2011/04/07
東北の大震災が起きる前に途中まで書いていて、震災が起こってからはその惨状を見るにつけ書いていた時とは気分が異なってしまって、書きあぐねていた記事です。
暫く放置しようかと思ってるようなところもあったんですが、書いていることの中身は今年のお正月過ぎのこと、そろそろ桜の開花宣言も聞こえ始めてきて、あまり放置しておくとちぐはぐな印象になりそうと思い、桜が満開になる前に、途中止まったところから、一応最後までちょっと纏める感じで書いておくことにしました。
被災されたかたは最初こそ緊急事態で避難生活も非現実の時間を生きているような感じだったと思います。でも避難生活もこれだけ長く続いてきて、さらにこれからもまだ続けなければならないとなると、避難生活そのものが日常生活のような感じになってきて、これは傍から見ていても逃げ場がなくなってくるような精神状態になるんじゃないかと危惧します。
肉体的にはもちろんのこと、精神的にも震災直後よりもおそらくこれからのほうが過酷になってくるんじゃないかと思うと、被災された方が一日でも早くこの過酷な状況から解放されて本来の日常に戻れることを願って止みません。
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お正月過ぎのある日の話題です。
二月の中ごろに雪が降ったのが信じられないくらいその数日後に暖かい日が続いたり、そうかと思うとまた急に寒くなったり、なんだか不安定で季節が急速に移ろっていくのが肌に感じて分かるようになってきました。いつものようなスロー・テンポで書いていると、下手したらあっという間に桜の季節にまでなだれ込んでしまうかもしれないなんて思い出すと、それはやっぱりちょっと時期外れすぎるということで、この辺でこの日のことを簡単に纏めておきたいと思いたちました。
一月七日、もうお正月気分もかなり抜けてしまった頃に白川辺りを写真を撮りながら歩いてきました。撮影しようとする場所を決めるのっていつでも結構迷います。街の断片を採集して、鳥類図鑑のような、非在の街類図鑑といったものに収斂していくような写真が撮れたら面白いかなと思って、カメラ持って歩き回ってるんですが、京都はいかにも京都らしい街並みみたいなものが随所にあって、そういうのを撮るのも良いんでしょうけど、大した腕も持ってないからそういう光景を撮っても絵はがきみたいなものにしかならないという予想が容易に立ったりします。京都はフォトジェニックな街なんですけど、だからこそ類型的になりがちで、場所を選ぶのに悩みだすと果てしがなくなるという感じにもなってくるようです。
白川疎水沿いを歩こうと思ったことに凄い特別な動機なんかはなかったんですけど、この頃なぜかインクラインだとか、水路閣だとか妙に水に近い場所に惹きつけられてるような気分がわたしの中に生じていたのか、その気分の延長での場所の選択となったような感じでした。その気になって京都の地図を眺めてみれば、意外と水路が巡っている光景に気づきます。舞妓さんと新撰組と神社仏閣の街というのが一番最初に来る京都のイメージだと思いますけど、実は意外と水の街という側面もあるんですね。
地図を眺めていて、蹴上のインクラインから水路閣を経てずっと北に上り、哲学の道の疎水になり、そのさきを白川疎水の散歩道に姿を変えてさらに北のほうに流れていく。パーツとして個別に知っている場所が疎水を経路にして連なってるのに気づいて、疎水沿いの光景を全域に渡って採集していくのも面白いかもしれないなんて思いました。昔疎水を建設した人たちが思い描いただろう水の街としての京都といったものを感じ取れるかもしれません。
思いつきの考えなので疎水図鑑なんていうのが本当に出来るかどうかまるで分からないし、割と気が多いタイプの人間だから、おそらく直ぐに別の面白そうな対象物を見つけてそっちの方に気が惹かれるなんていうことになると思いますけど、それはともかくとしてわたしがこのブログに断片的に記してきた場所が水路によって繋がってるのに今更のように気づいて、それならその水路をもうちょっと延長してみようという気分で、お正月過ぎのこの日、出かけてみる気になったわけです。
まずは交通なんですが、わたしの場合はこの日は出町柳から叡山電車に乗って北のほうに向かい、電車に乗るといっても2つ目の駅で直ぐに到着するんですけど茶山というところで降りました。次の一乗寺のほうが降りる駅としたら茶山よりもかっこいい名前なんですが、白川疎水散歩道は次の一乗寺までの中ほどで叡電の線路を横切り西に方向を変えていくので、一乗寺で降りても無駄に歩く距離が多くなるだけ。茶山駅の方が疎水沿いにある駒井邸に近いということもあって、此処は大人しく茶山で降りることにします。
LOMO LC-A+ : Solaris 400 : CANOSCAN 8600F
この日よりも前に撮った写真ですけど、叡山電鉄始発の出町柳の駅。
叡山電鉄という名前で予想がつくかもしれませんけど、京都側から云うと京都の出町柳を出発点として、鞍馬、貴船、など京都の北のほうの山間や比叡山方面へと向かう電車です。ちなみにこの電車、ワンマン電車のうえに、始発の出町には駅員はいますけど、向かう先の駅は無人駅で、初めてだと乗り降りに途方にくれるかもしれません。出町に止まってる電車に乗ったら入り口付近に整理券を発行する機械だとか料金を入れる機械だとか設置されてるんですが、カバーが被せてあったりで全部動いてない状態にしてあります。やがて乗り込んだのはいいけど、何をどうしていいのか分からないままに電車は発進。乗客以外に叡電関係の人は運転手一人で、その運転手も進行方向を向いたまま客の方は見向きもしません。
どうやって降りるかは乗った時のお楽しみとしてここでは書かないですけど、叡山電鉄のホームページには電車の乗り方降り方という話題で一つ項目が作ってありました。
ちなみに知らないところに行った時、乗り方が分からなくてはっきり云ってできるだけ利用したくない交通機関はわたしにとってはバスだったりします。そういえば京都のバスもややこしいです。京都に住んでいても初めてのところにバスで行くのは分からないところがあると思うので、京都に観光に来た人はどこに行くのにどのバスに乗ればいいのかというレベルから混乱してるんじゃないかと思います。
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この日散歩に連れて行ったカメラは、動物園のロケンロー・カメラ、Ultra Wide and Slimとニコンのデジカメと、コンタックスTVS2というコンパクト・フィルムカメラでした。Ultra Wide and Slimにはコダックの感度100のフィルム、TVS2にはフジフィルムのNEOPAN PRESTOという感度400のモノクロ・フィルムが詰め込んでありました。
コンタックスTVS2は去年の10月の末、LOMO LC-A+を買った少し後くらいに、持ってるのはトイカメラ系ばかりだし、ちょっと普通に撮れるカメラも欲しいなぁと思って買ったものです。
Nikon CoolPix P5100
コンタックスは今は光学製品の分野から撤退してしまいましたけど京セラが展開していたブランドです。コンタックスは、もとは戦前のドイツでカール・ツァイス財団によって創立された、ツァイス・イコンというカメラ・メーカー、そのツァイス・イコンの戦後東西に分割された西側の会社が展開したブランドでした。、のちにツァイス・イコンがカメラ製作から撤退した後、そこにレンズを供給していたカール・ツァイスが日本のヤシカと提携、コンタックスブランドもヤシカに移ります。その後ヤシカが京セラに吸収されることでカール・ツァイスのレンズを使うコンタックスブランドは京セラが引き継ぎ展開することになります。残念ながら現在は京セラがカメラ事業から撤退したために、コンタックス・ブランドは休眠状態になってしまってます。
コンタックスにはAriaという一眼レフのフィルムカメラがあって、それで撮った写真の色合いが結構好きでした。でも高価で既に生産が終了し、しかもブランドが消失した一眼レフのカメラというのはいきなり手を出すには若干覚悟が必要で、その必要な覚悟がちょっと足りなかったわたしはコンタックスのカメラがどんなものか試すのに、コンパクトカメラで体験してみるような形になりました。
コンタックスのコンパクトカメラにはゾナーというレンズを使った、Tシリーズという単焦点のカメラがあります。これで撮った写真もかなり気に入った画質、色合いで、最初はこれにしようと思ってたんですが、Tシリーズにはズーム・レンズ、バリオ・ゾナーを使ったTVSシリーズというのもリリースされていて、画質は単焦点のものよりも若干落ちてしまうものの、ズームのほうがなんだか使い勝手が良さそうな気がして、最終的にはこちらを選ぶことになりました。ちなみにコンタックスTVS2はチタン製のカメラで重いです。でもある程度重いカメラの方が道具を持ってるという感じが掌から伝わってきてわたしは好き。
わたしが良く見にいっていた中古カメラ店ではその時2台ほど在庫があり、そのうちの値段は高くなってるけど6ヶ月の保障付きのものを選んで購入。
今は売るほうだけじゃなくて中古で購入した側も住所なんかを書かされるようですね。盗品だったりした場合どこに品物が渡って行ったか後を辿れるようにといったことなんでしょうけど、買った時に身元関連のことを書かされたのはちょっと意外でした。
こんな風にして買ったコンタックスのコンパクトカメラ、TVS2。店のショーケースのなかでは綺麗な状態で置かれてましたけど、とにかく試しに撮ってみないと本当はどういう状態のカメラか分からないので、カメラを買った直後に適当にフィルム一本撮って現像に廻してみました。
適当に撮ったので絵柄がどうのこうのというのはなかったんですけど、その時撮った一枚はこういうの。試し撮りだったのに妙に気に入ってしまいました。
CONTAX TVS2 : Kodak Super Gold 400
たまに行くエスニック雑貨の店の外に飾ってあった洋服です。彩度は高いけど落ち着きのある色ののり方で、細部も緻密に写ってます。
24枚撮りのフィルムのコマすべてこんな調子で、光線漏れも無く綺麗に撮れていました。この試し撮りが成功したことで、買ったコンタックスTVS2は壊れてるところもない普通に使えるカメラだと判断できたわけです。それで次のフィルムを詰め込んで本格的に使おうと思いました。
ところが最初のフィルムは全く問題なかったのに、この次のフィルムを使おうとしたところでいきなりトラブルに見舞われてしまうことになってしまいました。完璧だと思ったのは完全に判断ミスだったわけです。
どういうトラブルだったかというとレンズを望遠側にした状態でシャッターを押すと電源以外の全機能が全くの無反応になるというものでした。さらに強引に電源をオフにすると撮ってもいないフィルムをひとコマ巻き上げるという余計なことをして終了してしまいます。写しも出来ずにフィルムのコマばかりが消費されていくんですね。
保障付きのを買っていたのでこれはもう次の日に様子がおかしいコンタックスを持って店に即行でした。どういう症状が出ているのか店の人に説明して店の人が確認する流れになって、確認の時だけまともに動かないでと、この時ばかりは目一杯故障してることを主張して欲しいと思って眺めてたら、見事に店員さんの前で動かなくなる状態になりました。
これが確認できると話は早いです。クレーマーを見るような目つきで見られることも無く、保障内での修理の手続きがスムーズに済んで、暫く時間がかかるかもしれないので修理が完了したら連絡しますと云われ、その場にコンタックスTVS2を残してきました。電池入ったまま、ストラップつけたまま、ケースに入れたまま渡してきたら、付属品は全部書類に書き込んでました。
結果としてはかなり時間がかかって修理が終わったと連絡が入ったのは殆ど一月後くらいでした。カメラを取りに店に行ってカメラと同時に受け取った修理完了票を見てみれば、修理内容はシャッター・ユニットの交換、露出調整、一般検査となってました。考えてみれば故障してくれたおかげで中古で買ったのに中身は新品になって、色々調整までしてもらったわけだから、故障して大正解だったということになります。中古カメラは4~50年前のものなんて平気で存在するから、おそらく完璧な状態で手に入るようなものなんてほとんど無くて何らかの不具合を抱えてるものを手に入れるほか無いようなものだと思います。だから選ぶ基準は値段の高いもの、これは値段が安いものには必ず何かマイナスの要因があるからなんですが、同じものがショーウィンドウに複数並んで同程度のものだったら、ケチらずに値段の高い方を、さらに保障がついたものを選んでおくのがベストだと、この一連の出来事で確信しました。
それにしてもフィルム一本撮った段階でよくもまぁ上手くトラブルが出てきてくれたと思います。故障箇所を含みながらも、ある程度写せる側にもバランスが取れた状態にあったカメラだったんでしょうけど、もし保障期間中は写せるバランスの方に傾いていて保障が切れた直後にトラブル側に傾くようなリズムだったら、目も当てられない状態だったと思います。
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茶山の無人駅で降りて住宅街を東のほうに少し歩いていくと南北方向に流れている白川疎水に出くわします。
京都の若干北のほうというだけで、この日はこの辺りで朝方に少し雪が降ってた模様で、わたしが到着した頃には晴れ間も見えるような空模様になってはいたものの、昼頃になってもところどころに積もった雪が点在してるような感じでした。
この日のコースはここから南に向けて銀閣寺辺りまで疎水沿いを歩いてみるというもの。ここから少し南に歩けば、上に書いた駒井邸にもそれほど時間を空けずに行きつけます。
Contax TVS2 : Fuji Neopan Presto 400
Ultra Wide & Slim : Kodak Ektar 100
Ultra Wide & Slim : Kodak Ektar 100
白川疎水道の写真はこんな感じ。結果から云うとこの日は、白川疎水の写真を撮ってこようと意気込んで出かけた割に、あまり満足のいく写真は撮れませんでした。この辺りは銀閣寺辺り、哲学の道に連なって櫻並木が見られる場所なんですが、お正月過ぎに桜が咲いてるわけでもなく、ただ緑の葉をつけた木が立ち並ぶだけ。疎水の光景も場所的には散歩にはうってつけなんですけど、いざ写真を撮ろうとすると、疎水そのものを含む光景は河沿いの道がいつまでも続くだけであまり変化がありません。何度かカメラを構えてみてもそれほどシャッターを切らなければという衝動に駆られず、そのままカメラを下ろしてしまう方が多かったです。視点によったら見慣れない光景も立ち現れたのかもしれないけど、この日のわたしのコンディションではそういう方向には働かなかったようで、疎水沿いの水の流れるポイントを含む写真は似たようなものが連なる形になってしまったようでした。桜でも咲いていれば、櫻の様相によって変化もついたかもしれません。
一番上のがコンタックスTVS2にいれたモノクロ・フィルムで撮った写真。覆いかぶさるように茂った木の葉がトンネル状になって、その向こうに何かこことは違う世界が開けてるように感じられる、ちょっとアリスっぽいとわたしには思えた場所です。偶然自転車に乗った人が通って、何だか意味深なアクセントになったような。でもこのトンネルの先に見えてる光景は実は普通の住宅街に過ぎないものなんですけどね。
左の柵の向こう側が疎水になってます。これは南に下っていきながら、この場所で北に振り返って撮った形になってます。
ロケンロールカメラで撮った白川疎水道の全景。左端に見える白いものはこの日降っていた雪です。散歩道としては疎水の右側に遊歩道が設けられてます。遊歩道のさらに外側は直ぐ傍から閑静な住宅街になってます。この写真は疎水を横断する橋の上から撮りました。
後になってこの写真観ていて思ったのは、橋の上で撮ってるんだから近景として橋の一部を手前にいれておいた方が良かったかなということ。橋というほど大げさというものでもなく、疎水をまたぐ通路的なものだったような記憶がありますが、そういうものでも入れておいて近景を作った方が遠近感は出たかなと思います。この写真の、こういう撮り方って自分と距離を置いた対象物を額縁に入れて眺めてるような、静的な絵になりがちのようで、若干面白みにかけてます。
そしてもう一つはおなじみの魅惑のベンチ写真。「トロン」の記事のときに出したのとほぼ同じコンセプトです。ベンチ撮るにしても、ちょっとコンセプト変えないと、早々に飽きてきそうです。
モノクロの写真を撮ってみて思ったのは、自分が外界を認識する時に、世界を色で捉えてる部分がかなり大きな領域を占めてるんだなぁと云うことでした。そしてモノクロの写真はそういう色で捉えてる世界観のほかに、色ではなく全く別の原理による外界の認識があるということに気づかせるところがあると。
現像が仕上がってから眺めたこのモノクロの光景の見え方はその場で見た光景とは異質なほど違ったものになってるようでした。たとえばわたしが見た木のアーチの光景は写真で見ると葉がすべて細かいグレーの濃淡になって若干具体的な質感が希薄になってるような感じがします。でもこの場所に立って緑の葉に囲まれてる時に見た光景は緑の濃淡で分かりやすく、これほど抽象化されたようなものには見えませんでした。
これは色に頼っていたらおそらく目にすることが出来ない世界です。自分が撮ったモノクロ写真を見ていて、モノクロの写真は色のあるカラー写真から単純に色を引き算しただけの、カラー写真から何か一つ足りない世界というものじゃなくて、モノクロで撮ってみて始めて目にする世界が色のある世界に寄り添うようにして、確かに存在することを知らせてくれるものじゃないかって思いました。
そして色に覆い尽くされて隠されていた別の世界を、普通に見てる色の世界から導き出してくるのがモノクロ写真の面白さなんだろうなって。
少し南のほうに歩いていくと、駒井邸の傍らに出てきます。ここにきた目的の一つはこの邸宅の写真を撮ることでした。
Contax TVS2 : Fuji Neopan Presto 400
駒井邸というのは遺伝学者であった駒井卓博士と静江夫人の住居だった建築のこと。ウィリアム・メレル・ヴォーリズというアメリカの建築家の作品で、昭和初期の洋風住宅の様相が極めて保存状態も良く存続しているということで、歴史的、文化的価値が高いと判断され、京都市の指定有形文化財になった建物です。
現在は駒井博士、静江夫人の記念館として保存され、邸宅内部も一般公開されてます。なぜここが目的のひとつだったかというと、実は駒井邸って内部撮影オーケーなんですね。
商売に使うとかしない限りは写真撮っても構わないことになってます。立派で雰囲気のある建築物や庭園の中で写真を撮ってみるのもいいかもしれないと思ったので、この日ここを訪れるのはちょっと楽しみにしてました。
ところが、邸宅の前まで来てみると、駒井邸の門扉はなんと完全に閉まってました。毎日開放してるのではなく、金、土曜日の週末だけということは調べてたんですけど、1~2月の冬の期間は完全非公開となってることまで知らなかったです。門の前には次の公開は3月ですといった注意書きが掲示されていて、とりつく島も無い状態でした。
それでしかたなく垣根の外側から撮ってみた写真がこれ。未練がましい上に何だか唯の住宅風にしか見えません。こういう状況なら、邸宅を中心におくのをやめて疎水の風景の中でのポイントみたいにして撮った方が良かった感じかな。近くへ寄れないのにこんな撮りかたしても、何だかさえない写真にしかならなかったです。
駒井邸に拒絶されて、若干気落ちして、それでも南に向けて散歩してるとやがて右手側に京大のグラウンドが現れてきます。
Contax TVS2 : Fuji Neopan Presto 400
炎天下のグラウンドって云うとそれほどには思わないんですけど、冬のグラウンドとなるとわたしにはちょっと詩的なイメージがあります。映画なんかにも良く出てきそうだから、何かの映画でそういうシーンでも見てるのかもしれません。これこそ雪景色が似合いそうな気がするのに、朝方は雪が降って、実はこの辺りを散歩してる時も僅かに雪が降ってくることがあったんですけど、写真に捕らえられるほどの降り方じゃなかったです。これはちょっと残念。現像が上がってきてこの写真見てると雪景色のグラウンドが撮ってみたかったと思いました。でも実際に雪に降られるとカメラ濡らさないでおくことに必死になって、写真なんかどうでもよくなってるかもしれませんけどね。
グラウンドを過ぎる頃になると疎水沿いの緑が茂るだけの木だとか、はるか向こうの方にまでまっすぐに伸びる疎水だとか、同じような光景にちょっと飽きてきて、傍らの住宅街に紛れ込んでみることにしました。
そして閑静な高級住宅街の中で出会ったのがこの建物。
何だかトロピカル風の建物で高級そうな周りの邸宅のなかでも、ひときわ白く目立っていました。
Contax TVS2 : Fuji Neopan Presto 400
京都大学人文科学研究所の分館、東アジア人文情報学研究センターというところです。
調べてみるとスペイン僧院を模したスパニッシュ・ロマネスク様式の建物で、文化庁の登録有形文化財に指定されているそうです。
この建築はこの日、全体が写る位置からも撮ってるんですけど、現像されたものを見てると、建物の写真で全体の様子を収めた写真って、ものすごく説明的なものになりますね。写真が説明の道具に従属してしまってるような感じ。もちろん記録としての写真とか、写真にも色々あるからそういう写真があっても全然構わないんですけど、説明を目的としないで撮った場合こういう写真になってしまうのはあまり面白くないです。おまけに建築の写真は近くに高台があるとか、別の建物の屋上に登れるとか、特別な要因でもない限り視線は見上げる形を取る以外にないし、この辺の制限も建物の写真が容易に単調さに転化しかねない要素になってると思います。
だから、建物の写真は全体を収めるよりも部分を切り取る方が面白いんじゃないかって思いました。この東アジア人文情報学研究センターの写真は部分の切り出しになってます。建物の全体像は分からないけど、建物の写真としてはわたしはこういうもののほうが面白く感じてます。
トロピカル風の植物と白い壁、壁を飾る日時計がポイントといったところです。
白亜の建物を後にしてさらに南に下り、疎水道に交差してくる滋賀越道を越えて、「トロン・レガシー」の魅惑のベンチ写真を撮ったりしながら散歩してるとやがて今出川通りに出てきます。昼を結構すぎてたのかな、記憶はあまり正確じゃないですけど、この辺りでちょっとお腹が空いてきて何か食べようと思い、今出川を西へ歩いて進々堂 京大北門前へ行ってみることに。京都には進々堂という大きなパン屋さんがあるんですが、名前は一緒でもそのパン屋さんとは全然関係の無い店のようです。
Nikon CoolPix P5100
こういう店です。京都以外の人にも結構有名な店らしいですね。店の中に入ると店内に巨大な長テーブルとそれに付属する巨大な長椅子がまるで教室の中にあるように並べられてます。一人一人の小さなテーブルがあるのではなく、店内はこの巨大長テーブルだけ。お客さんはこのテーブルに向かって長椅子に座るしかないから、ものすごく個々の距離が離れた相席みたいな感じになります。残念ながら店内は撮影禁止だったので写真は撮ってこなかったんですけど、扉を開けて中を見回したとき、他のレストランとか喫茶店とは異質の雰囲気にちょっと吃驚するかもしれません。でも細かいテーブルが沢山並んでるのではない空間デザインのせいか、中は結構広々とした印象で、表からは見えないけど中庭なんかもあって、異質ではあるけど雰囲気はいい場所でした。
ただ店員さんの態度はあまり感心したものじゃなかったです。店内の壁の中央に隣の部屋のおそらく厨房と繋がってる、まるで教壇がしつらえてあるみたいにせり出した部分があって、店員さんはその教壇の前に立って店内を見渡してます。何か注文があれば即座に目に付くようにという意味合いなんでしょうけど、それがまるで教壇から先生に監視されてるような按配でした。接客もなんだかぶっきらぼうだったような感じ。
わたしが入った時、向かいの京大は冬休みだったんでしょうけど、あまりお客さんは入って無かったです。奥のほうの長テーブルに陣取って本を読んでた人がいる程度。向かいが大学だから学生の利用者も多いと思うけど、本読むには店内の奥のほうはかなり暗くしてあって、ここに入り浸って本に夢中になってたりすると、そのうちちょっと目を悪くしそうでした。
この日わたしが注文したのは自家製カレーパンセット。ここのメニューのなかでは代表的なもののようです。
カレーパンセットというと、カレーが中に入った揚げパンが想像できるでしょうけど、ここで出てくるカレーパンセットはそういう予想を持ってるとかなり意表をつかれます。どんなものが出てくるかは実際にここに来て注文して確かめる方が面白いだろうから、あえてここには書かないですけど、運ばれてきたセットを前にして、これはどういう風に食べるのを期待されてるんだろうと、ちょっと悩んでしまうかもしれません。
遅めの昼食としてこのカレーパンセットを食べて、暫く休憩したあとで今出川通りをまた銀閣寺の方向へ戻りながら、白川疎水沿いの写真を撮るという当初の目的からは若干離れてはいたけど、その辺りの町の様子を写真に収めてました。時刻にしたら3時過ぎくらいだったかなぁ。ちょっと日が翳り始める気配が出てきて陽射しの色も黄色味が混じり始める頃。
モノクロ・フィルムは始めて使うので様子が分からないものだから24枚撮りの枚数が少ないものを詰めていって、そのせいでこの辺りにやってきた時には撮れる残り枚数がかなり少なくなってきてました。
もうあまり撮れないし、そうなると気分は残ったフィルムを早く撮り切って、その足で河原町辺りまで戻ってカメラ屋で現像に出してくるという方向に傾いてました。
Contax TVS2 : Fuji Neopan Presto 400
Contax TVS2 : Fuji Neopan Presto 400
消化試合のようなフィルムの消費をしながら夕方近い時間帯の間に撮ってたのはこんな写真。これ、京大の近くにある光華寮って云う廃墟です。今も住み着いてる人はいるようですが見た目は完全に廃墟。
元々は中華民国が所有する建築物だったらしいんですが文化大革命の頃に中華民国の学生と中国の学生との間で争いが生じて、中華民国側が中国の学生に立ち退きを要求する裁判を起こしたらしいです。ところが後に日本が中華民国(台湾)との国交を断絶し中華人民共和国を中国の唯一の合法政府と認めたことから国際法上の争点が付け加えられて、立ち退きを巡る訴状が随分とややこしい状態になってしまったらしいです。
60年ほどかけて最高裁での判決は出たそうなんですが、この判決も政治判断に絡めたられたような側面を持ったすっきりとした解決には至らないものだったらしく、学者の中でも判決を批判する人は存在するらしいです。調べてみたら光華寮訴訟として結構有名な事件のようでした。
Nikon CoolPix P5100
白川通りに突き当たる辺りの民家の並びで見た、枯れた花。この花は何の花かは知らないですけど、とにかく異様な雰囲気で目の前に現れました。背後の家も誰も住んでない様子のこれまた廃墟で、この花も手入れされないままに立ち枯れてしまったのかもしれません。コンタックスのコンパクトカメラにモノクロのフィルムを詰め込んで意気込んでやってきたのにこの日に撮った写真ではこのニコンのコンデジで撮った写真がまるで異界の光景のようで、一番のお気に入りとなりました。
Contax TVS2 : Fuji Neopan Presto 400
Contax TVS2 : Fuji Neopan Presto 400
Contax TVS2 : Fuji Neopan Presto 400
銀閣寺近くまでやってきたので、哲学の道も少し歩いてみました。上の写真は哲学の道の途中から東にそれて少し山側に上ったところにある法然院です。その下の写真が冬の夕刻の哲学の道の様子。銀閣寺が近いから観光客はそれなりに来てるかと思ったら、殆ど人通りの無い閑散とした状態でした。ここはやっぱり桜が咲いてる時に観に来る人が多いようです。
一番下のも哲学の道の近くで撮影。小さな公園だったんですが、子供がはしゃいで遊ぶ場所というより、なんだか怪奇映画風の写り方になりました。ファインダーを覗いてる時は手前の鉄棒に注意を向けていたのに、出来あがったモノクロ写真では鉄棒は見事に埋没して、妖しげな木が目立つ結果になってます。
日が翳り始めていたので、この辺りで適当に残りの1~2枚を撮って、24枚撮りのフィルムが終了。結構寒くもなってきていたから、ここらで本日の散歩も終了ということに決めて、銀閣寺からバスに乗り込み河原町のカメラ屋まで行って、撮り立てのフィルムの現像を頼んできました。
モノクロのフィルムってカラーネガのフィルムとは違う現像液を使うようで、専門のラボに送るということになるらしいです。これは中判のブローニー・フィルムと扱いは同じですね。カラーネガだと1時間程度でプリントまでやってくれるけど、モノクロのフィルムはその場では出来上がらず、ラボに送られた結果、どんな風に写せたか確認できたのは結局1週間ほど待たされた後のことになってしまいました。
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とまぁ、こんな感じでこの日の散歩は、モノクロ・フィルムを詰めてまでして意気揚々と出かけた割には、肝心の白川疎水のほうは途中でうやむやになったような行程となり、結果としては思ったほどの写真も撮れないものとなりました。
振り返ってみると今回の散策での収穫は、モノクロの写真はカラー要素が単純に省かれたものでもなく、そういうのとはまた別の認識によって成り立つ世界であるということ。建築物の写真は説明的になりすぎるのを回避するためには全体を写すよりも部分を写した方がいいかもしれないということ。前景を入れる方が立体的になるかもしれないということ、枯れた花が被写体に成りえる事。こんなところじゃなかったかと思います。
でもまぁ収穫なんて大層なことを云わなくても、またたとえ思惑通りの写真が撮れない結果に終わったとしても、写真を撮るという口実で白川疎水沿いを散策してみようと思いつき、冬のひと時この界隈を散歩する時間を持てたことが、とりあえず良かったということだったんじゃないかと思います。
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Cry Me A River - Lesley Gore
VIDEO My Foolish Heart - Lesley Gore
VIDEO 60年代のガールズ・ポップを代表する歌手です。この頃の音楽ってわたしの聴いた感じではオールディーズというほどには古臭くなくて、初期ビートルズっぽい音楽が多いというか、ビートルズもこの頃のガール・グループの曲のファンでいろいろとコピーしてたから、60年代の音楽はビートルズが好きな人間としては結構趣味に合う部分があったりします。
レスリー・ゴアはクインシー・ジョーンズに見出されたサラブレッドで、ビートルズと同時期に活躍して、この頃台頭してきたイギリス勢(ブリティッシュ・インベンション)を押しのけるほど勢いのあったアメリカの歌手でした。実際にレスリー・ゴアの「You Don't Own Me」という曲はビートルズの「I wanna hold your hand」とビルボードのチャートを競って、さすがに7週連続トップというビートルズの記録は打ち破れなかったものの全米二位にまで肉薄してます。
「Cry Me A River」はポピュラー、ジャズのスタンダード。ジュリー・ロンドンの歌が有名じゃないかと思います。レスリー・ゴアは兄だったかジャズのバンドをしていてそこで歌っていたらしいから、ジャズの曲も結構レパートリーに入ってます。歌ったときは10代だったらしく、結構軽めのストレートな歌い方ですけど、なかなかキュート。背伸びして大人の歌のように歌わなかったのは正解じゃなかったかと思います。
バックのコーラスがこれまた決まっていてかっこいいです。
もう一曲、レスリー・ゴアのジャズレパートリーから、「My Foolish Heart」
優雅なリズムに乗せて同じくキュートな歌声で歌われるこの曲も大好き。
ところでゴアって云う名前、映画のほうでゴア・フィルムというとハーシェル・ゴードン・ルイスの「ゴア・ゴア・ガールズ」みたいに血のりたっぷりの映画のことなんですけど、違うスペルだと思ってたら、両方とも同じ「GORE」なんですよね。日本語で言うとまぁ苗字と名前の違いは目をつぶるとして、ちのりさんっていうような語感になってなんだか名前らしいといえば名前らしい響きになってしまうんですけど、外人はレスリー・ゴアという名前を聞いた瞬間血しぶき飛び散らかして絶命する美女とか連想しないのかなぁ。
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この2曲はそれぞれファーストとセカンドアルバムの2枚に収められてました。CDだと以前輸入盤で2枚を一つのCDにカップリングしたものが出てました。でもそれも今は廃盤のようで中古が結構な値段になってますね。