2011/10/24
【写真】 新世界へ +廃墟について +唯一無比
暫く前からパソコンから異音が聞こえ始めてます。なんだか結構やばい感じ。10年ほど前から使ってるPCで、5年目に基盤交換するような故障を起こし、その時に修理してからさらに5年経ってるわけだから、いつ壊れてもおかしくない状態ではあるんですけど、今こういうことに使えるお金は全部カメラに回ってしまってるから、壊れてもらうと本当に困るんですよね。どうしようかなぁ。
気分的にはまさしくどうしようかなぁというものなんですけど、どうしようかなぁと云っても壊れてしまっては選択肢はないので、買い替えを頭において最近のPCのスペックなんかを調べてみました。10年前の知識ではもうほとんど別世界というかどの状態が高性能なのかも良く分からない状態でした。
CPUもハードディスクもメモリもまったく違う規格になってます。
これでも今使ってるのは3DCG用にハイスペックで注文したワークステーションなんですけど、Xion二基搭載でメモリ1Gって10年前はかなりのものだったのに、今はクアッドコアにメモリ10Gって少し高価だけど特別なものでもなくてそれなりに当たり前の仕様になってるんですね。わたしの10年前のワークステーションは10年で最低スペックのPCに成り下がったわけで、10年で普及機にも負けてしまうハイスペックって、値打ちないというのが今の正直な感想だったりします。10年前に今のPCを買った時はとにかくハイスペックって考え方だったんですけどこんなにスペックダウンが激しいなら、今度買うとしたら普及機でいいかなと思ってます。
ということで、急に音信不通になる可能性が出て来てるんですけど、そうなった時はPCが壊れてしまったんだなと推測しておいてください。
☆ ☆ ☆
今回は大阪新世界に行って通天閣周辺で撮ってきた写真のお話です。もちろん通天閣はずっと前から知ってたんですけど、今まで一度も見に行ったことがありませんでした。近くに訪れる用事でもないと行ってみる理由もなくて、大阪というわりと近場でも行った事がないという感じの場所になってました。
それが唐突に行ってみようと云う気分になったのは、最近カメラを持って色々と散策してるので、どこか面白そうなところはないかなと物色してるうちに、偶然通天閣の写真を見たのが切っ掛けでした。写真そのものはオーソドックスな通天閣の写真だったんですけど、わたしはそれを見たときに、ミニチュアが巨大化して突っ立ってるっていう、説明するのはなかなか難しい屈折した印象を持ったんですね。通天閣という塔のミニチュアを実物大に巨大化してるっていう妙な印象。通天閣は今通天閣ロボっていう通天閣が変形して巨大ロボットになるというキャラクターを展開してるんですけど、ロボットに変身してもあまり違和感がないところがあって、そういう部分がわたしのなかで巨大なミニチュアっていうような印象に繋がっていったのかもしれません。通天閣の観光写真からこういう妙な印象を持ってしまったために、これはぜひとも見に行って巨大なミニチュア振りをカメラに収めてこなくてはという欲望がわたしのなかで呼び起こされることとなりました。
塔といえば、京都にも京都タワーがあります。でもこれもわたしは未だに登ったことがないです。京都タワーの基部にあるビルはホテルを除くと観光客相手の土産物屋ばかり、上の階には本屋なんかがあったものの隣の今はヨドバシカメラになってしまったプラッツ近鉄に京都では本屋としては最大規模の旭屋書店が入ってたりしたから、京都タワーのビルにはまったく用事がなかったんですね。だから通天閣は塔に登るという意味でも初体験に近い体験になるものでもありました。ちなみに通天閣に通天閣ロボというキャラクターがいるように、京都タワーにもたわわちゃんというマスコットがいます。
☆ ☆ ☆
こんな経緯で新世界へは9月頃から何度か訪れて写真を撮ってました。一番最初に行ったのは写真の現像の日からみると9月の中旬の頃。最初に訪れる前に、何しろ新世界だとか通天閣だとか名前は知ってはいるけど、大阪にあるというだけで大阪のどの辺りなのかさえさっぱり知らなかったから、地図で確認することから始めました。
地図とか調べてみて地下鉄の御堂筋線の天王寺か動物園前で降りると新世界にいけるらしいという情報を得て、その時はそれで一応満足してしまいました。実際に行ったのはこういうことを調べた少しあとになってからで、梅田辺りに出かけたついでに立ち寄ってみようと思ったときでした。
ところが少し前に地図で調べてたのに、新世界に行ってみようと御堂筋線に乗ってみて、ここでちょっと迷ってしまったんですね。地図で見てたときは天王寺と動物園前のどちらも新世界に近そうだったからどちらかで降りるということは分かっていたんだけど、実際に降りるとしたらどちらのほうがより正解なんだろうって。
地図を見たときに大体の場所と交通が分かった時点で満足してしまって、細かいことを詰めてませんでした。体が2つあれば天王寺と動物園前の両方で降りて比べることが出来るんだけど、実際は体一つなので降りるときにはどちらの駅で降りるか決めなくてはなりません。ちなみに電車の類は各線共通のICOCAカードを使ってるので、乗り込む前に買った切符の行き先で降りなければならないということもなく、どこでも思いつきで乗り降りできるような乗り方をしてます。
結局ちょっと考えて、天王寺の駅で降りることに決めました。動物園前はあくまでも動物園の前に特化してる駅で新世界へは行くとしたらついでに行けるようなロケーションにあるようなイメージだったから。さらに実は天王寺って以前に一度だけ近鉄百貨店の阿倍野店、この百貨店が天王寺駅の真上にあるんですけど、この百貨店に来たことで、始めての場所でもないしこのときの印象が巨大なターミナル駅のようなものだったので、天王寺のほうがどこにいくにも総合的な駅のような感じがしました。
でも実際に天王寺の駅で降りて地上に出てみても新世界も通天閣もどこにあるのか気配さえもさっぱり見当たりませんでした。こちらに行けば新世界といった案内も見当たらない様子です。
近鉄阿倍野店に来た時は百貨店の中だけ見てそのまま地下鉄に乗って梅田のほうにいってしまったから、一度来た事はあっても外の様子を見るのは初めてに近い状態。駅の周りをちょっとうろついてみたんですけどどの方向に行けば良いのかも見当がつかない状態でした。

Nikon AF600 : Kodak Potra 400NC
それでも新世界ってどっち?と迷いながらこんな写真撮って歩いてたんですけど、こんなことしてたら新世界に着くまでに日が暮れてしまうと思って、また元に戻り、近鉄阿倍野店の見晴らしがよさそうなところに登って通天閣が見える場所を探そうと思いました。
近鉄百貨店2階辺りの建物の外周を巡る外の回廊に出て、そこから道路のほうに延びてる陸橋の辺りで通天閣を発見。

Nikon AF600 : Kodak Potra 400NC
(右手はるかかなたに立ってるのが通天閣です)
初めて目にして思ったことは、これはちょっと遠いんじゃないかな?っていうことでした。
とはいうものの、陸橋の上に立って思案してても仕方ないので、午後もそれなりに過ぎつつある時間帯ということもあって、とにかく目の前に目標物があるんだから、とりあえずそちらに向かって歩いてみようと、陸橋から地表に再び降り立ちました。
写真の薄いビルの右手にちょっとした広場があって、そこは天王寺動物園の入園ゲート前の空間だったんですけど、その広場を通天閣が見える方向に歩いていくと、新世界、通天閣方面と書かれたアーチがついてる道に出くわしました。道は動物園を縦断するような形で、でも動物園とは柵で分離されて通天閣の方面に続いてます。目的地方面というアーチがかけてあるから、わたしは結局その道を歩いて新世界を目指すことにしました。数区画に分離された動物園を縦断するような形で歩き続け、動物園に隣接する天王寺公園、大阪市立美術館のそばを通り抜けて、思ったとおり結構な道のりを踏破したあとでようやく動物園の新世界ゲート脇に到着。結局のところ降りる駅は動物園前が正解だったんですけど、こういう写真も撮れたことだし動物園縦断の道のりもそれなりに良かったことにしておきます。

Nikon AF600 : Kodak Potra 400NC
新世界ゲート脇の曲がりくねった立体的通路。
新世界は通天閣を中心にした四角い区域で外周の四辺にむけて通天閣から放射状にいくつかの道路が延びているようなデザインになった町です。その外周の一辺に動物園のゲートが隣接したような形になっていたので、このゲート脇を抜けると目の前には即座に新世界が広がることになりました。もう目標物の通天閣はどこにいても上を見上げさえすれば簡単に発見できるところまでやってきたので、とりあえず一枚写真を撮ってみました。

Nikon AF600 : Kodak Potra 400NC
やっぱり巨大なおもちゃのように見えるなぁという感触が肌に感じるほどリアルに伝わってくる感じでした。
それと通天閣の真下辺りに近づいてちょっと異様な感じがしたのは、この塔が商店街のど真ん中に商店に隣接して立っているということでした。

Nikon AF600 : Kodak Potra 400NC
京都タワーだと下はビルになっていて、この区域は京都タワーの区域ですという風に空間的に区別されてるような形になってます。塔の空間というものが特別にしつらえられていて、周りの住居空間とは異質の世界だと分かるようにしてあるんですけど、通天閣は塔の、いわば非日常的な空間が生活空間に地続きで隣接してるような形になってるんですね。写真で感じが分かると思いますけど、まるで怪獣が街中に足を踏み下ろしたような形で突っ立ってます。はじめてみたわたしにはこれがかなり異様な印象として迫ってきました。
この日は到着したのが遅かったこともあって、街の雰囲気と周囲の様子を感じ取る程度に歩き回って、夕方から動物園前駅を探すのも面倒になったので、動物園を縦断する道を再び戻り天王寺駅から帰宅することになりました。
☆ ☆ ☆
その後何度か新世界には足を運んで写真を撮ることになりました。当然次からは動物園前駅で下車してます。

NATURA CLASSICA : NATURA 1600
動物園前駅を始めてみたのは阿倍野近鉄に行った帰りのことでその時からどこがどうとはいえないけどフェリーニのローマ風っていう印象を受けていて、一度写真に撮ってみたかった場所でした。京都市の動物園が意外と規模が小さかったのでそのうち天王寺動物園で動物園写真のリベンジでもしようと思っていて、この駅の写真は天王寺動物園に行く時に撮ろうと思ってたのが、思わない形で実現。わざとスタティックに撮ってみました。かっこいい♪
動物園前駅をでて地表に上がると、ジャンジャン横丁に入る入り口の前に出てきます。ここには新世界への案内もあって、やっぱり通天閣に行くにはこっちの駅が正解と改めて確信できました。
ジャンジャン横丁も名前は知ってたけど、この時まで新世界に通じる道のことだとは知りませんでした。ジャンジャン横丁ってこんなところにあるんだと予想もしない場所でタレントでも見かけたような気分で眺め歩いてみました。大体大衆酒場とかこの一帯の名物、ソース二度づけ禁止の串カツ屋とかが並んでる細い路地です。人通りもそれなりに多く串カツ屋の店先には長蛇の列が出来ているところもありました。狭い路地に人が多く、写真はちょっと気後れしてあまり撮れず。
食べ物屋以外にも将棋をさす場所も目だっていて、そういうところで一枚撮ってみました。ここじゃないけど坂田三吉が通っていた将棋会所がジャンジャン横丁にあるそうで、将棋をさす場所が目に付くのはそういう理由からだと思います。
これ、結構気に入った写りかたしてます。白のニュアンスだとか色の出方も綺麗だし若干の立体感もあるし。ピントは観戦してるおじさんに合わせたほうが良かったかな。

Nikon FM3A : Ai Nikkor 50mm f/1.4S : Kodak Portra 400NC

Nikon FM3A : Ai Nikkor 50mm f/1.4S : Kodak Portra 400NC
ジャンジャン横丁の出口近くの壁にかけてあったハートのオブジェ。びっしりと鍵がぶら下がってます。周囲にごちゃごちゃと説明のようなものがかかれてましたけど、面倒なので読まず、というか読み出しても今ひとつ意味不明でした。ハートに鍵という組み合わせはそれなりに相性はよさそうなんだけど、これなんだったんだろう?おみくじみたいな占いものだったのかなぁ。
☆ ☆ ☆
初日以降に撮った通天閣の写真。

Nikon FM3A : Ai Nikkor 50mm f/1.4S : Kodak Portra 400NC

Nikon FM3A : Ai Nikkor 50mm f/1.4S : Kodak Portra 400NC
ジャンジャン横丁を抜けて再び通天閣を見上げる新世界の地に立ちます。新世界の印象は色使いのせいなのか街の雰囲気なのか、わたしにはどことなくアニメ「鉄コンキンクリート」の世界を思い起こさせます。
通天閣の足元から周囲に向かって放射状に伸びている通りのうち、通天閣に正対する通り、新世界の四角い区域の真ん中で新世界の南側を東西に二分するように伸びてる通りで、通天閣に登った時に貰ったパンフレットによると通天閣南本通商店会というのが、メインストリートになります。この通りと通天閣エリアの南端を区切るように東西に伸びる新世界公園本通商店会が交差する辺りから、交差ポイントにあるふぐ料理のづぼらやの巨大フグ看板を一緒に収めて撮るのが通天閣の一番見栄えがする写真の撮り方のようで、わたしも定石に倣ってその辺りから撮ってみました。ここには貼りませんけど一枚は本当にどこにでも見られるような観光写真になってました。もう一枚は趣向を変えてづぼらやのフグ看板にせまって撮ってみました。ちょっと迫りすぎて通天閣が押され気味になってます。
こうしてみると、流線型のような優雅な曲線があるわけでもないし、デザイン的にはそれほどスマートでもないんだけど、なぜか眺めていてあまり飽きないという印象もあり、わたしに関しては超巨大なおもちゃという印象も相まって、なかなか面白い存在感を持った構築物だと思います。
通天閣はこんな感じですけど、それでは通天閣の下に広がる新世界はどんな場所だったかというと、一通り見渡してみての感想は中央に聳える通天閣ほどユニークな印象を与える場所でもないかなという感じでした。通天閣の前面に伸びるメインストリートの通天閣南本通商店会が一番にぎやかで店が連なってるものの、他の通りは民家になってたり、普通の商店街風の通りだったりして、わざわざ観光に来る意味がありそうなところもあまりないです。一番にぎわってるメインストリートも名物の串カツを売る食べ物屋とお土産屋、パチンコなどの遊戯施設や、大阪らしい派手な服を売ってる店なんかが目立つ程度でわざわざ電車に乗って京都から買い物に来るようなところでもない感じ。最初にやってきた時通天閣の東南辺りの方向に古びた場末の映画館を見つけて、京都で云えばもう潰れてしまったピンク映画専門の八千代館的な雰囲気を濃厚にまとった、どことなく懐かしい昭和的な感触を伝えてきてこの映画館の佇まいは面白かったです。日を改めて訪問した時に、こういう昭和的でノスタルジックな場所が他にも一杯あるに違いないと思って期待したんですけど、新世界エリアをさっと歩き回ってみてもこういう場末的な場所は他にはほとんど無く、一軒だけあった大衆演劇をかけてる劇場がそんな感じにみえないこともないといった程度でした。
思うに真横に動物園があるから、地元の人以外は動物園の帰りに新世界でご飯食べたりという関わり方をしてる町なんじゃないかと思います。観光できたら通天閣は観光気分を満足させてくれますけど、新世界のほうは正直どうかなという印象でした。

Nikon FM3A : Ai Nikkor 50mm f/1.4S : Kodak Portra 400NC

Nikon AF600 : ILFORD XP2 SUPER 400
いかにも昭和の映画館といった風情の映画館。自転車に乗って普段着のまま映画を観に来るっていう身近さは今のシネコンなどではあまり残ってないんじゃないかと思います。

Nikon FM3A : Ai Nikkor 50mm f/1.4S : Kodak Portra 400NC
新世界の北西方向にあった市場。そういう日だったのかシャッターを下ろしてる店が大半でした。その土地の完全な生活空間ですけど、こういう場所は歩いてみると結構面白いです。ただやっぱりもうちょっと活気はあったほうが良かったです。

NATURA CLASSICA : NATURA 1600
カブトムシを背負う少女。こんな被写体他では絶対に見かけないと思ってシャッター切りました。このカブトムシ、足に車がついていて引っ張って歩くおもちゃなんですね。この少女は最初は車を引っ張って歩いてたんですけど、おもちゃに合わせてあまりにも歩き方がランダムになったからなのか、隣のお父さんらしき人がこういう形にしてしまいました。
なぜこんなおもちゃを持ってる少女が歩いてたかというと、おそらく隣接する動物園に行った帰りで、動物園のお土産にこういうおもちゃを買ってもらったんだと思います。ほかにも象の車を引っ張ってる子供とかいたりしましたから。
でもカブトムシの車を選ぶのはやっぱりちょっと珍しいんじゃないかと思います。

NATURA CLASSICA : NATURA 1600

NATURA CLASSICA : NATURA 1600

Nikon FM3A : Ai Nikkor 50mm f/1.4S : Kodak Portra 400NC
新世界メインストリート付近とビリケンさんです。
ビリケンさんの本物は通天閣の最上階に置かれてるんですか、麓の新世界でも各店が独自のビリケンさんをいろんな形で展示してます。
☆ ☆ ☆
実際に通天閣に登ったのは何回か写真を撮りに来てからでした。まず二階に上がってそこから入場料を払って展望台に登るようになってるんですけど、いつ行っても割りと人が並んでる状態で、並ぶのが嫌だからまた次にきたときにしようって云う気分になってなかなか上に上がれませんでした。
それでも多少は空いてる時があったので何度か写真撮りに来ている間にそういうときを見計らって登ってみました。二階へ上がって入場料を払ったあと、二階から一気に五階の頂上までエレベーターで連れて行かれて、そこから四階に降り、四階から下りのエレベーターで三階に下りてから、階段で二階に戻ってくるというコースになってました。それぞれの階には多少の趣向が凝らしてあって、わたしはミニチュア好きなので、展望台以外だと三階にあった新世界の昔の光景を再現したジオラマが割りと楽しかったです。コースといっても次の場所に進むのはまったくの自由で気に入った場所には好きなだけ居続けることが出来ます。

Nikon AF600 : ILFORD XP2 SUPER 400

Nikon AF600 : ILFORD XP2 SUPER 400
ご本尊というか、これが大元になってるビリケンさんの像です。通天閣の最上階にこうやって置かれてます。通天閣のスタッフの人が若干悪ノリ風ののり方で大騒ぎしながら、来訪者にビリケンさんと一緒になった写真を撮ってくれるサービスをやってました。
ビリケンさんは足の裏をなでると願いがかなったり幸運が訪れるそうなので、みんな足の裏や体をなでて行きます。足の裏はなでられ続けて磨り減ってます。
通天閣に行ってみようと思った時から、わたしにはこのビリケンさんに会うのも楽しみの一つになってました。
釣り目で笑みを浮かべ、両腕は硬直したように下に下ろして足を投げ出し、その足の裏をなでると幸運が訪れるって、幸運をもたらす神としては非常に不思議なイメージの像なんですが、元々はアメリカの芸術家フローレンス・プリッツが夢に出てきた像を元に制作したものなんだそうです。日本では通天閣とセットになってるようなイメージだけど、通天閣固有のものではなくて、世界各地ではやった神様らしいです。有名どころではアメリカ・セントルイス大学のマスコットになってるビリケンさんがいます。
日本でも通天閣以外に神戸や箱根にも安置されてるところがあるそうです。
戯画化した東洋人、おそらくフローレンス・プリッツが無意識的に持っていた東洋人のイメージが投影されてるというところなんでしょうけど、見てるうちにそんなこと関係なくなってきて、意外と愛嬌のある神様に見えてきます。
今回通天閣に行くことで始めて知ったのが、今のビリケンさんは実は二代目で、初代は戦前、通天閣の前身に当たる遊園地ルナ・パークに置かれていて、そのルナ・パークが閉鎖になるのと同時に行方不明になってしまったそうです。その後戦争をはさんでビリケンさんが行方不明のまま時は過ぎていき、通天閣に「通天閣ふれあい広場」を作る計画が持ち上がったとき、かつての人気者だったビリケンさんを復活させようとする計画が持ち上がって、今通天閣の頂上展望台に置かれてるビリケンさんが製作されたとか。これが1978年のことで、まぁそれでも30年くらい経っているんですけど、このことを知った時にはビリケンさんは通天閣とともに昔からずっとここにいたんだと思ってたので意外と新しいというか、こんなに通天閣と結びついたイメージなのに不在の期間が想像以上に長かったことにちょっと吃驚してしまいました。
ここで通天閣の最上階でしか買えないというビリケンさんの置物を購入。ちょっとケチってしまって一番安いのにしたんですけど、縁起物なんていうのを買う気になったのならケチらないでもっと豪華なものにしておけばよかったとあとでちょっと後悔。こういうものはケチるような程度の意気込みしかないなら買わないほうが賢いです。
それとビリケンさんと同じくらい、巨大なおもちゃを連想させた通天閣の模型も置いてあれば欲しかったんですよね。通天閣のおもちゃを超巨大化したような印象の通天閣をさらにもう一度ミニチュアにしたようなおもちゃ。物凄く屈折した存在感の置物です。ところが東京タワーなんかの置物は定番でありそうだから、同じような置物が通天閣にも定番で置いてあると思ったのに、これが見つかりませんでした。通天閣公認の売店、頂上展望台の売店にも、根付みたいに携帯にぶら下げるような小さいもの以外の通天閣オブジェはなかったです。
通天閣ロボも期待してたのに、これもお土産の中にはまるで見当たりませんでした。通天閣ロボは本気で欲しかったんだけどなぁ。
反対に意外と多かったのが通天閣まんじゅうとかいうような食べ物の類。通天閣の形をした瓶に入ってる飲み物とかもありました。お菓子のバリエーションが驚くほどに多かったのは、やっぱりくいだおれの大阪的局面が出ているということ?
おもしろかったのが店の人がもう店にあるだけでお終いのお得な限定品!って薦めてたお菓子に「あの島田○助がプロデュース!」って伏字つきの宣伝文句が貼ってあったこと。なんでも商売に利用するんだなぁと感心しました。
ビリケンさんは通天閣に座ってるのが本家、新世界の各店が店頭に飾ったりしてるのはそっくりさん、イミテーションと、ビリケンさんに関してはこの写真を撮りにいってた時はそういう風に受け取ってたので、新世界の街中に点在するビリケンさんはあまり写真には撮りませんでした。

DIANA MINI : Lomography Color NEGATIVE 400
(このビリケンさんは様式を崩しすぎ)
でも街中のビリケンさんもそれぞれ立派なビリケンさんだと考えると、それぞれ本家とは違うニュアンスが加わっていて個性があって面白いんですね。街中のビリケンさんをいろいろ撮ってこなかったのは今ではミスしたと思ってるので、今度行った時は新世界に生息するビリケンさんをコレクション的に写真に収めてみたいなぁと思ってます。
ビリケンさんに関してもうひとつ。昔邦画で「ビリケン」っていうのがありました。製作年は1996年主演はたしか杉本哲太でビリケン役。他には山口智子とかも出てました。この映画昔に深夜放送でちょっと見た記憶があります。でも内容はほとんど覚えてないし、杉本哲太がビリケンさんっぽい髪型ででてきて興ざめしたような印象しか残ってないので、もう一度見てみたいなぁという思いが募りつつあります。ところが調べてみるとビデオテープでは出てたようなんですけど、どうやら未だにDVDにはなってない様子。
通天閣に登ってビリケンさんの足裏をなでてから、この映画が妙に見たくなったわたしの気分は落ち着きどころを失って不安定に漂ったままになってます。
☆ ☆ ☆
これも新世界のうちに入るのかどうか分からないんですけど、新世界のエリアの南西のはずれに、フェスティバル・ゲートっていう遊園地の廃墟がありました。

Nikon AF600 : ILFORD XP2 SUPER 400

Nikon AF600 : ILFORD XP2 SUPER 400
新世界の地図をグーグル・マップで見ていて、ビルとしか思えない一角に蛇のような構築物がのたうってるのを発見して、これはなんだろうって思ってたらビルと絡み合うように作られた遊園地のジェットコースターだったんですね。調べてみてフェスティバル・ゲートという遊園地だったのは分かったんですけど、すでに閉鎖した施設でした。
わたしにとって凄いと思えたのはそのあとで、この遊園地、動物園前駅の辺りから新世界にかけての通路としても利用されていたようで、フェスティバル・ゲートが閉鎖されたあとでも新世界にいける園内のルートは利用者に開放されていたということでした。フェスティバル・ゲートは閉鎖されたあとは廃墟になっていくんですけど、それでも園内を通る道は通天閣へのルートとして確保されていて、いわば廃墟の中を合法的に歩き回れる状態になっていたと。廃墟なんて入ろうと思っても勝手に入れないし、放置された建物も風化してきわめて危険な状態になるのが普通なのに、ここは遊園地が廃墟化していっても廃墟のままで管理会社によって安全性が管理されてるという珍しい場所になっていたようでした。
この場所に気づいたのは最初に通天閣に行ってからのこと、次に通天閣にいったらどういう風に歩こうかとか考えて周辺部分も眺めていた時でした。前にも何かの折に書いてるかもしれないけど、わたしは結構廃墟好きで、街中でつたに覆われた廃屋なんか発見すると写真に撮らずにはいられない感覚の持ち主なので、これは凄い、次に行った時は絶対にこの場所に足を運んでみようと思いました。
でも、そんな風に鼻息荒く勢いづいたのもわずかの間だけでした。
調べてみると長い間放置されていたくせに、なんと最近になってから跡地をどうするかようやく決まり、去年から解体工事が始まって、今ではもう通路としても中に入れなくなってるということが分かってきたんですね。気がつくのがわずかに遅かったというか。でも本当にそうなのか確認のために新世界を再訪したときに確かめに行ってきました。
結果は調べて知ったことに間違いはなかったということ。正面の建物と道路にはみ出すように飛び出しうねってるジェットコースターのレールはまだ解体されずに残ってはいたものの、正面玄関から入ったら即座に閉まったシャッターと対面するだけの状態になってました。正面ゲートの裏側に地下に通じる連絡通路があって、この通路が地下鉄から地上に出るルートとして残ってるだけ。これはもとからフェスティバル・ゲートへ地下通路から登っていくための地下鉄延長道路に過ぎない感じで、この通路を下りていったとしても廃墟の中に迷い込んだという感じは余りありませんでした。通天閣に登った時、展望台からこの方向を眺めてみると、見事に工事現場、遺跡の発掘現場みたいになっていて、フェスティバル・ゲートという遊園地があった痕跡はほとんどなくなってるような感じでした。文字通り一足遅かったという感じで、これは本当に残念。
☆ ☆ ☆
廃墟だとか枯れた花だとか錆びた看板だとか壁に書かれた文字だとか、こういうものに気を惹かれて、視界に入ってくるといちいち立ち止まって眺めてみないと気がすまないのは、一体どういうことなんだろうって、ちょっと考えてみました。
それで思ったのは時間が重なり合い、時間が堆積していくというのはすなわち「物語」が事物の背後に降り積もっていくということなんだと思うんですけど、廃墟化し時間の外に置かれるような感じというか、廃墟になって通常の時間から廃墟の時間に移ってしまうことで、その事物に降り積もっていた物語が顕現化していくようになる、この事物の背後にあって廃墟化で割りと見やすい感じに顕在化してくる積み重なる時間(物語)が、わたしにとって廃墟が唯の汚い場所ではなくて、気を引く事物として立ち現れてくるポイントになってるんじゃないかということでした。
写真を撮るということはかなり多義にわたってると思います。記録であったり、混沌でしかない世界に幾何学的な再構成を試みたり、光で絵を描いたり、決定的なシャッター・チャンスであったり、好きなものコレクションであったり、といった様々な側面があります。そしてそういう多義にわたる写真を撮るという行為の中に事物の背後に見え隠れしてる物語を写真に撮る事で掬い上げ、印画紙の上に焼き付けるというようなこともあると思うんですね。
そして、それがすべてではないにせよ、そういう風に写真が事物に降り積もった時間をある一瞬で切り取り、写真の時間に留めてしまうということが、わたしには廃墟が生成する時間と相似の部分があるような気がして、こういうことを考えていると、これがわたしが写真に惹かれる一つの要因であるんじゃないかななんて思ったりします。云うならば写真機は簡易型廃墟製造装置といったところかな。漢字で書いてみるとレトロなSF映画に出てくるがジェットのようで、意外にかっこいいですね。
☆ ☆ ☆
最後に今回の新世界探査行に連れて行ったカメラのことをちょっとだけ。複数回訪れてるので、その都度違うカメラを持っていってたんですけど、その中でNikonのFM3Aについて。
このカメラ、五月頃に大阪難波のカメラ・ショップで新品としか思えない状態のを買ったと書いたカメラです。
それっきり記事にしてなかったのでこれまでの経緯を書いておくと、買って程なくしてフィルム一本試し取りしたあと、梅雨から夏にかけては一眼レフではハッセルブラッドのほうを集中的に使っていて、今回の新世界に連れて行ったのが2回目の出番となりました。高いカメラ買ったから奮発して革のストラップを買ったんですけど、暑くなるにつれ汗で汚れるのも嫌だなぁと思い出して気分的になかなか持ち出せなくなりました。真夏になってから汗かいても気にならないように安いストラップに付け替えたものの、その時はハッセルが面白くなり始めていて、そちらばかり持ってでることになってました。ハッセルブラッドのストラップも革ではあるけど、父に貰った昔のままで表面はひび割れて、これ以上汚れようとあまり気にならない状態のものでした。どちらかというとひび割れた細い革のストラップなので、そのうち切れるんじゃないかという心配のほうが大きかったかな。
買ってすぐにFM3Aの試し撮りをした感じは、カメラの操作感覚はほとんど問題なく、快調に写真が撮れるというものでした。巻き上げレバーを手前に少し引き出した状態がシャッターロックの解除、電源系統のスイッチになってるので、左目でファインダーを覗いてるとレバーが顔に当たることがあるのが気になった程度、でもこれはむしろカメラを支えるポイントが増えて好都合かもしれないと考えることも出来ます。他には特に気になるところもなくて、ファインダーは広くて見やすく、ファインダー視野の横で動いてる露出設定の針の動きも分かりやすいと、非常に使いやすいカメラでした。フィルムを巻き上げる動作、シャッターの音や感触、適度に重い本体の質感など道具を操ってる快感をわたしの中から導き出してくるようで使っていて楽しいです。外観でいうとNikonのロゴが斜体なのが最初ちょっと気に入らなかったんですけど、これはそのうちどっちでも良くなりました。
レンズはFM3Aとともに買ったのが50mm、f/1.4といういわゆる標準レンズというものでした。普通に人の見る世界が誇張なく写せる画角だとか、ライカに標準で乗っかっていたレンズの画角だから標準扱いになったとか、色々と説のあるレンズです。自分で覗いてみた感じはこれが標準だといわれてるけど人の視野はもうちょっと広角だろうというところでした。
でも人の視野はもっと広角といっても、だからといって広角レンズで見える世界は人の視覚をシミュレートできるかといえば、広角レンズは広範囲をカバーしてはいるものの、それがファインダーという限られた領域に全部入ってくるために、事物は実際よりもかなり小さくなってしまい、見ているのとほぼ同じ印象で対象物がファインダーに納まるのは広角ではなくて50mm標準のほうになったりします。
だから、わたしには標準レンズで覗いた世界は、事物は目で見ているのと同じ大きさ、歪みもない形として見えるけど、普通に見ている世界をかなり狭い範囲で区切ってしまってる世界という印象を受けるものでした。
これが試し撮りをしたときにちょっと引っかかった部分。何しろコンパクトカメラの広角で馴れていたから、FM3Aで写した写真は誇張もない見たままの写り方でそのうえさらに随分と狭いというものに見えました。広がりもメリハリもない写真の大量生産という印象で、標準とは云うものの思ってる以上に使いにくいなぁと。実際にカメラ買った後、一月後くらいに28mm、f/2.8という広角レンズを買い足してます。
でも最初はこんな印象だったんですけど、新世界に連れて行ったりしてしばらく使ってみるとこれが意外と面白いんですね。高い通天閣も高い雰囲気で撮れるし、身近なサイズの空間である将棋会所も身近なサイズを感じさせる広さできちんと撮れる。こういうシーンを撮ると誇張されメリハリが出てくるというところは特にないんだけど、どんな対象物でも、自分で一歩前に出たり一歩後ろに下がったりすることでカヴァーできるような融通の効くところがある。それなりに工夫は要りそうだけど、工夫次第でどういう風にもなるレンズという印象に変ってきました。
夏の間ハッセルブラッドに夢中だったんですけど、こっちも持ち出す機会が多くなりそうです。
☆ ☆ ☆
Dorothy Ashby - Lonely Girl
ジャズ、ファンク・ハープの奏者ドロシー・アシュビーの曲。ハープでこういう曲をやるというのも珍しいうえに、他にもジャズ・ハープの奏者はいないことはないんですけど、そういう人たちがあくまでもジャスのほかの楽器をハープに置き換えたような印象を纏わり着かせてるのに比べると、ドロシー・アシュビーのアプローチは他のどの異種ジャンルのハープ奏者にも似てなくてまったくの独自というか、唯一無比の印象を与えます。
これはボッサ・ファンクとでもいうのかなぁ、基本リズムはラテン・ボッサなんですけど、重くて、そよ風が通り過ぎるようなボッサじゃないですね。
曲はNeal Hefti作曲のもので65年の映画「Harlow」のテーマだったもの。ミスター・ロンリーのボビー・ヴィントンのロンリー尽くしの歌唱や、トニー・ベネットがビル・エヴァンスのピアノをバックに歌ったのも有名。
ドロシー・アシュビーはかなりメロディのセンスがある奏者でそういうところが好きなポイントでもあるんですけど、そういう部分はここでも発揮されてるよう。ハープの美しさを損なわないで上手くこういうジャンルの音楽で展開してると思います。
わたしはこの人のアルバムで飛びぬけて好きなものが一枚あって、そのうちに記事にしようと思ってるんですけど、あまりに好きすぎて距離感がつかめなくていまだに手がつけられない状態でいます。
Dinah - Thelonious Monk
曲は20年代の古いスタンダード。ビング・クロスビーやルイ・アームストロングが歌ってます。
セロ二アス・モンクがここで弾いてるのはストライド・ピアノのスタイルです。この辺がひょっとしてモンクのルーツになってるのかなぁ。
リズムはドタドタしてるし、隣の鍵盤も平気で押さえるような演奏スタイル、不協和音なんか当たり前という演奏なのに、モンクの演奏って聴き終わってみるとリリシズムに溢れた演奏で吃驚するんですよね。
このリズム感とスタイルはバンド形式で演奏するよりも、ソロ・ピアノが一番面白いです。一人の演奏で飽きさせない数少ないプレイヤーの一人じゃないかなと思います。
☆ ☆ ☆
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