祝!10000Hit達成!!記念サントラと回転するダンサーの不思議

今朝というか未明に、ブログ「まったり戯言日記」を主催されてるブロガーのチャリさんから、あし@の伝言板で指摘を頂いてちょっと気にかけていたんですが、おかげさまで今日の昼過ぎくらいにカウンター10000Hitという通過点を達成したみたいです。気にかけていたのに残念ながら10000Hitそのものの数字は見逃してしまいました。

一応証拠画像。「1」違いで見落としてます。
10000hit


カウンターを設置したのはブログを始めて一月くらい経ってからでした。確か最初の一日の数値は5カウントくらいだった記憶があるんですが、こんなので3桁も4桁も桁上がりするほど人が来るようになるのかと思ってました。
10000という数字を積み上げるほどに、ここに遊びに来て下さった皆さん、コメントを残していただいたり、懇意にしていただいた皆さんに心から感謝します。

本当に有難うございました。

このところ不定期で、間を置いて更新という形になってるのが自分ながらちょっと不本意なんですが、気長に付き合っていただければ幸いです。

こんなブログと主催者ですが、今後とも仲良くしてやってくださいませ。
よろしくお願いします。

☆ ☆ ☆

さて、一応映画と音楽を標榜してるブログです。私事についての記事だけで済ませてしまうのも何ですので、サントラをいくつか置いておきます。

Mondo Cane - More

ヤコペッティの映画「世界残酷物語」のテーマ「More」です。映画のほうはいわゆるモンド映画なんですが、そういうある種いかがわしい映画になぜこんな曲がついたのかと不思議に思うくらい綺麗な旋律の曲です。作曲はリズ・オルトラーニ(Riz Ortolani)イタリアの人気作曲家で、他には「ブラザー・サン シスター・ムーン」の曲なんかも作ってます。

Giu' la Testa - ENNIO MORRICONE

セルジオ・レオーネの映画「夕陽のギャングたち」のテーマです。ロッド・スタイガーやジェームズ・コバーンが出てた事以外には映画の内容はさっぱり憶えてません。ところが映画の内容はさっさと忘れたのに音楽だけは耳に残りました。ションション、ションションと特徴があるのもそうなんですが、妙な曲だと思っていたら急に美しい旋律が流れ出して、意表をつかれた分記憶にも残りやすかったのかもしれません。これはエンニオ・モリコーネの作曲です。

Deborah's Theme - Once Upon A Time In America

映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」のデボラのテーマ。こちらも上のと同様、セルジオ・レオーネ、エンニオ・モリコーネ・コンビの作品です。わたしはこの曲、シゼルが歌っていたのが好きなんですが、極めて美しい旋律の曲です。

☆ ☆ ☆

もう一つ。おまけ。

これはネットでよく見かける動画なんですが、ちょっと面白いので。

ダンサー


回転するバレリーナ画像で、右か左かどちらかの方向に回転してるように見えてると思いますが、暫らく見ていると回転が逆転します。今まで右回りに見えていたのなら左回りに、今まで左回りに見えていたのなら右回りに、回転が逆になる瞬間がある。
この瞬間はちょっと吃驚します。
バレリーナの回転する軸足のつま先の動きを見てると逆回転が起こりやすいようです。

☆ ☆ ☆


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【洋楽】 Brasileiro - Sergio Mendes

92年にワールドミュージック部門でグラミー賞を獲得したアルバムです。 セルジオ・メンデスはブラジル’66の時代、グラミー賞にノミネートはされるものの受賞するまでは至らなかったので、このアルバムが初の受賞となりました。

セルジオ・メンデスと云えば、ボサノバやアメリカナイズされたブラジル・ポップ的な曲を得意とする印象があると思うんですが、その印象をもってこれを聴くと、まるでアフリカ音楽を思わせるような土俗的でスピリチュアルな曲にぶつかって、間違いなく吃驚すると思います。セルジオ・メンデスのアルバムとしてはそれまでのものとは若干傾向が違うアルバムでもあります。

「Brasileiro」というのは「ブラジル人」という意味だそうで、そういうタイトルが示すように、このアルバムはテーマの一つに「ブラジル回帰」といったものを掲げています。そしてその「ブラジル回帰」というテーマを展開するためにセルジオ・メンデスがターゲットにしたのがサンバ、バイーア音楽でした。このアルバムの予想外のアフリカの息吹はこのターゲットから来てるんですよね。

バイーアについてちょっとだけ、ごく簡単に説明しておくと、バイーアっていうのはブラジル北東部にある地方のことです。そのバイーア地方の中心で、かつてはブラジルの首都でもあったサルバドール市がサンバやカーニバルを生み出した、ブラジル音楽発祥の地として知られています。
サルバドールにはアフリカからの移民が数多く住んでいて、そういう人たちがここで独自の文化を築いていきました。その住民構成の結果、その地で作り上げられるいろんな文化、当然その中には音楽も含まれるんですが、そういうものの中には必然的にアフリカ的な文化や感性が色濃く混ぜ合わされることになったわけです。
ついでに云っておくと有名なリオのカーニバルもサンバ、カーニバルの発祥の地バイーアの住人がリオデジャネイロに移り住んで、移り住んだ先のリオデジャネイロで作り出したものということらしいです。

サンバっていうのは一言で云うならバイーアのアフリカ系移民が生み出した、ブラジルの中のアフリカ系音楽ということになるでしょうか。「Brasileiro」がサンバを取り上げてそのルーツ的なバイーア音楽に焦点を定めたのなら、アフリカン・テイストが満ち溢れたものになるのは実は当然のことなんですよね。

ちなみにボサノバなんですが、ボサノバはアントニオ・カルロス・ジョビンやヴィニシウス・ジ・モラエスが50年代の中頃に作り出した比較的新しい音楽で、ブラジル音楽のルーツとなるとその領域からは若干外れてしまうことになります。

☆ ☆ ☆

収録曲はこんなの。各タイトルの邦題はそのままカタカナ表記にしただけのもののようです。

1. Fanfarra
2. Magalenha
3. Indiado
4. What Is This?
5. Lua Soberana
6. Sambadouro
7. Senhoras Do Amazonas
8. Kalimba
9. Barabare
10. Esconjuros
11. Pipoca
12. Magano
13. Chorado


このアルバムの構成は4曲目くらいまでがサンバ・サウンドで、アルバム後半の曲では現代ブラジル・ミュージックをいろいろ楽しめるような内容になっています。
アルバム全部をバイーア・ミュージックで埋め尽くさなかったのはセルジオ・メンデスの計算だったんでしょう。
セルジオ・メンデスはこのアルバムでは作曲には手を出さずにアレンジ、プロデュースに徹してるんですが、ブラジル回帰一つに絞るよりも、それを中心にして現代と関わる部分も入れておいたほうが変化に富んでいて良いという判断でもあったのかもしれません。

セルジオ・メンデスはこのアルバムを制作するに当って、当時のブラジリアンミュージック界新進気鋭のミュージシャンを一同に集めてきます。そしてセルジオ・メンデス名義のアルバムなのに、サンバも含めて、アルバム曲の演奏、作曲の全てを新進のミュージシャンにゆだねるようなことをやってる。
セルジオ・メンデスってプロデューサーとしての手腕は結構良いというか、その時に勢いのあるものをきちんと掴んできて上手く料理してる感じがあります。
そういう手腕の良さの結果として、このアルバムはバイーア音楽の新鮮さと、こういう勢いのあるミュージシャンを集めた定型に嵌らないパワーで、3年ほどアルバムを出せずに勢いが落ちていたセルジオ・メンデス自身の起死回生の一枚にもなりました。

アルバムの印象としては、アメリカ的なポップソングを聴きなれてる耳には、全体に結構馴染みのない不思議な感触を持った旋律の曲が聴けたり、6曲目の「Sambadouro」のように美しい曲が入っていたりと、それなりに面白い曲構成なんですが、同じ場所に置かれた、狂騒のパーカッションを伴うバイーア・サンバと較べると、普通にギターやドラムで演奏される後半の曲はちょっと弱い印象があります。
単調になっても良いから、バイーア音楽、サンバで埋め尽くしてあったほうが印象としては強烈なものになったんじゃないかと思います。

☆ ☆ ☆

この中ではわたしはやはりバイーアのミュージシャン、パーカッショニストであるカルリーニョス・ブラウンを迎えた1,2,3,9,12といった曲が面白いです。特に現代的な楽器がほとんど入らない冒頭の2曲。

1曲目の「Fanfarra」は最初にパーカッションのコール&レスポンスがあって、これが総勢100名をこえる怒涛のバトゥカーダ(打楽器演奏)で、いきなり圧倒的な始まり方をします。もっともこのパーカッション部隊の音量、音圧を十分に楽しむためには相当の再生装置も必要と思われるんですけどね。
そのあと、このパーカッションの上にバイーア風の旋律の歌、コーラスが被さって、曲が展開していきます。
コーラスにも勢いがあって、舞い踊るパーカッションの大音響にも全然負けてません。

2曲目は、わたしはこれが一番好きなんですが、アフリカン・テイスト満載で、ほとんどどこかの部族の儀式みたいな音楽に聴こえてくる、極めてスピリチュアルで、呪術的な曲です。
特に途中から入ってくる女性コーラスが凄い。2番目の早い旋律を歌う時のこのコーラスはカルリーニョス・ブラウン率いるパーカッション部隊と渾然一体となって、聴くものを容易にトランス状態に持っていけそうな強烈なグルーヴ感を生み出してきます。でもこの旋律部分は一曲全部を通してもたった一回しか出てこないんですよね。
もしもこの部分を垂れ流す如く演奏してるようなのがあるなら、それを聴けばおそらく簡単に別世界へ飛べます。そのくらいこのパーカッションとコーラスは魔術的です。

この曲は92年当時クラブとかで人気だったらしいんですが、こんなものをダンス目的で人が集まってるようなクラブのフロアで大音響でかけたら、クラブ内は忘我で踊り狂う、熱狂と狂騒の坩堝と化してたんじゃないかと思います。

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Magalenha - Sergio Mendes


一応こちらの方が好みなので最初に置いてますが、アルバムでの2曲目です。出だしはセルジオ・メンデスの鳴らすトライアングルにヴォーカルが被さってくるんですが、トライアングルの伴奏だけで歌ってるのに貧相に聴こえないのはちょっと不思議です。
骸骨スーツの人が躍ってるのを見てると、生も死も結局は同じものの別側面に過ぎず、ならば一緒になって踊り狂えとでも云ってるように思えてきます。

Fanfarra (Cabua Le-Le) - Sergio Mendes


これがアルバム最初の曲。

What is this - Sergio Mendes


4曲目の「What Is This?」はこのアルバムで唯一英語の歌詞が乗っかってる曲なんですが、サンバ・パーカッションの上に女声のラップ、というか「語り」が被さってくるという極めて怪しい雰囲気の曲でもあります。ルーツ的なパーカッションに今風のラップという組合わせて、構成的にはアルバムの後半に並んでる現在のブラジル曲に繋いでいく役目でも与えられてるんでしょうか。






【洋楽】 Cliffs of Dover - Eric Johnson

ブルース好きの人ならエリック・クラプトンとロバート・ジョンソンを足して2で割ったような名前と思うかもしれないけど、だからと云ってブルースに傾倒したミュージシャンというわけでもありません。
王子様風の風貌だからと、そのアイドルのような外見から軟弱な演奏を連想すると大間違いで、実は超絶技巧派とでもいうのか、そういうカテゴリーに属するようなギタリストの一人です。
これだけの凄腕なのに、わたしの感触では、日本ではあまり知名度が高くないような感じがします。同じく技巧派のギタリスト、ジョー・サトリアーニが主催する、自らと他のギタリスト2人が競演する「G3」ツアーにも参加したことがあって、こういうロック・ギターが好きなリスナーには知られてるようなんですけどね。
「G3」的なものに関心が無い層にはあまり名前が広まっていかない。

☆ ☆ ☆

1954年、テキサス生まれ。74年にプロとしてのキャリアをスタートさせてます。
元はスタジオ・ミュージシャンで、フュージョン系のマイナーバンドにも在籍していたようですが、一般的に良く知られてるような有名バンドには在籍したことはなく、ほとんどスタジオ・ミュージシャンから直接ソロデビューしたような人物です。日本であまり知られてないようにみえるのはそういう有名バンドの看板を一度も背負わなかったからかもしれません。

セッション・ギタリストとしてはミュージシャンの間では名前を知られていたようで、ミュージシャンが評価するミュージシャンという立ち位置にいたようなギタリストだったんですが、それが結果としてデビューに結びついたということらしいです。
アルバム「TONES」で86年にソロデビュー。その後90年に2枚目のアルバム「AH VIA MUSICOM」をリリースし、この中に収録されてた。「Cliffs of Dover」が大ヒットします。
この曲がヒットしたことでエリック・ジョンソンはグラミー賞を獲得することになります。

☆ ☆ ☆

さてそのグラミー賞獲得の曲「Cliffs Of Dover」なんですが、歌は入ってなくて完全なインスト曲。最初から最後までギターから迸り出る音が乱舞し続けるような曲です。
でもこういうギタリストを取り上げておいて云うのもなんですが、わたしは早弾きとか超絶技巧とか、実はあまり興味がないんですよね。そういう演奏を前にすると、音楽を聴いてるというよりも曲芸でも見てるような気分になってくるから。
音楽が楽器という道具を使いこなす技術の披露でもある以上、超絶技巧だって音楽の一部だとは思うんですが、今のところわたしの感覚ではそういうのを聴く要求が自分の中から出てきません。
だから「Cliffs Of Dover」がお気に入りなのも物凄いテクニックよりも、もちろんそのテクニックには目を見張るんですが、そういうものよりも、この曲が旋律感に満ち溢れていることに気を引かれるからという、これが理由になってます。

この手の音楽としてはメロディ、和声の動きはとても綺麗に仕上がっていて、ロックギターが予想させるような様々な要素、たとえば「暴力性」だとか、エリックという名前だから云うんじゃないですが「泣きのギター」だとか、そういう慣用句めいたものとは全く異なった位置に立っているような気がします。
これだけの音を奔流のように弾き出す演奏にも関わらすその音は荒々しいものとは正反対に繊細な印象の方が強く、ウォームで伸びのあるトーンが、縦横無尽に駆け巡るような旋律を艶やかに歌い上げていきます。この音がまたなかなか気持ち良い。
エリック・ジョンソンは音質に関しては信じがたいほど神経質らしく、この頃はエフェクターの電池1個から指定のものでないと駄目だったんだそうです。

☆ ☆ ☆

「Cliffs Of Dover」収録のアルバム「AH VIA MUSICOM」には他にこういう曲が収録されてます。ちなみに邦題は「未来への扉」、ちょっとダサいです。

1. Ah Via Musicom
2. Cliffs of Dover
3. Desert Rose
4. High Landrons
5. Steve's Boogie
6. Trademark
7. Nothing Can Keep Me from You
8. Song for George
9. Righteous
10. Forty Mile Town
11. East Wes

各曲の邦題はこんな風になってます。

1. 未来への扉
2. 遥かなるドーヴァー
3. デザート・ローズ
4. 失われた大地
5. スティーヴに捧ぐブギ
6. トレードマーク
7. 消えぬ想い
8. ソング・フォー・ジョージ
9. ライシアス
10. 40マイルの彼方
11. イースト・ウェス

基本的にギターの音はディストーションで歪ませたような音じゃなく、クリーンな音が基調になっていて、アルバム全体をざっと聴き流してみたら、スムーズなAORといった感じに聴こえてきます。3,4、7、10と、エリック・ジョンソン自身のヴォーカルが入ってる曲は特にそんな傾向が強く出ているようです。

でも一つ一つよく聴いてみれば、ロック、ポップ、ジャズ、カントリーと、いろんな側面を見せる演奏にもなっていて、結構雑食性が高い感じがするアルバムでもあります。
5曲目の「Steve's Boogie」は軽快なカントリー調の曲。
アルバム全体の、空中を乱舞するようなギターの音が満ち溢れてる中に現れる、アコースティックで土臭い響きを持った8曲目の「Song for George」。
この中では一番ロックっぽいかもしれない9曲目の「Righteous」
11曲目の「East Wes」はちょっと毛色が変わって若干ジャージーな感じの響きがする曲。これはタイトルやオクターブ奏法から判断すれば、ジャズ・ギタリスト、ウェス・モンゴメリーへのトリビュートかも。

やっぱり2曲目の「Cliffs of Dover」が突出して出来が良く、これが目当てのアルバムという位置づけは変わらないにしても、「Song for George」なんかはアコースティック・ギターのさばき方も含めてわたしにはちょっと面白く聴けたりしました。

ただギターの音そのものは人を驚かせるような奇矯な癖もなく、壮絶なテクニックを使ってるのに、まるで当たり前みたいにさりげなく弾いてしまうから、パフォーマンス性の欠如というか、これだけ音が乱れ飛んでるのに、アルバム全体では聴く方を強引に引き釣り回すようなところも無くて、地味に聴こえてしまう傾向があるようです。

もう一つ。リズム隊が弱いんですよね、このアルバム。
手堅く、そつなくこなしてる感じがするだけで、体が勝手に動き出してしまいそうになるような躍動感のあるフレーズがほとんど出てこない。音数の多いギターのバッキングに徹してるのかもしれないけど、こういう手堅いだけのリズムだとドライブ感にかけてるような印象があって、そのせいでアルバムの印象はアルバムのなかでやってることと較べると、不釣合いなほど大人しい感じになってしまってるようにわたしには感じられました。

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Cliffs of Dover - Eric Johnson

とにかく音の洪水というか、決まった長さの1小節のなかに、無理やりねじ込んだような圧倒的な音数というか。よくもまぁこれだけ指が動くものだと感心します。わたしには左手の指の動きが若干蜘蛛の足の動きのように見えて、ちょっと気味悪い時があるんですけどね。
見た目はやっぱり王子様風ですね。この演奏は特にそう見える感じです。

Desert Rose - Eric Johnson

アルバムでは「Cliffs of Dover」に続く3曲目。

Song for George - Eric Johnson

8曲目、アーシーなアコースティックギターの演奏です。



【洋画】 スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー

今時CGを多用してる映画なんて珍しくもないんだけど、この映画に関してはCGの使い方はかなり異様でした。
普通、どんなにCGを使おうと、実写映像で表現できないような部分を補う形で使われると思うんだけど、この映画のやり方は全く逆の方向を向いてます。CGを実写映像の中に紛れ込ませるんじゃなくて、CG映像の中に実写映像を埋め込むようなことを映画全域にわたってそれこそ徹底的に試みてる。

俳優は実際の現場で演技したんじゃなくて、ほぼ100%ブルー・スクリーン前の演技だったそうです。メイキングでも出てきてましたが、部屋の中で会話するシーンでも俳優の前に簡単なテーブルがあるだけであとは全部ブルーのスクリーン。そのスクリーンを背景に会話した俳優を、後の処理で室内のCGに埋め込んで、まるで部屋の中で会話してるようなシーンを作り上げてます。
映画のなかでCGを多用することに否定的な人は、この映画の主客転倒したような状態に目の眩むような思いをしたか、逆にその徹底振りの見事さに宗旨替えしてしまったか、どちらにしろ極端な反応を示したんじゃないかと思います。

お話はスカイキャプテンというヒーローが悪の計画を阻止するために大活躍するインディー・ジョーンズ・タイプのアドベンチャー映画なんですが、物語が面白いとかつまらないとか云うレベルとは別に、スクリーンに映し出される画面はスカイキャプテンの物語を最も効果的に語るために用意されてるにもかかわらず、映画は視覚効果優先というか、物語よりもそういう画面の仕上げ方の部分へ、ことあるごとに注意を向けさせるような作り方になってました。
冒険活劇を観ようとしてたのなら、期待外れというんじゃなくても、映画のポイントが必ずしも活劇の方に集中してるわけじゃないという、ちょっと思惑外れの感じを受けるかもしれないです。
わたしの場合は観てる間、特に前半だったんですが、はぐらかされてるような気分になることが多かったです。

☆ ☆ ☆

1939年のニューヨークでは科学者が連続して失踪するという事件が起きていて、NYクロニクル紙の記者ポリー・パーキンス(グウィネス・パルトロウ)はその一連の科学者失踪事件について調べていた。
そんなある日、ジェニングス博士という人物から次に失踪するのは誰か知ってるとメッセージが入ってくる。メッセージを受け取ったポリーは、博士との待ち合わせ場所に向かった。
ジェニングス博士と会って、失踪してる科学者は大戦前にドイツの秘密施設にいた科学者たちで、失踪していない科学者は今やジェニングス博士自身ただ一人だから、次の失踪者は自分になると告げられ、科学者失踪事件の背後にいる相手はトーテンコフという謎の人物であることも教えてもらった。

ジェニングス博士との会合の最中、世界中の大都市に謎の巨大ロボットの集団が飛来し、都市を破壊し始めるという事件が起きる。ポリーのいるニューヨーク市にも巨大ロボット集団が飛来して市を破壊し始めた。ドイツの秘密施設の正体、トーテンコフの目的など聞き出す前に、ポリーはロボットの襲撃の中でジェニングス博士と離れ離れになってしまう。
その後ポリーは単身ロボットの集団に接近して写真を撮ろうとするが、危機的な状況に陥ってしまう。そういう状態にあるポリーを助けたのは、市の呼びかけに応じて急遽飛んできた空軍のエース、スカイキャプテン、ジョー・サリヴァン(ジュード・ロウ)だった。
ニューヨークの巨大ロボット攻撃を何とか収めたジョーは世界中の都市を襲ったロボット事件の調査を依頼される。かつての恋人ポリーはジェニングス博士が会合の最中にロボットの青写真を残していったことから、ロボット事件と科学者失踪事件が関係してると推測してジョーに近づき、2人はともに調査をすることになった。

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調査を始めてみると、今度はジョーの基地が謎の飛行物体の大群に襲われることになった。ジョーが敵飛行物体を迎撃してる間に、基地にいた仲間の天才技師デックス(ジョヴァンニ・リビシ)が拉致されてしまう。しかしデックスは機知を利かせて、飛来した敵飛行物体が発する無線から敵の拠点を割り出し、拉致される前にその拠点を示した地図を残していった。
デックスが割り出した拠点はチベットの奥地。
ジョーとポリーはチベットの奥地に赴き、そこでトーテンコフの手下に襲われたりしながらも調査を続け、チベットからも行方をくらませたトーテンコフの居場所がはるか洋上にあると割り出した。事件を追いデックスを助けるためにはそこに赴く以外に選択肢は無く、2人はさらに洋上に向けて追跡を続けることになった。

トーテンコフの居場所と見做した海上ではジョーの愛機カーティスP40の燃料が足りなくなることが分かり、英国海軍移動偵察基地の指揮官フランク・クック中佐(アンジェリーナ・ジョリー)に助けを求めた。フランクは要請に応じて空中に浮かぶ要塞、移動滑走路を動かしてきて、燃料補給のためにジョーの機を着陸させた。

移動偵察基地で調査した結果チベットで得た手がかりが示すところには地図にも載ってないような島があった。移動偵察基地が島に近づくにつれ島からは多量の迎撃ミサイルが発射されてくる。そこがトーテンコフの本拠地だと確信したジョーとポリーはフランク率いる水空両用戦闘機部隊「マンタ」とともに海中のルートから島内部へと潜入することにした。

☆ ☆ ☆

この映画のテーマは一目瞭然、レトロフューチャーです。
レトロフューチャーについて少し説明しておくと、この映画の時代設定は1939年なんですが、大体20世紀前半の時期に想像された未来世界のイメージのことを指して云います。
基本的には科学万能の考えの上に成り立っていて、流線型やアール・デコ風のデザインが自動車や飛行機から高層ビルのようなものまで、すべてを優雅な曲線で覆い尽くしてる未来世界、でもその時代に夢想した未来が実際にやってきても、そういう夢想のほとんどが実現されずに、何時までもやってこない未来のままに古びてしまったような世界、そういう世界のイメージです。

この映画はそういう、やってくることを夢想されながら夢想のうちに朽ち果ててしまったような世界をスクリーンの中に再現しようとしてます。
それも流線型の未来世界を画面上にそのまま描き出すのではなくて、レトロフューチャーを夢見てた時代にもしかしたら存在していたかもしれない架空の連続活劇コミック「スカイキャプテン」といったものを想定して、その一部を切り出して映画化したような風変わりな工夫を施して描き出してる。

そういう工夫を目に見える形にし、スクリーンの上で古い連続活劇コミックが動き出したという雰囲気を出すために、この映画の中ではさまざまな視覚効果の技術が使われていました。
たとえばそれは、階調を飛ばしたようなきついコントラストの画面や、モノクロのフィルムに薄く着色した感じのセピアがかった人工的な色彩、画面上の全てのものの輪郭に施された滲んだようなぼかし効果といったものなんですが、こういう特徴を組合わせて出来上がったイメージはモノクロ映画の画面を今風に蘇らせた感じのもので、古びたコミックから蘇ってくるようなレトロフューチャー的な世界を乗せるのにはぴったりという印象のものでした。

☆ ☆ ☆

ところが古いコミックが動き出してるような実写映画という試みは、試みとしては非常に面白いんですが、わたしにとってはこの映画の視覚効果は凝りすぎて、画面の見にくさの方が先にたってしまいがちになるようなものでした。最初にも少し書いたように、そういう凝った画面がスムーズに映画に入り込むのを若干邪魔してるように思えるところもあって、なかなか感情移入しにくい。
特に最初のニューヨーク・パートにそういう傾向が強かったです。この部分の「メトロポリス」風の大都市ニューヨークは高層ビルなどの影の部分が多く、暗部をわざと潰し気味にしてるようなコントラストに、セピア色でただでさえぼんやりした印象なのに、明るい部分も滲んでぼやけているような画面では、視線の動きも拡散していくようで本当に見難かった。しかも冒頭のニューヨークはこういう特殊効果的な画面が映える物語舞台なので、作る側にもかなり力が入っていて、もうこれ見よがしに凝った画面で攻めてきます。

もう一つ、わたしはこの映画が「メトロポリス」の再現だということにも期待して観てたんですが、最初のメトロポリス編で出てくる大都市ニューヨークのイメージはそれこそフリッツ・ラングの「メトロポリス」とそう大して変わらなくて、これなら既に「メトロポリス」があるんだから、わざわざもう一度作る必要も無いんじゃないかと思ってしまって、わたしの場合はそういう期待外れ感も感情移入の妨げになっていたようです。

☆ ☆ ☆

ニューヨーク編が終わると物語の舞台はチベットだとか空中の移動滑走路だとか、広々とした世界に移っていくので、画面が見にくいといった感じはほとんど無くなって、この辺りからは普通に感情移入できる映画になって行きます。

とは云っても物語は単純。設定だとか絵作りには必要をはるかに超えるこだわりがあったのに、こちらは捻りも何もないほとんど一本道の分かりやすいストーリーになってます。
全体はメトロポリス編、秘密基地編、チベット編、英国海軍移動偵察基地編と、まるで区画整理でもされたように分かりやすく整頓されていて、伏線もあまり張ってなくて、危機、その場の解決、危機、その場の解決と、これの繰り返しだったような。

たとえばチベットではジョーとポリーが廃坑でトーテンコフの手下によってダイナマイトの部屋に閉じ込められるシーンがあります。どうやって脱出するのかとドキドキして画面を観てたら、一緒に廃坑にはいって別行動を取ってた人物が爆発間際に都合よく入ってきて、鍵のかかっていたドアを簡単に開けてしまいます。

実はこのスカイキャプテンというヒーロー、ヒーロー的な外見は崩さないものの、この他にもトーテンコフの島で窮地に陥ったところを、いきなり現れたデックスに助けられたり、敵女ロボット戦士にやられる寸前に、乱入してきたポリーがロボット戦士を殴り飛ばすことで助けられたりと、自力で窮地を脱するような場面がが意外なほど少ないんですよね。
映画全体を通して、カーチスP40と敵飛行物体との空中戦があったり、ビジュアル的には結構派手に動いてるんですが、その割には観終わった印象は意外なほど希薄で、そういう印象はヒーローが自力であまり活躍しない、こういう有り方からきてる部分も結構あるんじゃないかと思いました。

そしてラスト。トーテンコフの島の光景は、おそらくキングコング辺りへのオマージュになってるんだろうと思いますが、視覚的には楽しませてくれるものの、最後の部分にしては分量的に少なく、トーテンコフの目的、秘密は、明らかになるタイミングが来たらこれもまた伏線も無しに一挙に明らかになります。ただトーテンコフの正体はちょっとだけ意外でしたけど。

☆ ☆ ☆

「スカイキャプテン」の物語は、「レイダース」のようなあまり頭を使わなくても楽しめる上質の冒険活劇物語が、頭を使わないで楽しめるようなものにするために物凄く頭を使ってるんだというのがあらためて良く分かるような物語とでもいうか、そんな感じの物語でした。

ただ、ほとんど伏線を張ってないと書いたんだけど、ポリーが新聞記者としていつも携えてるカメラのエピソードにはかなり執拗に伏線を張ってます。
ダイナマイトの部屋から脱出する際に予備のフィルムを失ってしまい、残ってるのはカメラのなかのフィルム2枚だけ。この2枚で何を撮るかというエピソードなんですが、温存していた2枚のうち1枚はトーテンコフの島で転んだ拍子に地面を撮ってしまい、後残り1枚になってしまう。トーテンコフの島という驚異に満ちた世界で、新聞記者であるポリーは次にもっととんでもないものを目にするかもしれないと思うと、なかなかシャッターが切れない。
最後にはポリーはシャッターを押してあるものを撮るんですが、この最後の1枚でポリーが何を撮ったのかというのがこの映画のエンディングになっていて、この終わり方は結構洒落てました。
冒険ものなのに一本道で思いのほか淡々と進む物語も、この最後の洒落た終わり方でそれまでの印象がちょっと底上げされるかもしれません。

☆ ☆ ☆

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ジョーの方は見た目抜群の美男子、でもスーパーヒーローのような嫌味なほどの完璧さは持ち合わせてない等身大のヒーローのようなタイプ。ポリーの方は好奇心で動き回り、ジョーに対する愛情はないこともないんだけど、場合によっては見つけた手がかりをジョーから隠してちゃっかり自分のものだけにしておくような打算的な面もかなりある根っからの新聞記者。
ジョーとポリーの人物描写は、こういうタイプのキャラクターの典型でそれほど複雑にはしてありませんでした。最もこういう冒険活劇に複雑な人物描写などどちらかというと不似合いなこともあるので、これはこれで構わなかったと思います。

ただ、アンジェリーナ・ジョリーの扱いが極めて不可解なんですよね。この映画。
アンジェリーナ・ジョリー演じるフランキーの出てくる部分は移動偵察基地の部分だけで、そのあとに続くトーテンコフの島というクライマックスの場所に潜入する前に、フランキーはさっさと離脱して移動偵察基地に戻ってしまいます。戻ってから以降は意味のある形ではもう画面にも登場しない。
それほど複雑にしていない人間関係でも、ジョーとポリーとフランキーの間に、過去に三角関係があったことも物語の中で語られて、単純なキャラクター造形の中で唯一陰影にとんだ部分なのに、フランキーがあっさりと退場してしまうので、その部分も中途半端に放置されたままになってます。

なによりもアイパッチをした女性指揮官という、獣のように獰猛な印象のアンジェリーナ・ジョリー似合いの役柄で、物語の中で一番キャラクターが立っていてかっこよかったのに、ほとんど端役扱い。これは本当に勿体無かったという感じでした。
グウィネス・パルトロウの代わりに新聞記者役だったとしたら、これはちょっとイメージに合わないような感じなので、この映画の中だとやっぱり軍人の役になるんだけど、トーテンコフの島からラストのシーンまでジョーとポリーに同行し一緒に冒険しても全然不都合がなかったのにと思うのはわたしだけではないと思います。

☆ ☆ ☆

物語的にはこういうものなんですが、画面に登場するレトロフューチャー的なガジェットは、やはり観ていて単純に面白いものがあります。冒頭のメトロポリス風ニューヨークに現れる、昔のブリキのおもちゃのロボットを超巨大化したようなデザインの巨大ロボットや、移動偵察基地、水空両用戦闘機「マンタ」、それぞれ特異なデザイン、特異な動きで観る楽しみを味わわせてくれます。
わたしが結構気に入ったのは天才技師デックスが発明した光線銃で、見た目はどこをどう見ても完全に昔の子供のおもちゃ風、その外見でしかも煙草の輪のようなレーザービームをポコポコ発射する仕様はレトロフューチャーのエッセンスが詰まってるような感じでなかなか良かったです。

☆ ☆ ☆




Sky Captain and the World of Tomorrow - Trailer


ANGELINA JOLIE - SKY CAPTAIN-CAPT.FRANKY COOK

アンジェリーナ・ジョリーのインタビューです。インタビュー自体は英語なんですが、映画のシーンや撮影風景がいくつか見られます。


原題 Sky Captain and the World of Tomorrow
監督 ケリー・コンラン (Kerry Conran)
公開 2004年




八坂神社に初詣

昨日の2日、初詣に行ってきました。
場所はスサノヲノミコトを祭神にする八坂神社。
スサノヲノミコトと云えば祇園祭。平安の時代、大流行した疫病を退散させるために、強い神様としてスサノヲノミコトを祀ったのが祇園祭の始まりで、八坂神社は祇園祭の大元でもあります。
なぜわたしが近くに住んでるわけでもないのに、この神社に初詣に行くかというと、スサノヲノミコトがかっこいいという単純な理由にすぎないんですが、とても強そうなので、我が家に入り込もうとする悪霊も簡単にねじ伏せてくれるだろうと、そういう思惑もあったりします。

西楼門
東西方向の四条通りが南北方向の東大路通りに行き当たるところに、八坂神社の西楼門があります。名前から分かるように西楼門は八坂神社の西端に当り、神社の本殿へ向かうにはここから入って東側に進んでいくことになります。
位置的には京都市の東の端っこ、清水寺から少し北に行った辺りです。
お正月なので、初詣客がいっぱい参拝に来てます。

狛犬1

狛犬2
西楼門の両脇には狛犬が鎮座してます。わたしは西楼門の外側に陣取ってる2匹の狛犬のうち、向かって左の狛犬が好きなんですよね。もうほとんどファンと云ってもいいくらい。わたしにはこの狛犬、造形的に凄くかっこよく見えます。写真は贔屓の狛犬の別角度です。
門を入ったなかにも2匹狛犬がいるんですが、やっぱりこの狛犬が一番良い。

ところで狛犬って左右2匹が一対で「阿吽」を表してるって知ってます?

参道1

参道2
西楼門を潜ると本殿までに短い参道があって、お正月のような特別の日には両脇に屋台が一杯並んでます。本殿の前は意外と人の流れは良いんですが、この短い参道の部分だけ、ほとんど身動きができないくらい人が込み合ってます。
昨日は日が射してるのに雨が降ってくるという奇妙な天気で、この身動きできない参道に居並んでる時にちょうど雨が降ってきて、参道全体がちょっとしたパニックになってました。

本殿1

本殿2
本殿前です。普段は鈴を鳴らす綱が降りてるんですが、お正月は人が多すぎるので上にたくし上げられてます。がらがらと鈴を鳴らしたかったんですが、たくし上げられていてはどうしようもなく、ちょっと物足りない気分で参拝を済ませました。何を祈願したかは内緒。

お守り1
お守りとか、御神矢なんかを売ってるところ。ちなみにわたしはここに来たら、お守りと御神矢両方とも買います。

境内1

境内2

美御前社


本殿の周囲の参道の一部です。
八坂神社の中には本殿以外に末社もいくつかあって、黄色の幟が立ってるのは本殿の東側にある八坂神社の末社、スサノヲノミコトの子で美人として知られる、宗像三女神を祭る美御前社(うつくしごぜんしゃ)。
ここは綺麗になることを司る美の神様ということもあって、八坂神社のなかではあまり目立たない社なんですが、女性に大人気。昨日も女性が並んで参拝してました。別に男性が並んでも問題ないはずなんですが、男性が並んでるのって見たことありません。

八坂神社の東奥は円山公園という公園になっていて、花見の季節には桜が満開になる豪奢な場所です。お正月は屋台が出ていて面白そうなので、昨日はこのあたりも散策しようと思ってたんですが、晴れているのに雨が降る、もう降り終わったのかと思っても程なくまた降り出して来るという、苛立つような天候だったので、そこまで足を伸ばす前に散策する気が無くなってしまい、参拝と縁起物を買うという目的を達した時点で、ほとんど帰る気になってしまいました。

☆ ☆ ☆

八坂神社を出て西楼門の目の前の四条通を西に向かうと繁華街、河原町通に出るので、お正月の買い物でもしようとそちらに向かいます。

ペコちゃん1

ペコちゃん2
四条通を西に歩いて木屋町までやってくると、四条通と木屋町の交差する場所の北東の角に不二家があります。不二家に入ってみると、ほとんど目の前の陳列台に福袋が並べて置いてありました。
その福袋に貼られてる「ペコちゃん人形」の文字に引かれて、福袋を一つ購入。
実は毎年八坂神社からの帰り道の途中にあるこの不二家で、お正月用のペコちゃん物が出てると手が出そうになってたんですが、いつもはその誘惑に打ち勝ってたのに、昨日はなぜか簡単に負けてしまって気がついたら福袋をレジに持って行ってました。
一応中身はこんなのでした。ペコちゃん人形、意外に大きい。ソフビの人形かと思えば固い素材で出来てるようです。「ペコポコミニバン缶」はなかにキャンディが入ってます。ネクターの缶ジュースはおそらく福袋に重さを加えるために入れてあったのではないかと思います。

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2009年 ☆元旦☆

新年あけましておめでとうございます


今年もどうぞ宜しくお願い致します☆


今年はどんな面白い映画や音楽に出会えるんだろうと思いを馳せつつ、
わたしは元旦は家でのんびり過ごすつもりです(*^-^*)