【写真】初夏の頃奈良にて鹿と戯れる +【音楽】非在の場所から ー ルバイヤート・オブ・ドロシー・アシュビー

このところ朝晩はやや過ごしやすくなったとはいえ、日中は相も変らず汗拭きタオルが手放せないような日々が続いています。肩や首にカメラを提げて出歩いていると、知らない間に黒いカメラが日光を吸収して、触ると吃驚するくらい熱くなっているのに気づいたりして、世間では残暑、残暑と言い出しているにもかかわらず、夏が最後の力を振り絞って持てる熱気をここですべて吐き出しつくそうとしているような感じです。
でも、まだまだ昼の太陽は熱波を送り届けてくるとはいえ、残暑という言葉を目にする機会が多くなったせいなのか、なんだか去っていく夏を惜しむような感覚もわたしの中に芽生え始めていて、思うに夏って「夏の名残の薔薇」なんていう詩情溢れるタイトルの曲があるように、去っていくのを感傷を持って眺めることが出来る唯一の季節なんじゃないかと思います。去りゆく冬を感傷を持って眺めるなんてあまりありえない感覚だし、そういう意味ではやっぱり夏は四季の中でも特別のハレの季節、祝祭感に溢れた特別の季節なんじゃないかと思います。

☆ ☆ ☆

とまぁ、夏の記事らしい枕を置いてから、今回の本題、奈良で撮ってきた写真のお話です。奈良に写真を撮りに行っていた期間はフィルムをスキャンしてPCに取り入れたフォルダの日付からいくと大体4月の終わり頃から6月の始め辺りまで、春の終わり頃から梅雨が明ける直前の頃までのことでした。夏が始まって以降に見舞われることになった熱波がもたらしたものほど暑くはなかった記憶があるんですけど、タオルで汗を拭きながら歩き回っていたのは覚えているので、今年の強烈な夏を間近に控えた予兆に満ちた暑さはすでに周囲の空間を染め上げているような感触がありました。

奈良といっても県内に点在する史跡を巡って色々と撮影場所を探したわけでもなくて、京都から直通でいける近鉄の奈良駅周辺を歩き回った程度でした。近鉄の京都からの直通に乗れなくて西大寺で乗り換えても2つ先の駅が終点の奈良。直通に乗れば寝ていても目的地に簡単に着きます。わたしは西大寺で乗り換えてまた延々と電車に乗って大阪の難波に行ったりすることがあったんですけど、大阪に行くことを思えば奈良は京都からはかなり近いです。
近鉄奈良駅の周辺には東大寺、春日大社、奈良公園、若草山などがあり、この地域で歩き回った最大のポイントは鹿がいること。奈良というとイコール鹿というイメージだと思うんですけど、奈良の鹿は春日大社の神様の使いなので、春日大社が存在しないほかの地域の奈良には鹿はいません。この鹿がいる地域でも鹿が闊歩しているのは若草山や奈良公園と春日大社の森を中心にしたこの一角だけで、隣接する奈良駅の近くでも公園の一部ではなくなると、鹿が歩き回る領域ではなくなっているようで一切見かけなくなります。

☆ ☆ ☆

実は奈良公園周辺に写真を撮りにきたのはこれが初めてではなくて、ちょうど去年の今頃に一度カメラを持って訪れてました。その時は近鉄奈良駅から南のほうに進んで猿沢池やならまち辺りを散策したんですが、猿沢池は辺に立つと向かい側がそのまま見えるというか簡単に全貌が見渡せるただの丸くて小さな池に過ぎず、池の辺を歩いても特に見た目が変化するわけでもない、一軒土産物屋が建ってるのがアクセントになる程度の単純に丸い池を一周してるだけの感興しかないような場所、ならまちのほうは京都の街中を歩いてるのと大して変らないなぁと言う印象のところでした。
だから去年の奈良行きはたいした写真も撮れずにこんなものかなとそれほど後を引かずに終了。それでも今年の初夏にまた写真を撮りに行く気になったのは、思い返すと冬の終わり頃に荒涼としたものを撮りに宇治川公園に行った延長上のことだったのかもしれません。

宇治川公園で衣を纏った管の写真なんかを撮っていた後、もっと荒涼としたところはないものかといろいろとチェックして、平城宮跡に行ってみたことがありました。

近鉄西大寺駅から奈良駅に至る短い区間の中ほどにある遺跡というか、広大な広場といった風情の場所。ここは昔平城宮があったところで、都ははるか昔に土の下に埋もれてしまっていたんですが、その都を土の中から発掘して、現代の地にそのまま復元させようという計画が進行している場所です。今もその計画は実行の真っ最中で、何もない野原に都が建設され始める頃の様子はこんなのだったんじゃないかと思わせる光景が広がり、野外の巨大博物館といった感じになりつつあります。ただ現在のところは朱雀門や大極殿などの建築物は建ってはいるけれど、場所の大半はまだ何もない平原と湿地、そしてそこを区切る道路跡と並木のように植えられた木々といったものが見えるだけのところだったりします。
この時撮った写真はこんな感じでした。

平城宮跡大極殿
LOMO LC-A : FUJI ACROS 100
平城宮跡 大極殿

野鳥を撮りにきた団体が三脚の列を作っていたり、ピクニックの家族連れが来ていたりと、多少の人の姿は見られても、何もない空間の印象が強すぎて、ただひたすら被写体が存在しないといった場所でした。
これほど何もないと、何もないことの荒涼さを写し取る腕がない限り、荒涼としたものを写したくても写せそうなものがないという意識のほうが強くなって、結局色々と工夫する発想も思い至らずに、この時はほとんどシャッターを切らずに帰宅することになります。
ちなみに、奈良に写真を撮りに行ったあとで数年前に放送していたドラマ「鹿男あおによし」を観たんですけど、最後の儀式を執り行った場所がこの平城宮跡でした。ドラマでは鹿がここまでやってきてましたけど場所的には春日大社からはそれなりに離れているので、実際には鹿はここにはいないです。

どこに写真を撮りに行こうかと思案した時に、こんな切っ掛けで去年奈良に写真を撮りに行ったことと意識がリンクしたようで、晩春から初夏にかけての期間、暇を見つけてはたびたび奈良公園に写真を撮りに行くことになったわけです。
そういえば去年の夏頃に奈良公園へ写真を撮りに行った時、あの時は個人的な事情で春日大社の森に入れずに、結局奈良公園のほうはほとんど足を伸ばさず、京都似のならまち散策で終了してしまったけど、今年は神社にも気兼ねなく入れるからひょっとしたら面白いところでもあるかもしれないと、思ったこともあったのかもしれません。

先にも書いたように、今回歩き回っていたのは近鉄奈良駅からあまり離れずに散策できる範囲に限定していて、エリアとしては東大寺から春日大社の一帯で、西の果ては佐保側流域を少し歩いた程度、東の端も若草山のある辺りまでという結構狭い範囲となりました。あとで思うには、佐保川のほうは街中を歩いていて偶然発見した川沿いの散策路だったので思いつきで散策範囲を広げたといったところがあったけど、中心は、ほとんど意識はしてなかったものの鹿がいる領域というのに限定して歩いていたような気がします。


☆ ☆ ☆ 街角 ☆ ☆ ☆


奈良駅に着く直前から地下化する近鉄電車を降りて東端の出入り口から地上に出てみると、駅の東側に沿って南北に商店街のアーケードが連なっています。奈良公園へ繋がる駅前の大通りによって北と南に分断されている商店街で南の猿沢池やならまちに通してる東向商店街はいかにも観光地の商店街といった風情で京都で云うと新京極っぽい雰囲気がある通り。この商店街は猿沢池に通じる三条通と交差するところに出るとお土産屋が並ぶ一角に繋がっていきます。去年やってきた時はこちらの商店街を抜けて南のほうに行ったので、今回は大通りをはさんで北に伸びる東向北商店街のほうを歩いてみました。晩春に奈良で歩き回っている時のコースはこちらの商店街を進んで途中で東に折れて東大寺のほうに行くというようなコースを辿ることが多かったです。通り一つはさんでいるだけなのに、こちらはかなり地域に密着した商店街という風情に変化してます。知らない場所でその土地の商店街なんかを歩くと、その地域の生活に密着している分、こちらの生活と遊離している部分が観光客を想定して展開している商店街よりも生々しくて、見慣れない感覚が強くて面白いように思います。
そんな東向北商店街で出会ったショーウィンドウ。

不気味なショーウィンドウ
Konica BIGMINI BM201 × KODAK GOLD 100

このウィンドウに出会って一目見て思ったのは「不気味」ということでした。陽射しのきつい日で、表通りに面したウィンドウでもなく前を通る人もいなかったせいもあって、白昼夢のような雰囲気さえあったのでおもわずシャッターを切った感じ。
どうして乱歩の小説に出てきてもおかしくないくらい不気味な感じがするんだろう?と思い、ひょっとして首無しマネキンのせいなのか、埃が積み重なってる感じもするガラスの中で永遠に微笑んでいる子供のマネキンが思い起こさせるのが、不気味さの根源を探りたくて部分を切り出した写真も撮ってみたんですけど、出来た写真はこれほど不気味な感じはしなかったです。
近接して撮った写真を考え合わせると、これだけの数が並んでいるというのが不気味さを醸成する重要なファクターなんじゃないかと思いました。それと地面の照り返しで下から照明が当たっているような感じになってるところも効果絶大かな。
ここはノグチ百貨店という店なんですけど、「鹿男あおによし」で玉木宏演じる小川先生が3枚1000円のパンツを買ったところでもあります。

堆積する時間
Hasselblad 500C/M × FUJI ACROS 100

東向北商店街をさらに北に進んで、奈良女子大に出る直前くらいの民家の壁に掲げてあった映画のポスター掲示板。打ち捨てられた雰囲気濃厚で、側には錆びた交通安全のプレートなんかも掲げてあったのを覚えています。
地下劇場という単語がちょっとイメージを膨らませてるかも。探し回ったわけでもないんですけど近くに映画館は見当たらなかったから、おそらく当の映画館はすでに存在しないものと思われます。ある種時間が積み重なっていった様子の視覚化オブジェで、はぎ取り残された断片がもうちょっと彩り豊かなものだったらさらに良い雰囲気になっていたんじゃないかと思います。



☆ ☆ ☆ 奈良的な何か ☆ ☆ ☆



よく歩いていたコースはこの地下劇場の名残りのある場所から東大寺のほうに向けて歩いていくという道を辿るようなものでした。そういう道筋に沿って歩いていると、奈良文化会館や奈良税務署を右手に見て東大寺の南大門と大仏殿を結ぶ参道の中間地点辺りに出てくることになります。この辺りは修学旅行生や観光客や鹿で一杯。


アショカピラー
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

相輪
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

東大寺大仏殿の東少し離れたところ、森が始まる境界辺りに並ぶようにして建っていたモニュメント二つ。動物のほうは「 アショカ・ピラー」というものらしくて、1988年に行われた花まつり千僧法要の際に建てられたものだとか。信仰深かったインドのアショカ王が建立した石柱の頭部を復元したものとあって、写真はその獅子の部分のみを撮ったものですけどこの下に象のレリーフがついた基部とか色々と凝った装飾が施されています。わたしは一番上の獅子よりも象好きなのでこの部分もいろいろと撮ってみたものの、どれもこれも結果的に思うように撮れませんでした。
もう一つのほうはかつて東大寺に存在していた七重塔の天辺にあった相輪の復元物で、大阪万博で塔そのものを復元した時の相輪部分が寄進されたものなんだそうです。これだけで十分に高く聳え立つ建造物でした。

搭状のものは個人的には撮るのが凄く苦手です。ライカ判で横方向のフレームで撮ると左右に間が抜けたような空間が出来るし、縦構図にすると単純に被写体の形に合わせただけのようなイメージになってなんだかつまらない仕上がりになることが多いです。
細長く屹立しているものに対するそういう逡巡を元にして、相輪のほうはあえて被写体の形にフレームを合わせた上でさらに真ん中においてみたもの。典型的な日の丸構図にしてみたんですが、真ん中に置くってあまり作為がないようなおき方になるかと思うと、意外なほど作為的な雰囲気にもなる構図でもあったりします。ちょっとティルマンス風のイメージを狙ったりもして、さてどんな印象に映ってるのか。


手向山八幡宮
Nikon F100 : AF 28-105mm/f:3,5-4.5D × Kodak Profoto 100

手向山八幡宮 石灯籠
CONTAX TVS2 × FUJI PRO 400

壁画
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

東大寺の東側の森を抜けて三月堂の方向へ歩いていくと、三月堂の南側に少し離れて手向山八幡宮という神社がありました。手向山の麓に位置する神社。一見廃墟のような若干荒廃したような雰囲気がある神社だったんですけど、ちゃんと社務所も開いているようで打ち捨てられた場所でもなかったようです。でも雰囲気はあまり人が来ないところだった性もあってまるで廃墟に紛れ込んだようで面白かったです。

ここから南のほうに行くと同じく打ち捨てられたようなお土産物屋さんがぽつんと建っていて、すぐ先は若草山で陽光に満ちた明るい場所なのにこの辺だけなんだか時間に取り残されていてるような雰囲気がありました。ベンチもあったけど完全に朽ち果てているものがそのまま放置されてたし。

石灯籠の蝋燭を立てる部分が紙でふさがれていてそこには鳥の絵が描かれています。わたしは最初烏が描かれていると思ったんですけど、どうやら描かれていたのは鳩のようでした。この文様の絵もちょっとマジカルなイメージを立ち上げているようで興味を引くものでした。

一番下のはこの神社が荒廃したイメージをかもし出してる要因の大きなものの一つだと思う、神楽所と呼ばれる、放置されたような建物の壁面に描かれていた壁画。源頼光の酒呑童子征伐の壁画らしいです。でも壁画を保護するようなものは何もなく、建物は仕切る戸もない状態で外界に晒されていて、傷みが激しい状態でした。

廃墟に紛れ込んだような感覚が楽しい場所だったけど、どうやら桜の名所らしくて、桜が咲いているときにくれば全然印象が異なる神社なのかもしれません。


☆ ☆ ☆ 鹿 ☆ ☆ ☆



鹿2
Nikon F100 : AF 28-105mm/f:3,5-4.5D × Kodak Profoto 100

bm2012-05-19-17-.jpg
Konica BIGMINI BM201 × KODAK GOLD 100

鹿4
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

タイトルに鹿と戯れると書いたけど、嘘です。
鹿もいざ写真に撮ろうとすると結構難しいというか、鹿の行動パターンって観察していると物凄く少ないんですよね。鹿せんべいを手にした観光客に群がってくるか、公園の草を一心に食べてるか、座り込んで悠然としてるか、おそらくこの三つのパターンしかやってないんじゃないかと思います。たまに子供に追いかけられて走ったりしてる姿も見るけど、大体走ってる鹿の姿って公園内ではまず見ないです。
鹿せんべいの屋台を襲撃するような鹿でもいればこれはなかなかスペクタクルなものになると思うものの、誰が教えたのか屋台においてあるぜんべいを鹿は絶対に食べません。目の前にあっても知らん顔で、客が買って手にした瞬間に群がってきます。

で、際立ったフォトジェニックな動きをするわけでもない鹿を前にして、わたし自身も動物と接する事がほとんどないから、柵のない場所で向かい合うとどうして良いのか分からなくなったりして、良いタイミングで鹿の写真が撮れるように動き回ることも出来ずに突っ立ったまま鹿が動くのを待つといった感じになってました。
最後の写真なんか鹿との距離感が如実に出てる写真じゃないかと思います。カメラ持って固まってるわたしとせんべいくれるんじゃないの?とばかりに様子伺いしてる鹿。
でも距離感があるといっても鹿とどうしても親密になりたいというほどでもないので、その距離の埋めようがなかったりするわけです。
二つ目の写真はわたしの真横を知らん顔で通り過ぎて行った鹿。生えかけの角がなんだか目玉みたいに見えてます。

思うにやっぱりこの場所のこの鹿の存在は特異です。付近には県庁なんかもあるから通勤のサラリーマンも歩いてたりする場所で、そのサラリーマンに混じって鹿が歩いてるんだもの。それも飼いならした鹿じゃなくて、人馴れはしてるけどあくまでも野生の鹿が。奈良公園という場所で見ているとそのうち慣れてくるんですけど、他の場所でこんな光景が展開されていたらかなり超現実的な光景になると思います。
奈良にとってこの鹿の存在はユニークそのもの。野生の鹿とサラリーマンが隣り合って歩いてるというシュールな世界をこういう形に育て上げて行った奈良の先人はたいした発想の持ち主だったと思います。京都にこういう存在がないということがかなり惜しいという思いをわたしの中で生み出したりしてます。京都だったら何を育てていけば良いんだろうと考えて、牛車から牛なんかはどうだろうと思ったものの、牛は放し飼いになっていたらちょっと危険そうで、この辺も鹿というのは絶妙の選択だったんだと妙に感心したりしてます。

ただし道も公園内も鹿のフンだらけです。大き目の飴玉くらいで粘着性のものには見えない見かけだから、踏みつけるのもその内気にならなくなってくるけど。でも三脚を立てるのはかなり躊躇いますね。


☆ ☆ ☆ 超スローシャッターチャンス ☆ ☆ ☆


超スローシャッターチャンス
LOMO LC-A × Kodak Super Gold 400

浮見堂から西に広がっていく鷺池の西端の辺に設えられていた、石を切り出した腰掛け用の台座の上に、おそらく子供がまつぼっくりを並べて描いた猫?の絵。
ある時ある瞬間にこの子供の手によってこの世界に出現し、おそらく半日か長くても一日くらいでこの世界から姿を消してしまったもの。そういうものを見つけると写真に撮っておきたくなります。本来なら生み出した子供にしか認知されずにつかの間この世界に現れて消えてしまうものに、たまたまわたしも居合わせてそれが世界にあったことを共有できたなら、それもこの世界を構成する一部として、はかないがゆえにその痕跡は出来る限り残してみたいと思ったりします。
ある瞬間から半日なり一日くらいの期間はあるけど、その期間内にそこに居合わせないと写真に撮ることが出来ないという意味では、こういうものが消えずにある時間のうちにその場に居合わせたのはある意味シャッターチャンスだったんじゃないかと思います。一瞬を捉えるチャンスではなくて、超スローなシャッターチャンスではありますけど。


☆ ☆ ☆ 構造化するオブジェ ☆ ☆ ☆


浮見堂ボート
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

崩れた石壁
Nikon F100 : AF 28-105mm/f:3,5-4.5D × Kodak Profoto 100

大和物産
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

興福寺延命地蔵尊の手水鉢
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

レストランの椅子
CONTAX TVS2 × FUJI PRO 400

わたしにとって特に被写体に意味を見出した何かがあったわけでもなくて、配置や色を主眼にして撮っていたもの。色や配置も被写体の一部だとするなら、そういう意味では被写体そのものにも関心があったといえるかもしれません。上手くいくとなかなかかっこ良い見栄えになるんですけど、なかなかそうは上手くいかないのが大半だったりします。でもこういう撮り方で撮るのは結構好き。これが撮ってみたいと思う時に、そういう配置に心惹かれてるという場合が多いような気がします。

一番上は浮見堂が浮かぶ鷺池の縁に係留してあった貸しボート。その下のは同じく浮見堂鷺池付近にあった崩れた石塀で、さらにお昼ご飯を食べた食堂の片隅に片付けてあったパイプ椅子と興福寺延命地蔵尊の手水鉢となって、一番下のものは奈良文化会館の入り口ロビーにおいてあった、そばのレストランの椅子です。個別の写真を撮ってる時は全く意識してなかったんですけどいろんな状況で椅子の写真を撮ってることが多いですね。

二番目のお昼ご飯を食べた食堂は若草山の登山口前の道を春日大社の方向に降りていく階段の一番下にあった大和物産という名前のお土産屋さん兼用の食堂でした。土産物を置いてる店内の一角を仕切りで仕切っただけで食堂としてるような場所。置いてあるテーブルは普通の民家で使ってるようなパイプのテーブルで、ここで食べても大丈夫なのかなと思ってたら、その日に採ってきた山菜を食材にしたりするそうで、お客さんが来たのを確認してから作り始めたりして、見た目は間に合わせの場所のような食堂だったけど意外と美味しかったです。


☆ ☆ ☆ 森 ☆ ☆ ☆


近鉄奈良駅の周辺は駅を出た直後は商店街や普通に街中で見られるような小ぶりのビルが林立するような場所で、鹿がたむろしているエリアに入ろうと東大寺に向けて歩き出すと県庁のビルや博物館など大型の建築物が点在する場所となって、鹿がうろついてる以外は結構都市的な雰囲気の街なんですが、東大寺から手向山八幡宮へ抜ける参道や開けた芝生の奈良公園を過ぎて若草山に至るような頃合から急に木立が増えてくる感じになってます。奈良公園の南もこの辺りから春日大社の森が始まります。
奈良公園の広々とした雰囲気のままに余裕のある都市風景の中を歩いていると気がついたら深い森に迷い込んでいるような感じさえあって、この辺りは都市と森が意外なほど密接に交じり合って成立している場所という印象でした。
わたしはそこまでは足を伸ばさなかったんですけど、奈良駅周辺の都市風景の東側の終端と云ってもいい、若草山のさらに東側は春日山の原始林が広がっていて、この先の道はもうほとんど登山道、ちょっとした山歩きの準備でもしておかないとは入れなさそうな雰囲気の場所に急変して行きます。

わたしは神社の森が凄く好きで、京都だと下鴨神社に糺の森という巨大な森林地帯が街中にあるんですが、春日大社の森はそれよりも規模が大きいんじゃないかと思うくらい広大な森をその境内に抱えています。本格的に木立が林立していても、その隙間から大通りで行きかう車が見え隠れする場所もあるけど、奥のほうに入ると本当に森そのものという雰囲気のところも多々あって、おまけに鹿がこちらを気にするでもなく歩いてたりするから、わたしとしては結構お気に入りの場所となってました。

春日大社境内の森
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

春日大社の森2
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

両方とも春日大社の森です。下のは鹿がいるから一緒にフレームに収めようとして、鹿の見栄えが良い形になるのをちょっと待ってたら、その場に座り込んでしまって以後一切動いてくれなくなりました。
仕方無しにそのままシャッター切ったけど、本当は立ち姿の鹿を一緒に納めたかったです。

浮見堂付近
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

鷺池周辺の遊歩道の一角。この曲がり角の丸い形が気に入って。なかなかかっこいいです。撮影した時ここでキャッチボールをしていた親子がいて、早く退いてくれないかなと苛々してました。


☆ ☆ ☆ 飛火野 ☆ ☆ ☆


意外に深い森林があると思えば、ほとんど何もない芝生の丘もあって、飛火野と名前がついた丘なんですけど、見晴らしが良くて気分の良い場所でした。サークルに囲まれた木々の一群が間を置いて点在しているエリアは造形的な印象で、丘の一番高いところに生えている特徴的で写真写りが良さそうな木を境にして反対側は下のほうまで見渡せる緩やかな芝生の斜面になっています。
斜面のほうはところどころ湿地帯のようになってるところがあったから、ピクニック的なことをするのは場所によってはちょっと無理かも。
「鹿男あおによし」で使いの鹿と小川先生が話をするために待ち合わせに使っていた場所はここだと思います。

飛火野1
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400

飛火野2
Nikon FM3A : AIS 50mm/f1.4 × Kodak Portra 400
飛火野の一番高いところに生えていた木。


☆ ☆ ☆


結局東大寺や春日大社といった大物被写体がある場所にもかかわらず、この晩春に行ったときはあまり興味を引かなかったのか結果的にはそういう場所の写真はほとんど撮らずに終始した感じとなりました。
建物もわたしにはちょっと撮りにくく思うところがあって、見上げる視点しか撮りようがないといったことが気分的な枷になることがあったりします。撮影禁止のエリアがあるのも気分をそいでしまう要因になってるかもしれません。

それと今までにおそらく数え切れないほど写真に撮られてきた被写体だろうから、わたしが撮る意味は余りないんじゃないかとか、そんなことも考えていたりするんですね。これは京都の観光地なんか撮ろうとした時にも思うことで、東山のように観光名所の集合場所のようなところに行ったら何も撮れなくて途方にくれるところがあったりします。
でもこの前の話じゃないけど、そんなこと考える必要はないんじゃないかって最近は思うこともあります。他人がどう撮っていようがそんなことは関係なく、自分が撮りたいと思うならシャッターを切れば良いんだって。
他人によってすでに数え切れないほど写真が撮られているからと躊躇ってしまうのは、どこかにそれに打ち勝つような大層な写真を撮ってやろうというような気分もありそうで、おそらくそんな大層な写真を撮ろうと言う意識というか、気負いのようなものさえ不必要なものなんじゃないかとも思ったりします。

ということで、今度奈良に行って、撮りたいと思ったら東大寺でも春日大社でも撮ってこようかなと思ってます。この記事書いて鹿の写真とか見ていたら、また鹿も見たくなってきました。


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最後に去りゆく夏を惜しんで、今年の夏の空の写真。

2012晩夏の空
CANON AUTOBOY TELE × Kodak Gold 100

自宅の物干しからです。物干しに出てみると青空にもくもくと雲が浮いていて、洗濯そっちのけで急いでカメラ取りに部屋に戻りました。




☆ ☆ ☆




Dorothy Ashby - Dust



唯一無比のジャズ・ハープ奏者、ドロシー・アシュビーの曲。陰鬱なボッサリズムと艶やかなハープの音が、さりげなく流れていくけど実は意外なほどメロディアスな旋律と絡み合って、一種異様で官能的な音空間といったものを作り出してます。東洋的なコンセプトをもとに迷宮のようなミクスチャ的音空間を作った1970年のアルバム「ルバイヤート・オブ・ドロシー・アシュビー」に収録されている曲。このアルバムはこの世界のどこにも無い場所から聴こえてでもくるような異世界ぶりと、その非在の場所への郷愁といったもので成り立っている不思議でサイケデリックで美しい音楽として、初めて聴いたのは随分と以前のことなんだけど未だにわたしをとりこにしています。
キャリアの最初の頃は、ジャンルとしてジャズ・ハープというのはドロシー・アシュビーが唯一無比の存在という感じだったけど、音楽的にはそんなん尖がった感じでもなくて、スタンダード的な曲をラウンジ的な曲調で弾くというようなわりとオーソドックスなアプローチをしているミュージシャンでした。のちに「ルバイヤート・オブ・ドロシー・アシュビー」のような誰の音楽にも似ていない風変わりな音楽を演奏しだすのはどうやら、当時の契約レーベルであるカデットのプロデューサーでありアレンジャーでもある、リチャード・エヴァンスの手腕によるものが大きかったらしいです。

この曲が収録されたアルバムはペルシャの詩人オーマー・カイヤムが残した四行詩集「ルバイヤート」からインスパイアされたものとして成り立っています。今回ピックアップした「Dust」はその「ルバイヤート」から第32歌と第23歌を前後にくっつけた形の曲となっていて、繋ぎ合わされたカイヤムの四行詩は次のようなものになっているんですが、鍵のありかを知らない扉だとか意味深なイメージとしてはそれなりに分かりやすそうなものを連ねながらも、かなり抽象的なものとして成立していうような内容。わたしにとってははっきり云ってイメージ単位を超えては十全には理解不能という類の内容ではあります。
ドロシー・アシュビーはこの抽象的な詩を先に書いたように陰鬱でソウルフルなボッサという二律背反的なものに乗せて歌っていきます。今回のアルバムで初めて歌まで披露しているアシュビーなんですが、作曲も自分でしているせいか、自分の歌いやすい音域で作曲しているのか、あまり無理をしているところも見せずにスムーズに歌っている様子です。無理しない音域でスムーズに歌われるから抵抗なく流れていくけれど、ドロシー・アシュビーのメロディメイカーとしての資質は、このアルバム全体を聴いてみると良く分かるように突出したものがあって、そういう旋律のセンスはこの曲にも確実に見出すことが出来ると思います。


There was the Door to which I found no Key.
There was the Veil through which I could not see.
Some little talk awhile of Me and Thee There was
and then no more of Thee and Me.

Ah, make the most of what we yet may spend,
Before we too into the Dust descend.
Dust into Dust, and under Dust, to lie:
Sans Wine, sans Song, sans Singer, and
sans Goodbye!

1986年にこの世を去ったミュージシャンなので、もう新譜が出ることはありません。いくつか手に入るだけのドロシー・アシュビーのアルバムを聴いてしまって、この系列で似たような音楽をやっているジャズ・ハープのミュージシャンはいないかと探しては見たものの、実はジャズ・ハープなんていう変わりもののジャンルに身を置いている人なんてほとんどいないだろうと思っていたら、多くはないけど簡単に検索できる程度にはミュージシャンがいるのを発見したけど、そのどれもがジャズではオーソドックスな楽器をそのままハープに置き換えたようなものが多くて、今のところわたしが求めているものとは若干ずれを含むようなものがほとんどという結果に終わっています。結局この音楽の延長線上でもドロシー・アシュビーを聴きなおしていくほかはなく、聴くたびにドロシー・アシュビーのユニークさを再確認することになっています。




☆ ☆ ☆




Rubaiyat Of Dorothy AshbyRubaiyat Of Dorothy Ashby
(2010/05/25)
Dorothy Ashby

商品詳細を見る


残念ながら今のところ廃盤のようです。河原町のHMVでも一枚だけCDが並んでいたドロシー・アシュビーの棚そのものが消滅していたし、忘れ去られたミュージシャンになっていくのかなぁ。








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【展覧会】"PHOTO IS"10,000人の写真展2012へ様子伺いに出かけてみる +【写真】音楽の街角 +【サントラ】MORE さらにまた別の顔で

夏が始まってから、これで関西が計画停電なんていうものに見舞われていたらどうなってたんだろうと思うくらい、連日無謀ともいえるような暑い日が続いてましたが、今だ出歩いていると暑さを感じる日々は続いているものの、このところは少しましになって一息つけるような感じになってきてるようです。この間までのような熱波が続いていた間、夏は好きって書いたけど来年からは嫌いになってるかも知れないなんて思ってたので、このまま夏が好きなわたしでいられるような日が続いて欲しいものです。

すでに終了してから何日か経ってしまってますけど、まだ猛暑が居座ってる最中に、大阪の会場では8月の3日から5日にかけて開催されていた一般参加のアンデパンダン方式による展覧会「"PHOTO IS"10,000人の写真展2012」を観にいって来ました。場所は京阪京橋駅のちかくのツイン21というビル。毎年ここで開催してるのかは分からないけど、ともあれ今年の大阪での会場はこのビジネスビルが当てられていました。ちなみに参加者には開催直前に案内状が送られてきて、そこに書いてある地図を参考にして淀屋橋経由で大阪に行く時はいつも素通りしてる京橋の駅に始めて降り立ちました。

案内状

この簡易な略地図は持ってはいたけど、京橋の駅で降りてみるとリアルな駅周辺の曖昧で過剰なディテールに若干困惑され、地図に当たる道路はどれだろうかと予測しながら会場があるに違いないと思った方向に歩き出してみます。案の定この道路をこちら方向に歩いていけばそのうち会場に向かう道路に出られると思って歩いていた道が、駅の近くの会場のはずなのに一行にその方向に向かう気配もなくて、このまま進んでると絶対に違う方向へ深入りしてしまうと、急遽また京橋の駅の方向へ逆戻りすることに。駅に向かって歩いてるうちに建物にしたら3階くらいの高さになるのか道路を横断するようにして空中に回廊が設えられているのに気づきました。回廊への登り階段には「大阪城京橋プロムナード」という銘板がかけられています。
回廊の向かう方向は目的地に一致しているようで、とりあえずその回廊に上がって進んでみることにします。地図によると京橋の駅と会場との間には川が流れていてその川をとにかく渡らなければならないというのは分かっていたので、回廊がその川、寝屋川らしいんですけど、その川の向こう岸にまで続いてるのを見ておそらくこのまま進んでいけば目的地の近くにいけるだろうと、回廊を歩いてるうちに方向音痴のわたしにでもそう判断できるような状態になって行きました。道に迷うくせに略図で間に合うだろうなんて思ってしまうところがわたしの弱点なのかも。
結局その回廊は寝屋川を渡った時点で直接会場となっている大阪ビジネスパークツイン21というビルに直結されてるものだったことを発見し、すぐにあらぬ方向に向かってしまうのになぜかここぞというところで妙に判断が的確なところもあるわたしの直感がこの場合は上手く働いた感じとなりました。

回廊がそのままツイン21のビルの二階辺りに直接繋がっていて、回廊からの入り口には本日の催し物といった告知板にこの写真展の名前が書いてあったりするものだから、一応参加者の一人なのでちょっと高揚した気分になってビルの中に入りました。ビルに入ってほとんど歩かない所で目に入ってきたのはビル全体の中心に広がっている巨大な吹き抜け空間で、展覧会はビルの何処かの一室で開催されると思ってたら、この吹き抜けの広場のようになった所で展示用の壁を並べて展覧会場にしていました。

展覧会場入り口
RICOH GR DIGITAL 3

梅雨の最中から夏にかけて結構大阪に写真を撮りに来てるんですけど、南港のマリンタワーやアジア太平洋トレードセンターなんかもそうだけど、大阪の人って吹き抜けの空間が好きなのかやたらと目に付く感じです。確かに広々として空間の触感は結構気持ちが良いですけど。

プロムナードから入った位置から見下ろすと吹き抜け空間の広場のかなりの部分を使って今回の展覧会の応募写真が並べられていました。

全国規模で参加者があった展覧会なのでおそらく集まった写真も膨大な数になったと思われ、会場はすべての写真を掲載するという形ではなくて、大阪会場に展示を希望する参加者の写真のみが集められて、それ以外の会場を希望した参加者の写真は展示されていないという形をとっていました。ざっと見渡したところやっぱり関西一円、というか大半が大阪からの参加者の写真となっていた感じでした。

会場の様子
RICOH GR DIGITAL 3

お客さんは思いのほか来ていて、やってくる前は応募した人とその友達、家族といった人が大半だろうと思ってたのが、もちろん一人一人に素性を聞いたわけでもないのでただの印象だけの話ではあるものの、一般的な客やビジネス街のようなところだったから仕事のついでといった印象の人なんかも混じって、それなりに盛況な状態で盛り上がってました。広場のような開放的な空間での開催だったからどこから入ってどこから出るというような仕切りもなく、気が向いたら展示してる方向に行くだけで広場をうろついてる延長線上で写真も目にすることが出来るといったラフでとっつきやすい展示形態になってました。
そんななかをわたしも泳ぎ回るように散歩することになりました。

☆ ☆ ☆

わたしの応募したのはどの辺にあるのか、当然一番に探すことになって、ちょっとドキドキもので会場を捜し歩いてたんですけど、ようやく見つけたわたしの写真は、まぁ結果から云ってしまうと、全然ぱっとしないなぁというのが一番の印象でした。ここでも何度か書いてるけど、この展覧会の趣旨というか、一応テーマは決まってなくて銀塩プリントされた写真ならどんなものでも構わないというものだったんですけど、主催者からの方向付けとして思いを込めた一枚を見せてくださいだとか、とっておきの一枚を送ってくださいだとかいろいろと届いていたメッセージがあったせいで、わたしの場合は選ぶのにかなり困惑するところがありました。主催者側が期待するような思いを込めてシャッターを切ってるわけでもないし、とっておきの一枚というのも突出したものって未だに撮ったことがないから選びようがないなぁなんて考えたりして、ぎりぎりまで迷ってしまったんですね。提出期日ぎりぎりになって、出せないって云う判断に傾いていたなかで、最後は参加費500円払ったし、やっぱり勿体無いのでもう何でも良いから送ってしまおうというちょっと自暴自棄的な選び方で、込めた思いを一言なんていう応募台紙に付随のメッセージ欄にも書きようがなかったから、分かりやすい絵柄のものを選ぶというような形になりました。
会場に展示されているわたしの写真を眺めてみればそういう送る直前までわたしが感じていた迷い、躊躇がそのまま写真にも出てるような感じで精彩がありませんでした。自分の写真の周りを他人の写真が取り囲んでる状態ではその中に完全に埋没してしまってるような印象。おまけに運が悪いことに、会場の写真は上下5列になった写真が横方向に伸びていく感じで展示されてたんですけど、わたしのはその上下5列の中央よりも下の列に展示されてました。わたしだけじゃなく下段に展示された参加者の写真はどれもそうだったかもしれないけど、普通に展示壁を目にしながら歩いてる分にはそのままでは視界に入りにくく、この点では目の高さに展示されてる写真よりはかなり条件が悪いこととなってしまってます。

自分の写真を見つけての第一印象がそんな感じでパッとしなかったものだから、なんか今ひとつだとか応募写真選びに完全に失敗してるとか思いながらしばらくは見てはいたけど、そのうちそれ以上自分の写真がおいてある一角を眺めてる気も失せてしまって、関心は他の人の写真はどんなのだったんだろうっていうほうに向かっていくことになりました。他の参加した人は写真に込めた思いといったメッセージにどういうふうに答えを出したんだろうって。

そんなことを頭において今回の応募作品を見て回ったんですけど、しばらく会場を巡り歩いて思ったのは、みんな写真に込めた思いだとかあまり気にしてないって云うことでした。集まってきた写真はそれこそ千差万別で共通してるのは撮りたかったからシャッターを押したということだけ。撮りたかった衝動の強さ弱さには作品ごとの差異はあったけど、その他はギャグに走ったものもあれば、造形的なラインを狙ったものもあるし、ペットや家族のここぞという瞬間を捕らえた写真の横には旅行に行って撮った気に入った風景の写真があるといった具合で極めてバラエティに富んでいました。みて回ってるうちにわたしは応募する直前のことを思い返して、なんだか一人相撲をしていたような気分になってました。写真にこもった思いというものを、それはわたしにとっては極めて単純で目にする世界にわたしが美しいと感じた何かがかすめて行った時に出来るだけそれをフィルムに定着させたいと思うただそれだけのことで、その言葉にしてみるとシンプルな何かをいかにも恰好つけた風に書き起こしてみようと頭悩ませたり、とっておきの一枚なんていうのに思い惑ったり、そんなことは全然必要でも重要でもなかったんだって。

たとえば応募しようとした写真のリストの中に、結果的には選ばなかったんだけどこういうのがありました。

緑の窓の扉
Nikon FM3A / AI Nikkor 28mm/f2.8S KODAK PORTRA 400

これ、単純にわたしは扉のイメージが好き、緑色のガラスの色合いが好きというだけのもので成立してる写真だったりします。以前小学校の写真で窓ばかり撮ってたことがあるけど、窓と同じくらい扉のイメージも好きなんですね。扉ってその向こう側でどこかこことは違う世界に繋がっているようなイメージに結びついていて、それはおそらく子供のときに読んだH・G・ウェルズ の「白壁の緑の扉」辺りの影響なんだろうと思います。この扉は薄い緑だけどどちらかというと白に近い色、そしてそれを補うかのように窓ガラスのほうが緑色だったわけで、わたしのHNで分かるようにわたしは緑色が好きでもあるから、この緑のガラスがはめ込まれた扉はわたしが好きになる要素が色々詰まってる感じでシャッターを切ったものでした。
でも「扉が好き」だとか「緑色が好き」だとか、込めた思いの欄に書いてみるとなんだか馬鹿げたものの様にしか見えないところがあって、書けといわれた込めた思いについて書きあぐねてるうちに、写真の内実も扉の緑が薄くそのほとんど白にみえる色が若干メリハリを欠いてシンプルすぎるかなと思うところもあって結局この扉の写真は送る写真としては選べないことになっていました。
でも会場に集まった写真をみているうちにその写真たちの有様から、応募する前は頭の中にごたごたといろんなものが想起していたけれど、重要なのは撮りたかったという意思だけで、たとえばこの写真を「扉が好き」というシンプル極まりない一言だけ添えて出しても良かったんだと、改めて思い返したりしてました。

☆ ☆ ☆

これをどうしても撮りたいという衝動や意思が出てる写真、そういう意思があっても上手く写真の形に出来ない事だってざらにあるからそういう衝動や意思をうまく写真に乗せる事が出来た写真はやっぱり何処か注意を引いたり、力があるものになってるなぁと思いつつ、写真をみていて思ったもう一つのことは、多少のひがみも入ってのことなんですけど、やっぱり家族やペットを被写体にした写真はそれだけで注意を引くし力強い印象を伴ってることが多いということでした。
家族の写真もペットの写真もいうならば撮った人が共鳴したとっておきの表情だとか仕草を印画紙の上に定着させたもので、言葉を変えるならシャッターチャンス、決定的瞬間の写真だと思います。
この決定的瞬間ってその背後に決定的じゃない瞬間が無限の連鎖のように続いていて、その連なりの中から特別なものとして際立ってきたものと考えても良いと思うんですけど、こう考えると写真に写ったのはたった一つの決定的瞬間ではあっても、実はその瞬間が決定的な瞬間になるための必要条件である決定的ではない瞬間を、定着されたイメージが決定的瞬間であるゆえにその写真の背後に無条件で含み持つことになってるんですね。云うならば決定的瞬間、シャッターチャンスの写真はその瞬間しか写真の表面に刻まれていなくても写されたものから派生してる何かを必ず背後に重ね合わせてます。わたしにはこれはこういったタイプの写真に広がりをもたらすものの一つに思えます。写っているものしか写っていない写真に比べると、そういう広がりを背後に持てた写真の印象ははるかに豊かで力強くなるはずです。そしてその決定的瞬間の主人公が、誰にとっても生きていく世界で一番身近な存在である家族であったりペットであったりするなら、その写っているものの背後にある何かはある種普遍性を伴った親密なものとして立ち現れてくるんじゃないかと思ったりします。これは強いです。ひょっとしたら扉の写真では太刀打ちできないかもしれないくらいにパワフルだと思います。

云うなら家族やペットの写真はドラマチックな写真。わたしのようにアンチ・ドラマチックな写真を撮る人間としては、昨日と今日の様子が全く同じで写ってるものしか写ってない写真に広がりを持たせるにはどうしたら良いのかって、こういう写真を眺めながら考えたりします。でもこれは言葉に変えられる方法論があるなら話は簡単なんですけど、おそらくそういうハウツー的な方法論といったものはないだろうし、むしろ頭で考えてしまうことはいっそう含みの多い写真から遠ざかって行くかもしれないと思うようなところがあります。そういうことに自覚的になる必要はあるかもしれないけど、最終的にはやっぱりわたしの直感に頼るしかないかもしれず、そういうときのよりどころになるのは最初に書いたような、これがどうしても撮りたいという衝動であり意思なのかもしれないなと思ったりしました。

☆ ☆ ☆

参加者としては自分もそのなかに一枚写真を提供した人間なので、自分が撮ろうとする、撮りたい写真と比較して色々と考えることもある展覧会でした。参加者としては大きく引き伸ばした銀塩プリントが家では見栄えが良かったのに会場ではまるで大きく見えないといった振幅の大きな印象の変化を体験したり、競う類の展覧会じゃないのに周囲を他人の写真に取り囲まれてかなり比較対象として眺めてしまう側面があったり、ブログで好き勝手に掲載してるのとはまた全然違う他人の目に晒される過酷な感覚とか、本当に色々と見に行くまであまり予想してなかった感覚的な体験が出来たように思います。応募したわたしの写真は残念ながら精彩を欠いていたけど、人の前に写真を置くというのがこういう予測できないような感覚だったことを体験できたのは結構面白かった展覧会でした。過酷だけどこういう風に展示されるドキドキ感はちょっと病みつきになりそうなところがあったので、他にもこういう展覧会で参加できそうなのがあったらまた参加してみたいです。

参加してなくて見物に行くだけでも、この展覧会はいろいろとバラエティに富んでいて面白い類の展覧会だったと思います。フジフィルム主催のこの展覧会とは関係ないけど、カメラピープルというコミュニティというか集団があって、わたしはそこが出している写真集が割りと好きなんですけど、展覧会はこのコミュニティの参加者が思い思いの写真を提出して編んだ写真集を眺めてるような気分と似たところがありました。
アマチュアの混沌としたパワーにも触れられるし、自分も写真を撮ってみたくなる楽しさに満ちた展覧会って、プロの個展なんかだとあまり出会わないんじゃないかなと思います。

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学研のピンホールカメラ
RICOH GR DIGITAL 3

結構展示数が多いので一通り見るとちょっと疲れて、広場に隣接した喫茶店のテラス席で休憩。テラス席といっても吹き抜け空間内にあるので屋内ですけど、その席に座ってピンポールカメラで何枚かシャッター切ってから帰宅。最近このピンホールカメラを持ち歩いてることが多いです。でもよく持って出歩いてる割に上手く撮れてるのかどうか全然確証がないんですね。だってシャッターを何秒開いておくのかも良く分からないままで撮り進めてるから。このフィルム、全部撮り終えて現像に出す時がかなり怖いです。全滅覚悟の現像になりそう。

ピンホールカメラといえば、京都の人限定の情報だけど今月31日から9月の13日まで、京都ロイヤルホテル&スパ 1階ギャラリー(河原町御池の角にあるホテル)でエドワード・レビンソンのピンホール・ブレンダーを使った写真の展覧会があります。わたしはこの展覧会を観にいくつもりでいます。

☆ ☆ ☆

今までにスナップしたものの中から何枚か載せてみます。あえてテーマ的につけてみると音楽が聴こえる街角ってところでしょうか。

マーチング・バンド
DIANA MINI LOMOGRAPHY COLOR NEGATIVE 400

撮ったのは去年の秋ごろだったかなぁ。四条通でマーチングバンドが練り歩いていたのに遭遇して、後を追いかけながら何枚か写真を撮りました。背景にあるアーケードは新京極に隣接する寺町通のものです。
マーチングバンドって結構好きなんですよね。パフォーマンスしながらの行進は見ていて楽しいし、音楽もウキウキするようなのがほとんどだから。撮ったのはトイカメラだったから、そういう味はちょっと出てるかも。
ただバンドの編成は若干小ぶりで練り歩いてる印象の写真は上手く撮れなかったです。

路上
Konica BIGMINI BM-201 Kodak Super Gold 400
梅田界隈

路上パフォーマンスのひとコマ。路上でも電気ものを使うのが当たり前になってきてます。写真はお客さんの位置がかっこよくなるのを待って撮ろうとしてたんですけど、なかなかこれという切っ掛けがつかめなくて結果適当にシャッターを切ることになった一枚です。聴いてくれない通行人のほうが多いのにめげないのは大したものだと思います。聴いてくれてる通行人は少なかったけど演奏は結構上手かったですよ。

音楽といえば個人的なことを云うと最近ウクレレが欲しくなってます。

シャッターチャンス大失敗
CONTAX TVS2 FUJI PRO 400
梅田界隈

これは何の写真かというと、ペルーの音楽の路上演奏をやってる時に、結構ビートの効いた曲だったので、女の子が一人踊りだしたところの写真だったりします。
アンチ・ドラマチックな写真を撮ってる面目躍如というか、結構派手な踊りを踊っていた女の子だったのに、その踊りを撮ろうとしてシャッターきったら派手な踊りの身振りと身振りの狭間でシャッターが切れたようで、まるで何をしてるのか分からないような写真になってしまいました。
このシャッターチャンス運の無さ!
新京極のマーチングバンドのものでも実はバトン振ってる部隊が入ってたのに、これと同じでかっこよく撮れたのは皆無だったりします。

混沌の看板
CONTAX TVS2 FUJI PRO 400
大阪梅田 お初天神近く

これは、ごちゃごちゃしてる!って思って撮った一枚。シャッター切った動機は極めて単純でした。
音楽に絡めて出してみましたけど、さしずめ前衛ジャズの音楽っぽいぐねぐね具合じゃないかと思います。


緑の窓辺
Canon Autoboy TELE6 Kodak Gold 100
京都 麩屋町通

どこが音楽かというと閉めてしまったジャズ喫茶の一角の写真だったりします。
緑色と窓と反射。わたしの好きなものが寄り集まってる感じ。


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Mondo Cane - Life Savers Girl


どうして「世界残酷物語」なんていう胡散臭い映画に提供したんだろうと思うくらいの、リズ・オルトラーニの傑作映画音楽「More」。
このマーチングバンド風のアレンジはサントラの最初に入ってる曲で、サントラには確か三種類くらい印象の違う「More」が入っていたと記憶してるんですけど、このバージョンの「More」はマーチングバンド好きとしては意外とお気に入りのアレンジだったりします。
弦楽を主にした変格編成のマーチングバンドを編成して、この曲を演奏しながら街の中を誰か歩いてくれないかな。
溌剌としてたおやかで憂愁を帯びて美しい。ちょっと稀有な音楽空間になっているようで、わたしにとっては未だに聴くたびに聴きほれてしまう曲であり続けてます。




☆ ☆ ☆




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