2011/07/10
手持ちのカメラの話も交えて、写真のことを書いてみます。
カメラはハーフ(サイズ)カメラのオリンパス・ペンS3.5。どうもわたしにはコレクター気質のようなものがありそうで、それほど極端に走るほどのものではないにせよ、写真が気に入ればその写真を撮ったカメラに興味がいくというところがあるようです。自分の持ってるカメラで工夫すればこういう写真は撮れるという方向にはあまり動かないんですね。どちらかというと気に入った写真を撮ったカメラを手にすれば自動的に気に入った写真が撮れると考えるほう。だから高価なクラシックカメラは別にしても、手が出しやすそうなコンパクトカメラ、トイカメラ辺りだと必然的にカメラの台数は増えていくことになります。このオリンパス・ペンSもそんなカメラのひとつでした。またこれを買った動機には写せる写真の質感というもの以外にも、ハーフカメラというものを一つ持ってみたいという欲求も多分にあったと思います。
ところでハーフカメラってどういうものだか分かります?今のカメラの中ではこのカメラに相当するようなタイプがもう存在してないので、ハーフカメラといってもあまりイメージがわかないかもしれないですよね。
何かが半分になってるカメラというのは何となく分かると思います。では何が半分になってるのか。
実は写すフィルムのコマが半分になってます。35mmフィルムの普通だったら写真1枚が撮れる領域を2分割して2枚撮れるようにしてある。だから単純に云ってハーフカメラで撮れる枚数は普通のフィルムカメラの2倍、つまり24枚撮りのフィルムを詰めると48枚、36枚撮りのフィルムを詰めると72枚の写真が撮れることになってます。35mmフィルムはもともとサウンドトラックがない頃の映画用のフィルムのコマ二つ分をくっつけて写真用のフィルムにしたこともあって、それを再び2分割するというのは云ってみるなら先祖がえりしてるということなのかもしれません。
(撮ったフィルムはこんな感じ。普通のライカ判と比べるとみっしりと詰まった感じで並んでます)
でも昔はフィルムが高かったのでこういう仕様は意味があったのかもしれないけど、今の気が済むまで大量に撮れるデジタルカメラや、市場が縮小する一方で単価が高くなってるとはいえ2倍撮れて本当に助かると思えるほどには高価なアイテムでもなくなった現在のフィルム事情では、一本のフィルムで2倍撮れるというのはほとんど意味を失ってます。
今の時点でハーフカメラの利点といえそうなのは、フィルムカメラにしては残り枚数を気にしながら撮るという状態をいくらか解消できること、カメラそのものの大きさがコンパクトで全般的に可愛らしく持ち歩くカメラとしての特異な存在感があるといったところでしょうか。残り枚数があまり気にならないという利点は36枚撮りのフィルムを詰めてしまったら72枚撮り終わるまで現像もできないし、解放もしてくれないという状況にも容易に転化するものなので、利点の度合いとしてはあまり高くない部分もあります。昔ハーフカメラが全盛だった頃は四季が封じ込められたカメラという捉え方だったとか。
もうひとつ、画質の点では通常の一コマを半分にして使うから、L判プリント程度なら分からないにしても、当然のことながら画質はわずかではあるものの粒子が目立つものになってきます。デジカメで云うなら画素数が半分になったようなもの。でもわたしは粒子感のある写真も現実のコピー的な存在から写真を別の方向に向けさせる要素のひとつだと思うので、粒子感が目立ったとしても、目立ったものは目立ったものとして意外と歓迎してるところもあったりします。綺麗に撮れるカメラはほかのカメラに役割を背負ってもらうとして、ハーフカメラはそういうのとはまた別の位相にある写真を撮ってくれるカメラとして意図的に使ってみると面白いと思ってます。
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今のところハーフカメラでわたしが所持してるのはオリンパス・ペンS というのと、同じくオリンパス・ペンのEE-2という機種、それと去年の今頃に買って、しばらく前に調子が悪くなって買ったところに持っていったまま現在のところ手元にはない、ダイアナ・ミニというトイカメラの3種類です。
ハーフカメラはこのダイアナ・ミニやゴールデン・ハーフなど、トイカメラでこそわずかに残ってる以外は、今では新品でリリースされるものは完全に消え去ったカメラのジャンルなんですが、流行っていた時は各社いろいろとバリエーションにとんだカメラをリリースしてました。そのなかでもオリンパスのこのペンシリーズが、日本では始めて登場したハーフサイズのカメラとして、そのハーフカメラという存在感、イメージを決定付けた代表格のカメラだったと云ってもいいと思います。
オリジナルのオリンパス・ペンが登場したのは1959年の10月。その後60年代から70年代にかけて大衆的なカメラという手軽な存在感と2倍撮れる経済性でハーフカメラが流行っていく中、リコーだとかキャノンだとか各メーカーもハーフサイズ・カメラをリリースしていきます。オリンパスもさまざまなシリーズを展開。ハーフカメラで唯一の一眼レフとなる「F」、セレン素子を使って自動露出装置をつけ、ほとんどシャッターを押すだけで撮影可能にした「EE」、大口径レンズ搭載の高級機「D」など、ハーフカメラがその利点を失い市場から消えていくまでの間に最終的には24機種のハーフカメラを世に出すことになります。
わたしが買ったのは先に書いたようにそういう多彩な機種の中の、オリンパス・ペンS3.5というもので、これはオリジナルのペンの機能強化版として1965年に発売されたものでした。オリジナル・ペンのスペックアップ・タイプの「S」(おそらくスペシャルの意味?)は1960年に オリジナル・ペンよりも明るいレンズの要望が大きくなり、焦点距離30mm、F値2,8というレンズを搭載することでその要望にこたえたうえで、オリジナルでは若干非力だったシャッター・スピードの上限と下限を広げた「S2.8」という機種が出て、その後オリジナルが生産終了になったのを受けて、「S2.8」で拡張されたシャッタースピードはそのままに、オリジナルのペンのレンズと同じ焦点距離28mm、F値3,5のレンズをもう一度搭載したこの「S3.5」という機種が改めてリリースされます。つまりわたしが出会ったオリンパス・ペンS3.5というのはオリジナルのペンにその後改良されたシャッターをつけた形のものということになります。ちなみにオリジナルのペン・シリーズはわたしの手にしたこの機種が最後で「S2.8」とともに1967年まで製造されて、その後は後継のペン・シリーズにバトンタッチされたらしいです。
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こんなカメラです。フィルム・チェンバーへのアクセスは蝶番で裏蓋が開くタイプじゃなくて裏蓋が完全に分離する古いカメラで使われてる仕組みになってます。トイカメラのダイアナ・ミニもこのタイプ。ダイアナ・ミニはダイアナという昔のノベルティ用途のカメラの復刻版から35mmフィルムを使えるように新たに作り直されたものなので、古い形式を使っていてもそのほうがイメージ的には馴染んでるところがあります。
でもこの裏蓋完全離脱式というやり方は使い勝手としてはどうなんでしょうね。自分で使ってみて蝶番で裏蓋がくっついていたほうがやりやすいようにも思えるけど、未練なしに分離してしまうのもなんだか潔い感じがするというところもあるかな。
NIKON COOLPIX P5100
NIKON COOLPIX P5100
かなりコンパクトで携帯しやすい大きさです。外装が金属のカメラなので重量370gと小さな割には適度な重さがあって、持っていると道具を手にしているという確かさに繋がるような愛着感が生まれてきます。こういうのが体が道具に馴染んでいくような感覚を生み出していくわけで、道具に関しては軽ければいいというものではないということをまさしく体感できるような持ち心地と云えるかもしれません。シャッター音はまるでささやくような小さな音なんですけど、シャッターを切ったという感触は確実に伝わってきます。
完全マニュアル方式のメカニカルカメラなので、露出はカメラ側で一切計測してくれないから、勘で設定できないなら、撮影には単体露出計が必要となります。
写真に写ってる楕円形の道具がわたしが使ってる単体露出計です。セコニック製の追針式露出計。ニコンのFM3Aでもそうだったんですけど、わたしはデジタル表示と針が動く表示のどちらを選ぶと問われたらほぼ確実に針が動くほうを選びます。こっちのほうが官能的だもの。これはハッセルブラッドを使う時のために購入したもので、きちんとした露出計だと吃驚するほど高価なんですが、露出計としてはかなり簡易版で、どうにか手が出せる価格になってるものでした。わたしが買ったのは別のところで特価で売ってたものでしたけど、アマゾンでも特価になってるようです。わたしは写真撮らない時でもこの露出計をポケットから出していろんなところで光の満ちる様を計測してました。この場所はこんな量の光で出来上がってるとか、普段馴染みの場所が隠し持ってた秘密があらわにされてるような感じで結構新鮮です。
それはさておきオリンパス・ペンS3.5は露出を手動で合わせるカメラといっても特に小難しいことを要求してくるわけでもなくて、露出量を決めている絞りの値とシャッタースピードの値をカメラに入力するだけですんでしまいます。
この両方の値は露出計のワンクリックで出てくるので、その値を知るのは実に簡単。同じ露出量になる絞り値とシャッタースピードは複数の組み合わせがあるから、そのなかから自分が撮ろうと意図してる絵になるような組み合わせになる値を選べばそれでいいわけです。
あとはシャッターを切る以外だと、やることといえばピントを合わせるだけなんですが、オリンパス・ペンS3.5はこの辺でちょっと判断に迷いが出てくる可能性があります。なにしろカメラ側で自動的にピントを合わせてくれることはなくて、被写体との距離がどれだけあるのかは目測でこちらが判断しなければならないから。
でも目測とは行っても至近距離はちょっとシビアになるかもしれないけど、少し離れた被写体だとこのカメラは被写界深度を利用して簡単に撮れるようにできます。
「S3.5」のピント合わせのリングには2mと5mのところにクリック感のある箇所が設けてあります。2mと5mは文字色もここだけ赤くなってます。
マニュアルによるとこのカメラのレンズは絞りを5.6以上に設定した場合の被写界深度が、距離設定が2mの場合は1.42~3.38m、5mの場合は2.45m~無限遠までピントの合う領域に含まれる作りになっていて、至近距離以外だと、絞り5.6以上で近距離なら2m、中距離から遠距離だと5mを選んでおけば、ほぼすべてがピントの合う範囲に含まれることになるらしいです。
こういう固定焦点的な使い方をするならば、あの被写体までの距離は3.2mだろうかそれとも3.3mだろうかといった悩みに囚われることは無くなる筈なんですね。
一方、至近距離で絞り開放近くで撮影、背景をぼかしてやろうなんて画策すると、これはちょっと歯ごたえがある撮影になると思います。
ちなみにピントのリングには至近距離の表示は0.6、0.7、0.8と1mまでは10cm刻みとなって、この10cmの違いを目測で判断せよと迫ってきます。しかも最短の0.6mの時に絞りを開放値3.5で撮ろうとした場合の被写界深度の深さ、要するにピントがあう前後の厚さということですけど、これが0.56~0.64mという10cmにも満たない厚さなんですよね。この条件での撮影では、目測でこの厚みの中に被写体をおかないとピントが合わないということになって、これは目測でメジャー並みの正確さで距離が判断できる人でないと偶然以外で成功する確率はかなり低くなるんじゃないかと思います。
でもえらいものでたとえばLOMO LC-Aだとかホルガなんかのトイカメラもソーン・フォーカスで被写体までの距離を目測で決めなければならなかったりするし、こういう目測形式のカメラを使ってると割と目測の見当がついてくるようになったりします。わたしはなんだか知らない間に3mとか5mくらいならかなり正確に目測で判断できるようになってますよ。もっと気長にこのタイプのカメラを使ってたら、そのうちこの10cmを判別できる感覚を身につけることができるようになる可能性もないこともないのかもしれません。
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わたしがオリンパス・ペンS3.5を買ったのは今年の冬のことで、買ったところは三条河原町にある「フォトステーション ムツミ」というカメラ屋さんでした。ここで中古のカメラを買ったのはこれが初めてでしたけど、別のカメラ屋でCONTAX TVS2だとかハッセルブラッドのA12フィルムマガジンなんかを中古で買っていたので、中古カメラ自体は買うのはこれが初めてというわけじゃなかったです。
NIKON COOLPIX P5100
京都でムツミといえば昔からあるカメラ屋で、わたしの父もムツミのひいき筋だったりするんですけど、昔のムツミはムツミ堂といって既に倒産してしまってます。この「フォトステーション ムツミ」って云う店は昔からあったムツミ堂と同じ名前を使ってるんですけど、どうも係わり合いはあまりなくて、まったく別の会社のようです。ただそれでも父の関連で小さい時に連れて行かれたこともあったりでムツミという名前には馴染みがあり、別の会社と知りつつもよく利用してるカメラ屋さんでもあります。
一階は新品のカメラやカメラ関連のアイテムを売ったり、現像を受け付けてくれるフロア。ここはかなり愛想が良いです。最近現像はほとんどここでやってもらってます。ナチュラというフジフィルムのちょっと高級なフィルムがあるんですが、これの現像、プリントを頼むと京都風味のネーミングで「はんなり仕上げ」というものを提案されて、一度これで頼んでみたらフィルムの特性を生かしたプリントをしてくれました。こちらから注文しなくても、アグファとかソラリスなんかのフィルム自体に特徴のあるフィルムのプリントは補正をかけてしまうとフィルムの特徴が失われてしまうことがあるので、こういうフィルムの場合はむこうのほうから無補正でプリントするかどうか尋ねてきます。色々と特殊な条件を店側から提案してくれるので、楽といえば楽。
でも最近アグファの現像、プリントを始めて無補正で頼んだら、なんだか単純に緑かぶりしただけのような仕上がりになっていて、こういう若干特殊なフィルムは無補正よりもフィルムの特性を生かした補正をかけたほうが良いんじゃないかと思ってます。となると町のカメラ屋にどこまで頼めるのか、説明が難しくなりそうなんですよね。
一度京都を離れてそういうことを専門にやってくれるラボなんかに郵送でフィルムを送って現像、プリントしてもらおうかなと思ったりしてるんですけど、宅配でフィルムを送るってどうすれば良いのか悩み中だったりします。フィルムのパトローネのような、あんな小さなものを箱に入れて宅配で送るのかなぁ。マッチ箱みたいな宅配便って受け取ってくれるのかな。
それはともかく、ナチュラの「はんなり仕上げ」は単純にハイキー気味にしてあるだけなのかもしれないけど、そんなに酷くなく、というか結構綺麗に仕上げてくれたりするし、普通の現像、プリントも綺麗にしてくれて愛想が良いのでこの1階のフロアーは利用してあまり気分が悪くなるようなことはないです。
オリンパス・ペンS3.5を買ったのはこのフォトステーション ムツミの地下にある中古カメラのフロアでした。一階の愛想よさに惹かれて店奥の階段を下りていくと、ここが予想に反してちょっと閉鎖的な雰囲気なんですよね。階段の途中まで降りただけで分かるほど、一階の愛想よさがどこへ消えてしまったかと思うくらい。ひょっとしたら社交的な社員は一階へ、そうでない社員は地下に送られてるのかと思うくらい雰囲気が変わります。
常連さんのような客が来てると店の人はその客と世間話に夢中。いらっしゃいませくらいは云ってくれるけどあとは完全放置状態にされます。目もあわせてくれません。まぁわたしは店員さんにへばりつかれるとどうしていいかわからなくなるたちなので、どちらかというとこういう方向のほうが好きなんですけど、ちょっと限度を超えてます。
客らしい人が来てる時にその客と店員の話を聞くともなしに傍から聞いてると~先生がどうしたらこうしたらといったような話で盛り上がってるから、このムツミが主催してるか関連してるカメラクラブなんかがありそうな感じで、その人たちのための店のような雰囲気が感じられます。わたしの父も写真をやってた時は京都丹平というアマチュアカメラマンの組織に属していて、ムツミ堂は京都丹平のサロンみたいなところもあったから、今も京都丹平なのかどうかは知らないですけど、写真クラブのサロン的な要素が続いてるのかもしれないなんて思ったりします。
こんな感じの地下中古フロアーでオリンパス・ペンS3.5を見つけて、本当はペンの中でも「EES-2」というのを探してたんですけど、思わしいものが見つからなくて値段とカメラの状態が意外と良かったこれが目に留まりました。
これ見せて欲しいというと、棚から出してきてくれます。手渡されたわたしは「こちらでお掛けになってどうぞご覧ください」ともなんとも云われないまま、目の前のカウンターにカメラを置いて突っ立ったまま勝手に品定め。
カメラを渡してくれたあとは自分の仕事に戻って話しかけてもくれない店の人に聞いてみると、ちなみに向こうからはなかなか話しかけてはくれないけどこちらが尋ねるとそこは商売なので普通に対応してくれるんですが、その話によるとこのオリンパス・ペンは委託販売の品物だということでした。ついでに書いておくと、ムツミの中古につけられてるタグには委託かどうかの表示がついてません。
委託販売というのはカメラの所持者が売りたいカメラをカメラ屋の棚を貸してもらって、店に代わりに売ってもらうシステム。値段は委託した側がつけ、売れれば棚を貸した分だけ店が利益を何パーセントか持って行きます。店は棚を貸して売る手助けをしているだけでカメラの品質については責任は持たないので、おそらくこれはどこのカメラ屋でもそうだと思いますけど委託販売の商品に店側の保障は一切つきません。
委託と知って、去年買ったCONTAX TVS2が見事に不具合を出して保障に助けられたことを思い浮かべ、本当は保障がつかないという点だけでもこういうものには手を出す気はなかったんですけど、眺めた分では綺麗なカメラだったし、経年劣化しやすい遮光材のモルトの張替え状態も店の人に聞いてみると修理業者が手がけてるといってたので、整備はきちんとなされてるようで、そういうことを聞くと頭の仲では「委託」という言葉に警報がなっていたものの、心が揺らぎました。
結果的には値段の安さとかいろいろと条件が重なって買うことになるんですけど、このカメラの場合はファインダーのブライトフレームがわずかに傾いてる程度で撮影にはまったく不都合はなく使えました。まずは一安心。フレームの傾きに気づかないで撮った写真の中には結構な確立でわずかに右肩が下がった写真ができてたんですけど、それもわかってしまうと傾き分を補正してとれば問題ないし。この程度の状態で買えたのはましなほうだったんじゃないかと思います。でも調子に乗って委託に手を出してるとそのうち酷いのをつかみそうな気もするので、やっぱり委託品はできるだけ手は出さない、確実に保障がついたものを買うほうが無難ということには変わりはなさそうです。
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もう一度カメラの話に戻ります。
ハーフカメラは60年代から70年代にかけて各家庭に必ず一台くらいはあるというような黄金期を迎えたあと1981年のオリンパスペンEFという機種を最後にカメラのジャンルとしては終焉してしまいます。フィルム消費に関しての経済的な利点だとかが失われたり、半分の面積にしてしまったハーフサイズの写真は結局は画質の点で普通のサイズのライカ判に対抗できなかったといったことが要因となったんだろうと思います。持ち運びやすいコンパクトさもローライがフルサイズの写真を撮れて十分に小さいカメラを開発したりして、それほど意味を成さなくなってきていました。ちなみにハーフサイズのカメラはアメリカではあまり受け入れられなかったそうです。
それで今ハーフカメラをあえて使うとしたら、もちろん高画質の写真が撮れるカメラという意味合いじゃなくて、たとえばデザインの斬新なカメラとして、実はハーフカメラってリコー・オートハーフとかキヤノン・ダイアルとか普通のカメラの形からみれば逸脱してるとしか云いようがないほどデザイン的に凝ったものがあるんですが、そういうデザイン性の高いカメラを持ち歩くことを楽しむとか、フィルムカメラにしては気楽にシャッターが切れるという利点で使うカメラという位置づけになってるんじゃないかと思います。
でも今では基本的にそんな扱いになるほかないハーフカメラでも、しばらく使ってみてわたしはハーフカメラの特徴のひとつが結構面白いと思うようになりました。その特徴って何かというと、ファインダーが普通のカメラと違って縦長になってるということでした。
横に巻いていくフィルムのオーソドックスな横長の画面を半分割にするわけだから、上下に分けるなんていうへそ曲がりなことをしない限りフィルムのコマは左右に分割されてそれぞれが縦長の受光領域を作ることになります。普通のカメラは普通に撮れば横長の長方形になりますけど、ハーフカメラは普通に撮ると一コマは縦長になって、縦に長い写真が撮れる。そしてそれに合わせるためにファインダーも最初から縦に長い枠が切ってあります。
ハーフカメラでは普通の横長の写真を撮ろうとしたらカメラを縦向けに構えなければならないので、構え方と写真の写り方は一般的なカメラとは逆転してます。これは考え方によってはカメラがデフォルトで縦に長い写真を基準として撮るように要求してるともいえるんですよね。
両目は横に並んでるわけだから横長の画面は自然的な視界、安定的で、意図を乗せるような方向に持っていかなければ客観的な印象になるとするなら、縦長にした画面は構築的であり、被写体が何であってどう見せようとしてるのか意図が割とはっきりと出てくる、客観から主観のほうに絶えずゆれてるような、不安定な印象といった感じじゃないかと思います。
それでハーフカメラはデフォルトとしてこの自然じゃないほうの画面比率を提唱してくるわけだから、ここはひとつカメラの提唱するものに乗ってみようと、そういう風に考えてハーフカメラを使うとなかなか新鮮なヴィジョンが開けてくるんじゃないかと思ったわけです。
とにかくハーフカメラを手にした場合はとりあえずハーフカメラとしては自然な枠と考えられてる縦位置で何でも撮ってみます。横長が安定してるように見える場合でも安易にカメラを縦にしないで、そのまま縦に長い画面に収まるように色々と画策して撮ってみる。そういう付き合いをしてみると、ハーフカメラって意外と写真を撮る姿勢に影響を与えるカメラだなぁと思えてきます。
大体縦画面って煙突状に屹立してるものを見たら無意識的にそうしてる程度で、あとで見ても縦に長い被写体にあわせただけという、あまり面白いとは思えない画面がわたしの場合は多いんですけど、縦を向いた不安定な画面だけで世界を切り取り、認識するという行為を繰り返してると、縦画面の可能性を探る行為に結びついたり、横画面がふさわしいと思って眺めていた世界がそれだけでは見えてこなかった意外と新鮮なものを見せてくれるのに気づいたりして、大げさに言うとヴィジョンの拡張にも繋がっていくかもしれないと思うこともあります。
縦長世界に拘泥してみる。思うにこれが今の時代ハーフカメラを使う醍醐味じゃないでしょうか。そんな意識で持ってみると、今ではコンパクトで変わったデザインを持つ楽しみと、シャッターを切る気ままさが信条となってしまったハーフカメラに、またちょっと別の面白さがつけくわわるような気がします。
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このカメラと一緒に御所に行った時、フィルムはソラリスのISO400の24枚撮りを装填していました。結局御所ではあまり撮影することができずに、その後東寺の弘法市に行った時も引き続きその状態で撮って、24枚撮りではあったもののそれでもまだ全部使い切れなくて、このフィルムにはほかに色々と歩き回ってた時の写真が一緒に収まることになりました。
ちなみに先日この記事を書こうと思い立ってから、パックで買ったものの色味があまり好みでもなくて使ってなかったフィルムを、消費する目的もかねて再びオリンパス・ペンS3.5に詰めたんですけど、あまり使う気にもならなくなっていたフィルムを早く使い切ってしまおうという思惑のほうが先に来ていたせいか、このフィルムが36枚撮りだというのをフィルムを詰めた時だけ失念してました。24枚撮りを詰めた気分になって枚数設定も48枚にあわせて、実際に持ち出したさきで、このフィルムは48枚じゃなかったとはじめて気づいたような次第。
今のところ10枚くらい消費してるんですけど、後60枚近く撮らないと現像に出せません。でもこれ、撮るほうも大変ですけど、72枚もプリントを頼まれるほうも大変ですよね。
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御所で撮った写真はこんな感じ。
OLYMPUS-PEN S3.5 : Ferrania Solaris 400 Canoscan 8600F
OLYMPUS-PEN S3.5 : Ferrania Solaris 400
別に始めて訪れたわけでもないから、薄々は分かってたけど、御所って建物にでも入らない限りだだっ広い砂利道が延々と続くだけで、写真撮るところってあまりないんですよね。
一応御所の南側に梅林園があったりするのが被写体にしやすい場所なんですけど、この日は京阪の出町柳で降りてそのまま西に歩いていったので、御所の北側で写真を撮ることになりました。
御所の北側には木立が集まったエリアがあることはあるんですが、森だとか林だとか言うほどの規模でもなく、木立の多い公園風情という感じの場所になってます。そしてその中に文字通り公園があるので、そこで写真を撮ってみました。自転車の被写体は絵になりそうでありきたりすぎて絵にならない、狭間にあるような存在感ですね。ベンチ同様に見かけたら結構撮りたくなる被写体なんですけど、ありきたり以外のものに見せる術を知らないというか。
遊具を遠景で撮ったものはわずかに右肩下がりになってるでしょ。冬だったからなのかどうか知らないけど、なんだか寒々とした絵になってしまいました。淡い水彩画風と言い張ることもできるかな。
OLYMPUS-PEN S3.5 : Ferrania Solaris 400
これは公園から道を挟んで東側、近衛邸跡にある、近衛邸の庭池だった近衛池です。横に広がる池を縦に切り取ってみました。鴨が浮かんでたので画面のフレームまで入ってきてくれるのを待って撮ってます。橋をフレームに入れたかったんですよね。
色味がなかなか渋いです。
OLYMPUS-PEN S3.5 : Ferrania Solaris 400
木立を出るとほとんどこんな砂利道がはるか向こうまで見えてるような光景だけになります。散歩にもちょっと広すぎる感じかな。今くらいの季節になると影がまるっきりない場所になるので、こういう砂利道の散歩は結構ハードになるかもしれないです。
あまり撮るものがなかったので、今出川通りを挟んで建ってる同志社のほうにもちょっと立ち寄ってきました。
OLYMPUS-PEN S3.5 : Ferrania Solaris 400
ここは昔は学生会館があったところで、「七人の侍」を音声環境の悪いホールで見た記憶があります。今は違う目的の施設になってる模様。中庭風のところで写真を撮ってみました。冬休み中だったので、人影はほとんど見ない感じでした、
この日は御所の中をうろついてた時間のほうが長くて、同志社に立ち寄ったのは少しだけでした。煉瓦の建物はやっぱりフォトジェニックなので、結局後日同志社へはまた写真を撮りに訪れることになります。
OLYMPUS-PEN S3.5 : Ferrania Solaris 400
それでこれがこの日撮ったものの中では一番気に入ったものです。後ろに見えてるのが同志社の校舎。全体になぜかリアルな感触が薄らいでいて奇妙な感触の絵になってます。個々の写ってるものをみると、人にしろ信号にしろ建物にしろそれぞれそれなりに写実なんですけど、全体がまとまってみるとなんだか現実感の乏しい光景になってるというか。
道路に何も走ってないからなのかなぁ。人通りが少なすぎるのも、生活空間にしては希薄な印象を与えてるようです。現実世界に何らかの皮膜が薄く被さったような感じになって、眺めていて面白かった一枚でした。
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このフィルムに収めたもうひとつの場所、東寺の弘法市の写真はこんな感じに仕上がってました。といっても場所の記録になるようなものはあまり撮ってないので、これが東寺だというのが分かる写真はほとんどなかったりします。
東寺は京都駅の西の方向、若干南よりの位置にあります。京都駅からは距離的にはそんなに遠いということもなく、近鉄では京都駅の次の東寺駅で降りて歩いていく形になるかもしれませんが、京都駅から直接散歩がてら歩いていっても、到着した時には疲れ果てているといったほど離れているわけでもないです。
弘法市というのは東寺の祖師空海が入寂した3月21日にちなんで毎月21日に東寺の境内および周辺の路地などで開かれる縁日のことです。最初は一年に一度だけだったそうですが、現在では毎月21日になると開かれるようになってます。
この日は東寺の敷地と周辺にさまざまな露店が店を並べることになります。店の内容に特別な傾向はなく、骨董、古道具から古着、生地、食べ物、名産品、生活雑貨に中古DVDと多種多彩。この日、東寺の中央に出現するのはある種の混沌であるように思えます。でもこれはいわゆるフリーマーケット的なものと違って、別のところに店を持ってる商売人がこの日に東寺の境内に出張所的な露店を作るという形になってます。ちなみにあの人形を門番においてる古道具屋(?)も東寺の境内じゃないんですけど、この日自分の店の前に出店のようなものを作って縁日に参入してます。
本当はこの日の目的は御影堂で行われる御影供のはず。でもわたしも含めて来訪者の大半はこの縁日の出店を冷やかして歩くのが目的のような感じです。来てる客を眺めてみれば、弘法市なんていうと年寄りばかりが集まるような印象かもしれませんが意外とそんな風でもなくて、若者や外国の観光客も大勢きてます。露店のおじさんは場慣れしてしまってるのか苦もなく英語で対応してたりして、そんなやり取りを見ているのも面白かったりします。
OLYMPUS-PEN S3.5 : Ferrania Solaris 400
東寺の前、九条通りの様子。人が一杯です。これ、まだ東寺の境内に入ってないところでのスナップなんですけど、屋台が出てる分道が狭くなってしまって境内よりも人が溢れてる感じがしてました。
OLYMPUS-PEN S3.5 : Ferrania Solaris 400
撮ってないといいつつ一応東寺の建物がフレームに納まってる場所の説明もかねた記録写真。こういうところの食べ物屋台で何か食べるのって独特の楽しさがあります。
OLYMPUS-PEN S3.5 : Ferrania Solaris 400
古着屋さんなのかな。店のおじさんとお客さんがお話してるところ。いろんな店でお客さんと店の人の対話を聞いてたんですけど、露店業者のほうは毎回弘法市に店だししてるところも多くて、訪れる客のほうも常連さんが意外と多い感じでした。店の人と顔なじみになってるお客さんが一ヶ月ぶりに会って世話話をしてるという感じの光景が至る所で見られました。
OLYMPUS-PEN S3.5 : Ferrania Solaris 400
古生地?並んで下げられていて形が面白かったのとカラフルだったので一枚スナップです。
OLYMPUS-PEN S3.5 : Ferrania Solaris 400
こちらも露店ですね。露店の資材や商品をを運んできた自動車とかも特に表から隠すと言うわけでもなくその辺に雑然と止められてたりして、この日の東寺を統御する混沌の度合いを助長してるかのようです。この露店で客が値切る場面と遭遇。客は1万円札を2枚広げて片手で振りかざし、「これが何が何でも欲しい。でもお金はこれだけしかない。これでどうしても売って欲しい」という迫り方で値切りにチャレンジしてましたけど、店のおばちゃんは適当にあしらうだけで結局最後まで首を縦に振りませんでした。値切りのシーンをリアルで見たのは初めてだったので、見とれてるうちに終わってしまったんですけど、値切ってる現場を写真にとっておけばよかった。
OLYMPUS-PEN S3.5 : Ferrania Solaris 400
これは境内の周辺路地で見た出店。売れてしまってこの状態になったのか、この品出しの貧相さで売れなくてこの光景になったのか判断できませんでした。店の人もどこかに行ったままだったりする様子。
露店の廃墟という非常に珍しいものを目撃してたのかもしれませんね。
東寺の縁日はこの弘法市だけではなくて、これほど有名ではないかもしれないですけど第一日曜日に骨董市(がらくた市)が開かれたりもしてます。こちらのほうはわたしはほとんど行ったことがないんですけど、出店の種類がテーマとして絞られてるので骨董目当てと言う目的があるならかなり見ごたえがあるかもしれません。
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オリンパス・ペンS3.5にこのフィルムを詰めていた時、特に目的地を限定しないで連れ歩いて撮ったものの中の一枚。
OLYMPUS-PEN S3.5 : Ferrania Solaris 400
木屋町と河原町通りの間、東西の伸びる小さな路地のひとつで撮った猫の写真です。と云っても猫は塀のかなり向こう側で小さくしか写ってません。小さくしか写ってなくてもなんだかこちらを怪しげに伺ってる様子は分かったりします。
実はこの写真、猫は小さいけどこのフィルムに収めた写真の中では同志社の横断歩道の写真と同じくらい気に入ったものだったりします。全体の構図の決まり方とか粒子が目立つ塀や縦に伸びるパイプの質感、全体の色味など、絵画主義的な写真が好きなわたしとしてはなんだか凄くかっこいいという感じ。猫も猫の写真と見るなら小さすぎるんですけど、写真の全体の雰囲気からするとこのくらい小さくてもいいんじゃないかとも思います。
粒子が粗くてざらついた感じになってるのは露出不足の結果。露出計を持っていて露出を外してしまってたら世話ないんですけどね。でも以前この場所同じ位置におそらく同じ猫を見つけた他の時にも一度写真を撮ったことがあって、その時もまったくうまく写せなかった場所でした。開けてる側の光の量に引っ張られてしまうんでしょうけど、だからといって光を制御して路地塀の様子が綺麗に撮れたからといって面白い絵になるとも思えないから、この場所はうまく写せないほうがいい妙な場所なのかもしれません。
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Baden powell-Deve ser amor
VIDEO 森の木陰で妖精がどうのこうのと書いたのはこの曲のことに違いはないんですけど、この演奏ではなくハービー・マンがアルバム「Do the Bossa Nova」のなかで演奏したものの印象です。でも探したけどハービー・マンのほうは見つかりませんでした。こっちはバーデン・パウエルの、いわば作曲者本人バージョンの演奏です。といってもハービー・マンのほうにもパウエルはギターとして参加してるんですけどね。
妖精のダンス的な印象はおそらくハービーマンのメロディアスなフルートの乱舞にあったんだと思います。このパウエル・バージョンはパウエルのパーカッシブなギターの部分とかはまさしく自分の曲という押しの強さはあるんですけど、同じようにフューチャーされてるフルートが、終盤になってハービー・マンのように動き出すところからようやく妖精の木陰のダンス風にはなってくるものの、ハービー・マンのものを聴いてしまうと、やっぱりちょっと物足りないです。
それにしてもパウエルのギターは力強い。
ボサノヴァってそよ風のように優しげな印象があるのに、歌はそんな風に歌っていてもリズムを生み出していくギターのタッチは意外とメリハリの利いた印象のが多いです。
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今回の記事を書いて読み直したりしてるうちに近畿でも梅雨が明けました。
今日(7月8日)外出してる時に空を見上げれば、昨日までとは明らかに違う空の感触。立体感のある雲が強い日差しと一面の空の青のなかに浮かんでいて、ちょっと異界風の印象に惹かれて何枚か写真を撮りました。
ということで今回の記事のおまけに、今年の夏初日の空の景色をアップしておきます。
それと京都は今祇園祭の真っ最中。夏の祭りとともにしばらくは暑い盛りの毎日が続きます。
NIKON COOLPIX P5100