2010/07/13
このところビスケットカメラというトイデジカメを入手して遊んでます。
ビスケットカメラを手に入れたのは先月6月の後半のことでした。ビスケットカメラの存在は今年に入った頃辺りから店頭で目にして知ってたんですけど、これはどう見てもただのおもちゃ、大したことも出来そうに無いと、物欲リストからはちょっと離れた位置に存在するアイテムでした。
それがどうも結構人気があるということを知って、とはいうもののそれを知ったからといってどうしても欲しくてたまらなくなったのかというとそういう感じでもなかったんですが、なんだか気づいたら試しに買ってしまってたという感じでわたしの手許にやってくることになってました。
ビスケットカメラは種類としてはトイカメラという範疇のカメラに属するものです。そのトイカメラのデジタル版をさらに小型化してアクセサリー的なアイテムにしてしまったものとでもいえるでしょうか。
「トイカメラ」というカメラのカテゴリー、わたしがこのカテゴリーの存在を知ったのはもう5~6年位前のことでした。
京都の寺町通りにランダム・ウォークという洋書屋さんがあって、この洋書屋はわたしがブログを始めた頃に倒産して潰れてしまうんですが、そこの棚の一角にコーナーが作ってあって、トイカメラを代表する機種「ホルガ」なんかが並べられてました。これを目にしたのがわたしがトイカメラを知った切っ掛けだったように思います。
まず本屋にカメラが置いてあったのが興味を引いた不思議の一つでした。まぁ、ランダム・ウォーク自体が京都に住む外国人相手の本屋さんのようで他の本屋とは多少感じは違ってたんですけど、それでも本屋でカメラを売ってる光景はあまり日常的とはいえない感じがしてました。アート関連のような写真集と一緒に並べられてるディスプレイの仕方も普通のカメラ屋で扱ってるのとは随分と雰囲気が違っていて、カメラと一緒においてある作例写真なんかも、綺麗に写すというのとは目的が違うんじゃないかという不思議な写真が一杯あったように記憶してます。
そんな風に印象的だったランダム・ウォークの棚に並んでた「ホルガ」は随分とレトロっぽいイメージで、しかも安っぽそうなプラスティックの質感が目を引いてました。棚の周囲を取り巻く不思議な雰囲気の中で、ホルガは外見だけでも普通のカメラとは異質だということを強烈に主張してるような感じにも見えてました。
トイカメラっていうカテゴリーの代表である「ホルガ」というカメラは実は中国のカメラです。香港で生まれて中国の労働者階級用に売られたカメラで、おもちゃとして作られたわけではなかったもののわたしたちが接して普通にカメラと呼んでるものと比べると、非常に粗雑な作りになってます。写像が歪んだり光漏れが生じたりといったことは当たり前という仕上がり具合。でもこの粗雑さが普通にカメラと呼んで使ってるものではなかなか撮れない映像を見せてくれるとあって、ホルガが生み出す写真は一部のプロ、カメラ好きの間で評判になりました。
粗雑な作りのカメラであるためという全くの外因で、正確に見たとおりに映像を定着させるという従来の写真のあり方から図らずも逸脱してしまった写真は、見方を変えれば非常にアーティスティック。意図的に加工してアート的な作品に仕上げたのは普通に芸術写真であるとして、観方を少し変化させる「トイカメラ」というコンセプトはホルガという粗雑なカメラが生み出すこういう偶然性が絡んだアート感覚を掬い上げる役割を果たすことになります。普通なら失敗として捨て去ってしまってたものが「トイカメラ」というコンセプト、ものの観方が出現したおかげで、今までの写真のコンテクストとは若干ずれた地点で楽しめるようになったというわけですね。
ランダム・ウォークでホルガのサンプル写真を見てから、こういうコンセプトは面白いと思ったし、その頃からトイカメラも欲しいと思ったんですけど、トイカメラは基本的にフィルムを使うカメラで、わたしの場合はこれがネックになって手を出せませんでした。デジカメに比べるとフィルムというのはやっぱりかなり面倒そうというイメージがあります。カメラは嫌いじゃないけどこの面倒さを乗り越えるほどカメラに関して特別の関心を持ってるわけでもなかったという部分もわたしのなかにはありました。
それでトイカメラには興味はあるけどフィルムカメラは面倒っていう程度の関わりが今まで続いてきてたわけです。トイデジタルカメラというのも視界には入ってきたものの、フィルムが王道と思ってるとこちらもなかなか手が出ません。トイデジカメはトイカメラの写り具合をデジタルで再現するというようなコンセプトだと思うんですけど、それは本来的な面白がり方とはちょっと違うんじゃないかって云うところもあったし、トイデジカメはトイカメラの王道「ホルガ」よりも高価って云うのもなかなか手が出せない理由でもありました。
2010年6月中旬のわたしのカメラ事情、というほど大層なものでもないけど、カメラを取り巻くわたしの環境はそんな感じでした。トイカメラへの関心は続いていたもののトイカメラを所有するまでは行かず、ただ普通にキヤノンのパワーショットA710ISっていう4年ほど前のデジカメで撮ってるだけという状況。そしてそこに気まぐれ的にビスケットカメラというおもちゃが加わったわけです。
☆ ☆ ☆
ビスケットカメラってこういうのです。

大きさはクリームなんかを挟んで二枚重ねにした位の厚さがある、本当にビスケット程度。スペック的には30万画素という今時の携帯のカメラ機能よりも劣る解像度で、操作できるのはモード切り替えボタン以外だとシャッターを押すことくらいというシンプル極まりないものです。ピント合わせの機構さえついてません。
自分で持ってみて分かったことは、カメラがあまりにも小さく軽いせいでシャッターを押す力だけでも上下に動いてしまい、ぶれないで撮ることは至難の業だということ。デジカメの手ぶれ防止機能がいかに偉大な機能であるか思い知らされるかもしれません。でも基本的にゆるい絵を撮れるというのがこういうカメラの利点なのでぶれた方がどちらかというと面白い絵になる感じではあります。むしろぶれを誘うカメラの軽さとかは逆に利点と考えてもいいのかもしれません。
唯一つ有用な道具として使うには致命的じゃないかと思うことがあって、それは電池に関することでした。このカメラ、単4電池一本で動くようになってますが、外部メモリーを使う仕様ではなくて撮った写真はビスケットカメラ内部に記憶させておくだけ。電池が切れたり抜きだしたりするだけで撮った写真データは消えてしまいます。これはまさしくおもちゃ仕様です。
たとえば外出先で一杯写真を撮ったとしてもその最中に電池が切れたらその日撮った写真は全部アウト。電池が切れかけてるのに気づいても電池を交換するだけでそれまでに撮った写真は全滅ということで、一日使えるだけの電池が仕込まれてない限りデータを無事に持ち帰ることが出来ない仕様になってます。しかも電池の残量が分かるような気の効いた機能も全く無しです。使うには一日に撮った写真が全部虚空に消えてしまっても構わないという鷹揚な気分でいられることも条件に入ってくるかもしれないです。
それで、買って数日後に実際に写真を撮りに出かけてみました。気づいたら買ってしまってたと書いたわりに、実際にビスケットカメラを手にしてみると結構気分はワクワクと舞い上がってました。
用意するものは電池だけでいいし、使用説明書を熟読しなければ使えないほど複雑でもなくただシャッターを押す以外にやることが無いというカメラなのでいたって気楽。しかもこんな小さなカメラで本当にまともに見られる写真が撮れるのか、一応買う前にネットで作例写真なんかを見て意外と侮れないことは知ってはいたんですけど、そういうことを自分の目でも早く確かめたかったということもありました。
時期的に梅雨の真っ最中だったけど意外と雨が降らない時期が続いていて、快晴とまでは行かないものの十分に太陽の光が照らす街中で数日、写真を撮ってきました。
☆ ☆ ☆
これがビスケットカメラで一番最初に撮った写真。液晶も何もついてないからどんな風に撮れたのか家に帰ってPCに取り込むまで分かりません。

自分の手を撮るのはトイカメラ的な作法としては一応定番らしいんですけど、ブレスレットを撮ってみようと思ってシャッターを切りました。実はこのわたしの腕とブレスレット、ファインダーを覗いた時にはきっちりと真ん中に収まってました。ところが出来上がった写真は見てのとおり画像の下のほうに下がってしまってます。さらにこの時中指と薬指に指輪をしていて、それも一応フレーム内に収めてたのに、指輪をしてる部分も右側にフレームアウトしてしまってるんですね。
PCに取り込んで始めて分かったんですが、ビスケットカメラはファインダーを覗いた時に見える光景そのままで写真にしてくれません。ほぼ100パーセント、ファインダーの光景とは違うずれた写真を撮ってくれます。
ファインダーといってもただ覗き穴が開いてるだけなので、カメラを持つ手元の角度がわずかに傾いた程度でも実際に切り取るフレームは大きくずれてしまうということなんだと思います。これに気づいてから、シャッターを押す前に位置を補正しようとしてファインダーから見える光景を意図的にずらして撮ったりしてみましたけどそうそう上手くはいかないです。逆方向に補正してしまって写そうと思ったものが完全にフレームアウトしてしまってる写真も撮ってます。ここは下手に逆らわずにカメラが趣くままに切り取るフレームを受け入れるほうが結果は良さそうっていう感じでした。
ちなみに写真はクリックすると元の大きさで表示されますけど、640×480とあまり大きくならないのはこれがビスケットカメラでの最大サイズになってるからです。この大きさで25枚の写真が撮れる仕様になってます。

花壇です。見たままですね(笑)
基本的にビスケットカメラの色合いは淡い方向のように思えるんですけど、陽が直接照らしてるようなコントラストがついた光景は色味もメリハリがついて出てくるような気がします。あるいは色の濃いものだけに色味が加わってくる感じなのかな。
解像度が低いのと手ぶれなんかが重なってディテールが飛んでしまってる絵に鮮やかな色が乗ってると、絵具を塗ったようなちょっと絵画的な雰囲気に持っていけそうという感想を持ちました。手前の影はわたしのものなんですけど、ファインダーを覗いてる時にはフレーム内には入って無かったです。

伏見の墨染です。京阪の墨染の駅前の遮断機から続く通り沿いにこういう街路灯が立ち並んでます。傘の部分に比べて電球が異様に大きい、かなり超現実的な光景を作ってくれる街路灯です。でも何だか手前が真っ暗になってしまって街路灯を写したんじゃなく背後の空を写すのが目的の写真みたいになってしまいました。街路灯も端っこによって主役じゃないみたいな振る舞いしてるし。
でもビスケットカメラで写真撮ってる人のなかで、わたしが眺めた分では空の写真を撮ってる人は結構いたから、ひょっとしたらこのカメラ見上げて構えると気分がいいカメラなのかもって思ったりしました。
これはでも街路灯を撮ろうとしたから無意識的にカメラを縦向けに構えたけど、横のままで空の空間を多く取ったほうがよかったかな。

これも同じく墨染の通りの光景。通り沿いにある小学校の門の前に立ててある看板です。この門の前が通りになっていて、そんなに広くは無いんですけど車はそれなりに通ってます。この看板は車の運転手にここに小学校の出入り口があると教えてる看板のようで、道路際の位置まで出して、通りの自動車が来る方向にむけて立ててあります。
後ろの門とはちょっと距離があったんですけど、写真にしてみると妙に平板な印象になってる感じかな。門の写真の上に直接この子供の絵を描いたみたい。

なんかちょっとお洒落な感じの写真(笑)
三条河原町界隈にあるレストランへ上がっていく階段とその下においてあった、ひょっとして鉢植えなんかを置いておく台かな?
鉢植え台を中心に撮ったつもりがどちらかというと階段中心の写真になってしまいました。色味は柔らかい感じでいい雰囲気。かなり太陽が出てきてた時でハイライト部分が完全に飛んでしまってます。陽射しの暑さみたいなものが表現できてる?白飛びしたら後で補正が出来ないから本当は忌み嫌うべきものかもしれないけど、この場合はこれでも全然差し支えないです。なにしろ撮った本人が全然気になってないから。
全体的にはちょっと収まりすぎて観ていても面白くない写真かも。

先日記事にしたモーリス・カフェで休憩。この日はアイスコーヒーを注文しました。ここのアイスコーヒーはシロップの入れ物がちょっと変わってます。わたしが知らないだけで他でも使ってる可能性は無いとはいえないけど、少なくともこの容器を見るのはわたしはこのモーリス・カフェだけ。
でも今度は目的のものを中心に置こうとビスケットカメラのファインダー上でずれの補正を試みたのが裏目に出て、写すつもりだったものが上のほうにはみ出てしまう結果となりました。
この写真だと左上のガラス状のものがそうなんですけど、肝心のシロップの容器がどんな形だったのかさっぱり分かりません。
そこで別の日に撮っておいた普通のデジカメ写真を参考までに。この時も容器が珍しくて写真を撮ったんですよね。

こういう容器です。傾けると上のノズルから瓶の中のシロップが出てきます。片側にある中途半端な長さの管はシロップが減った分だけ瓶の中に空気を取り入れる管。
このシロップ入れ、珍しくないですか?わたしは最初他人のテーブルにこれが置いてあるのを見て一体何の容器なのか全然見当がつかなかったです。
ビスケットカメラの写真に関しては興味を引いた対象を伝えるという役目は果たせなかったものの、ガラスの色合いが綺麗に出た写真だと思います。この色合い凄い好きです。これはひょっとしてトイデジカメ特有の光の出方なのかな?
しかしまぁこうやって普通のデジカメで同じものを撮った写真と並べてみると、まるで別世界の写り方って云う感じですよね。

烏丸御池の新風館の中庭においてある観葉植物。木組みの台の上に乗せてありました。トイデジカメで遊んでいて思ったんですけど、写し甲斐のある特別な対象物を写してもこういうカメラの場合あまり面白くないんじゃないかと。
たとえば平安神宮だとか有名な仏像だとかをビスケットカメラでとってもただの写りの悪い写真程度のものにしかならないような気がします。むしろこういうカメラで撮って面白いのはとるにたらない対象物というか、見飽きてるにもほどがあるようなありきたりのものなんじゃないでしょうか。写し甲斐の無いものがトイカメラの普通じゃない写り具合を通過することで、何か見るべきものがそこにあるかのような様相を帯びてくる、こういうのがトイカメラの面白いところの一つじゃないかと思ったりしました。
この写真は植物の落ち着いた緑色と木組みの台のくすんだ黒色と地面のブラウンがかったグレーの配色がなかなかシックでいい感じです。つまらないものを撮ってみようといった意図以外には持ち合わせていなかったわたしとしては、花が咲いてるわけでもない植物を前にシャッターを押した時には全く考慮してなかったものなんですが、出来上がったものを見てみるとなかなか綺麗な配色になってるように感じられました。
それと周囲のピントが甘くなりますね。周囲のピントだけぶれさせるような奇怪な手ぶれの技をわたしは持ち合わせていないので、これはビスケットカメラの特徴、というかおそらくプラスティック・レンズの特質になるんだと思います。

これもあまり写し甲斐の無い日常物という感じですね。東山三条の三条通りから北にちょっと上がったところにある和菓子屋の開いた扉にかけてある暖簾看板です。開けた扉に掛けてあるこの位置は三条通から入ってくると正面に見える形になるので、三条通りから入ってくる人の目に留まるように掲げてあるのでしょう。
わたし自身で書いておかないと判らないと思うので書いておきますけど、一応京都らしいものというテーマで撮ってみました。
この暖簾に「京」って書いてあるのと五重塔の絵が京都らしさを表わしてるものとしてシャッターを切ってます。云ってみるならわたしのうちに潜む新京極的感性の血が騒いだ結果、この暖簾を無視できなくなった感じです。さらにわらびもちという言葉も効いてます。京都って美味しいわらびもちが食べられるところが多いです。このわらびもちの文字が入ることで写真の京都らしさも倍増してるんじゃないかと思います。
梅雨時期とは思えないくらい太陽の光が降り注いで盛大に白飛びしてるのがまぶしい感じも表現していいです。陽が差すと全体に光を含んでわずかに滲んだような雰囲気になるのがトイカメラ的な隠し味になってるようです。

これは、東山の岡崎公園脇にある観世会館の入り口前に陣取ってる狛犬です。狛犬好きとしてはなかなか外せない対象物というか。わたしが好きな狛犬は八坂神社のものなんですけど、この狛犬は随分と獰猛そうで、八坂神社のものとは全然イメージが違って面白いです。
ファインダーの中心にすえてシャッターを切ったんですけどこれもまた右に寄る形で写真にされてしまいました。とにかく写真の中央に何かを置こうとしたらビスケットカメラから執拗に駄目出しをされてるという感じになってしまいます。まるでビスケットカメラに「そんなに真ん中にものを置いて何が面白い?」と絵作りの心得を諭されてるような気分です。
それは確かに真ん中に対象物を置いた絵なんて動きが無くてあまりおもしろいものじゃないとはわたしも思いますけどね。
この狛犬の写真はビスケットカメラがわたしの思惑を無視して右側に移動させて写したものですけど、狛犬が逆に左側に偏ってたら狛犬の右に向けた視線の先に空間がある構図になって割とありきたりな絵になってました。狛犬を中心から動かすとしたら右側。それも右側過ぎて鼻先が写真の右の縁にかかるくらいまで寄せてしまうと意味のない空間が大半を占める馬鹿げた写真となるわけで、右に移動するにしてもこのくらいの距離しかないというまさに一番効果的な位置に収めてしまってます。わたしはこの写真を見てビスケットカメラの手腕もなかなか見事と思ったりしました。
☆ ☆ ☆



数日ビスケットカメラを使ってみての感想は、50回くらいしかシャッターを押してないのでそれほど決定的なものでもないんですけど、光の量やカメラによるその時々の光の捕まえ方によって出方は変わるものの、基本的には彩度を押さえ気味にした淡い色調の画面を作ってくれるという印象です。トイカメラに期待するもののような破天荒な写真じゃなくて意外とまともな写真が撮れるようで、そういうところはいかにもトイカメラ的なものを想定していたとすればちょっと期待はずれかも。写真の中の対象物は往々にして光を内に含んだような薄いベールを被せられてるという感じで、全体はぼやけたように柔らかいタッチの絵を構成してくれます。柔らかいタッチは身も蓋も無い言い方をすると単純に画素数の少なさとわたしの手ぶれによるところが多いのかもしれませんが、それはさておくとして出来上がった絵自体は、何だか記憶の中にある光景という感じになる場合が、わたしが見た感じでは多いような気がしました。
それと、失敗したかなと思うような写真の方が写真の出来としては面白くなってます。トイカメラってその場その場の偶然をカメラが掬い上げて、あるいは掬い上げ損ねて、ある種ライブ感覚に満ち溢れた絵を作り出してくるものだと思うので、失敗したかもっていうような冷や汗写真にこそそういうエッセンスが宿ってるような感じです。だからトイカメラに関してはあまり完成さそうと思わずにシャッター切るほうが結果は絶対に良くなると思いました。
でもこんな感じで使っていて、ほんの2~3日経った程度でわたしはこのカメラに対して「しまったなぁ」って思うようになってました。もちろん今まで書いてきたことで分かるようにトイカメラの写りの悪さ思い通りになら無さ過ぎる特質に嫌気がさしたとか云うのでは全く無くて、完全にその逆。
「しまったなぁ。こんなに面白いならもっとちゃんとしたものを買っておくべきだった」と、こういった感想を抱くようになってました。
実はこのミニチュアのようなカメラという存在はビスケットカメラが最初のものでも唯一のものでもないんですね。どこでもいいけどトイカメラを売ってる店の陳列棚を見てみれば、ミニチュアカメラのコーナーだとおそらくこれよりも、ビスタクエスト社の出してるVQ10xxシリーズ、大きな消しゴムくらいの大きさのミニチュアトイデジなんかのほうが目に付くと思います。むしろこちらのカメラの方がミニチュアのトイデジカメではビスケットカメラよりも主流の感じです。
そして棚で一番目を引くこのVQシリーズの価格は大体4~5000円くらい。対するビスケットカメラは2300円だったかな、とにかく倍ほどの値段の開きがありました。
最初だし自分の目で確かめるまではこの手のミニチュアカメラで本当に写真が写せるのかはっきり云って疑ってたので、そんな疑いの目でみてるわたしにとっては5000円はちょっと高いように思え、あくまでお試しという意味合いで、多少はビスケットって云う可愛らしいコンセプトにも惹かれて今回はビスケットカメラを選択したわけです。
それでビスケットカメラで遊んでみて、液晶モニタなんて最初からつける気も無いカメラだから何がどう写ったのか家に帰ってPCに繋いで観るまで分からないという難儀な仕様にも、逆にわくわくしてしまってる自分を発見してしまい、遊んで面白かったのだからビスケットカメラはこれはこれで良いとして、さらにもっと良いトイカメラも欲しいなぁと物欲にかなり大きな火がついたような感じになりました。
2~3日使ってみて、わたしにとってはビスケットカメラは小さなトイカメラというよりも何だかトイ(おもちゃ)カメラを真似したおもちゃみたいな位置づけになってしまってました。それでおもちゃじゃなくて、もっとまともにトイカメラしてるに違いない高価なものも遊んでみたいと思うようになったと。
でもこれって、考え方としては自分ながらちょっと屈折してますね。もともと粗雑な中国製のカメラを中心にして、まともなカメラ的な完成形からの逸脱として成立してる様々な物事をトイカメラと呼んでいたのに、トイカメラとしてもっと性能のいい完成されたカメラで遊んでみたいって思ったわけですから。こんな考えってトイカメラのコンセプトから一番遠いものです。30万画素から130万画素へレベルアップっていうことからしてトイカメラの思考方法に完全に反してます。
はからずもビスケットカメラという、最低スペックのおもちゃで遊んだためにそういういささか屈折してるようなことを考えたわけですけど、でも考えてみればデジタルのトイカメラが出現した頃からトイカメラはこういった妙な位置にい続けるほか無くなったようなところもあるように思えます。
☆ ☆ ☆
わたしは今回デジタルのトイカメラのおもちゃで遊んでこれを書いてます。でもデジタルのものをトイカメラとして扱うことに極端な違和感を感じてはいないけど、基本的にトイカメラはデジタルじゃなくて、わたしには興味こそあったものの面倒で手が出なかったフィルム形式の粗雑カメラのことだと思ってます。世の中に数多く存在するさまざまな特性を持ったフィルムが粗雑なカメラと出会った時に偶然生み出してしまった今まで見たこともないイメージといったもの、あるいはそういうイメージを通して見えてくる、それを面白いものとして拾い上げることができた自由な目といったもの、こういうのがトイカメラが意味するものなんだって。
一方デジタルのトイカメラはわたしにはトイカメラが含み持っていたこういう自由であることを垣間見るような世界とはちょっと別の場所に連れて行ってくれるものだというような気がします。出来上がる世界の見た目はフィルムで作る世界とそっくりなんですけどね。
デジタルのトイカメラはどんなものかというと結局のところフィルムと粗雑カメラのコラボレーションと偶然の介在が作るもともとのトイカメラ的な特徴を拾い出し、纏め上げ対象化することでジャンルとして成立させ、その世界をデジタル的にシミュレートすることでトイカメラの世界を実現させてるものです。どういうことかと云うと、ゆるい出来の写真だとか極端に過剰になった彩度とか周辺減光のせいで望遠鏡から覗いてるみたいになった写真だとか、そういうフィルム・トイカメラの世界で往々にしてみられる偶然的で特徴的な要素をシミュレートすることでデジタルトイカメラはトイカメラの雰囲気を再現しようとするってことです。
これ、フィルム・トイカメラの側から見ると、従来的なカメラからの逸脱していく感覚に価値があるとしていた世界が、いまやデジタル化されてトイカメラ的ヴィションとしてシミュレートできるほどに確固としたジャンルになってしまってるということなんですね。
本来はジャンルから自由になる視線を意味していたトイカメラの世界が、デジタル化されることでまたジャンル的に閉じ込められたような感じになってしまうというか。
わたしはそれでもデジタルの方がはるかに扱いやすいし、トイカメラを楽しむのにデジタルトイカメラを使い続けるとは思いますけど、こうなるとトイカメラというあり方を見出した時に確実にそこに存在した眼差し、フィルムと粗雑カメラで出来上がった奇矯なイメージを、失敗として捨て去らずに拾い上げた自由で過剰な視線といったものは、探し回ってももうこの場所にはあまり存在してないのかもしれないなぁって思ったりするわけです。
写真という視覚表現の形はとっていたもののもともとジャンルからの逸脱が特徴なんていう精神の運動のようなものでもあったから、把握可能なものへとカテゴリー化されるうちに屈折した形を取るのは自明のことだったのかもしれません。
手にしたのはビスケットカメラなんていう、もう文字通りのおもちゃだったけど、逸脱し続けることがいかに難しいか、自由であることがいかに難しいか、なんていうこともちょっと考えたりもしました。
トイカメラの精神を実現するとするならここから先はひょっとしたらカテゴライズされたトイカメラからの逸脱になるのかもしれないですね。
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こんな書き方をしてみるとなんだかトイカメラがすでに終わってしまってるように思えるかもしれないけど、確かにデジタル化が可能なほど、もはやトイカメラに過剰な逸脱を面白がれる余地はあまり残ってないかもしれないけど、でもその自由だった視線を共有できるような部分は今も確かに存在するようにわたしには思えます。ファインダーなんかあてにしても無駄、どういう風に写るかはその人のフォース次第だとか、できるならばピントなどという言葉は忘れてしまおうといった有り様は、そういうジャンルの写真になってるとしてもどこか開放された気分を味わうことが出来て新鮮で面白いです。
それとちょっと連想したんですけど、今の映画なんかで手ぶれだとかノイズ交じりのラフな映像のようなものが使われることが多いのって、こういうのも考えてみれば結構トイカメラ的です。一言で云ってしまうと、綺麗に撮ることだけが価値じゃないんだという考え方だと思うんですけど、トイカメラ的なこういう感性はひょっとしたら現代に生きるわたしたちが思いのほか共有してる感受性なのかもしれませんね。
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つまらないものを撮ると宣言した記事にもかかわらず、最後まで付き合ってくださって有難うございました。

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