【トイカメラ】法事が無事に終了したこと。 +ホルガを連れて宝ヶ池に行ったこと。 +冷たい熱波

法事は特にトラブルもなく無事に終了。去年の出来事をなぞるかのように当日はまた再び雨の日で帰宅ごろには小降りになっていたこと、法事の日を境にして季節が劇的に移行したことなど、まるで去年とそっくりで、一年前に帰ったかのような進行状態となってました。
法事の日の数日前に、今度のは身内だけの狭い範囲で行うから、もう大層な喪服なんか着なくて良いんじゃないかなと父と云ってたのに、葬儀社の人に聞いてみると亡くなってからの初めての法事だから黒い服のほうが相応しいと云われ、結局は残暑真っ盛りの日にまた大層な喪服一式を切る羽目になりました。わたしは夏の間はどちらかというと裸族に近い感じなので、会場は冷房が効いてたとはいえもう早く脱ぎたくて仕方がなかったです。次は三回忌ということになるんですけど、三年後に行うものかというとそうではなくて、来年に行うものらしいですね。この辺の事情、意味合いはさっぱり分からないけど、一年間は神社に立ち寄ってはいけないというような慣習と同じようなものがあるのかもしれません。

法事が終わって、といっても取り仕切ってたのはわたしじゃなくて父のほうでわたしは云われるままに動いてただけなんですけど、それでもすべて終了したと思うと、なんだか緊張感というかそれなりにテンションがかかっていたものがことごとく緩んだような気分になり、残暑の日にフル装備の服を着たり、台風がやってきたり、気温が劇的に下がったりというようなことも重なって、頭痛、眩暈などに親しげに寄り添われることになり、しばらくダウンしてました。

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さて、何を書こうかと思い巡らすも、森山大道の展覧会は19日で終了してしまい、これまたモホイ=ナジの時と同じように時期はずれになってしまって、観にいった記録として残しておく意味合いしかなくなって急ぐこともないし、いまだあまり本調子でもないので、ここは今までに記事にしなかった写真でも貼ってお茶を濁しておこうかと思い至りました。この前の記事に夏に撮った宝が池の写真を貼ってるので、それ以前、5月頃に撮りにいった時の宝ヶ池とそのほかの写真を少し混ぜ合わせてみようかと。なんとなく一つ前の記事と連続性もでてくるから、単独で出せなかった写真も収まりが良いかもしれません。

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5月頃に宝が池に写真を撮りに行ったときに連れて行ったカメラは中国製のトイカメラであるホルガでした。ホルガはレンズがプラスティックのものとガラスのものがあって、わたしが持ってるのはプラスティック・レンズを装着してる120CFNのほう。買うときにプラスティック・レンズのものを選んだのは光がにじんだような写りになりそうだったから。プラスティック・レンズのほうが像の崩れも大きいかもと期待したんですけど、周辺域の流れ具合だとかドラマティックな写りになるのは意外とガラス・レンズのほうだったらしいです。なんだかガラスのほうがかっちりとした写りをしそうに思ってたんですけどね。
買ったのは実は一年位前のことで、でも仕様のあまりの弾けぶりと使うフィルムがブローニーというちょっと特殊なフィルムだったりすることで、カメラ本体は早々と手元にやっては来たものの持ち出す決意にいたるまでには時間がかかりました。

ブローニー・フィルムというのはスプールという軸に裏側に遮光の紙を貼ったフィルムがそのまま巻きつけられてるだけという、若干原始的な仕様になってるフィルムです。35mmフィルムのパトローネのようなケースに入ってないんですね。スプールに唯巻いてあるだけのフィルムなので、巻物を解くように緩めてしまうだけで感光してアウトになってしまいます。使い方も変っていて、巻き取り軸に巻いていくのはフィルム一般の使い方と同じなんですけど、全部露光し終わってもブローニーは元の軸に巻き戻しません。巻き取った軸ごとカメラから取り出して現像所に渡します。当然巻き取る側のスプールが無くなってしまう事になるんですけど、次のフィルムを入れるときに今までフィルムが巻かれていたスプールを巻き取り側に移動させて、巻き取り軸として再使用することになってます。つまりフィルムを全部使用してスプールだけが残っていても、これを使用済みのものとして捨ててしまったら、次のフィルムを巻き取る部品がなくなってしまうことになるんですね。でも最初は気がつかないで捨ててしまう人も結構いるんじゃないかなぁ。

とまぁ若干敷居が高そうなイメージのフィルムだったので、ホルガを買った当初はなかなかカメラに詰めるような能動的な気分には持っていけませんでした。ブローニーを始めて使ったのはハッセルブラッドのほうで、こっちで何となく要領が分かったのでホルガにも使ってみようといった気になった感じです。

さらに5月になってようやく外に持ち出したのにそれ以降ホルガを手にしてないのは、同じブローニーを使うハッセルブラッドに詰める機会が多くなったからでした。この夏はかなりの頻度でハッセルブラッドを持ち歩いてました。ハッセルに関しては凄いカメラなんだけど、とにかく重かったり、大きすぎるシャッター音とかちょっと引いてしまう気分がありました。でもこういう飛ぶカラスも振り返るようなシャッター音も意外とロケン・ロールな要素で面白いと思い初めて、そうなると、ハッセルブラッドを使うことに躊躇いもなくなり、ブローニーを使うとなるとホルガじゃなくてハッセルに詰めてるという感じに今はなってます。
でも、後に書くようにあまりたいしたものも撮れなかった宝ヶ池のホルガ写真を選ぶために眺めてるうちに、また使いたくなってきたので、今度ブローニーを詰める時はハッセルブラッドじゃなくて、またホルガに詰めてるかもしれません。

ホルガ 正面
Nikon CoolPix P5100

ホルガ 背面
Nikon CoolPix P5100

右側に巻き取りスプールが見えてます。左側にブローニー・フィルムをセットしてこの軸に巻き取っていき、フィルムが終了したら、巻き取ったフィルムをこのスプールごと取り出します。スポンジ状のものが見えてますけど、これはフィルムが軸に巻いてあるだけの状態なので、装着したフィルムが緩まないように抑えておくための部品です。はっきり云って隙間テープと同じものじゃないかと思います。ちなみにこのスポンジ、剥がれてフィルムと一緒に巻き込んでしまうことが割りとよくあるらしいです。

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トイカメラの二大巨頭といえば、このホルガとロシアの大衆カメラLOMOのLC-Aというのが一般的な認識だと思います。わたしは以前に書いたように、トイカメラに初めて関心を持ったのが今は無き洋書店ランダム・ウォークでやたらと楽しそうなカメラの一群を見たのがきっかけだったんですけど、ランダム・ウォークはたしかホルガを中心に品揃えしてたので、ずっとホルガがトイカメラの代表選手だと思ってました。一般的にはホルガよりもLC-Aのほうが人気があるというかトイカメラ的な認知度としては上になってるようです。
でも両方触ってみると段違いにホルガがおもちゃっぽい仕様になってることに気づきます。ホルガの破格振りと比べるとLC-Aは思ってる以上にまともなカメラ、露出がマジカルな転び方をするものの機能としてはきわめて普通のカメラにみえてくるくらい。
ちなみにLC-Aのほうは途中で写真に追記している使用カメラの表記から「+」の表示を取ってるのに気づいてるかもしれませんが、今わたしが使っていて、この前比叡山にも持っていったLOMO LC-Aは「+」無しのオリジナルのほう、今年に入ってから中古で4000円ほどで出てたものを買って使ってます。最初に使ってたLC-A+も中古で手に入れたものでしたが、なんと、しまっておくだけで気がついたら壊れてました。ホルガと比べるとトイカメラの頂点的なイメージととはいえ随分とまともなカメラに見えるLC-Aであっても、触れてもいないのに自壊するなんて、やっトイカメラの頂点を二分するに相応しいカメラなのかもしれません。

ホルガは遠めにみると割りと堂々としたカメラに見えないこともないですが、近くで見たらまるっきりプラスティックの安物感を濃厚に漂わせてます。内部を見るとカメラとしてはきわめて原始的な作りでシャッター以外はフィルムを唯ひたすら巻き上げるだけの機構しか備わってません。一齣分巻くとストップするような機能もなく、セットしたフィルムを一度もシャッターを切らずに最後まで巻き取ってしまうことも出来ます。どこまで巻き取ったかというのはブローニー・フィルムの裏側に数字が打ってあって、その数字が裏蓋の赤窓から見えるようになってるのを目安にします。赤窓に次の数字が出てくるまでフィルムを巻いて、数字が出てきたら巻くのをやめて撮影するという手順。フィルムを巻かずに何度もシャッターを切れば多重露光は簡単に出来るものの、シャッターを切ったら必ず巻き上げるというような自分の手順を決めておかないと、今の駒は既に撮影したコマなのかどうか絶対に分からなくなってきます。

ファインダーはレンズの位置から離れてるために結構な視差があったり、ファインダーの枠よりもかなり外側が一緒に写るというような代物なのであまり役には立たないです。こちらの方向を眺めてるということくらいしか示してくれない感じ。

シャッターは単速。絞りは晴れと曇りの切り替えになってるもののこれはホルガ本来の設計ミスで意味を成してません。カメラ本体レンズ奥に光が通る穴が開いていて、そこにそれよりも小さい穴を開けた部品を重ねることで入ってくる光の量を調節するという意図の設計になってるんですけど、なぜか切り替える部品の穴よりも本体の光を通す穴のほうが小さいので、穴の大きさを変えるための部品が意味を成さなくなってます。これ、ホルガの設計ミスとして有名なので作ってるところも知ってると思うのに、未だにこの仕様で作り続けてるみたい。わたしのホルガも露出は切り替えても何の変化もでてこないこのタイプのホルガです。
他にもストラップが付属してるのに、説明書にはこのストラップをつけると裏豚を止めてる金具が外れて蓋が開く可能性があるので、使わないでくださいって注意書きがあるし、ある意味未知の世界を覗き込んだような驚きはあるものの、製品としてどうかと思うような仕上がりになってるカメラです。

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当てにならないファインダーに、単速の、でも必ず一定の速度が出てるとは限らない、細い針金バネが妖しく弾いてるシャッターと、どんな天気でも変化させようがない絞りという、そんな、ほとんど制御不能でどういう風に写るかその場の運次第という驚異のカメラを持って宝ヶ池にいってみたわけです。結果は一つの記事に出来なかったくらい思わしい写真が撮れない結果に終わったというか、カメラの気まぐれがわたしが欲しい方向には働いてくれなかったというような感じでした。ブローニーは1ロールで12枚しか撮影できないので、出来上がる写真の絶対数が少なくなる分上手く撮れた数も少なくなる感じでもあります。
そんななかで気に入ったのがこの写真。なんだかこの写真を撮るためだけにこの日宝ヶ池に行ったのかもと思えるくらい、わたしには決まった写真になってました。
落ちた花
Holga 120CFN : Kodak Portra 400NC

宝ヶ池といってる割にいきなりちっとも池じゃない写真です。
宝ヶ池公園は京都の北のほう、国立京都国際会館に隣接する位置にある大きな池を中心にした公園です。池の周辺は遊歩道が設けられていてさらにその外周には森が展開してます。これを撮ったのは国際会館との境目にある石塀だったんですが、遊歩道からは間に木立を挟んで若干距離がある位置で、歩道を歩いてる時にこの赤い花に木立を抜けた陽射しがスポットライトのように当たっているのを見つけ、歩道から脇にそれ木立の中に分け入って写真を撮りました。確かにちょっと目を引くスポットだったけど、出来上がった写真がこんなに植物だけが浮き出したような形に撮れてるとは思わなかったです。背景の石垣がよく見えるような写り方だったらもうちょっと具体的なイメージになってたかも知れません。幻想的な写り方になって大満足。もう一度撮って同じように撮れるかというとおそらく無理だろうと思います。

もっと幻想的に写って欲しかったボート
Holga 120CFN : Kodak Portra 400NC

宝ヶ池なんだからと、池らしい写真を撮ろうとして撮った、池らしい光景。意図としてはもうちょっと幻想的に写したかったんですけど、植物のほうは思ってもみないほど幻想的だったのに、こちらのほうは意図とは反してあまり幻想的でもない感じ。
足漕ぎの青いボートに遊具的な具体的なイメージが強すぎるのかなぁ。ちなみにこの日、宝ヶ池には映画の撮影隊が来ていて、本来のボート小屋とボート置き場をまったく別の建物に仕立てていたので、本来の置き場に置けなくなったボートがこういう風にちょっと違和感を伴って別の場所に繋がれることになってました。この光景はこの日だけ世界に現れた光景で、もう一度撮影隊が来ない限り二度と出現しない光景なので、ある意味貴重かもしれないです。

撮影隊のセット
Holga 120CFN : Kodak Portra 400NC

撮影隊が作ったセット。貸しボートの小屋という設定の建物のよう。当然後日行った時には手前の渡り板から何から何まで綺麗さっぱりなくなってました。近くに腰掛ける場所があったのでそこに腰掛けて近くにいる人の会話を聞いてると、撮影隊の大道具はあっという間にこの小屋を建ててしまったそうです。この方向から見た時だけ体裁を整えてるようなセットじゃなく、どこから見てもきちんと一軒の家になってる、おそらく中に入ってもそのまま映画のシーンに使えるような内装も備えた小屋だったような印象でした。

撮影の準備
Holga 120CFN : Kodak Portra 400NC

撮影の準備を始めた撮影隊。これまたなかなか撮影が始まらないので、しびれ切らして帰ってきたんですけど、撮影中の写真も何枚かとっておいたほうがよかったかなぁ。撮影が始まったらカメラで撮るなんて追い出される公算のほうがはるかに高そうだけど。
邪魔と追い払われそうであまり近寄れなかったための手前の無駄な空間と、展開もしないでこじんまりと寄り集まってる撮影隊が手前にいるだけの証拠写真みたいなものの割りに、背景の森の映り方がなんだか無駄に深遠な感じがしてかっこいいんですよね。もったいない。

これも近くで見物していた人の話を聞いて分かったんですけど、この日撮影していた映画はどうもゲームが原作の映画らしいということ。帰ってから調べてみて分かりました。カプコンのゲーム逆転裁判を映画化するつもりらしいです。来春公開予定だそうで、この貸しボート小屋がどう使われてるのかちょっと興味があったりします。でもゲーム原作の映画というのは、ゲームは好きだけどゲームが元の映画となると行く気は半減するかも。

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宝ヶ池以外でホルガで撮っていたものにはこんな写真もありました。

ロマンス
Holga 120CFN : Kodak Portra 400NC

新京極と寺町通りの間にある路地の一本の光景。時間は夕方だったけど、それほど暗くもない時に撮って、この雰囲気。この人形の雰囲気にあってるといえばあってるんですけど、この青い光り方は一体どこから来たんだろうと撮った本人も予想外の出来上がり方でした。

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最後に、夏の初めの空の写真を撮って、夏の終わりに再び空の写真を撮ってみる。

夏の終わりの空
Nikon AF600 : Kodak Portra 400NC




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Marian McPartland - Love For Sale


女流ジャズ・ピアノ奏者Marian McPartlandのボッサ・ジャズの演奏。クールなエレピの音がパーカッションのリズムに乗ってなんだか冷たい熱気を帯びたような不思議な感触の演奏になってます。後半4ビートになってしまうところがちょっとありきたりになってしまってるのがもったいない感じ。イギリス出身のピアニストでどこか端正なタッチがあるのはイギリス人だからなのかなぁ。

Antonio Carlos Jobim - Brazil


Brazilという曲名で通ってますが、正式な名前はAquarela Do Brasil。ブラジルの水彩画とかいう意味らしいです。わたしは郷愁感に満ち溢れたこの曲が大好き。ひょっとしたらブラジルの音楽の中で一番好きな曲かも。歌ものではジョアン・ジルベルトのアルバム「Amoroso/Brasil」に入っていたのがベストだと思ってます。Marian McPartlandに冷たい熱波なんていうキーワードをつけてみて思い出したのが、このジョビンの「Brazil」。ストーン・フラワーというアルバムに入ってるもので、このアルバムも割りと好きなアルバムだったりします。
ここでもエレピとブラジリアン・パーカッションの組み合わせです。エレピがやっぱりクールさを運んできてる?



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お知らせ +demi EE17で撮った写真 +Cha cha Boom !

母の一周忌の法事なので今週末はお休みします。

もう一年経ったんだなぁと感慨深いです。一年前の光景は今も昨日のことのように目の前に生々しく再現されるほど鮮明に記憶に残ってるものの、その光景を見るわたしの感覚のほうは薄いベールがかかって、生々しさからは幾分離れたところで動いているように感じるところもあります。たった一年ではあっても、わたしもまた変らないようでいて過ぎた時間の分変化してるんだなと、そんなことを思ってみたりしてます。

一年経って変化するといえば、ようやく神社に出入りできるようになることでしょうか。喪中の時は神社に入れないという習慣があって、この一年気晴らしに写真機持って歩き回っていても、神社には近づけませんでした。実は最初の頃そういう考え方があるということを知らずに何度か鳥居をくぐったことはあるんですけど、知ってからは神社があればすべて迂回していました。
神社の木立の作る影の空間とか好きなので、この一年の間、神社は写真にとってみたい場所でした。これができるようになるのはちょっと楽しいです。

下鴨神社には街中にもかかわらず糺の森という、大きさでいうと東京ドームの約3倍という巨大な森があって、そこも散策したかったんですが、これもはれてようやくできるようになります。
この一年、この森は入れなくて外周沿いを歩いてました。これはそんな時に撮った写真。商店街なんかがある街中に、まるで異次元スポットのように本当にこんな森があります。

街中の森
Canon demi EE17 : Kodak Gold 100

どこにもピントがあってない写真。どこかに合ってもよさそうなものなのに。もっとも何らかの思い入れでもなければ向こうに消えていく唯の路地の写真なので、ここはぼやけてるほうが味がついていいかも。観ていて思ったんですが、わたしは向こうに伸びていく路地だとか曲がり角が結構好きみたいです。


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ハーフカメラ、Canon demi EE17で撮った写真の中からほんのちょっとだけ。

国立国際美術館 01
Canon demi EE17 : Kodak Gold 100

これは先月のお盆前に大阪の国立国際美術館に森山大道の展覧会を見に行ったときの写真の一枚。森山大道の展覧会に関しては記事にするつもりでいるんですけど、比叡山のことを書いたり、モホイ=ナジの展覧会が終わりそうだったのでそちらを先に書いたりしてるうちに、後送りになったままになってしまってます。まだ書くつもりではいるんですけど結構印象が薄くなってきてるという感じ。どうなるだろう?うまく書けるかな。
この写真はいくつか撮った美術館の中の光景の一つです。円形に並んでる椅子よりもどちらかというとフロアに落ちた格子状の影が撮りたかったんだったかな。
元はカラー・フィルムで撮って、フォトショップでグリーン系の色を全体にかけてみました。昔の雑誌の2色刷りくらいのカラーページにでも載ってそうな古い写真のイメージ。セピアにしてしまうのとはまたちょっと感じが違っていて、実はこの色合い、結構気に入ってます。


この二枚は宝ヶ池で最近撮った写真。
休息
Canon demi EE17 : Fujicolor 100

木陰から
Canon demi EE17 : Fujicolor 100

宝ヶ池には5月頃にホルガを持って撮りに出かけたときの写真があるんですけど、これはまだ記事にしてません。
あまり思わしくないできの写真ばかりで記事にしにくかった状態のまま時間が過ぎてしまった感じかなぁ。
宝ヶ池も大きな池と周りを囲む森があるだけで、動きがあるとしたらジョギングをしてる人が池の周りの歩道を時たま走り抜けていくくらい。意外と被写体っぽいものに乏しい場所だったりします。

上のは鴨が杭の上に並んでたのが面白くて。もっとずらっと並んでたんですけどこの部分だけを切り取ってみました。杭の並びが作る緩やかなリズムと並ぶ鴨のアクセントといったところかな。

下のは手前の木に、おそらく背後からの木漏れ日が当たってしまったんだと思うんですが、光で浮き上がってしまったのが大誤算。この木は影の中に沈んでいて欲しかったです。池の遠くに浮かんでるのはボートです。足で漕いで進む乗り物風のボート。

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Look to the Rainbow

ブロードウェイ・ミュージカル「フィニアンの虹」にでてくるスタンダード曲。ミュージカルは後の1968年にフランシス・フォード・コッポラ監督によって映画化されてます。
ここで演奏してるのはモルモン・タバナクル・コーラス、ソロを取ってるのはShane Warbyという人らしいですけど、この人はよく知らないです。
わたしはハーパーズ・ビザールが歌ったのをよく聴いてました。アストラッド・ジルベルトが歌ってるのも聴いた事がありますけど、わたしはボサノヴァ好きではあるものの、ボッサ仕様のアストラッド・ジルベルトの歌はこの曲の雰囲気はあまり上手く出せてなかったように思いました。
思ってる以上にカヴァーしてる人が多い曲でもあります。

Suo Gan


スピルバーグ監督の映画「太陽の帝国」で凄く印象的に使われていた曲。原曲はイギリス、ウェールズ地方に伝わる子守唄ですね。わたしは映画観て泣くなんてほとんど無いんですけどこの映画に関してはこの曲をバックにしたラストシーンで、なぜかとにかく無性に涙があふれ出てきて映画館で困りました。

映画は子役時代のクリスチャン・べイルが主役を演じてます。今見ると大きくなってからの印象がもう備わってるような顔つき。成長してからの姿を知ってるとまた映画を観たときに別の楽しみ方が出来るかもしれません。

Ringo's Theme ( This Boy) - George Martin Orchestra


ビートルズの曲「This Boy」のインスト・ヴァージョン。映画「A Hard Day's Night」でリンゴスターが一人リバプールの町を放浪するシーンで使われてました。このシーン、モノクロ画面が随分と詩的なイメージでリバプールの町を活写していて、映画の中では結構好きなシーンです。
このアレンジは、映画で聴いてるとそうも思わなかったですけど、音楽だけ抜き出してみたら結構ありきたりですね。

Besame mucho-The Beatles 1962


Cha Cha Boom ! (^ω^)




【展覧会】もう終了してしまったけど、モホイ=ナジ/イン・モーション展 +岡崎公園での散歩写真 +ジャズの影響

京都では9月の4日までの開催だったので、その点ではあまり意味を成さなくなってるかもしれませんけど、とりあえず観に行った記録として残しておきます。
先月の24日、用事があって外出した際に京都近代美術館で開催されていたモホイ=ナジの展覧会に立ち寄ってきました。7月から開催していたのでそろそろ閉幕も近いという、かなり遅いタイミングでの鑑賞となりました。


イン・モーション展チラシ表

イン・モーション展チラシ裏
イン・モーション展 ちらし表、裏

モホイ=ナジって、昔美術史の中では名前は見たことがあって知ってはいたんですけど、どういう活動をした人なのかほとんど記憶に残ってなかったんですね。ポスターをチラ見した段階ではイン・モーション展なんていうあいまいなタイトルも相まって、名前は知ってるけど、さて70~80年代頃のコンセプチュアル・アートにでも見られたような頭でっかちで退屈なビデオ・アートでも作ってた人だったかと思い切り勘違いしてほとんど見に行く気になってませんでした。昔は確かモホリ=ナギという表示だったはずで、そういうところも記憶に間接的な照明しか当たらなかったような感じになっていたのかもしれません。
それで、開催されてからかなり時間がたった頃に、実は割りと無意識では気になってたのか、何気にそういえばこの展覧会、赤い色の印象的なポスターでちょっと目に付くなぁと思ってチラシを手にしてみた時があって、その時そのチラシの裏に載っていたキネティックアートの写真「ライト・スペース・モデュレーター」(チラシ裏の右上に写真が載ってます)を見て、これの作者だったんだとようやく勘違いに気づくことになりました。頭でっかちのビデオアート作家じゃなかったんですね。これは云ってみれば動く立体造形といったものになるんですけど、この展覧会に出品されてどうやら動いてるところも見られるらしい。そう思うとチラシを見るまでは無関心の度合いのほうが強かったのに、興味の針は一気に逆方向にふれてしまって無性に見たくなってきました。なにしろこういうのは美術の本で写真では見たことがあっても実際に動いてるところなんてほとんど観たことがないから。動いてるのを見られるとしたら千載一遇のチャンスになるかもしれない展覧会でした。
ということで、もう開催期日も終わりに近づいてきた頃に、この動く立体造形の、実際に動いてるさまを見届けるという、ほとんどこの目的だけで展覧会に足を運ぶことになりました。
ちなみにこの展覧会のタイトル、あまり上手くないです。どんな展覧会かもう一つよく伝わってこないし、構成主義の抽象的な作品や光と影の探求をした作家の作品を示すのにあまり適切とは思えないです。というかわたしがこの作家の作品に惹かれた部分が会の主催者が考えたテーマとはまったく違うところにあったということなのかもしれません。

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会場は京都国立近代美術館。岡崎公園、平安神宮にいたる大通りの入り口にある大鳥居の平安神宮に向かって左にある建物です。ちなみに鳥居をはさんで右にあるのが京都市美術館です。近代美術館のほうはよく行くんですけど、京都市美術館のほうはなぜかほとんど足を運んだことがないです。見たいと思う展覧会が近代美術館のほうに多いということなんでしょうけど、色々満遍なく見てるつもりでも好みは結構反映されてるということでしょうね。

近代美術館前
Canon demi EE17 : Kodak Gold100
美術館前

いつも主要展覧会をやってるメインの会場は次の展覧会の準備だとかでそこにいたる階段から閉鎖されてました。このモホイ=ナジ展は近代美術館の3階と4階を使って展示されてると案内されて、売店横のエレベーターで3階まで直接昇っていきます。案内されたから仕方なく乗っては見たものの、実はエレベーターって大の苦手で、できるなら乗りたくないものの筆頭になってます。知らない人と一緒に狭いところに閉じ込められるのが耐え難いんですね。だからこのときは誰も乗り込まないうちにエレベーターの扉を閉じて、一人でさっさと三階にまで上がってしまいました。

モホイ=ナジ・ラースローはハンガリー生まれの画家。本人は後年にいたっても自分のことを基本的には画家と規定していたらしいですが、生涯にわたって展開した作品群からみると、今で云うところのマルチ・タレントの芸術家といった感じの人物です。出発地点はオーソドックスなドローイングでも、20世紀初頭の芸術運動に感化されキュビズム的な作風に変転して行ったあと、これも当時の芸術運動であったロシア構成主義的な作風で個性を発揮することになります。ロシア構成主義のほかにはダダイズム的な思考を原理としたせいなのか、従来の絵画的な枠組みを簡単に超える思考の柔軟性も持ち合わせてるようでした。あまり芸術の枠組みでは考慮されなかったような新時代の新素材や電気などのテクノロジーを使うことにもなんら躊躇いもなく、また活動内容もドローイングを超えて写真だとか舞台美術だとか多方面に拡散、それぞれをミックスしていくような多彩なものへと変貌していくことになります。戦前のワイマール共和国ではバウハウスの先生もしていて、後に世界中を飛び回ることで、たとえば亡命先のシカゴにニュー・バウハウスを設立したりと、芸術の普及といった側面でも活躍した人でもありました。

今回の展覧会はモホイ=ナジの大回顧展という形になってたので、生涯の作品活動が俯瞰できるように作品が選定され並べられてました。最初のコーナーはまだあまり特異な作風に変化する前のオーソドックスな絵画に当てられていていました。わたしとしてはこのコーナーはあまり面白くなかったというか、何しろ金属で出来た動く立体造型を見に来たわけだから、このドローイングの一群を眺めていても、見たいと思ってるものとははるかにかけ離れたもので、早く通り過ぎて先に進みたいという欲求のほうが強かったです。それなりに何か気を引く要素でもあったなら多少は違ってたかもしれないけど、内容ははがき大の小さな紙に身近な人とかを素描したものが多く見た目にも迫力がなかったし。モホイ=ナジの全容を既に把握してその生涯の作品を辿ってみるという視点でやってきていたなら、画家として目覚め始めたこの頃の作品も興味深い対象になってたかもしれませんが、わたしの場合はそういう事情でもなかったです。ただキュビズム等、当時の芸術運動に感化され始めて以降、次第に描線が主役になって、具体的な対象物の細部がシンプルな形態へと簡略化されていく過程はそれなりに辿ることが出来、自らの進むべき方向へと収斂し始めてるのはこの時期のドローイングからでも十分にうかがえて、そういうところは興味を引きました。

次のコーナーに並べてあったのはダダイスム、構成主義などの芸術運動に共鳴し始めた頃の作品で、ここからはかなり面白い展示になっていきました。ロシア構成主義を代表する作家というほどの位置にいるのを目の当たりにするような作品群、目当ての動く立体造型に繋がってるような要素も一杯含んでいる絵画や写真が並んでいて、それまでの画家として目覚め始めた頃のオーソドックスでやや退屈な絵画の展示とは一線を画すような印象のコーナーになってます。
ロシア構成主義っていうのはロシア革命前後に起こった新しい芸術運動のこと、革命というものの性質なのか新しい世界が希望に満ちた未来を約束してるというようなある種の楽観主義を伴ってるようなモダニズム、抽象的な線や形を駆使して形作っていく未来的な形態と、抽象的な形にシンプルに還元されていく割りに意外と動的で躍動感のあるダイナミックなヴィジョンといった感じの作品を生み出していった芸術運動のことなんですが、スターリン下で共産主義が堅牢なものになるにつれて、楽観的で未来派的なヴィジョンはいわゆる社会派的なリアリズム芸術に取って代わられロシアでは衰退していくことになります。
音楽が好きな人なら、構成主義が展開したのはどういうイメージだったのか割と簡単に把握できるはず。たとえばクラフトワークやフランツ・フェルディナンドがレコードジャケットで試みたようなイメージがまさしくロシア構成主義を借用したものなんですね。日本だとYMOなんかがそのイメージを使ってます。未来派的で抽象的というポイントでテクノなんかにぴったりなイメージかもしれません。
アマゾンからちょっとジャケットを拝借すると、こういうイメージ。

Man MachineMan Machine
(2003/02/11)
Kraftwerk

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You Could Have It So Much BetterYou Could Have It So Much Better
(2005/10/07)
Franz Ferdinand

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ちなみにこれの元ねたはロトチェンコのこの絵画です。

表現形式としてはスタイルはほぼ完成されて閉じてしまってるというようなもので、今となってはその時代の新素材の質感でデザインした未来志向をレトロフューチャー的なイメージとして再生産するか、こういうジャケットデザインのように再利用するといった係わり合いしか出来ないようなものになってるのかもしれないですけど、その時代に造られたこういう作品を見ていると、基本的にレトロフューチャー的なイメージが好きなせいもあって、モホイ=ナジが見出していた新しい時代の可能性という観念に共鳴し、ポジティブな気分に導かれていくようなところがありました。新しい時代の可能性なんていう観念は今の時代心のどこかで休眠してる類のものだけど、作品を眺め歩いてるうちにそういう休眠してる心のどこかが反応してるような感じになってたような気がします。

単純に直方体とか円形に還元された要素でしか成り立ってないのに、動的な配置が効いて動きを内包してるような絵画になってるのに感心して眺めたり、今で云うワイヤーフレーム状態の球体なんかを手書きの線で乱れることもなく描いてるまるで一昔前のコンピュータ・グラフィックスのような絵を観て、相当神経を集中してたんだろうなぁと思いつつ、モホイ=ナジはひょっとしたら映画トロンのような世界を見たら狂喜するんじゃないだろうかなんて想像してみたりしました。

また、こういった意外とダイナミックな動きの構成主義絵画に混じって、このコーナーからは写真もかなり重要なものとして展示され始めていて、これがまたわたしにとっては非常に興味深いというか面白いものでした。ダダや構成主義の影響で、従来ではほとんど美術には使わなかった金属やガラスといったピカピカひかるものなんかを積極的に作品に取り入れていたのがきっかけなのか、従来から関心があってこういう芸術運動に参加することで呼び起こされたのかは知らないけど、モホイ=ナジは「光」にかなり関心があったそうです。光は空間を作り空間は動きを生み出すといったように繋がりがあるなら、その大元に位置する光に関心が及ぶのはとても当たり前のこと。画家的な資質がある人は多かれ少なかれ「光」には関心はあるでしょうけど、モホイ=ナジの光への関心は展示されてる写真をみればかなり突出してたような感じがしました。
この頃のモホイ=ナジの写真の多くは写真といってもカメラなんかを使わないで製作してるきわめて特異な写真です。モホイ=ナジがフォトグラムと呼んだ手法によるもので、おそらく印画紙の上に直接的にオブジェを置いて感光させてるんでしょう。でもそこで形作られてるイメージは置いたオブジェの跡が型抜き状態になるといったような単純なものではなくて、オブジェの質感とかすかな立体感も残したままの抽象的な形態といった感じで印画紙の上に焼き付けられたようなものになってます。この焼き付けられた闇の中に浮かび上がってる事物と抽象形態の狭間にあるような奇妙な混合物のイメージは思いのほか幻想的で、どうやって撮ってるのかなという興味とともにかなり視線を引く展示物でもありました。

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それで、わたしが見たかった動く立体造型「ライト・スペース・モデュレーター」なんですが、この構成主義作家となったモホイ=ナジの作品群からバウハウスの教師になるあたりの作品群が展示されてる一角、「ライト・スペース・モデュレーター」の製作と時期を同じくするコーナーの一角にこれ専用の小部屋が作られていて、その特別の空間に「ライト・スペース・モデュレーター」一つだけを独立させるような形で設置されていました。
「ライト・スペース・モデュレーター」は部屋の中央よりもやや片側に寄った位置に台の上に置かれて存在感たっぷりに佇んでます。「ライト・スペース・モデュレーター」が偏って置かれた反対側の壁には天井の映写機から「Ein Lichtspiel Schwarz Weiss Grau」というこの作品を動かした時の光と影の様子を収めたモホイ=ナジ自身の手による短編フィルムが大きく映し出されていました。この「ライト・スペース・モデュレーター」は物質的な作品そのものも存在感があるんですが実は作品として想定されてるのはこの装置そのものよりも、この装置が動いている時に生み出す光と影の様子のほうらしいんですね。この展覧会のカタログによると、1930年「フランス装飾美術家協会展」のドイツ工作連盟の一室で初公開された時、70個の着色電球と5つのスポットライトを使って、周囲の壁に色の光とモノクロの光が混合した光の模様を描き出したということらしいです。
京都の会場では動かす時間が決められていて、それ以外の時は止まったまま、ライトは「ライト・スペース・モデュレーター」の形が分かるように照らしてる明り以外で、動きを映し出すという意味のものはスポットライト一個だけじゃなかったかな。
時間表を見ると30分に一度づつ2分間動かすローテーションになってる模様。その時間に行かないと壁に投影されてる短編映画を動かない「ライト・スペース・モデュレーター」の傍らで眺めるだけの鑑賞になってしまいます。わたしが始めてその部屋に入ったときは動かす時間まで20分以上間がありました。他にも数人観客が入ってきましたけど、事情が分かると止まったままの「ライト・スペース・モデュレーター」を眺めたり、壁のアートフィルムを少し眺めたりしては部屋を出て行きます。わたしも一旦部屋を出て他の展示物を見てからもう一度ここに戻ってくることにしました。

展示物の続きをみていて、バウハウスを出て以降の活動のコーナーでは舞台装置や映画の特殊効果なんかもやってるという展示があって、そのなかで古いイギリスのSF映画「来るべき世界」の特殊効果をやってる時の写真や資料が展示されてるのが注意を引きました。古いSF映画の見せるレトロフューチャー的なヴィジョン、とくに作り物感溢れる壮大な未来都市風景とかは凄い好きなので、これは興味深く観てました。ガラスなどの半透明、透明物質を多用した光のまとわりつくようなオブジェを配置してる写真は舞台裏を覗いてるという興味も合わさって好奇心を刺激し、帰ってからモホイ=ナジの「来るべき世界」での手腕を確かめようと映画を観てみました。でも映画を観てみても特殊効果にモホイ=ナジの名前なんか出てこないんですよね。名前も出てこないほど下請けみたいな仕事だったのかと思ったら、カタログによるとモホイ=ナジの案は結局不採用だったと書かれてました。おそらくエンタテインメント映画に使うにはアートに走りすぎていたといったところなんでしょうけど、今となっては残された写真でしか見られなくなってしまったこの案が実現したヴァージョンも観てみたかったと思いました。

会場には光の作家らしく、モホイ=ナジが撮った短編映画が3本上映されてました。ロンドンの動物園に出来た新建築とそこに住むことになった動物たちの様子をとらえた映像スケッチのようなもののほか、本格的な記録映画の体裁をとったロブスターの一生を描いたものなど。特にロブスターの一生の記録映画がその存在理由の奇妙さで面白かったです。ロブスターの一生なんていうテーマ、どういう目的があって取り上げようとしたのか、そしてロブスターの生き様ってどんな人が熱心に見たいと思ってたんだろうって。
展示されていた映像作品の一本、都会でのジプシーの生活をスケッチした短編を見てるうちに「ライト・スペース・モデュレーター」を動かす時間がやってきたので、映画の途中でまたもとの部屋に戻ります。さっき見に来てた観客が何人か再び集まっていて、その注視の中で「ライト・スペース・モデュレーター」動作開始です。

動きはまぁなんというか、きわめてゆっくりとしかもかなり単純な動きをするという感じ。動かしてみるまでは稼動部分はかなり多い印象でしたけど、それぞれの動きがかなりシンプルなので全体もほとんど複雑に動いてるという印象はありませんでした。これはやっぱりあくまでも動くことで作り出す影の様子が主役なんですよね。2分間の稼動のあと再び止められてしまった「ライト・スペース・モデュレーター」の前で観客はわたしもふくめて若干苦笑気味。期待はずれというよりはそんなにエンタテインメント的な動きはしないだろうという予測はあったから、妙に納得してしまったという感じで落ち着いた人が多かったんじゃないかな。満足したかどうかは別問題として観た印象は「なるほどね」っていうような落ち着き方をしたというか。
ともあれ、なかなか観られないものを観たという感慨はありました。
その特別室の壁面に始終映し出されていた短編フィルムがYoutubeにあったので、ちょっと持ってきました。ストーリーもなく6分近く光や影が動き回るだけの実験映画ですけど、こんなフィルムです。
らせん状のガラスの突起物がプルプルと震えながら回ってたのが印象に残ってます。

Laszlo Moholy Nagy Ein Lichtspiel Schwarz Weiss Grau


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他に凄く面白かったのがもう会場も終盤に近いコーナーで、モホイ=ナジがアメリカ時代に撮ったカラー写真をスライドで80枚近く投影して見せてくれたことでした。構成主義の作家として活躍していた頃の実験的な写真とはまた違って、こちらは具体的な被写体がある、云ってみればスナップ写真なんですけど、ものの見事に今風の雰囲気写真になってるというのにかなり吃驚でした。何気ないものを撮って写真として仕上げるということをいとも軽々と何十年も昔にやってのけてるんですよね。特に被写体として際立ってもいないものを撮って、普通ならただの「見たまま写真」になってお終いとなるところを、それぞれ視線を留めさせるような雰囲気をまとわせた写真として成立させてます。今回の展覧会の構成としては額に入れて飾りもしてなかったので、この一連のスナップ写真はおそらく派生的な意味合いのものだったんでしょうけど80枚近くまったく飽きずに観てられたし、買った図録にはその一部しか載ってないのが凄い物足りなかったくらいこの展示は面白かったです。やっぱり何気ない被写体を見せるものにするのは光と影の工夫なんだなと痛感したしだいです。

単純に「ライト・スペース・モデュレーター」が動くところを見に来て、構成主義の絵画のダイナミズムや実験的な写真に思いのほか魅せられ、光を駆使した作風にかなりの共感を覚えるというかなり大きなおまけをもらって見終わるという展覧会でした。それほど関心があったわけでもない作家だったんですけど、光にこだわる様々な側面は映像に興味があって、さらに今写真機で遊んでもいる当方としては参考になるところが大いにあったし、見ておいて本当によかったと思います。

それと回顧展ということでモホイ=ナジの生涯の活動を俯瞰的に眺められる展覧会だったんですけど、こういうものって一昔前に映画が映画館でしか観られなかったように、展覧会として開催してくれない限り見られない内容なんですよね。自分が見たいと思うときに見られるようなものじゃない。しかもモホイ=ナジなんていうあまり一般的でもない作家の展覧会なんて逃してしまうと次にもうやってくれないかもしれないというところもあるから、こういう展覧会は機会があれば機会を逃すことなくとにかく見ておいたほうがいいと思いました。

あと、この展覧会の図録が結構良い出来でした。

モホイ=ナジ展図録
Nikon Coolpix P5100

3200円とちょっと高かったんですけど、芸術が主義なんかの運動として動いていた時代の雰囲気も取り込んでるような仕上がりの図録で、読むところも多く見ていて楽しいものになってます、図版以外のページの紙質がわざと若干安物っぽくしてあるのも、構成主義やバウハウスの活動が広告的なテクニックとして雑誌なんかの媒体で展開されてる部分が多かったのを、なんだか昔の雑誌でも読んでるような雰囲気で再現していて楽しいです。


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京都市国立近代美術館の今回の展覧会に関するページはこちら
著作権とかうるさいので載せられなかったモホイ=ナジの作品の一部が見られるようです。

それと京都での展覧会は4日に終了しましたけど、この展覧会は巡回形式の展覧会で、9月の17日から12月の11日まで千葉県のDIC川村記念美術館というところで開催されるようです。どうやらこれが巡回の最後の展覧会の模様。



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この日持って出ていたのは中古カメラ屋のジャンク籠に500円で転がってたキヤノンのdemi EE17というハーフカメラでした。カメラ内蔵の露出計は効いてたけど絞りの動きに反映されてないという状態だったのが唯一の不具合で、カメラに反映されない内蔵露出計を切って、マニュアル設定の露出に切り替えたらまったく普通に使えました。それでちょっと撮ったのがこんな写真。

帰路
Canon demi EE17 : Kodak Gold100

近代美術館の階段です。今見てきたモホイ=ナジの構成主義と光の使い方の影響が速くも出てきた感じかな。我ながら感化されやすいというか。ガラスに映った人の映像と階段の幾何学と壁面の色面の構成。なかなかかっこいいと自画自賛しておきます。

休息
Canon demi EE17 : Kodak Gold100

これも同じく近代美術館。この階段を上がっていったところがいつものメインの展覧会をやってる場所なんですけど、この日はこの会場は準備のために上がれなくしてありました。こういう時でないと撮れない感触の空間ではあります。

お喋り
LOMO LC-A : Agfa Vista 100

売店
LOMO LC-A : Agfa Vista 100

これは違う日に違うカメラ、LOMO LC-Aで撮ったもの。同じ近代美術館の写真なのでここに紛れ込ませておきます。
結構影とか意識して撮ってる時もあるんですよね。下のは美術館の売店の光景です。わたしは美術館の売店が好き。
上の写真はかなりのお気に入りです。

水の表情1
Canon demi EE17 : Kodak Gold100

水の表情2
Canon demi EE17 : Kodak Gold100

再び展覧会当日に戻って、岡崎公園の周辺で撮ったもの。疎水と白川が流れてるので水の写真を撮りたくなってきます。というか、岡崎公園って意外と撮るようなものがないんですね。広い土地に木々が点在してるだけ。平安神宮とか超有名な建築物はあるけど、見慣れすぎていてどうしても撮りたいというほどでもないし。


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Roberto Menescal - Influencia do Jazz


もともとはRoberto Menescal & Seu ConjuntoのBossa Novaというアルバムに入ってる曲。Roberto Menescal & Seu Conjuntoというのはホベルト・メネスカルとその仲間といった程度の意味らしいです。ホベルト・メネスカルはギタリストで編曲などもこなす、ボサノヴァ創成期に重要な役割を演じたミュージシャンの一人。
曲はいろんな人がカヴァーをリリースしてる、カルロス・リラの有名曲です。タイトルは日本語に訳すと「ジャズの影響」といった意味になるのかな。曲の印象とは随分と乖離したなんだかとても異様なタイトルですね。でもごつごつした印象のタイトルとは裏腹に曲は優しげで、このアレンジは特にノスタルジックな感じがして私は好きです。カルロス・リラが甘い歌声で歌ってるオリジナルもいいんですけどね。
今回取り上げてるアルバムはこの曲が再録されたボサノバ、サンバなどのコンピレーションのシリーズの一枚です。このシリーズ、ジャケットがいかがわしくて凄くかっこいいです。ヴィレッジヴァンガードの御用達のCDだから、全シリーズヴィレッジヴァンガードのCDコーナーで見られると思います。



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BOSSA NOVA EXCITING JAZZ SAMBA RHYTHMS - VOLUME 1BOSSA NOVA EXCITING JAZZ SAMBA RHYTHMS - VOLUME 1
(2007/01/13)
オムニバス

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アマゾンではまたしても品切れの模様。わたしが選ぶものがことごとくアマゾンに入ってない。面白いコンピレーションのシリーズなんだけどなぁ。