【洋画】 ガタカ

映画の話題としてはこの前取り上げたガン=カタの映画に続いて、今度の映画は「ガタカ」。
これがタイトルなんですが、邦題だけじゃなくて原題もこれです。ガン=カタっていう言葉が頭の中にあって、映画のタイトル「リベリオン」よりも印象が強ければ、ガン=カタを観ようと思って間違ってこっちを選ぶ人も多いんじゃないかと思います。ひょっとしたら続編?って思わせるような響きもありますものね。でも期待しても残念ながらあの凄かった銃の演舞は一切出てこないです。

ガン=カタは出てこなくても「ガタカ」もまた同じように近未来を舞台にしたSFです。とは云うものの普通にSFと聞いた時に頭に思い浮かぶようなものとはおそらく全然違う印象を与える映画になってるはずです。
見上げる空に飛び立っていく宇宙船は出てくるものの、物語の舞台としての宇宙船はラスト近くのごく一部を除いては一切映画の中には出てきません。化け物じみた宇宙人との派手な戦闘もない。
この映画はそういうにぎやかで楽しいテーマじゃなく、遺伝子操作が可能になった社会で人間がどう扱われていくかといった社会的なテーマや、兄弟間の確執、持つ者持たざる者のそれぞれの苦悩といった文学的ともいえるようなテーマが中心になっています。

そしてそういうテーマを載せて展開する画面もまた従来的なSFのイメージとは異なって、ワイドスクリーンを効果的に使った極めてスタイリッシュな絵作りをしてます。
襲い掛かる宇宙モンスターや飛び交うビームに画面を揺るがす大爆発といったものが満ち溢れる躍動的な画面ではなくて、どちらかというと絵画的な構造の、静的でクール、未来と過去が入り混じったような不思議な感触の画面が映画全体を占めていて、近未来という時代の、遺伝子を元にした徹底した管理社会の雰囲気、テーマ性をうまく視覚化しています。

タイトルになってる「ガタカ」なんですが、映画の中では主人公ヴィンセント・フリーマン ( イーサン・ホーク )が自分の遺伝子を誤魔化して社員として潜り込む企業の名前として出てくるだけで、直接的な意味は説明されません。
それで映画を観てるだけでは結局この言葉の意味は分からずじまいで終わってしまうんですが、どうやらDNAの塩基配列頭文字、A(アミン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)を組合わせて作った造語だということのようです。

音列は硬質で低温度的な響きがかっこいいです。多少はわたしのお気に入りのガン=カタに引っ張られた印象ではありますけどね。

☆ ☆ ☆

近未来のどこかの時代、人は自らの遺伝子の構造をつきとめ自由に扱う術を獲得していた。
多くの人は我が子が遺伝子的な問題を抱えて生まれてこないように、試験管の中で人工的に操作された出産を望んだ。
しかし中には自然にゆだねるのが最良という考えの元に、昔からの性行為を出発点として自然分娩にいたる過程を選ぶ親たちも存在し、そうして生まれた子供たちは「神の子」と呼ばれることになった。

ヴィンセント・フリーマンもそういう神の子の一人。
この時代は生まれた直後に実施される血液検査で生涯にかかる病気、寿命などを予測できるようになっていて、ヴィンセントは99パーセントの心臓疾患発病率を予想され、寿命は30歳程度と分析されていた。実際にヴィンセントは周りの人間が始終気を使わなければならないような病弱な幼少期を送ることになる。
最初の子供に懲りて両親は次の子供を時代のやり方に沿って授かることを決心する。そしてヴィンセントの弟として、遺伝子的な劣悪因子や疾患を取り除き、両親の遺伝子の掛け合わせとしては最高の状態でアントン・フリーマンが生まれた。

兄であるヴィンセントはあらゆる意味で弟アントンにかなわなかった。やがてヴィンセントは地上にあるもの全てを憎むようになり空高く上っていく宇宙飛行士になることを夢見るようになった。しかし、世界は遺伝子的に優れた「適正者」と劣化した遺伝子の持ち主「不適正者」に二分された階層社会になっていて、宇宙飛行士への道と弟アントンは「適正者」の世界に属して、ヴィンセント自身は「不適正者」の階層に属するものだった。「適正者」と「不適正者」の間は明確に断絶していて、不適正者が適正者の社会に入り込むことは不可能なことだった。
それでもヴィンセントは宇宙飛行士になる勉強を続けていたが、両親はヴィンセントに努力しても無駄なことが存在するといつも云い聞かせていた。

そういう環境のなかで、ヴィンセントとアントンは親の目を盗んでは浜辺に行き何処まで遠くへ泳げるか競うという度胸試しをやっていた。
いつもは弟が勝っていたが、ある日、アントンが途中で力尽き、溺れかける事態が発生する。その時の度胸試しでは溺れかけた弟をヴィンセントが助けることとなった。
絶対に勝てないはずの弟に勝ってしまったこの出来事で、今まで自分に出来ることの限界を他人が決めていた有り方ではなく、予め課せられた不可能を克服するだけの可能性が自分にも残されていることを確信したヴィンセントは、社会に合わせて確かめもせずに自分の可能性を規定しようとする家族の元を去る決心をすることになった。

家を出たヴィンセントは職を転々とし、やがて不適正者の属する新下層階級の清掃員の一人として「ガタカ」にやってくる。
ガタカ社はこの時代に宇宙開発を行う唯一の巨大企業で、宇宙飛行士になるにはここに入る以外に無い。厳重なゲートで選別されてガタカ社に入っていく適性者の集団を清掃しながら毎日眺めていたヴィンセントは必ずこのゲートを潜ってガタカ社に入る決意をするのだった。

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ところが入社のテストを受けてみても、ドアノブに触れただけでその痕跡からDNAを辿られて、不適正者であることがばれてしまって入り込むことが出来ない。いくら努力しても血液検査をされれば即座に落とされるという状況にあって、ヴィンセントはDNAブローカーに会うという最終手段をとることを決意した。
ヴィンセントに体格的に一致する適正者としてブローカーから紹介されたのが元水泳選手のエリート、ジェローム・モロー(ジュード・ロウ)だった。
ジェローム・モローは最高の遺伝子をもつ超人。しかし過去に自殺未遂を起こしていて、そのときの行為が原因で今では車椅子の生活になっていた。
ヴィンセントはジェローム・モローの生活を保障する代わりに、ジェローム・モローのIDを譲り受け、遺伝子を含む垢、ふけ、髪の毛、尿などを提供してもらい、その遺伝子を内包する老廃物を使うことでガタカの検査を突破し、ジェローム・モローに成りすましてガタカの一員になることに成功した。

ヴィンセントがジェローム・モローとしてガタカでの生活を続けていたある日、ガタカ内部で殺人事件が生じる。殺されたのはガタカ社で近々予定されている土星の衛星タイタンへの探査船の打ち上げに反対していたある上司。
その結果ガタカ社で警察の捜査が始まることになった。チリ一つ見逃さない警察の現場検証に、たまたま落としたヴィンセントの睫毛が一本紛れ込んで、蒐集物の分析の結果、不適正者ヴィンセントがガタカ社に紛れ込んでいることが警察にばれてしまった。
ジェローム・モローとして認知されていたヴィンセントに、即座に警察の手がのびてくることは無かったが、警察は確実にヴィンセントを囲い込み、殺人の容疑者としてヴィンセントに向かって捜査の範囲を絞り込んでくる。ヴィンセントはしだいに窮地に立たされていくことになった。

☆ ☆ ☆

簡単に云うならば、4つの遺伝子の物語が4人の主要登場人物に仮託されて語られる、そういう構成の物語になってます。
主人公のヴィンセントは自然のままの状態で、この社会では、あるいは今の現実の社会でも劣性と見做される特質を持った遺伝子を山のように抱えてしまってる存在、映画の冒頭に引用される2つの言葉のうち最初に出てくる「神が曲げたものを誰が直し得よう?」という伝道の書からの言葉をそのまま体現してしまってるような人物。そしてそういう兄に対応する弟のアントンはたとえば天才同士の掛け合わせといったものではなく、ごく普通の人間である両親の遺伝子という制限はあっても、その組み合わせのうちでは最良の選択をなされた存在。
ジェローム・モローは超人と呼ぶに相応しいような完璧な遺伝子の持ち主でありながら、なぜかその遺伝子の能力を十全に発揮できず、目の前に越えられない壁を見出してしまった人物で、もう一人紅一点で、ヴィンセントに惹かれていく女性アイリーン(ウマ・サーマン)は遺伝子操作されて生まれてきたにもかかわらず、ある種の欠陥を抱え込んでいて、適正者の社会にいる資格を充分に持ちガタカ社内部に居場所も見つけながら、ガタカ社の目的である宇宙に飛び立つことを拒絶されてる人物といった感じに役割を割り振られています。

主人公の兄弟は冒頭の伝道の書の言葉と、それに続いて映画の冒頭に出てくるウィラード・ゲイリンの言葉、ゲイリンは実在の人物で1974年に「Harvesting The Dead」という論文を書いて脳死体の医学的な利用価値について言及した人らしいんですが、そのゲイリンの言葉「自然は人間の挑戦を望んでいる」というのをそれぞれ体現してるような存在で、残るジェローム・モローとアイリーンは操作され適正者の側にいながらも、完全なものとしてではなくそれぞれが翳りを背負わされてる人物とでも云い表せるかもしれません。

このように映画「ガタカ」の登場人物はそれぞれかなり明確な役割を割り振られてスクリーンの中に登場します。そしてそれぞれ担ってる遺伝子のロールプレイングをする登場人物といった感じで配置されます。
登場人物それぞれに事情があるものの明確に役割を振られている分、ストーリーの見通しは意外なほど良くて、物語の構造自体も各登場人物ごとにブロック状に切り離せるんじゃないかと思えるくらい、分かりやすい形を取って目の前に展開していきます。
ヴィンセントと弟アントンとの確執のある少年時代の回想、その回想が終われば、適正者を騙って潜り込んだヴィンセントのガタカ社での日々とそこで起こった殺人事件、ヴィンセントに適正者のアイデンティティを与えるジェローム・モローの孤立した生活という風に、それぞれがお互いの領域に関わっているように見えながら、大枠の部分ではきっちりと別の物として扱われ物語の秩序に沿って並べられてる。
複数のストーリーを用意して、ある程度個別の枠組みに収めてしまってるためにいささか散漫な印象があるものの、区画整理された道を歩いてるような見通しのよさがあるというか、そういう感じをうける物語でした。

☆ ☆ ☆

この映画を見終わってみてわたしが感じたのは、まず第一にヴィンセントの、主人公であるにもかかわらず、それほど印象に残らない存在の希薄さでした。

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ヴィンセントがこの映画の主人公であるのはまず間違いがないところ。これには誰も異論がないと思います。
冒頭部分、自分の垢などをガタカ社で不用意に落とさないように、皮が擦りむけるほどに焼却炉に擦り落としてから出社するシーンに始まって、ヴィンセント自身のモノローグで始まる、自分がガタカで適正者に混じって生活してることへ至る過去の回想から、無表情にエリートを演じてるガタカでの日常と場面は続き、最後もヴィンセントのエピソードで終わるこの映画の物語は終始ヴィンセントを画面に捉えていて、明らかにヴィンセントの物語として成立しています。
わたしはヴィンセントが不適正者であっても不可能を努力で可能にして、最後には夢にまで見た土星探査の宇宙飛行士になる物語として観ていました。おそらくこれはわたしたけではなく、この映画を観た大半の人がそういう観点で観始めると思います。
ところが確かにそういう風に進む物語ではあるんですが、実は物語の大半はガタカ内部で起こった殺人事件の話に割り振られてしまってるんですよね。この殺人事件の話はもちろんヴィンセントに密接に関わってくる事件なんですが、ここで扱ってたはずのヴィンセントが生きることを強要されてる遺伝子に規定された生存の形そのものとはあまり関係のないエピソードに終始していくことになります。

この殺人事件というのは、先に書いたようにタイタン探査宇宙船の打ち上げに反対してた上司の殺害というものなんですが、この上司は殺害された形で初めてスクリーンに登場してきて、それ以前の話の中では全く出て来ない人物です。
会社の自室で殺されてるのが発見されるまでに映画としてはまだたったの8分ほどしか経ってない。この8分の間にこの人物は一度も登場しないので、このシーンがやってきた時にわたしが思ったのは、「これ、誰?」っていうものでした。
以後警察が介入してきて、ガタカにヴィンセントが潜り込んでるのがばれてしまい、誰がそのヴィンセントなのかを探る捜査が始まるものの、殺された上司は捜査の過程でガタカのやり方に反対してた人物と説明されるだけで、後は最後まで「これ、誰?」の放置状態です。どういう生活をしていてどういう考えの元に土星探査に異を唱えるようになったのか、この人物に関するそういった描写は皆無で、おそらくヴィンセントとの人間的な係わり合いさえも無い人物でしょう。

結局映画の中で大半を占めているこの出来事は、云うならば殺人事件としての意味合いさえも与えられていない事件として扱われていて、ヴィンセントを追い詰めていくサスペンスを作り出すために用意された物語上の仕掛けにしか過ぎないのは一目瞭然でした。
だから映画はその仕掛けに引きずられて、ヴィンセントが自分に向かって閉じかけてくる容疑から抜け出すためにいろいろ算段する描写に特化してしまい、本来表すべきだった不可能を可能にする努力といったシーンはほとんど出てこないことになってました。

ガタカ社の社員全員にかけられた不適正者の容疑と、その不適正者ヴィンセントを割り出すために試行される様々な検査。ヴィンセントはその検査を全てクリアするべくいろいろ知恵をしぼるんですが、観てる側が感心するほど考え抜いた方法を使うわけでもなく、その場の偶然に頼ったり、理由をつけて暴れた隙に検体を擦りかえるとか、姑息な手段ばかりを披露します。
一応ガタカ社でジェローム・モローに匹敵する能力を発揮するためにヴィンセントがかける努力、本当はこちらの方が本筋なんですが、これもエピソード的に映画の中に挿入はされるものの、腹筋の運動をするときに負荷として使っていた分厚い書物の背が画面に映って、それが宇宙航法に関する本だということが分かったり、といった極めて間接的な描写に終始します。実際に本を読んでるシーンなんて過去の回想に僅かに出てくるだけです。
これでは、ジェローム・モローの体の一部を使って適正者に成りすましたきっかけから、やがてジェローム・モロー並みの能力を身につけるまでに至る壮絶な努力の物語の印象なんて絶対に持たないです

おそらくヴィンセントが地道に努力する過程を延々と映しても、映画を維持できないと判断したせいだと思うんですが、殺人事件によるサスペンスという、この映画が採用した展開は映画を維持は出来ても映画が用意してるテーマを展開するにはあまり適切だったようには思えませんでした。

そういえば弟との肝試しの遠泳でも、これで適正者の弟に勝ったことがヴィンセントに遺伝子の呪縛から解放される道筋も残されてると確信させる出来事だったのに、なぜ勝てたのかはほとんど理由なんてなく、勝てたのも偶然にしか見えないような描き方をしてました。このヴィンセントの出発地点の出来事もエピソード的には弱いといえば弱いです。
ただこの遠泳のシーンは映画の中では三回あるんですが、どのシーンも俯瞰を効果的に挟み込んだりして極めて美しいシーンだったので、シナリオ的には弱くても、絵で納得させるだけの力はあったかもしれません。

☆ ☆ ☆

一方、遺伝子的な超人ジェローム・モローのほうは、これは車椅子に座ってるということもあって自宅から出るシーンはほとんどなく、ガタカ社で展開される映画メインの出来事とは切り離されたような扱いになってるんですが、印象は主人公のヴィンセントよりも余程強烈で、こちらが主役といっても云いくらいの存在感がありました。こちらの印象の方が強烈なので、イーサン・ホークの演じた主役の印象が必要以上に薄いものになってしまってるとさえ云えるかもしれません。

ほかの人物の描写が、たとえるなら最初に割と単純な答えの数字が用意されていて、その数字に行き着くように数式を組み上げていたような作り方をしてたのに対して、この人物は最初から最後まで変数ばかりで構成されてる複雑な人物として造形されてるような印象をあたえました。

最高級の遺伝子を持ちほとんど全てのことで万能とも云える可能性を秘めて水泳選手のスターになったものの、努力を怠ったわけでもないのにいつまでも2位の銀メダルに終始し、遺伝子が確実に保障してるはずの一位に辿り着けない。何故そこへ行き着けないのか自分でも分からないままに、最高級の遺伝子の持ち主という重圧に耐え切れなくなって自殺するために車の前に飛び出したものの生き残ってしまい、自殺未遂の結果半身不随となってそのまま水泳界がら行方をくらませた人物。
最初にヴィンセントと会った時は生活を保障してもらうために、自分のIDを初め、自分の垢やふけや尿を提供する自分のあり方に対して冷笑的な姿勢を示す人物、たとえば身長は?と訊かれて130センチ(車椅子に乗ってる高さ)と答えるような人物として登場するんですが、これだけでも屈折して陰影にとんだ人物としてかなり強い印象を与える感じです。

そしてこの冷笑的な位置にいてヴィンセントとの取引をあくまでもビジネスと考えていた地点から、自分の遺伝子を使って自分の代わりに努力して階段を登っていくヴィンセントと付き合ってるうちに冷笑的だったジェロームの人間性に変化が起きて来ます。
実はこの映画に出てくる登場人物で、他人との係わり合いのなかでその存在を大きく変化させていく人物っていうのはこのジェロームだけなんですよね。ほかの人物も多少は他人の影響を受けはするものの、あくまでも背負わされた遺伝子のロールプレイングをする駒という形を崩さない。さっきのたとえで云えば最初にその人物のものとして想定された単純な数字を乱そうとはしません。ところがジェロームは最後の答えにあたる数字をどんどんと変化させてくる。

ヴィンセントはガタカ社のなかではジェローム・モローのIDとそれを保障する遺伝情報を利用して入り込んでるので、ヴィンセントではなくてジェローム・モローその人です。そしてジェローム・モローはもう一人のジェローム・モローが努力を重ねて宇宙飛行士への道を突き進んでいき、ジェローム・モローの名前を宇宙飛行士として歴史に残そうとしてるのを目の当たりにしていく。自分は水泳選手として銀メダルに甘んじた生涯だったが、自分の一部をまさに共有して自分が届かなかった地点まで登ろうとしてるジェローム=ヴィンセントを見てるうちに、ヴィンセントの存在を自らのことに重ね合わせるように考え、冷笑的だった状態から積極的に協力していくことになります。
ジェローム・モローの屈折振り、複雑さは最後のシーンで取る行動にも現れていて、複雑なキャラクター造形の総仕上げとして曖昧さを最大限に振り切らせたようなシーンが用意されてるんですが、やっぱりこの幾通りにでも解釈できそうな締めくくり方と云いこの人物が映画「ガタカ」のなかで一番印象的といえるんじゃないかと思います。

このジェローム・モローを好演してるのがジュード・ロウ!
「スカイキャプテン」のあの人です。

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刑事が自宅にやって来るというシーンでガタカ社から戻ってくるのが間に合わなくなったヴィンセントの代わりに、刑事がやって来る前に地下の作業場から一階のフロアまで車椅子無しで螺旋階段を這いずり上がっていくような、制限時間つきの一種のスペクタクルシーンはあるものの、大半は車椅子に乗ってるために身体的な表現がほとんど出来ないという状態でこの複雑な変化を伴うジェローム・モローを演じてます。
ほとんどのシーンを限定された上半身の動きと表情のちょっとした変化だけを頼りに演じきってるわけで、その的確な演技ぶりはおそらくこの映画の最大の見せ場になってると思います。

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そして、全ての遺伝子が最高級という人物に相応しい、ジュード・ロウの徹底した美青年振り!
美しくないということはその美しくない分だけ遺伝子が劣化してるという理屈なので、この観点からもジュード・ロウの美貌ぶりはまさに適役でした。

☆ ☆ ☆

ヴィンセントに好意を寄せるアイリーンは人物的な役割よりも、ウマ・サーマンの近未来的な美貌といったもののほうが印象に残る感じでした。人造人間みたいに作りこまれた美貌って云うかあまり人間味を感じさせない人形的な冷たさがあって、映画全体のクールな印象をそのイメージで一人背負っていたというような印象。

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キャラクター的には適正者でありながら欠陥を持っていて宇宙に飛べない境遇にある自分と同じ臭いをヴィンセントに嗅ぎつけ、接近して密かに身元を調べてみるもののジェローム・モローの完璧なプロフィールと出合ってしまって、感情を揺れ動かされるというような存在なんですが、役回りよりもやっぱり画面に出てくる時のイメージの方が突出してたような気がします。

あと脇役なんですが最後で物凄く印象に残る役割となった、いつもヴィンセントの適正検査をやっていた医師(ザンダー・バークレイ)。この人が意外な役回りでラスト近くに良いところをほとんど全部さらっていきます。役回りとしたらかなり美味しい役です。
はっきりとは書かないですけど、この医師がまさかこの場面でこういう言動をとるとは予想してなかったので、わたしの場合はかなり感動的な印象として残ることになりました。

☆ ☆ ☆

この映画は遺伝子を操作されることによって生まれる差別社会というものを描き出していきます。今はまだ遺伝子相手にそこまでコントロールすることは出来ないけれど、何だか将来は本当にこういうことが出来そうな社会が到来するかもしれないっていう部分もあって、現実の差別と引き合わせて考えたりできる部分もあります。

一応映画の中で描かれたテーマは、こういう優生学的な社会では最初からはじき出されてるヴィンセントはもちろんとしても、適応してるジェロームのような人間も必ずしも幸福にはなれないというものだと思います。
それでは人が幸福に生きるというのはどういうことなんだろうと。
ヴィンセントの正体がアイリーンにばれた時にヴィンセントがアイリーンに云う「何が不可能なのか、欠点を探すことばかりに必死になって本当のところが見えなくなってくる、可能性はあるんだ」という言葉に集約されてるんだろうと思います。
欠点を無くしていくことを目指す社会よりも欠点を許容していく社会の方が人はいつも可能性に満ちていて幸福に生きていけるというのが、この映画の云おうとしてることなんでしょう。

ただ、そういう主張はとても納得するものだし、優生学的に優れた種を優遇していく社会などおぞましいだけというのは賛同するにしても、映画の中ではこういう言葉も出てくるんですよね。
ヴィンセントの両親が「神の子」としてヴィンセントを生んだ後、その扱いに困って弟は遺伝子操作の子として生もうと決心して、医者を訪ねる場面。
医者は生まれてくる子供の受精卵からあらゆる劣性遺伝子を取り去っておくというんですが、ヴィンセントの両親はそこまで徹底しなくてもある程度は自然に任せたほうが良いんじゃないかと問い返します。
その時医者は、子供には最高のスタートを切らせてあげなさい。それでなくとも人間は不完全な存在。ハンデは無用なんですと返答します。

わたしは映画が終わった後もこのやりとりが頭の中に残っていて、たしかに欠点を見つめ許容する目こそが人を可能性に導いていくというこの映画が導いていく結末は素晴らしいんだけど、もしも遺伝子を操作することが可能になった時にこの医者の言葉、提案を投げかけられたら、それにうまく反論できるだろうかっていうことも考えました。

☆ ☆ ☆

この映画が内包してる差別を巡る様々なあり方は突き詰めていくとかなり重い主題になってしまうんですが、映画のほうはそこまで深刻にならないで欲しいとも云ってるようなところもあります。

今までガタカ社だとか、宇宙開発を行う唯一の企業だとか便宜的に書いてきたけど、実は映画の中ではこの企業?組織?に関しては「ガタカ」っていう名前しか明らかにしようとはしないんですよね。実際のところ社員らしい人間が廊下を歩いたり整然と並んだ机でコンピュータ相手にデスクワークしてる光景は映るんですが、この人たちはここで何をしてるのか全然説明が無い。タイタンに打ち上げる宇宙船だってタイタンに行って何をするのか目的さえも明らかにならない。映画のほぼ全域を占めてる舞台が一体どういうところなのか映画の中で説明する気配さえないという扱いになってます。

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極めつけは最後にヴィンセントが乗り込むことになるタイタン探査船なんですけど、なんと乗組員はスーツ姿で乗り込みます。乗り込んだ宇宙船の中には背もたれ付きのソファがあって乗組員はそこに普通に腰掛けます。船室内部はミラーボールが反射してるような光が踊ってるただの部屋で、まるでカラオケみたいにしか見えません。1997年に作った映画でこの宇宙船の描写は特別の意図でもない限り普通あり得ないです。
映画全体の舞台である「ガタカ」と宇宙船の描写で、この映画は基本部分でリアリティを放棄していて、SFの衣を借りてるだけの社会派的な映画じゃなく、本来的なSF、ファンタジー的なものして観て欲しいと云ってるようにわたしには思えました。

☆ ☆ ☆

ヴィンセントとアイリーンが見上げる空に、雲を残して彼方へ飛び立っていく宇宙船の描写はきわめて美しいです。


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''Gattaca'' Trailer [1997]



監督 アンドリュー・ニコル (Andrew Niccol)
原題 Gattaca
公開 1997年


最後まで読んでくださってありがとう御座いました。




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