2010/02/01
【洋画】アバター
これを書いてるうちに少々日にちが経ってしまってますけど、先月の20日の水曜日にジェームズ・キャメロン監督の映画「アバター」を観にいってきました。今年のお正月一番の話題作で観たいと思ってた映画だったものの、ここでもよく書いてるように人が集まるところがかなり苦手という性分なので、お正月真っ盛りの間は到底観にいく気にはならず、公開開始からほぼ一ヶ月経過という時期になってようやく行く気になったという感じです。観にいこうと決めた日にこの「アバター」がゴールデン・グローブ賞の作品賞および監督賞を受賞したというニュースが入ってきて、受賞の話題につられてまた観客が増えたらかなわないなぁとか、受賞のニュースを聞きつけて観に来た唯の野次馬の一人だと思われるんだろうなぁとか、行く間際になってまた余計なことをいろいろと考えたりしたんですが、観に行くと決めた時点で映画を観たいという欲求の方が強くなっていたので、多少は人が多くなっていてもまぁいいかという方向に気分は修正されてました。
上映してた場所はいつものムービックス京都で、その南館の10番スクリーン。上映形態は3D方式の字幕版と吹き替え版、それと従来の2D方式の3パターンが用意されていて、私が観ようと思ったのはこのなかでは3D方式の字幕版でした。
客の混み具合は大体会場の6~7割くらいといったところだったでしょうか。そんななかで私が取った席は前から6列目のかなりスクリーンに近い位置。6~7割の入りで席は十分に空いてはいたけれど、見やすい場所はそれなりに既にふさがってるというような状況でした。


ジェームズ・キャメロンとしては「タイタニック」以降、12年振りの劇場用の映画ということで、長い沈黙を破っての登場となってます。
ロジャー・コーマンのニュー・ワールド・ピクチャーズのもとで「殺人魚フライング・キラー」というB級ホラー映画も作ったりしてるんですが、一般的には「ターミネーター」で名前を広く知られ、そのヒットをきっかけに依頼された「エイリアン2」が爆発的にヒット、私はこの映画も好きなんですけど興業的にはあまり振るわなかった「アビス」を経て自作の続編「ターミネーター2」で更なる爆発的なヒットという風にキャリアを積んでいきます。この辺りのキャメロン監督の映画を観てる時にわたしが監督に対して抱いた印象は続編を本編よりもはるかに面白く撮れる唯一人の監督といった感じ。楽しめる映画を撮ることに関しては全幅の信頼を寄せられる監督でもありました。そしてその後「トゥルーライズ」をはさんで撮った「タイタニック」が映画史に残るほどの記録的な大ヒットを収めることになります。
わたしはこの人が持っていたエンタテインメントに対する嗅覚というか、より面白く、エキサイティングな方向へと確実に舵が取れる作劇の感性に夢中になったほうです。だから「タイタニック」が空前の大ヒットを飛ばし、山のようにアカデミー賞を受賞した時に、キャメロン監督はこれがきっかけで、自分は本来は娯楽アクションなんかじゃない人物描写に長けた監督だ!なんてことを考え出したら嫌だなぁって思ってました。勘違いするだけの状況はキャメロン監督の周囲には山のようにあったはずだし、今回の「アバター」にいたるまでに12年のブランクが開いてしまったのも何だかちょっと意味深でした。
とまぁ今回「アバター」という久しぶりのキャメロン映画を見るに際して、そういう勘違い文芸監督ジェームズ・キャメロンの勘違い振りを見せ付けられたらどうしようかなぁという若干の不安をどこかに持ちながら観始めることになったわけです。でも観始めてまもなくそんな予測は完全に覆されることになりました。全く要らない心配を勝手にしてただけ。
主人公ジェイクがコールドスリープから目覚め、惑星パンドラに降り立って自分の化身となるアバターと対面するほんの導入部分に過ぎない部分でも、これから始まる長大な物語に必要な知識を混乱なく提示し、謎めいた部分や驚異的な映像も少しずつ混ぜあわせながら、観客の興味を引きつけつつテンポよく語られる物語にあっという間に入り込んでいけます。エンタテインメントがどういうものなのか熟知した監督が作った映画という特質はジェイクのナレーションを背後に最初の宇宙船が登場してくるようなところから既にはっきりと読み取ることが出来るようでした。文芸物監督どころか、というより「アバター」は恋愛物語そのものなので文芸要素も最大限に混入させた上で、キャメロン監督はこの長大な物語をコントロールしながら自らのエンタテインメント魂を思う存分炸裂させてます。
ジェームズ・キャメロンの12年ぶりの新作劇場映画ということの他に「アバター」が私の興味を引いたのは、この映画が3Dの立体映画として作られたことにもありました。
これも映画が始まってすぐに理解できることだったんですが、「アバター」の場合は3Dの技術は物珍しいものとして単純に追加されたものではなくて、映画が自らを完全な形で成立させるためにその3D技術を要求していたから採用されているという感じでした。いうならば惑星パンドラの世界を十全に描写するのに3D技術は欠かせない、あって当たり前の技術。キャメロン監督自身が「カラーの映画は、今はカラーがいいからカラーで撮ってるとは誰も思わない」といったことを言ってますが、この映画の3Dはまさにそういう扱われ方をしていたといえるでしょう。
だから、この映画に関しては、劇場では普通の2D版も上映してるけど、3D以外の形式で鑑賞するのはほとんど意味を成さないです。絶対に3D方式で観なければ駄目。
同じような意味でDVDでの鑑賞も、おそらくこの映画でもっとも大事な部分が完全に抜け落ちたような形になると思われます。劇場の大画面で、画面の中に入り込む感覚で惑星パンドラの真っ只中にいた体験の記憶、DVDでの家庭内での鑑賞はその記憶の痕跡を再確認する程度の意味合いしか持たないのではないかと思います。
この映画は劇場で観たほうがいいというどころか、観るならば絶対に劇場で観なければいけないという映画です。
ちなみにムービックス京都で採用してる3D方式はXpanD。3Dメガネに液晶シャッターを使ってるもので、電池が仕込んであるせいで重いです。ゴーグル的な大きさがあるので普段使ってるめがねの上からかけることも可能。わたしはめがね族で自前の眼鏡をかけて鑑賞したんですが、この3Dメガネはその上に余裕でかけられました。
☆ ☆ ☆
作戦中の事故で脊髄に損傷を負って下半身不随になり、さらに兄のトミーを不測の事態で亡くして失意の只中にあった元海兵隊員ジェイク・サリー(サム・ワーシントン)のもとに、兄が参加していたプロジェクトに兄の代わりに参加しないかという依頼が来た。兄のトミーは地球から5光年ほど離れたところにある惑星「パンドラ」で「アバター・プロジェクト」に参加していて、双子の兄と同じDNAを持つジェイクに後を引き継いでもらうのが最善だという。ジェイクはその依頼を承諾し惑星「パンドラ」に赴くことになった。
「パンドラ」は「ナヴィ」という人間に良く似たヒューマノイドの原住民が暮らし、奇態な動植物が生息している神秘的な森の惑星。そして地球環境は危機的な状態にあってそれを救う鉱石「アンオプタニウム」が「パンドラ」には大量に埋蔵されていた。
この貴重な鉱石を得るために地球側は巨大な採掘場を建設して採掘を続けていたが、「パンドラ」の大気は人間には猛毒で採掘作業に支障をきたす要因になっている。
その障害を排除するために立てられたのが、「パンドラ」の大気内でも平気に生活できる「ナヴィ」と人間のDNAを合成してハイブリッド生命体「アバター」を作り、意識を転送する特殊な装置を使ってその生命体「アバター」と一体化、遠隔操作するというプロジェクトだった。
「パンドラ」にやってきたジェイクは意識をリンクする装置を通して、兄トミーのDNAを使って生み出された「アバター」とリンクし、リアルな肉体では車椅子の生活を余儀なくされていたものの、新たに得た肉体「アバター」を使って自由に走り回れる生活を獲得することになった。
「アバター」を使って「パンドラ」の森を調査したり、原住民「ナヴィ」と共生する試みを続けていた科学者グレース(シガニー・ウィーバー)らと森の探索に出た際、ジェイクは森の中でグレースたちとはぐれてしまう。そして夜の森のなか、危険な猛獣に襲われてるところを「ナヴィ」でオマティカヤ族の娘ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)に助けられることになった。
ネイティリは最初はジェイクを余所者として警戒していたが、「聖なる木の精」がジェイクの体に寄り集まってくる光景を見て、ジェイクには「パンドラ」が受け入れる何かがあるのだと確信し、オマティカヤ族のもとにつれて帰ることに決めた。

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ジェイクはグレースら科学者とともに行動する一方、採掘基地の保安部門の指揮官クオリッチ大佐(スティーヴン・ラング)からオマティカヤ族の内部の様相、住居としてる超巨大な樹木「ホーム・ツリー」の構造などをスパイすることも要請されていた。実はオマティカヤ族が住んでいる「ホーム・ツリー」の地下には大量の「アンオプタニウム」の鉱床があった。
大佐からはスパイ任務を与えられていたジェイクだったが、グレースの「アバター」とともにオマティカヤ族に受け入れられてからは、ネイティリに「ナヴィ」のことや「パンドラ」のことを教えてもらってるうちに、ネイティリに好意を寄せるようになり、また全生命体が共生してる「パンドラ」の生命のあり方にも理解を深め共感するようになっていった。

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やがて、ジェイクのスパイ任務にはかばかしい展開が無いどころか、ジェイクが人間を裏切ってナヴィのほうについてることを知った大佐は、「ナヴィ」を追い払うために彼らの住居であったホーム・ツリーに総攻撃をかける決定を下す。
「パンドラ」は森の木々のすべてが根を張り巡らせて惑星規模の命のネットワークを作っているような場所。そして大佐の攻撃目標となった「ホーム・ツリー」はそのネットワークの要のひとつになる巨木だった。ここを破壊されると「パンドラ」の生命ネットワークが破壊されてしまうことになる。
裏切り者の烙印を押され、「ホーム・ツリー」が攻撃されることを知ったジェイクは完全にナヴィの側に立ち地球側と戦う決意をする。そしてオマティカヤ族に「ホーム・ツリー」を破壊しに地球人が攻めてくることを知らせにいくが、スパイ目的で部族に入り込んでいたことを気づかれ、逆にオマティカヤ族の囚われものとなってしまう。
☆ ☆ ☆
3時間近い長尺の映画で、映画的な体験としては圧倒的なものを受け取れる映画であることは間違いないと思いますが、「アバター」の物語そのものは前代未聞の映画を支えるものとして期待するような斬新なものだったかというと実は必ずしもそういう感じでもなくて、むしろ今までにいろんなところで見聞きしてきたものを思い起こさせるような要素で成り立っている物語という印象の方が強いものでした。
環境破壊、自然との共生、支配者と搾取される者、異文化への理解と拒絶、虐げられた者の反乱、などなど。映画だけでなくて小説などでも繰り返し取り上げられてきたようなテーマが「アバター」のなかにはいっぱい詰め込まれてます。オマティカヤ族がその生活の基本的な部分で体現していたような神話性などは今までの映画、小説などにたとえ取り上げられていなくても、人が共通して持つような感覚として無条件で理解できるようなものだったでしょう。
具体的にはこの映画を観て「ナウシカ」だとか「もののけ姫」といったジブリの映画を思い起こした人が多いんじゃないかと思います。キャメロン監督はどうやら宮崎アニメのファンでもあるようですから。
わたしの場合はジブリ映画の熱心な鑑賞者というわけでもないので、映画を観ている時に連想してたのは映画じゃなくて、ゲームの「ファイナル・ファンタジー」でした。「ファイナル・ファンタジー」のなかでも特に「Ⅶ」。個別の生命が閉じた後にその命は精神エネルギーとして共有され、そのエネルギーが一つの星を覆い尽くすような流れになって存在して新た命や文明を生み出していくという設定、これが「アバター」という森の惑星で木々が根を張り巡らせて惑星を覆い尽くすネットワークを形作ってるっていう世界観と良く似てるなぁって映画を観ながら思ってました。「アバター」の地上や空を駆け巡るクリーチャー、特にジェイクがナヴィからも地球人のスパイと看做され、拒絶された後でもう一度受け入れてもらうために伝説の勇者でないと乗りこなせない飛行生物(翼竜?)レオノプテリクスを従えてオマティカヤ族の前に降り立ったシーンなんかは、そういう目で観てると「召還獣」を従えて降臨してきたかのようでもありました。
なんだかこんな書き方をしてみると「アバター」が独創性もない二番煎じ的な要素で成り立った物語、もっと凄い斬新な物語を語るはずだったのに上手くいかなくて無難な着地点ばかりを探ってるような失敗作のように見えるかもしれませんけど、実はこういう物語のあり方は「アバター」の場合は意図的にとられた方法の結果として出来上がってきたものだったようです。
キャメロン監督は「アバター」の物語に関して「見慣れない環境で、見慣れたタイプのアドベンチャーを作り出したいと思った」と云ってます。
つまり今までにどこかで見聞きしたような馴染みのある要素を物語の中に取り込むのは最初から意図的だったということです。
それでなぜ真新しい新鮮な物語を語ることをやめて、あえて古い良く知られてるプロトタイプともいえそうな物語を寄せ集めてその変奏曲のような映画を作ろうとしたのか、そういうことをちょっと考えてみたんですけど、一つは「アバター」は3D映画として成り立ってるわけだから、3時間近くの間その圧倒的な視覚情報が観てる側に雪崩れ込んでくるわけで、そのうえ物語的に複雑な情報を織り込むと情報量が多すぎると判断したんじゃないかって思いました。3Dで徹底的にリアルに再現した「パンドラ」の世界に観客を放り込むっていうのが明らかに映画の一番の意図のように思えるから、キャメロン監督は全神経をそちらのほうに向けて欲しかったのではないかと。アメリカ人は字幕を読まないでもいいけれど、わたしは字幕版を鑑賞して、字幕に向ける注意さえいちいちはぐらかされるような気分になりましたから。3D映画としての圧倒的な映像と、どこか馴染みのある物語は組み合わせとしては上手くバランスが取れていたんじゃないかって思います。
もう一つは出来るだけ大勢の人、広範囲の世代に観て欲しいという意図もあったかもしれません。この映画の場合は一般に大作映画といわれるものよりもさらに莫大な費用をかけて製作された映画、聞くところによると240億くらいだそうで、こんなにお金をかけて映画を作るってもうよほどのことでもない限りできないかもしれないくらいの規模だから、ややこしい話をひねり出して特定のマニア相手に作るわけにはいかないっていう部分もあったと思います。
地球人による植民化のなかで、自らが住む世界を破壊され、追われていく先住民族のナヴィ、そのナヴィが星の生命総合体とでもいえる「エイワ」によって選ばれたジェイクに導かれて、自分たちの聖地を破壊しようとする人間に対して反旗を翻す物語と、その民族の再生に絡めるように語られるジェイクとネイティリとの民族、文明を越えた恋物語。
「アバター」はこういった祖形とも云えるような要素で骨格を形成してる物語に載せて進行していくわけですが、それではそれが詰まらなかったかというと観終わった後の感想は全くの正反対。3時間近い映写時間中、ほとんど退屈もせずに、というよりも退屈するどころか長い上映時間中、時間のことも忘れてしまうくらい夢中になって観てました。
この問答無用の面白さがどこから来てるかといえば、結局ジェームズ・キャメロンの演出の手腕なんですよね。エンタテインメントが何であるか熟知した監督の手腕で「アバター」は全体がエンタテインメントの最上のレベルを保つように仕上げられてる。ここで演出って云ってるのは、あまり小難しい意味じゃなくて「語り口」程度の意味なんですけど、キャメロン監督はたとえば同じ物語を与えられても他の監督よりもそれをより面白く語れる感性を持ってる人なんだと思います。
緩急自在の語り口、観客の興味を意図どおりに引き出し、それを鷲摑みにするように手にして思う方向に引き釣り回す。見慣れた骨格を基にしていても面白く語る方法を会得していればそこからいくらでも面白い物語を紡ぎ出せます。またそういう感性、技術を持ってると確信してるから、キャメロン監督はあえてよく知ってる様な物語を持ってきても、まるで平気だったのかもしれません。
☆ ☆ ☆
わたしは、エコロジー的な視点とか少数民族に対する抑圧だとか搾取だとか、社会的なテーマを引き出すような観方で映画を観るタイプじゃないので、この映画も登場人物中心というか、驚異的な世界を背景にしたジェイクの遍歴の物語、ジェイクとネイティリの恋物語として観てました。この映画は社会的なテーマを引き出しても物語が類型的な分、そこから引き出されるテーマも類型的なものにしかならないようで、おそらくあまり面白くないです。
登場人物といえば全部ではないにせよこの映画の人物造形って、これもあらゆる世代に対して理解しやすいものにするためだとは思うんですけど、相矛盾する要素を一人の人間のなかに混ぜ合わせて複雑な人間像を作るというよう方法ではなくて、ある程度類型化したものを基礎にしてそのうえにそれぞれの個性を付け加えるようなアイコンを散りばめるという、そういう感じのキャラクター・メイキングをしてるようでした。
主人公のジェイクの場合はとても分かりやすくて、元海兵隊員という類型の上に下半身不随で車椅子生活を余儀なくされてるという個性化のアイコンが付加されるという形。そしてこの歩けないという設定はジェイクの造形という点では実に良く考えられたものだったように思えます。
リンクしたアバターの肉体を使って、無理だと思っていた歩くことや走ることが出来るようになったことが、ジェイクにとってのリアルな世界が採掘基地側の足のなえた肉体ではなく、仮想現実ともいえるアバターのほうにあるとジェイクに思わせていくわけです。
兄のアバターにリンクし、アバターの肉体を我が物として扱えるようになった最初、アバターの肉体ではあったけれど自分のものとして両足で再び立つことが出来た奇跡に狂喜して、研究室の職員を振り切ったあげく、外に出て闇雲に走りまわるシーンのジェイクの喜び、その喜びようから歩けなくなったことが今までどれだけジェイクを苛んできていたか痛いほど分かったし、リンクを解いて本来の自分の肉体に戻った時の再び歩けない現実を前にした絶望も口に出したりこそしないけど、とても良く分かりました。人の1.5倍あるアバターから、リアルな肉体に戻った時の、見るからに萎えてしまった細い足が画面に映るのはなんだか見てられないほど痛々しかったです。
車椅子に乗ってるという設定だけで、ジェイクが地球人としては裏切り者になってまでナヴィ側についたのも、現実の萎えた足の肉体よりも、アバターのいわゆる仮想的な現実の方こそリアルにしたいという思いが意識的にしろ無意識的にしろジェイクのどこかにあって、単純にナヴィの生命観や自然観に感化された結果ではなかったことを良く表現していたと思います。裏切り者になるというポイントでは元海兵隊員という人物造形の基本部分もその変化の振幅の大きさを分かりやすく見せていたかもしれません。
また大佐からスパイを要請される時にもスパイをしてくれれば本当の足をプレゼントするっていう交換条件もだされてます。この条件はナヴィの側につくことでリアルな肉体が足を持つことを諦めなければならないという葛藤を生むし、代わりに得たアバターの肉体は「アバター・プロジェクト」が人間のプロジェクトである以上、人間を追い出してしまうともう使えなくなるかもしれないという葛藤も生みだしてました。クライマックスでパンドラの猛毒の大気が装置のある場所に侵入してきた時でも、装置から防御マスクのある場所までジェイク自身ではたどり着けないっていう形で効果的に使われてました。歩けないって云うだけでちょっと考えただけでもこれだけの陰影をジェイクの人物像に付け加えてるというわけです。

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こういった葛藤を秘めつつも自分の運命に静かに向き合い、パンドラに希望を見出していくジェイクを演じたのはサム・ワーシントン。去年は「ターミネーター4」にも出演して勢いに乗ってる俳優さんです。物静かでどこか朴訥とした印象があり、それがなえた足に絶望はしても表立っては決して泣き言を云わない強さ、ナヴィのなかにいて、彼らと接し学んでいく時の誠実さを上手く体現していたようでした。
でも「アバター」の登場人物のなかで一番印象深かったのは、ヒーローへ向かう王道的な道筋を歩む主人公のジェイクよりも、ヒロイン役のネイティリのほうだったかも。
惑星「パンドラ」の先住民ナヴィの、オマティカヤ族の族長の娘で、見た目はヒューマノイドではあるものの青い皮膚に横縞の模様が入った、しかも人の1,5倍もある巨体の異星人。容貌はおそらく猫科の動物をデザイン・ソースにしてると思われるので、猫好きの人はそれなりに親和性があるかもしれないけど、普通に観れは完全に異形です。
ところがその異形の異星人であるはずのネイティリが、ジェイクに恋し始めると、どんどんと綺麗に可愛らしく見えてくるんですね。ジェイクと出会った当初の、ジェイクを子供のように何も知らない愚か者と思い、女族長の母からジェイクにいろいろ教える係りを命じられて本気で嫌だって云う声を上げた時には全くそんな風には見えなかったのに。
そのうえネイティリはジェイクに見せる少女のような面も持ってるのと同時に、戦いが始まれば戦闘用のペイントを顔に施して、敵に対しては何のためらいもなく矢を放つ強さをも併せ持っています。

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身のこなしもしなやかで躍動感にあふれ、動きそのものが美しい肉体に、強さと可憐さを併せ持ってる女性。ネイティリは簡単に云うとこういうキャラクターとして描き出されていたわけです。
最初から最後まで異星人という異形の形を崩さないで、そういう魅力的な印象にまで持っていけてたのが凄いところなんですが、そういう描写が出来たのもやっぱり演出の力技によってるんだと思います。おそらくこの物語の中心になってる部分は虐待される少数民族とか環境破壊だとかそういうところにあるのではなくて、このジェイクとネイティリのラブロマンスにあると思うんですが、そういう中心部を形作ってるものをきちんと見極めてネイティリを丁寧に描いていった結果ああいう極めて特殊な魅力を持った人物を作り上げることが出来たんでしょう。
ラスト近くアバターにリンクしてない人間形態のジェイクを抱きよせ「ジェイク、マイジェイク」と囁きかけるネイティリの情の深さが泣かせました。
こんな人物を3時間も見せ続けられ、感情をストレートに乗せてくる声を聴いてれば、映画が終わる頃にはジェイク並みにネイティリに夢中になってる人が大勢いたんじゃないかと思います。
ネイティリを演じたのはゾーイ・サルダナ。でもこの役は他のナヴィ役も含めてすべて特殊メイクではなく3DCGで描かれていて、ゾーイ・サルダナの実際の身体、素顔は映画のなかでは一度も出てきません。顔の動きを詳細に捉える新しいモーション・キャプチャーで、エモーション・キャプチャーと名前がついたらしいんですけど、その技術を使ってサルダナの演技をそのままネイティリのCGに移し変え、実際は3DCGのキャラクターなんですけど、ゾーイ・サルダナ本人が特殊メイクを施して演技したものを撮影するのと変わらない動き、感情表現を実現したそうです。
登場人物のなかではもう一人、ミシェル・ロドリゲス演じる採掘場のヘリの操縦士トルーディ・チャコンもよかったですよ。扱いとしては主役級ではなくて脇を固めるような役どころなんですけど、クライマックスである地球人の武装ヘリの大群対翼竜イクランに乗ったナヴィの戦士との戦争シーンではかなり良い部分を一人でかっさらって行ったという感じでした。普段は「アバター・プロジェクト」の科学者グレースらを世話してる人物なんですが、おそらく科学者らと一緒に居る時間が多いせいで、グレースらの仕事に理解を示すようになり、「ホームツリー」攻撃の際には「パンドラ」とナヴィにとってもっとも大切なものを破壊する作戦に従事してることが嫌で、単機離脱、その後心情的には、直属の大佐にではなく科学者らのほうにつくことになります。

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最後の戦争シーンで大佐の乗る旗艦の前に、ナヴィの戦闘用ペイントを施した自分の戦闘ヘリたった一機で立ち向かおうとする登場の仕方はまさに鳥肌ものでした。
キャメロン監督は過去の作品でも、たとえば「エイリアン2」の女性兵士バスケスのような強い女性を好んで出す傾向があるんですけど、ネイティリといいこのトルーディ・チャコンといい、「アバター」でも強い女性の刻印をしっかりと刻み付けて、監督の趣味が全開したような人物造形になってたといえるでしょうね。
☆ ☆ ☆
この映画の最大の特徴は3DCGを駆使して描いた世界を、先にも書いたように立体映画として成立させたことにあります。
映画の意図は惑星「パンドラ」の森や空の真っ只中へ観客を放り込むこと。だから立体表現はほとんどの場合奥行きの表現に使われていて、目の前に飛び出してくるようなアトラクション的な使い方はかなり抑え目にしてありました。
冒頭のジェイクがコールドスリープから目覚めて、装置から排出されるシーン。画面の手前でジェイクが装置から出てくる背後は細長い宇宙船の船内で、はるか向こうの方までチューブ状の船内が見通せ、その空間を無重力状態で乗組員が浮遊してるというシーンがあって、これの奥行き感覚が半端じゃないんですね。おそらくキャメロン監督がこれから観る世界はこういうものなんだよと宣言してるような意味合いのシーンなんだと思うんですが、このシーンの奥行き具合のとんでもなさに感心してしまったのは、おそらくわたしだけじゃないと思います。
その後、超巨大な採掘機のスケール感とか培養器に浮くアバターとジェイクの比較を奥と手前の距離を使ってさりげなく演出してる、小技を効かせたような採掘基地内の描写を挟んで初めてのパンドラの森の探索へ。そしてそこでグレースらとはぐれてしまったジェイクといっしょにパンドラの森を彷徨うことになります。
森の描写は奥行きの表現が効いていて、まるで本当に森の中にいるような感じです。パンドラの世界は誰も見たことが無い異世界ではあるものの、設定としては精緻に作りこまれていて、こういうのはキャメロン監督の映画の特徴かもしれないですが空想的であっても徹底してリアリスティック、奇態な動植物で満ちた世界がまるで現実にどこかに存在するような感じで目の前に広がることになります。このパンドラの異世界の森は特に夜になってからの描写も見事で、様々な発光体が闇の空間を彩り、非常に幻想的で綺麗でした。

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オマティカヤ族に受け入れられ、ハンターになるための通過儀礼で、空中に浮遊してる山「ハレルヤ・マウンテン」に登って翼竜エクランを確保する辺りからは空中を飛ぶシーンが増えてきます。エクランが駆け巡る空間の高さの表現を駆使するシーンは、立体にしてみればかなり見栄えにあるシーンの連続となってました。
そしてクライマックスの戦争シーン。地上の森はAMPスーツで武装した地球人の軍団とダイアホースに乗るナヴィの騎馬軍団、空中は巨大旗艦と武装ヘリの大群とエクランに乗ったナヴィの戦士との戦闘シーンになると、その縦横無尽に動き回るものに対する立体的な演出、展開の派手さといったら今まで見てきた立体視の表現がこのシーンを見るのに目を慣らすための準備期間じゃなかったかと思うほどのものでした。
この映画が最新の3DCG、最新の3D技術を使用して作成されたのはまず間違いありません。ただ3DCGの使い方のほうを観ると、出来上がった画面は超豪華版ファイナルファンタジーといえないことも無いようなところもあって、極めて緻密に仕上げてはいるんですが最新の3DCGを使ってる割には意外と控えめな印象がありました。もうひとつの3Dの方は、これは凄かったです。立体映画としての「アバター」の出来は文字通り特筆すべき仕上がりになっているような感じでした。
でも立体映画としての「アバター」はとにかく目を見張るものではあったんですけど、技術としては最新の3D技術を使ってるにしても、その目新しい立体映画の技術を見せるような使い方はしてないんですね。奥行きはとても深く表現されてはいるけど、奥行きの表現そのものは今までの立体映画でも当たり前のようにあるものでした。
この映画の3D表現が凄いとするなら、3Dを使うのにはこれほど相応しいものは無いという映画で、最も効果的に見えるような演出を通して使われたために、3D形式が本来可能性として持ってるさまざまな効果が、潜在的であったものも含めて最大限に発揮されたような形になったことにあるんじゃないかと思います。
「アバター」はあらゆる場面が3Dをこういう風に使えば一番臨場感が出るといったことの、最上級のサンプルになりえるような完成度の映画になってます。だから立体映画形式を使う場合のもっとも効果のある形を示した映画として確実に転換点となるし、これから以降立体映画を作る際の基準になっていくだろうという意味で特筆すべき映画であるんだと思います。
☆ ☆ ☆
「アバター」を観にいってからこれを書いてるうちに、どうやら興行成績でも「タイタニック」を抜いてしまったようで、ますます怪物振りを発揮してるような感じになってきてますね。
立体映画のメルクマールになったという以外にも周りを取り巻く様々なものがこの映画に祝祭的なイメージを付加し続けてるようです。
こういう今までに例を見ない祝祭的映画の出現した時代に居合わせ、劇場での立体映画という完全な形で体験できたことをわたしはとても幸運だったと思います。こういう映画に参加できた俳優、スタッフ(エンドクレジットは吃驚するような体裁になってます)は本当に幸せだったと思うし、わたしも観客として参加して、その幸福感を多少は分けてもらったような気分になれました。
最後に、わたしは映画に行くといつもパンフレットを買って帰ります。この「アバター」も例に漏れずにパンフレットを買いました。
映画のパンフレットって高い割りに大したことも載ってない内容と言うのが大半で、映画に付随するものでなかったら絶対に買わないようなものが多いんですけど、「アバター」のパンフレットは確か600円くらいだったのに、読むところも多いし、紙質は全ページ光沢のある厚手の紙を使っていて値段にしたら凄くよく出来た仕上がりになってました。
ただ非常に残念なのがミシェル・ロドリゲスの写真で、映画のなかではあんなに美味しい役どころだったのに、パンフでの扱いは付け足しみたいなのが2枚入ってただけでした。
ミシェル・ロドリゲスのファンなら失望間違いなしのパンフです。
☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆
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原題 AVATAR
監督ジェームズ・キャメロン (James Cameron)
公開 2009年
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