【洋楽】 Passion and Warfare - Steve Vai

今回のアルバムはメタル的なプログレッシブ・ロックということで、実は普段ほとんど聴かない、本来的にはわたしの守備範囲外の類の音楽なんですが、演奏してるギタリスト、スティーヴ・ヴァイはギタリストの有り様としては気に入ってる部分があり、守備範囲外のジャンルではあるものの好きな曲が入ってるアルバムでもあるので取り上げてみることにしました。

スティーヴ・ヴァイは以前に記事にしたエリック・ジョンソン同様に、超絶技巧で名を馳せるギタリストの一人です。
ただしギターを持ってギターを弾いて音を出してるからギタリストに違いはないのだけれど、そこから音を導き出したり、音を組み立てていく発想の中には自分が抱えて演奏してるギターそのものにそれほど依ってないようなところがあって、そういう部分がユニークであり、そのユニークさの点で他の超絶技巧派のギタリストとは異質で独自の立ち位置を確保してるミュージシャンだろうと思います。
エリック・ジョンソンつながりで云うなら、エリック・ジョンソンと同様、ジョー・サトリアーニの主催する超絶技巧ギタリストの集い「G3」に参加してることでも知られています。

1960年6月6日、6が並んだ日のニューヨーク生まれ。スティーヴ・ヴァイが楽器に触れた最初はギターではなくてオルガンだったそうです。そしてそこからアコーデオンを経て、ギターに辿り着きます。
アコーデオンからギターへってどうにも脈絡のない転進に見えるんですが、おそらくその時のロックの隆盛、年齢から言うとハードロック周辺の音楽に感化された結果だったんでしょう。Led Zeppelin?構築的なギター・サウンドっていうことから、ジミー・ペイジ辺りに相当影響されてるような気もします。

学校はバークリー音楽大学に行ってるんですよね。きちんと音楽の基礎教育を受けてる。
そのせいなのか、ヴァイの出発地点はバークリーに在学中に異能のギタリスト、フランク・ザッパに雇われたことなんですが、その時の雇われた仕事というのが、ギタリストじゃなくて、ザッパのギターを楽譜に起こすこと、採譜係だったそうです。採譜が出来るというのは、かなり耳と音感が良かったっていうことでもあります。

1980年の卒業後、この採譜の縁で今度はギタリストとしてザッパのバンドに参加、そこで4年ほど在籍した後、1984年にソロデビューのアルバム「Flex-Able」を出すことになります。
その後、同じく超絶技巧派のギタリスト、イングヴェイ・マルムスティーンがバンド、アルカトラスから脱退した穴埋めに抜擢され、軽々とその代役をこなして、驚異的なテクニックのギタリストとしての知名度を上げていきまず。
さらに1989年には元ディープ・パープルのデイヴィッド・カヴァーデイルのバンド、ホワイトスネイクにギタリストとして参入します。

ホワイトスネイクのワールドツアーに参加するのと同時進行でこのアルバム「Passion and Warfare」のプロモーションも開始して、ホワイトスネイクに関してはワールドツアーが終わると同時に脱退してしまうんですが、翌年発売になったこのアルバムはワールドツアーでのプロモーションが成功したのか大ヒットを記録することになりました。

☆ ☆ ☆

スティーヴ・ヴァイの演奏スタイルは一言で云うなら、自由奔放、これに尽きるんじゃないでしょうか。
やること、やろうとしてることにほとんどリミッターがかかってないような感じ。ギターって云う楽器のテクニックを極めていって、その果てにギターという楽器の完璧な演奏形態を模索するというような求道的な方法だけじゃなくて、スティーヴ・ヴァイはギターという楽器がそのなかにどういう音を潜在的に秘めてるのか、それを導き出し明るい場所に引き出すためには、従来的なギターからギター的な音を弾き出してくるテクニックなんか無視しても構わないとでも云ってるようなアプローチの方法も取ってきます。
その結果としてアルバムの中には非常に多彩な音が詰め込まれることになります。このアルバム「Passion and Warfare」も例に漏れず、音色的に極めて多彩なギターサウンドが聴ける仕上がりになっています。当時のギターフリークはこれを聴いて吃驚したんじゃないかと思います。どうしたらこんな音が出せるんだろうって。

変化自在のギターサウンドを奔流のように繰り出してくるスタイルなんですが、その一方で音の形としては全体としてワウワウ系統のエフェクターを好んでるような感じがします。
これとトレモロ・アームを駆使して音から音へ糸を引いていくように繋がってる粘り気のある旋律空間を作り上げていくというか。この粘り感は極めて多彩なヴァイのギターの音に通低してる基本的な特徴かもしれません。

もう一つ、この人見かけは細面で神経質そうな印象なんですが、だからといって演奏は気難しい雰囲気のものかといえば、実は正反対でかなり遊び心のあるパフォーマンスに走ってる部分があります。
わたしはエリック・ジョンソンの時に、ギターの早弾きとか超絶技巧って音楽の演奏を見てるって云うよりも、曲芸に近いものを見てる感覚の方が強いって書きました。
そういう意味でいくと、スティーヴ・ヴァイは超絶技巧の演奏が見世物的であるのを充分に理解してます。演奏を見ればそれは直ぐに分かります。見世物的な要素を逆によく目立つようにパフォーマンスとして演奏に組み込んだりしてる。
だからこの人のライブはコケ脅かし的で、ユーモラスで面白いです。ライブを見てしまうとCDの視聴体験が結構大きな欠落感を伴って、物足りなさとして耳に入ってくるくらい、パフォーマンス性に長けた演奏で楽しませてくれます。

☆ ☆ ☆

曲目はこういうの。

1. Liberty
2. Erotic Nightmares
3. The Animal
4. Answers
5. The Riddle
6. Ballerina 12/24
7. For the Love of God
8. Audience Is Listening
9. I Would Love To
10. Blue Powder
11. Greasy Kid's Stuff
12. Alien Water Kiss
13. Sisters
14. Love Secrets

邦題はそのままカタカナ表記にしたものがあてられています。

1990年リリースの、スティーブ・ヴァイにとっては2枚目のソロ・アルバムです。
ギター中心のインストゥルメンタル・アルバムで、人の声としては台詞のような断片的な言葉が曲間などに混じり合っている部分がある以外では、歌もののような形としてはアルバムの中には入ってきてません。
ギター・インストゥルメンタル・アルバムって単調になってしまってほとんど成功しないんですが、これは先にも書いたようにヒットして大成功、いまではギター・インストゥルメンタル・アルバムの代表のような形になってます。
アルバム全体の音の印象はメタル系のプログレッシブ・ロック。さらに一曲一曲が何らかの形で結びついて全体で意味を成してるようないわゆるコンセプト・アルバムの形をとってます。この人のギターは必ずしもメタル系のギターそのものと云えるようなものでもないんですが、時代的な影響があるのか、これはメタル的な音楽性を下敷きにした部分が多い仕上げ方になってるような気がします。
コンセプト・アルバム的な部分から見るとプログレッシブ・ロックによく有りそうな意味を持たせすぎた大仰さというか、そういうものが全体を覆っていて、当時はどうだったのかは知りませんが、今聴くとこういうコンセプト・アルバム仕様といったものにちょっと古臭い感じを憶えます。

わたしのお気に入りは7曲目の「For the Love of God」、5曲目の「The Riddle」、3曲目の「Animal」辺り。

スティーヴ・ヴァイはアルバムの7曲目に必ずバラード、ラブソングを収録していて、各アルバムの7曲目だけ抜き出して一枚のアルバムに纏めた「The 7th Song Enchanting Guitar Melodies - Archive」というコンピレーション・アルバムもリリースされてます。
どうも「7」という数字に特別の思い入れがあるらしく、ラッキーセブンなんていう単純なものでもないんでしょうけど、テクニカルな側面よりも情緒的なものを特化させた曲を並べる指定席に相応しい数字としてるようです。

「For the Love of God」の曲調は、西洋人が感じる中央アジア辺りをイメージした異郷風の旋律という感じなんでしょうか。
結構映像的な音楽で雄大な光景が目の前に広がっていくような感じの曲です。そういう雄大な世界を渡っていくヴァイのうねり感のあるギターの音が、極めて官能的。
今書いてみて改めて思ったんですけど、この曲のキーワードは「官能的」、これ以外に無いでしょうね。

「The Riddle」はミディアム・テンポの、曰く云いがたい曲調の音楽なんですが、一体何処に着地しようとしてるのかさっぱり分からない、ぐねぐねとのたうちまわるようなギターの旋律が面白いです。

「The Animal」これもミディアム・テンポくらいのあまり早くないリズム。ハードロック的な展開で進みます。スロー気味のテンポなのに途中から始まるギターのソロが結構奔放に弾きまくっていて、対比が楽しい曲。

反対にもうひとつだったのが、8曲目の「Audience Is Listening」のような曲。これ前半は曲じゃなくてスティーヴ少年がギターを持って学校に通ってた頃の日常風景です。先生との会話があってそれに答えるスティーヴ少年の返事が全部ギターの音で表現されてます。いわばトーキング・ギターといったものです。ちなみにこれのPVはそのまま映画の一コマみたいに学校の先生と会話してるシーンだったりするので、逆に云うとアルバムに収められてるのはPVのサントラ風に考えることも可能です。
曲の演奏中にヴァイが弾いてるギターは饒舌でうねうねとしたフレーズが多いので、実はそのままトーキング・ギター的といっても良いんですが、だからといって人の会話の片方をギターの音で代用するって言うアイディアは、ダサいんじゃないかと思います。

☆ ☆ ☆

これだけ奔放に弾くギターではあっても、その場の感情に身を任せて弾いてるんじゃなくて、実はヴァイはほとんどアドリブはやらないんだそうです。アドリブでこなそうとするとスケールの羅列になったり手癖で弾いたりといったことが多くなるので、演奏の多彩さ、曲の構築度を保障しようとすれば、綿密にスコアで組み上げていく方法がもっとも相応しいと判断してるのかもしれません。
アドリブをやらない、決まった演奏に終始するという点でスティーヴ・ヴァイの音楽を「心がない」と評する人もいるらしいんですが、わたしにはこういう方法で実現する「精緻に組み上げられた奔放さ」のようなものが、スティーヴ・ヴァイの音楽の面白さなんじゃないかと思います。

☆ ☆ ☆

パッション・アンド・ウォーフェアパッション・アンド・ウォーフェア
(2005/02/23)
スティーヴ・ヴァイ

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☆ ☆ ☆

For The Love Of God - Steve Vai


2005年にThe Holland Metropole Orchestraと共演したライブ演奏の「For The Love Of God」です。
このアルバムに入ってる元の「For The Love Of God」にはエレクトリック・シタールというこれまた奇妙なものが混さりはするけど、オーケストラは使わないで完成した曲でした。
このビデオを見て最初は未だにロック畑のクラシック・コンプレックスでもあるのかなと思ったりしました。昔はオーケストラと共演となると、ロックっていかがわしい音楽じゃなくてオーケストラとも共演できるんだと云いたげな、オーケストラを権威付けに使ってる感じがあったので、これもそうかなと思って聴き始めたんですが、ヴァイのギターが入ってきた瞬間から、ギターが完全にオーケストラを従えたような感じになって、オーケストラを使うことの付け足し感はほとんどなくなってしまいました。このアルバムのバージョンに較べても色彩感が豊かな演奏になってるようです。
それで特筆すべきはやっぱりスティーヴ・ヴァイのパフォーマンスで、ケレン味のある動作や見世物的いかがわしさが面白いです。もうギターが入る前に舞台で立ったまま手で小さく拍子を取ってる段階からパフォーマンス臭が濃厚に漂ってきて、演奏中は見得を切るような動作をはさみながらのギタープレイに、極めつけのトレモロ・アーム大回転!
こんなことこの人しかやりません。

The Riddle - Steve Vai


ぐねぐねとのたうつ変態的なフレーズのてんこ盛り。変な曲としか云い様が無いです。

The Animal - Steve Vai


この曲はライヴではアドリブで演奏する数少ない曲のひとつだそうです。ハードに始まるものの、ベースソロの後くらいからはバックのリズムがかなり押さえ気味になってギターのソロを際立たせていく感じになります。知らない間にギターのプレイに注視してるのに気づいたりしますよ。


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【洋画】 リベリオン 反逆者

あまり予算がかかってなくて、感触は明らかにB級なのに、そういう感触にもかかわらず結構面白く観られた映画でした。一応SFアクション映画といった分類になると思うんですが、「ガン=カタ」と称されるアクションが他に類を見ないほどユニークで、これがこの映画の印象を決定付けてる感じがします。
作った側はこの映画で見せるべきポイントがどこにあるのかきっちりと分かっていて、力の入れ所を見失わなかったように思えました。
ただ見せるべきポイントは押さえていて、そういう意味では形は綺麗な映画なんですが、全体にスケール感が乏しいというか、そういう印象がありました。設定の割に物語的な広がりがないんですよね。

映画の空間は、まるで巨大な箱庭でした。
わたしたちが生きてる世界と基本部分での成り立ちが違う世界を描くのには、本当は空間的にも時間的にも拡がりのある舞台が必要だったと思うんだけど、映画は一つの都市国家、リブリアというごく限られた範囲に限定して進んでいきます。

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都市自体も外の世界とは壁で区切られた、巨大ではあるんだけど閉鎖されたような世界。さらにそのなかでごく限られた特殊な組織に属する一人の男の周辺に限定されるような物語空間。
予算の関係とやはり全体をコントロールしやすいからそういう方向に向かったんだと思いますが、そういう限定空間を背負わされて、物語もまた世界のスケールの大きさに較べて、狭苦しい範囲に終始していた感があります。
「ガン=カタ」アクションでかなり満足して見終えるものの、振り返ってみれば壮大な設定の割りに物語がありきたりで薄いことに意外な感じを受けるかもしれません。

☆ ☆ ☆

第3次世界大戦を経験した近未来の世界は、もしも第4次世界大戦が始まればその時は必ず人類は滅びると判断し、第4次世界大戦を回避するために人間から暴力的なものを取り除くことを発案、一切の感情を押さえ込む薬物「プロジアム」を開発して世界中の人間に摂取することを義務付けた。さらに感情を刺激するような音楽、文学、絵画などの一切の芸術作品を探し出し、歴史的な価値があるようなものでも見つけ次第焼却処分して、この世の中から抹殺する方針を固めた。

その任務に当るのが戦闘術「ガン=カタ」をマスターした「グラマトン・クラリック」と呼ばれる特殊部隊員たちで、かれらは美術品などを隠し持ってる反乱者を発見すると、問答無用で射殺、押収した美術品をその場で焼きはらった。

有能なクラリックであるジョン・プレストン(クリスチャン・ベール)はパートナーのクラリックであるパートリッジ(ショーン・ビーン)と行動をともにして任務に当っていた。

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ところがパートリッジはクラリックであるにもかかわらず、プロジアムを服用するのを密かに止めていて、禁じられた「感情」を持ち、反乱者のアジトから押収したイェーツの詩集を読みふけるような生活を陰で続けていた。
やがてプレストンはパートナーのその禁断の生活に気づいて、パートリッジを違反者として銃殺してしまう。この出来事はプレストンの心にある痕跡を残していった。
プレストンはパートリッジの後釜にクラリックのブラント(テイ・ディグス)とパートナーを組むことになる。ブラントは上昇志向の強い若者だった。

ある日の朝プレストンはその日に摂取すべきプロジアムのガラス・カプセルを落として割ってしまう。出勤の途上で代わりのプロジアムを手に入れるつもりだったが、銃殺したパートナー、バートリッジのことが心にひっかかって、その日はプロジアムを貰いに行くことをやめてしまい、摂取しないで行動することになった。
その日確保しに行った違反者はメアリー・オブライエン(エミリー・ワトソン)という女性で、壁に仕切られた部屋に工芸品を隠し持っていた。プレストンはメアリーを尋問している間、どこか冷静でいられないような気分を味わった。
次の日の朝プレストンは朝日が昇る光景を目にして今まで感じたことの無い感情に翻弄され、急いでその日のプロジアムを服用しようとしたが、今度は自分の意志でやめてしまった。プレストンは感情を持つということがどういうことなのか、体感として理解し始めていた。

その後もプロジアムを服用しない生活を続けていくうちに、さまざまな場面で感情を動かされることがあり、ある時には感情を持ってしまってることを悟られかけた挙句、警官を射殺したりもして違反者として疑われるところまでいってしまった。
やがて感情の重要さに気づき、人々の人間性が抑圧され損なわれてると確信し始めたプレストンは反乱組織のリーダー、ユルゲン(ウイリアム・フィッチナー)と知り合い、彼の反乱組織に協力するようになる。
最終目的はプロシアムで人々を抑圧、支配してる独裁者、ファーザー(ショーン・パートウィー)の打倒。そのためにプレストンが反乱組織を逮捕したように見せかけ、ユルゲンらを政府内部に侵入させる作戦を発動することになった。
ユルゲンらを逮捕したプレストンはその功績でファーザーに謁見することになり、ブレストンの目の前にファーザーを倒す千載一遇のチャンスが訪れることになった。

☆ ☆ ☆

物語の背景となる世界は支配ー被支配、管理ー反乱といった単純化された二項対立を元にしていて分かりやすい反面、薬で人類の感情を消してしまうという荒唐無稽な内容とも相まって、それほどリアリティのあるものではなかったです。
でも映画はそのリアリティを補強するために、感情を抑圧され、管理された世界というのがどんなものなのか、その有様を様々な形で見せていくというような方向には進まずに、それはそういうものとして置いておいて、主人公プレストンがパートナーのパートリッジを平気で射殺できるような冷酷な処刑人から、感情を回復して反乱組織の一員になっていく過程をただひたすらミクロ的に追い続けることに終始します。

わたしには監督がもとから、そういう世界をリアルなものとして映画の中に作り上げる意図はそれほど持ってなかったんじゃないかという風に思えました。感情を抑圧される世界というのは中心的なテーマになってるわけでもなくて、プレストンが突破するための障害物扱いというか、そういう目的で映画の中に配置されてるだけっていう感じがします。

なによりも、感情を抑圧されてると云いながら、映画の中で見るプレストンやパートナーのブラントは明らかに物語に都合の良い感情だけはなぜか持ってるとしかみえないところがあるんですよね。
ブラントなんかは上昇志向の欲望に沿ってプレストンを追い落とし、その地位に自分が居座るために策略をめぐらし罠を仕掛けるほどの情動の持ち主で、こんなの感情を抑圧してるどころか普通の人間以上にはるかに感情的です。
この映画は近未来を舞台にするものとしてSF的な世界設定はされてるものの、そういう設定が映画の要のところで、ご都合主義に流れてしまってるようなところがある作りになってます。

そういう風にある意味適当なところもある世界を背景にして、プレストンの感情回復の物語が語られていくわけです。
映画の世界は語るほど分厚いものじゃなかったけれど、感情を回復していく過程のプレストンの状態の推移はかなり上手く表現されていたと思います。
方法的にはなだらかに連続したものとして回復の過程を見せる一方で、大きなイベントを用意してイベントごとに感情のステージが上がっていくような形を取ってます。
一番大きく動いてるのがよく分かるシーンだと、パートリッジが火葬される夢を見て動揺して起きた後、窓の外に広がる朝焼けの光景を目にして体験したことの無い感覚に動揺する場面、感情を刺激するものとして射殺されようとしてる仔犬の一匹を検疫のためと称して連れ帰り密かに保護してしまう場面、強襲して全滅させた反乱者のアジトの隠し部屋でレコードを発見して、ベートーヴェンの第9を聴いてしまった場面。

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プレストンが、見てるものの何に心動かされてるのかが凄くよく分かるシーンで、そういうものを挿入していくことでプレストンの感情がまた一段階解放されたんだということを観て納得できるような形にしてあります。安易な方法ではあるんですが、分かりやすくて効果的。
そしてそれに重ねて、無表情のなかに僅かに光が射したような感じ、抑圧の内部で何かが立ち上がってきてる感じ、そういう極めて微妙なものを的確に表現するクリスチャン・ベールの演技が補強していくわけです。クリスチャン・ベールのこういう演技は中々上手いと思いました。こういうのって激高したりするのよりもはるかに難しいと思いますから。

もう一つ、話自体はプレストンが感情を回復させていく極めてシンプルでストレートな物語なんですが、考えてみるとプレストンが出会う抑圧された側の人間は抑圧されきった人なんて誰も出てこなくて、メアリーといい反乱組織のリーダー、ユルゲンといい、全員とっくの昔に薬を服用するのをやめて感情を回復させた人間なんですよね。そしてそういう人間を解放する役割のプレストンのほうが支配側に忠実で薬で感情を抑圧してる。物語的には管理抑圧された人々をプレストンが救い出すっていう形になってるんですが、関わる市民側が全員覚醒済みという形にもなってるために、ヒーローものとして見たらちょっと倒立したような印象を受けるところがありました。わたしはこの倒立してるようにも見える関係が観ていて面白かったです。でもこの奇妙な倒立関係は最初から意図して出してきたのか偶然そういう風になったのかどっちだったんでしょうね。

☆ ☆ ☆

物語はプレストンの覚醒の物語が大半を占めていて、一人の男が感情を取りもどす物語なんて、当然の如く結構かったるい部分があります。それでそういう冗長な部分のある物語を要所要所で引き締めてるのが、この映画の最大の売りである「ガン=カタ」ということになってきます。
「ガン=カタ」というのは一言で云うと、二挺拳銃を持った舞い。剣を持っていれば確実に剣舞と云えるもので、その剣舞を剣の代わりに拳銃を持って舞ってしまったというものです。監督の話では格闘家に演じてもらうよりもダンサーに演じてもらいたいと思ってたとか。
映画の中では都市国家・リブリアを支配するテトラグラマトン党の副総裁デュポン(アンガス・マクファーデン)の口を借りてこういう風に説明されます。
「多くの銃撃戦を分析した。敵対者たちが幾何学的な配置であるならば、その動きを予見できる。ガン=カタを極め銃を活用しろ。最も効果的な攻撃位置に立て。最大のダメージを最大の人数に。一方自分は予測可能な敵の狙いを外して立て」

要するに相手の銃弾の飛んでくる位置は統計的に予測可能で、ガン=カタを駆使することで相手の銃撃をよけ、自分に有利な位置を絶えず掴んで最大の攻撃を与えることが出来るということ、ガン=カタはそういうことを可能にする武術とされています。これって、主人公に対しては全然弾が当らないって云う、よくあるアクション映画の特徴に完全な理由をつけてるように思えます。
ともあれガン=カタは外見的には、独特の構えから始まって、拳銃使いなのにまるで見得を切るような残心まで揃えた演武で、敵の弾を見切って全てよけながら猛スピードの銃撃で敵をなぎ倒していく、壮絶な技。トリッキーな動きが組み入れられて見た目も派手で面白いです
これを思いついた時の監督は、きっと舞い上がったでしょうね。

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映画でガン=カタが出てくるシーンは全部で4箇所。意外に少なくて、少々物足りない感じもあるんですが、このくらいの分量の方が飽きないでいられる適量かもしれません。
しかもそれぞれに違う味付けがしてあって演出はかなり考えられてます。
最初に出てくるのはクラリックが初登場する、反乱グループのアジト急襲のシーンで、真っ暗闇の中での銃撃戦。無音の暗闇が結構長くとってあって、何が起こるのか期待させます。この時の撮影は銃のマズル・フラッシュの明かりだけでそれにシンクロする装置を使って撮影したとか。
中盤での違う反乱グループのアジトでの戦闘は、銃を使って行う格闘戦。
ラストのファーザーの元に向かうシーンではクライマックスというだけあって、3段階のガン=カタ戦闘シーンが用意されてます。
ひとつは長い廊下の両側にずらりと並んだ敵兵が浴びせる銃撃の中を、ガン=カタを駆使して、敵兵をなぎ倒しながら中央突破するシーン。そのあとファーザーの室内でプレストンの周りを囲んできた近衛兵たちとの、今度は銃を刀に持ち替えてのガン=カタ。これは要するに大立ち回りのチャンバラなんですよね。ガン=カタ自体が構えだとか見得だとか、日本の時代劇から発想を得てるのが丸分かりだから、このシーンはそのルーツが観られるってことでしょうか。その直後に上昇志向のパートナー、ブラントとの刀での一騎打ちと続いて、最後は大ボスとの銃撃を使ったガン=カタの超接近戦と続きます。

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ガン=カタ戦闘シーンでよかったのは、スローモーションを使わなかったこと。時代的にこの映画が出来た時、アクションシーンでスローモーションを使うことが既に流行ってたのかどうか知らないんですが、スローモーションのアクションシーンってはっきり云って食傷気味なので、こういうスピードをスピードとしてみせる演出の方が新鮮に思えました。

もう一つ、これは今一だと思ったことなんですが、刀だと刀と相手の体の間に切る切られるという関係がきっちりと見えるんだけど、銃撃はそういう関係が見えないから、ガン=カタで猛スピードで乱射されると、倒れる敵と銃を乱れ打ちしてるプレストンが関係として結び付けにくいんですよね。勝手に銃を乱射して、敵も勝手に倒れていくような絵になってくる。こういう画面は派手さを追加は出来るけど、刀が肉体と結ぶような緊張感を持たせることは中々難しいようだと思いました。

☆ ☆ ☆

低予算映画の割りに良い俳優を使ってる映画です。

クリスチャン・ベールは冷酷な処刑人がよく似合うし、基本無表情なので感情回復後も激情を内に秘めてるクールさみたいなのも自然と出てきてかっこいい。

最初のパートナー、パートリッジを演じたショーン・ビーンは、出番が少なくて残念でした。この人がガン=カタを舞ってるシーンはあまり想像できないんだけど、禁制の詩集を禁制だと知りながら読みふけってる姿は妙に板についてました。

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この役は出演シーンが少なすぎていろんな俳優に断られたらしいんですが、プレストンが感情に対して考えが揺れ動いていくきっかけになる人物だから実は物語的にはかなり重要な役なんですよね。ショーン・ビーンはよく受けたと思います。この重要性がわかってたのかな。

メアリー役のエミリー・ワトソンはラース・フォン・トリアーの「奇跡の海」の女優ですね。プレストンに国家から受けた仕打ちを思い出させ反逆に踏み込ませるきっかけになる役でした。この人はやり直すたびに演技がよくなっていくタイプだったらしくて、監督はテイクをやり直すのが楽しみだったそうです。

この映画、日本での公開当時はほとんど宣伝しなくて、一ヶ月程度で上映打ち切りになったそうです。後に口コミで広がってカルト化していくんですが、この辺の展開は「ブレードランナー」を思い起こさせます。後になっても思い出されもしない作品よりははるかに良いとは思うものの、できれば公開時に流行って欲しかったんじゃないかと思います。

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Equilibrium U.S. Trailer


「ガン=カタ」シーン



原題 Equilibrium
監督 カート・ウィマー
公開 2002年

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【美術】幻想美術ー時を越えてー コレクターズコレクション 澁澤龍彦ゆかりの作家たち。 その他

展覧会の情報です。
といっても一つは既に始まってる…。

「幻想美術ー時を越えてー コレクターズコレクション 澁澤龍彦ゆかりの作家たち」

幻想美術1

幻想美術2


澁澤龍彦といえばヨーロッパの異端芸術なんかに関心を持った時、一番最初に接するような人だと思います。少し詳しくなってくると入門者向けのように感じられて、澁澤龍彦の本はあまり読まなくなったりするんですが。
その澁澤龍彦がヨーロッパ異端美術を紹介する一方で、積極的に関わり世に出した日本の幻想的美術家たちの作品が集められた展覧会のようです。

チラシからだと、合田佐和子のように状況劇場や天井桟敷の宣伝媒体、舞台美術で60年代の熱気が纏わりついてる作家の作品とか、澁澤龍彦が通俗的シュールレアリズムと評して世に出さなければ、扇情的な雑誌の絵描きとしておそらく埋もれて行っただろう秋吉巒の絵画だとか、そういう作品が観られそうな感じの展覧会です。
藤野一友の絵画も展示リストに入ってる。この人は昔のサンリオSF文庫のフィリップ・K・ディックの表紙に使われるような幻想画家である一方、中川彩子という別名義でSM雑誌にSMの絵を描いてた人です。わたしは中川彩子のほうの画集を持ってます。
建石修志の鉛筆画なんかは、わたしにとっては「幻想文学」の表紙とか、「虚無への供物」の作者、中井英夫の諸小説の挿絵や装丁で馴染みがあります。

また、ホームページのほうには、荒木博志のアトムも出展って書いてますね。
荒木博志のアトムってこういうのです。
アトム1

アトム2

アトム3

わたしはこれの実物を観たいと思ってるんですが未だに観たことが無い。

京橋のギャラリー椿で2009年3月14日まで開催だそうです。

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もう一つの展覧会は、どちらかというと展覧会よりも、この写真をブログに貼りたかった欲求の方が強かったんですが、

「第28回エコール・ド・シモン人形展」

四谷シモン


人形作家四谷シモンの人形学校「エコール・ド・シモン」の展覧会。四谷シモンの人形も何点か出展されるようです。

紀伊國屋画廊で2009年3月12日(木)~3月24日(火)まで。

☆ ☆ ☆

両方の展覧会に共通するのは四谷シモンの球体関節人形です。
わたしは球体関節人形が好きなんですよね。
四谷シモンの人形は必ずしも球体関節人形の文脈そのものに位置してるわけでもないんですが、人形を作る切っ掛けがハンス・べルメールだったらしいから、中心テーマには掲げられなくても、球体関節がもつ観念的なものは蔑ろにはされてないように思えます。

2003年に京都の文化博物館で「今日の人形芸術 想念の造形」っていう展覧会が開かれて、吉田良らとともに四谷シモンの人形も数点展示されてました。

今日の人形芸術1

今日の人形芸術2

写真では知っていたものの本物をみたのはこれが初めてで、実物を前にしてわたしはちょっと動きがたい状態になった経験があります。何だか分からないけどとにかくこの場から離れたくないっていうような感覚。
人形が出す波長とぴったりと合ってしまったという感じなのか、実は球体関節人形の文脈ではもっとお気に入りの人形なんて一杯あるんだけど、四谷シモンの人形は美術書では知っていてもそれほど夢中にならなかったタイプのものだったのに、この時はなぜかそんな感じになってしまいました。
この感覚は未だにある程度だけわたしのなかに残っていて、その残った分量だけ四谷シモンの人形に気が引かれる思いがします。

四谷シモンの人形が少しだけ観られます。
四谷シモンwebギャラリー


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