【洋画】 トゥモロー・ワールド

視覚効果盛りだくさんといったような方向じゃなくて、絵の質感という意味で、ちょっと特異な絵作りをしてる映画のようにわたしには見えました。
たとえば映画全体を統一してるかなりくすんだ色合い。彩度を低く押さえていて、色相もグリーン寄りの調整をしてるような感じの画面。一目見るだけで色味の乏しい寒々とした世界が有無を云わせないほどの説得力で視覚に飛び込んできます。
これが2027年、子供が生まれなくなってから18年経った世界の色だということなんでしょう。

また、隅々まで手を抜かずに細かいものもきちんと用意されてる画面という印象も受けました。
戦闘シーンで云うなら、たとえば遠景で被弾して倒れる人がいても、遠くだから適当で良いという判断で作ってない。遠くであろうが近くであろうが画面に写るものには全部同じ比重がかけられてるような画面作りに見えます。
結果として若干くどいくらい緻密な画面になってます。でも画面全域にわたって力のかかり方がほぼ同一ということは、どこかを重点的に見せようとしてないともいえるわけで、そういう意味では散漫な画面でもあります。
フレームで切り取られた全領域を、出来るだけ均質な密度でそのまま捉えようとする意図、緻密だけどそのことで散漫になることも厭ってない画面。こういうの一言で云うなら、ある意味ドキュメンタリー的と云えるんじゃないかと思います。手振れカメラで右往左往する画面だけがドキュメンタリー・タッチと云うわけでもないってことです。

☆ ☆ ☆

子供が生まれなくなって18年が経過した2027年の世界。人類は滅亡を迎えるしか進む方向を持たず、技術革新は放棄され、街にはテロが横行し、世界は荒廃しきっていた。
英国は国家治安法が成立し一種の鎖国政策を実行し、唯一かろうじて秩序が保たれてる都市ロンドンでは、移民が大量に入り込もうとしていて、英国政府は移民排除に過酷な政策を採っていた。
そんなある日、エネルギー省に勤めるセオ(クライヴ・オーウェン)は謎のテロ組織に誘拐されてしまう。目隠しをされて連れて行かれたテロリストのアジトでは、地下組織「FISH」のリーダーになっていた元妻のジュリアン(ジュリアン・ムーア)が待っていた。
ジュリアンはセオに通行証を調達して欲しいと頼んでくる。人類救済組織「ヒューマン・プロジェクト」に一人の少女を届けなければならないらしい。
セオは通行証を用意してジュリアンに渡し、その少女キー(クレア=ホープ・アシティ)と会って、キーが妊娠してることを見せられた。セオは18年ぶりに人類の新しい命が宿ったこと知ることになった。
その夜、セオは地下組織「FISH」がキーと子供を組織のために利用しようとしてることに気づき、キーの付き添いミリアム(パム・フェリス)と共にアジトを脱出し、自らの手でキーを「ヒューマン・プロジェクト」に渡すために「FISH」に追われながら逃避行を始めることになった。

まずは長年の友人である元ヒッピーの老人ジャスパー(マイケル・ケイン)のもとに身を寄せるが、「FISH」の追っ手はその場所もすぐに嗅ぎつけ、包囲網を狭めていく。

☆ ☆ ☆

奇跡的に子供が生まれることで、子供が生まれなかった社会がどう変化していくのか、あるいはこの映画の世界は現実に当てはめれば、極端な高齢化社会と云っても良いと思うんだけど、こういう設定の映画を作ることで現実の高齢化社会に、今まで考えもしなかった照明が当てられてるんだろうかとか、そんなことを期待して観てしまうと、おそらく確実に肩透かしを食らうと思います。

映画はセオが妊娠した少女キーを連れて、移民狩りやテロリストの武装蜂起を潜り抜けながら、しかも途中でキーが産気づいて、出産してしまった子供まで抱えて逃避行を続ける過程だけを追いかけ、「ヒューマン・プロジェクト」に手渡す直前で終わってしまいます。実際にキーと子供をプロジェクトに送り届けたシーンさえありません。
「ヒューマン・プロジェクト」というのがどのように世界を救済するつもりなのか、そもそも本当に救済組織なのかも全く謎の上に、その組織にキーを渡して世界が動き出す様子も画面に出てきません。

思うに、この情報量の不足は映画の視点がセオの視点に限定されてるからじゃないかと。つまりセオがそれまでに知っていたこと、キーと出会う一連の出来事で知ったこと、そういう範囲を超えて描写はされてないということじゃないかと思います。
だからセオが知らない「ヒューマン・プロジェクト」の内実とか、子供が生まれなくなった理由とかは映画に出てきません。映画で描かれるのはセオが見聞きしてきたものばかりです。

この映画は壮大な社会的設定を下敷きにしてるけど、そういう世界を十全に描ききることが一番の目的の物語じゃなくて、あくまでもセオが認識できている世界を描くことにポイントを置いた物語のような気がします。

観終わってどういう感触が残ったかと云うと、セオが人類を救うかもしれない少女と関わったことで再生していくプライベートな物語という感じのほうがわたしには強かったです。
元はジュリアンと共に革命の戦士だったセオが、子供を病気で亡くして以来無気力な生活にはまり込んでいた状態から、人類の未来へ繋がる子供を守るという希望を核としてもう一度生きてみようと決意する物語、そういう物語としてのほうがわたしにはしっくりと馴染むような気がしました。
ああいう形で逃避行は終わったんだけど、そのことで絶望の淵にあった世界はどう変わっていくのか知りようがなくても、それでもセオは最後もどことなく満足そうでしたから。

原作はP.D.ジェイムズが書いた「人類の子供たち」。
原作では複数の子供が生まれる設定らしいんですが、この映画になった時点でたった一人の奇跡の子供に変更されてます。テロリストや移民が立てこもった建物のなかで子供を囲うように集まる移民の様子とか、戦闘中の政府軍も子供を抱えたキーとセオを前にして、戦闘をやめて、左右に開けるように道を空けていく光景とか、救世主降臨のような、ちょっと宗教的なイメージを狙ってるような感じもしました。でもこの辺の意図はキリスト教に馴染んでないわたしにはよく分からないというか、イメージとして出てきてるということが分かる程度から進まなかったです。

☆ ☆ ☆

この映画では何ヶ所かで驚異的な長回しが見られます。これは本当に面白い。
子供が生まれない世界のリアルな状況とか、虐げられる移民だとかの社会的なテーマに沿うような要素よりも、ひょっとしたらこっちのほうが映画として印象に残るかもしれません。

特にセオが初めてキーと会って、「FISH」のアジトに向かう車が暴徒に襲撃されるシーンと、「FISH」に奪い去られたキーと子供を追って、セオがテロリストと政府軍が衝突してる市街戦の只中を進んでいく後半のシーン。
車のシーンは1カットのなかで編集無しに、カメラが車内を見渡すように自由に移動したり、最後には車外にまで出てしまうというような有り得ない動きをするのを見て呆気にとられます。
市街戦のシーンはただひたすら圧巻の一言。逃げ隠れしながらテロリストの立てこもるビルに向けて進むセオを延々と追いながら、リアルタイムで進行する市街戦の様子も画面に納めていきます。銃撃戦の映画として十分に成り立つ戦闘シーンです。とにかく臨場感、迫力ともに申し分なかった。

もっとも長回しといっても完全に1カット長回しではなくて、いくつかのカットをデジタル処理で繋ぎ目が分からないようにして繋いであるらしいですが、そんな繋ぎ目、どこにあるのかさっぱり分かりません。
市街戦の最中セオがテロリストの立てこもるビルの階段を上っていくシーンは、3階まで上っていったように見せながら、実際の建物は1階建てだったとか。このシーンでレンズについていた血の飛沫がある時から急になくなるので、何かの処理をしてるのは分かったんですが、建物の階層まで偽造してるとは到底思わなかったです。

血の飛沫といえば、これははっきり云って物凄く不自然でした。この飛沫は市街戦の最中にレンズについて、建物に向かうセオを追いかける間中画面に残ってるんですが、その場所にはカメラなんか存在してないんだから、レンズについた飛沫なんて存在するわけがありません。云うなら、見えているのが有り得ない存在です。撮り直すとなると同時進行していく市街戦全部をやり直さなければならないから、おそらく不可能だったんだろうけど、途中で不自然に消えてしまうのも含めて何とかした方が良かったと思いました。
レンズに血しぶきが付着したままの撮影って一見ドキュメンタリー風に見えないこともないものの、この場合は映画の根幹を壊しかねないようなミスだと思うんだけどなぁ。

☆ ☆ ☆

キュアロン監督は俳優を面白い使い方で見せてくれます。マイケル・ケインのほうも若干そんな感じがするけど、特にジュリアン・ムーア。
ジュリアン・ムーアに関しては、書いてしまうと、監督が用意した驚きを台無しにしてしまうので詳しくは書けないけど、観客は絶対に意表をつかれると思う。

マイケル・ケイン演じる老ヒッピーは面白かったです。白髪の長髪に小ぶりのボストン眼鏡。まるでジョン・レノンが年老いたらこんなになってたんじゃないかと思わせる風貌でした。
マイケル・ケインって新生バットマンでも思ったんだけど、年取ってから桁外れに良くなってきた俳優のように思えますね。

それと何故だか分からないけどクライヴ・オーウェンを見てて、役所広司を思い浮かべてました。似てるのかなぁ?

☆ ☆ ☆

トゥモロー・ワールド プレミアム・エディショントゥモロー・ワールド プレミアム・エディション
(2007/03/21)
クライヴ・オーウェンジュリアン・ムーア

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Children Of Men - Trailer


原題 Children of Men
監督 アルフォンソ・キュアロン
公開 2006年


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【洋楽】 Bossa Per Due - Nicola Conte

Nicola Conteはクラブ・ジャズとか、Nu Jazz的な音楽を中心にリリースしてる「Schema」レーベルのプロデューサであって、他にもDJだとか作曲家だとかギタリストだとか、複数の顔を持つ人です。イメージ的にわたしのなかでは欧州ジャズの総本山のようになってるんですが、これは全くの個人事情で、実際はどうだか分かりません。

これは1999年にリリースされた、Nicola Conteのデビュー・アルバム。デビュー・アルバムに「JET SOUNDS」というのもあるんだけど、名前が違うだけで中身は一緒のもののようです。
昔のイタリア映画から音を取ってきたような、イタリアン・ジャズ・ボッサ、というか音の感じはジャズよりもラウンジに近いかな。

☆ ☆ ☆

Nu Jazzというと、ラテン的パーカッションを駆使した複雑だけどダンサブルでノリの良いリズム、エレクトロ的な感触を伴って、機械のように正確なパターンで延々と繰り返される短いフレーズ、ボーカルはなぜかしっかりと歌わずにまるで鼻歌みたい、それでもってとにかくお洒落、お洒落一番をめざしてるような音楽としてわたしには聴こえてきます。
お洒落第一主義という点だけでも、これは同じジャズという名前を使ってるけど、アメリカのジャズとは根本的に違う音楽という気がします。

クラブ・ジャズ、Nu Jazzは、はっきり云って、わりとどれも似たような曲というか、わたしにはあまり区別がつかない感じで聴こえる時もあるんだけど、どれを聴いてもとにかくクラブ・ジャズ的なノリにすぐに持って行かれるので、踊るにはちょうど良いのかも知れません。あと、ドライブとか。

わたしはラテンものとかボサノヴァとか好きなので、ドラムだけじゃなくパーカッションとかを多用してると、それだけで知らずと耳を傾けてる傾向があるようなんだけど、これも、そういう風に知らずに耳を傾けてしまうアルバムの一つでした。

☆ ☆ ☆

曲目はこういうの

1.Arabesque
2.Bossa Per Due
3.Dossier Omega
4.Il Cerchio Rosso
5.Fuoco Fatuo
6.Forma 2000
7.Missione a Bombay
8.Jazz Pour Dadine
9.In Samba
10.Coda del Diavolo
11.Mambo de los Dandies
12.Jet Sounds
13.Trappola Mortale

3曲目の「dossier omega」とか7曲目の「Missione a Bombay」にはこういうのには珍しいんじゃないかと思うんだけど、シタールが入ってます。
4曲目の「il cerchio rosso」が軽快で、フルートの吹くメロディが東洋風というわけでもないんだけど少し違う色味が入ってるような感じで、聴いてて心地いいです。
8曲目の「Jazz Pour Dadine」はまるで「テイク5」。

4曲目以降、サンバだとかマンボだとかノリのいいのが揃ってます。

☆ ☆ ☆

Bossa Per DueBossa Per Due
(2001/06/12)
Nicola Conte

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Il Cerchio Rosso - Nicola Conte


Forma 2000 - Nicola Conte



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【洋画】 キャビン・フィーバー(BlogPet)

薄荷グリーンの「【洋画】 キャビン・フィーバー」のまねしてかいてみるね

一応劇場公開2002年応援として頂けると(ライダー・エディション(ジェームズ・デベロ)を恋人のが、汚染させ、こういう人物をつけられないの2組カップルと云えば玄関前にでもあるのかもしれない主人公の脚本に出ているとマーシーが手がけてるようなものでカレン本人に激変しませんだろうとしか云いきれず、最後はマーシー(ジョーイ・カーン)とお調子者1週間をし。
とりあえず一言で全員退場しながら近づいてたからと思ってるんだして吃驚さを修理し!!
助けを表現は助けを叩く音が出演します!!
たとえばこわごわ歩いてる主人公の中盤から感染症男はせっかくの脚本に多少はキャンプファイヤーを恋人のフレームのを伝染させるように隔離するものの、こういうタイプが周囲にばかり走る人物。
血で寛いで寛いで過ごそうね。
血でマリファナを外して遊んだと支離滅裂な表現の反応だしませんだろう。
もう一組カップルをぶつ切りにかかったという話に追い立てられたジェフのチームと思うんだしてるからいきなり大音響と共に飛び出して吃驚さを思いましたを一杯出て動く状態に一体何かとマーシー(ジェームズ・デベロ)の脚本に到着、いらいら度は焼け爛れ溶けて欲しかった車に火を当て、わたしはまさにその典型だった、それが溶けた監督は全然違うしませんでしょうという印象がおかしくなります。
誰だろうという話に向かった時を境に連絡します。

*このエントリは、ブログペットの「こめっと」が書きました。

【洋画】 キャビン・フィーバー

一応劇場公開されたみたいだし、DVDだって売られてるから大丈夫だったんだろうと思うけど、どこからも文句が出なかったのがちょっと意外な内容の映画でした。とりあえず一言で云うなら汚い映画。電車のつり革を持つのさえ躊躇うような潔癖症の人が観たら卒倒するかもしれません。ちなみにR-15指定の映画だったらしいです。

監督のイーライ・ロスはデヴィッド・リンチの元でリンチのショート・フィルムのプロデュースをしてたとか。この映画の音楽をリンチ映画の音楽をやってるアンジェロ・パダラメンティが担当していて、それがちょっと意外だったんだけど、おそらくリンチ繋がりだったんでしょう。
リンチの影が見えるからといってリンチ的な映画なのかというと、この映画、実は典型的なB級ホラームービーです。
映画はリンチよりもむしろサム・ライミの影響下にあるような感じです。
舞台となるキャビンの様子や外の風景など「死霊のはらわた」に出てくる小屋と雰囲気が酷使してました。

☆ ☆ ☆

ポール(ライダー・ストロング)とカレン(ジョーダン・ラッド)、ジェフ(ジョーイ・カーン)とマーシー(セリナ・ヴィンセント)の2組のカップルとバート(ジェームズ・デベロ)を合わせて5人の遊び仲間が、夏休みの1週間を森の中の一軒家のキャビンで過ごそうと計画した。
5人は車でキャビンに到着、その夜はキャンプファイヤーを囲んでマリファナをやったり、羽目を外して遊んだ。
その後部屋の中で寛いでいると、玄関を叩く音がする。誰だろうと開けてみれば玄関前には血だらけの男が立っていた。男は病院に連絡してくれというがバートが戸を閉めてしまう。締め出された男は5人の乗ってきた車に立てこもろうとするものの、たいまつを持ったポールに追い立てられて、争ううちに体に火をつけられたまま逃走してしまった。

男の皮膚は爛れ溶けたようになっていて、車に立てこもった時に大量に吐血した様子から見ると何かの感染症にかかってるようだった。
火がついたまま逃走した男の安否が気になったり、これからどうするか決めかねているうちに、カレンの様子がおかしくなり、程なく男と同じ感染症を発病してしまう。他の4人はカレンから感染するのを恐れ、カレンを納屋に隔離することにした。
他に感染したものがいないかお互いの体を調べあうが、発病のしるしが無いからといって感染してないとは云いきれず、お互いが疑心暗鬼になっていく。
感染症男の吐血で血みどろになった車を洗い、男と争って壊れた部分を修理して動く状態になったところでカレンを運び出そうとした時、今度は車を準備してたバートが発病する。自分が発病したことを知られたくないので、バートは一人で車を発進させ、助けを求めるために森の入り口にあった雑貨屋に向かった。
ところが雑貨屋では助けを求めるバートの血で汚れた姿を見て、バートやキャビンにいるほかの4人を助けるどころか、病気を伝染させる余所者を始末してしまおうという話に纏まっていくことになった。

☆ ☆ ☆

遊ぶことしか頭に無いバカ学生カップル2組とお調子者1人という、ホラー映画では典型的なキャラクター・タイプを揃えてるために、区別がつきやすかったということもあるけど、意外なほど人の捌きかたは上手かったという印象があります。人の出入りも観ていてほとんど混乱しなかった。
ただ、バートみたいなキャラクターはホラー映画では必ず出てくるタイプなんだけど、わたしはこういうタイプが出てくるといらいらするほうで、この映画も例外じゃなかったです。

いつもふざけていてそのふざけ具合が場の空気なんかちっとも読んでないというか、調子に乗りすぎというか、そんな行動にばかり走る人物。

たとえばこわごわ歩いてる主人公の背後に、画面のフレームの外からいきなり大音響と共に飛び出してきて吃驚させ、心臓が縮む思いをしてるに違いない主人公に、へらへら笑いながら「吃驚した?」とかほざくようなキャラクター。
バートはその典型だったんだけど、多少は控えめにしてあったり、最後は自分が感染してしまうので、ふざけてるどころじゃ無くなったりして、この映画の場合は、いらいら度はあまり高くは無かったです。
でも、わたしにはホラー映画で必ずこういう人物を配置する理由がよく分かりません。緩和させる役目なのかな?むしろこういうキャラクターはせっかく高まった物語の緊張感をぶつ切りにするだけだと思うんだけどなぁ。

スプラッターものとしてみれば、特殊メイクはKNBエフェクツが担当したらしいんだけど、2,3のメイクを除いて全体的にはあまり予算をかけてないのが丸分かりでした。感染症で皮膚が爛れたようになる表現も赤黒くでこぼこになってる程度を超えるようなものでもなかったし。
ただ、そういう造形の甘さを補うためなのか、感染した後の吐血の表現は強烈で、まるで放水してるみたいに派手に飛び散ります。そのせいでたとえば男が立てこもった車は、車全体が赤く染まるくらいに血だらけに。
感染症の恐怖が中心とすれば、病原菌が周囲に撒き散らされてるのが見て分かるようなこういう表現のほうが相応しく、低予算で特殊メイクの粗を隠すための手段だったとしたら、周囲に撒き散らされる血しぶきというのは、結果的には大成功だったと思います。

この放水するように撒き散らされる、病原菌を一杯含んだ吐血といい、この映画には人体破壊みたいな直接的なグロというよりはむしろ生理的に嫌悪感をおこさせるような表現が目立ってました。
最初に発病するカレンの感染した原因は、汚染された水を飲んだことだったんですが、この水が何故汚染されたかというと、最初に火がついて逃げた男が貯水槽に飛び込んでそのまま死んでしまったからでした。カメラは焼け爛れた死体が浮かんでる貯水槽からパイプを通ってカレンのコップに水が入るまでの経緯を丁寧に描写したりします。

☆ ☆ ☆

何の病気なのか描写する気は全く無かったようなので、感染症にかかった人がどういう経過を辿るかを見せる映画とは全然違うし、村人は余所者を殺そうとはするけど、だからと云って感染が広がっていくのを食い止めようと努力するのを見せる映画でもない。

では何かと云えば、要するに、最初は感染してる男から、その後は感染してしまった仲間から、「うつるから寄って来るな!」とばかりにひたすら逃げることを描写した、云うならば一種の「穢れ」に似た感覚を表現しようとした映画じゃないかと。
わたしはアメリカ人に穢れなんか分からないだろうと前に書いたけど、イーライ・ロス監督はインタビューで日本のホラーをべた褒めしてるんですよね。だからロス監督は日本のホラー映画によく出てくるような、こういう感覚に馴染みがあるのかもしれません。

映画でそういう感覚を代表してたのがジェフで、カレンが発病してからは必ず口元にハンカチを当て、カレンが触ったかもしれない食器から絶対に食べようとはしません。洗ったから大丈夫と他の仲間に云われても絶対に納得しない感覚はまさにその食器が穢れてると思ってるからでしょう。もちろんカレン本人には絶対に近づかない。
ジェフはそういう態度を恋人のマーシーから薄情者となじられます。
社会的にはマーシーが正解でジェフの態度は褒められたものではないんだけど、こういう感情は誰にでもあるし、また当然の反応だと思う。

結局マーシーはカレンの看護をした結果感染してしまい、あらゆる穢れから遠ざかったジェフだけが感染からは免れる結果となります。まぁジェフにはその後とんでもない運命が待ってるのは別にして、ジェフのような感覚に多少の正当性を与えた監督は感覚に正直であろうとしたってことでしょうね。

☆ ☆ ☆

映画の中盤から後半にかけての展開は、破綻してるとしか云い様の無いものでした。血だらけの車を前にしても全然注意を払わずに夜にやるパーティの話に興じる警官とか、信じられないキャラクターが一杯出てきます。主人公のポールの性格もある時を境に激変してしまうし、後半の脚本に一体何があったんだろうと思わせるような出来になってました。
一番訳が分からなかったのが、雑貨屋の店先のベンチで座ってるパンケーキ少年。助けを求めにきたバートを見るや、「パンケーキ!パンケーキ!」と叫んで、カンフーのとび蹴りなんかをしながら近づいてきて、バートの掌に噛み付きます。
これ何のための行動なのか見終わった後でも本気でさっぱり分かりません。

☆ ☆ ☆

こういう映画ではあまり見ないほど意外に美形の女優さんが出演してます。ところがカレンは早々に感染して、顔の下半分が溶けて頭蓋骨丸出しのような様相になるし、マーシーは中頃に発病、せっかくの美形女優が中ほど過ぎで全員退場してしまいます。
あとは男と支離滅裂な行動をする村人ばかりが残って、華のないことおびただしい映画に。
もう一組カップルを登場させて1人くらいは最後まで残って、美形の俳優で画面を華やかにして欲しかったなぁと、そんなことを思いました。

この映画ちょっと調べてみれば、編集は「ブルース・プラザーズ」のジョージ・フォルシーが手がけてるんですね。音楽のパダラメンティといい、特殊メイクのKNBエフェクツのチームといい、スタップは妙に豪華です。イーライ・ロス監督、人脈は凄そうです。

☆ ☆ ☆

キャビン・フィーバー スペシャル・エディションキャビン・フィーバー スペシャル・エディション
(2007/08/24)
ライダー・ストロングジョーダン・ラッド

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Cabin Fever - Trailer


パンケーキ少年のシーン

問題のシーン、映画ではこの謎の行動について、結局最後まで一切触れてくれません。

原題 Cabin Fever
監督 イーライ・ロス
公開 2002年


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【京都】 雨の中の時代祭り

映画、音楽をちょっと離れて、今回は京都のこと書きます。

昨日は京都では時代祭りの日でした。
途中からはあいにくの雨模様で、時代風俗行列も台無し。綺麗な衣装を着て行列してた人も、雨宿りするわけにもいかずに濡れたままでした。祭りが終わってからの、高価な衣装や設備のメンテナンスが大変だっただろうなと思います。
ちなみに昨日の沿道の人出は約7万6000人(府警調べ)だったそうです。

時代祭りとは云っても、昔からあるお祭りじゃなく、明治に創建された平安神宮を維持するために平安講社が作られたのを記念して始められたもので、新しいお祭りです。
10月22日なのは、この日が長岡京から平安京に都が移された日にあたるため。
時代祭りでは神儀の他に時代風俗行列が行われます。時代祭りを見に来る人はたぶんこれを見るのが目当て。
行列は、時代風俗の変化を見せるような形で並んでます。明治維新から延暦時代に向けて時間を遡るように、それぞれの時代の衣装風俗を身に纏った人が並んで行列を構成します。現在行列の長さは2キロに及ぶくらいの規模になってるそうです。この行列が京都の歴史を遡ってみせるものだったから、時代祭りと呼ばれるようになったということらしいです。

行列は正午に御所を出て、丸太町通りから烏丸通り、そこを南へ進んで御池通りで東に向き河原町通りに出てきたところで再び南向き、三条通りと交差するところで三条通りを東に曲がって平安神宮に至ります。
言葉で云うと複雑そうだけど、京都の道は碁盤の目のようになってるから、ジグザグに進んでるような形になって、実際は分かりやすいコースです。

☆ ☆ ☆

昨日、わたしは行列が目的じゃなくて、別の用事で出かけてたんだけど、三条木屋町の、このブログでも記事にしたPIZZA SALVATORE CUOMOでランチを食べてる時、この店の目の前の道が行列のコースに当ってたために、たまたま遭遇してしまったというわけです。
デジカメを持って出かけてたので、写真を撮ろうと思って撮ったのがこれ。

時代祭り01

時代祭り02

時代祭り03

何か凄くしょぼい写真(^_^;)

雨が降っていたので、身を乗り出して行列をもっと正面から撮ることができず、見物人の間を通して撮った、真横からの写真ばかりになったんですが、行列は真横から撮ると行列に見えないですね。たまたまフレームに入った人がただ歩いてるだけみたいな絵になる。
おまけに馬が珍しかったので、馬ばかり撮ってると、行列は馬の周囲はやはり危ないせいか人のパートは少し離して並ぶような配置になっていたので、結果、帰ってからPCに取り込んで確かめてみると、馬単体が写ってるようなものばかりになってました。この写真を見て2キロにも及ぶ行列の写真だとは到底思えません。

ゆっくりと結構立ち止まりながら進む行列で、馬が苛立つのかしきりに足を上げて蹄で道路を打ち鳴らしてました。そういう場合はその場で小さな円を描くように馬を歩かせてました。あれが苛立ち解消の方法だと思ったんだけど、違ったかな。

ウエスタンのことを書いた直後だったので、あの馬が暴走しだしたら映画見たいになるなぁと思ってましたけど、いかにも暴れだしそうになっても結局うまく押さえ込まれてました。


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【洋画】 マカロニ・ウエスタン 800発の銃弾

わたしはこの映画、観る前に勘違いしてました。800発も弾丸を撃つ壮絶な銃撃戦ウエスタンだと思ってた。
でも違うんですよね、この800発の意味。どうやらたった800発しか銃弾が無い状態で戦い抜くっていう逆の意味らしい。
お互いが1発づつしか弾の出ないような拳銃やライフルで戦う程度で、800発は数としてそんなに少ないのかというと、この映画、基本的に西部のガンマン同士が戦うお話でもありません。
相手は機動隊並みの装備をした警察部隊です。そしてこういうのが相手なので時代は当然現在。
つまり、マカロニ・ウエスタンそのものでもない訳で、では何かというと、この映画、実はマカロニ・ウエスタンのスタントマンのお話です。

☆ ☆ ☆

スペインのアルメリアにある撮影所「テキサス・ハリウッド」では、昔マカロニ・ウエスタンの撮影隊がやってきて映画を撮影し、賑わってた場所だったが、マカロニ・ウエスタンが他の映画に人気を取られると、後は寂れていく一方となり、「テキサス・ハリウッド」はやがてウエスタン村となり、仕事にあぶれたスタントマンだちがそこでウエスタンショーをするようになった。
そこの座長であり保安官役の、フリアン(サンチョ・グラシア)は、かつてクリント・イーストウッドのスタントマンをやったのが自慢だった。そのフリアンのもとにある日孫の男の子カルロス(ルイス・カストロ)がやってくる。
カルロスの父もスタントマンで、フリアンと共に仕事をしていたがスタント中の事故で亡くなってしまっていた。フリアンと亡くなった父のことは母ラウラ(カルメン・マウラ)の思惑でカルロスには詳しく伝えられてなかったが、ある日カルロスは祖父のガンマン・スタイルの写真を見つけて興味を持ってしまい、祖母からはフリアンがまだ生きていることも教えてもらった。
カルロスはある日スキー教室に行くバスから逃げ出して、単身で祖父のいる「テキサス・ハリウッド」を訪れる決心をする。

フリアンは息子がスタント中に亡くなったことで責任を取らされて刑務所にも入った前歴があって、このウエスタン村で家族とは距離を置いた生活を送っていたが、突然現われた孫に戸惑いながらも、亡き息子への思いを重ねるように親密になっていく。
孫のカルロスもフリアンが話す大スター、クリント・イーストウッドと友達にもなるほど親密だった話や、スタントマン時代の物語で祖父フリアンに親しみ、尊敬するようになっていった。

カルロスは他の陽気な元スタントマンたちとの生活も楽しんでいたが、カルロスがスキー教室から行方をくらませたあと、行き先に見当がついた母ラウラがウエスタン村にやってくる。
不動産業を営むラウラは夫の死の原因がフリアンにあると思い、復讐心からフリアンの夢を潰し息子を奪い返すために、ウエスタン村をアメリカ資本主義形のテーマパーク建設計画に売り渡す案を実行する。
地上げが迫って、ウエスタン村を追い出されようとする元スタントマンたちは普段ショーで使ってる空砲を実弾に変えて、ウエスタン村に立てこもることに。
立てこもり事件はやがて警察部隊の出動を招くほどの大ききな事件に発展していく。

☆ ☆ ☆

まず、風景が素晴らしいです。荒涼としたまさしくウエスタン的な風景が堪能できます。でも考えてみればそういう風景があったからこそアルメリアはマカロニ・ウエスタンの撮影に使われたのだから、これは当たり前と云ってしまえは、当たり前ですよね。
そしてそういう荒涼とした風景の中の、寂れたウエスタン村に、男たちが配置されます。

時代に取り残されたおいぼれ元スタントマンの話ということで、ものの見事に美形の俳優は出てきません。癖のある悪役面のやつばかり、しかもスター的なオーラ皆無で、みんな薄汚く、汗臭そう。そういう連中が綻びまくってずたずたになった夢の残滓を纏ってウエスタン村を歩き回ります。
演じるスタントマンのほうがショーを見に来る客よりも多いという状態で、誰が真剣に注目してるわけでもないのに、今日は手をつかずに屋根から落ちることが出来たとか、そういうことに満足し、みんな楽しそうにショーを演じてる。

こういう刹那に生きてるような男たちの日常や、ウエスタン村にやってきたカルロス少年との交流は、人情劇として面白かったです。

でも中盤まではこういう状態で引っ張っていく映画なので、ウエスタンを観ようとしてたら、物凄くかったるいことになります。
と云うか、映画の中盤過ぎまで、画面で展開されるのはウエスタンじゃなくて、ウエスタン・ショー。
観客は映画の中でまばらに見物してた観光客同様に、そのショーを見せられるだけで、「ウエスタン」は映画のどこを取っても体験させてくれません。

☆ ☆ ☆

後半の機動警察部隊との篭城戦は説明不足の上にちぐはぐな演出が目立つような感じでした。派手なんだけど、どこかいまひとつ。
機動警察隊は最初はゴム弾を使ってたのに、そのうち実弾を使い出します。この装備変更はフリアンらが800発の実弾を威嚇じゃなく本気で使い出したからなのは分かるんですが、警察の方の実弾を使うことへの葛藤みたいなものが全然挟み込まれないので、装甲車両の到着、隊員入れ替えのシーンを置いただけで、ゴム弾が実弾に変わってるという展開になります。
全体にコメディ・タッチで進んできたのに説明もなしに結構ハードなシリアス路線が混入してくるから馴染まない部分が頻出。元スタントマンが銃弾を受けて倒れるんだけど、警察が実弾を使い始めてもフリアン側はまだウエスタン・ショーをやってる雰囲気が残ってるから、演技で倒れてるようにしか見えません。

警察隊との銃撃戦を観ていて、タイトルが暗示するような大量の弾丸が飛び交う映画を期待して観てはいたんだけど、実際に大量の弾丸が飛び交いだすと、西部の町で機動隊はやはり全然そぐわないという感じが終始頭にちらついてくるようになりました。ウエスタンで本当に観たいのはもっと他にあるというような感じ。
そういう感想を見越したのか、映画は最後に機動隊との戦闘から離れて、拳銃一つでにらみ合う、一触即発の西部劇的な一騎打ちに持ち込んでいきます。わたしはここにきてようやくワクワクしてきました。
期待してたのは集団銃撃戦だったのに、この映画の場合はそれよりもオーソドックスな一騎打ちのほうが絵になって面白かったです。

☆ ☆ ☆

観て思ったのは、これは「ニュー・シネマ・パラダイス」のウエスタン・バージョンだってことでした。
あちらは映写技師でこちらはスタントマン、両方とも映画に関わってるけど中心にいるわけじゃない。
映画についての映画みたいなスタンスを取っていて、さらに両方とも少年が軸になってる。
この映画もウエスタンという形を借りて大人と子供の心の交流、というか子供が大人を理解し、成長していく過程を描いた映画と見る方が相応しいような気がします。

実際この映画でカルロス役をやった少年ルイス・カストロが結構良いんですよね。
画面に登場した最初は新居の自宅で引越しの手伝いをする大人の邪魔をしたり、まるでテロリストみたいなコスプレで画面中騒ぎまわったり、喧しくて邪魔な子供としか見えなかったのに、祖父のフリアンと出会ってからは、基本は憧憬の感情があるせいか、苛立たせる部分が影を潜めます。

そしてカルロスが祖父を理解するにつれ、この子を通すことによってフリアンの心の形も観客に見えやすくなってくる。普通に見ればどうしようもない人生なのに、カルロスの側でカルロスの見るフリアンを一緒になって感じ取ってると、まぁどうしようもない人生なのは変わらないにしても、他人には絶対に分からない矜持とか、ちょっと違う形も見えてくることになります。

☆ ☆ ☆

↓ちょっとばかりネタばれ気味の書き方してます↓

この映画、中身の大半は無理やりウエスタン・ショーを見せられて、なんだかなぁという気分で付き合うことになりがちな代物なんですが、ラストは良いです。何が良いって最後に「あの人」が出てくる。
そしてカルロス少年に「俺と おじいちゃんは友達だった」と伝える。

カルロスとフリアンは篭城戦の最中に仲たがいしてしまいます。フリアンがカルロスの父の事故の時に、一緒にスタントをやっていて責任を問われたことをカルロスに話さなかったことで、カルロスはフリアンが嘘つきで、今まで自分に云ってきたことが全部でたらめと決め付けてフリアンの下を去って行きます。

ところがあの人のこの一言が、紛い物に見えたフリアンの夢をきっちりと修復してカルロスの心に届ける仲介となるわけです。カルロスはこの一言で祖父フリアンの心の形を完全に理解することになります。
映画はカルロス少年の晴れやかな顔で幕を閉じることになりますが、少年の表情がまた良い。

一つ画竜点睛を欠くのが、「あの人」を本人じゃなくて、別人が演じてること。これはなにがどうなっても本人に出て貰わなければ格好がつかないのに、どうして妥協してしまったのかなぁ。

☆ ☆ ☆

マカロニ・ウエスタン 800発の銃弾マカロニ・ウエスタン 800発の銃弾
(2006/03/24)
サンチョ・グラシアアンヘル・デ・アンドレス

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800 Bullets Trailer



原題 800 Balas
監督 アレックス・デ・ラ・イグレシア
公開 2002年


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【洋楽】 Waltz For Debby - Bill Evans Trio

1961年6月25日のニューヨーク、ヴィレッジ・ヴァンガードでのライブの記録なんですが、半世紀ほども経ってるのに未だにジャズCDの売り上げトップ10に入ってくるような怪物アルバムになってます。
当時の演奏者はビル・エヴァンスのピアノ以外ではベースのスコット・ラファロと、ドラムのポール・モチアンの三人。
この日の演奏はビートルズの記事で書いたような云い方をすれば、音楽の神様が確実に舞い降りてきてました。ところがCDを聴けば分かるんだけど、この日のヴィレッジ・ヴァンガードの客はあまり演奏を聴いてないんですよね。食器の触れ合う音とかがよく入ってくる。この日、この場所にいた客はのちに歴史的な演奏になるものの真っ只中にいたのに、どちらかというと飲み食いの方に気を取られてたようです。
1961年6月25日のヴィレッジ・ヴァンガードでビル・エヴァンス・トリオの演奏に聴き惚れてたのは音楽の神様だけだったかも知れません。

☆ ☆ ☆

このトリオの一番の特徴は「インター・プレイ」とでも云うようなものです。
普通この頃のこういう形態での演奏はベースとドラムが下地を作って、その上をピアノが駆け回るというようなものを中心に組み立てていたんだけど、この3人の演奏は、3人ともが同じフィールドに上がってそれぞれソロに近いような演奏で触発し合いながら進めていくスタイルを取ってました。

親密な会話でもするように絡み合ったり、投げかけ、受け渡したりしながら進む音楽。この3人が演奏したのはそういう音楽です。
エヴァンスが「次の考えが読める信じられないような奴」と云い、モチアンが「演奏に自由を発見したのはスコットがいたから」と云うように、こういう演奏を可能にした要の部分にスコット・ラファロという天才ベーシストがいました。

ところが、まるで映画の中の出来事のように、このヴィレッジ・ヴァンガードでのライブの11日後、スコット・ラファロは交通事故で亡くなってしまいます。この時ラファロはまだ25歳。
ヴィレッジ・ヴァンガードでの緊密な演奏をした直後に音楽の要を失ってしまったエヴァンスは精神的なショックで以後半年くらいの間、ピアノが弾けなかったらしいです。

後の演奏でベーシストを含めてメンバーをとっかえひっかえしながら音楽活動を続けることになるんですが、違う可能性を求めてるような部分もありながら、ラファロの完璧な代役を求めて、1961年6月25日にたえす立ち返ろうとする衝動も秘めていたんじゃないかと思います。

☆ ☆ ☆

わたしはビル・エヴァンスのCDを聴くと、闇の中で輝いてる青白い炎のようなものを連想するんですよね。でも触っても全然熱くないような不思議な炎。わたしにとってのビル・エヴァンスはそんなイメージ。

ビル・エヴァンスの生涯はスコット・ラファロから始まって奥さんとお兄さんを自殺で失うなど、ピアニストとしての名声は手に入れたけれど、喪失の生涯でした。晩年は麻薬に蝕まれて肝硬変で亡くなってるんですが、病院には行こうとしなかったらしいです。

自分から大切なものを奪っていくような世界に対して、そんな愚劣な世界を作った神様に、神様が作った世界よりも美しいものを少しだけ残して、さっさとけりをつけて消え去っていった人みたいな印象があります。

☆ ☆ ☆

ワルツ・フォー・デビイ+4ワルツ・フォー・デビイ+4
(2007/09/19)
ビル・エヴァンス

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My Foolish Heart - Bill Evans Trio

Village Vanguardでの演奏ではないんですが…。

この日の録音にはもう1枚「Sunday at the Village Vanguard」というのがあります。「Sunday at the Village Vanguard」はラファロへの追悼盤のような編集で、ラファロのベースがより楽しめるような構成になってる感じ。
同じ日の演奏を振り分けてるだけなのに、知名度はなぜか「Waltz For Debby」に負けてしまってます。

「My Foolish Heart」は「Waltz For Debby」の1曲目。
作詞がネッド・ワシントン、作曲がビクター・ヤング。サリンジャーの短編小説をスーザン・ヘイワード主演で映画化した、1949年の映画「My Foolish Heart (邦題 愚かなり我が心)」の主題歌です。


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【洋画】 ビロウ

製作、脚本のダーレン・アロノフスキーは「π」を観た時に、アートっぽい作りで観客を煙に巻いてるような、どうも山師的なイメージを持ってしまって、未だに印象があまりよくないです。
監督、脚本のデヴィッド・トゥーヒーは、ここで記事にした「リディック」の監督です。この人はそれなりのアクション映画を小気味よく作れる監督っていうイメージでしょうか。

これ、潜水艦が舞台の映画です。でも潜水艦映画と云っても、敵軍の駆逐艦とか潜水艦が相手のアクション映画じゃなくて、相手は艦にとりついた亡霊というホラー映画仕立て。
幽霊船がモチーフの映画はそれなりにあると思うけど、潜水艦が舞台になってるのに、敵の描写よりも乗組員が亡霊相手に翻弄されることに終始する映画って物凄く珍しいんじゃないかと思います。それとも単純にわたしが知らないだけかな?
たとえ「閉ざされた環境でのホラーもの」っていうよく有るパターンを頭においての思いつきだったにしても、ホラーものと潜水艦なんて、なかなか簡単に結びつくものじゃないです。

☆ ☆ ☆

第二次大戦中、米国潜水艦タイガー・シャーク号は撃沈された英国病院船の生存者3名を救出する任務を与えられて、生存者が漂流している現場に向かい、その3人を救出する。
生存者を艦内に運び込んで見ると、そのうちの1人クレア・ページ(オリヴィア・ウィリアムズ)は女性だった。潜水艦の乗組員の中には女が艦内に入ってくると不吉だと信じてるものも多かった。

女が一人混じるという余計な緊張を持ち込んだまま航行を続けて、やがて敵艦に遭遇。
海中でやり過ごそうとしたけれど、乗組員が息を潜めてる最中に艦内で突然ベニー・グッドマンのレコードが大音響で鳴り響いた。その音で気づかれてドイツ軍と戦闘になり、ダメージを受けつつもその場は逃走に成功するが、レコードをかけたのが誰なのかは結局分からなかった。
このレコードをきっかけに、潜水艦内では不気味な囁き声を聞いたり、亡霊のようなものを目撃するものが出始めることになる。
女を乗せたからこんなことが起こり始めたとか、艦に何かがとりついてるという不安感が広がる中で、乗組員の疲労度も高まっていく一方だった。

女を乗せてしまったために、本当に何か邪悪なものが潜水艦にとりついてしまったのか、それとも内部に敵が侵入して破壊工作をやってるのか。
オデル少尉(マシュー・デイヴィス)は艦内の異常を追ううちに、前艦長ウィンターズの死因に疑問を持ち始め、一連の不可解な出来事はこの前艦長の出来事に関係してるのではないかと思い始める。
いっぽうクレアも艦長代理のブライス大尉(ブルース・グリーンウッド)の部屋で航海日誌を読み、前艦長の死に不可解な印象を受けることになり、この艦には何か隠された秘密があると気づき始めた。

艦のなかで生じてる不可解な出来事の原因を探し、艦に隠された秘密を探ってるうちに、潜水艦は舵が全く取れなくなるような原因不明の暴走を始め、そんな状態の中、空気が汚染されはじめた艦内で高濃度の水素による爆発が生じて、ほとんどの乗組員が死亡する大惨事が起きる。

☆ ☆ ☆

まるで岩肌のような不思議な質感の海面と、そのうえにかぶさるようにPBYカタリナ飛行艇が画面下からゆっくりと出てくるオープニングのシーンが異様で、不気味な映画の導入部分としてはかなり良い感じ。スローモーションでプロペラがゆっくり回るのとシンクロするように流れる、プロペラ音をモチーフにしたようなBGMも画面の異様さを倍化させる感じでよく合ってます。
まず観客の注意を引くような目的の出だしなら大成功というところでしょうか。

映画は前半で気味の悪い雰囲気作りに勤しみ、中間部分で乗組員が心霊現象や戦闘で追い詰められて疲弊していく恐怖、終盤でお約束の如く乱心した艦長による破局と、手順を守って、ある意味端正な映画作りをやってるように見えました。

ところが、冒頭からの「何かが始まりそう」みたいな不気味な雰囲気の場面は、期待も入ってるからそれなりにのめり込んで観てられるんだけど、中間部分になると、逆にあまり怖くなくなってしまうんですよね。と云うかどこが怖いのかいまひとつよく分からなくなる。
基本的に洋画で見せようとする幽霊そのものとかは大抵あまり怖くないということもあって、この映画も例外じゃなかったです。
白いメイクをした顔が何かの反射に映り込んだり、一瞬視界を横切ったりするのが繰り返されるだけ。
むしろ頭上にいる敵艦をやり過ごしたり、巨大フック攻撃で船体がずたずたに引き裂かれていくようなシーンのほうが怖いです。
潜水艦そのものが持ってる恐怖の方が高いのに、わざわざそれほど怖くない心霊ものをくっつけて、そちらを中心にしたために、恐怖の輪郭がぼけてしまってるという感じでしょうか。
この映画もまた大音響吃驚演出を使ってるので、怖さよりも吃驚するほうだったら予想以上に堪能できるかもしれません。

幽霊はこういう出方をするんだけど、霊の正体は最後まで明かされないので、霊の顔がはっきりと出てきても、何か得体の知れないものに取り付かれてるという感じは最後まで維持してたような感じでした。
これ、霊の正体に関してはミステリー仕立てになっていて、潜水艦ものであって、ホラーでもあって、その上ミステリーまで揃えてるとなれば、結構豪華な映画だったのかな。

☆ ☆ ☆

心霊ものという要素が付け加わったために、潜水艦ものとしてどこか邪道みたいな印象がついてるように思えるけど、潜水艦ものとしてはそんなに酷い出来じゃなかったです。

機雷攻撃を受けた時の、不発というかまだ爆発してない機雷が1個、艦の甲板を水中だからゆっくりと転がっていくシーン。
艦の内側でその音を聞いてる乗組員の緊張とか凄くよく伝わってくるし、ゆっくりと転がっていく機雷というイメージも恐怖感があってよかったです。

☆ ☆ ☆

キャスティングは有名俳優を使わずに、全体的に地味でした。
スナッチで一人スポットライトが当ってるように見えたと書いたジェイソン・フレミングが乗組員の役で出てます。この人やはりかっこいい。主役級で出てた俳優よりも目立ってます。

☆ ☆ ☆

ビロウビロウ
(2003/09/25)
マシュー・デイヴィスブルース・グリーンウッド

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Below Trailer


原題 Below
監督 デヴィッド・トゥーヒー
航海 2002年


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【洋楽】 Feels - Animal Collective

アニマル・コレクティヴはアメリカ、ボルチモア出身でニューヨークを活動拠点にしてる音楽集団です。エイヴィー・テアとパンダ・ベアの2人によって、2000年に結成されました。
このアルバムはアニマル・コレクティヴの6作目で、2005年にリリースされてます。

アニマル・コレクティヴっていう名前はどういう意味なんだろうって思ってたら、どうやら「コレクティヴ=集合体」ということで、このバンドはバンドとしてきっちりした形が決まってるんじゃなくて、アルバムによって集まるメンバーの数が違うという形をとってるらしいです。
「Feels」製作時はディーケン、ジオロジストの二人を加えて4人構成になってた模様。

☆ ☆ ☆

ジャンルとしてはポスト・ロック辺りに入るんだろうけど、全体像はちょっと掴みにくいバンドかもしれません。って云うより、こんな音、どう表現したらいいんだろう…。
一言で云うとするなら、いろんな音楽ジャンルがごちゃごちゃと混ぜ合わせてある音楽、無節操に見えながら意図的でもありそうな、奇妙なハイブリッド感覚に満ちあふれた音楽とでもいうのが一番ぴったりくるのかな。
ロックにフォークにサイケにテクノ、エレクトロニカもあればゴスペルもある。そういうにぎやかな要素が意外なほど綺麗なコーラスワークヤメロディで繋がっていくような、そんな感じの音楽です。

わたしがこのアルバムを最初に聴いた時、いろんな要素が繰り出されて耳に届いてくる中で一番印象に残ったのは、風変わりなタイミングや構成で混入してくるけれど、カラフルで甘美な響きを持ったコーラス・ワークとメロディでした。
アルバムから流れ出してくるのは、いろいろなものが混ぜ合わせてあって、曲の進行も起承転結があるのかないのかもう一つよく分からないような、云ってみれば全体的にはグロテスクな音楽なのに、この部分は曖昧さもなくきちんと聴こえてくる。
最終的にサイケデリックでいろんなものが混ざり合って混沌とした外観に仕上げてしまうにしても、そういう音楽で、この甘いコーラスワークを維持し続けてる作り方は、思いのほか新鮮に聴こえてきました。
こういうところがアニマル・コレクティヴの音楽の特徴なのかもしれません。

☆ ☆ ☆

ジャケットは毒気を抜いたヘンリー・ダーガーみたいで面白いです。音楽内容と意外と合ってるような気がします。

☆ ☆ ☆

FeelsFeels
(2005/10/18)
Animal Collective

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Did You See the Words? - Animal Collective


Loch Raven - Animal Collective



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【洋楽】 Aretha Sings The Blues - Aretha Franklin

国内盤のタイトルは「スリル・イズ・ゴーン(アレサ、ブルースを歌う)」だったかな。コロンビアと契約し、1963~1965年の間に歌ったもののなかから、タイトルに合うような曲を選んで1枚のCDにまとめたコンピレーション・アルバムです。

ただし、Sings The Bluesと云う割にはブルー・ノート・スケールを使ったような、典型的なブルースみたいなのはほとんど入ってなくて、どちらかというとジャズ的なバラードが中心になってるといった感じのアルバムです。わたしは典型的ブルースで固めてあるよりも、そっちの方が好みでした。

☆ ☆ ☆

アレサ・フランクリンといえば、父親が教会の牧師で、その教会で歌っていたゴスペルが出発点となって、のちにソウルに転向した歌手です。60年代後半辺りは、クィーン・オブ・ソウルと云われるほどの存在となって、オーティス・レディングと人気を二分するような感じだったそうです。

アレサ・フランクリン

「Rev. C.L. Franklin/Aretha Franklin」というレコードがあって、これは父親の教会での説教集みたいな記録なんだけど、この中に教会で歌ってるアレサ・フランクリンの声も収められてます。
これも以前に聴いたことがあるんだけど、これを聴いてちょっと吃驚したのが、黒人の教会というのは、聴衆との掛け合いもあって、もうほとんどコンサート会場みたいになるんだということ。
教会の中で牧師も聴衆も一緒になって大騒ぎしてるようにしか聴こえません。

アレサ・フランクリンは既にこのなかで盛大にシャウトして歌ってました。

☆ ☆ ☆

ソウル歌手として成功する前、コロンビアでは白人の音楽マーケットを意識して、教会でシャウトしながら歌っていたようなゴスペル色を控えめにした、ポップ歌手的な売り方でアレサ・フランクリンを売って行こうとしたらしく、でもその戦略は結果的には失敗してあまり売れなかったそうです。
だからこれは評価があまりよくない時期の曲を集めてるものになってしまうんだけど、ある意味癖の無いところが聴きやすいという部分もあって、わたしはよく聴きます
ソウルフルな部分が完全に姿を隠せるわけでもなく、ジャズ的なバラードを歌っていても根底ではソウルフル。そういうところが見え隠れしてるのに気づくと、けっこう面白く聴けます。

☆ ☆ ☆

Take A Look - Aretha Franklin


I Wonder (Where Are You Tonight) - Aretha Franklin


このコンピ・アルバムでは、このバラードが一番のお気に入り。





国内盤とは収録曲が違うみたい。わたしはこちらのほうが好き。




2017年1月に加筆訂正。








【洋画】 スナッチ

個性の塊みたいな癖のある俳優が集まってるので、「オーシャンズ~」みたいにそれぞれが得意な能力を生かして、犯罪を成功させる物語だとばかり思ってたら、全然違ったお話でした。この映画、奪われたダイヤを中心に複数の犯罪集団が入り乱れる話です。

しかも映画に出てくる組織、集団の全部がダイヤを中心に動いてるかといえば、全然違うストーリーラインなのに間接的にダイヤ争奪戦のストーリーと接触して巻き込まれていくラインもあって、物語としてはかなり複雑。そのうえ登場人物が10人くらいいるという、完全娯楽映画で後には何も残らないくせに、やたらと頭を使わせるような映画でした。最初に注意をそらしてしまうとまずほとんど理解できなくなるのは確実。

☆ ☆ ☆

話の舞台はイギリスです。
フォー・フィンガー・フランキー(ベニチオ・デル・トロ)が86カラットのダイヤを盗み出したのが始まり。
それをきっかけにどういう人物が登場してくるかというと、

フランキーが強奪したダイヤを、買い取って捌こうとするマフィア、アヴィー(デニス・ファリナ)と、盗品宝石の裏取引屋ダグ・ザ・ヘッド(マイク・リード)。
アヴィーはダグから電話で、無類の博打好きであるフランキーが賭けボクシング会場に行ったと聞かされ、博打では歯止めが利かないフランキーを制止するべく、アメリカからイギリスまで渡ってきて、フランキーを確保しようとする。しかしフランキーは行方不明になっていて見つからない。
フランキー探しに雇ったブレッド・トゥース・トニー(ヴィニー・ジョーンズ)通称「弾丸歯」とともにアヴィーはフランキーを探し回ることに。

フランキーの仲間割れしたメンバーから、そのダイヤを盗み取る依頼を受けたロシア人ボリス・ザ・ブレイド(ラデ・シェルベッジア)通称「銃弾をくぐる男」。
ボリス・ザ・ブレイドは賭博好きのフランキーを賭けボクシングに誘い出し、依頼した強盗に襲わせる計画を立てる。
そこでボリス・ザ・ブレイドから賭けボクシングのノミ屋を襲うように依頼されるのは黒人の質屋ソル(レニー・ジェイムズ)と、同じく質屋のビニー(ロビー・ギー)と逃がし屋のタイロン(エイド)の3人のお笑い強盗団。

裏組織の総元締めで冷酷無比なブリック・トップ・ポールフィールド(アラン・フォード)通称ネメシス。
賭けボクシングの日にノミ屋に強盗が入ったことで、この強盗団を探し出すことになって、これが間接的にダイヤのラインに絡んでいく事になる。

裏ボクシングのプロモーターのターキッシュ(ジェイソン・ステイサム)とトミー(スティーヴン・グラハム)。
パイキー(映画では放浪民と出て来ます)とのいざこざで間近に迫った裏ボクシングのボクサーを潰され、このままでは元締めのブリック・トップに殺されてしまうと思って、無類の強さを誇ってるパイキーのミッキー・オニール(ブラッド・ピット)を裏ボクシングの代役に立てようとする。
ブリック・トップがダイヤの存在を知ったために、ターキッシュとトミーも、元はダイヤなんか全然関係なかったのに巻き込まれていくことに。

☆ ☆ ☆

こういう連中が入り乱れて、話が進んでいきます。話はもつれて要約なんてほとんど不可能。

演出はとにかく凝ってます。ありったけの技巧を凝らしてる。
「スタイリッシュ」って一言云えばその言葉がそのまま当てはまりそうな画面の作り方をしてます。オープニングのビデオモニターを使ったクレジットとか、シーンの繋ぎ方とか、そのまま編集するのが恥だとでも思ってるんじゃないかというようなカットが一杯詰まってる。
この映画、2000年公開だから、それ以降の映画で散々使われてありきたりになってしまった手法、たとえばアクションシーンのスローモーションとか、そういうものも一杯あるんだけど、それでもスタイリッシュな映画ということは十分に伝わってきました。

ただ、こういう複雑な話でこれだけ演出に凝られると、くどさの方が目立ちそうな感じも受けます。映画全体はスピード感のある編集をしてるんだけど、ただでさえややこしい話がカット割りとかいちいち趣向を凝らして切ったり、繋げたりしてあると、混乱に混乱を重ねるような結果になりそう。
もっとも、人物が次から次へと登場する最初の部分を注意深く乗り切ってしまえば、とにかく区別のつきやすい個性の塊みたいな俳優ばかり出てきてるので、演出や複雑な物語で振り回されはしても、意外とそれなりに理解しながら観られる映画でもあるんですけどね。

観ていて思ったのは、これ、タランティーノだってことでした。
男の見本市みたいに癖のあるいろんな男ばかり出てきて、血なまぐさい話の真っ最中に馬鹿げた会話やシーンが挟み込まれる。変わった男が右往左往するのが面白がれるなら、まず間違いなく楽しめます。
アヴィーがブレッド・トゥース・トニーに「弾丸をくぐる男」の由来を訊くエピソードなんて、タランティーノ的で、人を食っててなかなか面白いです。

☆ ☆ ☆

ブラピが出てるものの、扱いは脇役。でも脇役の癖に存在感は話の中心に絡む人物よりも遥かに大きく、やはり大したオーラを持ってる俳優だと再認します。
パイキー、要するにジプシーなんだけど、アイルランド系のわけの分からないなまりのある言葉を話し(意味不明の字幕がでます)、壊れた車を騙して売りつけるようないんちき臭い人物を好演してます。なまりでほとんど分からなくなった言葉というのも、雰囲気は凄く伝わってきてました。
パイキーの居住区のシーンでブラピといつもつるんでるダレン(ジェイソン・フレミング)が、物語的には背景の添え物のような扱いに過ぎない人物だったんだけど、わたしには一人だけ小さいスポットが当ってるように注意を引いて、かっこいい俳優に見えました。

ベニチオ・デル・トロのあっけない最後は意外だったかな。場面場面で物凄くかっこつけて出て来て、物語の発端であるダイヤの強奪者でもあるのに、あの馬鹿げた最後。ベニチオ・デル・トロは、もうちょっと観たかったんだけどなぁ。

☆ ☆ ☆

ただ、これだけ入り乱れてもその割りにスマートさも保ち続けてる映画だから、最後も切れ味のある終わり方をするかと思ったら、文字通り力任せの終わり方をしたので、これはいまいちでした。
あの終わり方だと、どんな話が前に来ていても簡単にけりがつけらるんじゃないかと。

☆ ☆ ☆

スナッチ デラックス・コレクターズ・エディションスナッチ デラックス・コレクターズ・エディション
(2007/05/30)
ベネチオ・デル・トロブラッド・ピット

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Snatch - Trailer


原題 Snatch
監督 ガイ・リッチー
公開 2000年


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元凶感心しないです(BlogPet)

きょうこめっとが底面を覚醒しなかったー。
だけど、薄荷グリーンのモノクロームに吃驚しなかったー。
でも、薄荷グリーンと物語っぽいドリフトした?
だけど、美人が集中したいです。
でも、薄荷グリーンで画面を到達するはずだったみたい。
だけど、元凶感心しないです。
それで薄荷グリーンは薄荷グリーンは実験匹敵したいなぁ。

*このエントリは、ブログペットの「こめっと」が書きました。

【洋楽】 Felt Mountain - Goldfrapp

ヴォーカル、兼キーボード、コンポーザーのアリソン・ゴールドフラップと、同じくコンポーザーのウィル・ グレゴリーの2人組み。イギリスのエレクトロニカ・ユニットです。
ユニット名はアリソンの名前から取ってるみたいですね。
「Felt Mountain」はこの2人組のファースト・アルバムになります。リリースされたのは2000年。全英でゴールド・ディスクを獲得したそうです。

このアルバムは耽美的というか退廃的というか、朽ち果てていくような感覚に満ちていて、イギリスというよりヨーロッパ産と云った方が似合うような音作りになってます。古いヨーロッパ映画のサントラでも耳にしてるような感じ。

退廃的なサントラと云えば、わたしはデヴィッド・リンチの音楽をよくやってるアンジェロ・バダラメンティなんかを思い浮かべてしまうんだけど、バダラメンティが作るような音楽に比べると、ゴールド・フラップの退廃は随分と輪郭がはっきりしたもののように思えます。
絵に描いたような退廃具合というか、割と分かりやすい。その分ちょっと飽きが早そうなところもあるように感じます。

☆ ☆ ☆

このユニットはアルバムごとに違うタイプの音楽をやる主義のようで、「Felt Mountain」のゴシック調から、セカンドでは早くもエレクトロ・ポップみたいな音楽に変化してます。
「Felt Mountain」からはダウナー系のビートとか80年代風のアナログ・シンセ・サウンドとかは継承されてる部分もあるけど、重要な要素だったオーケストラを使ってるような部分の比重が結構少なくなって、印象がかなり変わってしまうことになります。

☆ ☆ ☆

ジャケットは第一印象は目を引くところがあるものの、何回も見てるとそれほどよく出来てるっていう感じはしなくなってきますね。だって鏡面対称にしてるだけだし。
美人で魅せてるけどデザインとしてはそれほど特徴があるわけでもないです。

Felt MountainFelt Mountain
(2000/09/19)
Goldfrapp

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Lovely Head - Goldfrapp


Utopia - Goldfrapp



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【洋楽】 Revolver - The Beatles

「FSOL」の記事でこのアルバムのことをちょっと出したので、これについても少し書いておきます。ちなみに、わたしはビートルズ好きです。

わたしのビートルズ・マップみたいなものを記してみると、初期の2枚のアルバムは両方とも傑作、そのあとの「ア・ハード・デイズ・ナイト」と「ヘルプ」の2枚は傑作の駄目押しみたいな扱いです。初期の2枚でとにかく曲の独創性、質の高さなど、その存在を強烈に印象付けた上に、その後で捨て曲無しのアルバムをさらにリリースできるパワーは文句なしに凄い。
「ア・ハード・デイズ・ナイト」と「ヘルプ」の間でクリスマス商戦にあわせるためにリリースされた「ビートルズ・フォー・セール」はこの2枚からはちょっと落ちる感じがするけど、コンサート活動などで疲れ果ててる時に仕上げたにしては、シンプルでもそれなりのレベルはきちんと維持してる印象があります。
落ちる感じなんて書いたけど収録曲の「No Reply」とか大好き。

「ラバー・ソウル」が個人的には駄目なほうのアルバムに入るかもしれません。今ではほとんど聴かなくなってます。このアルバムは迷いに迷ってる感じがする。
初期のビートルズ・タイプで続けていくにはいろいろ限界を感じてきて、でもだからと云って次のステップをどうするかも見えてこないという状態が音を聴いてるだけでも伝わってきそうな感じのアルバムです。「ミシェル」なんか「ヘルプ」収録の「イエスタデイ」の二番煎じ狙いだし、「ガール」で入ってくる、吸い込む息の装飾音もはっきり云って意味不明。あんな音入れなかったほうがずっと良かった。

初期のビートルズには明らかに音楽の神様が降りてきてたと思うんだけど、この辺りで初期タイプを導いてきた神様はどこかにお出掛けしてしまったような感じがします。
そしてこのアルバム、「リボルバー」。
「リボルバー」は音楽の神様が留守にしてしまった「音楽の荒野」を前にして、4人がそういう荒野を見据えながら、神様の手助け無しに自らの力を信じて作り上げたアルバムのような印象があります。
何よりも凄いのは、迷いに迷った「ラバー・ソウル」なんてもうどこにも引きずってない形で、なにかふっ切れたみたいに初期絶頂期とも全く違う音楽を組み上げてきたこと。
さらに「リボルバー」はサイケデリックという形で、時代をねじ伏せるような力まで備えてました。

☆ ☆ ☆

おそらくジャケットのイメージだとか封入されてる写真からのことだとは思うけど、わたしが「リボルバー」から受ける印象は色で云うなら「黒」なんですよね。続く「サージェント・ペパー」が極彩色ならこちらは反対にモノクロームのうちの「黒」。
でも何かを含み持つようなどろどろした黒じゃなくて、均一の綺麗な黒でその上に少し色味が入った白っぽいカラーで勢いのある絵を描いていってる様な印象があります。音のイメージはジャケットを白黒反転したような感じ。
ストイックな「タックスマン」も、がちゃがちゃ賑やかな「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」とか「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」も両方とも気に入ってるかな。バラードの「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」は「ミシェル」にあった二番煎じ感なんか全然無くなって「イエスタデイ」と並ぶくらいの独自の曲になっていて、これも好き。

☆ ☆ ☆

クラウス・フォアマンの手によるジャケットはビートルズのアルバムの中でも突出して出来が良いと思ってます。

リボルバーリボルバー
(1998/03/11)
ザ・ビートルズ

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Taxman - The Beatles

ポールのベースがかっこいい。ベースでほとんどメロディといっても云いくらいの旋律を弾いたのはポールが初めてだったのかどうかは知らないけど、ポールのベースはそういう弾き方が特徴でした。ポールのベースはうねるようなドライブ感があるんですよね。

Tomorrow Never Knows - The Beatles

催眠的なドラムがかっこいい。サイケデリックの幕開けの曲。

No Reply - The Beatles

「リボルバー」に入ってるわけじゃないんだけど、わたしの好きな曲。


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【洋画】 バイオハザード3

ただ一つ、ミラ・ジョヴォヴィッチだけがかっこ良ければそれで良いという映画かな。もうバイオハザードであることもどうでも良くなってきてるみたいでした。

☆ ☆ ☆

T-ウイルスの蔓延によって人類の大半がアンデッド(一応ゾンビじゃ無さそうなんで)と化し、砂漠化してしまった地球が舞台。
元凶のアンブレラ社は砂漠の地下の基地で「アリス」計画を発動し、アリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)のクローンを作ってはアリスに匹敵する個体を生み出そうと実験を繰り返してる。
一方アリス本人は砂漠を単独で行動しながら、安全な土地を探していた。そしてある場所でアラスカが安全と書かれたノートを見つける。
アリスとは離れ離れになっていたカルロス(オデッド・フェール)たちは生き残りを集めて武装車両部隊を作り、同じく安全な土地を捜し求めて砂漠を進んでいた。
やがてアリスとカルロス一行は再開を果たし、ともにアラスカを目指すことに決定、とりあえず、燃料や食料を確保するために砂漠と化したラスベガスに向かうことになる。
砂漠の地下で「アリス」計画を進めていたアイザックス博士(イアン・グレン)は、アリス本人が砂漠に現われたことを知って、アリス確保のために凶暴化させたアンデッドの大群をラスベガスに送り込むことにする。

☆ ☆ ☆

手順を踏んでるだけみたいなストーリー進行、どこかで観たようなアイディアをそのまま盛り込んだだけのシーンが単純に繋げてあるような、盛り上がらない場面展開。観たことある展開で単調になりかけたら、大音響吃驚演出でカンフル剤投入と、個々のシーンだけじゃなく映画そのものも既視感に溢れていて、これはと思って確認してみると、監督こそラッセル・マルケイと違ってたけど、脚本がやはり思ったとおり、あのポール・アンダーソンでした。
「イヴェント・ホライゾン」とほとんど同じ作り方。この人、映画を作る方法では、今も同じことを延々と繰り返し続けてる。

それでも物語のスタート地点は結構興味を引いていくうまい作り方をしてます。浴室で目覚めるアリスから始まって、シックな部屋を通り抜けてドアを開けてみれば、1作目に出てきたレーザーカッターの凶悪な部屋が目の前に現われる。アリスはそのレーザー・トラップをうまくやり過ごすんですが、その後に続くトラップの一つに引っかかって、絶命してしまいます。
始まったばかりなのにここで主役がアウト。
その後防御服を着た男たちが現われて、アリスの死体を処分することに。防御服の男はエレベータに乗って地上に出て行きます。地上に出ると一面の砂漠で、砂漠に張られたフェンスの外側ではアンデッドと化した人間がうじゃうじゃと徘徊してる。死体を投げ込んだ穴には山のようにアリス(のクローン)の死体が捨てられてる。

最初の浴槽というミクロな視点からちょっとづつ意表をつきながら、あまり不自然にでもなくマクロな視点の広大な砂漠まで繋いでいく。浴槽から砂漠まで、イメージ的にはおそろしく隔たりがあるのに、短時間で無理なく移っていくやり方は結構面白いです。
その後、砂漠を走る武装車両部隊なんかが出てきて、まるで「マッドマックス」みたいな世界が続くことになって、実はこういうイメージもそんなに嫌いじゃないので、この辺りまでは感心しながら観てました。

☆ ☆ ☆

でも人が動き出すと、これがまた見事なほど、全く駄目になってしまいます。
人を掘り下げて描き分けられないのに、集団で移動する部隊をいきなり登場させるものだから、出てくる人の大半がほとんど記号扱いです。見た目の区別がつくところくらいまでは一応行けるんだけど、それだけ。
どんな人なのか、世界がこんな風になってどう思ってるのか。希望を持ってるのか。希望を持ってる振りをしてるだけで絶望に蝕まれてるのか、そういったことが全然伝わって来ません。
アンデッドとの戦いでやられても、壁にかかった名札を取り外すくらいの違いで、多少個性があるとしても、アンデッドに噛まれたことを黙っていて次第にアンデッド化していくのを仲間からは隠してるというような、定型に当てはまるような行動をする人物ばかり。やられたことでこちらの感情まで揺さぶられてしまうようなキャラクターは一人も出てきませんでした。

ミラ・ジョヴォヴィッチに並ぶくらいの準ヒーローのカルロスもそういう扱いです。自己犠牲のシーンなのに、観ていて全然悲しくもない。画面では泣く人も出てくるけど、泣く人を出したら悲しいシーンになるかといえば、全然そんなことはないわけで、何か物凄い勘違いをしてるとしか思えません。

☆ ☆ ☆

ミラ・ジョヴォヴィッチはあのきついモデル顔がロングコートにブーツ、武器装具を一杯装着してるスタイルに良くあっていてかっこよかった。背景の砂漠にもマッチしてました。

そのミラ・ジョヴォヴィッチ演じるアリスですが、ほぼ無敵に近いほど強く、この映画では超能力さえ使ってその強さにさらに磨きをかけてました。空を覆い尽くすほど大量のアンデッド烏を一撃で焼き払ってしまいます。
いくらヒロインでもこれはちょっと強すぎ。ここまで強くしてしまったら、アクションシーンはなかなか成立し難いです。第一やられないと思って観てるから、全然はらはらしない。
ラスベガスで凶暴アンデッドの大群と渡り合う時、アリス以外の武装車両部隊の人がやられていくのも、その人の戦いの結果としてというより、たまたま無敵のアリスが近くにいて援護してくれなかったからと、何かただ運が悪かっただけみたいな印象になることもあって、あまり盛り上がりませんでした。
撮り方も今更感の強いスローモーションを使ったような画面でした。

最後の戦いはアンブレラの地下基地に再び戻っていくんだけど、せっかく砂漠の広大な光景を手に入れたのに、また閉じこもったような小さい空間に逆戻りで、クライマックスで舞台装置がスケールダウンしてしまいます。
ここでアンデッドに噛まれてタイラントと化したアイザックス博士との一騎打ちになるんですが、なぜ博士はあれを知らなかったんでしょう。
クローン・アリスをトラップに追いやって生き残るかどうかを試験してたのは博士自身なのに、なぜあのトラップのある場所に自分から喜んで入っていったのか、全く理解できません。

あの場所の素性なんて、アンブレラの社員でもないわたしでも知ってるのに…。

☆ ☆ ☆

バイオハザードIII デラックス・コレクターズ・エディション(2枚組)バイオハザードIII デラックス・コレクターズ・エディション(2枚組)
(2008/03/19)
ミラ・ジョヴォヴィッチアリ・ラーター

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Resident Evil 3 Trailer


最後の東京の地下鉄の看板に並んでる滅茶苦茶な漢字も酷かった。分かっていてやってるなら意図不明だし、分からずにあれで構わないとしたなら、このゲームの生誕の場所なのに、リスペクト無さ過ぎだと思います。

原題 Resident Evil: Extinction
監督 ラッセル・マルケイ
公開 2007年


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【洋楽】 The Plateaux of Mirror - Harold Budd / Brian Eno

元ロキシー・ミュージックのブライアン・イーノが主催したアンビエント・シリーズの2作目にリリースされたアルバムです。邦題は以前は「鏡面界」というかっこいいのがついてたのに、今はこのタイトル止めてしまってるみたい。
現代音楽の作曲家でありピアニストでもあるハロルド・バッドとイーノのコラボ・アルバムの形を取ってます。
今音楽ジャンルのなかに「アンビエント」(日本語で云うと環境音楽)とあるのは、このシリーズが出てきたのがきっかけだったような記憶があります。

アンビエントは音楽の有り方を説明する言葉としては、今は随分と意味が拡散してしまってるけど、この頃はもうちょっと形のはっきりしたものだったように思います。
コンセプトの核はおそらくエリック・サティの「家具の音楽」。
環境のなかにただあるだけの音楽として、積極的に意識を集中して聴かないことを標榜してるような音楽で、実は考え方としては結構過激なんですよね。音楽を流しておいて「聴くな」と云ってるみたいなものだから。

☆ ☆ ☆

でもこのアンビエント・シリーズはそういうことを標榜していても、聴いてみれば実際は結構耳を掴みにくるようなところがあります。

特にこのアルバムのハロルド・バッドの弾くピアノは「無視できる音楽」というアンビエント・レーベルのコンセプトからは少し外れて、環境音楽的な空間の中にピアノ曲としても捉えられるような部分が多少は挟み込まれてるように聴こえてきます。
浮遊感があって霧が広がるみたいに空間に漂うその音がまた繊細で美しいとくるから、少なくともわたしはこれを環境音楽としては聴けないです。意識しなくても気がつけば普通に音楽を聴くように、耳を傾けて集中して聴いてます。

☆ ☆ ☆

この世界のどこにもない夢の中の場所を示すような地図を思わせるジャケット・デザインも、イメージ的に含むものが多くて、結構好きです。

Ambient 2: The Plateaux of MirrorAmbient 2: The Plateaux of Mirror
(2004/10/05)
Harold Budd & Brian Eno

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The Plateaux of Mirror - Harold Budd + Brian Eno


An arc of doves - Harold Budd + Brian Eno



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【邦画】 ガメラ 3 邪神イリス覚醒 - ガメラ 平成三部作

平成ガメラは「ガメラ 大怪獣空中決戦」「ガメラ 2 レギオン襲来」「ガメラ 3 邪神イリス覚醒」の三本。
3作とも最初に観たのはかなり前です。アニメの方法論に則った演出で、とにかくかっこいい動きに満ちた怪獣映画という印象がありました。
なにせガメラは空を飛ぶから、立体的な動きを見せ場にしやすい。

再見してみて発見したのは、「大怪獣空中決戦」の火球三連射ちとか「レギオン襲来」の飛行形態からドリフト(!)しながらの着地とか、アニメ的なかっこいい動きはあるんだけど、そういうシーンが占める量が意外と少なかったということ。
わりと普通の動きのシーンも結構ありました。初見の時はとにかく新鮮な動きのシーンが印象に残って、それが印象全体を覆ってたっていうことなんでしょうか。

でも、意外と普通のシーンが多かったと云っても、怪獣映画というと着ぐるみがもっさりした動作で動き回るくらいのイメージしか無いなら、この平成ガメラを観たらおそらく吃驚すると思います。

世評では二作目の「レギオン襲来」の評価が高いようですが、個人的には三作目の「邪神イリス覚醒」のほうが好き。

「邪神イリス覚醒」は主役の少女(前田愛)が、前作でガメラが壊した建物の中にいた両親を、巻き添えで亡くしてしまったことから、ガメラを憎んでるという設定なので、映画としては基調トーン自体が暗く、さらにオカルティズムを織り込んで澱んだストーリー、オカルト関連の単語が頻出するよく分からないストーリーとの絡みで出てくる山崎千里らのこれまたほとんど意味不明のキャラクター、自衛隊があまり活躍しない等と、こういうところが三作の中で評価を落としてしまってるんだと思うし、その評価そのものにはかなり同意します。
でも、それを上回る個人的ポイントになってるのは、この映画の最終決戦の舞台が新生の京都駅だってことです。

「邪神イリス覚醒」は物語がもう一つなのを補うかのように、怪獣による破壊シーンは見所が多いです。破壊する快感を十分に味わわせてくれる。
この映画で大規模な破壊シーンがあるのは渋谷と京都。
「邪神イリス覚醒」の渋谷壊滅シーンは怪獣映画の到達点だとは思うものの、わたしとしてはやはりここは京都駅での死闘のポイントが高い。こちらだって渋谷のシーンに負けないくらいの破壊ぶりを見せます。
出来たばかりの京都駅を壊すという、何だか暴挙に近いような勢いも凄いです。

映画が作製された時、京都駅は駅自体まだ見慣れないものだったんですが、今この映画を観ると結構隅々まで知ってしまってる京都駅の崩壊ぶりがやけに詳細に理解でき、わたしにとっては臨場感が只事じゃありません。音楽までも無茶苦茶に煽り立ててくる。
前田愛を助けに来た少年が京都駅の東側から空中大回廊に登って、京都駅構内で死闘の真っ最中のイリスとガメラの頭上を通過して、京都駅西側の大階段のほうに向かう。こういった動きも手に取るように分かる。
見上げる視線でイリスの背後に空中大回廊の底面が見えてるけど、京都駅を知らない限りあれが通路だとは気づかないだろうし、ひょっとしたら少年の移動経緯は駅を知ってる者にしか理解できてないかもしれません。

空中大回廊
空中大回廊って、実物はこれです。京都駅正面のガラス・ドームの天辺にこういう通路が取り付けてあります。上がってみれば正体は展望台なんですが。

ちなみに怪獣映画好きの夢は自分の住んでる町や自分の家のミニチュアが映画の中に登場して、運がよければ怪獣に自分の住んでる家のミニチュアを蹴散らかしてもらうことなんですが、せっかく京都に飛来してくれたのに、ガメラとイリスは京都駅を壊しただけで満足してしまったようです。

☆ ☆ ☆

あとガメラは必ず満身創痍になってしまうんですよね。とにかく大量に血飛沫が飛び散る。色は緑色だけどこれだけ流血シーンのある怪獣映画もおそらくガメラだけ。ガメラをこういう状態にまで追い込むから、そこから再び立ち上がってくるヒーローとしてのガメラが際立ってきます。
京都駅でのイリスとの死闘で片腕を失った状態のガメラが、ぼろぼろになりながらもさらに大量に日本に飛来してくるギャオスを迎え撃とうとする姿。
これはもうほとんどやくざ映画のノリです。

ガメラがどう動けばかっこいいのか、そのガメラをどう撮ればもっとかっこいいのか、こういうことをただひたすら考えて作ってる。作る側にガメラに対する愛情があるのが物凄くよく分かる映画です。

☆ ☆ ☆

「邪神イリス覚醒」ではエキストラ扱いとして出演してる仲間由紀恵が見られます。キャンプかなんかに来てる若者の一人で、画面に出てきてほぼ即座にイリスの触手にとっ捕まって、生気吸い出されてミイラになってしまう役でした。

ガメラ3 邪神<イリス>覚醒ガメラ3 邪神<イリス>覚醒
(2007/10/26)
中山忍.前田愛.藤谷文子.山咲千里.手塚とおる.安藤希.小山優.津川雅彦.清川虹子

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ガメラ3 トレーラー


監督 金子修介
公開 1999年


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【洋楽】 Alice In Ultraland - Amorphous Androgynous

これを聴いた時に思い浮かべたのがビートルズの「リボルバー」でした。別に音がビートルズ風で、「リボルバー」に似てるわけじゃないんだけど、60年代後半のサイケデリックの血を引いているというか、当時「サージェントペッパー」の影響下に出てきたいろんなアルバムよりも正統的な遺伝子を受け継いで、21世紀になってその形質を発現しだした音楽という感じがします。
これほど混じり気無しにサイケデリックと見做せるようなものって、ひょっとしたら60年代にでも珍しいかもしれません。

Amorphous Androgynousの正体はUKのアンビエント・テクノ・ユニットである「The Future Sound Of London」というグループ。「Amorphous Androgynous」はこのグループが別名義で活動する時に使ってる名前です。
本体の「FSOL」はこれほどサイケデリックなものはリリースしてなかったんじゃないかと思います。最も全部聴いてるわけもないので正確にはわかりませんが。

方法的にはサンプリングを駆使するやり方で、これはかなり徹底してます。サンプリングによるサイケデリックって、「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」なんかを思い浮かべたりして、やはり「リボルバー」ってことに落ち着いていくのかな。
ゲストにキャプテン・ビーフハートの後期ギタリストGary Lucasとか、インドのミュージシャン、Baluji Shrivastavらが参加してます。


Alice in UltralandAlice in Ultraland
(2005/12/22)
Amorphous Androgynous

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Amorphous Androgynous-the Emptiness of Nothingness


The Amorphous Androgynous-In the Summertime of Consciousness



The world is full of plankton - Amorphous Androgynous


Indian Swing - Amorphous Androgynous

これがビートルズ風サイケデリックに聴こえるとすれば、単純にシタールを使ってるからなんでしょうか。


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【洋画】 ファーゴ

映画自体は淡々と進んで、観ている意識のある部分は退屈だと信号を送り込んでくるのに、結局最後まで緊張感を持って観てしまうという不思議な映画でした。

☆ ☆ ☆

自動車ディーラーのジェリー・ランガード(ウィリアム・H・メイシー)は多額の借金を何とかしようと、妻ジーン(クリスティン・ルドリュード)の偽装誘拐を思いつく。そこで自動車業界の大物であり金持ちでもある妻の父親ウェイド(ハーヴ・プレスネル)から身代金を取って、借金を返す計画を立てた。
自社の整備工場の工員から、カール(スティーヴ・ブシェミ)とグリムスラッド(ピーター・ストーメア)の2人を紹介されて、偽装誘拐を依頼する。
カールとグリムスラッドは白昼、誘拐を実行し成功するが、移動途中の雪道でパトロールの警官に止められ、上手くやり過ごすつもりが言い逃れ出来なくなって、その場で警官を射殺、運悪くその現場を通りかかった車に乗っていて、警官を始末しようとしてるところを目撃した人間も合わせて3人殺してしまった。
簡単な偽装誘拐が殺人事件に変貌してしまい、警察が動き始める。捜査に当るのは妊娠中の女性警官マージ・ガンダーソン(フランシス・マクドーマンド)。マージは手がかりを丹念に追って、次第にジェリーへと迫っていく。
カールとグリムスラッドは痕跡を残しながらも逃亡を続けるが、隠れ家で誘拐したジーンを殴り殺し、偽装だと分かってるジェリーの制止を振り切って勝手に金の受け渡しに来た義父ウェイドをその場で射殺。グリムスラッドは金を受け取ってきたカールに分配のことで罵られ、仲間のカールさえも殺してしまう。

☆ ☆ ☆

特徴は雪で覆われたひたすら白いトーンの画面と、やはり脚本の上手さというところでしょうか。

ただの偽装誘拐のままだったら誰も傷つかないはずだったのに、警官と目撃者を殺してしまったことで事態は大きく変動するわけですが、この映画の中で大きな出来事が起こるのって、終盤の破局以外ではほとんどこの部分だけなんですよね。
しかもこの出来事が起こってしまう直接的な原因はカールが逃走用の車にナンバー・プレートを付け忘れていたという実に些細なこと。そのせいでパトロール中の警官に呼び止められる。
この些細なことが始まりで最終的には壊滅的な破局へと導いていくわけです。

この映画は大掛かりなイベントが物語を動かしていくというような形をとってません。偽装誘拐が殺人事件に変化してからでも、それは同じ。
警官の会話さえもどこかのんびりしてるくらい、日常的な会話や日常的な行動の範囲内で物語は進んでいきます。そういう劇的でも無いシーンが展開されていくうちに、細かい齟齬のようなものが積み重なって、首謀者ジェリーが確実に追い詰められていく様子が、誰の目から見てもはっきりと分かるように仕上げられてる。
事態が激変するほどの大きな出来事を用意して、追い詰められていく過程を描写するのはある意味簡単で、逆に日常的にことが進む中でのちょっとした行き違いや行動の不自然さで、事件が動いていく様を明確に描き出すのは遥かに困難なやり方だと思います。
「ファーゴ」はその困難なやり方をかなり上手い手捌きで披露してくれます。

映画の冒頭でこれは実話だという一文が入ります。
取るべき理想の破滅に向かって、きれいな形を描いて進んでいく映画を観ていて、実際にもこんなに均整が取れたように進行した犯罪があったんだと感心してたら、後になってコーエン兄弟はこれが実話だと云ったのはでたらめと白状してたみたいです。
あまりに手捌き良く、きれいな形で進行し、この物語が取る結末としては、これ以外に無いような滅亡の形で終わる話になってしまったので、少し現実感を加えたかったんでしょうか。

全編何かといえば雪景色という画面は、かなり印象に残りました。撮影したのはロジャー・ディーキンズ。
白一色みたいな光景ばかりなのに、それぞれのシーンのニュアンスを込めたような形で、上手く活写してます。雪に映える他の色もきれいに捉えてるし、雪の白さの様々な様子もきちんと押さえてるようでした。遠近感さえなくなってしまうような光景ばかりで、撮るのに苦労したでしょうね。

☆ ☆ ☆

俳優はなんと云ってもスティーヴ・ブシェミ。最初の会合で、遅れてきたジェリーに対して品定めするみたいに眺めながら、声高でも無い口調で問い詰める態度からして、もう存在感満点です。なにをやるにしても目一杯の破格具合で、あの最後だってブシェミにしか似合わないと思います。
カールを目撃した人全員から、特徴として「変な顔」と云われてたのは、ちょっと笑いました。

ピーター・ストーメアのほとんど喋らない、隠れ家でテレビばかり見てるキャラクターも上手くはまってました。映画全体にそれぞれの言葉が上手く伝わらない感じがあったので、そういうコミュニケーション不在を示す映画としては、その意図を体現してるキャラクターじゃなかったかと思います。

そもそもの発案者役のウィリアム・H・メイシーは、この人観るたびに猿顔だなと思ってしまって、わたしとしてはちょっと苦手な俳優です。
それに大人の顔なのにやたらとでかい目が子供に近いようなバランスで付いてたりするのが、何かの人形みたいに見える時も。
偽装誘拐を企てるほど知能的かといえば、事件が拡大するにつれその場しのぎの対応ばかり繰り返し、次第に狭まってくる包囲網に有効に対処するほどの知恵もなく、そのまま逃走してしまうような人物を演じるには、割と相応しいという感じはしてました。上手いキャスティングだったかも。

フランシス・マクドーマンドは、これでアカデミー主演女優賞を取ったらしいんだけど、わたしには正直そこまでのものには見えなかったです。
妊娠中の警官で、割と暢気に会話したりするので、物語全体に緊張感がつき過ぎないようにする役割もあったような感じ。でも、あまり気づかないかもしれませんが、結構タフな描写もしてました。

マージの旦那役で出てたジョン・キャロル・リンチも異様な俳優ですね。最近だと「ゾディアック」に出てたのを見たかな。

ファーゴ (ベストヒット・セレクション)ファーゴ (ベストヒット・セレクション)
(2007/11/21)
フランシス・マクドーマンド

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Fargo Trailer


原題 Fargo
監督 ジョエル・コーエン
公開 1996年


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【洋楽】 Quiet Kenny - Kenny Dorham

わたしはこのジャケット写真を見るたびに、もうちょっとキリッと写ってる写真を用意できなかったのかなと思ってしまいます。

邦題は「静かなるケニー」。トランペット奏者、ケニー・ドーハムの代表作です。
ケニー・ドーハムを最初に良いなと思ったのは、カフェ・ボヘミアでのライブで演奏した「Autumn in New York」でした。これはたまたまかかっていたラジオで聴いて、そしてその後「静かなるケニー」が代表作と知って手を出してみることに。

「静かなる」なんてついてるからバラードばかりが並んでる、なだらかな平地みたいなアルバムだろうと思ってたのが、そんなに云うほど静かじゃない。それなりにスウィング感もあります。
バラードしか入ってないアルバムって、割とバラード好きのわたしも辛気臭いだろうなと思うんですが、タイトルに「静かなる」なんて書いてれば、一応そういうのだと心構えをして聴くわけで、音が鳴り出すとちょっと拍子抜けしてしまいました。
1曲目に出てくる代表作の「蓮の花(Lotus Blossom )」だって6/4拍子の変拍子で面白いし「静かなる」という割には音数が多い。普通に起伏のある風景が拡がります。
「静かなるケニー」はタイトルで云うほど静かじゃないし、でもそれでは逆に浮かれ騒ぐほど陽気なアルバムかといえばそうでもない、ちょっとちぐはぐなアルバムといった印象になりました。

ケニー・ドーハムを割とよく聴きだすようになるのは、もっと後にリリースしたアルバム、「Afro-Cuban」みたいにラテンをやってるアルバムを聴いて気に入ってからなんですが、「静かなるケニー」のどっちつかずの印象は未だにちょっとだけ残ってます。

それにしても地味なトランペッターなんだけど、でもこの人のトランペットの音はつや消しみたいな不思議な音色で、何か暖かい感じが伝わってきて基本的には嫌いじゃないです。
それと「静かなるケニー」で意外と良いのがピアノ。ピアノを演奏してるのはトミー・フラナガンです。

☆ ☆ ☆

ケニー・ドーハムはアルバム「Una Mas」を出したのを最後に、キャリア途中でなぜか失速し、表舞台から消えてしまうんだけど、80年代に入ってから「Afro-Cuban」をDJとかが取り上げ、予想外の領域とも云えるクラブ・シーンで復活することになります。
ジャズ・シーンではキャリアこそ途中で消えてしまったものの、それでも普通に知られてたので、復活というのはちょっと失礼じゃないかと思いました。

静かなるケニー静かなるケニー
(2007/09/19)
ケニー・ドーハム

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演奏シーンです。
画質劣悪なんですが、でもケニー・ドーハムの演奏シーンなんてほとんど残ってないんじゃないかと思うので、これは貴重な動画かも。


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【洋画】 アリゾナ・ドリーム

主役のジョニー・デップが若いです。それと鬚無しヴィンセント・ギャロ。
この映画は実はフランス映画で、フランスでは劇場公開されたけど、アメリカではDVD発売のみで劇場公開されなかったそうです。

☆ ☆ ☆

ニューヨークの漁業局で魚の数を数える仕事をしてるアクセル(ジョニー・デップ)のもとに、友人ポール(ヴィンセント・ギャロ)が現われ、アリゾナでキャディラックのディーラーをしてる叔父レオ(ジェリー・ルイス)の結婚式の介添人を依頼してきた。
アクセルは嫌がってたが、酒を飲まされ気がつけばアリゾナに向かうポールの車の中にいる自分を発見する。
アリゾナでは叔父からディーラーの跡継ぎを頼まれて、アクセルは叔父の下で働き始めることになった。
アクセルがセールスを始めた店に、ある日、未亡人のエレイン(フェイ・ダナウェイ)と義娘のグレース(リリ・テイラー)がやってくる。
エレインは空を飛ぶことに執着するし、グレースは自殺癖があり亀になりたいという願望がある、妙な家族だった。
エキセントリックなエレインに一目ぼれをしたアクセルはエレイン宅に泊り込んで、そこでエレインの夢をかなえようと飛行機作りに没頭し始めるが、次第にグレースのほうにも心が揺らぎ始める。

☆ ☆ ☆

はっきりいってよく分からない映画です。幻想的で混沌としてる。
とはいってもストーリーは実のところ物凄くシンプルで、アクセルとエレインとグレースの三角関係と、ほとんど一言で云い切ってしまえます。
ただこの映画は、そのシンプルなストーリーを、関係してるのかしてないのかほとんど区別できないようなディテールでちょっとした隙間までも埋め尽くすように飾り立ててる。
これが曲者なんですよね。
目晦ましが一杯あって、映画そのものを見失ってしまうと云うか。見失わずに捕まえたと思ってもそれが本当の姿なのか確認が難しい。

☆ ☆ ☆

奇妙な夢にとりつかれた人物ばかりが登場します。アクセルは魚が喋らないのは全てを知ってるからだと考え、自分も魚になることを夢見てます。エレインは空を飛ぶことにとりつかれ、さしずめ鳥になることを夢見る女でしょうか。グレースの亀になりたいっていうのはほとんど意図不明でした。
ポールは映画俳優になって35歳で死ぬことが夢のようで、レオはキャデラックを積み上げて月に届きたいという夢を持ってます。

どこかねじが外れたような登場人物がそれぞれ関わりあうことで、何らかの形で夢を成就させたり、潰したりしていく様子をにぎやかにフィルムに収めていった映画とでも云えるのかな。アクセルの母の言葉だったか、アクセル自身が朗読するなかに、「夢はかなってしまうと、夢ではなくなる」という言葉が出てきます。ある意味全員の夢は稚拙なもので、かなうにしろ潰れるにしろ、次のステップにいくには夢でなくしてしまう必要があったということなんでしょうか。

☆ ☆ ☆

ポールとルイの夢は映画の中では傍流というか、中心からは若干外れたような扱いでした。物語の中心となっていたのはアクセルとエレインとグレースの3人の話です。
その中で一番把握しがたいのがグレース。このキャラクターの行動は本当に理解しがたい。

亀になるのが夢で、自殺願望があって、家にいるときは始終アコーデオンを抱えてる女って、いくら懇切丁寧に説明されたとしても、おそらくまともに理解できるとは思えません。

最後のグレースの行動は、エレインにコンプレックスを持っていて、普段からエレインのような女になるくらいなら自殺すると云っていたのに、目当てのアクセルから、「今まではエレインの虜だったが、エレインは雲のようなものだと気づいて、その向こうにグレースがいるのが見えた」と告白された時、結局アクセルは自分の中にエレインをみてるのだと知った結果だと思うものの、やはりよく分からないというのが本当のところでした。
それともアクセルとの思いが成就したので、思い残すことがなくなったから?でもこれはちょっと馬鹿げてる…。
フィルムに余計なものをくっつける割に、肝心な部分をそれほど明確に描写して無いような気配もあるので、あまり詰めても意味が無さそうっていう感じもします。

アクセルはグレースを救えなかったことで、もう魚と話が出来なくなったとエピローグで独白します。
アクセルの夢に出てくる魚オヒョウ(カレイの仲間です)、成長すると目が両側から片側に寄ってしまうその魚に仮託して云われるように、それは成長するにつれ、目が片側に移動していく途中だったアクセルの夢の終わりであって、アクセルはその目が成長したオヒョウのように片側によってしまって、両側にあったとき見ていた光景の半分を失ってしまったかわりに、稚拙な夢から醒めて、大人になったということなんでしょう。

☆ ☆ ☆

全体にコメディそのものを意図してるわけではないことは薄々分かるんだけど、演出は陽気で狂騒的。そういうなかで笑いに持っていこうとしてる部分は結構外してます。
アクセルがエレインとベッドを共にしようとする前、ニワトリの物まねでエレインに近づいていく時の、ジョニー・デップのニワトリ演技が、とても寒い。結構長い間やってたりするので、早く終わってと願いながら観る羽目になります。
グレースがストッキングを使って自殺を試みるシーンでも、ストッキングがゴムひもみたいに伸び縮みして、グレースも上がったり下がったりする動き、ああいうのって笑うところなのかそうでもないところなのか判断に苦しむような演出でした。
陽気にしていこうとする部分は、もう完全にわたしの感覚とは合ってませんでした。この映画のにぎやかな部分ははっきり云って泥臭いです。

☆ ☆ ☆

ポールの映画での位置づけは若干微妙というか、割と画面には出てきて、アクセルの三角関係にも影響していきそうな雰囲気もあったのに、ほとんど絡んでこないような妙な場所に立ち続けてました。
映画マニアのキャラクターらしく、映画の中で、町の映画館でかかってる「レイジング・ブル」のスクリーンの前に立って、映画の進行とそっくりに同じ台詞を喋っていくシーンがあります。
これは小細工無しに、本当に台詞をスクリーンに同調させて喋ったのかな。ほかにもモノマネ「北北西に進路をとれ」を披露するシーンがあるんですが、これも見事でした。

☆ ☆ ☆

冒頭のアラスカのシーンがいいです。これ、アクセルの見た夢なんですが、アリゾナ・ドリームと題してながらいきなりアラスカ、吹雪の中を走る犬橇を出して、意表をつくのもかっこいい。
映画全体に幻想的な雰囲気のある絵作りでそれは気に入ったんですが、アクセルの「アラスカの夢」の延長で、アリゾナの砂漠の上を魚が泳いでいくような光景は、若干ありきたりな印象がありました。幻想的なオブジェに頼ってしまうと、結局そのオブジェが幻想的なだけの画面になってしまいがちです。

アリゾナ・ドリームアリゾナ・ドリーム
(2007/04/01)
ジョニー・デップジェリー・ルイス

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In the Death Car - Iggy Pop/Goran Bregovic

映画の使用曲です。
でもこの曲は旋律が耳について離れなくなりそうなので、ちょっと嫌。冒頭のエスキモー・シーンの最初に流れてた曲の方が好き。
耳につきそうといえば、最後の方のエレインの誕生日のお祝いの席で、マリアッチが奏でる「べサメムーチョ」。これがまた果てしなく続いて、映画の中の人物も呆れてしまうような使い方をしてました。
この映画の音楽の使い方は結構面白いところがあります。

Johnny Depp - Arizona Dream

適当なトレーラーが見つからなかったので、映画の中のジョニー・デップのシーンを集めたものです。音楽はジャンゴ・ラインハルトの曲(を新たに演奏しなおしたもの)だと思うけど、こんなの本編で使ってたかな。本編で何かの家具の上にラインハルトの写真が飾ってあったディテールは記憶にはあるんだけど…。

原題 Arizona Dream
監督 エミール・クストリッツァ
公開 1992年


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【洋楽】 Cho - Choying Drolma & Steve Tibbetts

ネパールの尼僧チョイン・ ドロルマとギタリスト、スティーヴ・ティベッツのコラボ・アルバム。
チョイン・ ドロルマはチベット声明(チャント)のマスターで、スティーヴ・ティベッツはECM系のギタリストです。
ECMといえば、現代音楽とかの方向に志向がありそうなジャズ・レーベル。わたしは何か辛気臭いイメージを持ってしまってるので、ECMのCDとかはほとんど手を出したことがありません。

☆ ☆ ☆

こういうのを聴くと自分がアジアの一員であることが良く分かりますね。聴き始めから何の違和感もない。身構えることもなしに、当たり前のように聴いていられる。

尼僧の声明っていう、これがポイントなんだと思います。男の僧がやればもっとお経に近い感じが出てくるはずで、これはお経とは少し位相を変えた何かとして立ち上がってくるところがあるように思えます。
ただちょっと声が細い。こういう映像で見てると、あまり遠くまで届きそうに無い声のように聴こえるんだけど、実際はどうなんでしょうか。声明ってマイクを通すのがデフォルトだとは到底思えないし。

スティーヴ・ティベッツのギターが、ギタリストとしてよく我慢できたと思うくらい、抑制が効いてます。自分から主役を降りてしまったみたいな演奏でほとんど前に出てこない。
また西洋音楽に「ちょっと変わったことをやってみたくてチベットを混ぜてみた」的な傲岸不遜なところもほとんどありません。

なお、チョイン・ドロルマの音楽活動は自ら開設した尼僧教育の施設Arya Tara Schoolを支援するのを目的にしているらしいです。


チョチョ
(2005/04/20)
チョイン・ドロルマ&スティーヴ・ティベッツチョイン・ドロルマ

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Kangyi Tengi - Choying Drolma & Steve Tibbetts

最初の声明部分もアジアの広大な風景が浮かぶようで良いんですけど、途中からのパーカッションが入り込んでくるところが結構スリリングで良いです。

Yumchen Turkar - Choying Drolma & Steve Tibbetts



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【邦楽】 Melodies of Life - 白鳥英美子

スクウェアのゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズ9作目の主題歌だったものです。歌ってるのは元トワ・エ・モアの白鳥英美子、作曲は植松伸夫。
植松伸夫がスクウェアを退社してからの動向は追ってないので、ファイナルファンタジー以降のことは知らないけど、ファイナルファンタジーの音楽を作ってる時点では、日本屈指のメロディ・メイカーだったと思ってます。

まともに作曲が出来るような人って普通の音楽シーンよりも、結構ゲーム音楽の方に集まってるような気がします。光田康典とかもいい曲書いてるし。

☆ ☆ ☆

ファイナルファンタジーは、発売と時期をあわせて遊んでたのはⅩまで、Ⅹ-2は発売時に買ったものの封を切ったのは今から2年前くらいで、ユウナがあまりにも性格変わっていて面食らったのを憶えてます。ⅩⅡは手元に確保はしてるものの未だに封さえ切ってません。
RPGは始めてしまうとおそろしく時間がかかるし、そういうのがちょっと面倒くさくなってるんで、ソフトは持ってるものの始める気になかなかなれないっていう感じのほうが強くなってます。
でも、音楽聴いてたら、ちょっとやりたくなってきました。

Melodies of Life - 白鳥英美子


前作「8」がリアル・キャラを使って、話もただエピソードを繋げてるだけみたいな盛り上がりのなさで評判良くなかったせいか、デフォルメ・キャラが大活躍する冒険活劇となって出てきた作品でした。
この曲は白鳥英美子の声が極めてマッチしてることもあって、シリーズの中で出てくる歌ものでは、突出した出来に感じるのはわたしだけかな。

Final Fantasy VI - Aria Di Mezzo Carattere


劇中のオペラのシーンで流れる曲。でもこのバージョンは、編曲はどこか足りないような薄い感じがするし、この歌手もあまり上手くない。
ゲームは物語の中ほどで世界が完全崩壊してしまうは、主人公は絶望のあまり飛び降り自殺を試みるは、陰惨な過去に囚われて苦悩するキャラはいるは、とにかく強烈なお話でした。


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【洋楽】 GOING BACK HOME - Ginger Baker Trio

あの、クラプトンを擁した「クリーム」のドラマー、ジンジャー・ベイカーのリーダー・アルバムです。ギターが異端派のビル・フリゼールでベースがチャーリー・へイデン。それぞれ自分がリーダーのCDを出してるようなメンバーが集まってます。
これはジンジャー・ベイカーのアルバムなんだけど、このアルバムに手を出したのは実はジンジャー・ベイカーしゃなくて、ギターのビル・フリゼールが目当てでした。

ドラマー名義のアルバムって、存在位置が今一よく分からないところがあります。
ドラマーが主役になって、ドラム・ソロが延々と続くアルバムになる?全曲がドラム・ソロのアルバムって、聴きたいと思う人、どれだけいるんだろう。
やはり旋律楽器が中心になって、リズム楽器はそれを裏から支えるというのが分かりやすい曲の組み立てかただし、でもそうなると、旋律楽器のアルバムになって、ドラマーのアルバムじゃなくなってしまう。

ドラマー名義のアルバムというのが、全体的な音楽性の方向をドラマーが決めてるということだとは薄々分かってるんですが、手にするたびにやはり曖昧なアルバムという印象は蘇ったりします。

☆ ☆ ☆

フリゼールは文字通りユニーク、唯一無比のギタリストで、こういう演奏をする人は他で見たこと無いです。基本はメロディアスな演奏に、ジャズ系の音楽から出てきた人とは思えないくらいディレイなどのエフェクターを積極的に使って、一人多重演奏みたいなのをやったりします。
音楽的にもジャンルの境目が曖昧になったような演奏が特徴。ション・ゾーンの「ネイキッド・シティ」に参加して、これはジャンルとしては完全なフリー・ジャズになると思うんですが、フリー系の音楽を過激にやる人かと思えば、カントリーのアルバムを出したりもしてます。こちらでは、なんとバンジョーと共演!
複数のジャンルを横断するようなスタイルを成立させるためなのか、フリゼールの出す音はかなり曖昧模糊というかファジーなものになってます。

そういうメロディアスでファジーなギターに、ジンジャー・ベイカーのドタドタしたドラムが絡んでいくと、このアルバムの出来上がり。
ジンジャー・ベイカーから見ればかなりジャズ寄り、ビル・フリゼール側から見ればかなりロック寄りの、ジャズ・ロック風のアルバムです。

Going Back HomeGoing Back Home
(1994/09/20)
Ginger Baker

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Ginger's Blues - Ginger Baker Trio

この演奏はミスしてるところがあるので、いまいちなんだけど。

Shenandoah - Bill Frisell

ジンジャー・ベイカー・トリオの動画が上の、あまりいいとは思えないものしかなかったので、「GOING BACK HOME」とは別にもう一つ。
「Shenandoah」はアルバム「East / West 」のWestサイド(CD-1)に収録されてるのが好きなんだけど、これはそれとは別の演奏となってます。どのアルバムに入ってるんだろう?

ギターはテレキャスターを使ってる。このギターはフェンダー社の作ってるギターで、テレキャスターって云います。
これ、ジャズ系統のギタリストが使うとしたら物凄く珍しい。