2008/09/30
【洋画】 マルコヴィッチの穴
まず、なぜみんながマルコヴィッチになりたがるのか、映画を観てる間も、観終わった後でもこれが理解できませんでした。行列を作って順番待ちするほど、マルコヴィッチになることって楽しいの?どうせなれるならジョニー・デップとかのほうが遥かにいいと思うんだけど、アメリカ人は違うんでしょうか。
☆ ☆ ☆
ペットショップで働く妻ロッテ(キャメロン・ディアス)の稼ぎで生活している、人形使い師のクレイグ・シュワルツ(ジョン・キューザック)は、人形使いでは食えないので仕事を探すことになり、新聞広告で見つけた、あるビルの7階1/2のところにある事務所で仕事を得ることになった。
ある日クレイグは事務所の壁に小さな扉があるのを発見、その扉の向こうにあった穴に入って進んでみれば、その穴はなぜか俳優ジョン・マルコヴィッチの頭の中に通じていた。そしてその穴を潜ればマルコヴィッチの頭の中に入ることが出来て、15分間だけマルコヴィッチになれるということを知る。
やがて、同じフロアで働く片思いの相手マキシン(キャサリン・キーナー)と一緒にこの穴を使って、料金を払えば別人になれるという商売を始めることになった。
クレイグの妻ロッテが試しに穴に入った時、ロッテはマルコヴィッチの男の体を自分のものとして体験したことで隠されていた性同一性障害が目を覚まし、性転換して男になると言い出した。おまけに女同士のマキシンを恋愛の対象として扱い、マルコヴィッチの体を被った状態でマキシンと付き合い始める。マキシンもマルコヴィッチの体を被ったロッテに興味を示しだした。
片思いの相手を妻に取られたクレイグは妻を監禁して、妻の代わりにマルコヴィッチのなかに入って、マキシンとデートすることに。
そのうちクレイグはマルコヴィッチを15分以上コントロールする術を身につけ、人形使いの腕を生かしてマルコヴィッチを完全にコントロールできるようになった。
そこで完全にマルコヴィッチと化したクレイグはマキシンと新しいビジネスを計画することになる。人形使いの腕を認めたマキシンの策によって、マルコヴィッチの元からの知名度を利用して、俳優ではなく人形使い師ジョン・マルコヴィッチとして再デビュー、クレイグでは成功しなかった人形使いの道で大成功を収めることになる。
その頃、穴のあったビルの社長レスターは、実は他人の体を移り歩いて文字通り不死となった人物で、次に乗り換える予定の体であるマルコヴィッチに入ったままのクレイグを追い出す必要に迫られてマキシンを誘拐、マルコヴィッチから出なければ、マキシンの命は無いと脅迫し始めた。
☆ ☆ ☆
要約しようとしてみたけど、わけの分からない話だということしか伝わらなさそう…。
この映画、前半で繰り出してくる突拍子も無いアイデアはとても面白いです。その突飛さは他の映画では類を見ないくらい非常識で、面食らうこと間違いなし。
壁にあいてる小さい穴がマルコヴィッチの頭に通じてるという中心アイディア以外にも、7階と8階の間にある謎のフロア、そのフロアにある屈まなければ歩けないほど天井の低い廊下と小さい事務所、全ての言葉をとにかく全部聞き違える秘書に、呆けっぷりが堂に入ってるレスター社長(オーソン・ビーン)、心理治療を受ける胃酸過多のチンパンジーと、チンパンジーが自分のトラウマになったものを回想するチンパンジーの主観映像など。
でも後半、映画は様変わりします。
ぶっ飛んだディテールを人が馴染みやすい物語の場所に引き戻すためなのか、前半がコメディだったのに、後半は三角関係の痴話話が中心になって、ある意味じめじめした陰鬱な話にシフトしていきます。7階1/2の奇妙なフロアなんて、そんなものを映画に出したことさえ忘れてるかのように、全然見向きもしなくなる。
この辺りから、意識と肉体、人の本質は外面にあるのか内面にあるのかみたいなことを中心にテーマ性も垣間見えるような感じになって、コメディだと思って観ていたのがちょっと居心地悪い状態に。
もとからこういうテーマ性があって、その思索を盛り込むためにマルコヴィッチの中に他人が入るという表現をひねり出したのか、マルコヴィッチの中に15分入れてマルコヴィッチが体験できるという妙なアイディアを思いついて、それを映画内で物語的に展開させるために、人の外面と内面のようなテーマを結びつけていったのか、どちらかは知らないけど、こういう意味的なものを付け加えようとしたために、映画は地上に落ちて、後半部分で完全に失速してしまったように見えました。前半のアイディアの奇抜さだけで突っ走っていればそれなりの面白さでいけてたのに…。
おそらくこの映画での最大の奇想は、自分の頭の中に他人を送り込んで商売をしてる連中がいると気づいたマルコヴィッチ本人が、その現場に乗り込んで、怒りに任せて自分も穴に入ってしまうシーン、マルコヴィッチ本人が自分の頭の中に入った時に観てしまう光景だと思うんだけど、この辺りをクライマックスにして、それまでの奇想を詰め込んだだけのディテール集合映画で終わったほうがよかったんじゃないかと思います。
その映画で表現すべきテーマを持ち込んだために失速してしまった映画って、考えてみれば妙な存在です。
☆ ☆ ☆
ジョン・キューザックとキャメロン・ディアスが、これまた小汚い格好で出てきます。役者を意図的にこれだけ無様な様子で撮った映画もなかなか無いんじゃないかと思うくらい。特にキャメロン・ディアスが酷い。
ぼさぼさの爆発頭におそらくすっぴん顔、あるいはすっぴんにしか見えないようなメイクのキャメロン・ディアスはこの映画でしか観られないかも。ちょっと見ものかもしれません。
ジョン・マルコヴィッチは、映画の中の自分である「ジョン・マルコヴィッチ」を演じた上に、ロッテに乗っ取られたマルコヴィッチ、クレイグに乗っ取られたマルコヴィッチを演じて大活躍でした。こういうのを観るのはやはり楽しい。
それと、バーコードのチャーリー・シーン。これも見ものです。
チャーリー・シーンってこういうことするのが結構好きみたいというか、嬉々としてやってるように見えませんか?
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Being John Malkovich - Trailer
原題 Being John Malkovich
監督 スパイク・ジョーンズ
公開 1999年
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