2012/08/29
【写真】初夏の頃奈良にて鹿と戯れる +【音楽】非在の場所から ー ルバイヤート・オブ・ドロシー・アシュビー
このところ朝晩はやや過ごしやすくなったとはいえ、日中は相も変らず汗拭きタオルが手放せないような日々が続いています。肩や首にカメラを提げて出歩いていると、知らない間に黒いカメラが日光を吸収して、触ると吃驚するくらい熱くなっているのに気づいたりして、世間では残暑、残暑と言い出しているにもかかわらず、夏が最後の力を振り絞って持てる熱気をここですべて吐き出しつくそうとしているような感じです。でも、まだまだ昼の太陽は熱波を送り届けてくるとはいえ、残暑という言葉を目にする機会が多くなったせいなのか、なんだか去っていく夏を惜しむような感覚もわたしの中に芽生え始めていて、思うに夏って「夏の名残の薔薇」なんていう詩情溢れるタイトルの曲があるように、去っていくのを感傷を持って眺めることが出来る唯一の季節なんじゃないかと思います。去りゆく冬を感傷を持って眺めるなんてあまりありえない感覚だし、そういう意味ではやっぱり夏は四季の中でも特別のハレの季節、祝祭感に溢れた特別の季節なんじゃないかと思います。
☆ ☆ ☆
とまぁ、夏の記事らしい枕を置いてから、今回の本題、奈良で撮ってきた写真のお話です。奈良に写真を撮りに行っていた期間はフィルムをスキャンしてPCに取り入れたフォルダの日付からいくと大体4月の終わり頃から6月の始め辺りまで、春の終わり頃から梅雨が明ける直前の頃までのことでした。夏が始まって以降に見舞われることになった熱波がもたらしたものほど暑くはなかった記憶があるんですけど、タオルで汗を拭きながら歩き回っていたのは覚えているので、今年の強烈な夏を間近に控えた予兆に満ちた暑さはすでに周囲の空間を染め上げているような感触がありました。
奈良といっても県内に点在する史跡を巡って色々と撮影場所を探したわけでもなくて、京都から直通でいける近鉄の奈良駅周辺を歩き回った程度でした。近鉄の京都からの直通に乗れなくて西大寺で乗り換えても2つ先の駅が終点の奈良。直通に乗れば寝ていても目的地に簡単に着きます。わたしは西大寺で乗り換えてまた延々と電車に乗って大阪の難波に行ったりすることがあったんですけど、大阪に行くことを思えば奈良は京都からはかなり近いです。
近鉄奈良駅の周辺には東大寺、春日大社、奈良公園、若草山などがあり、この地域で歩き回った最大のポイントは鹿がいること。奈良というとイコール鹿というイメージだと思うんですけど、奈良の鹿は春日大社の神様の使いなので、春日大社が存在しないほかの地域の奈良には鹿はいません。この鹿がいる地域でも鹿が闊歩しているのは若草山や奈良公園と春日大社の森を中心にしたこの一角だけで、隣接する奈良駅の近くでも公園の一部ではなくなると、鹿が歩き回る領域ではなくなっているようで一切見かけなくなります。
☆ ☆ ☆
実は奈良公園周辺に写真を撮りにきたのはこれが初めてではなくて、ちょうど去年の今頃に一度カメラを持って訪れてました。その時は近鉄奈良駅から南のほうに進んで猿沢池やならまち辺りを散策したんですが、猿沢池は辺に立つと向かい側がそのまま見えるというか簡単に全貌が見渡せるただの丸くて小さな池に過ぎず、池の辺を歩いても特に見た目が変化するわけでもない、一軒土産物屋が建ってるのがアクセントになる程度の単純に丸い池を一周してるだけの感興しかないような場所、ならまちのほうは京都の街中を歩いてるのと大して変らないなぁと言う印象のところでした。
だから去年の奈良行きはたいした写真も撮れずにこんなものかなとそれほど後を引かずに終了。それでも今年の初夏にまた写真を撮りに行く気になったのは、思い返すと冬の終わり頃に荒涼としたものを撮りに宇治川公園に行った延長上のことだったのかもしれません。
宇治川公園で衣を纏った管の写真なんかを撮っていた後、もっと荒涼としたところはないものかといろいろとチェックして、平城宮跡に行ってみたことがありました。
近鉄西大寺駅から奈良駅に至る短い区間の中ほどにある遺跡というか、広大な広場といった風情の場所。ここは昔平城宮があったところで、都ははるか昔に土の下に埋もれてしまっていたんですが、その都を土の中から発掘して、現代の地にそのまま復元させようという計画が進行している場所です。今もその計画は実行の真っ最中で、何もない野原に都が建設され始める頃の様子はこんなのだったんじゃないかと思わせる光景が広がり、野外の巨大博物館といった感じになりつつあります。ただ現在のところは朱雀門や大極殿などの建築物は建ってはいるけれど、場所の大半はまだ何もない平原と湿地、そしてそこを区切る道路跡と並木のように植えられた木々といったものが見えるだけのところだったりします。
この時撮った写真はこんな感じでした。

LOMO LC-A : FUJI ACROS 100
平城宮跡 大極殿
野鳥を撮りにきた団体が三脚の列を作っていたり、ピクニックの家族連れが来ていたりと、多少の人の姿は見られても、何もない空間の印象が強すぎて、ただひたすら被写体が存在しないといった場所でした。
これほど何もないと、何もないことの荒涼さを写し取る腕がない限り、荒涼としたものを写したくても写せそうなものがないという意識のほうが強くなって、結局色々と工夫する発想も思い至らずに、この時はほとんどシャッターを切らずに帰宅することになります。
ちなみに、奈良に写真を撮りに行ったあとで数年前に放送していたドラマ「鹿男あおによし」を観たんですけど、最後の儀式を執り行った場所がこの平城宮跡でした。ドラマでは鹿がここまでやってきてましたけど場所的には春日大社からはそれなりに離れているので、実際には鹿はここにはいないです。
どこに写真を撮りに行こうかと思案した時に、こんな切っ掛けで去年奈良に写真を撮りに行ったことと意識がリンクしたようで、晩春から初夏にかけての期間、暇を見つけてはたびたび奈良公園に写真を撮りに行くことになったわけです。
そういえば去年の夏頃に奈良公園へ写真を撮りに行った時、あの時は個人的な事情で春日大社の森に入れずに、結局奈良公園のほうはほとんど足を伸ばさず、京都似のならまち散策で終了してしまったけど、今年は神社にも気兼ねなく入れるからひょっとしたら面白いところでもあるかもしれないと、思ったこともあったのかもしれません。
先にも書いたように、今回歩き回っていたのは近鉄奈良駅からあまり離れずに散策できる範囲に限定していて、エリアとしては東大寺から春日大社の一帯で、西の果ては佐保側流域を少し歩いた程度、東の端も若草山のある辺りまでという結構狭い範囲となりました。あとで思うには、佐保川のほうは街中を歩いていて偶然発見した川沿いの散策路だったので思いつきで散策範囲を広げたといったところがあったけど、中心は、ほとんど意識はしてなかったものの鹿がいる領域というのに限定して歩いていたような気がします。
☆ ☆ ☆ 街角 ☆ ☆ ☆
奈良駅に着く直前から地下化する近鉄電車を降りて東端の出入り口から地上に出てみると、駅の東側に沿って南北に商店街のアーケードが連なっています。奈良公園へ繋がる駅前の大通りによって北と南に分断されている商店街で南の猿沢池やならまちに通してる東向商店街はいかにも観光地の商店街といった風情で京都で云うと新京極っぽい雰囲気がある通り。この商店街は猿沢池に通じる三条通と交差するところに出るとお土産屋が並ぶ一角に繋がっていきます。去年やってきた時はこちらの商店街を抜けて南のほうに行ったので、今回は大通りをはさんで北に伸びる東向北商店街のほうを歩いてみました。晩春に奈良で歩き回っている時のコースはこちらの商店街を進んで途中で東に折れて東大寺のほうに行くというようなコースを辿ることが多かったです。通り一つはさんでいるだけなのに、こちらはかなり地域に密着した商店街という風情に変化してます。知らない場所でその土地の商店街なんかを歩くと、その地域の生活に密着している分、こちらの生活と遊離している部分が観光客を想定して展開している商店街よりも生々しくて、見慣れない感覚が強くて面白いように思います。
そんな東向北商店街で出会ったショーウィンドウ。

Konica BIGMINI BM201 × KODAK GOLD 100
このウィンドウに出会って一目見て思ったのは「不気味」ということでした。陽射しのきつい日で、表通りに面したウィンドウでもなく前を通る人もいなかったせいもあって、白昼夢のような雰囲気さえあったのでおもわずシャッターを切った感じ。
どうして乱歩の小説に出てきてもおかしくないくらい不気味な感じがするんだろう?と思い、ひょっとして首無しマネキンのせいなのか、埃が積み重なってる感じもするガラスの中で永遠に微笑んでいる子供のマネキンが思い起こさせるのが、不気味さの根源を探りたくて部分を切り出した写真も撮ってみたんですけど、出来た写真はこれほど不気味な感じはしなかったです。
近接して撮った写真を考え合わせると、これだけの数が並んでいるというのが不気味さを醸成する重要なファクターなんじゃないかと思いました。それと地面の照り返しで下から照明が当たっているような感じになってるところも効果絶大かな。
ここはノグチ百貨店という店なんですけど、「鹿男あおによし」で玉木宏演じる小川先生が3枚1000円のパンツを買ったところでもあります。

Hasselblad 500C/M × FUJI ACROS 100
東向北商店街をさらに北に進んで、奈良女子大に出る直前くらいの民家の壁に掲げてあった映画のポスター掲示板。打ち捨てられた雰囲気濃厚で、側には錆びた交通安全のプレートなんかも掲げてあったのを覚えています。
地下劇場という単語がちょっとイメージを膨らませてるかも。探し回ったわけでもないんですけど近くに映画館は見当たらなかったから、おそらく当の映画館はすでに存在しないものと思われます。ある種時間が積み重なっていった様子の視覚化オブジェで、はぎ取り残された断片がもうちょっと彩り豊かなものだったらさらに良い雰囲気になっていたんじゃないかと思います。
☆ ☆ ☆ 奈良的な何か ☆ ☆ ☆
よく歩いていたコースはこの地下劇場の名残りのある場所から東大寺のほうに向けて歩いていくという道を辿るようなものでした。そういう道筋に沿って歩いていると、奈良文化会館や奈良税務署を右手に見て東大寺の南大門と大仏殿を結ぶ参道の中間地点辺りに出てくることになります。この辺りは修学旅行生や観光客や鹿で一杯。

Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400
東大寺大仏殿の東少し離れたところ、森が始まる境界辺りに並ぶようにして建っていたモニュメント二つ。動物のほうは「 アショカ・ピラー」というものらしくて、1988年に行われた花まつり千僧法要の際に建てられたものだとか。信仰深かったインドのアショカ王が建立した石柱の頭部を復元したものとあって、写真はその獅子の部分のみを撮ったものですけどこの下に象のレリーフがついた基部とか色々と凝った装飾が施されています。わたしは一番上の獅子よりも象好きなのでこの部分もいろいろと撮ってみたものの、どれもこれも結果的に思うように撮れませんでした。
もう一つのほうはかつて東大寺に存在していた七重塔の天辺にあった相輪の復元物で、大阪万博で塔そのものを復元した時の相輪部分が寄進されたものなんだそうです。これだけで十分に高く聳え立つ建造物でした。
搭状のものは個人的には撮るのが凄く苦手です。ライカ判で横方向のフレームで撮ると左右に間が抜けたような空間が出来るし、縦構図にすると単純に被写体の形に合わせただけのようなイメージになってなんだかつまらない仕上がりになることが多いです。
細長く屹立しているものに対するそういう逡巡を元にして、相輪のほうはあえて被写体の形にフレームを合わせた上でさらに真ん中においてみたもの。典型的な日の丸構図にしてみたんですが、真ん中に置くってあまり作為がないようなおき方になるかと思うと、意外なほど作為的な雰囲気にもなる構図でもあったりします。ちょっとティルマンス風のイメージを狙ったりもして、さてどんな印象に映ってるのか。

Nikon F100 : AF 28-105mm/f:3,5-4.5D × Kodak Profoto 100

CONTAX TVS2 × FUJI PRO 400

Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400
東大寺の東側の森を抜けて三月堂の方向へ歩いていくと、三月堂の南側に少し離れて手向山八幡宮という神社がありました。手向山の麓に位置する神社。一見廃墟のような若干荒廃したような雰囲気がある神社だったんですけど、ちゃんと社務所も開いているようで打ち捨てられた場所でもなかったようです。でも雰囲気はあまり人が来ないところだった性もあってまるで廃墟に紛れ込んだようで面白かったです。
ここから南のほうに行くと同じく打ち捨てられたようなお土産物屋さんがぽつんと建っていて、すぐ先は若草山で陽光に満ちた明るい場所なのにこの辺だけなんだか時間に取り残されていてるような雰囲気がありました。ベンチもあったけど完全に朽ち果てているものがそのまま放置されてたし。
石灯籠の蝋燭を立てる部分が紙でふさがれていてそこには鳥の絵が描かれています。わたしは最初烏が描かれていると思ったんですけど、どうやら描かれていたのは鳩のようでした。この文様の絵もちょっとマジカルなイメージを立ち上げているようで興味を引くものでした。
一番下のはこの神社が荒廃したイメージをかもし出してる要因の大きなものの一つだと思う、神楽所と呼ばれる、放置されたような建物の壁面に描かれていた壁画。源頼光の酒呑童子征伐の壁画らしいです。でも壁画を保護するようなものは何もなく、建物は仕切る戸もない状態で外界に晒されていて、傷みが激しい状態でした。
廃墟に紛れ込んだような感覚が楽しい場所だったけど、どうやら桜の名所らしくて、桜が咲いているときにくれば全然印象が異なる神社なのかもしれません。
☆ ☆ ☆ 鹿 ☆ ☆ ☆

Nikon F100 : AF 28-105mm/f:3,5-4.5D × Kodak Profoto 100

Konica BIGMINI BM201 × KODAK GOLD 100

Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400
タイトルに鹿と戯れると書いたけど、嘘です。
鹿もいざ写真に撮ろうとすると結構難しいというか、鹿の行動パターンって観察していると物凄く少ないんですよね。鹿せんべいを手にした観光客に群がってくるか、公園の草を一心に食べてるか、座り込んで悠然としてるか、おそらくこの三つのパターンしかやってないんじゃないかと思います。たまに子供に追いかけられて走ったりしてる姿も見るけど、大体走ってる鹿の姿って公園内ではまず見ないです。
鹿せんべいの屋台を襲撃するような鹿でもいればこれはなかなかスペクタクルなものになると思うものの、誰が教えたのか屋台においてあるぜんべいを鹿は絶対に食べません。目の前にあっても知らん顔で、客が買って手にした瞬間に群がってきます。
で、際立ったフォトジェニックな動きをするわけでもない鹿を前にして、わたし自身も動物と接する事がほとんどないから、柵のない場所で向かい合うとどうして良いのか分からなくなったりして、良いタイミングで鹿の写真が撮れるように動き回ることも出来ずに突っ立ったまま鹿が動くのを待つといった感じになってました。
最後の写真なんか鹿との距離感が如実に出てる写真じゃないかと思います。カメラ持って固まってるわたしとせんべいくれるんじゃないの?とばかりに様子伺いしてる鹿。
でも距離感があるといっても鹿とどうしても親密になりたいというほどでもないので、その距離の埋めようがなかったりするわけです。
二つ目の写真はわたしの真横を知らん顔で通り過ぎて行った鹿。生えかけの角がなんだか目玉みたいに見えてます。
思うにやっぱりこの場所のこの鹿の存在は特異です。付近には県庁なんかもあるから通勤のサラリーマンも歩いてたりする場所で、そのサラリーマンに混じって鹿が歩いてるんだもの。それも飼いならした鹿じゃなくて、人馴れはしてるけどあくまでも野生の鹿が。奈良公園という場所で見ているとそのうち慣れてくるんですけど、他の場所でこんな光景が展開されていたらかなり超現実的な光景になると思います。
奈良にとってこの鹿の存在はユニークそのもの。野生の鹿とサラリーマンが隣り合って歩いてるというシュールな世界をこういう形に育て上げて行った奈良の先人はたいした発想の持ち主だったと思います。京都にこういう存在がないということがかなり惜しいという思いをわたしの中で生み出したりしてます。京都だったら何を育てていけば良いんだろうと考えて、牛車から牛なんかはどうだろうと思ったものの、牛は放し飼いになっていたらちょっと危険そうで、この辺も鹿というのは絶妙の選択だったんだと妙に感心したりしてます。
ただし道も公園内も鹿のフンだらけです。大き目の飴玉くらいで粘着性のものには見えない見かけだから、踏みつけるのもその内気にならなくなってくるけど。でも三脚を立てるのはかなり躊躇いますね。
☆ ☆ ☆ 超スローシャッターチャンス ☆ ☆ ☆

LOMO LC-A × Kodak Super Gold 400
浮見堂から西に広がっていく鷺池の西端の辺に設えられていた、石を切り出した腰掛け用の台座の上に、おそらく子供がまつぼっくりを並べて描いた猫?の絵。
ある時ある瞬間にこの子供の手によってこの世界に出現し、おそらく半日か長くても一日くらいでこの世界から姿を消してしまったもの。そういうものを見つけると写真に撮っておきたくなります。本来なら生み出した子供にしか認知されずにつかの間この世界に現れて消えてしまうものに、たまたまわたしも居合わせてそれが世界にあったことを共有できたなら、それもこの世界を構成する一部として、はかないがゆえにその痕跡は出来る限り残してみたいと思ったりします。
ある瞬間から半日なり一日くらいの期間はあるけど、その期間内にそこに居合わせないと写真に撮ることが出来ないという意味では、こういうものが消えずにある時間のうちにその場に居合わせたのはある意味シャッターチャンスだったんじゃないかと思います。一瞬を捉えるチャンスではなくて、超スローなシャッターチャンスではありますけど。
☆ ☆ ☆ 構造化するオブジェ ☆ ☆ ☆

Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

Nikon F100 : AF 28-105mm/f:3,5-4.5D × Kodak Profoto 100

Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

CONTAX TVS2 × FUJI PRO 400
わたしにとって特に被写体に意味を見出した何かがあったわけでもなくて、配置や色を主眼にして撮っていたもの。色や配置も被写体の一部だとするなら、そういう意味では被写体そのものにも関心があったといえるかもしれません。上手くいくとなかなかかっこ良い見栄えになるんですけど、なかなかそうは上手くいかないのが大半だったりします。でもこういう撮り方で撮るのは結構好き。これが撮ってみたいと思う時に、そういう配置に心惹かれてるという場合が多いような気がします。
一番上は浮見堂が浮かぶ鷺池の縁に係留してあった貸しボート。その下のは同じく浮見堂鷺池付近にあった崩れた石塀で、さらにお昼ご飯を食べた食堂の片隅に片付けてあったパイプ椅子と興福寺延命地蔵尊の手水鉢となって、一番下のものは奈良文化会館の入り口ロビーにおいてあった、そばのレストランの椅子です。個別の写真を撮ってる時は全く意識してなかったんですけどいろんな状況で椅子の写真を撮ってることが多いですね。
二番目のお昼ご飯を食べた食堂は若草山の登山口前の道を春日大社の方向に降りていく階段の一番下にあった大和物産という名前のお土産屋さん兼用の食堂でした。土産物を置いてる店内の一角を仕切りで仕切っただけで食堂としてるような場所。置いてあるテーブルは普通の民家で使ってるようなパイプのテーブルで、ここで食べても大丈夫なのかなと思ってたら、その日に採ってきた山菜を食材にしたりするそうで、お客さんが来たのを確認してから作り始めたりして、見た目は間に合わせの場所のような食堂だったけど意外と美味しかったです。
☆ ☆ ☆ 森 ☆ ☆ ☆
近鉄奈良駅の周辺は駅を出た直後は商店街や普通に街中で見られるような小ぶりのビルが林立するような場所で、鹿がたむろしているエリアに入ろうと東大寺に向けて歩き出すと県庁のビルや博物館など大型の建築物が点在する場所となって、鹿がうろついてる以外は結構都市的な雰囲気の街なんですが、東大寺から手向山八幡宮へ抜ける参道や開けた芝生の奈良公園を過ぎて若草山に至るような頃合から急に木立が増えてくる感じになってます。奈良公園の南もこの辺りから春日大社の森が始まります。
奈良公園の広々とした雰囲気のままに余裕のある都市風景の中を歩いていると気がついたら深い森に迷い込んでいるような感じさえあって、この辺りは都市と森が意外なほど密接に交じり合って成立している場所という印象でした。
わたしはそこまでは足を伸ばさなかったんですけど、奈良駅周辺の都市風景の東側の終端と云ってもいい、若草山のさらに東側は春日山の原始林が広がっていて、この先の道はもうほとんど登山道、ちょっとした山歩きの準備でもしておかないとは入れなさそうな雰囲気の場所に急変して行きます。
わたしは神社の森が凄く好きで、京都だと下鴨神社に糺の森という巨大な森林地帯が街中にあるんですが、春日大社の森はそれよりも規模が大きいんじゃないかと思うくらい広大な森をその境内に抱えています。本格的に木立が林立していても、その隙間から大通りで行きかう車が見え隠れする場所もあるけど、奥のほうに入ると本当に森そのものという雰囲気のところも多々あって、おまけに鹿がこちらを気にするでもなく歩いてたりするから、わたしとしては結構お気に入りの場所となってました。

Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400
両方とも春日大社の森です。下のは鹿がいるから一緒にフレームに収めようとして、鹿の見栄えが良い形になるのをちょっと待ってたら、その場に座り込んでしまって以後一切動いてくれなくなりました。
仕方無しにそのままシャッター切ったけど、本当は立ち姿の鹿を一緒に納めたかったです。

Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400
鷺池周辺の遊歩道の一角。この曲がり角の丸い形が気に入って。なかなかかっこいいです。撮影した時ここでキャッチボールをしていた親子がいて、早く退いてくれないかなと苛々してました。
☆ ☆ ☆ 飛火野 ☆ ☆ ☆
意外に深い森林があると思えば、ほとんど何もない芝生の丘もあって、飛火野と名前がついた丘なんですけど、見晴らしが良くて気分の良い場所でした。サークルに囲まれた木々の一群が間を置いて点在しているエリアは造形的な印象で、丘の一番高いところに生えている特徴的で写真写りが良さそうな木を境にして反対側は下のほうまで見渡せる緩やかな芝生の斜面になっています。
斜面のほうはところどころ湿地帯のようになってるところがあったから、ピクニック的なことをするのは場所によってはちょっと無理かも。
「鹿男あおによし」で使いの鹿と小川先生が話をするために待ち合わせに使っていた場所はここだと思います。

Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400
飛火野の一番高いところに生えていた木。
☆ ☆ ☆
結局東大寺や春日大社といった大物被写体がある場所にもかかわらず、この晩春に行ったときはあまり興味を引かなかったのか結果的にはそういう場所の写真はほとんど撮らずに終始した感じとなりました。
建物もわたしにはちょっと撮りにくく思うところがあって、見上げる視点しか撮りようがないといったことが気分的な枷になることがあったりします。撮影禁止のエリアがあるのも気分をそいでしまう要因になってるかもしれません。
それと今までにおそらく数え切れないほど写真に撮られてきた被写体だろうから、わたしが撮る意味は余りないんじゃないかとか、そんなことも考えていたりするんですね。これは京都の観光地なんか撮ろうとした時にも思うことで、東山のように観光名所の集合場所のようなところに行ったら何も撮れなくて途方にくれるところがあったりします。
でもこの前の話じゃないけど、そんなこと考える必要はないんじゃないかって最近は思うこともあります。他人がどう撮っていようがそんなことは関係なく、自分が撮りたいと思うならシャッターを切れば良いんだって。
他人によってすでに数え切れないほど写真が撮られているからと躊躇ってしまうのは、どこかにそれに打ち勝つような大層な写真を撮ってやろうというような気分もありそうで、おそらくそんな大層な写真を撮ろうと言う意識というか、気負いのようなものさえ不必要なものなんじゃないかとも思ったりします。
ということで、今度奈良に行って、撮りたいと思ったら東大寺でも春日大社でも撮ってこようかなと思ってます。この記事書いて鹿の写真とか見ていたら、また鹿も見たくなってきました。
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最後に去りゆく夏を惜しんで、今年の夏の空の写真。

CANON AUTOBOY TELE × Kodak Gold 100
自宅の物干しからです。物干しに出てみると青空にもくもくと雲が浮いていて、洗濯そっちのけで急いでカメラ取りに部屋に戻りました。
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Dorothy Ashby - Dust
唯一無比のジャズ・ハープ奏者、ドロシー・アシュビーの曲。陰鬱なボッサリズムと艶やかなハープの音が、さりげなく流れていくけど実は意外なほどメロディアスな旋律と絡み合って、一種異様で官能的な音空間といったものを作り出してます。東洋的なコンセプトをもとに迷宮のようなミクスチャ的音空間を作った1970年のアルバム「ルバイヤート・オブ・ドロシー・アシュビー」に収録されている曲。このアルバムはこの世界のどこにも無い場所から聴こえてでもくるような異世界ぶりと、その非在の場所への郷愁といったもので成り立っている不思議でサイケデリックで美しい音楽として、初めて聴いたのは随分と以前のことなんだけど未だにわたしをとりこにしています。
キャリアの最初の頃は、ジャンルとしてジャズ・ハープというのはドロシー・アシュビーが唯一無比の存在という感じだったけど、音楽的にはそんなん尖がった感じでもなくて、スタンダード的な曲をラウンジ的な曲調で弾くというようなわりとオーソドックスなアプローチをしているミュージシャンでした。のちに「ルバイヤート・オブ・ドロシー・アシュビー」のような誰の音楽にも似ていない風変わりな音楽を演奏しだすのはどうやら、当時の契約レーベルであるカデットのプロデューサーでありアレンジャーでもある、リチャード・エヴァンスの手腕によるものが大きかったらしいです。
この曲が収録されたアルバムはペルシャの詩人オーマー・カイヤムが残した四行詩集「ルバイヤート」からインスパイアされたものとして成り立っています。今回ピックアップした「Dust」はその「ルバイヤート」から第32歌と第23歌を前後にくっつけた形の曲となっていて、繋ぎ合わされたカイヤムの四行詩は次のようなものになっているんですが、鍵のありかを知らない扉だとか意味深なイメージとしてはそれなりに分かりやすそうなものを連ねながらも、かなり抽象的なものとして成立していうような内容。わたしにとってははっきり云ってイメージ単位を超えては十全には理解不能という類の内容ではあります。
ドロシー・アシュビーはこの抽象的な詩を先に書いたように陰鬱でソウルフルなボッサという二律背反的なものに乗せて歌っていきます。今回のアルバムで初めて歌まで披露しているアシュビーなんですが、作曲も自分でしているせいか、自分の歌いやすい音域で作曲しているのか、あまり無理をしているところも見せずにスムーズに歌っている様子です。無理しない音域でスムーズに歌われるから抵抗なく流れていくけれど、ドロシー・アシュビーのメロディメイカーとしての資質は、このアルバム全体を聴いてみると良く分かるように突出したものがあって、そういう旋律のセンスはこの曲にも確実に見出すことが出来ると思います。
There was the Door to which I found no Key.
There was the Veil through which I could not see.
Some little talk awhile of Me and Thee There was
and then no more of Thee and Me.
Ah, make the most of what we yet may spend,
Before we too into the Dust descend.
Dust into Dust, and under Dust, to lie:
Sans Wine, sans Song, sans Singer, and
sans Goodbye!
1986年にこの世を去ったミュージシャンなので、もう新譜が出ることはありません。いくつか手に入るだけのドロシー・アシュビーのアルバムを聴いてしまって、この系列で似たような音楽をやっているジャズ・ハープのミュージシャンはいないかと探しては見たものの、実はジャズ・ハープなんていう変わりもののジャンルに身を置いている人なんてほとんどいないだろうと思っていたら、多くはないけど簡単に検索できる程度にはミュージシャンがいるのを発見したけど、そのどれもがジャズではオーソドックスな楽器をそのままハープに置き換えたようなものが多くて、今のところわたしが求めているものとは若干ずれを含むようなものがほとんどという結果に終わっています。結局この音楽の延長線上でもドロシー・アシュビーを聴きなおしていくほかはなく、聴くたびにドロシー・アシュビーのユニークさを再確認することになっています。
☆ ☆ ☆
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残念ながら今のところ廃盤のようです。河原町のHMVでも一枚だけCDが並んでいたドロシー・アシュビーの棚そのものが消滅していたし、忘れ去られたミュージシャンになっていくのかなぁ。