2010/04/11
桜 -哲学の道-
先日桜の写真を撮りに行ってきました。去年の今頃にも桜の写真を撮りに行ってるので今回が二回目です。ちなみに去年撮ったのは岡崎公園の桜。美術館なんかが点在してるということもあって、わたしにとって桜が綺麗な場所として一番馴染みの深いのがこの岡崎公園でした。
それで今年も季節は巡ってきて、去年のようにまた桜の写真を撮ってくるつもりになったわけですが、場所はどうしようかと思いをめぐらせて、幾ら馴染みがあるとはいえ今年も同じ場所の桜を撮ってくるのも何だか面白くないと、シーズンが始まる前からそんなことをちょっと考えてました。
わたしの好みから云うと、これは嗜好なので何故かと問われると説明しがたいものではあるんですが、東山界隈がなぜかいつもお気に入りの地域になってます。去年の岡崎公園だってどちらかといえば東山の方だし結局はわたしのお気に入りの地域に入ってます。だから今年も桜の写真を撮りに行くならその辺りで別のところがいいなぁと思ってました。
東山界隈でとりあえず思い浮かんだのが清水寺と円山公園、それとこの何年か個人的な事情でよく訪れてる白川の辺り、哲学の道といったところでした。丸山公園から清水寺は、清水の方には途中で断念していかなかったものの、お正月にちょっと写真を撮ったし、この辺りは今はいいかなと除外して、結局哲学の道が今年の桜の一番の候補になりました。
こういうことを考えている一方で、今年の天候は予想外の波乱含みで何だかちっとも春になった気がしないし、3月の終わりごろはまだまだ桜のシーズンなんて来ないんじゃないかという感覚になりかけてました。でも桜のほうはこの得体の知れない天候でもきっちりと春の訪れを察知していたようで、まだ桜の開花なんてかなり先だろうと思ってたのに、気がつけば知らない間に満開が近いと知らせるレポートが入ってくるようになってました。
こんな感じだったのが大体先月の終わり頃のこと。
気分的にはいきなりに近い形で満開情報を目にし始めて浮き足立ってきたというような状態だったんですが、そういう気分とは反対に、実は今月に入って直ぐにちょっとしたトラブルに見舞われることになってしまいました。
前回の記事をアップした2日の夜中だったと思うんですが、ちょっとした不注意で自宅の階段を二段ほど踏み外したんですよね。その時に階段の縁に踵の側面辺りを思い切り擦り上げて怪我してしまいました。擦り傷にしては出血があって、この部位は擦り傷だけでも思いのほか出血するんだと思いながらもバンドエイドを貼っておいたら、2日後くらいから化膿したような状態に。傷口をみると擦り剥いたというよりももうちょっと深く削り取ったような状態の傷になってました。暫くは靴履くのもためらうような感じになってしまったわけで、怪我の直後は桜の写真を撮りに行く気にもならないような気分になってました。
そこで化膿状態がどうも早急に収まりそうに無い感じがしたので、気分が若干萎えてた間に医者に行って抗生物質を処方してもらうことにしました。
薬を処方してもらった後は抗生物質が効いたのか、治りだすと傷の回復は意外に早かったです。トラブルは桜のシーズンがもうそろそろ終了するかという間際になって何とか回避することに成功。哲学の道に桜を見にいった日には傷はもうかさぶたになって、ほとんど痛むことも無くなってました。
考えてみれば今回桜見物に哲学の道を選んだのは足の怪我にもちょうど具合が良かった感じです。散策路は結構長いんですけど基本的に疎水の縁の遊歩道沿いに桜が植えてあるという光景は最初から最後まで変わらない場所だったので、足が痛くなってきても、まだ見てない場所に思いを残すことなく途中で離脱できそうでしたから。でも実際には哲学の道を端から端まで歩いても傷は痛くならなかったので、途中で離脱することもなかったんですけどね。
☆ ☆ ☆
哲学の道は東山のふもとを南北に伸びる道で、どちらが出発点とか決めてあるのかどうか知りませんけど若王子神社から銀閣寺辺りにかけて流れる琵琶湖疏水分線の傍らに走る散策路のことを云います。疎水は若王子神社側から銀閣寺に向けて流れてるようですが、哲学の道を散歩する人の流れは銀閣寺側から若王子神社の方向、方角で云えば北から南に向けて歩く人のほうが多かったような気がします。わたしも今回は銀閣寺側から歩き始めました。銀閣寺へ道が分岐する場所でもあるせいか、銀閣寺側のほうが哲学の道南端よりも賑やかな感じがします。
道の名前の由来は近くにある京大の哲学者、西田幾多郎博士が思索のために好んでこの道を散策した所から来ているらしいです。長さとしては全長約1,8キロメートルで、歩いてみると結構歩きがいがある距離に感じます。道の近くには北端の銀閣寺を初めとして法然院、安楽寺、永観堂、大豊神社などの社寺が点在してそちらのほうにも簡単に足を伸ばすことができます。

クリックで拡大します。
わたしはこの何年か北白川の辺りに行くことが多くてその時には京阪の出町柳駅から市バスに乗って移動してました。哲学の道へは出町柳の駅付近にある停留所がらバスに乗れば簡単に行くことが出来ます。銀閣寺路へ行くバスに乗って東に向けて移動するだけ。百万遍で京大の前を通って、2箇所ほど停留所を通り過ぎたら即座に目的の場所に到着します。今回もそのルートを通って哲学の道まで行ってきました。




哲学の道の北の端、白川通今出川辺りから、銀閣寺方面へ向かう道と南へ伸びる哲学の道とが分岐する銀閣寺橋辺りまでの、白川疎水沿いの桜並木はこういう感じ。実は南に下がっていく哲学の道本来の桜よりもこの辺りの桜のほうが見事なアーチを作っていて見応えがあります。わたしはこの辺りの桜が好きです。

哲学の道に限らず京都の観光の要所要所にはこういう人力車が待機していて、これに乗って観光地巡りをすることが出来ます。わたしは乗ったことがないんですが観光地を歩いてるとよくすれ違うことがあったり、たまに立ち止まっては人力車の兄ちゃんがお客さんに観光スポットの説明をしてたりするのに遭遇します。通りすがりに説明を耳にしたりするとお客さんとなかなか楽しそうな会話を交えての説明になってるようです。
市バスのりばと書いてありますが、京都の市バスがこれだというわけじゃないです。


銀閣寺へ続く道と分岐する銀閣寺橋辺りの光景です。この辺は常時観光地のようなものなので周辺も元から商売してる店舗が並んでいて、屋台とかの臨時的なものはほとんど見当たりません。手前に哲学の道と彫りこんだ石碑が置いてあります。



哲学の道を歩いていくと疎水が流れる縁に桜が配置された、こういう光景が目の前に広がっていきます。
一番上の写真はお地蔵さんの祠があった場所、名前は「幸せ地蔵尊」というらしいです。いかにもご利益がありそう。
「幸せ地蔵尊」のおくにあるのは茶店です。散策路の両側は南にいくほどに民家が多くなって普通の住宅地の道という感じが強くなってくるんですが、銀閣寺に近い辺りはみやげ物屋だとか食事が出来るところ、洒落た喫茶店などが点在していて、観光地的な雰囲気があります。
散策するにはいろいろと目の前に現れてくる桜を堪能できるいい場所なんですが、写真を撮るとなると疎水沿いの桜と散策する人という何だか同じような写真ばかりになって、若干飽きてくるところもありました。帰宅してから撮ってきた写真を眺めてると哲学の道の桜の写真を撮りに行ったのに哲学の道の後半はほとんど写真を撮ってなかったのに気づいたりしてちょっと吃驚。もっと全般的に写真を撮ってたつもりだったのに。

大体、みたらし団子だとか蕨餅だとか並んでる店は食べ物屋が多いんですけど、なぜかこういう布物を売ってる店も点在してました。あまりそぐわない感じがして目に付いたのでスナップしてきたんですけど、哲学の道と何か関係でもあるのかちょっとよく分かりません。

桜が絡まない疎水の風景です。少し東に行くと東山の山間の風景に切り替わっていくんですが、その山間の風景がここまで出張してきてるような雰囲気です。ニュアンスに富んでいて、こういう光景も結構好きだったりします。

これは法然院に向かう橋だったかな。似たような写真を撮り続けてたので、ちょっと雰囲気を変えて法然院のほうにも足を伸ばしてみることにしました。




東山のふもとという位置関係で、木漏れ日の中を歩いてると山間の地を歩いてるような気分になってきます。木漏れ日の風景って云うのは八坂神社の参道でも結構好きなものだったので、ここも歩いていて随分と気持ちのいい場所でした。
山門をくぐったところに見える白砂壇とこじんまりした庭園の光景、木立で見えませんが道の奥の橋は池にかかってます。それと山門を内側から見たもの。哲学の道は結構人が歩いてたけど、こちらにはほとんど人は来てなかったです。
元は鎌倉時代の法然上人の草庵でそれを江戸時代に再興したものだそうですが、ここには講堂があって、現在では展覧会とかコンサートとかを開催したりする場所にもなってます。あと谷崎潤一郎のお墓もここにあるんですよね。ちなみに境内に入って散策するのは無料です。

再び哲学の道に戻って、桜の花に混じって咲いてた白い花。木につけられた札によると「支那桃」という桃の花だそうです。
わたしが見た木にはこういう白い花しか咲いてなかったですけど、調べてみるとピンクの花も同居して咲くらしく、なかには白とピンクの混在した花も咲くことがあるとか。哲学の道では我が物顔に咲いてる桜に混じって見落としそうになるんですけど、凄く可憐な花でした。

先にも書いたように桜の花の写真を撮りに来てながら、同じような構図の写真を撮ることに途中で無意識的に飽きてきてたんだと思います。帰ってから確かめてみると哲学の道後半部分の写真は桃の花とこれくらいしか撮ってませんでした。


地図で云うと正覚寺あたりから、若王子神社にいたる哲学の道の南端部分はそれまでとはちょっと異なった風景が広がってきます。
次第に山間の道のような雰囲気になっていた哲学の道がここに来て急に広々とした空間に出てくることになるんですね。
銀閣寺側から歩いてくるという条件に沿った場合だけのことになりますけど、展望が広がる視覚的な変化はちょっと面白い体験になると思います。
写真には撮らなかったんですが、正覚寺のある西側を眺めると眼下に広がるという感じで市内の風景が眺められ、少し高いところに上ってきていたことに気づきます。哲学の道を歩いてる時は上り坂を歩いてるとは思わないんですけど、1,8キロをかけてここまで緩やかに上ってきていたわけです。

この哲学の道の南端の開けた場所にいた野良猫。観光客が絶えることはないので生活は安泰といったところでしょうか。通り過ぎる人の近くでも平然どころか、ベンチに座っていても平気で近づいてきてました。

哲学の道の北と南の両端を比べてみればやっぱり観光地的な雰囲気があるのは銀閣寺のある北のほうということになるでしょうね。南端から西に降りていけばこういう雰囲気の町並みで、ほどなく普通の住宅街にバトンタッチしていくことになります。賑やかな観光地から入って観光地のオーラが抜け切ってしまったところに到着するのはちょっと拍子抜けのところがあります。
ここからさらに南禅寺のほうに廻るという手もあるんですが、哲学の道だけが目的なら南から入って北の銀閣寺でゴールとするほうが面白いかもしれません。
☆ ☆ ☆
今回は桜の季節ということで、それを目的に行ったんですけど、もちろんこの季節の哲学の道の桜の光景はとても綺麗であるにしても、周囲に点在するお寺や洒落た店、様々に咲く花や山間の光景など、哲学の道は他にも観るところが一杯あるという印象でした。桜に拘ってしまうと見逃すものが多そうというか、こういう場所はターゲットをそれほど定めないで散策するのがやっぱり一番面白いんじゃないかと思ったりしました。
☆ ☆ ☆
最後まで読んでいただき、有難うございました。
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