2008/10/30
【洋画】 トゥモロー・ワールド
視覚効果盛りだくさんといったような方向じゃなくて、絵の質感という意味で、ちょっと特異な絵作りをしてる映画のようにわたしには見えました。たとえば映画全体を統一してるかなりくすんだ色合い。彩度を低く押さえていて、色相もグリーン寄りの調整をしてるような感じの画面。一目見るだけで色味の乏しい寒々とした世界が有無を云わせないほどの説得力で視覚に飛び込んできます。
これが2027年、子供が生まれなくなってから18年経った世界の色だということなんでしょう。
また、隅々まで手を抜かずに細かいものもきちんと用意されてる画面という印象も受けました。
戦闘シーンで云うなら、たとえば遠景で被弾して倒れる人がいても、遠くだから適当で良いという判断で作ってない。遠くであろうが近くであろうが画面に写るものには全部同じ比重がかけられてるような画面作りに見えます。
結果として若干くどいくらい緻密な画面になってます。でも画面全域にわたって力のかかり方がほぼ同一ということは、どこかを重点的に見せようとしてないともいえるわけで、そういう意味では散漫な画面でもあります。
フレームで切り取られた全領域を、出来るだけ均質な密度でそのまま捉えようとする意図、緻密だけどそのことで散漫になることも厭ってない画面。こういうの一言で云うなら、ある意味ドキュメンタリー的と云えるんじゃないかと思います。手振れカメラで右往左往する画面だけがドキュメンタリー・タッチと云うわけでもないってことです。
☆ ☆ ☆
子供が生まれなくなって18年が経過した2027年の世界。人類は滅亡を迎えるしか進む方向を持たず、技術革新は放棄され、街にはテロが横行し、世界は荒廃しきっていた。
英国は国家治安法が成立し一種の鎖国政策を実行し、唯一かろうじて秩序が保たれてる都市ロンドンでは、移民が大量に入り込もうとしていて、英国政府は移民排除に過酷な政策を採っていた。
そんなある日、エネルギー省に勤めるセオ(クライヴ・オーウェン)は謎のテロ組織に誘拐されてしまう。目隠しをされて連れて行かれたテロリストのアジトでは、地下組織「FISH」のリーダーになっていた元妻のジュリアン(ジュリアン・ムーア)が待っていた。
ジュリアンはセオに通行証を調達して欲しいと頼んでくる。人類救済組織「ヒューマン・プロジェクト」に一人の少女を届けなければならないらしい。
セオは通行証を用意してジュリアンに渡し、その少女キー(クレア=ホープ・アシティ)と会って、キーが妊娠してることを見せられた。セオは18年ぶりに人類の新しい命が宿ったこと知ることになった。
その夜、セオは地下組織「FISH」がキーと子供を組織のために利用しようとしてることに気づき、キーの付き添いミリアム(パム・フェリス)と共にアジトを脱出し、自らの手でキーを「ヒューマン・プロジェクト」に渡すために「FISH」に追われながら逃避行を始めることになった。
まずは長年の友人である元ヒッピーの老人ジャスパー(マイケル・ケイン)のもとに身を寄せるが、「FISH」の追っ手はその場所もすぐに嗅ぎつけ、包囲網を狭めていく。
☆ ☆ ☆
奇跡的に子供が生まれることで、子供が生まれなかった社会がどう変化していくのか、あるいはこの映画の世界は現実に当てはめれば、極端な高齢化社会と云っても良いと思うんだけど、こういう設定の映画を作ることで現実の高齢化社会に、今まで考えもしなかった照明が当てられてるんだろうかとか、そんなことを期待して観てしまうと、おそらく確実に肩透かしを食らうと思います。
映画はセオが妊娠した少女キーを連れて、移民狩りやテロリストの武装蜂起を潜り抜けながら、しかも途中でキーが産気づいて、出産してしまった子供まで抱えて逃避行を続ける過程だけを追いかけ、「ヒューマン・プロジェクト」に手渡す直前で終わってしまいます。実際にキーと子供をプロジェクトに送り届けたシーンさえありません。
「ヒューマン・プロジェクト」というのがどのように世界を救済するつもりなのか、そもそも本当に救済組織なのかも全く謎の上に、その組織にキーを渡して世界が動き出す様子も画面に出てきません。
思うに、この情報量の不足は映画の視点がセオの視点に限定されてるからじゃないかと。つまりセオがそれまでに知っていたこと、キーと出会う一連の出来事で知ったこと、そういう範囲を超えて描写はされてないということじゃないかと思います。
だからセオが知らない「ヒューマン・プロジェクト」の内実とか、子供が生まれなくなった理由とかは映画に出てきません。映画で描かれるのはセオが見聞きしてきたものばかりです。
この映画は壮大な社会的設定を下敷きにしてるけど、そういう世界を十全に描ききることが一番の目的の物語じゃなくて、あくまでもセオが認識できている世界を描くことにポイントを置いた物語のような気がします。
観終わってどういう感触が残ったかと云うと、セオが人類を救うかもしれない少女と関わったことで再生していくプライベートな物語という感じのほうがわたしには強かったです。
元はジュリアンと共に革命の戦士だったセオが、子供を病気で亡くして以来無気力な生活にはまり込んでいた状態から、人類の未来へ繋がる子供を守るという希望を核としてもう一度生きてみようと決意する物語、そういう物語としてのほうがわたしにはしっくりと馴染むような気がしました。
ああいう形で逃避行は終わったんだけど、そのことで絶望の淵にあった世界はどう変わっていくのか知りようがなくても、それでもセオは最後もどことなく満足そうでしたから。
原作はP.D.ジェイムズが書いた「人類の子供たち」。
原作では複数の子供が生まれる設定らしいんですが、この映画になった時点でたった一人の奇跡の子供に変更されてます。テロリストや移民が立てこもった建物のなかで子供を囲うように集まる移民の様子とか、戦闘中の政府軍も子供を抱えたキーとセオを前にして、戦闘をやめて、左右に開けるように道を空けていく光景とか、救世主降臨のような、ちょっと宗教的なイメージを狙ってるような感じもしました。でもこの辺の意図はキリスト教に馴染んでないわたしにはよく分からないというか、イメージとして出てきてるということが分かる程度から進まなかったです。
☆ ☆ ☆
この映画では何ヶ所かで驚異的な長回しが見られます。これは本当に面白い。
子供が生まれない世界のリアルな状況とか、虐げられる移民だとかの社会的なテーマに沿うような要素よりも、ひょっとしたらこっちのほうが映画として印象に残るかもしれません。
特にセオが初めてキーと会って、「FISH」のアジトに向かう車が暴徒に襲撃されるシーンと、「FISH」に奪い去られたキーと子供を追って、セオがテロリストと政府軍が衝突してる市街戦の只中を進んでいく後半のシーン。
車のシーンは1カットのなかで編集無しに、カメラが車内を見渡すように自由に移動したり、最後には車外にまで出てしまうというような有り得ない動きをするのを見て呆気にとられます。
市街戦のシーンはただひたすら圧巻の一言。逃げ隠れしながらテロリストの立てこもるビルに向けて進むセオを延々と追いながら、リアルタイムで進行する市街戦の様子も画面に納めていきます。銃撃戦の映画として十分に成り立つ戦闘シーンです。とにかく臨場感、迫力ともに申し分なかった。
もっとも長回しといっても完全に1カット長回しではなくて、いくつかのカットをデジタル処理で繋ぎ目が分からないようにして繋いであるらしいですが、そんな繋ぎ目、どこにあるのかさっぱり分かりません。
市街戦の最中セオがテロリストの立てこもるビルの階段を上っていくシーンは、3階まで上っていったように見せながら、実際の建物は1階建てだったとか。このシーンでレンズについていた血の飛沫がある時から急になくなるので、何かの処理をしてるのは分かったんですが、建物の階層まで偽造してるとは到底思わなかったです。
血の飛沫といえば、これははっきり云って物凄く不自然でした。この飛沫は市街戦の最中にレンズについて、建物に向かうセオを追いかける間中画面に残ってるんですが、その場所にはカメラなんか存在してないんだから、レンズについた飛沫なんて存在するわけがありません。云うなら、見えているのが有り得ない存在です。撮り直すとなると同時進行していく市街戦全部をやり直さなければならないから、おそらく不可能だったんだろうけど、途中で不自然に消えてしまうのも含めて何とかした方が良かったと思いました。
レンズに血しぶきが付着したままの撮影って一見ドキュメンタリー風に見えないこともないものの、この場合は映画の根幹を壊しかねないようなミスだと思うんだけどなぁ。
☆ ☆ ☆
キュアロン監督は俳優を面白い使い方で見せてくれます。マイケル・ケインのほうも若干そんな感じがするけど、特にジュリアン・ムーア。
ジュリアン・ムーアに関しては、書いてしまうと、監督が用意した驚きを台無しにしてしまうので詳しくは書けないけど、観客は絶対に意表をつかれると思う。
マイケル・ケイン演じる老ヒッピーは面白かったです。白髪の長髪に小ぶりのボストン眼鏡。まるでジョン・レノンが年老いたらこんなになってたんじゃないかと思わせる風貌でした。
マイケル・ケインって新生バットマンでも思ったんだけど、年取ってから桁外れに良くなってきた俳優のように思えますね。
それと何故だか分からないけどクライヴ・オーウェンを見てて、役所広司を思い浮かべてました。似てるのかなぁ?
☆ ☆ ☆
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Children Of Men - Trailer
原題 Children of Men
監督 アルフォンソ・キュアロン
公開 2006年
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