかたみ - 元ちとせ


でも、いろいろレビューなんか読んでるとこのアルバムの売りどころはこの曲じゃなくて、別の曲の方にあるみたいです。わたしにはこれが一番こころに引っかかったんだけどなぁ。

「春のかたみ」は自分でも吃驚するくらいに気に入ったんだけど、元ちとせの歌はフレーズの切れ目とか繋ぎの歌い方が全部同じなので、続けて聴いていると若干単調に聴こえてくるところがあります。

☆ ☆ ☆

ついでだからユーミンの曲で好きなのをもう一つ。

まちぶせ - ユーミン



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【洋画】 ローズ・イン・タイドランド

ローズ・イン・タイドランドローズ・イン・タイドランド
(2008/09/26)
ジョデル・フェルランド;ジェフ・ブリッジス

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主役ジェライザ=ローズを演じたのは、ほぼ同時期に公開されていた「サイレントヒル」の子役と同じジョデル・フェルランドです。

それにしても今一焦点の定まらない映画のように思えました。テリー・ギリアム、結局何がしたかったんでしょうか?

この映画に出てくる登場人物のほとんどは、ジェライザ=ローズの父親ノア(ジェフ・ブリッジス)のように現実世界から薬の世界へ完全に退避してしまうか、あるいは完全撤退しないまでも、それぞれ自分独自の空想のフィルターをかけて現実に向かい合ってます。

頭に手術跡(ロボトミー?)がある男ディケンズ(ブレンダン・フレッチャー)はジェライザ=ローズに、自分は世界を終わらせる秘策を持っていると告げ、「世界」とは憎悪の関係を結んでいるようです。
その姉デル(ジャネット・マクティア)は失われていくものを留めようと剥製を作り、本当は勝てるわけの無い「死」をなんとか出し抜いてやろうと抵抗しています。
それぞれ目の前の現実と、それと関わりあうために拡げる空想の間に葛藤がある。

ところが主人公のジェライザ=ローズは基本的に空想好きという設定のようで、両親が共にヤク中という現実のなかで生活してるものの、生活が悲惨だから空想に逃避してるようにも描かれておらず、現実も空想も少女の中ではどれもこれもみんな同じ、すべてが等価のもののように描かれています。生きてることも死んでることも、対象との距離感を持つ他の登場人物との関わりも、みんな同じように混じり合って、最後には一様な場所に並置されただけのようになってくる。

映画は結局少女の空想の内容そのものを、あるいは妄想モードに入ってる少女の有り様を、見かけは多彩だけど動きに乏しいヴィジョンとして次々に見せつけてるだけという感じになってきます。

父親があの状態で物語もほとんど動かないままに、ジェライザ=ローズの現実や空想が数珠繋ぎになってただひたすら紡ぎだされるだけだから、そのうち全体に収拾がつかないような気配になってきて、観ている途中から、映画としてどう終わらせるつもりなんだろうと思ってました。
それなりの結末には持っていけてたんですが、何だか打算的な結末でここでもまた共感できなかった。

☆ ☆ ☆

話そのものは陰惨の極みで、全体に悪趣味です。ジェライザ=ローズが陥った絶対的な孤独は痛さとして伝わってくるほどに酷い。
少女の空想を扱いながらカメラはちょっと引いた立場で、そういう少女を取り巻く陰惨な現実も描写していきます。
悪趣味な現実描写に重ねて、大なり小なり頭のねじが外れたようなキャラクターばかり出てきて、映画全体のイメージは被害者のいない「悪魔のいけにえ」の不思議の国のアリス版といったところでしょうか。

主役のジョデル・フェルランドは可愛らしいだけの子役という感じじゃないです。とても芸達者。この映画では1人5役、頭だけの人形で遊ぶ時の人形の声4体分を全部1人でこなしてました。

☆ ☆ ☆

画面はなんだかワイエス風っていうか、そんな絵柄が多い。でも舞台はだだっ広い草原に建つ一軒屋とその室内がほとんどなので、あまり広がりがありません。
結構きつめの広角レンズを使っていて、画面の端っこが歪んでます。実は上映中それで若干気持ち悪くなりかけてました。奇妙な登場人物ばかり出てくる映画にはこういう歪んだ画面があってるといえばあってるのかもしれませんが。

ジェフ・ブリッジスの羽織ってる「ことぶき」印の半纏が最初から随分と気になるんですよね。あの「ことぶき」、日本語で記されていてなまじ言葉として読めるもんだから画面に出てくるたびに視線がそちらに行ってしまって。

Tideland Trailer


原題 Tideland
監督 テリー・ギリアム
公開 2006年


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【洋楽】 Garota Moderna - Rosalia De Souza

Garota ModernaGarota Moderna
(2003/02/04)
Rosalia De SouzaNicola Conte

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ブラジル、リオデジャネイロ生まれの歌手です。Nicola ConteがプロデュースするQuintetto Xのヴォーカルもやってました。
Nicola Conte経由でデビューということもあって、1曲目はドラムン・ベースを下地にしたNu Jazz、ラウンジっぽい音楽に仕上げてあります。
ところがアルバム全体がこういう作りになってるのかというと、実は予想外にアコースティックな志向のアルバムです。わたしはどちらかというと1曲目の路線でアルバム全域を突っ走ってくれたほうが面白かった。聴き続けてると、曲が進むにつれてちょっと勢いがそがれてしまうような感じがします。

ブラジル音楽、ボサノバの軽快なリズム感はもちろん、ボサノバの持つメランコリーみたいなものもきちんと表現されてます。声質はハスキーで、あまり押し付けがましくないアンニュイな歌い方も音楽に似合ってる。

聴いていて気持ち良い。ただイタリアを経由したせいか何だか洒落た音楽にシフトしすぎてるようで、本場のブラジル音楽の、その土地でしか熟成されないような感触は希薄になっている感じがします。

maria moita - Rosalia De Souza


↑このPV、何の話?一体どうなってるの?と、何だかよく分からないままに観ていると、最後で「あぁ、なるほど」となります。
なるほどと納得はするけど、これがまたすごく意外な結末。考えた人は、えらい!

【洋画】 パリ、テキサス

パリ、テキサス デジタルニューマスター版パリ、テキサス デジタルニューマスター版
(2006/08/25)
ハリー・ディーン・スタントンヴィム・ヴェンダース

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テキサスのどこかにあるパリという土地、自分が生を受けた土地でありそこに行けばまた0から始められるかもしれない場所、その神話的な場所を探してテキサスの荒野を彷徨う男、トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)。この主人公が纏う詩的なイメージが際立ってます。
ただお話そのものとしては随分とありきたりなメロドラマでした。

砂漠を彷徨っていたトラヴィスが、とうとう力尽きて行き倒れてしまったところから物語は始まります。行き倒れて救助されたことで居場所がわかったトラヴィスを弟が迎えに来ます。
トラヴィスが身を寄せることになった、ウォルト(ディーン・ストックウェル)とアン(オーロール・クレマン)の弟夫婦のもとには元妻ジェーン(ナスターシャ・キンスキー)が託していったトラヴィスの息子ハンター(ハンター・カーソン)が一緒に住んでました。

トラヴィスとハンターの、父子の情の通いあっていく様がちょっと面白いんですよね。トラヴィスのほうは長い放浪で人と向き合う方法を忘れてしまったかのように、さらに長い間会ってない実の息子っていう特別な関係も重なって、どう振舞えば良いのか途方にくれてしまってる。息子ハンターの方が最初こそ他人行儀であったのが、そのうちぎこちなくはあるけれど、次第にトラヴィスに手を差し伸べてくるようになる。
どちらかというと子供のハンターの方がトラヴィスを導くような大人の対応をしていて、その辺りのハンターの心の動きが何だか健気です。

ところがトラヴィスとハンターがジェーンの元に行こうと決める辺りから、物語は明らかに質が変わっていきます。
親身になって世話してくれた人の良い弟夫婦のことを、この二人は全く気にかけなくなる。弟夫婦の家を勝手に飛び出して、元妻、母親の方に向かう物語の後半は物凄く自分勝手になって行きます。特にハンター。生きてきた時間の半分を共有した養父母に対するハンターの無関心は酷すぎる。
二人が全く無視してしまう結果、弟夫婦は後半の物語から完全に消えてしまいます。トラヴィスを引き取ったために我が子のように養ってきた息子を失ってしまうという結果になっているのに、弟夫婦のことはもうどうでもいい話とでも云わんばかりの扱い。

ありきたりのメロドラマであるうえに、物語の後半弟夫婦のラインを意図不明の形で投げ捨ててしまってる脚本はあまり良い出来とは思えません。そういう脚本なのに、映画が2時間以上の長さを飽きもさせずに見せ切ってしまうのは、これはやはり映像の力によってるんでしょう。

ロビー・ミュラーの撮影によるアメリカの道々の光景はアスファルトに降る雨の匂い、空気の湿り具合まで伝わってきそうな質感に満ち溢れた絵として見せてくれるし、終盤近くの覗き部屋のシーンもナスターシャ・キンスキーの美しさを確実に拾い上げながら、静かに緊張感のある場面を作り出しています。

劇中に出てくる8ミリの映像も良かった。記憶の中の光景、時間の隔たりそのものを見せるようなイメージの、幸せだった頃の8ミリの映像。トラヴィスらが懐かしそうに、黙ってこの8ミリの映像を眺めるシーンはこの映画で大好きなシーンの一つです。
それと通信販売で買ったテキサスのどこかにあるバリの土地の写真。バリの土地の写真は左端に折れた線が縦に一筋入ってるのが、これがまた良い。こういう写真に折れ線を入れてみる感覚が、映画全編で絵の質を上げてるんだと思います。

☆ ☆ ☆

ライ・クーダーの音楽は映画には合ってるんだけど、個人的にはボトルネック奏法のギターの音は、輪郭が茫洋としていてあんまり好きじゃなかったなぁ…。

☆ ☆ ☆

オーロール・クレマンが「ハンター」と呼ぶ時にフランス風に「アンター」って発音してるのが妙に可愛らしかった。

Paris, Texas Trailer


原題 Paris,Texas
監督 ヴィム・ヴェンダース
公開 1984年

【洋楽】 Giants of the Organ in Concert - Jimmy McGriff & Richard Holmes

Giants of the Organ in Concert: The Complete ConcertGiants of the Organ in Concert: The Complete Concert
(2004/06/29)
Jimmy McGriffRichard Groove Holmes

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ジミー・マクグリフとリチャード“グルーヴ”ホルムズの二人のファンキーなオルガン・プレーヤーが一緒になってやったライヴ。グルーヴするオルガンとパーカッションで、聴いてると浮き足立ったような気分になってきます。

ライブとしてちょっと破格なところがあって、何かみんな好き放題、やりたい放題やってるような演奏になってます。誰かが締めに入るフレーズを出してるのに他のプレーヤーがちっとも終わろうとしないって感じのところがあったりする。悪く云えばどこが区切りなのかがあいまいな、だらだらととりとめのない演奏になってるとも云えるかもしれません。

音とノリはとにかくファンキー。ワウワウ・ギターが盛大にシャカポコ、シャカポコやってます。このギターのエフェクトはちょっと苦手なところもあるんですが、なんでファンクってギターの音がこれになってしまうんだろう?

このCD、かなり前に四条河原町オーパの最上階にあるタワーレコードで1000円以内の特価で購入。でも他の店でも大抵こんな値段で売ってるみたい。内容から見れば、うそみたいな値段。

Jimmy McGriff & Richard Groove Holmes - Bean's

【洋画】 ウェイキング・ライフ

ウェイキング・ライフウェイキング・ライフ
(2007/05/25)
洋画≪初回生産限定版≫

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映画全編にわたって、画面に見える全ての細部が浮遊感たっぷりにゆらゆらと揺らめき続けます。実際に観てみれば意外と大丈夫なんだけど、ちょっと見ただけでは「絶対に酔う!」と尻ごみしてしまうような、ぐにゃぐにゃのアニメーション映画です。今までに観たことも無いような映像は圧倒的で、凄く面白い。

実在の俳優を使って実写で撮った素材をデジタル処理でロトスコーピングしていく。基本はこういう作り方だと思うんですが、単純なロトスコーピングでも無くて、揺れる世界にするために画面上の各要素を細かくレイヤー分けして、そのレイヤー単位でばらばらに動かすような処理を執拗に施してます。
アニメーターは多人数参加していて、シーンごとに担当が異なり、その結果シーンが違えばかなりタッチが違うものになるといった具合に、絵柄はバラエティに富んだものに仕上がってます。同じ人物なのにシーンによっては陰影を細かく塗り分けられていたり、別のシーンでは単色塗りに一筆書きの目鼻みたいなものになったりする。
でも観た印象としては、映画全体が揺らぐ世界で統一されてるせいか、人物のタッチが変わったとしても、余りちぐはぐには感じませんでした。いろいろ変化があって面白いっていう感じのほうが強かった。

☆ ☆ ☆

主人公(名前が無い!)の男が、どこか分からないところから電車に乗って街に戻ってきます。戻ってきた男が街なかを歩いたりしていると、なぜか男の前に脈絡もなく人が現われては、哲学や思想に関する話題を唯ひたすら垂れ流していきます。男を前にして一応対話の形には成ってるけど、ほとんどは相手が勝手に喋り続ける独り言。映画は人を変えながらそういうシーンを延々と繰り返して、膨大な量の哲学的な言葉を浴びせかけて来ます。

これ、観始めた最初ははっきり云って面食らいます。だって主人公がどういう人物かも分からないし、話しかけてくる人物がどういう係わり合いで話しかけてくるのかも分からない。それなのに脈絡もなしにそういう人物が次から次に現われるので、わけも分からないままに相手の話を聞いてるだけの展開になる。

でも暫らく観続けていると、これが主人公の男が見ている夢の中だってことが分かってきます。ただひたすら人が現われて得体の知れないことを喋り続けるのも、現実に起こってることじゃない。夢を見ている主人公本人も自分が夢を見ていることを自覚しています。
しかもさらに分かってくるのは、主人公の男がこの夢から覚めない状態になってるっていうこと。ベッドで目覚めはするんだけど目覚める夢を見てるだけで、実際にはまだ夢の中に居る。それが延々と繰り返されている。男は自分が目覚める夢を見ているだけで実際には夢の中から逃れられなくなってることにも気づいていきます。

覚めない夢について、現実と夢の区別の仕方、現実とは何なのか、そういったことを夢の中の人物と議論したりするシーンも増えてきて、この辺りになると最初は訳の分からない展開だった物語も、凄く面白くなってきます。
何度目覚めても目覚めた夢を見てるだけっていうのは結構こわい話です。映画は特に怖さを強調するような作り方はしてなかったけど、実はこういう場面で一箇所ぞっとしたシーンがありました。照明のスイッチの話のところなんだけど…、一瞬産毛がざわついたというか。

☆ ☆ ☆

細部まで揺れてとにかく視線を引っ張リ回す画面と、絶え間なく注ぎ込まれる膨大な言葉で、情報量としてはあっという間に過負荷状態になる映画です。画面から向かってくるものを全て受けきれない状態に簡単になってしまう。特に字幕で観てるとつらい。
映画で展開される思想、哲学問答は、入門書に書かれてるような程度のものが大半で、そのうえ喋り言葉に乗せてるから理路整然としてるわけでも無いんだけど、そういうものでもそれなりに理解しようと字幕を読んでる間は画面からの情報をかなりの部分取り残してしまう事になりがちです。
映像の方を見たいのに、字幕から目を離す余裕がないって箇所が一杯あって、これはもったいなかった。字幕に視線が絡み取られないように、吹き替えで観るのが、この映画のベストな観方かも知れません。

揺れ動くアニメーションはこの世界が現実じゃなくて主人公の頭の中の世界だということを表現するための手段だったわけで、脳内世界を映像として表現するにはどうしたら良いのか、そういうことから出発して、これだけ斬新で、しかも的確な視覚表現に辿り着いたのはやはり凄いの一言です。

☆ ☆ ☆

Waking Life Trailer



Waking Life - Making Video Clip

原題 Waking Life
監督 リチャード・リンクレイター
公開 2001年

【洋楽】 Feliciano! - Jose Feliciano

Feliciano!Feliciano!
(1994/09/13)
Jos醇P Feliciano

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「Light My Fire」、「California Dreamin' 」、「In My Life」などの有名曲のカヴァーが収められたアルバム。
全体的に独自のアレンジになっていて、後で原曲を聴いた時に、このアルバムで始めて知った曲が、原曲とあまりに違っていたので面食らったことがあります。
それぞれの編曲は元の曲と並べても同格ぐらいの出来のよさ。方向を変えた纏め方でこれだけ聴けるものになってるアルバムって珍しいんじゃないかな。
「Light My Fire」なんてドアーズのオリジナルとは全く雰囲気の違う曲になってるうえに、このアレンジでフェリシアーノの代表曲にもなってます。

ギターの上手さが目につくんだけど、声も聴いていて結構気持ちが良い。

Jose Feliciano - Light My Fire


聴き比べ。

The Doors - Light My Fire

【洋画】 フォーガットン

フォーガットンフォーガットン
(2008/09/24)
ゲイリー・シニーズドミニク・ウェスト

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必見ポイントは2つです。
自動車の衝突シーンと人が○○○○されるシーン。
衝突シーンは、これは本気でかなり吃驚します。まず確実に心臓が飛び出すような思いが味わえる。物凄くシンプルなんだけど、衝突をこういう状態で見せたのって意外と他には無いんじゃないかな。
人が○○○○されるシーンは…思わず笑ってしまうかも。本当はシリアスなシーンのはずが、この逆バンジーは何だか妙に楽しそうにも見えるんだもんなぁ。
ストーリーなんか直ぐに忘れても、この2つのシーンは結構頭の中にこびりつきそうな気がします。

そう云えば、記憶に残るのはもう一つあった。ジュリアン・ムーアの腕一面に散ってる雀斑。強烈。

事故で死んだ自分の息子の存在そのものが、事故があったという事実と共に自分の周囲から消えていくというストーリーは謎めいていて、どういう風に展開していくのか凄く期待が膨らむんだけど、前半が謎めいていただけで後半は腰砕けもいいところ。大体こんな超常現象みたいな出来事を扱って、着地できる形って物凄く限られてしまう。
妄想か、国家的な陰謀か、地▲外▲▲か。解決のパターンって、この3つくらい?
結局は安易な▲▲▲生▲ネタにしてるわけなんですが、それが分かってくる頃には馬鹿げた映画になりきってしまっていて、謎も何もあったものじゃなくなってる。むしろ妄想ネタで組み上げたほうが前半の謎めいた雰囲気は持続できたんじゃないかと思う。
発端の謎は魅力的だったので、ある意味もったいない映画になっていたと云えなくもないです。

ゲイリー・シニーズとか、役者の無駄使いがなかなか豪快でした。

☆ ☆ ☆

原題 THE FORGOTTEN
監督 ジョセフ・ルーベン
公開 2004年

The forgotten movie trailer

【本】 加納朋子のサイン入り文庫を買った。

先日、河原町三条、BALのジュンク堂書店を歩いていて、加納朋子の文庫でサイン入りというのが棚に並んでるのを発見。サインを集める趣味は無いんだけど、値段が同じならサイン入りのほうが値打ちものかなと思って、サインの入ってる文庫を買ってみる気になりました。サイン入りのほうは店頭ではきっちりとビニールが巻かれていて中身は見られなかった。
帰ってから開いてみると、こういうサインでした。

加納朋子サイン
これはまた、つつましやかなサイン。

☆☆☆

加納朋子の本って泣ける話が多い。でもこのところ映画なんかでよく見るような難病ものとか、そんなあざとい泣かせ方じゃなく、泣ける話なのに読後何だか心が暖かくなったりするような本が多いので、文庫で出てるのを見たら結構買ってます。

いちばん初めにあった海 (角川文庫)いちばん初めにあった海 (角川文庫)
(2000/05)
加納 朋子

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わりと印象に残ってるのがこの本。「いちばん初めにあった海」というタイトルもイメージの喚起力があって凄く良い。

引越しの整理をしていたら、読んだ憶えの無い本が出てきて、その本には知らない人からの手紙、しかも「わたしも人を殺したことがある」という内容の手紙が挟み込まれていたっていう謎めいた発端で、ミステリ的な興味も結構湧きあがって来るような本でした。

二部構成で、わたしは最初の話が好き。最後に出てくる一言に込められた万感の思いに泣ける。

【洋画】 フランケンフィッシュ

フランケンフィッシュフランケンフィッシュ
(2008/04/25)
トーマス・アラナチャイナ・チョウ

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監督 マーク・A・Z・ディッペ
製作年 2004年

タイトルの付け方がうまく決まってます。邦題だけのことかと思えば原題もそのまま。一見馬鹿げてるほどに安直なタイトルに見えて、これだけで伝えなければならにことを全部云ってしまってる。人工的にモンスター化された魚が暴れまわるんだろうと。
さらに単語2つをくっつけただけなのに、あまり友好関係をもてなさそうな雰囲気さえも伝えてきてます。

内容はタイトルから類推できるものとほとんど違わない、王道のB級ムービー。沼地のボートハウス(?)に住んでる住民たちが、怪物のような魚に次々と襲われていく話です。この魚は海中だけじゃなく、ボートハウスの上にも乗り上げて、陸上でも人を襲っていくから凄い。

フランケンフィッシュの描写はCGを使って派手に動かし、後半大暴れさせてるものの、何をどう作ろうとどうせ作り物のCGには違いないという意識が監督の方にあるのかどうか、モンスターの描写はある程度の所で十分と見切ったようで、観客へのサービスは犠牲者の襲われ方にシフトしてるような感じもします。水面に突き出した首を食いちぎられるは、上半身と下半身真っ二つになるは、登場人物はまぁいろいろと派手な最後を見せてくれます。

ちょっと話が進むと、この人は生き残れるのかな?とかいう観方をしなくなってきます。登場人物のほとんどが画面に初登場した時点で既にやられキャラとして決定されてるような感じで、あれよあれよとフランケンフィッシュの餌食になっていく。
1人だけ「ディープ・ブルー」のサミュエル・L・ジャクソンがいました。この人の最後はちょっと意表をついて、吃驚します。

フランケンフィッシュ自体は正面きって出てくるよりも、水面直下をぼんやりと通り過ぎる巨大な何かの姿という描写の方が、当然過ぎるくらいに不気味。こういうシーンは妙にリアルで生々しい描写をしていて、観ている側の想像力を結構刺激します。
しかしいくらそのほうが不気味とはいえ、仄めかす程度で全編終わってしまえば、ちゃんと見せろと不満が出るだろうし、この辺はモンスター映画のジレンマでしょうね。

【洋楽】 NO NEW YORK

No New YorkNo New York
(2005/11/22)
Various Artists

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ブライアン・イーノがプロデュースした、70年代後半から80年代前後のニューヨーク・アンダーグラウンド・バンドのオムニバス・アルバム。
収録バンドはジェイムズ・チャンス&ザ・コントーションズ、ティーンエイジ・ジーザス&ザ・シャークス、マーズ、D.N.A.。
バンドサウンドとしても、尖がっていて単純にかっこいい。

no new york2
裏ジャケットのスキャン画像。

同時期のパンクが対社会的な動きを併せ持っていたのに較べると、こちらはほとんど全視線を音楽の方向に向けてます。
とは云うものの、新しい音楽の形を求めるのでもなく、むしろ逆に音楽的なものを剥ぎ取っていけば一体何が見えてくるのか、そう云う事のみに関心を持っていたような動き。
だから、まともに楽器を弾けなくても一向に構わなかった。「音楽」を演奏しないことがアプローチの方法とさえ云えた。

このアルバムを聴いてみると、ベースを含むリズム・パートさえ維持できていれば他はどうであろうと、「音楽」にはなるということに気づきます。それも曲芸的なドラミングとか関係なく、唯ひたすら反復するビートを維持できればそれでいい。

D.N.A.がまさにそんな感じで、イクエ・モリの反復ドラムにのせて、アルト・リンゼイの絶叫や、引っ掻き回すギターのノイズが炸裂してます。今聴いても十分破壊的。このアルバムで一番腰が引けてない。

James Chance and The Contortions - I Can't Stand Myself


DNA live

新風館の中庭で休憩。

烏丸御池をわずかに南へ下がったところにある「新風館」です。

新風館1

外から見てると何のビルかちょっと分からないところがあるけど、正体は「ビームス」とか、ブランドが集まったファッション・ビル。確か元はNTTのビルだったはず。

新風館2

中に入ってみると、外側からは古いビルに見えたものが、実は建物全体が中空の巨大な吹き抜けになっているのが分かります。ファッション・ブランドは外壁状になった周囲の建物の中に入ってる。
中央の吹き抜け空間、中庭にはパラソルとテーブルが点在してます。

新風館3

このテーブルは何か食べ物でも買わなければ座れないのかというと、そんなことは全然無くて、自由に座って休憩できます。

この日は中庭に設置してあるステージで生演奏をしてました。

新風館4

毎日一定時刻になるとやってるのかちょっと知らないけど、たまに演奏してるのに出くわします。いつもはボーカル無しでラウンジっぽいスタンダード・ジャズなんかを演奏してるのに、この日はボーカルも参加して、なにやらドリカムみたいな曲調の物をやってました。
休憩しながら暫らく聴いてました。でも中庭で聴いてる人の数が圧倒的に少なかったので、席を立つとステージのミュージシャンから非常によく分かる。演奏の途中で立つと演奏してる人に悪いような気がして、一旦座ってしまうとなかなか立てませんでした。

新風館に入ってるテナントはファッション・ブランドが多いんだけど、一つだけ本屋「ヴィレッジヴァンガード」が入っていて、本屋とは云うものの本以上に得体の知れないアイテムも一杯扱って店内がカオス状態になってる店です。ここに来れば必ず立ち寄っていきます。ここは店内ポップがふざけていて面白い。

ヴィレッジ1 ヴィレッジ2

店内をいろいろ眺めていて目についた、レオナルド・ダ・ビンチのアクション・フィギュアに物欲を刺激されました。

ヴィレッジ3

アニメキャラやロボットなんかじゃなく、よりによってレオナルド・ダ・ヴィンチの、しかもアクションもできるフィギュア!イーゼルのミニチュアがついてるのもポイント高い。

【洋画】 グラン・ブルー

グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版
(2003/06/19)
ジャン=マルク・バールジャン・レノ

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監督 リュック・ベッソン
公開 1998年

海から生まれたと言う他に無い、二人の男の友情の物語。

丸眼鏡所持者なのでジャン・レノが画面に出てくれば丸眼鏡が気になって気になって…。この映画でジャン・レノがかけてたのは部分的セルフレームの一山でした。話によるとジャン・レノの私物でアンティーク、物凄く高価な代物だとか。普通ラウンド・タイプのセルフレームは見た目コメディアンになってしまいがちなのに、ジャン・レノはセルフレームでも漫才師になっていません。

ジャック(ジャン=マルク・バール)とエンゾ(ジャン・レノ)の少年時代のエピソードが語られる、初めのモノクロの部分は詩的で綺麗な絵でした。本当にため息が出るほど綺麗。岩肌の海岸線に沿ってまっ平らな海を滑るように進んでいく、遠くまで空気感のある光景が視線を離せないほどに美しい。むしろカラーになってからの海の描写はありきたりなイメージが重なってきてモノクロの絵ほど心震えませんでした。

それと、ラスト・ショット。余韻を含みながら暗転していくあのショットの神秘的なこと!
物語的な締めくくりとしては結構曖昧なんだけど、絵的な美しさとしては突出したラスト・シーンになってる。

ちなみに主人公ジャック・マイヨールは実在の人物で、実際のマイヨールは最後はうつ病だったらしく自殺で生涯を終えてます。

それにしてもこの主人公ジャック・マイヨール、人が恋しくなれば恋人ジョアンナ(ロザンナ・アークウェット)に縋り、海の住人になってる時は、ジョアンナが妊娠を告げてるのにそんなのどこ吹く風と海に潜って、ジョアンナを置き去りにしたままどこかに泳いでいってしまう、傍から見れば極めて自分勝手な人物として描写されてる。
エンゾが評して子供と変わらんみたいなことを云います。まさにその通りで、映画としては目の前の興味を引くものにしか関心を持たないような、子供の気まぐれを延々と写してるようなものを見せられるわけです。しかも人よりもイルカ相手の方が意思疎通出来てるみたいだし。ジャックにとっては人よりイルカの方が明らかに大切で身近な存在なんでしょう。

だから他人には入り込めそうもない、イルカと仲良しの世界で閉じてしまってる主人公よりも、素潜りの記録を競って、ジャックにライバル心をむき出しにするような、人間臭く、俗人的なエンゾのほうが関心を呼びます。あの風貌も手伝い、ジャン・レノのほうが遥かに強烈な印象を残す。
ジャックよりもエンゾのほうに共感してしまうこともあって、エンゾがジャックに寄せる友情が当のジャックに今一届ききってないように見えるのが、無性にせつなかった。

新京極 眼鏡研究社へ眼鏡を取りに行く。

眼鏡が出来てると連絡があったので、眼鏡研究社に寄って来ました。

店に到着した時には先客が居て、店員はそちらを接客中。こちらの相手をしてもらうまで少々待ち時間が生じてしまって、暇なのでその間に店内に並んでる眼鏡のスナップを撮ってみました。

眼鏡研究社2

眼鏡研究社3

眼鏡研究社4

眼鏡研究社5

丸眼鏡がいっぱい!他にはセル・フレームも置いてあります。

出来上がったわたしの眼鏡は、オーバル・タイプのメタル・フレーム、鼻パットの無い一山(いちやま)、ストレート・テンプルという仕様で注文したので、まるで針金細工のようにシンプルな仕上がりになってました。

ここの眼鏡は素材にサンプラチナを使っています。眼鏡には昔から使われている素材。錆びない、アレルギーを起こさないという特徴があって歯科で使う素材でもあるそうです。
ちなみに今回作ったのはトータルで4万円くらいでした。

店内に飾ってあった眼鏡に、跳ね上げるんじゃなくて着脱出来るサングラスのアタッチメント(?)がついてるのがあって、度の入ってない丸眼鏡サングラスは日常的に使っているし、今回のもサングラスにもなったほうが便利だろうと思って、追加で注文してみたら、買ったオーバル・フレームからその場で型取りして作ってもらえました。30分ほど待っていれば、それで出来上がり。早かった。


2018 / 02 追記。
10年の時をさかのぼって書き込んでみる。こんなことを書いてたんだと、それにしても懐かしい。
で、わざわざ10年前の記事に何を書きに来たかというと、この眼鏡研究社、残念なことに今年2018年の2月一杯で閉店なんだそうだ。昔から続いていた店だっただけに閉店はまったくの予想外だった。
この時作った眼鏡は今でも使ってる。でもこうやってあらためてさかのぼってみるともう10年も使ってることに今さらの如く気づいて、閉店なんていうことになってしまうならその前に新しい眼鏡を作っておきたいところなんだけど、今金欠なんだなぁ。
閉店までに最後の調整でもしてもらおうかな。

2018 / 12 追記。
10年の時をさかのぼってもう一度書き込んでみる。前回追記してからほぼ一年。この時に買った眼鏡は10年後の2018年12月に転倒した際に壊してしまった。テンプルが折れてレンズには無残な傷がついた。10年使ってさすがにまた度が合わなくなってきていたからそろそろ新調したいとは思っていたけど、こんな形で終焉を向かえるとは思っていなかった。この時のわたしはこの眼鏡が10年付き合う相棒になるとはあまり思っていなかったかもしれない。でも結果としてこれだけ愛着をもって使えた道具になったんだと、この時のわたしに伝えてみたいな。
10年後に眼鏡を壊した顛末
これが2018年12月に起こったことの記事だ。




【洋画】 エクソシスト ビギニング

エクソシスト ビギニングエクソシスト ビギニング
(2005/04/08)
ステラン・スカルスゲールドジェームズ・ダーシー

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監督 レニー・ハーリン
公開 2004年

リーガンに憑依した悪魔と対峙した第一作があるせいで、メリン神父が確実に生き残るのが最初から分かってしまってるのはやはり致命的です。
特に怖いということもなく、オカルトであって、それはホラーとイコールでもないわけだから別に怖くなくてもいいし、外人が怖さを狙っても自分が思ってる怖さとは全然方向が違うから、まぁ怖くないこともこんなものなんだろうと勝手に納得して観てました。
悪魔が心理的な詐術に長けてるっていうのはこういう物語で最大限に嫌ったらしい部分なんですが、ここに出てきた悪魔は思いのほか素直で、その性なのかなんだか淡々と物語は進んでいきます。そして、最後のほうでちょっとしたどんでん返しがある。
ただこのどんでん返し、淡々と進む物語のアクセントに欲しかったんだろうと思うけど、過去のシリーズと若干矛盾してるようなところもあって、必要なかったという感じのほうが強いです。

メリン神父(ステラン・スカルスガルド)は、云っては悪いけどあまり知的に見えなくて、後のマックス・フォン・シドーに繋がるとはとても思えなかった.。
また、メリン神父がナチス絡みで信仰を捨てて、その後この悪魔との対峙で信仰を取り戻す経緯は安易というか、信仰ってそんな風に捨てたり戻って来たりするものなのかと。
大体、神などいないっていう理性的な証拠を前にしても揺るがないものが信仰であって、ナチスの蛮行で神の存在を疑い、悪魔と直面したことで再び神の力に頼るっていうのは、こういうのはどちらかというと認識の問題であって、信仰の有無じゃないような気がします。

悪魔を目の当たりにして信仰を取り戻すにしても、ナチスの将校が「今日は神のいない一日だ」と云いながらメリン神父の目の前でやったこと、そして同じくナチスの将校がメリン神父に強要し神父自身がそれに従ってしまったことに関しては、信仰を取り戻した後で神父がどういう風に向かい合い、折り合いをつけたのか、何一つ言及されません。
メリン神父の以後の信仰に繋いでいくのなら、ここはきちんと描かないといけないところだと思いました。

これはやはり1作目が飛びぬけてよく出来てたってことにあらためて思い至るような、そんな映画です。

相もかわらず、大音響びっくり演出で辟易。



キリスト教の布教が及ばなかった地域から謎の教会が発掘される。土の中から掘り出されたその謎の教会を調べてみるとその下にさらに不可思議な空間が広がっていたっていう物語世界はこちらの想像力も刺激して面白かった。

河原町三条のBAL、「MEAL MUJI」でランチ!

今日は時間をずらしてもちょっと混んでました。ここは混み始めると小さい子供を連れた客が目立つ感じになります。結構喧しい…。

三品目のデリ・プレートを注文して、今回選んだのは、
豚のグリル、ピーナッツソース(正確な名前忘れた!)
茄子のオイスター風味和え
かぼちゃとさつまいものサラダ
この三品。
御飯は前回同様、というより選ぶのはいつも十穀米です。

muji ランチ

なんか見た目に色彩感を欠く組み合わせになってしまった。
豚肉の下に盛ってあるのは、マッシュポテトみたいで、かぼちゃ、さつまいもと、期せずして食感の似たものを注文してしまう結果になってます。

茄子のオイスター風味和えが一見麻婆茄子みたいでピリッとしてそうに見えるけど、そんなことは全然無くて、選んだ三品とも味はどちらかというと甘味の方に傾いた味付けになってました。食べ終わる頃には正直ちょっと飽きてた。

アイスクリームディッシャーで掬い取るタイプのものばかり注文したら、丸いボールが皿の上に六個並んで、宇宙食みたいかも。

一度やってみようかな。

【洋画】 サウンド・オブ・サンダー

サウンド・オブ・サンダー デラックス版サウンド・オブ・サンダー デラックス版
(2006/07/21)
エドワード・バーンズ

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監督 ピーター・ハイアムズ
公開年 2006年

評判の悪さを知っていて、それでもタイムトラベルものらしいということに惹かれて観てみたものの、評判どおりの結果となりました。

過去に行く技術を開発して実現した恐竜ハンティングツアーは、火山の噴火で命を落とすのが過去の事実として既に分かってる恐竜を噴火の前に仕留めても、恐竜がそこで死んでしまうという結果そのものは変わらないから、過去を改変することにはならないという考えを元にしていて、このアイデアはちょっと面白かった。
そしてそのツアー中に、誰も気づかなかったような本当に些細な予定外のことが生じて過去の状態を変化させてしまい、その影響が現在に出始めるというのがストーリーの骨格になってる。
世界の様相を変える波動が遥か過去から押し寄せてくるたびに世界はリセットされ、見慣れない姿になっていきます。

実はタイムトラベルもののパラドックスで組み立てているような映画を期待して観てました。ところが最初こそタイムトラベルのわくわく感があったものの、映画は過去からの影響によって変化してしまった世界で生き延びていくサバイバルムービーのような方向に向かい始めます。わたしの期待はどんどん置き去りにされていく…。

パラドックスも投げ出したままみたいだし、それでは一歩譲ってタイムトラベルものじゃなくてもいいから、目前に展開する、異形へと変化した奇妙な世界を存分に見せてくれるかといえば、猿顔の恐竜が出てきたりするけれど、別に驚愕するほど凄いイメージでもなかったりします。こうなればこここそがこの映画の値打ちなのに…拍子抜け。
顔が猿の恐竜って凄いイメージどころか、どちらかといえば間抜けです。

ラスト近く、主人公が過去を修復するためにタイムマシンに乗り込み、ヒロインが外でマシンの操作を完了して主人公を過去に送り出した瞬間に、人の進化に変更を加える最終波動が襲ってくるというシーンがあります。主人公を送り出したヒロインはその直後この波に飲み込まれて、元人間の女だったとは到底信じられないような異様な生物に変わってしまいます。この映画で一番面白かったところってここかも知れない。このシーンだけちょっと常軌を逸したような感じがありました。

CGはお粗末の一言。なにせ未来都市を歩く人物が背景から浮き上がりまくってるというレベルのもので、もう目も当てられません。
ただ作り物っぽい未来都市は、リアルを求めたら腹が立つんでしょうが、まさにその作り物っぽさで割りと気に入るイメージに仕上がっているところもありました。

でも走ってた未来車は見事にダサかったなぁ…。

【本】 prints 21 高畠華宵

prints (プリンツ) 21 2008年秋号 特集・高畠華宵 [雑誌]prints (プリンツ) 21 2008年秋号 特集・高畠華宵 [雑誌]
(2008/06/26)
不明

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prints 21の、今のところ最新刊です。特集は「高畠華宵」

切れ長、三白眼の目が妖しい印象の、艶やかな美少女を描いた画家。
高畠華宵は男も女もほとんど同じフォーマットで描いているので、美少女的な妖しさが少女と同量に加味されてる分、美少年を描いている絵のほうが際立った印象を残してるような気がします。
今のイラストレーターだと、描く世界は異なっていても、丸尾末広とかが近い位置にいるのかな。
本には宇野亜喜良のエッセイとかも入ってました。
ただ、これは雑誌なので特集とは関係の無いページもそれなりに入ってます。

卵形の頬のラインが凄く綺麗な絵があって、そういうののなかに個人的お気に入りがあります。

何年か前に京都駅の駅美術館で「高畠華宵」展をやってました。ちょっと思いついて探してみたら、その時のチケットを発見したので、スキャン。
華宵チケット

【洋楽】 プレイズ・クラフトワーク(El Baile Aleman)

プレイズ・クラフトワークプレイズ・クラフトワーク
(2006/09/20)
セニョール・ココナッツ

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ラテンバンド「セニョール・ココナッツ」が演奏するクラフトワークのカバー。あの電子音の集合体がラテンに変換されて耳に届いてきます。
ジャケットを見ると物凄くWeirdな匂いがしてくる…。

もとはウーヴェ・シュミットによるエレクトロニック・ラテン・プロジェクトがその正体。テクノ系の音楽をやってたウーヴェ・シュミットがチリに移住したのをきっかけに、もともとのラテン音楽趣味を掛け合わせてこういう音楽の形を組み上げたそうです。
音はクラフトワークをもとにして別方向に向かう作り方じゃなく、あくまでもクラフトワークに寄り添っていくような作りになってます。

実は聴いてみると意外とまともに聴こえるんですよね、ラテン版クラフトワーク。電子音の装甲で覆われているクラフトワークの音楽から、こういう方法でしか引き出せなかったかもしれないクラフトワークのエッセンスの、ある部分をうまく抽出してるというか。

暢気そうなジャケット写真からはちょっと予想できないほどに、煽り立てるような音楽も詰め込まれてます。

Weirdな音楽を期待して聴くと逆に期待はずれって事になりそうで、そこのところはどうなんでしょう、これゲテモノ狙いで手を出す人のほうが圧倒的に多いような気がします。

Senor Coconut - Tour de France



【洋画】16ブロック

16ブロック16ブロック
(2007/11/07)
ブルース・ウィリス; モス・デフ; デヴィッド・モース

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監督 リチャード・ドナー
公開 2006年

映画は白人警官と黒人のバディ・ストーリーの典型みたいな外見で、他にも馴染みのあるパターンを援用して、二番煎じ三番煎じの映画のように見えるものの、見終わってみれば予想外の拾い物でした。実はあんまり期待してなかった。

わずか16ブロック先の裁判所に証人を護送するだけの簡単な仕事のはずが、途中で激しい攻撃を受け、事態はとんでもない方向に…、といったストーリーで、普通こういうシチュエーションだと大抵アクション映画にしてしまうんですが、主役がブルース・ウィリスだからなおのことアクションにしてしまいそうなのに、意外とアクション方向には走らずに風変わりな友情の物語になっていきます。テーマ「人は118分で変われるか?」のほうに、完全に軸足を置いてる。

ブルース・ウィリスが凄い老け役で出てきます。しかもただでさえくたびれてるのに、さらにアル中でよれよれ。その老けメイクと演技にどうしても注意がいって最初のうち物語の方に入りにくかった。
面白いのはこの役ではかなり額から後退した状態であっても一応髪の毛があるのに、スキンヘッドのマクレーン刑事の方が若々しく見えるってことです。髪の毛も状況によっては、あれば良いってものでもなかったりして。

始まって暫らくしてから、裁判所に護送される証人がブルース・ウィリスに謎かけをします。
「嵐の日に自分以外にもう1人だけ乗れる車を運転してると、老婆と自分の親友と自分好みの女の3人に出くわした。さてこの中のいったい誰を助ける?」っていったような内容の謎かけ。
ブルース・ウィリスは終盤この証人との別れ際に、この不思議な謎かけに対して答えを云うんですが、こういうエピソードとそれを物語に組み込むタイミングはちょっと洒落てて好きです。

敵役のデヴィッド・モースが、ブルース・ウィリスと友人関係にあることを駆け引きの道具としか思ってないような根っからの悪人ではなく、長年の友人でありながら、敵側として追い詰めても行くという両極が一点に折り重なってるような複雑な悪役を演じてました。
この人一見頼りがいのありそうな善人風の風貌でもあるのでこの役にはぴったり。
デヴィッド・モースは善人と悪人が混在する役ってたとえば「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とかでも既にやってますね。



DVDにはもう一つのエンディングが入ってます。個人的にはデヴィッド・モースの行動から派生していくこのもう一つのエンディングの方がデヴィッド・モースの二面性が出ていて良かったと思うんだけど…。劇場公開版のエンディングはダイハードとの兼ね合いとかそういう事情で上のほうから何か云われて選択せざるを得なかったのかな?あえてこういう別エンディングをDVDに残しておいたのは、製作者としてはこちらが本当のエンディングだと主張したかったからじゃないかと邪推してみたり。

【映画】 ヒッチャー

ヒッチャー?(1985)  (ユニバーサル・ザ・ベスト第8弾)ヒッチャー?(1985) (ユニバーサル・ザ・ベスト第8弾)
(2007/09/13)
ルトガー・ハウアー.C・トマス・ハウエル.ジェニファー・ジェイソン・リー

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監督 ロバート・ハーモン
公開 1986年

要するに「激突」なわけです。それとルトガー・ハウアーのしつこさと不死身具合が「ターミネーター」かも。
一旦ターゲットにするととことん付き纏ってくる殺人鬼の話です。
そしてこの殺人鬼、理不尽なまでの神出鬼没振りを発揮します。どこで何をしようが必ず居場所を突き止めて目の前に現われる。物凄くしつこい。

自分をこの世から消し去り始末してくれる人間を捜し求めながらも殺人を繰り返すという、理解の埒外にあるようなサイコをルトガー・ハウアーが演じます。そのサイコを唯のヒッチハイカーだと思って自分の車にたまたま乗せてしまったために、散々な目にあう青年がC・トーマス・ハウエル。
自分を始末してくれる人間を追い求めてるっていうサイコの設定は公開当時、結構斬新だったんじゃないかな。

C・トーマス・ハウエルにとっては追われるものの関係にしかすぎない一方、ルトガー・ハウアーの方はもうちょっと複雑で、獲物にある種依存しようとするところがあります。なついて来るような、何かそんな感じ。
ルトガー・ハウアーの雰囲気と怪演が、その複雑さを体現していきます。ルトガー・ハウアーの起用はこういう部分ではまさに大当たり。殺そうと追い回してるC・トーマス・ハウエルとの間にホモセクシャルな雰囲気さえ漂いだしてくるんだから。

アメリカの荒野を写す画面も広大で綺麗だし、荒地に点在する寂れたガソリンスタンドとかを移動していく画面の移ろいは云ってみれば簡易型のロード・ムービーの雰囲気さえあります。

一応ホラーものというかサスペンスものというか、まぁ血なまぐさいところもある話なんですが、その割りに直接的なスプラッター描写は皆無の映画です。ただ、流血シーンはほとんど無いけれど、C・トーマス・ハウエルが嘔吐するシーンがある。これはちょっと辟易します。はっきり云って血みどろシーンよりも嘔吐シーンの方が不快感のつぼを突きまくってきます。

警察を巻き込みはするものの、ほとんど男二人が追いつ追われつするだけの話に唯一人の女性、ドライブインのウエイトレス役でジェニファー・ジェイソン・リーが出演してます。ヒッチハイカーを乗せてしまったC・トーマス・ハウエルよりも、関係としては遥かに希薄な出会いだったのに、たまたまこの二人に関わったために迎えてしまう出来事の可哀想具合は、それはもうとにかく酷いの一言。トラウマになりそう…。

でも「ヒッチャー」の評判は悪くなかったのに、監督もシナリオライターも主演のルトガー・ハウアーもC・トーマス・ハウエルも、この映画の後誰もあまりパッとしなかったんですよね。
ルトガー・ハウアーは「ブレードランナー」とか大好きな映画にも出てるので、主役を張るような役者ではないにしても、どうして?って感じがします。手にとって眺められるほどの際立った個性と、なぜかしら身に纏ってしまった影の薄さがアンバランスで居心地悪い。