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【京都】ハッセルブラッドを連れて、夏の比叡山でケーブルカーに乗ってくる。 +ファッショナブル・イタリアン・サンバ

お盆前に一度比叡山へ行ってケーブルカーに乗ったことは前の記事にちょっと書きました。その時実際にケーブルカーに乗ってる間、ケーブルカーってこんな感じなんだというあまり体験したことのない感覚は、眩暈を起こしそうになったのも含めて面白かったものの、受けた感覚への刺激を意外と冷静に観察してるような感じだと自分では思ってました。
比叡山を降りて帰る途中で、ムツミにその日に撮った写真を現像に出して、メインカメラとして連れて行ったハッセルブラッドのフィルムは仕上がるまでに一週間ほど、でもサブとして持っていってた35mmのLC-Aのほうはその日のうちに一時間ほどで仕上がったので、出来上がった写真をそのまま持って帰って、その夜色々と眺めてました。
そうやって今日乗った比叡山のケーブルカーの写真なんかを見てあれこれ思い出してるうちに、ケーブルカーに乗ってた時はどちらかというといろいろと観察してただけと思ってたのに、なんだか乗っていたその時、傾斜した床のバランス感覚とか斜めに通り過ぎていく風景とか、分岐点での上り下りの交差というイベントとか、自分は思ってる以上にそういう感覚、出来事を楽しんでたこと、そういう体験すべてが文句なしに楽しかったことにいまさらのように気づいたんですね。そして自分がその時本当は楽しかったんだと気づいてみると、写真眺めてるうちにもう一度乗ってみたいなぁって思い始めてました。
そんな気分の高まりがあったうえに写真を撮り足りない気分も加わって、その夜写真を眺め終わった頃にはお盆の間にもう一度ケーブルカーとロープウェイに乗ってこようと決めてしまってました。

京都からは、というかどこからやってきても比叡山の山頂に至るルートは2つあります。一つは京都の北、八瀬からケーブルとロープウェイを使って山頂にたどり着くルートと、もう一つは滋賀県から、こちらは琵琶湖湖畔の坂本というところから坂本ケーブルを使って山頂を目指すルート。もちろん乗り物は使わないで登山で頂上を目指すトレイルのルートもあって、こっちが比叡山山頂へ至る行程を体験する際の王道なのかもしれないけど、今回の目的にはまったくそぐわないルートなので、これはちょっとパス。
京都からだと八瀬のほうが圧倒的に近いような気がして今回のルートは八瀬からケーブルとロープウェイを乗り継いで頂上に到達するほうを選びました。比叡山って京都と滋賀の境界をまたいで屹立してる山で、延暦寺は住所的には滋賀のほうに入っています。そのせいなのか八瀬は京都のイメージでも比叡山となるとわたしにとっては京都とはちょっと別の場所という印象がありました。

八瀬といえば天皇が崩御した時にその棺を担ぐ役割を与えられた八瀬童子が有名で、実際に昭和天皇の時にその名前が表舞台に出てきたので、結果的には宮内庁から依頼されなかったために担ぎはしなかったんですが、知ってる人も多いかもしれません。
そういう秘密任務を与えられた人が住んでる場所というイメージや、山に通じるケーブルカーの駅がある場所というイメージで、わたしにとって八瀬というとなんだか現代の都市とは断絶した人里はなれた隠れ里といった感じの場所になってます。でも東に行けば京大、西に行けば御所に同志社というくらいの街中にある叡山電鉄の始発駅、出町柳から八瀬行きの電車に乗れば20分もしないうちについてしまうような場所に位置してるんですね。運賃は260円。それこそ街中で移動する程度の距離感覚で山のふもとの町についてしまいます。叡山電車に乗ってると、これは今時珍しいかもしれない路面電車なんですけど、八瀬の駅に着く手前あたりから線路脇に急速に緑の量が多くなってきて、それまで街中を走っていた印象から別の世界に入っていくような変化を体験することになるはず。この変化はちょっと面白いです。

叡電 八瀬比叡山口駅
Hasselblad 500C/M Carl Zeiss T* Planar 80mm F2.8 : FUJICOLOUR PRO400

八瀬比叡山口駅 改札
LOMO LC-A : Agfa Vista 100

両方とも叡山電鉄の八瀬方面の終着駅である八瀬比叡山口駅の写真です。ケーブルカーに乗るならこの駅まで叡山電車に乗って来ることになります。ドーム状の屋根が意外と風情があって、小さな古びた駅なんですけどそのわりにフォトジェニックなところも併せ持ってます。この辺りは昔「八瀬遊園」っていう遊園地があったところで、その頃の賑わっていた雰囲気が今の駅舎にも木霊のように響きが残ってる感じがして駅の佇まいにニュアンスを付け加えてるようでもあります。
それにしてもハッセルブラッドで撮ったほうは立体感があるというか、職人のその日のウォッカの量で出来が異なるというロシアの気まぐれカメラLC-Aと比べるのも何なんですけど、歴然と写りの差が見分けられます。まぁLC-Aの写りもそれはそれで結構好きではあるんですけど。

この駅の裏というか、すぐそばを川が流れています。これは高野川なんですが、そのまま下流に下っていくと出町柳の三角地帯で賀茂川と合流して鴨川となっていきます。八瀬比叡山口駅を出るとすぐ前にこの川を渡る木造の橋があって比叡山ケーブルの駅に行くにはこの橋を渡ることになるんですが、橋のところまで来て高野川のこの辺りが夏の間は水遊びをする場所として利用されてるのを眼にすることになります。それも特に水遊びをする場所として設けられてるわけでもないのに結構賑わってます。地図を見ると近くにリゾート用の社員寮のようなものも見受けられるので、ひょっとしたらそこの住人が水遊びの場所として利用してるのかもしれません。

高野川で水遊び
LOMO LC-A : Agfa Vista 100

このまま下っていくと上に書いたように鴨川になるんですけど、同じ川なのに三条だとか四条辺りでこれほど水遊びしてるのも見ないからやっぱり山間に流れる川というのが街中を流れてる部分と決定的に違う雰囲気を持ってるんでしょう。随分と開放的というか、周りに遊戯施設的なものもないので駅から出てきた眼にはいささか唐突に飛び込んでくるちょっと予想を外れた光景でもあります。

高野川の橋を渡って道しるべにしたがって、というかそんな道しるべに従わなくても道なりに歩いていくだけで、5分もしないうちに叡山ケーブルのケーブル八瀬駅に到着します。

木陰の道を歩いてたどり着いたケーブル八瀬駅。
ケーブル八瀬駅
LOMO LC-A : Agfa Vista 100

ケーブル八瀬駅内1
Hasselblad 500C/M Carl Zeiss T* Planar 80mm F2.8 : Kodak Portra 400NC

ケーブル八瀬駅内2
LOMO LC-A : Agfa Vista 100

出発を待つケーブルカー
Hasselblad 500C/M Carl Zeiss T* Planar 80mm F2.8 : Kodak Portra 400NC

まさしく田舎の鄙びた駅という風情。ケーブルカーが発着場にいない時は改札は終了したので次の発車までお待ちくださいという札がかけてあるだけになってます。さらにどうやら看板猫もいる模様。

お盆前に最初に来た日、ここで切符を買う時にちょっと迷いました。売ってる切符は大まかに云うとケーブルカーのみの乗車券と、ケーブルカーとそのあとのロープウェイの乗り継ぎも出来る乗車券、それと山頂にあるガーデンミュージアム比叡山の入場券が込みになった、このルートにある施設すべてが利用できる切符の3種類。この3種類で何を迷ったかというと、ケーブルカーの終着駅を下りた場所でいろいろ写真を撮る場所が多かったらここだけで一日費やして、ロープウェイだとか、一応最初の目的は頂上のガーデンミュージアムだったんですけど、そこまでは回れないかもしれないと思ったからなんですね。それで最初の時はとりあえずケーブルカーの片道切符だけ買ってケーブルの終点まで上ってみようと思いました。

前の席に陣取ってみる
LOMO LC-A : Agfa Vista 400

座ったのは進行方向左側の前のほうの席。実は写真でも分かるとおり最前列の席はまだ前に一つありました。でも車両の係りの人と並ぶ位置だったのでちょっと気恥ずかしくて座れませんでした。いい年した大人が子供みたいに最前列の席に座って何してるとも思われそうで。
この右に見える係りの人、最初に乗った時ハンドルを前にして座るのを見て、ケーブルで引っ張ってる車両にハンドル?なんて思って不思議でした。あとで叡山ケーブルのホームページを見てみると、このハンドルは車両を右左に動かす通常の意味合いのハンドルじゃなくて、駅に到着した時のショックを和らげるのが目的の装置なんだそうです。この係りの女の人も、終着駅のコントロール・ルームと連絡を取り合う以外は、叡山ケーブルの観光案内役という感じで、運転してるようには見えなかったです。ちなみに2回乗って2度観光用の解説を聞いたんですけど、手馴れたものでした。

ケーブルカーは上りと下りの2車両が線路の全行程と同じ長さのケーブルで結び付けられて、比叡山中腹にある終着駅の滑車に引っ掛けられ、滑車の両側に振り分けられたような形になってます。釣瓶方式というんだそうで、片側が始発の駅にいるときはもう片方の車両は必ず終着の駅にいることになるわけですね。
ケーブルの長さは線路全長分あるから、始発駅から終着駅の行程を二分したちょうど中間点で上りと下りの車両がすれ違うことになります。すれ違う場所はこの一箇所しかないから、線路が分岐してるところはこの部分だけ、あとの線路は一回に1車両しか通らないのが分かってるから2車線も作るような無駄なことはしておらず、シンプルなんだけど理屈が具体的に形になってるようなところがあって、面白かったです。

日本で最大の高低差を短時間で上りきるケーブルカーらしく、行く手の線路はまるで壁でも立ちはだかってるような様相になってます。乗る時に乗り場の階段の傾斜と停車してるケーブルカーの床の傾斜が同じじゃないために乗った瞬間どこが平行なのか分からなくなって一瞬にして眩暈を起こしそうになり、そのあとで競りあがっていくような線路を見てるとさらに眩暈を誘発して倒れるんじゃないかと本気で心配になって、このところ炎天下を歩き回るのに塩飴なんていうのをポケットに入れていってたので、その飴をしゃぶって気を落ち着かせてました。

前のほうの左の席を取ると、この競り上がる線路だとか文基地点で必ず交錯するケーブルカーのダイナミズムなんかを体感できるものの、景色は左手の比叡山の森と目の前の線路しか見えないのでかなり物足りないところもあります。特に中間地点辺りではケーブルカーの右手にはるか下界に遠ざかりつつある京都市内の様子を眺め渡せるところがあるので、左の席を取るよりも右側の席か最後尾の席を取ったほうが視覚的にはスペクタクルに満ちてるんじゃないかと思います。
急斜面を登っていくケーブルカーだから最前列が一番良い席のように思えるかもしれないけど、最後尾が実は思いも寄らないほどの特等席だったりします。

☆ ☆ ☆

10分ほどの行程で、平衡感覚がパニックを起こしかけてたのを落ち着かせようとしてたのが効を成してくる頃に終着駅に着きました。
終着の、といっても駅二つしかないんですが、ケーブル比叡駅。

ケーブル比叡駅
Hasselblad 500C/M Carl Zeiss T* Planar 80mm F2.8 : Kodak Portra 400NC

ケーブル比叡駅、内部
LOMO LC-A : Agfa Vista 100

麓のケーブル八瀬駅も古い建物だったんですが、この駅も古い建物でした。創業当時のままでまだ使ってるんじゃないかと思わせるくらい。中に入ってみると薄暗くて窓や入り口から入る陽射しが柔らかい空間を形作ってます。駅の内装は古い学校の校舎のような感じがしてました。

ケーブルカーの終点の駅なので乗客はここで強制的に降ろされます。そういえば最初の日にケーブルだけの片道切符を買うと始発の駅の改札でせっかく買った切符を取られてしまい、降りるときに切符を要求されたらどうするんだろうと不安だったんですけど、全員がこの駅で降りるしかないというのが分かってるなら、乗る時に料金を払ったことが確認されればそれでいいということなので、切符を始発の駅で取られてしまうのは意外と合理的であることに気づきます。
ケーブル比叡駅を出たらすぐ前に叡山ロープウェイの駅がありました。ケーブルカーの駅との間には小さな広場くらいの空間が開いてるだけ。

八瀬ケーブル・ロープウェイ・ルート中間地点
Hasselblad 500C/M Carl Zeiss T* Planar 80mm F2.8 : FUJICOLOUR PRO400

この中継地点に、わざわざ乗り換えさせるくらいだから、きっといろんな見るべきものがあるに違いないと思ってケーブルカーの片道切符だけ買ったのに、中継地点にはこのロープウェイが発着するのを待つための場所らしい小さな広場があるきりで、他には何もありませんでした。それでもせっかく降りたんだから他のケーブルカーの乗客がそのままロープウェイに乗ってさっさと上って行くのを尻目に、わたしはすぐにはロープウェイには乗らずにちょっと周囲を散策してみました。
目に付いたのは延暦寺に向かうトレイルコースだとか、おそらく修学院辺りの方角からここまで続く登山道の到着点、京都市内を展望できるちょっとした展望台があるくらいです。延暦寺まで徒歩1時間以上(2時間以上だったかな)だとかそんな山道は覚悟でもないと登れそうに無く、写真を撮るにしても木立の間に消えていく登山道ではシャッターを切る欲望もあまり湧かずに、展望台でしばらく京都の町を眺めたり広場の椅子に座ったりしてただけで、結局何をするでもなく次にやってきたロープウェイに乗ってしまいました。
一つ遊戯施設というほど大層なものじゃないけど、ここにはかわらけ投げの場所がありました。空中に設置されたわっかになにやら願い事でも書いた陶器の小さなお皿を投げ入れるというものですが、でもこれ一人でやってもまるで面白くなさそうなので、他の人がやってるのを眺めてただけでした。

叡山ロープウェイ
LOMO LC-A : Agfa Vista 100

叡山ロープウェイ 比叡山山頂
LOMO LC-A : Agfa Vista 400

ロープウェイは足を踏み入れただけでゆらゆらと揺れ、駅で乗り込むための階段にごつごつとぶち当たるのがちょっと恐怖心を掻き立てたものの、高所恐怖症のはずなのに出発して空中に浮いてからはなぜか恐怖心が収まってしまいました。帰宅後、山頂の駅から下のほうを眺めて撮った写真を見ても若干冷や汗が出そうな気分になったのに。
空中に浮いてる間、下を眺めてるとおそらく中間地点で延暦寺に向かうトレイル・コースと案内されてた登山道だと思うんですが、そういう道がはるか下を通り過ぎていきます。
昔比叡山には人工スキー場があって、ちょっと調べてみたらどうも施設の建物とかはまだ残ってるような感じ。おそらく一種の廃墟になってるんじゃないかと思うんですけど、ケーブル比叡駅からロープウェイに乗らずにトレイル・コースを歩いていくとその廃墟に出くわすようです。これを知ってからこの登山道をそのうち歩いてみたいと思うようになりました。

それとすれ違う時はやっぱりちょっとした見せ場になってますね。冷静に考えると本当にただすれ違ってるだけなんだけど、両車両の乗客は対面側のロープウェイが近づいてくると必ず間の空間を通してお互いに見交わしてるし、気分は騒ぎ気味になったりします。

ロープウェイの搭乗時間は約3分ほど。あっというまに頂上に到着します。頂上に着くと目の前にガーデンミュージアム比叡という、一言で云うと何だろう?庭園美術館とでもいえるような施設が現れます。
こちら側のルートで山頂にたどり着くと延暦寺ではなくて、この庭園に対面することになります。ここから延暦寺へはシャトルバス経由か徒歩で登山道を歩いて行くことになっています。滋賀県側の坂本から坂本ケーブルのケーブルカーに乗っていくと延暦寺に着くんですけど、延暦寺へ行くなら京都からだとどちらが早いのかな。

今回は延暦寺まで足を伸ばすつもりは無かったので、この山頂の庭園美術館に入って一休み。入場料は1000円でした。わたしは最初に行った時は降りる駅それぞれにいろいろと風変わりなものがあるかもしれないと思ってたので、単独でそれぞれの切符を買って乗り継いで行ったんですけど、最初からこのガーデンミュージアム比叡に行くつもりならこの美術館の入場料とケーブル、ロープウェイ両方の往復運賃を含んだオール・イン・ワンの切符を売ってるので、それを買ったほうが結構得になります。お盆に2回目にやってきたときはわたしはこの全部入った切符を買いました。

ガーデンミュージアム比叡1
Hasselblad 500C/M Carl Zeiss T* Planar 80mm F2.8 : FUJICOLOUR PRO400

ガーデンミュージアム比叡 展望台
Hasselblad 500C/M Carl Zeiss T* Planar 80mm F2.8 : Kodak Portra 400NC

ガーデンミュージアム2 睡蓮
Hasselblad 500C/M Carl Zeiss T* Planar 80mm F2.8 : FUJICOLOUR PRO400

ガーデンミュージアム比叡3
Hasselblad 500C/M Carl Zeiss T* Planar 80mm F2.8 : FUJICOLOUR PRO400

ガーデンミュージアム比叡 花咲く庭園
Hasselblad 500C/M Carl Zeiss T* Planar 80mm F2.8 : FUJICOLOUR PRO400

ここは以前は比叡山山頂遊園地があったところ。その遊園地にあった比叡山のお化け屋敷は非常に有名なところでした。このお化け屋敷はある種子供にとっては比叡山の永続的で代表的なイメージだったので、まさかなくなってしまってたは思いもよりませんでした。そういう代表的なイメージのものであっても、時代の変遷によって様変わりしていくものなんですね。
考えてみれば八瀬遊園も人工スキー場も山頂遊園地もこの辺りにあったものすべてが虚空のかなたに消え去ってしまってます。この辺りでの商売は観光地としてはちょっと難しいところでもあるのかなぁ。それぞれ皆から馴染みがある名前だったりするのでそういうのがすべてもうこの世界に存在してないんだと思うとなんだか感慨深いです。
でも2枚目の写真の展望台はガーデンミュージアムに入った時どうも見たことがあるという印象だったんですけど、これは山頂遊園地の時からある展望台をそのまま流用してるようでした。上ってみるとまだ新しいガーデンミュージアムの印象とは明確に違う古びた印象があって、ちょっとタイムスリップしたような感触が味わえるところがあります。

懐かしい展望台内
LOMO LC-A : Agfa Vista 400

この庭園美術館は基本は南仏プロヴァンス風の庭園ということなんですが、ただそれだけの庭園というわけでもなく、印象派などの有名な画家が残した絵画をモチーフにして造形されてます。写真のボートが浮かんでる池はモネの睡蓮の池を模したもの。要するに絵の世界が立体的に展開してる場所という感じです。
ただこういう味付けは趣向としては面白いんですけど、こういうコンセプトでは全部が複製品、有名絵画の立体的なまがい物という印象も付随することになって、正直なところそういう部分はもう一つかなという感想は持ちました。絵で見ていた世界に立体的に入り込んでるような気分は味わえるんですけどね。
単純に南仏プロヴァンス風庭園でもよかったと思うけど、広い庭園内をその一つのコンセプトでは展開し切れなかったのかもしれないですね。ただの庭園ではお客さんを呼ぶ仕掛けが足りないと判断されたのかも。

一番上の写真はミュージアム内のレストランのテラス席。フィルムの交換とかやる必要があったのでここで遅い昼食がてら休憩してます。ちなみに特別のランチは昼少し過ぎに行った時点で既に終了。行った二日ともそうでした。そんなに極端にお客さんが来てるわけでもないから、用意してる数量自体が少ないんだと思います。食べ物はセルフサービスで正直なところそんなに言うほど美味しいとも思わなかったんですけど、テラス席から麓の琵琶湖湖畔が見えていたりして、雰囲気はそれなりによかったです。こういうところで働いてる人って通勤にケーブルとロープウェイを使ってるんでしょうか。なんだか毎日わくわくしそうな通勤のようにも思えます。

庭園内でハッセルブラッドをメインに写真を撮って歩き回り、展望台に上がって景色を見たりしながら時間をすごして、撮り終えたフィルムをその日のうちに現像に出したかったので、夕方になる前に麓の八瀬まで降りてきました。
比叡山の頂上に行くというとなんだか山登りのイメージが強いので、身構えてしまうところがあるんですけど、ケーブルカーとロープウェイを使うと20分もかからずに山頂までいけるんですね。そう考えると随分と身近な感じになるというか、あまり気負わずに出かけられそうと思いました。今回の2回の散策は延暦寺は対象に入れてなかったけど、もう一つのケーブルカー、滋賀県側からの坂本ケーブルも乗ってみたいのでその時は延暦寺が目的になると思います。涼しくなったら山道を歩いてみるのも楽しそう。
霊峰比叡山に登ったにもかかわらず、遊園地的感興に終始した今回の比叡山行きでしたけど、次に行く時はスピリチュアル・パワーも浴びてみたいです。

涼しくなるといえば、最初に頂上に行った時は下界からは分かるほど気温が低くなると思ってたのにそれほどでもなくて、汗かきながらハッセルブラッドを構えたりしてました。でも2回目に行った時はそんなに期間が離れていたわけでもないのに、体感で分かるほど吹く風が冷たくなってました。ガーデンミュージアムではトンボがかなり飛んでたりして、季節が急速に移り変わっていくのを目の当たりにしてるようでした。




☆ ☆ ☆




Piero Piccioni - Samba Fortuna


イタリアのラウンジ・ミュージック、映画音楽などを代表する作曲家ピエロ・ピッチオー二の作った映画音楽。映画のほうは未見なんですけど、なんだか怪しげな医者が出てくるコメディ映画のよう。でも医者が出てくるようなコメディ映画についてる音楽とは到底思えない洒落た音楽です。
イタリアン・サンバという感じが問答無用にファッショナブルで、マーチ風のアレンジも、わたしは中学の時にブラスバンド部に入ってたせいなのか結構マーチング・バンドって好きなので、このアレンジもつぼにはまりました。




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ちょっと休息。

比叡山のロープウェイ
LOMO LC-A : Agfa Vista 400

お盆でもあるし、しばらくブログを休憩することにしました。再開の折はまたよろしくお願いします。
夏の疲れが出始める頃かもしれないので、暑さ対策を万全にして乗り切っていきましょう。

写真は先日比叡山に行った時に乗った、八瀬から上っていくルートにあるロープウェイです。面白かったのでまた遊びに行ってみたいです。

☆ ☆ ☆

また曲を一曲。
同じくジョアン・ドナートの曲です。
相変わらず和音構成は洒落てるし、メロディアス。さらにこっちはもうちょっとはねるような独特の躍動感があって、もともとクールな音がでるエレピで演奏してるせいなのか、陽気なタッチで耳に届いてくるのが新鮮で面白いです。
歌を歌ってるのもジョアン・ドナート本人。このアルバムで始めて歌も歌うことになったんですが、歌うトランペッター、チェット・ベイカーの歌は聴く気にはなれないのに、ジョアン・ドナートの歌はなんだか素朴であまり抵抗感がないです。

Joao Donato - Chorou, chorou



☆ ☆ ☆


ケン・エ・ケンケン・エ・ケン
(2008/05/14)
ジョアン・ドナート

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廉価版でリリースされたものですね。でもこれもどうやら廃盤の様子。

【展覧会】ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展 +オリンパスペンS3,5と一緒に散策(続) +夏の日の木陰で

3日の日、河原町BAL地下のMuji mealで昼食をとった後、上の階に入ってるジュンク堂へ本を漁りに行き、写真関連の雑誌でも見てこようかと美術書のコーナーに立ち寄った時にヤン・シュヴァンクマイエルの展覧会のポスターが貼ってあるのを見かけました。ポスター近くに設置してある平台を見れば、そこではシュヴァンクマイエル関連の書籍と雑誌が積まれていて特集を組んでました。
シュヴァンクマイエルってわたしにとっては最近は随分とご無沙汰してる作家だったんですけど、特集としていろんなものが目の前に積まれてると、基本的には関心もあり嫌いじゃないから興味を呼び起こされて、本当は写真の雑誌でも見てこようと想って美術書のコーナーに足を運んだのに、そっちへ行く前に平台に乗ってた本を何冊か眺めてみることになりました。置いてあったのはアリスなんかの本にシュヴァンクマイエルが挿絵を製作したようなのが中心になっているようでした。

展覧会1

展覧会2
展覧会チラシ 表と裏

シュヴァンクマイエルは、チェコが生んだシュルレアリストでありアート・アニメーションの作家。チェコのアニメーション作家といえばわたしは「悪魔の発明」を撮った、カレル・ぜマン(昔はゼーマンと表示してたんですけど最近はぜマンに変わったみたい)なんかを思い浮かべたりするわけで、シュヴァンクマイエルは共産主義下で弾圧されながらも製作を続けたらしいですけど、チェコというのはなんだかアート系のアニメーションが生まれてくる土地柄でもありそうな気がします。実際にパリでシュルレアリスムが展開されていた時にチェコでも同じくシュルレアアリスム運動が生まれ、パリと交流していたらしいので、東欧における芸術の都でもあったんだと思います。

ジュンク堂の特設コーナーではシュヴァンクマイエルが挿絵を製作した本が中心になっていて、映画関連は雑誌「夜想」が特集したものとか置いてあったものの数が少ない様子でした。
わたしにとってシュヴァンクマイエルは静止した絵画を制作する人というよりも映画「アリス」のような、物語の骨格だけを援用してそこからインスパイアされた奇矯なイメージとオブジェで溢れかえったようなユーモラスでグロテスクなアニメーション映画を撮ったのに代表される、映像の作家でした。
だから挿絵製作のシュヴァンクマイエルはわたしの興味から行くと若干中心軸を外してる感じがあって、平台の特集は写真の雑誌のほうに向くわたしの足をそちらのほうに向かわせるだけの吸引力はあったものの、それなりの関心を呼んだに過ぎませんでした。でもその特集のコーナーを作るきっかけとなった展覧会のほうはちょっと興味を引くことになりました。
というのもポスターを見ると副題に「映画とその周辺」とあったから。ポスターによるとどうやら展覧会は映画関連の物を扱ってるらしいんですね。興味があるとはいえしばらくシュヴァンクマイエルの映画からは遠ざかっていたわたしとしては、この副題で以前持っていた関心を若干呼び起こされる形になりました。

展覧会場はポスターによると京都文化博物館らしい。しばらく改装工事をやっていて休館状態が続いていた施設です。再開したのは知っていたけどこういう展覧会をやってることは気がつきませんでした。京都文化博物館は河原町のBALからだと歩いていっても10分もかからない場所にあります。それで遠くの美術館とかだったらまた日を改めてということにでもなってたんでしょうが、こんな近いところでやっているならと、この日は展覧会に行く予定でもなんでもなかったけど立ち寄ってみることにしました。わたしは展覧会に行くとか、結構前準備的に気分を盛り上げて、さぁ全神経を集中して鑑賞してこようというような決めの状態になってないと行く気にならないところがあるので、こういう出かけたときはまったく予定もなかったのに思いつきで美術館的なところに行くっていうのはわたしとしては結構珍しい行動パターンでした。

☆ ☆ ☆

京都文化博物館
Nikon Coolpix P5100
三条通りからみた京都文化博物館

文化博物館別館
Nikon Coolpix P5100
文化博物館別館出入り口
Nikon Coolpix P5100
こちらは別館の入り口。展覧会を見終わって外にでてから撮ってます。

三条通をまっすぐに歩いていくと程なく京都文化博物館に到着。何の気なく本館の入り口から入ったら、「日本画 きのう 京 あす」というべたなしゃれを織り込んだタイトルの展覧会が目に付くものの、シュヴァンクマイエル展の案内が見つかりません。すぐに分かったんですがシュヴァンクマイエル展は本館じゃなくて別館のほうで開催されてるということでした。このべたなタイトルの展覧会は新装オープンのニュースで知ってたので、シュヴァンクマイエルのほうは主要な展覧会扱いでもなかったということでしょう。
それでせっかく本館から入ったのにその足で別館のほうの通路に足を運ぶことになりました。

案内表示
Nikon Coolpix P5100
別館への案内です。

案内にしたがって本館から別館へ続く通路の途中、真夏の太陽が真上から焼き尽くそうとしてる中庭のテラスの誰も座ってないカフェのテーブルを横目に進み、別館のほうに入って建物内部を少し進むとシュヴァンクマイエル展の会場がありました。

どうみてもとんべり
Nikon Coolpix P5100
炎天下のテラス。今年の10月29日から始まる国民文化祭・京都2011のマスコット「まゆまろ」が孤独に突っ立ってました。これ最初に見たとき「とんべり」だと思ったのはわたしだけじゃないはず。ほうちょうを持ってゆっくりと近づいてきそう。

☆ ☆ ☆

別館は旧日本銀行京都支店の建物をそのまま使っていて、古い建築物の積み重なった時間と歴史が重厚な空間を作ってる場所です。広さは中程度の講堂くらいでそんなに広いとも思えないんですけど、広い天井にしつけられたシャンデリア状の証明器具からの柔らかい光が満ちていて、凄く落ち着いた優雅な空間を形作ってました。
シュヴァンクマイエル展はそのあまり広くもない空間を曲がりくねった通路状に仕切って作品を展示する形で開催されてました。

ここでわたしの早とちりが発覚します。この展覧会実は前期と後期の二部構成になっていて、今回の開催は前期のものとなります。そして副題の「映画とその周辺」というのは実は後期の展覧会のほうだったんですね。それで今回の前期の副題はなんだったかというと「the works for Japan」というものでした。わたしが期待した映画関連のオブジェや小道具は今回は一切展示されておらず、一番期待したものは見事に肩透かしを食らう形となりました。
まぁそれでもせっかく来たのだし、同じシュヴァンクマイエルの展覧会だからとりあえず見て帰ろうと思って入場券を買って中に入ってみます。入り口では切符切りの女性が来場者全員にカメラと筆記具の使用は禁止ですと云って回ってます。わたしはこのときは目立つカメラは持ってなかったんですけど、会場の中で作品を見てるときに首から大きなカメラをぶら下げた女性も入ってきていたので、禁止だからといって入り口でカメラを取られるような事もなかったようでした。

☆ ☆ ☆

会場は上に書いたようにそれほど広い場所でもなくて、実際に展示されてる作品も数はそれなりに多かったんですけど、種類としてはあまり多くないという印象でした。
展示されていたのは主にシュヴァンクマイエルのドローイング、コラージュなどの平面作品と最新作の映画関連で絵コンテだとかシノプシスなどの紙媒体による資料、京都の彫り師や摺り師とのコラボで作成した木版画、細江英公によるシュヴァンクマイエルのポートレイト写真などでした。
平面作品として展示されていたのは新装版「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」のための挿絵の原画、江戸川乱歩の「人間椅子」のために製作された挿絵としての平面作品、ラフカディオ・ハーンの「怪談」のための挿絵作品など、わたしの期待したオブジェに関しては映画関連のものではなくて、「人間椅子」の挿絵として作成されたものが展示されている程度にとどまってました。
新作の映画以外は何らかの形で日本が絡んでるものを集めた形になっていて、それが副題の意味合いだったようです。

会場に入ってすぐに眼にすることになるのは「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」のための挿絵の群れ。まさしくシュルレアリストの真骨頂とも云うような、他の紙媒体から切り取って持ってきた様々なイメージを素材として貼り合わせて作ったコラージュ作品が並んでます。コラージュはシュルレアリストたちが好んで使った方法で、そこから生み出されるものは異質のものをぶつけ合わせた時に生じる痙攣的な美といった具合に表現されたりします。でもコラージュそのものは今ではありふれた手法であり、シュヴァンクマイエルのこの挿絵も手法においては驚異的な印象を与えるものでもなかったです。
映画同様にルイス・キャロルの元のお話に囚われることなく、そこからシュヴァンクマイエルが拾い出し、自らの感覚に添うような形で展開させた独自のイメージが紙の上に定着させてあります。コラージュというと、もともとシュルレアリスムは意識で縛られない無意識的な何かを導き出す試み、方法論といった側面があるので、その手法が異質のイメージを他の紙媒体から切り抜いてきて一つの場所に再配置した時に現れる「痙攣する美」というものを目的とするなら、出来上がった痙攣的なイメージは作者の意識、感性や個性といったある種閉じてしまってるものをはるかに凌駕するもの、匿名的なものとして立ち現れてくるはず。でもこの一連の挿絵の群れを眺めてると、そういう作者の輪郭を超えて広がるはずのコラージュのイメージもきっちりとシュヴァンクマイエルの刻印が刻まれてるような印象として入ってきます。これは意図としては未見のイメージに向かうためのコラージュというよりも、シュヴァンクマイエルの感性にそう形で、その感性が導く先にある完成形に相応しい素材ばかりを慎重に選んで作成していったコラージュなんだろうなという印象を受けました。たとえば無意識的に他の媒体から切り取ってきた素材とみえて、実は切り取る時にしっかりと作者が自分の好みに沿うものを切り取ってるという感じ。ただコラージュという形を取る限りいくら好みの素材を切り貼りしてきても、直接的に絵筆を取ってコントロールしていくような絵画よりもより多く、シュヴァンクマイエルという閉ざされた自我の形があいまいになるような領域を持ち込むことになるんですけど、シュヴァンクマイエルはそういうあいまいな領域に何か可能性を見出そうとしてるような感じの作り方をしているようにみえました。
ちょっと思ったんですけど、写真撮る時にファインダーの中で隅から隅まで完全に意図的なガチガチの構図を作るのに飽きてきたりパターン化しそうになってきたりする時に、撮る方向だけ意図に任せてあとはノーファインダーでシャッターを切るというような精神のありかたに似てるんじゃないかなと。
シュヴァンクマイエルはコラージュに関して「いつ終わるか分からないことは僕を安堵させる」といってるのも、この自我の外側に少し拡張されたあいまいな領域を持つことで、自我に閉じ込められる閉塞感から絶えず解放されるというような意味合いではないだろうかと推測します。

アリスの挿絵を見ていて、多様なイメージ素材の張り合わせによる、シュヴァンクマイエル風味のキメラ的な怪物世界といったものの面白さのほかに、コラージュ部分以外の画面を部分的に覆ってる模様、細かいものが中に充満してる繊毛の生えたアメーバー状模様といったもの、これがイメージ的には面白かったです。かなり執拗に描きこまれていて、実際にはデザイン的に考えられて要所要所に配置されてるものの、そんな統制力を離れて無限に増殖していくような印象もあり、わたしはこのアメーバーがアリスの挿絵の画面の余白全部を覆い尽くしたら、たとえばヘンリー・ダーガーに代表されるようなアウトサイダー・アートの中に入っていくんじゃないだろうかなんて思ったんですね。コラージュのほうは割りと意図に沿ったある種理性的なタッチが垣間見える感じでしたけど、こっちはかなり病的で妄想的なものが内部で膨らんでるような、ちょっと不安感を覚えさせるようなところがあって興味を引きました。

それにしてもシュヴァンクマイエルとアリスは相性が良いです。この新装版の出版に際してシュヴァンクマイエルに挿絵を依頼した人もそんな印象を持ってたんじゃないかな。

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二つのアリスのための挿画のコーナーの次に現れるのが江戸川乱歩の小説「人間椅子」のために製作された、同じくコラージュを使った平面作品の一群。映画でも絵画でもオブジェ志向を前面に出してる作家としてはテーマ的には凄くフィットしてる感じです。この展覧会では人間椅子の挿絵、紙媒体のコラージュが中心の作品から、ほとんど立体造形に近い印象の様々なオブジェを貼り付けた作品まで、触覚の芸術というカテゴリーでまとめられてました。
挿絵のほうはシンプルで抽象的な椅子のフォルムに眼と手が大きくコラージュされて、拡大された手と眼は特化された感覚を示し、わたしはあまり上手くないたとえではあるけど土着の感覚を抜いた寺山修二のようだと思うところがありました。それは貼り付けられたオブジェの実在感だとか、眼や手のリアルな写真のコラージュが呪術的なイメージを誇張してるように見えたからで、挿絵はシンプルな抽象画のようなある種クールな外見なのに、コラージュのそういう部分ではマジカルなグロテスクさを付け加えて、全体には歪んだような感覚が生まれているのはなかなか面白かったです。でもこの本、市販されてるんですけど買うかというと、あまり買うほうまでは興味は惹かれなかったかな。
触覚というテーマからこの挿絵には平面イメージを切り貼りした延長で毛の束だとかボタンだとかの立体物も直接貼り付けられています。ただこういうテーマだと本来的には絵に貼られた毛の束やボタンは実際に触られるべきなんですけど、さすがにそういうことはできないようでガラスの向こうにみえるだけ、触覚の芸術の癖に観客はただひたすら触角の感触を想像しながら「観る」という行為を強要されるコーナーでもありました。
あと、アリスの挿絵のほうでも思ったんですけど、実際に別の何かから切りとってきて、作品の中に糊で貼ってるといった痕跡が目の前に、ある種オブジェ的に見えてるという感覚は、絶対に印刷物からは感じ取れない感覚だったので、こういう切り貼りした絵のオブジェ的な質感が視覚的に体感できたのは、実物を展示してくれる展覧会に来た値打ちがあった部分だと思いました。絵の内容は新装版「アリス」や「人間椅子」を購入すれば簡単に眼にすることができるんですけど、ボタンが貼り付けてある絵は見られても、実際にボタンが貼り付けてある質感までは本では絶対に体験できないものだと思います。

それと錆びたおろし金?みたいなオブジェを貼り並べた作品がガラスケースに収まってたのは、映画「欲望」のジェフ・ベックのギターの破片の逆バージョンだなって思ったりしました。あちらはライブ会場を出るとただの木屑に変化しましたけど、こちらはただの錆びたおろし金が作品に貼り付けられガラスケースの中に納まることで作品的な計り知れない価値を付加されてるんですね。

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そのあと新作の映画の絵コンテとか、細江英公が撮影したシュヴァンクマイエルの作品にマッチさせたようなポートレート写真が展示されてましたが、これは余計だった感じでした。特に細江英公の写真はシュヴァンクマイエルのドローイングのスライドを本人の上に照射するといった形でのポートレイトで、写真の出来がどうのこうのという以前に、シュヴァンクマイエルの作品ですらなく、こんなのを展示するくらいだったらオブジェの一つでも置いてもらったほうが絶対によかったです。
日本の版画とのコラボもわたしは浮世絵とかも結構好きなので版画の手法は興味深かったですけど、あえてシュヴァンクマイエルと組み合わせる意味合いが良く分からないという感想で終わってしまいました。カタログを見ると日本の妖怪をモチーフにした版画原画が掲載されていて、これは一つ目の化け物とか幻覚を見てるような造形のものがあって面白いところもあったんですけど、実は展覧会にこれ展示してたかちょっと記憶がないんですね。会場で見たように思えないんだけど見落としたのかな。この妖怪たちの原画が展示されてたら版画のコーナーはもうちょっと興味を引いてたかもしれません。

ポートレートなどで少しはぐらかされたあと、展示としては今回の展覧会の最後となる「怪談」の挿絵を集めたコーナーに向かいます。実は今回の展覧会でわたしが一番面白く思ったのはこれでした。国書刊行会が出版したラフカディオ・ハーンの「怪談」のために製作されたコラージュ作品。
日本の妖怪のイメージをチェコの古い木版画にコラージュすると言う手法で作られてるんですけど、単純に木版画に描かれてる人物の頭を妖怪の頭と挿げ替えるようなコラージュじゃないんですね。これが凄く面白かった。
たとえば元の木版画に描かれていた人物のシルエット全体が、日本の妖怪の顔の一部分を切り出したものになってるようなイメージの衝突のさせ方をしてます。妖怪全体が画面に登場してるものは少なくて、多くは木版画の一部分が両方の対応を無視して妖怪の一部分に挿げ替えられてるような作品に仕上げられてます。
これが効果を成して、何か怪しいものが物陰に垣間見えるという感じ、視線の片隅に不気味なものが通り過ぎるといった感覚をコラージュの中へ盛り込むことに成功してるという印象でした。妖怪とか怪物とか正面きって出てきた時点で恐怖のほとんどは消え去ってるもので、そういう点から見るとこの一連の「怪談」の挿絵はシュヴァンクマイエルがこの挿画をさして「鳥肌」という単語を使って表現した恐怖感覚をとても上手い形で表出してるもののように思えます。それとこのコラージュのベースになってる古色蒼然とした古いチェコの木版画の世界も薄明の中に浮かび上がる、どこかこの世の果てにでも存在する異界という雰囲気を濃厚に含んで、というかそういう異質のベースに日本の妖怪を紛れ込ませることで日本ともヨーロッパとも違う非在の怪しい世界、彼方にある世界に向けて一気に異界化したようでそういう点で日本の古い世界にこのヨーロッパの木版画を持ち込んだのは大正解だったと思いました。
「人間椅子」は本として持ちたい欲望はそれほど起きなかったけど、これは本として手元においておきたいと思いました。
それとこの「怪談」の挿絵の展示されてる一角の床に枯れた蓮の花托を飾ったスタッフのセンスもよかったです。蓮の花托って抽象的な形のうえに乾いたグロテスクさが濃厚に漂って、こうやって飾られてみるといかにもシュヴァンクマイエル的というイメージで全然違和感がなかったです。

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こんな感じで会場を見回って、最後に設けられてた売店で目録とポストカードを2枚買ってこの日の鑑賞はお終い。ポストカードとか、どの展覧会でも売ってるようだし買ってる人は結構いたんですけど、これって買っても本当に誰かに出す人いるのかなぁ。わたしは完全に自分で持ってる用に買ってます。
結局今回立ち寄ってみた展覧会は「映画とその周辺」という副題の展覧会ではなかったし、シュヴァンクマイエルの最大の特徴であるオブジェの諸要素にもほとんど触れてないような展覧会だったので、期待はずれといえば期待はずれ、主流作品じゃないなぁと思いながら、時には流し見のようになりながら会場を通り過ぎていったら知らない間に出口にたどり着いてたという感じに近いものでした。
だから、オブジェと映画が中心になってるらしい後期のまさしく「映画とその周辺」というテーマでまとめられる展覧会に期待を繋ぐことにします。

わたしはシュヴァンクマイエルの映画DVDの馬鹿高い箱入りセットを持ってるんですけど、実はまだ全部観てません。後期の展覧会までまだ期間があるからその間に全巻踏破しておこうと思ってます。


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ちなみに展覧会の開催期日は前期が今月の14日まで、後期が2011年10月7日から23日までだそうです。
場所は京都文化博物館別館。
料金は当日券おとなは800円でした。前期後期共通の前売り券もあるようです。


ヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展 映画とその周辺 公式ページ


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怪談怪談
(2011/07/21)
ラフカディオ・ハーン

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ヤン・シュヴァンクマイエル コンプリート・ボックス [DVD]ヤン・シュヴァンクマイエル コンプリート・ボックス [DVD]
(2008/08/10)
ベドジフ・ガラセル、ブラザーズ・クエイ 他

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今回の記事とは直接的に関係はしないけど、わたしが持ってるシュヴァンクマイエルのDVDボックスというのはこれ。アマゾンでは廃盤になった上に若干値段が上がってる。なんか楽しい♪
発売当時でリリースされていたDVDをその時廃盤になっていたものもこれ用に再販して全部まとめたボックスでした。




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この前の祇園祭に持っていったオリンパスペン S3.5は祇園祭の写真を撮ることでフィルムの残りを消費し、一本最後まで撮り終えたんですけど、それまでに撮っていたものもあるのでその中から何枚かアップしてみます。72枚撮って現像に出したもので、結構メモ的に数撮った形になり、自分で見てもこれというのはあまりないロールになってました。日にちをかけて撮る形になってフィルムとしてのまとまりはないものになってましたけど、なかにはそういえばこういうのも撮ったなぁとすっかり忘れてたのもあって、そういう意味では72枚見通すのはそれなりに面白かったです。

高瀬川の木漏れ日
Olympus-Pen S 3.5 : Kodak Ektar100 Canoscan 8600F

祇園祭の記事に載せた木漏れ日写真の別の一枚。同じ時に撮ってます。これも割りと上手くいったほうじゃないかなと思います。高瀬川を横断する飛び石があったようなのに、なぜか今のところ取り去られたままになってました。

カエル
Olympus-Pen S 3.5 : Kodak Ektar100

高瀬川近辺で見かけたカエルです。街中でこういう人形を見たりするとなぜか撮りたくなって来ます。電気のメーターと風鈴も画面内に入れたかったのでこんな配置になりました。色とか影の具合が気に入った感じで出てます。

ジャズ喫茶
Olympus-Pen S 3.5 : Kodak Ektar100

エッタ・ジェームスの崩壊具合が眼を引いた看板だったんですけど、全体の崩壊具合に対して大人しく撮りすぎて面白さ半減といったところかなぁ。面白いものがあったからただ撮っただけという感じ。色味は綺麗に出てるし影の感じも好きなんですけど、もう一工夫必要だったかも。この店に入ったらどんな音が聞こえてくるのか想像できるようなところまで持っていかないと。
ちなみに場所は大阪、難波の裏通りです。京都よりもカオスが広がってるような場所。
こうやって並べてみて気づいたんですけど、主要モチーフが全部左寄りになってますね。

おそらく御堂筋線の心斎橋だったと思う。
Olympus-Pen S 3.5 : Kodak Ektar100

照明がかっこいい大阪の地下鉄御堂筋線。フィルムで前後に収まってた写真からおそらく心斎橋の構内だったと思います。駅によってこの照明の形が違ってるんですよね。
構内の雰囲気も黒っぽくてなかなかかっこいいかな。実際にはもっと明るい場所なんですけどね。写真に撮ってみるとこういう感じになりました。


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Joao Donato - Muito a Vontade


楽器としてはかなり大きな部類に入るピアノなのに、弾く人によって優しげな音色になったりと、随分振幅が大きい楽器だと、そういうことを改めて思い起こさせるような、夢見るように淡いピアノの響きが心地よい曲。わたしにとっては夏の木陰でハンモックに揺られながらいつ果てるともなく聴いていたいという優雅な欲望を喚起するような曲でもあります。ジョアン・ドナートは純正のボサノヴァのピアニストでもなくて、どちらかというとラテン・ジャズ、ジャズ・サンバのピアニストといった感じかな。ボサノヴァがブラジルで勃興した時にアメリカにわたり、そのボサノヴァがアメリカを始め世界中に広がる頃に、今度はブラジルに帰ってしまうといったいささかへそ曲がりな行動をしてた人で、結構アメリカのジャズ的な雰囲気を身につけてるピアニストでもあります。このアメリカっぽいセンスというか、そういうのがスパイスになってこういうしゃれた響きの音楽に形を与えてるのかもしれません。


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Muito a VontadeMuito a Vontade
(2003/03/04)
Joao Donato

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近代ブラジル音楽を代表するアルバムの一つなのに、どうも廃盤みたいです。こんなのばっかり。