2010/10/27
【トイカメラ】お散歩写真のことと使用したカメラについて。+秋に似合う曲をいくつか
九月の下旬から十月の初め頃にかけて撮った写真をちょっとだけアップしてみます。写真を撮ったといっても事情が事情だったので写真を撮るためだけにどこかへ遠出する気にもなれなくて、あまり動き回ることもなく日常行動してる場所で撮るのに終始してました。だから以前に見慣れた光景の中ではなかなか被写体が見つからなくなってると書いた状態そのままにあまりシャッターを押せなかったというような感じでした。いつも数多く撮ってもその中で気に入ったものは僅かにしか見当たらないような撮り方をしてるので、撮る枚数が少なくなれば必然的に気に入った写真の数もそれほど多くにはならなかったです。
わたしはこのところ出歩く時はいつもカメラを持ち歩いてます。デジタルのキーホルダータイプというか、外見的にはこれがカメラだと知らないとほとんどカメラには見えないどちらかというとスパイカメラのようなものをポケットに一つ、バッグの中にはデジタルのトイカメラ一つとフィルムカメラ一つの合計3つ、これをいつも持って出かける形が最近のスタイルです。
母を失ってしまうという経験をして、気がつけばいつもそちらに向かおうとしてる気持ちを紛らわしたかったということもあるし、母親が永遠にいなくなってしまった理不尽な世界の中で、ある種現実感を見失わないように無意識的にでも日頃の行動を繰り返していたところもあったのか、遠出こそしなかったもののカメラ三つはいつもと同じように必ず携えて、そのまま日頃行ってた写真を撮るという行為は続けてました。まぁ写真だけがわたしを現実に繋ぎとめていたというわけでもないんですけど、最近の日常生活の中で関心を持っていたものの大きなものの一つだったので、悲観してこういうことまで止めてしまうと元の日常生活に戻れなくなるんじゃないかというところもあったのかもしれません。
日常といえばこちらがその日常に戻れないかもしれないような精神状態に陥ってる最中でも時間が経てばおなかが空くし、空腹になればご飯を食べたくなるといったことが、ものすごく理不尽でした。
わたしにとっては体の一部をもぎ取られたかのような出来事だったのに、おなかが減ったり、どんなに哀しくても起きていれば眠くなったりと、何事もなかった時と同じように生活が続いていく。いつかそこに戻るべき世界ではあると思ってはいるものの、母を亡くすといった体験の直後では何か異物感をはらんだ空間に感じられるところがありました。
生活空間が激変してしまったわたしの事情なんかまるで感知しないかのように過ぎていくこういう日常を前にして、一体感が持てなくなりそうなところもあって、写真を撮るという行動は、乖離してしまいそうなそういうものと繋がっているためのささやかな接続ラインの一つでもあったような感じです。
☆ ☆ ☆
気を紛らわせながらこんな写真を撮ってました。

SQ30m
近所に老人園芸広場のような一角があって、そこでは一年契約で小さな区域を借りて年寄りが野菜を植えたりしてるんですけど、その広場の一角に咲いてた花です。園芸広場自体はまるで畑みたいなもので写真にとっても面白そうでもなく、周囲の光景が入らないように仰ぎ見るような形でシャッターを押しました。
あまり立体感がなくて、まるで何かの図案のような絵になってます。この空の色にはこの花の黄色、この花の黄色にはこの花の緑、この緑にはこの空の青と、それぞれの色味のニュアンスの中でも最適のものが選ばれ並んでるようで気に入ってます。
また、空の青の余白部分に雲の一片でも入っていればこの写真の印象は完全に違うものになってるようで、そういう意味ではカメラを向けたのは割りと適切な一瞬じゃなかったかなと思います。

SQ30m
もう一枚花の写真。どこで撮ったか忘れました。花も結構見かけたらカメラ向けてるので、その中の一枚っていうところです。画面内の配置は悪くないと思います。真四角のフレームってわたしは好きなんですけど、バランスを考えるのは結構難しそうな印象を持ってます。
ところでこれは何の花なのかなぁ。わたしは花の名前はからっきし駄目で、今まで嫌って云うほど見てた木がサルスベリだったと最近になって知ったくらいです。

SQ30m
これは墨染のほうで撮った写真。所用で毎週行くところがあって、そのときにいつも通る通りです。別に有名な通りでもなんでもなくて、ただの住宅街の中に走ってるありきたりな通りの一本。ここは右手の塀の中から木の枝が道路の方に突き出してる場所で、通る時には結構邪魔なんですけど、木陰からのぞき見てる感じがなんか面白そうなので撮ってみました。目の前に垂れ下がってる木の葉が中心になるようにマクロ・モードで撮ったので、それより向こうの方にある道路の方はボケてます。もっとも手前の木の葉のほうもそれほどピントが合ってるわけでもないですけど。
ピンボケの写真は記憶の中の光景って云う感じが強いと思うんですけど、そんな感じ方をするのはわたしだけなんでしょうか。木陰から眺めてるという形なので、ピンボケの道路の光景からもちょっと身を引いてる感じがあって、記憶の中をのぞきこんでるという感じが出てるように思えます。

SQ30m
それで、ピンボケ写真のテイストが結構面白かったので、あえてマクロ・モードで遠景を撮ってみたのがこれ。場所は阪急の西院の駅です。たまにピントの範囲の切り替えスイッチを戻し忘れてこういう写真を撮ってしまうことがあるんですけど、これは最初から意図して撮ってみました。
出来上がるイメージはそれなりに面白いものの、駅で撮ろうがどこで撮ろうが、この方法で出来上がるイメージの印象はそんなに多彩じゃないだろうなぁって云うのが本当のところかな。見せようとしてるのがボケてるということであって、写されてる対象じゃないと、形式を見せてるだけで内容的にはやせ細ってるような感じがします。
でも茫洋としたイメージそのものはそれに頼ると展開形としては拡がりはないかもしれないけど、わたしとしてはそんなに嫌いな方じゃないです。

SQ30m
これは出来上がった写真を最初に観たときの印象は、何だか禍々しいなぁっていうものでした。コントラストの強いイメージや空の雲の感じが不穏な雰囲気をかもし出してる感じというか。左奥の建物も全体の怪しい雰囲気作りにかなり貢献してます。
実際は鴨川の四条大橋の北東にあるレストランのビルで、看板の文字を見るとそうだと分かるんですけど、ここでのイメージはあまりレストランって云う感じじゃなくなってます。わたし自身もこんな見え方をするビルだとは写真にとって見るまで気づかなかったです。
茫洋とした絵も好きだけど、こういうコントラストが効いてる絵も結構好きです。何だか矛盾してるような気がしないでもないですけど、要するに何かが極端に特化してるようなものが好きということなのかもしれません。
☆ ☆ ☆
夏の間に撮った写真でまだアップしてなかったものもちょっとだけ置いておきます。

VQ5090

VQ5090
極端なものが好きというわたしの性癖が見え隠れするような感じ。
魔人は頭の上のほうの背景に余計なものが写りこんでいて、トリミングしてるんですけど、そういう処理についてどうしようかなと結構迷っていた写真でした。それでブログに載せなかったんですね。下のは色味がちょっと気に食わなかったので細工した写真です。
☆ ☆ ☆
使ったカメラはこういうもの。
SQ30mという名前で細長いスティック状の形をしたカメラです。ピアノブラックの本体の正面にレンズ穴が一つついてるだけのシンプルな形。

PowerShot A720IS
これも8月くらいに買っていたカメラなんですけど、実は最初は買う気なんかなかったんですね。それなのに買ったのは、完全に魔がさしてしまったって云う感じでした。
一見カメラに見えないこういうカメラは既にVQ1015Entryっていうのを一つ持ってたということもあるし、この類のカメラがファインダーを持ってないと云うのがもう買わなくてもいいやって思ってた要因の一つでした。
VQ1015と同じくこれもまともなファインダーを装備してません。それでもVQ1015のほうは役立たずのファインダーが、撮影時にはポップアップしてきて一応は飾り的な感じでついてはいるんですけど、こちらはそういうのは全くつけようとする発想そのものがない作り方になってます。
だからこの手のカメラは必然的にノーファインダーで撮ることになります。何を撮ろうとするかくらいまでは制御できますけど、どういう風に撮れるかまでは関与できないって云う感じの撮り方。さらに云うならば何を撮ろうかという段階も省いてシャッターを切ることも可能な方法でもあります。
手順の中に偶然性を取り入れるこういうやり方は絵画でも音楽でも昔からある方法で、方法としてはそれほど目新しものでもないです。
だからノーファインダーで撮るのは邪道なんて全く思わないし、結構思惑からはなれた写真が出来上がったりするのでそれなりに面白いとも思います。そう思わなかったら二台目も買うなんていう行動には出てなかったです。
でもわたしとしてはファインダーを覗きこむって云うのに結構特別な意味合いも感じてるので、これが最初から出来ない類のカメラはやっぱりわたしがカメラに関して感じてる面白さのかなりの部分をスポイルしてるところがあるように思えます。
覗き窓を通して世界を切り取るという感覚。四角い窓を通すことで世界が違った見え方をする瞬間。こういうのが楽しくてカメラで遊んでる部分がわたしにはかなり大きいです。ファインダーを通して目の前に立ち上がってくる光景の美しさ、ファインダーで世界を切り取ってひそやかに覗き込むことでしか立ち現れてこないような美しい世界。写真はその切り取られた世界が見せた美しさの欠片をフィルムに定着させる行為であるとも思ってる類の人間なので、チャンス・オペレーションのようなものに頼ってるカメラは、一つ持ってれば十分だと思ってました。
カメラを所有するなら、ファインダーがしっかりとついていて、ファインダーを覗きこんだときに世界が美しく見えてくるようなそんなカメラが欲しいとさえ思ってます。
そんな風に思ってたのに、魔が差してこのカメラを手にしてしまったのは、このカメラが世界を真四角に切り取れるという形になってたから。それと黄色というか黄緑色というか色の出方がちょっと独特なところがあったのが気に入ったからでした。でもこのカメラ独特の特徴を気に入りはしても、この類のトイデジはやっぱりもう買わないだろうと思います。フィルムカメラの方で真四角の写真が撮れるものを手に入れたら使わなくなるんじゃないかって云う予感が早くも出てきてる感じです。
早々に使わなくなりそうな予感の要因には、ファインダーがないということの他にも、シャッターのタイムラグが5~6秒くらいあるというのも入ってるかもしれないです。このカメラ、とにかく反応が遅い。シャッターを押してから撮影完了の合図があるまでカメラを動かすわけには行かなくて、街中でこれを使うとカメラを持ったまま5~6秒固まってなくてはならない羽目に陥いります。その姿は傍から見るとおそらくとても異様。
冷や汗が出るほど、ものすごくかっこ悪いです。
☆ ☆ ☆
秋の夜長に合いそうな曲をいくつか。月とピアノのバラードが一応のキーになってます。
Keith Jarrett - Don't Worry 'Bout Me
1938年にRube Bloomによって作られたスタンダード・ナンバー。シナトラだとかビリー・ホリディが歌ったのが有名かも。わたしはJohn Buzon Trioっていうラウンジ系のなんだか怪しげなミュージシャンの「Cha Cha On The Rocks」っていうアルバムで聴いたのが最初でした。もともときわめて美しいメロディの曲なんですけど、キース・ジャレットのこのピアノはまた突出して美しいというか、結構聴き惚れてしまう演奏になってると思います。
でもキース・ジャレットの演奏ってピアノ弾きながら百面相はするし、演奏途中で腰を浮かせて身をくねらせるわで、かなり風変わりな演奏スタイルです。このライブ映像でもその片鱗を窺うことが出来ます。
没頭するあまり奇矯な演奏スタイルになるって結構ピアニストに多いような気がします。
Wynton Kelly Trio - Moonlight In Vermont
ウィントン・ケリーは随分と昔に代表作「ケリー・ブルー」を聴いた時には全然ぴんと来なかったピアニストでした。これを結構最近になって聴くまでは対象外のピアニスト的な扱いに終始してた感じ。今聴いてみると割りときっちりとしたタイム感を基盤にスイング感を保持しながら、音数が多い場合てもビル・エヴァンス的な抑制の効いたピアノで、なんだか結構好みじゃないかって思ったりしてます。
この曲はリラックスしてラウンジっぽくというか、カクテル・ピアノ的な感じで聴けるのがいいし、ピアノの音も何だかきらきらと粒だってるようで結構好きです。
Ella Fitzgerald - Blue Moon
これぞジャズ・ヴォーカルっていう歌を聞かせてくれる人ですね。
エラ・フィッツジェラルドってわたしの場合、最初に観た写真が何だか凄く迫力のあるおばさんと云うイメージにみえたものだったので、力任せの豪快なボーカルを聴かせてくれそうな印象があったんですけど、実際に聴いてみると優雅で、かわいらしいとでもいえるような声質に聴こえてたことがあり、わたしにとっては聴く以前と実際に聴いた後で印象がかなり変わってしまった歌手です。
この曲はRichard Rodgersが1934年に作曲したスタンダード・ナンバー。Richard Rodgersはマイ・ファニー・ヴァレンタインなんかも作ってます。
「ブルー・ムーン」はプレスリーがカバーして歌ってるのも有名かもしれません。
わたしとしてはこの曲はジョン・ランディスの映画「狼男アメリカン」で、リック・ベイカーの手による狼男の変身シーンのバックに使われたのが印象に残ってます。
Keith Jarrett-Spirits (No.15)
Keith Jarrett - Spirits 15 from mudshark on Vimeo.
これもキース・ジャレットの音楽なんですけど、そう云われないとキース・ジャレットだと思わないかも。
アルバム全体が民族楽器のアンサンブルの曲になっていて、しかも民族楽器を演奏してるのが全部キース・ジャレット。キース・ジャレット一人による多重録音になってます。
民族楽器を使ってるということで、聞きなれない音楽文法にのっとった外国語でも聞いてるようなとっつきの悪い感じの音楽になるかといえば、意外とそういうこともなくて、全体はキース・ジャレット生来のリリシズムにあふれていてとても聴きやすいです。この曲はなかでも特にリリカルな感じかな。
それにしてもこのアルバムで鳴ってる楽器を全部キース・ジャレット一人で演奏してるって云うのは、かなり驚異的ではあります。ピアニストのアルバムなのにピアノがほとんどでてこないというのもこれまた驚異的。
Joao Donato - Sambou Sambou
ブラジルものも入れておこうということで、ジョアン・ドナートのを一曲。軽快でキュートでなかなかお洒落な曲。ジョアン・ドナートはピアノだけじゃなく、作曲家、アレンジャーとしても有名な人で、美しい曲をいくつも書いてます。ピアノも重厚じゃないけど、どこか力が抜けてリラックスしながらもきっちりグルーヴ感のある美しい響きを持っていて私は好き。一見軽く聞き流せるような印象を持つんですけど、ここから受ける感覚がどういうものか改めて把握してみようとすると、その感覚は結構複雑で言い表しにくい音楽であることに気づいたりします。
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