【洋画】 クローバーフィールド / HAKAISHA - 倒立する映画

この映画、京都での公開はチョコレートファイターと同じムービックス京都だったんですが、劇場公開が始まる前から、とにかく謎めいたポスターが劇場の内部や外壁に貼られていて、その得体の知れない光景がちょっとした興味を引いていました。
貼られていたポスターは全体がグリーンで統一された、グリーンといっても新緑のような溌剌としたものでもなく、まるで水底を藻で覆い尽くされた沼のような淀みのある、映画のポスターにしては沈んだ色調で、そういう陰鬱な緑を基調に首のもげた自由の女神と遠くで煙を上げてるニューヨークの風景が描かれていて、その不吉な予兆に満ちた画像にクローバーフィールドという謎めいたタイトルが重ねてあるというものでした。

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華やかに目を引くようなポスターに混じって、淀んだような雰囲気である意味目立ってたクローバーフィールドのポスター。
そして、これはよく覚えてないのでわたしの勘違いの可能性も高いんですけど、その謎めいたポスターには上映開始前からだったか、気を引く注意書きが添えられていた記憶があります。元からそういうのが付いてたポスターだったのか、劇場側がポスターの上に独自に貼り付けたものだったのか、正確な文章は覚えてないんですが、意味としては前代未聞の映像とか未曾有の躍動感とか、そういう煽り文句が踊り、気分が悪くなる可能性かあるだとか、体調の悪い人は気をつけろといった脅し文句のようなものを織り交ぜた感じの文章だったと思います。
どういう映画なのか予測させないポスターとそれに気を引かれて前に立った人間の好奇心を煽るような注意書きに似た文章。だいたいわたしはホラーでもSFでも何でも良いですけど、とにかく見たこともない光景を見せてくれるというような映画が大好きなので、前代未聞だとかそういう類のことを云われるとそれだけで興味津々になってしまいます。だからこの映画の場合もポスターを見てかなり興味を惹かれることになりました。
ただ、気分が悪くなるとかいう注意はなんだろうと、そういう疑問が出てきたのも確かだったんですが、でもこれは全てが謎につつまれてていたとしても薄々予想がついてました。

それで情報が解禁されてみればやっぱり予想していたとおり、「クローバーフィールド」は全編ハンディカムの揺れまくる画面で最後まで突っ切ってしまう映画で、これを躍動感と表現していたということ。気分が悪くなるっていうのは画面の激しい動きに酔ってしまうっていうことでした。
これが分かった時点で、内容も物凄く謎めいていて映画自体はとても観たかったんですけど、わたしには到底無理と、結局映画館には足を運びませんでした。

実はわたしはこういう「酔い」にはかなり弱い体質。
たとえば3Dのゲーム「サイレントヒル」なんかでもかなり簡単に酔ってしまう。昔のゲームだったら「クーロンズ・ゲート」なんかも始末に終えないくらい酔ってました。自慢じゃないけど京都の市バスに乗っていて酔ったことさえあります。ようするに目の前の光景が揺れるという状況に簡単に耐え切れなくなるタイプの人間っていう事になるわけです。まず映画は耐えられないだろうと、視野を覆う大画面が嫌というほど揺れてたら限界点なんかあっという間にやってくるのは簡単に予測できました。

内容に興味はあったのにそういう要素があったために映画館に出向く決心がつかず、決心がつかないままにやがて上映終了。
そのうち暫らくしてDVDがリリースされることになるんですが、これを見てやはり映画の内容を知りたかったということが動機としてはわたしの中に強くあったせいか、中古ショップで安値で売られてるのを見た時に、結局耐えられるかどうか分からないまま思わず購入してしまいました。

それでも気分が悪くなるかもしれないと分かっていて観るのはなかなか気が進まずにDVDは買ったものの放置状態だったんですが、中身を知りたいという欲求がこのところなぜか強くなってきて、それで今回とうとう観ることにしてみたわけです。

一種の人体実験のような映画鑑賞になりました。
絶対に全編通して観られないのはほぼ分かりきっていたので、10分ほど観ては休憩する形で鑑賞開始!

結果から云うと、この映画鑑賞はほとんど拷問でした。10数分でふらふら。実は暫らく休憩したら続きを観られると思ってたんですが続けてみる勇気がなくなるほど気分悪くなっていく予感がしてきたので、映画の最初の方は次の10分を観るのに翌日廻しにしたりして鑑賞しました。

さすがに最後の方は体が慣れてきたのか、激しく揺れる画面でも視線を滑らせる術を会得してきたのか、それほど中断もせずに何とか見終えることができたんですが、酔う体質の人間にとってはこの映画、確実に凶器のような映画です。

☆ ☆ ☆

さて、この映画を観てわたしの身体が呟いた感想に耳を傾けてみれば、それは上で書いたように「酔う」「拷問」「凶器」といったもので、映画が与える印象としては身体的には必ずしも良いと云えるようなものではなかったんですが、だからといってわたしにとって「クローバーフィールド」が屑のような映画だったかというと、実はこの映画、観終わった後でわたしのなかで「屑」だとか「最低」だとか、必ずしもそういう落ち着き方をした映画でもなかったです。
酔って気分最悪で観てたのに、観終わった感想は意外というか予想をはるかに超えて面白かったというものでした。
年間ベストとかワーストとかの括り方があれば、それのどちらに入れるかと考えてみると、間違いなくベストの枠組みに入れてしまえる、決してワーストの枠組みで最悪を競うランキングに参入する映画じゃなく、ベストの枠組みに入ってそのベストの枠組みの中で順位を競える映画だと思いました。

この映画、表現しようとしてることはただ一つです。普通なら映画が内包するはずの様々な要素の大半がこの映画では蔑ろにされてるように見えるくらい、唯一つのことしか表現しようとしてない。そしてこの一つのことに徹底して拘って、その表現内容を画面の中に定着、実現させることに見事に成功してしまってる。表現しようとしてるものを、理想的な形で画面に定着させることが出来ているという理由だけでこの映画は成功した映画と考えることが出来ると、わたしには思えました。
たとえばこの映画にも普通の映画のように登場人物がいて、この登場人物たちが動くことで物語が進んでいく形を取ってるものの、動き回る理由付けくらいは画面に提示されてはいても、面白いほど人間の内面描写的なものは無視されています。人を描写することが、この映画が目的とするものじゃないからという、ただ一つの強力な理由のもとで。
だからこの映画に「人が描けてない」という理由で低評価を与えるっていうのは全くの方向違いというか、ナンセンスな行為になってしまいます。たとえるなら、目の前に美味しそうな「うな重」があるのに、それを指して「カレーの味がしない」と云って難癖をつけてる様なものです。最初からカレー味にするつもりもないものに対してカレー味じゃないといっても全く意味がないのと同じこと。
おそらく「クローバーフィールド」は自分に向けられる貶し、低評価の大半をこういう形でかわし切ってしまえる映画として成立してると思われます。

☆ ☆ ☆

映画はこれから画面に展開される映像の素性を記した文章で始まります。
合衆国、国防省の名前が記された、デジタル記録、事件目撃記録と題された識別用のテロップ映像。
それはかつてセントラルパークと呼ばれた場所の瓦礫の中から発見されたビデオカメラの中に収められていた映像記録であると、そしてクローバーフィールドという暗号名で呼ばれてる資料であると、そういうことが知らされて、映画が始まります。

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最初に映るのは早朝、画面左下に表示されてる時刻で云うと4月27日の午前6時40分の、とある高層ビルのマンションの一室。べス(オデット・ユーストマン)の父親のマンションで、その室内を撮影してるのはビデオカメラの持ち主でべスの恋人のロブ(マイケル・スタール=デヴィッド)。ロブはカメラで室内を移動しながら、やがてベッドに眠るべスを捉えます。カメラの気配に気づいて起き出したベスとコニーアイランドへ遊びに行く相談なんかしながら、二人でじゃれ合ってるようなプライベートな映像が暫らく続きます。
その後映像は唐突に切り替わって、左下の日付は5月22日午後6時43分に変化。ほぼ一ヵ月後のものに飛びます。収められてる映像はマンションの中ではなく今度はニューヨークの街角を歩きながら写してるものに変化。撮影者はロブの兄ジェイソン(マイク・ヴォーゲル)。ジェイソンの前を歩くのは婚約者のリリー(ジェシカ・ルーカス)で話からするとどうやら2時間後に何かのパーティがあってその準備の買い物に出かけてるらしい。
5月22日のこの映像は4月27日のロブとべスがじゃれあってる日に撮ったものの上に上書きされているらしくて、映像のつなぎ目に時折一ヶ月前の映像が一瞬顔を出すことがあります。
映画を構成してるものが上書きされてる映像だという設定はこの映画の一種のギミックで、素人が撮ってるビデオカメラの映像という感じがよく出てました。簡単な発想なんだけど、その単純な発想の割りに効果は大きかったように思います。実はラストもこの上書き映像としての映画という仕掛けをうまく使った終わり方になってました。

買い物の後映像は同日の7時20分にジャンプ。カメラはパーティ会場となったマンションの一室でパーティの飾りつけが進む中、その飾り付けを手伝ってる一人の男ハッド(T・J・ミラー)に近づいていきます。カメラの外からジェイソンの声でハッドにパーティのカメラマンをするように頼んでるのが聞こえて来ます。ハッドは最初はそんなことやったことがないからと断るんですが、片思いの女マリーナ(リジー・キャプラン)もパーティにやってくるとジェイソンに教えられてカメラマン役を引き受けることに。そしてこれ以後ほぼ映画の最後まで、映画の視点はビデオカメラを抱えてるこのハッドということになり、観客はハッドが観ていく世界の様相を一緒に体験することになります。

パーティーはロブが仕事で日本へ赴任する送別会で、ハッドはリリーやジェイソン相手に少し練習した後でパーティー会場にやって来てる客の間を歩き回っては客からのロブへのメッセージを映像として記録していきます。やがて主賓のロブがやってきてパーティはさらに佳境に入り、ハッドもまた大勢の客からメッセージを取ってくることに奔走することになります。ロブの恋人、冒頭のビデオの一部で出てきたべスもやってきますが、どうやらこの一ヶ月の間ロブが放りっ放しにしておいたせいでべスは別のボーイフレンドと連れ添ってます。

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そのことでパーティーの最中ロブとべスは険悪な状態になってしまい、べスのほうは早々とパーティーを抜け出して自宅のマンションに帰ってしまいます。
ジェイソンとハッドは兄弟と友達という立場でロブを慰めるために非常階段のほうに頭を冷やしに行ったロブを追いかけます。
非常階段の踊り場でべスのような女はなかなかいないから大事にしてやれとか宥めたり説得したりしてる時、突然の大音響とともに電気が消え地響きを伴って地震のように建物が揺れます。

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会場に戻って地震かと騒いでる客とともに屋上に出てみると、遠くのビル街で大爆発が起き、屋上に集まっていたパーティ客は我先に階段を駆け下りて、そのまま大慌てで全員建物から避難して路上へ。何事が起こったのか分からないままにビデオカメラを遠くのビルに向けると、ビルの背後に巨大な生き物のような姿が垣間見えて、それがニューヨークのビル街を破壊し始めているのを目撃することになります。

☆ ☆ ☆

映画は一言で云うと怪獣映画です。巨大なモンスターが暴れてニューヨークの街を破壊していく、極めてオーソドックスでシンプルなゴジラタイプの怪獣映画。
ただ従来の怪獣映画と「クローバーフィールド」が決定的に違うのが「クローバーフィールド」のほうは怪獣が町を破壊していく様子を、その直下で命がけで逃げ回ってる人間の視点で描写しようとしてること。
普通怪獣映画といえば破壊を尽くす怪獣を前にしてその巨大な力に立ち向かっていく人間のドラマとしても成立させることが出来るけれど、これはそういう立場をとっていません。巨大モンスターの間近に居合わすことで体験する、周囲の世界が理不尽で予測もしない巨大な力で崩壊していくヴィジョンや、そのなかを逃げ回る混乱と恐怖感そのものを描くことに専念してます。これがこの映画の表現しようとしてる唯一のテーマで、映画はこれ以外のものには見向きもしてないといえます。
そしてそのテーマを展開するために取られた方法が逃げ回る人間、この映画の場合はたまたまパーティー会場でカメラを渡されたハッドということになるんですが、そういう人間が撮り続けるビデオ映像をそのまま映画として見せるという体裁でした。

たとえばパーティー会場で恋人と喧嘩をしたロブが非常階段のほうに頭を冷やしに行くといったシーン、こういう場面は普通ならロブが頭を冷やしに非常階段に出て行ったという形で画面に収まるんですが、この映画の場合はロブが頭を冷やしに非常階段に出て行くのを見るという形を取ります。この映画は誰かが何かをしたという描写じゃなくて、常に誰かが何かをしたのを見てるという描写の形を取ってる。写してる対象だけじゃなくてその対象を写す写し方そのものも画面に一緒に織り込もうとしてます。
つまりそれはカメラの背後に状況を見ている者、撮影者がいることを絶えず意識させるような構造になってるということであって、そしてその存在を絶えず意識させられることで、映画を観ている側はその撮影者と同化してその現場にいる感覚、臨場感を共有できるようになってくるということです。

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これを端的に表現してるのが、手持ちのビデオカメラで撮影してるように画面を揺らせるという極めてシンプルな演出でした。これはもう極端といっていいほど徹底していて、たとえば逃げ回る途中でカメラマンがカメラを持ったまま転んでしまった時に捉えた偶然の映像もそのまま映画の中に使われたりしてます。この映画はそれに加えてさらに単刀直入に劇中の撮影者ハッドの存在そのものも強調していて、彼はカメラを渡されてからはその背後で画面上は姿を見せない存在となるものの、一人で喋るように饒舌であったり、写されてるロブやリリーと話をしたりすることで何時もそこにいることを示し、さらに自分を忘れるなとでも云いたげにカメラの前に回りこんでレンズを覗き込むようなこともたびたび行ったりします。

もっとも、主観映像的なものを使って撮影者として現場にいるような感覚を観客に体験させるこういう方法は「クローバーフィールド」が最初に使った斬新な方法というわけでも必ずしもなくて、今までに他の映画の中でも使われてます。
一番簡単に思いつくのは「ブレアウィッチ」かな。これも画面が揺れる、わたしが一番苦手にしてる映画でした(白状すると気分悪くて最後まで観てない…)。それでは「ブレアウィッチ」がこの方法を採用した最初の映画かというと、実はさらに「食人族」っていう「ブレアウィッチ」の元ネタらしい映画が80年代初めにあって、これはジャングルで発見されたビデオカメラに収められた映像を見せるという形で、映画の中に手持ちのビデオ映像が展開されていくといった映画でした(これは最後まで観ました。揺れる画面よりも食べるためにでかい亀を解体するシーンのほうがえげつなかったです)。
だから「クローバーフィールド」が使った方法が方法的には必ずしも斬新なものだったというわけでもなかったんですけど、この方法論を持って怪獣映画を撮ったっていうのがこの映画の場合は新機軸だったといえるんじゃないかと思います。この方法を使うことで今まで観たことのない怪獣映画が出来上がったという、その点が斬新だったと。

ところで、手持ちのカメラを駆使して、ぶれた映像を繋いでいくという画面は、先にも書いたように、スクリーンの向こうにある世界を、その場には存在しないカメラを通して、神の目のように眺めてるのではなくて、スクリーンに写る現場には実際にその光景を写すカメラが存在して、そのカメラを覗き込む撮影者と一体になることでカメラが写しとってる世界の真っ只中にいるという感覚を共有する、ライブ感覚に満ち溢れた映像とでもいうようなものなんですが、この映画のそういう映像ってドキュメンタリー的な映像というか、もうちょっと身も蓋も無い言い方をしてみるとドキュメンタリーを偽装してる映画のような感じがあるんですよね。
画面効果として一番目につく激しく揺れ動く映像以外でも、細部の、たとえば左下に入る日付の表示とか、とにかく画面を構成するあらゆるものあらゆる演出が、こうすればドキュメンタリー風の生々しい映像になるという意図、戦略で画策されて画面全体を構成、仕上げる形になってる。
ちょっと直接的には関係ない話になるかもしれないけど、映画の始まりから暫らくの間左下に結構大きく表示されてる撮影時の日付はプライベートビデオ風のイメージをスクリーン全体に与えるのに効果的な役割を果たしてるんですが、映画の最後まで出しておく程の意味はない。というか画面を構成するものとしては結構邪魔なので、プライベートビデオ風の印象を観客に与えたと判断され、もう一つは撮影者が変わったりパーティ当日に日時が予告なくジャンプするのを説明したりする役割を終えた時点でスクリーンから消してしまいます。でもこの消し方が上手くておそらく消えた瞬間が印象に残った人はまずいないだろうと。それほどさりげなく画面から消し去ってます。この辺の必要な部分だけ提示して必要なくなったら画面からさりげなく退場させるというような効率的な計算は、写される光景が無秩序そのものであるのも関わらず、映画全体から細部にいたるまで十分になされてるような印象を受けました。

話を戻すと、この映画はニューヨークの高層ビルを破壊しながら彷徨するモンスターとその直下を逃げ惑う人、モンスターに立ち向かう軍隊の個々の兵士レベルでの様子をドキュメンタリー風に映し出しながら、ドキュメンタリー的に映像を撮るとはどういうことなのかということについて映画自体が自己言及してるような体裁をとってる映画だという風に見えます。ドキュメンタリーの偽装という文脈で云えば、どういう風に偽装(撮影、演出)すればドキュメンタリーのような振りをすることが出来るか、映画の中でたえす検証しながら進行してる映画といった感じ。
思うに現実をそのまま撮り続けてもドキュメンタリーにはならないということ、ドキュメンタリーはドキュメンタリーの文法によって語られなければドキュメンタリーとしては成立しないということ。そういうことが「クローバーフィールド」でハッドが捉える修羅場の映像に見え隠れしながらこちらへささやきかけるように届いてくるんですよね。
実は虚構とは一体どういうものなのかとか、ドキュメンタリーを成立させる文法というものが一体どういうものだとか、そういうことは普段は全部映画の背後に隠されてるものです。隠された上で自明の理として無条件で共有されてる。この映画はそういう自明の物として映画の背後に隠されてるのものを、逐一対象化して目の前に並べていきます。云うならば語られるものとそれを語る方法論が同じレベルで目の前に見える形で並置されていく二重構造を持った映画。
「クローバーフィールド」は語られる内容の臨場感も見物だったんですけど、こういう語り口について意識化させ、映画という存在そのものに目を向けさせ考えさせるような二重構造を最初から最後まで徹底して保持していている点、その徹底振りがなかなか新鮮な映画でもありました。

☆ ☆ ☆

巨大モンスターに蹂躙されていく都市の混乱、その混乱を混乱そのものとしてフィルムに定着させる、これが「クローバーフィールド」のたった一つのテーマなわけですが、ちょっと考えて見ると、こういう映像ってたとえば避難者が走り回ってる街路の瓦礫の上にでもカメラを置いておき、その前を逃げ惑ってる人を写してるだけでも実現できそうな感じがします。カメラの前にあるのはまさしく誰も手を加えない混乱そのものであるし、その場所をそのまま写してる訳だからこれほどリアルなものもないわけです。巨大モンスターが踏み下ろす足が伝える地響きでカメラが道に転げ落ち、逆さになったような映像がそのまま続くなんていうことがあればさらにアクセントになって臨場感も跳ね上がるかもしれません。
でも、これを実際にやったとしたら、まぁ想像するまでもなく、おそらく10分も観れば耐えられないほど退屈な代物になるはずです。なぜかって云うと臨場感のある定点観測の映像ではあるかもしれないけど、これは映画では決してありえないから。映画として語ることを放棄してるからなんですよね。映画は映画として語られることでしか映画にはならないです。

ストーリー的な側面からみると、製作者がそういうことを考えてたかどうかは実際のところわからないけど、結果として「クローバーフィールド」のストーリーは極めてシンプルで、こういう定点観測的な映像のあり方と、映画的に語られる映像のあり方のはざまを渡り歩くように、どちらかというと定点観測的な方向に体の重心を傾けながら進んでいくようなつくり方になってます。
ストーリー的な語り口を楽しみにしてる観客が観ると、こういう立脚地点を探る「クローバーフィールド」のストーリーはおそらく拍子抜けするほど単純で物足りなく感じるかもしれないです。

パーティー会場から避難して路上に出たパーティー客たちを巨大モンスターからの一撃が襲います。その一撃の後、半ば瓦礫と化した一帯からパーティーの客も含めて生き延びた人が集まりだし、安全と思われる地区に向けて大移動を始めるんですが、地区を結ぶ橋の上(ブルックリン橋?)まで来て混雑してる避難者のせいでなかなか進めないところへさらにモンスターの体の一部らしいものが振り下ろされて橋は崩壊、その時点で一群だった避難者の集団はちりぢりばらばらになってしまいます。
カメラを持つハッドの前に残ってるのは、パーティーの主賓でカメラの本来の持ち主ロブと、ロブの兄ジェイソンの婚約者であるリリー、リリーの友人でハッドの片思いの相手であるマリーナの3人。

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そこへロブの携帯電話に恋人のべスから連絡が入って、パーティーを途中で抜け出して帰ってしまったべスは自宅の高層マンションが巨大モンスターの襲撃で倒壊し、生きてはいるが怪我をして動けないということを知らせてきます。
それを聞いて、ロブはベスを助けるために、みんなが逃げるのとは逆方向にあるべスの高層マンション、そこは巨大モンスターが暴れまわってる中心地でもあるんですが、そう言う危険地帯に向かうことを決意します。

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実は「クローバーフィールド」でストーリー的な展開というか仕掛けがあるのはこの部分だけです。それまでは誰が集まってるのかも把握できないパーティー会場を引っ張りまわされた挙句、モンスターの襲来でこれまた誰がどこにいるのか分からなくなったままに橋に向けての逃走。そして橋での二回目の襲撃で上に書いたような状態になって、このロブの決断を挟んで後の展開はべスのマンションに向かう間に遭遇する障害を取り払っては進み、取り払っては進みという形の完全な一本道になってしまいます。ストーリー的な動き方をした思われるのはこの決断の部分だけ。

ストーリーを追うことを楽しみにしていたら肩透かしを食らうのは必定の単純なストーリー・ラインなんですが、それでもこの映画に関して云えばおそらく最も適した仕上がりになってるのではないかと思います。ストーリーの展開に関する選択では「クローバーフィールド」は間違った選択はしてないです。

スト-リーを物語るって云うのは云い換えてみれば、秩序への志向です。乱雑で意味もなく目の前に転がってる世界に秩序を与え、意味として理解できるものへ変貌させようとする意思と云ってもいいかもしれない。こういうものに「混乱」を任せてしまうと、「混乱」は「混乱」そのものではなくなってしまうんですよね。語られた「混乱」「混沌」は語られることでどこかに秩序の枷をはめられてしまいます。
だから「クローバーフィールド」は定点観測映像に堕さないように映画的な語りを必要とするものの、その唯一のテーマを実現させるためには、十全に語ってしまって秩序としての「混沌」しか画面に定着させることが出来なくなるのも避ける必要があった。だからテーマのためにストーリー的なストーリーからは何歩も退く必要があったんじゃないかと思います。

べスのマンションに向かうことにしてからの展開は本当に文字通り一本道です。幾重にも伏線を張って、その伏線を鮮やかに回収して観客を驚かせることも何もしない。伏線を張るというようなことさえほとんどしてないです。
たとえば、中心地に向かう途中で巨大モンスターと対峙してる軍の前哨基地にたどり着くシーンがあります。

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民間人がここから先に入るのは絶対に阻止するのが軍の役目の一つでもあるから、当然ロブたちはここで足止めを食うわけですが、普通だと絶対に通れない関門をロブたちがいかにして潜り抜けるかという展開になりそうなものを、この映画の軍隊は最初こそ止めようとするものの、事情を話せば結構あっさりと関門を通してしまいます。救助ヘリが着陸する場所と時間を教えて、間に合うように帰ってこいと声をかけただけで、護衛もなしに巨大モンスターが暴れてる真っ只中にロブたちを放り出してしまいます。関門を通るためのストーリー展開を助けるために、それまでになんらかの伏線を張って、どうにかするというような形は取らないんですよね。まるでこういう場合、中心地に行くには必ず軍の検問があるから検問のシーンは入れておくけど、それだけの意味しかないシーンなんだと宣言してるみたいな感じ。
伏線を複雑に張り巡らせて構築していく物語が自ずと体現していく安定感のある秩序とは無縁の場所で映画を成立させようとする意図、そういう意図はこういうところでも垣間見ることが出来るような気がします。
だからわたしは前哨基地でのこういう展開は現実的にはリアリティはほとんどないんだろうけど、少なくともこの映画の目的には合致してるような印象を持ちました。
それと、この物語ともいえないようなミニマリズムのシナリオは、唯一の物語的な展開になってるべスのマンションに向かう決断のシーンで登場人物をパーティー客全員から一気に4人+べスに整理してしまうような荒業を使っていて、この辺りの動かし方にはまるで作意がないように見せかけてはいるものの実はかなり上手いところがあるような感じもします。

☆ ☆ ☆

人物描写に関しても事情はよく似ていて、最初の方にも書いたように、ストーリーのミニマリズムに歩調でもあわせるように、これもまた最小限の描写しかなされてません。

最初の送別パーティの、映画全体のバランスから見ると妙に長いシーンで各登場人物の基本的な人間関係、それぞれがおかれてる生活の状況といったことがごく簡単に説明されます。
ロブは、何の会社かは説明されないけど副社長として日本の会社に赴任するらしく、そのことに関係して恋人べスともう一つうまくいってないところが出て来てる。兄ジェイソンに関しては婚約者リリーがいるということと、ロブとはごく普通のどこにでもいる兄弟で、この兄弟に固有の特殊な確執のようなものがあるわけでもない、仲の良い兄弟であるということ。リリーは兄の婚約者として将来の義弟となるロブを気にかけてる。マリーンは友達が来てるからやってきたものの、主賓のロブのことさえもろくに知らないらしい。
冒頭の編集してない録画しっぱなしのように見せてるパーティーシーンで主要な人物について示されるのはこの程度のことで、その後人に関する描写はほぼその範囲から拡がったり深まったりするわけでもなく、映画のなかではパーティ会場をカメラを持ったハッドが無作為に動き回るだけで、やがてモンスターの攻撃が始まると後は画面に出てくる人間全員が逃走モードに突入して、人物の描写など完全に脇に追いやられたような形になっていきます。
おそらくこの映画を見た人のほとんどが最初のパーティシーンで得た人物への印象だけで最後まで行き着いてしまうんじゃないかと思います。

物語的な転回点であった橋崩壊後のロブの決断、恋人べスを助けるために、安全と思われる場所に向かう避難者の一群とは逆方向に進むという決断をするシーンでも、ロブは動機としてはたったそれだけでもまぁ分からないでもないけど、それに従う決断をする他の登場人物の動機なんかは、各人のそれこそ命に関わる選択になるわけだから、おそらく普通の映画だったら事細かに描いてその決断が不自然でないように持って行くだろうと思うんですが、この映画はこういう部分もとにかくミニマリズムに徹していて、たとえばリリーはロブが義弟になる人物だからそばにいなければならないという理由、マリーナはリリーが友達で他に頼れる人物が周囲に見当たらないといったたったそれだけの理由で、ロブについていくリリーにつき従うという形になります。ハッドは明言はされないけどおそらく片思いのマリーナの行く方向に付き従ってるという感じ。各人の行動への決断は納得できるか出来ないかの境界線上にあるというか、そういう感じのごくシンプルな理由付けしかされてません。

また、ハッドに関しては映画の最初からこの修羅場をビデオにとり続けてるという行為自体にかなり不自然で突っ込みどころがあるように見えるんですが、実は橋が崩壊する直前に橋の上で進めなくなって佇んでるロブが「まだ撮るのか?」とハッドに訊くシーンがさりげなく挿入されていて、「撮る」「言葉じゃ駄目なのか」「見る記録じゃないと駄目なんだ」といった会話が交わされてます。一応ハッドが、誰もが逃げること最優先の場所で1人だけ悠長に撮影し続けてる動機めいたものも提示されてる部分があるわけです。
基本的に人物を描くのが目的ではなくて、だから全体的にはミニマリズムに徹してるんですけど、命がかかった選択やこの映画の成立基盤になってるハッドの動機などは、あとで問われた時に最小限の返答ができるようなアリバイ作りみたいな形でさりげなく揃えてある。そういう配慮は随所になされてるような構造になってました。

要所要所で簡単に動機付けするくらいで全体的には人物描写に傾斜しないで終始するというこういうやり方は、普通の映画だとまず間違いなく落第点をつけられてしまでしょうね。でもこの映画はあえてその落第点に直結するような方法を取ってきます。
なぜならこういうやり方が「クローバーフィールド」の趣旨に合ってるから。と云うよりもこういう成立の仕方以外にこの映画の趣旨に合うスタイルはないと思えるから。
どう云うことかというと、撮影者のハッドにとっては被写体のロブたちは既に熟知してる人物なわけで、このビデオを撮影するに当って事細かにどういう人物であるかを描写、表現する必要がハッドに有ったわけがないということです。元々がプライベートなビデオの延長で成り立ってる上に、撮影者ハッドの関心がニューヨークで何が起こってるかを写しとることだけにしかないとなると、ビデオに写ってる人物がどういう人物なのかといった表現はビデオ映像の中に入り込む余地がほとんど無くなります。

わたしがこの映画を観終わった時に持った印象は、言葉で置き換えるならこの記事のタイトルにつけたように「倒立」してるっていうことでした。
普通はおそらく人物描写こそがメインテーマになるし、それが稚拙であったりおざなりであったりすればそれだけで出来の悪い映画という評価を貰ってしまうのはほぼ確実なのに、この映画に関しては普通映画に絶対に必要なテーマである人間描写をやってしまうと、映画の意図したもの、それを映画として成り立たせようとしたものを崩壊させてしまうことになりかねません。
たとえるなら道で偶然拾ったビデオテープを再生した時におそらく感じることが出来るに違いない得体の知れなさのようなものを映画の中のどこかの部分で維持し続けるために、他の映画では普通にやってる、あいまいなものに輪郭をつけていってはっきりと形が分かるようなものにしていく、いわゆる表現行為のかなりの部分を無視する必要があったと。ハッドが撮影したプライベートビデオという体裁をとる映画を成立させるためには、普通に映画を成立させるために必要なものが全く逆に映画を崩壊させかねない要素になってしまうというひねくれた部分が確かに存在していて、そのひねくれた倒立振りがわたしには結構面白いものとして印象に残りました。

☆ ☆ ☆

モンスター映画なので、肝心のモンスターについても思ったことを少しだけ。

この映画には2種類のモンスターが出てきます。ニューヨークの街中を徘徊して高層ビルを破壊しまくる巨大4足歩行モンスターと、中~大型犬くらいの大きさの昆虫タイプのモンスター。映画の中のニュース映像でちょっと写るくらいでよく分からないけど、虫型のほうは4足歩行モンスターの体から零れ落ちてくるらしい。小型の虫型モンスターを引き連れてるのは平成ガメラの2作目に出てきたレギオンをちょっと思い出させます。
昆虫タイプの方はうじゃうじゃと出てきて人を襲うので、大体の姿かたちはそれなりに分かるような形でスクリーンに登場しますが、巨大な方は実は一箇所を除いてあまり姿かたちが分かるような形でスクリーンに登場しません。ビルの背後で這い回ってる気配とか、そういう描写が中心になってます。
モンスターが近づいてきたら、ロブたちには逃げ去るしか選択肢がないから、逃げるハッドのカメラはモンスターとは反対側を向いてる場合がほとんどで、モンスターをきちんと捉えることもなかなか出来ないっていうわけです。

モンスター映画の場合わたしは基本的にはモンスターは見せない方が良いと思う部分もあるんですが、見せきらないと駄目なものもあって、たとえは「遊星からの物体X」なんかはモンスターを見せきって成功した映画だと思います。あれはグロテスクに変形するモンスターを見せないと映画そのものに意味がなくなってしまいます。
逆に「クローバーフィールド」に登場するモンスターの場合は「物体X」とは違って見せない方が良いタイプ。いろんな選択をこの映画はしてるけど、この点でもこの映画の選択は正解だったように思います。

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視覚面だけではなくて、モンスターに関するさまざまな情報も見た目と同じくらいほとんど映画には出てきません。モンスターについて何か書こうと思ってあらためて映画を見渡してみても、実は何も書くことがないと気づくくらいに情報が極端に制限されてます。
たとえば一つ一つの情報は断片的でそれだけでは全然意味を成さないようなものであっても、様々な手がかりが映画の中に散りばめられていて、たとえ映画が明確に説明しなくても、観客がそういう散りばめられた手がかりを参考にしながら推理してモンスターの真相に辿り着けるといった、そういう構成にもされてません。
ニューヨークを破壊する巨大モンスターに関してはどこからやってきて、どういう生き物で、なぜニューヨークを破壊してるのか、人を襲う虫型モンスターは巨大4足歩行モンスターにとっては一体どういう関係にある生き物なのか、そういったことが何も分からないままに放置された状態で映画は進行し、終わってしまいます。見終わって振り返ったら吃驚しますよ。今まで観て来たものが何だったのか全然理解できてないことに。

「クローバーフィールド」はこういう風に普通だったらちょっと考えられないくらい、映画の主役でもあるモンスターの正体について何も分からない状態を維持し続ける映画なんですが、でも考えてみれば、この映画の設定だとこういう状態はごく当たり前のことなんですよね。直下を逃げ回ってるハッドやロブたちには情報を得る手段がないから、ハッドが取り続けるビデオ映像にモンスターに関する情報が整理されて入ってるわけがないということ。
映画の中では混乱してる街中の電器屋が火事場泥棒にあってるシーンで、店内の商品である展示モニターに流れるニュースからと、中心地に向かう途中で遭遇する軍の基地くらいが情報を得られるシーンだったんですが、状況を覆い尽くす混乱の方が大きくて、両方とも情報としては断片的なものを得られるだけのシーンとなり、やはりロブたちはモンスターに関してはほとんど何も知りようがない状態で行動し続ける以外になくなります。
映画の主要な部分に関して、登場人物に何も知らせない、観客にもほとんど情報を与えないっていうストーリー上のこういう選択。これは物語を形作るって云う点では極めて大胆ではあるものの、混乱を画面に映し出すというテーマからは必然の選択だったと思います。

☆ ☆ ☆

「クローバーフィールド」は瓦礫の下から発見されたビデオカメラの映像という形を取ってる映画の性質上、有名俳優、ちょっとでも顔を知られてるような俳優は使うわけにはいかずに、出てくる俳優はみんなほぼ無名という、どうもあまりお金がかかってない映画のように思える映画だったんですけど、視覚効果に関してはかなり出来が良い仕上がりになってました。

纏めてみれば「クローバーフィールド」は怪獣映画という非現実で、ありえない世界を構築するために、大半の部分を視覚効果に寄りかかって成立してる映画です。今まで人間描写だとかストーリーテリングだとか色々書いてきたけど、結局のところこれがちゃちだとそんなこと全部ひっくるめて映画全体が崩壊しかねない側面も持ってる。
だから「クローバーフィールド」はそういうことを十分に承知の上で視覚効果に最大限の試行を重ねていってます。それは映画を一目観ただけで歴然として分かるほどに。その結果としてある部分では以降の映画はこれを基準にしなければならなくなるんじゃないかっていうくらい革新的レベルをクリアするようなところにまで到達しています。俳優に使わなくて済んだ予算をすべて映像技術面につぎ込んだと思わせるくらい、この映画の視覚効果は本当に素晴らしい出来を誇ってました。

最初のモンスターの一撃で、パーティ会場から路上に出てきた人に向かって、引きちぎられた自由の女神の首が飛んでくるシーンから、度肝を抜かれます。この場面はこの映画での一番のスペクタクルシーンじゃないかと思えるくらい、派手で凶悪で印象深いシーンになってます。
こんな非現実的なシーンなのに、現実感という点では文句のない出来栄え。路上の自動車を破壊しながらこちらに転がり飛んでくるこの自由の女神の首の巨大さは十分に表現されてるし、その回りに集まってきた人が、まだ何が起こってるのか今一つ理解してないからなのか路上に転がる首を携帯で写真に撮ってるシーンは、回りに群がる人と首の距離感も正確で、人と路上の首は当然合成なんですけど、人とCGIのこの首がきちんと同じ空気の中、同じ空間のなかに存在してる雰囲気も正確に表現されてます。本来別の空間の空気を纏ってるオブジェをまるで同じ場所にあるように見せようとするなら、カメラの位置、画角から細かい照明のニュアンスまで正確に一致させなければならないはずで、そういう部分もパーフェクトにクリアしてるシーンでした。

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空気感といえば、この映画の距離感の表現も突出していて、遠くにある巨大なものの表現も文句なしのリアリティを持ってました。
対象からこちらまでの空間に存在する大気の層のようなもの、「クローバーフィールド」はこれの表現に長けてるんですよね。この大気の分厚い層を上手く表現できると、遠くにあるような見掛けに仕上げることが可能となります。
地震の後パーティ会場の屋上に上がったロブたちがニューヨークの遠くのビルのはざまで大爆発が起きるのを目撃するシーン。この混乱の一夜の始まりの合図になるシーンですが、この時の大爆発からして、見事に遠くで爆発した感じが出てました。

でもこういう画面の質を高めてリアリティを保障していくような合成技術も目を見張る出来ではあるんですが、それよりもわたしが一番びっくりしたのはこの映画が手ぶれの画面に複雑な合成を重ねていくという、とんでもない荒業をやってたことでした。これは本当に凄かった。
カメラがどんなぶれ方をしようとも、合成されていくものが全てそのぶれにぴったりと同期されてます。

そういう組み立てのシーンで一番強烈だったのは、ロブたちが地上は巨大モンスターが暴れまわってるから地下鉄の線路沿いに地下を進んで行こうと決めるシーン。ところが安全だと思って歩いていた地下の線路上で、ロブたちは虫型モンスターの一群に襲われることになります。
この時カメラを持っていたハッドが襲われて、マリーナが助けに入るという展開になるんですが、襲われてる最中のハッドが持つカメラは手ぶれどころの騒ぎではなくてほとんど振り回してる状態。
地下道なので全体を均一に照らす光もなくて、カメラ付属のライトも振り回される中、それだけでも混乱して収拾がつかなくなってるような画面の中に、襲い掛かるモンスターとそのモンスターを打ちのめそうとするマリーナの姿が一緒に入ってくるんですが、これが全然破綻なく合成されて、同じ空間にいることもきちんと伝わってくる画面になってるんですよね。
しかも「クローバーフィールド」はこういうことを程度の差こそあれ映画全体にわたって破綻なくやってしまってるわけで、この映画の手ぶれ画面に全ての要素をマッチムーヴさせた視覚効果は本当に驚異的な出来を見せてました。

この映画、とにかく素人が撮ってる映像だというのをあらゆる場面で表現しようとしてる映画なんですが、こういう表現での「クローバーフィールド」の技術の使い方を見れば、云うならばぶれぶれの素人映像を再現するために、最新で最高の技術を惜しげもなくつぎ込んでるとも云えるわけで、先に書いた人間描写の処理に対して感じたのと同じような「倒立」振りが、ここでもまた見出せるということになります。

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身体感覚的な攪拌から始まって、充満する「空虚」や事あるごとに目の前に現れる倒立振りなど、複層にわたるような映画的平衡感覚への揺さぶりをかけられて、本当にこれが「映画」なの?っていう風に呆気に取られて観てるうちに、随所に現れる映画的選択のスイッチがことごとく「正解」側に入っていって、見終わったときにはきっちりと映画的な体験であったと納得させられるという、わたしにとって「クローバーフィールド」はそういう珍しい体験をさせてくれた映画でした。

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原題 Cloverfield
制作 J・J・エイブラムス
監督 マット・リーヴス
公開 2008年


クローバーフィールド/HAKAISHA 予告編



お友達のブロガー、ハッピーレオンさんに教えてもらったんですが、来月10月の4日と31日にWOWOWで「クローバーフィールド」が放映されるそうです。

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最後まで読んでくださって有難うございました。

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