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【写真】うたかたの日々ー散歩写真 教会 宇治川縁 中之島 +【音楽】ボリス・ヴィアン 「脱走兵」 +独り言の問答歌 - どこへ行くの

ボリス・ヴィアンです。一時期わたしのヒーローだった人。今で云うマルチタレントなんだけど、中途半端にいろんなジャンルに首突っ込んでるような紛い物じゃなくて、本当に才気溢れた人でした。ジャズのトランペッター、ソングライター、作家、詩人といった多面的な顔を持って活躍した人で、持病の心臓疾患のために、たまたま薬を飲み忘れた日、自作の映画の試写会場で試写中に発作を起こして亡くなってしまうという、ドラマチックな最後を遂げた人でもあります。享年39才、生き急ぐこういうタイプの人には一番相応しい去り方だったのかも。
フォーク・クルセダーズが歌っていた「大統領殿」という歌、好きで聴いていたこの歌がたまたまボリス・ヴィアンの音楽を聴いている時に飛び出してきたことがあって、そのとき初めてボリス・ヴィアンが作った歌だということを知り、作家として好きだった人物が昔聴いた歌と思わない所でリンクしてゾクゾクしたことがありました。嗜好にあうものは知らず知らずのうちに寄り集まってくるというか、べつに好きな歌の作者だから小説が好きになったわけでもなかったから、不思議なめぐり合わせのように思えたのを思い出します。

「うたかたの日々」というのはこのボリス・ヴィアンが残した小説のタイトルです。邦訳では「日々の泡」と訳されているもののほうが一般的になってるんですけど、「日々の泡」のほうが直訳に近いとはいえ、わたしはこの「うたかたの日々」の訳し方のほうがずっと好きです。
ブログに写真の記事を載せる時、「~に行ってきました」的な内容にすることが多いので、そういうものから外れて撮った写真を載せたいなぁと思って、今までにも何回かそういう載せ方をしたことはあったんですが、日々の移ろいゆく時間を留めようとした写真に似合うようなタイトルのもとで纏めてみたいと考えていました。でもそういうことを考えていたんですけど、このボリス・ヴィアンの本のタイトルが頭に浮かんできてしまったら、どうにも他の言い回しを思いつくような状態ではなくなってしまいました。ということで他の洒落た言い回しを考えようという抵抗は今のところちょっと脇においておいて、このままボリス・ヴィアンの言語センスに便乗してしまうことにします。

それにしてもブログに載せる前提で撮っていると、ある程度記事の形にしなければならないといった意識でも働くのか、場所の情報を盛り込んだものも必要かなと思いながら撮る時も多くなったり、載せる写真を選んでいる時もどこの写真か分からないからいろいろと文章を書きにくそうと思ったものは、写真は気に入っても外してしまう場合もあって、こういう形で載せていくのは撮影している時も含めて、意識的無意識的どちらにしてもちょっと枠をはめ込んでしまうようなところがあると思う事が多いです。もっともブログに書くことを前提としてない写真がそれでは全くの自由であるかというと、これまた全然そんなことはなくて、何処かで観た写真に知らないうちに拘束されていたり、といったことも色々とあったりするんですけどね。
何を撮るにしろ自分で見ることくらい自由でありたいと、そう思って撮りはしていてもなかなか思い通りには行かない感じです。

ウィリアム・エグルストンというニュー・カラー派の源流となった写真家がカルティエ財団の要請でパリを撮った写真集があります。エグルストンはこの写真集でパリを代表するようなアイコンは一切撮らずに壁の模様だとか街の断片めいたものを徹底して撮り続けました。市井の生活の中に真実のパリがあるという視点でもなく、また叙情的な方向に傾くでもなく、幾何学的な興味にそって、ひたすら表層的に撮り続けたという感じ。写真集には自作の得体の知れないドローイングも織り交ぜて、無意味の表層に留まり続けようとしたような纏めかたをしています。
ニュー・カラーの写真家の始祖なんだけど、後に続いたスティーブン・ショアーなんかとは若干製作に対する考え方が違うようなところが感じとれはするものの、このパリの写真を依頼されてパリらしいものを一切撮らなかった感性は十分に過激で面白いものでした。
わたしもちょっと見習いたいというか、なにかに囚われそうになったら絶えずこういうあり方を頭の隅に思い浮かべているべきなんだろうなと思っています。
エグルストンはほぼ時期を同じにして京都でも同様の写真を撮っています。近年東京の原美術館で開催されたエグルストンの「パリー京都」展のカタログで一部見たことはあるんですけど、この京都を撮った写真の全貌を見てみたいんですよね。でも写真集としてはまとまっていないようなので、未だに一部だけ見たに留まっています。
京都なんて観光都市のアイコンだらけの空間で、エグルストンが一体何を見たのかとても興味があります。

エグルストン パリ 表紙
Nikon COOLPIX P5100


今回はちょっと寡黙に行きます。いつもごちゃごちゃと書きすぎてます。色々と語ってくれるような豊かな写真が撮れてるかどうかはまた別の問題としても、ほとんど語ってくれない言葉少ない写真であってもそのままに、一度写真そのものに語ってもらうのもいいかなと思いました。


☆ ☆ ☆


荒涼1
LOMO LC-A : Fujifilm ACROS 100
宇治川公園

近鉄宇治川鉄橋
LOMO LC-A : Fujifilm ACROS 100
宇治川公園

荒涼3
LOMO LC-A : Fujifilm ACROS 100
宇治川公園

荒涼4
hasselblad 500c/m + Carl Zeiss Planar C 80mm F2.8 T* : Fujifilm ACROS 100

「~へ行ってきました}的写真からちょっと離れて記事にしてみると云いながら、早くもこの記事の趣旨に反するように、今年の冬の終わりごろだったか、荒涼としたものをとるという目的で宇治川公園に行って撮っていたものをピックアップ。これはそのときに選ばなかったもののうちの何枚かです。
機材はトイカメラ扱いのロシアカメラLC-Aと中判カメラの代表選手であるハッセルブラッド。使用機材に関してはあまり興味が無い人のほうが多そうなので、いつもは写真のクレジット程度の扱いで書いてるだけなんですけど、検索から使い方を調べに来てくれる人もいるようなので、機材のことを書くかどうかはいつも迷ってます。せっかく来てくれたのに目当ての情報がなくて、きっと舌打ちして帰ったんだろうなぁと想像してます。ちょっと気になったのでピジョンフレックスの時は記事をアップした暫く後で追加という形で使い方を付け足して書いたことはありました。
これは記事にしたときに何故選ばなかったのか自分でも良く分からないです。ちょっとありきたりのイメージに見えたのかな。鉄橋や光芒なんか他の人も似たような感じで飽きるほど写真にしていそうだし。
その時はおそらくそんな理由で選ばなかったんだと思うけど、わたしにとって、期間を置いてみると印象が変わる典型のような感じになってます。


ムツミの前の教会1
LOMO LC-A : Kodak Super Gold 400
カトリック河原町教会

ムツミ前の教会2
LOMO LC-A : Kodak Super Gold 400
カトリック河原町教会

結構最近撮った写真です。河原町三条の朝日会館の北側にある教会。フォトステーション・ムツミの河原町通りをはさんで斜め向かいにあります。この辺りの通りって普段ほとんど通らないんだけど、この時通り過ぎようとして何気なくみたら、影の具合がなんだか面白くてスナップしてみた写真です。でもこの影はちょっとホラーものの映画のようで、教会にはあまり似つかわしくないかな。
教会は人を拒むとは思えないけど信者でもないのに中に入り込むのはやっぱりかなり躊躇してしまうところがあります。中に入って写真撮ってみたいんですけどね。

ムツミといえば9月末で閉店してしまって、閉店する直前に現像を頼みに行ったら、新しい店のご案内してました?と問われて、未だだというと11月に新装する店のことを教えてもらいました。閉店を知った後はどうしようかと思ってたのがこれで一安心。店が閉じている10月の一月、カメラのナニワだとかヨドバシカメラへ現像を出してみたけどどうも勝手が違うというか、馴染めなくて、結局10月中に撮り終えたフィルムから手間のかかりそうな、モノクロ2本とカラー1本はそのまま現像せずに置いておいて、この前新装開店してから現像してもらいに持って行きました。
ムツミの閉店がどういう理由だったのかは知らないけど、フィルムの状況は依然厳しく、製造終了になったフィルムは増え続けていて、いつまで使えるか分からない状態が続いてます。フィルムが好きだから使えるうちは使っていこうと思ってるけど、さてどうなっていくことやら。でもフィルムが使える最後の時期なのかもしれないけど、フィルムが死滅した後に知ったんじゃなくてフィルムを使う楽しさを味わえるほどには間に合ったから、以前にも書いたけどこれは本当に幸運だったと思います。惜しむらくは、ホルガなんかのトイカメラを以前から知っていたのにフィルムだということに躊躇して知っていながら使わなかった時期があったこと、この頃から使っていたら今は姿を消してしまったフィルムも使えてたんだなとなんだか損したような気分になります。
ただやはり機材を増やすのはちょっと慎重にはならざるを得ないところがあります。今のところオリンパスの35RCというのが凝ったガシャポンよりも安い100円で最安値だったのを筆頭に、1万円もしないようなお手軽カメラが多いけど、それでもやっぱりフィルムがなくなると唯の箱になるわけだし。最近ハッセルを使っているのが楽しくなってきているので、ハッセルや二眼のような中判フィルムを使うカメラはデジタル化されてもまだ数百万円ととても普通に手が出るような代物じゃなく、フィルムも35mmのものよりは安定供給されて行くような感じだから、メインは35mmよりも中判にシフトさせていこうかなと思ったりしています。35mmのほうはモノクロで使うのが最近は楽しいです。
一時間でL判の簡単なプリントまで出来上がるカラーネガと違って、中判、モノクロは両方とも数日単位で現像に時間がかかるから、ブログで使うにはタイミングを考えないといけなくなりますけど。
これも以前に書いたけどモノクロは自分で現像までしてみたいんですよね。あれからダークパックといったかな、袋状のアイテムで中に手とフィルムを突っ込んで暗室代わりの作業ができるものをそろえた程度で現像に必要な機材をそろえるのは中断しています。

壁画の家
Olympus Pen EE2 : Kodak Super Gold 400
百万遍付近

壁画があるというちょっと珍しかった民家。撮ったのはハーフカメラだけど、これで撮った写真を載せるのは始めてかも。ピント合わせ不要のパンフォーカスに、シャッター押すだけの簡単カメラのわりに、綺麗に写ってます。

パリ風?
Wide Lens Camera : Kodak Ektar 100
中之島

貧者のLC-Aと云われたビビターのウルトラワイドスリムの別名義のトイカメラを使って去年の冬に撮った写真。中之島にある橋の写真ですけど、どこと無くパリっぽい感じというか、そんな洒落た感じがしませんか?

海上バスのある光景
CONTAX TVS2 : ILFORD XP2 SUPER 400
中之島

上のものと同じ頃に撮った写真。中之島でクリスマスのイルミネーションが開催されていた頃でした。哲学の道や白川沿いを撮ってみたりしているのでも想像つくかもしれないけど、川のある光景も撮りたい対象の一つであったりします。この秋になってから鴨川にハッセルもって撮影に出かけたこともありました。
川縁の光景ってこの中之島の辺りも云える事で、進んでいってもあまりまわりの世界に変化がないんですね。川縁の光景というのを目的に撮りに行って、目にしてるのは川縁の光景だから目的には合致してるとはいえ、何枚か撮ったらみんな同じじゃないかって云う気分になってきます。
それで、撮影している最中はどれもこれも片側に川が写ってみんな同じと思って枚数が進まなかったりするするんですけど、現像が仕上がったものをみてみると、それぞれ違う雰囲気にきちんとなってるようなところがあったりして、この前の鴨川の写真もみんな同じに見えると思いながら撮っていたにしては、意外と気に入ったものが撮れていました。
写真を撮る時見たままよりも何かちょっと異界が紛れ込むように、いわば上手く嘘をついているように撮ろうと画策する一方、写真のほうも、写真って見たそのままが写っているようにみせて、実は結構嘘をついてるというところがあるんじゃないかと思うくらい予想を違えて写っている時があります。「写真」と真を写すなんていうけれど、本当かなとちょっと疑いたくなるくらい。
だからその場で似たようなものと思ってもとりあえず何か気に入ってカメラ構えたのならシャッターは切ってみるものだと再認した感じでした。

並列
FUJIFILM instax mini 55

要するにチェキで撮った写真。最近フィルムカメラでは唯一新品で気を吐いているカメラで、売り場もそれなりに拡充している様子です。
ここには載せたことがないけど一応インスタントカメラも好きで、ポラロイドの他にこのフジフィルムのインスタントカメラも古いのを中古で買って使ってます。

チェキはその場で物質的な形になった一枚の写真として見られる楽しさがあるものの、写真のサイズがカードサイズと小さくて、もちろんその小さいイメージが面白いというところもあるんですけど、普通の写真を撮ろうとした時にはやっぱり物足りないところもでてきて、持ち出す回数はあまり多くないといった使い方になってます。
これは一枚の写真が小さいので纏めて並べてみたもの。他にもやっている人がいるし特に斬新なアイディアというものではないけど、イメージが隣り合わせになることで、ある種のセッションのようなものが生成される可能性があります。
撮った写真は本当に適当というか、目に付いたものをあまり考えもなしに撮ってたものなんですけど、組み合わせとしてみてみると、ちょっと意味ありげに見えてきたりして。
並べてみるときにイメージというよりも色の配分をメインにして見ました。グリーンが中央にあるのはそういう意図によるものです。

西梅田01
Konica C35 EF : Kodak Super Gold 400
西梅田

最近撮りに行っていた梅田での一枚。先行公開!って云うほど大層なものじゃないけど、この時の写真はまた別の項を立てて記事にしてみるつもりです。木漏れ日の光のラインがポイント。

☆ ☆ ☆

夏の間大阪港からコスモスクエアで写真を撮っていた後、9月頃には同じく大阪の梅田周辺で、10月頃には京都と大阪の県境、というか両方とも府だから府境になるのか、八幡の周辺へと場所を変えて写真を撮りに行ってます。八幡は大阪へ行く京阪に乗っているうちにどうにも気になるものが車窓から見えているのに気づいてそれを確かめるために降りたのが切っ掛けでした。
八幡は駅のすぐそばに男山と男山ケーブル、その頂上には石清水八幡宮が有る場所で、男山一帯が紅葉の名所でもあります。八幡で車窓から眺めて気になったものを撮っている間に、今年の紅葉はここのものを写真に撮ろうかと思い立ちました。時期的、場所的にグッドタイミングというか、そういうことまで予定されてあの気になるものが車窓の向こうでわたしの注意を引いたんだろうかと、あらゆるサインが今年は紅葉はここで撮れと云っているような感じでした。

現在、男山、石清水八幡宮で紅葉を撮ろうと思って、様子伺いに行ったりしている最中なんですが、ここがまたなぜかは知らないけど、今のところ単発では赤くなっているもみじもあるんだけど全体では緑緑して全然色づく気配もない状態だったりします。他の場所はとっくに見頃になっているのに、京阪の見頃情報掲示板でもここの表示はもうすぐ見頃というのからなかなか変わりません。
この調子だと、どうも紅葉のことを書くのは12月の中ごろくらいになりそうな感じになってますが、タイミングのズレはわたしのブログの特徴でもあるから、年末近くに紅葉の話はある意味ここに相応しい話題になっているのかもしれません。。


☆ ☆ ☆


Boris Vian- Le déserteur



邦題は「脱走兵の歌」あるいは「脱走兵」
フォーク・クルセダーズの加藤和彦が歌った時のタイトルは「大統領殿」でした。
わたしは日本の歌手が歌ったものではフォーク・クルセダーズの物に一番馴染みがあるんですけど、近年は沢田研二も歌ってるんですね。

1954年の歌で、当時のアルジェリア戦争に対して歌われた反戦歌。大統領への書簡という形をとって、自分のところにも召集令状が来てしまったけれど、自分は哀れな男を殺したくない。もし血を流す必要があるなら大統領、偽善者のあなたが流せばいい。だから僕は脱走する。脱走して回りの人に、従うな、拒否しろと訴えて歩く。それが駄目だというのなら自分は武器を持っていないから、そのときは憲兵に命じて自分を撃てばいい。といった内容の歌です。

思想的には同調しない部分も今はあるけど、歌としてはいつまでも好きな曲。

Monsieur le Président
Je vous fais une lettre
Que vous lirez peut-être
Si vous avez le temps
Je viens de recevoir
Mes papiers militaires
Pour partir à la guerre
Avant mercredi soir
Monsieur le Président
Je ne veux pas la faire
Je ne suis pas sur terre
Pour tuer des pauvres gens
C'est pas pour vous fâcher
Il faut que je vous dise
Ma décision est prise
Je m'en vais déserter

Depuis que je suis né
J'ai vu mourir mon père
J'ai vu partir mes frères
Et pleurer mes enfants
Ma mère a tant souffert
Elle est dedans sa tombe
Et se moque des bombes
Et se moque des vers
Quand j'étais prisonnier
On m'a volé ma femme
On m'a volé mon âme
Et tout mon cher passé
Demain de bon matin
Je fermerai ma porte
Au nez des années mortes
J'irai sur les chemins

Je mendierai ma vie
Sur les routes de France
De Bretagne en Provence
Et je dirai aux gens:
Refusez d'obéir
Refusez de la faire
N'allez pas à la guerre
Refusez de partir
S'il faut donner son sang
Allez donner le vôtre
Vous êtes bon apôtre
Monsieur le Président
Si vous me poursuivez
Prévenez vos gendarmes
Que je n'aurai pas d'armes
Et qu'ils pourront tirer


どこへ行くの 川崎幸子・敏子



ルイス・エンリケスの「マシュケ・ナダ」で始まったビザール・ミュージックの確かこれが第三弾目。今回は日本のものです。
日本のこういう奇妙な音楽ってわりと発掘されていたりするので、探してみる気になったら色々と簡単に見つかる場合が多いです。狙ってるのか、それとも期せずして妙な形になったのか、未だに歌っている側はまともな音楽だと思っていて奇妙に聴こえるなんて夢にも思っていないのか、よく分からないけど、意外と奇妙な曲って歌謡曲には多いです。
そういう音楽の中でも異様さというか、ジャケットからは想像つかないくらい破格の相貌を見せるのがこの曲。
フォークソング風の爽やかな見かけによらないアングラ・サイケデリック音楽で、半端じゃないトリップ感があります。意味が通じているようにみえて、独り言の応酬のような側面もある問答歌の部分も十分に不気味なんですが、「しゅぽぽぽぽぽ」というのが頭の中で回りだすと、止まらなくなる可能性もあったりしてかなり手強いです。

1970年にリリースされた「くちなしの花」というシングルのB面。歌っている女性コンビはおそらく姉妹だと思うんですが、どういう歌手だったのか調べてみようとしてもほとんど情報が出てきませんでした。一発屋にしても一発屋としての情報も無さ過ぎるというような状態で、結局どういうコンビなのか、この曲をリリースした後で一体どうなったのか、その後レモンパイと改名してもう一枚くらいはシングルをリリースしたようだということを除いては一切謎のままです。この素性は結構知りたいです。そしてこの歌を歌った時の気分がどうだったのかとかじっくりと聞いてみたい思いに駆られます。



☆ ☆ ☆



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普通にパリの写真集としてみると面食らいます。情緒を廃したオブジェの断片と殴り書きしただけのような無意味なドローイングが交互に出てくるだけの写真集だから。でもその過激さはシンクロすれば結構面白く刺激になる写真集でもあります。なによりも写真を撮るということから見ると、これで写真が成立するんだと、なにか見るべき価値のあるものを写し取らなければならないといった硬く縮こまりがちな自分の感性を解放してくれるようなところがあったりするから。



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「どこへ行くの」を収録した日本カルトミュージックのオムニバスアルバム。地獄からこんにちはの「スナッキーで踊ろう」も入ってるから、かなり濃いオムニバスアルバムになっているかも。


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【写真】夏の思い出 続 ‐ 大阪港から宇宙広場へ 盛夏のコスモスクエア +【音楽】熱狂と憂愁 Samba pra Vinicius

夏の初めに赤煉瓦倉庫群を撮ろうと思い大阪港で写真を撮り始めたものの、意外と小さなエリアに立ち入り禁止の場所も多くて、歩き回っているうちに撮れそうなのは観光客用に用意されている展望岸壁とかちょっとした公園とか、化粧をして他人に晒す準備を済ませたような場所ばかりといった印象に傾いていき、勢い込んで出かけてみたものの程なくしてどうにも撮りあぐねてしまったような気分になったのは前回に書いた通りでした。

それで、このまま大阪港のエリアで写真を撮っていてもあまり面白くないし、中央線に乗って大阪港駅に着く直前の高架の上から見え始めていた、港の雰囲気を濃厚に含んだ光景から、やってきた路線を少し遡り、一つ前の朝潮橋辺りまで行動範囲を広げようか、それとももう一つ先の終着駅であるコスモスクエアまで足を伸ばしてみようか思案し始めることになりました。
結局、朝潮橋の方向に戻るのではなくて、コスモスクエアの方向にさらに進む選択肢を選ぶことになるんですけど、コスモスクエアは実際に中国語での意訳は宇宙広場となっているようで、その宇宙広場というのは一体どういうところなのか興味がわいてきたのと、地下鉄中央線の終点の駅ということで、大阪港よりもさらに目的意識の強い場所、わざわざ地下鉄の路線がその場所を目指して作られている、大阪港を通過地点にしてしまうほどの何かとても重要なものがありそうな場所、というイメージが強くなってわたしの好奇心をくすぐることになったんだと思います。
わたしのなかでコスモスクエアという語感と中央線という地下鉄の路線が独立して設けられてその行き着く先のところというポイントからイメージとして浮かんでいたのは、京都の北のほうにある国立京都国際会館的なイメージでした。あそこも地下鉄の北端の終着の駅だし、コスモポリタンな施設が建っているし、だからコスモスクエアもきっと宇宙規模でなにかことを始める時の拠点となるような巨大学術都市、そういう近未来的なイメージの建築物でなりたつSFに出てくるようなちょっとレトロフューチャーっぽかったらさらに良いような未来都市といったものが漠然とした期待として頭に浮かんでいました。

地下鉄中央線というのは破格の路線というか、地下鉄の癖に本町を出て暫くしてから地表に出てくることはおろか地上を走るのも省略して高架の線路に変貌し、町をはるか上から見下ろす形になるような地下鉄の名に値しない路線なんですが、実際に大阪港駅で降りずにそのまま乗ってみると、この地下鉄は前回写真に撮っていた中央突堤の辺りで高架から本来の地下へと戻るのを通り越して今度は海底トンネルに突入していくという傾きぶりを見せる路線でもありました。
初めて大阪港で降りずにさらに乗り続けてコスモスクエアに向かった時、この海底トンネルに突入する電車にわたしはちょっと舞い上がり気味でした。残念なことに海底を通過している間、電車は海底の様子が見えるような透明のチューブの中を走っているわけでもなくて、窓の外の光景は唯の地下鉄の光景と全く変わらなかったものの、今わたしの頭上には分厚い水の層が積み重なっているんだと想像すると、昔子供のときに観た暗い海の底深くでうごめくペリカンウナギなどの異形の深海魚や、アンドレ・ブルトンにシュルレアリスムの生きた実例といわせた、放散虫やくらげ等を描写したエルンスト・ヘッケルの幻覚的な博物誌の図鑑なんかが大好きで、海のそこ深くは宇宙に匹敵するくらい異界が広がっていると信じているわたしとしてはワクワクせずにはいられないという気分になってました。

エルンスト・ヘッケル
エルンスト・ヘッケルの幻覚的画像

やがて電車はいつ海底トンネルを抜け出たのか分からないままに終着のコスモスクエアに到着します。大阪港でも海遊館なんかがあるから結構人が降りているんですけど、それでもここまでやってくる人もそれなりにいて、コスモスクエア駅は地下深くにあったから電車を降りた客はみんな地上に向けて歩いていきます。わたしはこれからカメラ片手に街を歩くつもりだったから、移動する群れから離れてとりあえず用を足しておこうと化粧室に向かいます。
程なく再び駅の構内に戻ってみると、さっき一緒に降りた客はもうどこにも見当たらず、人を見かけても1~2人といった広々として閑散とした駅の光景が目の前に広がっていました。
閑散とした構内で方向も今ひとつわからないままにとにかくわたしも地上に急ごうと、ニュートラムの乗り場はこっちといった案内の前をニュートラムって何?とか思いながら通り過ぎたりして、上のほうから光が差している地上に出るエスカレーターを見つけて足を踏み入れました。(ちなみにニュートラムって無人で運行している電車のことでした。知ってました?わたしは知らなかったものだから得体の知れないものに乗ってしまって思いもかけないところに連れて行かれるのも嫌だから近寄らなかったんですけど、南港に行き来しているうちにあまりの暑さにコスモスクエアの駅まで戻るのも辟易しだしてからはアジアトレードセンターからコスモスクエアまでの帰り道一駅区間くらいは利用してました。運転手がいない電車ってちょっと怖いです)


☆ コスモスクエア~なにわの海の時空館 ☆


コスモスクエア駅ー620
hasselblad 500c/m + Carl Zeiss Planar C 80mm F2.8 T* : Fujifilm Reala Ace 100

ここに載せようとこの夏コスモスクエアで撮った写真を見返してみてると、ちょっと大掛かりなカメラを持って出かけたのはこのハッセルブラッドを数回とペンタックスのスポットマチックに東独ツァイスのレンズをつけて持って出かけたのが一度という程度で、撮っていた写真の大半はコンパクトカメラによるものでした。さすがに今年の夏は暑すぎで後半から終盤にかけては、一眼レフなんかは持って出る気になれなくなっていたということなのかもしれません。
それはともかく、コスモスクエアの駅から地上に出てみて目の前に広がっていた世界で一番最初に目に入ったのはこのバスや自動車用のターミナルでした。
すでにわたしと一緒に乗っていた電車の乗客の姿は見えなくなっていて、その場にいるのは客待ちをしている数台のタクシーとわたしだけ。
ある種の空虚さというか、抜けるような青空を伴って感じたのは、ジャックスっぽく云うと静かで何もない「空っぽの世界」といった感覚でした。宇治川公園に写真を撮りに行ったときの目的は荒涼としたものだったんですが、この新しい世界で最初に感じたのは空虚なものといった何か。荒涼さとはちょっとベクトルはずれてはいるけどそれもまたわたしの興味を引く観念ではありました。

コスモスクエアの駅は南港(この辺りのことです)のエリアの大体西北の海岸沿いに位置していて、駅から地上に出てみると、ターミナルは南港の地表からは建物にして3階くらいの高さにあったから地表の様子は今ひとつ分からなかったものの、周囲を見渡してみると北西側のすぐそばから海が広がり反対側にはなにやら高い建物が点在しているという光景くらいは把握できました。
海側と建物側とどちらに行ってみようかと思って、一応夏が始まってからの大阪行きは海が目当てだったから海側に下りてみようと決めて、コスモスクエアの駅から北西方向へと地表に降りてみることにしました。

コスモスクエア脇の遊歩道1-720
Canon Autoboy Tele : Kodak Gold 100

コスモスクエア脇の遊歩道3-720
Canon Autoboy Tele : Kodak Gold 100
こういう機械ものって結構好きなんですよね。上の写真にも写っているのと同様の浮島のようなこの海上のクレーン施設は最初にここに来た時には存在してなくて、ある時急に海の上に現れたものでした。船のように移動できるのかな。
それと対岸の右手のほうに見えている葱坊主を乗せた塔のようなもの、あれはフンデルトヴァッサーがデザインした舞洲ゴミ処理場の建物の一部です。

コスモスクエア脇の遊歩道2-720
Olympus Mju Zoom : Kodak Super Gold 400

駅から降りる所で眺めた海岸線の様子です。ざっと見渡してほとんど人がいない印象が駅で感じた空虚なる物をさらに増幅させるよう。上から降り注いでくる非常識なほどの熱を含んだ光と、ほとんど影を落とすものが無い場所で、たまに地面に落ちるロットリングで輪郭を描いたようなくっきりした影が、その空虚さにちょっと非日常的な感触をさらに付け加えてもいるようです。

わたしは近未来を髣髴とさせる未来都市が広がってると予想をつけていたから、この空虚さで充満した空間を始めて目にして結構戸惑いました。ここは一体どういうところなんだろうって。
いまだ建物が見えていた方向には足を運んではいないんだけど、コスモスクエアって云うような鳴り物入りとでもいえそうな名前のついた駅から出たところが、数人の釣り人が散見できるだけのこの簡素な海岸線?
そんな疑問にかられながら、コスモスクエアの駅から降り立った海岸沿いの遊歩道は先に延びているだけでほとんど何も無いような場所だったから、先に行けば何か出てくるだろうととりあえず道がかなたに消えていく方向に歩き出してみました。

釣りをする人はたまに出くわすけど、ほとんど人のいないといっても良いような空間、熱波の中であらゆる動きが停止したような空間を歩いていくうちに、わたしはまるで人類滅亡後の廃墟となった世界を歩いているような気分になってきました。「渚にて」なんていう映画の例もあるように海辺と終末世界というのはイメージとしては馴染みやすいところがあるような気がします。たまに出くわす釣り人はもちろん視界には入ってきて、本当のところは誰もいない滅亡した世界でもなんでもないんだけど、意識としてはそういう釣り人なんかほとんど見ていないような精神状態になっていた感じ。そして誰もいない未来的な終末世界を行く何処かの映画の主人公のような気分で岸壁沿いを歩いていると、やがて進行方向に異様な建築物が見えてくることになります。

大阪港の海遊館付近の岸壁からも遠くに認められた謎の建築。大阪港から見ていても何の建物だろうと思っていたものが、コスモスクエアの熱波に照らされて白く輝いている遊歩道の先に見えてきて、そんなものに遭遇するとは思いもしていなかったから、わたしは好奇心に駆られて足早にその謎の建物に近づいていきました。

なにわの海の時空館ー620
hasselblad 500c/m + Carl Zeiss Planar C 80mm F2.8 T* : Fujifilm Reala Ace 100

そこにあった建造物は巨大な球形状のオブジェ然とした佇まいで海の中に浮かぶように建っていました。誰もいなくなった未来の終末世界の岸辺を歩いてるような気分でいたから、こんなものを見てしまうと、もうこれは人類滅亡後の世界はおろか、その後に別の知性生物がもう一度一から別の文明を起こしてさらにその文明も滅亡した後に残った遺跡のような何か、そんなはるかに遠い遠未来の世界に残されるはずの遺跡に迷い込んでしまったに違いないといった気分になってました。
「禁断の惑星」に出てきたような意星人が死滅したあともはるか昔から延々と動き続けている謎めいた地下の大都市なんていうのも思い出して、そういった用途不明の奇怪な構造物といったイメージも重なってたかも。

実際はわたしが浸っていた不思議な世界のイメージとはかけ離れて、この建造物は「なにわの海の時空館」といって、大阪の海との係わり合いを展示している博物館のようなところでした。正式には大阪海洋博物館なにわの海の時空館というそうです。時空館なんていう名前がついているのだから、わたしが遠未来の世界の謎めいた建築物なんていう想像を重ねたのもそれほど的外れでもなかったのかもしれないですけど、展示している内容は随分と今の人間に係わり合いのある内容で、ちょっとそぐわない違和感がありました。もうちょっとぶっ飛んだ内容の展示のほうが入れ物の非日常的な感じに似合ってると思います。

わたしが被せていた想像は別にしても、建物の異様さはやっぱり結構気を引くものでした。半球状のものが海に浮かんでいるという形も容易にそこにアクセスできない隔絶感があって、辿りつけない謎めいたものという感じを増幅していたし、壁面全部がガラスという仕上がりも異様さを倍増させていました。外からだと反射で鏡張りの球体のようにも見えて、これはまるで裏返しにされた乱歩の鏡地獄のような感じです。

この時空館の球形状の展示棟は、海上に出ている部分には入り口はなくて、海を隔てて岸壁に併置されている時空館の本館に当たる建物から海底を通って入るような仕組みになっています。

時空館外部
Canon Autoboy Tele : Kodak Gold 100

街灯とサークル
Canon Autoboy Tele : Kodak Gold 100

なにわの海の時空館の周辺で撮った写真。陸地側のドームへ繋がる通路の入り口となっている本館は基本部分は扇形というか結構シンプルな形をして、球形展示棟に海を挟んで対峙する位置に建っています。展示棟の巨大で異様なオブジェ風の存在感を視覚的に体感できるようにということなんでしょう。それ以外の建物の、そこから派生している部分は基本部分の延長とはいえ、そこよりはちょっと複雑な形をしていて、ある種写真のフレームに切り取るには創意工夫がいるというか、切り取り甲斐がある形をした建物でした。
下のほうはぽつんと立った照明灯と地面のサークルがかっこよかったので。それと、岸壁の写真にも写ってますけど、向こう岸に立ってる建物が、ここに来ている間中気になってました。灯台の近くになにかの施設にしては小さな家が一軒だけぽつんと建っている様子がなんだか意味ありげで、わたしのなかでいろんなイメージを呼び起こします。

時空館内部
Pentax Spotmatic + AUS JENA DDR T 50mm f2.8 : FUJIFILM 100

球形ドーム状展示棟への海底通路の入り口がある本館の、展示棟に対面している部屋。
これを撮ったのは夕方の5時頃だったと思います。誰もいない広い部屋に窓からの光が長く差し込んでくる一時。実際には遊歩道と同じで建物の入り口に入場券を受け渡しする係りの女の人が一人いたりしてるんですけど、わたしの意識としては誰もいない部屋という存在になっていました。
見た感じ時間が止まったような硬質の光で満ちた空間で、まさしく時が果てる地点に建つような雰囲気を持った部屋でした。この世界の一つ外に建っている部屋といった感じは「2001年~」の最後に出てくるホワイトルームや、「ジェイコブズ・ラダー」のティム・ロビンスが辿りついた最後の部屋が纏っていたような雰囲気に似てるところがあるかも。
海上の半球ドームとこの「時の果てる場所」にいるような静かな光が差し込む部屋を設計したポール・アンドリューは絶対にSF小説やSF映画が好きだったに違いないと思います。
ただやっぱり、大阪の海運の歴史って言うえらく現実的で具体的なディテールに満ちた展示はこの抽象的な空間とは馴染みが悪くて、実のところこのなにわの海の時空館は博物館としてはあまり流行ってないらしいんだけど、おそらくわたしが思うにはこの建築が醸し出す抽象性に惹かれてやってくる人には、宇宙の秘密でも扱っているほうが似合っている場所としては展示内容があまりにもそぐわなくて見る気がしなくなり、大阪の海運の歴史の勉強をしようと思ってやってきた人にはこのSF映画に出てきそうな実在感の希薄な空間の居心地がやっぱりあまり良くないんじゃないかと、そんなことを想像してみたりしました。

夕方のコスモスクエアの海
Pentax Spotmatic + AUS JENA DDR T 50mm f2.8 : FUJIFILM 100

このなにわの海の時空館のある岸壁から撮った夕方の海の一枚。岸壁ではこればかり撮っている印象ですが、帝国軍のウォーカーがここでも散見出来ます。
こういうのって雰囲気はどうしても金曜ロードショーのバックの映像を連想するようなものになりますね。鈍くてモノクロに近い色合いになったのがまぁ主張といえば主張なのかもしれないけど、逆光で光が水面に反射しているこういう絵柄は、あまり特異な画面にはなりにくいように思われます。

ペンタックスのこの一眼レフ、M42っていうマウント、ユニバーサル・マウントのレンズを使いたかったから買ったんですけど、1000円で買ったカメラに東独のカール・ツァイスなんていうまがいもの臭いレンズをつけても、思ったはるか上をいく写り方でした。東西分割した東側のツァイスということで、腐ってもカール・ツァイスっていうことか?


☆ ☆ なにわの海の時空館~野鳥園へ至る道~フードアウトレット ☆ ☆


最初にここへやってきた時の記憶を辿ると、この遠未来的な異形の空間を体験した後そこからちょっと内陸部に歩を進めて、南西方向にある野鳥園に足を進めた後で再び駅方向に戻っていくというようなルートを取って歩いていたように覚えています。

少し陸側に入っての印象は、やっぱり人がいないなぁというのと、やけに荒廃したような空き地がいたるところに巨大な空間を形作っているということでした。宇宙広場って草ぼうぼうに放置された広大で荒廃した空き地のこと?野鳥園に至る道もそこから戻ってくる間も含めて誰にも合わなかったし、人類滅亡後の世界を歩いているという感じは側の道路を港湾関連の仕事で走ってくるトラックなんかで多少は薄らいでしまったとはいえ、まだ多少は残っていて、現実感の無さというかわたしが持っている現実の手触りとはちょっとずれたような感触にちょっとワクワクして歩いていました。

彼方にドームを見て
Nikon Mini : Kodak Super Gold 400

野鳥園へいたる散策路から球形状ドームを見たところ。このあと南港のもうちょっと陸側に行動範囲を広げていくうちに、近代的というか未来的な構築物と荒廃した荒野のような空き地とが一緒になっているイメージで写真を撮るというのがちょっとしたテーマのようになった感じがあって、そういう意図を持って写した一枚です。

野鳥園というちょっとした森と池で構成された場所から再びもと来た道を戻る最中、右手にかなり大きくてカラフルな装飾が施された建造物を眺めて歩いていると(後にアジア太平洋トレードセンターの建物と判明)、段差の下を流れる川とその川縁へ降りていく階段を発見。階段の降り口に川(咲洲運河という名前の人工の川)にそって、どう見ても廃墟としか思えない人の気配の途絶えた、「フードアウトレット」という看板を備え付けた建物に遭遇しました。飲食店が集合しているビルのようで、柵で通行止めにしてあるわけでもなく、中に踏み入るのを拒否してる感じでもないから、廃墟でもないのかなと運河のほうに降りてみて撮ってみたのがこの一枚です。

フードアウトレット
Pentax Spotmatic + AUS JENA DDR T 50mm f2.8 : FUJIFILM 100

何度か来てみて大体様子が分かったところだと、完全な廃墟でもなく写真を撮ったレストランだけがまだ営業しているようで、でも店の入り口にかけてあった案内を見ると昼の2時くらいで営業を終了しているすごいイレギュラーなレストランでした。この運河沿いのテラス席の側にクラシックカーの装飾展示物が置いてあったりしたんですが埃を被ったままで、営業時間内でも本当に人がきているのかはなはだ疑問です。
この場所に集まっているそのほかのレストランは店舗として利用されているところはなくて、倉庫として使われていたり、まったく別の目的の事務所的な雰囲気の部屋になっていたりして、実際に建物の中に入ってみると、人の気配は多少あったから完全な廃墟でもないものの、外からの印象は完全な廃墟。一軒営業していると知らないとまず近づけないようないような雰囲気を醸し出している場所でした。

内陸のほうに進むと、南港は廃墟の展示場のようになったところがあります。ふれあい港館 ワインミュージアムからライブなんかのイベントをやっていたらしいZepp Osaka、アパレル関連で潰れてしまったライカという会社の空中回廊がある巨大な本社ビルまで、巨大廃墟が並んでいる場所。ライカビルは長年放置されていたものがわたしがここに写真を撮りに来てるタイミングで解体工事が始まりました。間に合ったというか間に合わなかったというか、非常に微妙な感じのタイミングでの解体なんですけど、期せずし解体前のライカビルと解体中のライカビルの両方を見られたのはやっぱりタイミングがよかったのかな。でもこのライカビル、設計は安藤忠雄でこんな付加価値のあるビルをクレーンで無造作に破壊しまくってもいいものなのか、ちょっと心配したりします。


☆ ☆ アジア太平洋トレードセンター、マリンタワー周辺 ☆ ☆


コスモスクエアから海岸の反対側へと進んで、眼前に広がったのはこういう世界でした。

荒涼とした世界
Olympus Mju Zoom : Fujifilm 100
誰もいない。車も通っていない。熱波が唯ひたすら頭上から降り注ぐだけの終末世界の光景。道路の真ん中で写真撮っても全然平気かも。
ところでこうやって並べて写真貼っていて気づいたんですけど、我ながら地平線の位置がほとんど同じというか変化に乏しい撮り方をしているなぁということ。並べてみて自分でよく分かりました。この辺は意図的になったほうが良いかもしれないです。

こんな世界を歩き回っているうちに、南港の印象は未来的建造物と、終末世界のように人の気配が消えた道路と、草生し荒廃して広がる荒野のような空き地と廃墟が混沌として交じり合っている、ある種悪い冗談のような、不条理映画に出てくる世界のようなものへとわたしの中で固まっていくことになりました。

☆ ☆ ☆

ちょっと調べてみると、南港のこの辺りって元からあった土地に埋め立て工事で今のような形にして、大阪のウォーターフロントとして80年代頃から開発されてきている土地なんだそうです。それがバブル期にたてられた「テクノポート大阪」計画にそって加速された挙句バブル崩壊を境に一気に開発規模の縮小という事態に直面して、今のような状態に陥ってしまったとか。そこら中に点在する荒野のような空き地はおそらく本来計画が上手くいっていたならウォーターフロントに相応しい近未来的な何かが立ち並ぶ予定だった場所なんでしょう。

海岸線で異様に目立っていたなにわの海の時空館のように、この荒野に唐突と冗談のように建っている建造物で目立っているのはマリンタワーとアジア太平洋トレードセンターとインテックス大阪辺り。大体これら巨大建造物は同一地区といっても良いくらい隣接して建てられていて、同じく隣接して建っているのに何の加減か廃墟エリアになってしまったワインミュージアムなんかの集まる区域と明暗を分けているような感じになっています。

荒野に唐突に立つ未来的建造物を目にして、先に書いたように荒廃した世界と絵に描いたような未来世界が同居している不条理SF映画のような世界を写真に撮りたいなと思って色々と歩き回っていたんですけど、降り注ぐ白熱した光線に打ちひしがれ、どうも上手く撮れそうなロケーションも見つけられずに、そのうち撮影場所はATC周辺とその内部というように限定されていくことになりました。

その周辺で撮った写真。

マリンタワー周辺1
Nikon Mini : Kodak Super Gold 400
確かミズノの本社ビルの麓で撮った写真。父に見せたら妙に気に入ってくれた写真でした。窓枠主義的な写真かな。写真の中にもう一つフレームを入れてみるのは、この場合は二つはいってるんですけど、自分としてはわりと気に入る絵柄なのかもしれません。

マリンタワー基底部
Gakken Pinhole Camera : Ilford XP2 Super 400

ピンホールカメラで撮っていてこの前載せなかったものの一枚です。場所は三角オブジェがあったマリンタワーの麓。やっぱりちょっとSF映画にでも出てきそうな雰囲気があります。


☆ ☆ ATC ☆ ☆


ここにきた始めのころに妙に目に付いていたカラフルな装飾が施されていた建造物。荒野や廃墟を眺めながら内陸を歩いてたどり着いたところは、中に入ってみると赤や黄色や紫の髪をしたカラフルで何処かリアリティの無い軍服風のものを着ている集団が跋扈する空間でもありました。
端的に云うとコスプレイヤーの撮影会の時に偶然訪れてしまったというだけのことだったんですけど、ATCって定期的に大規模なコスプレ撮影会を催してるところだったらしいです。でもそういうことを知らずに最初にやってきたから、そんな風体の人がいたるところを歩いていたらやっぱり面食らうわけで、この巨大な建築はトレードセンターと名前がついているけど、一体何をするところなんだと思ってしまいました。

ATCが開業した時期を見るとバブル崩壊の直後、おそらくバブル期に構想されて、バブル崩壊に直面しても取りやめにならなかったと思われる、大阪のウォーターフロントの玄関口、貿易の要として建てられた巨大な商業施設で、貿易の中心地を目指して内側に大きな港を抱えているところなんか、感じとしては大阪港の海遊館周辺の雰囲気と似ています。
ただ交通の便の悪さとかテナントの賃料の高さなどから、集まった企業も相次いで撤退することになり、今は当初の目的とは随分と違う形の施設になっているらしいです。わたしが見たところ巨大なショッピングモールといった感じ。
オズ棟とITM棟という二つの施設が繋がった形でオズ棟のほうは最初からショッピング・モール的な利用が想定されていたのかこちら側にはそれなりに人が集まって食事したり買い物をしたりしてます。凄いのはITM棟のほうで、こちらは12階建ての高層ビルの構造になっており上まで吹き抜けになったビルの内部を円筒形のエレベーターが上り下りしている光景はまるで昔のSF映画「来るべき世界」にでも出てきそうな雰囲気です。でも雰囲気は未来的なのに、この辺はもう南港の共通のコンセプトにでもなっているかのように、下のほうの階に入っているテナントを除くと階を上がるに連れて使われていない部屋が目立ち始め、あっというまに人通りも途絶えてしまった高層の廃墟といった様相になっていきます。
テナントが撤退して本来の目的が全く果たせない機能不全に陥ったような状態で、隣接するマリンタワーも含めて、大阪最大の赤字垂れ流し施設となったらしく、その後大阪市の関連施設が穴埋め的に部屋を使用しているんですけど、そんなのが追いつかないくらい空き部屋が続く暗い通路が満載の高層施設になっています。

こんな近未来的廃墟がいたるところに口を開けていて、廃墟と猥雑のパッチワークのようになった空間を、赤や青や紫の髪の毛のリアリティの無い人物が行き来する奇妙な場所で夏の終わる直前まで色々と写真を撮ることになりました。屋外で撮るつもりだった写真はいつしか暑さに負けてしまって、せいぜい撮るとしてもATCが囲い込んでいる港に出てみるくらいで、荒野が広がる外界には廃墟巡りや港湾関連の仕事場が並ぶ通り沿いに歩いて見たりはしたものの、知らない間にあまり出て行かなくなっていました。


☆ ☆ ☆


来るべき世界
hasselblad 500c/m + Carl Zeiss Planar C 80mm F2.8 T* : Fujifilm Reala Ace 100

高層の廃墟に変貌していくITM棟。円筒形のエレベーターがまるで昔のSF映画のようでした。全体に色を使って色々とデザインされた空間だったので、それ以上に奇妙な写真にするのも難しく、記録写真のような感じになるのが多そうでした。

雨の日 -720
Canon Autoboy Tele : Kodak Gold 100

台風並の大雨が降った日。直射日光を避けるためなのか窓にかかっていたベール越しにみた港の椰子の木。シルエットっぽくなってちょっと風変わりに写ってます。葉の様子で風がきついのが分かるかと。

椰子の木
Diana+ : Fujifilm Pro 400

大雨の日じゃないけど、その椰子の木。港に出ると岸壁のラインに沿うようにして椰子の木が並んでます。このスカスカとした余白感がたまらない感じ。

港風景
Olympus Mju Zoom : Fujifilm 100

ATG内の港の全景はこんな感じでした。ここは催し物なんかがある時にはステージになるような場所?遠くにはフェリーが停泊中です。もっともこのフェリー、この場所に写真撮りに来ていた間、一度も動いているのをみたことが無かったのでいつ出航しているのかかなり不思議でした。曇りレンズソフトフィルター発動中。

サイバーパンク的
hasselblad 500c/m + Carl Zeiss Planar C 80mm F2.8 T* : Fujifilm Reala Ace 100

港にはフェリーだけではなくて帆船が停泊していることもあり、これはその帆船と岸壁の間にあったものを撮ってみた写真。岸壁に衝突してもショックを吸収する設備だと思うけど、タイヤはイメージにあったとして、この巨大なもののほうは大きさといいかなりシュールな印象を与えていました。こんなの見たのは初めて。鎖をまとってどこかスチーム・パンクに出てきそうな潜水艦風の印象が面白かったです。
ハッセルを出来るだけ海の方向に突き出して撮ってみたもの。海に落とさないかひやひやしてました。

廊下
Konica Bigmini BM201 : Kodak Super Gold 400

12階建ての高層廃墟と化しつつあるITM棟のちょっと上のほうに登っていって歩いてみた廊下の様子。誰もいない廊下に灯りが反射して、何の変哲も無い唯の通路なのに不思議な印象になってました。

ガルーダ
Nikon Mini : Kodak Super Gold 400

ここも誰もいない、灯りさえまばらになったフロアの閉ざされた部屋のウィンドウの内側に鎮座していたガルーダ。部屋は暗く様子もあまり良く分からなかったけど、ウィンドウガラスに書かれていた言葉では航空会社のオフィスのようでした。ガルーダの像があるからインドネシア航空?使われていないテナントは丸っきりの空き部屋になってたし、使われていない区画は通行止めになってるところがほとんどだったから、おそらくまだオフィスとしては生きている部屋だったんだろうと思います。

ガルーダと云えばヒンドゥー教の神話に出て来る鳥の神様ですね。エスニックの雑貨屋なんかに行くのが大好きだからこういう異国の神様のエキゾチックな像とかも結構好き。象のイメージが好きで、そういう象好きのところははわたしの場合はガネーシャが元で、この系統から出てきてます。日本で云うと歓喜天だけど、京都にも祀っている所はいくつかあるものの、秘仏扱いなので公開されてないところがほとんどのはずです。無茶な願いも聞いてくれるけど、その分約束を守らなかった時などの祟り具合、懲罰の具合がすさまじい、物凄く怖い神様でもあるんですよね。

それはさておき、この写真に話を戻すと、撮った本人としてはガルーダの向きがもう一つだったかなぁと思ったりしてます。廊下の様子も入れようとしてこんな配置になってるんだけど、廊下は余計だったかも。
暗闇だったのでフラッシュを焚いてます。今は自然光で撮る柔らかい写真が流行りだからフラッシュってあまり積極的に使わないけど、使いようによっては人工的で、ロケンローな写真が撮れそうな感じですよね。ストロボ・フォトなんていう言葉の語感も未来的でかっこいいし。ストロボ・フォトって云うのを一つのジャンルと考えて、毛嫌いせずに臨機応変に使ってみようかなぁ。唯やたらと注意を引くから、こんな暗闇の中では気兼ねしないけど、スナップ・フォトだとかなり開き直りが必要になってきそうです。

ダンスする円-620
hasselblad 500c/m + Carl Zeiss Planar C 80mm F2.8 T* : Fujifilm Reala Ace 100

以前にも似たようなシチュエーションで写真を撮ったことがあるんですけど、変奏曲的なものとして。

ATCのコスモスクエア駅側のコーナーは各階、といっても全階層というわけでもなかったけど、展望用の大きな窓が開いていました。丸い椅子とテーブル、そしてその丸い影がダンスしてるように模様を作っています。オブジェの配置はその時の偶然の神様のセンスに任せてスナップ。椅子のブルーが光が当たっているところだけアクセントのように出ているのもいい感じでした。
俯瞰で撮る写真は最近ちょっと気に入ってるというか、でもそういう立ち位置で撮れる場所って本当に限られてるんですよね。カメラ持って街歩きをしているとちょっと小高いところに上がれそうな場所を結構探していたりします。
ハッセルはウェストレベルファインダーで使っているから、俯瞰でレンズを下の方向に向けてではかなり撮りにくくかったです。これはウェストレベルファインダーの弱点でしょうね。

壁にかかるものたち-620
hasselblad 500c/m + Carl Zeiss Planar C 80mm F2.8 T* : Fujifilm Reala Ace 100

オズ棟のほうにあった、これは酒場だったのかなぁ。飲食店の一軒でお休みの表示があったように覚えてます。壁にかかっている額と窓から差し込む光がちょっと気に入って、お休み中のために柵が閉められていたんですけど店の外からその柵越しにとってみたものです。
柵はまばらだし動物園の檻の様なものではなくて、扉越しの光景といった感じに持っていけないかと思ったけど、手前の柵はやっぱりちょっと邪魔かも。
わたしはお酒が飲めないので営業中に行くというのもちょっと敷居が高すぎるし、店内の灯りがついてしまうと雰囲気も変わりそうです。やっぱりお休み中を柵越しにしか無理か。

☆ ☆ ☆

こんな感じで日付を見ると8月の終わり頃まで、この垂れ流しの赤字にいたるまでも逸脱のパッチワークともいえる奇妙な世界に入り込んで写真を撮っていました。夏の終わり頃になるとさすがに暑さが堪えてきて、後半はATC中心に動き回っていたのがそのうち南港まで行く気力も乏しくなってくるような状態へと変貌していきました。
9月にはいると曇りがちになったり台風がやってきたりして、真夏の時ほど気候も安定しなくなり、そのうち撮影の興味の対象が別のものへと変化していったりして、涼しくなったらまた撮りに来たいなぁと思いながら、今のところちょっと疎遠な状態になっています。
グーグルマップなんか見てみると、夏の間に歩き回っていたのは大体南港の埋め立てエリアのコスモスクエア駅側の半分くらいで、さらに先に行くとどうも今度は団地なんかの人が住んでいるエリアに変貌していきそうな感じです。団地の無機的で幾何学的な写真も撮ってみたいし、おそらくこの奇妙な世界とはまた別の感触を持った世界が広がっていると思うので、そのうちまた残りの未探索のエリアにも行ってみたいと思っています。

この夏、ピジョンフレックスを持って安治川流域で写真を撮ったのを切っ掛けに、大阪港の赤煉瓦倉庫やその周辺、さらに南港のストレンジワールドと、誰もいない道路や暗い光の廊下を歩きながら、空虚さという何もないものを撮るというようなことに夢中になっていたような気がします。
空虚な感じというのは最初のほうでは少し向いている方向が違うように書いたけど、荒涼としたものと何処か通低しているようなところがあって、ことさら項目としてかざさなくてもいつもわたしの頭の片隅にあるようなものなんですが、それはそれとして,誰もいない道路を歩き続けたことへのちょっとした反動なのか、今度は充満したものとか撮ってみるのはどうだろうかと、そんなアイディアが浮かんできたりしています。みっちりと詰まったイメージとか、なんだか面白そう。

空虚であろうと充満していようと、いずれにしても逸脱し過剰であるものはそれだけで面白いはずで、そういうものが撮れたらいいなぁと夢想してはカメラ片手に出かけることが、夏を過ぎたこれからの季節にも続いていそうな気配ではあります。



☆ ☆ ☆



Chico Buarque e Toquinho - Samba Para Vinícius


邦題はヴィニシウスに捧げるサンバといったものがつけられています。ヴィニシウスというのはヴィニシウス・ヂ・モライスという人物のことで、もう亡くなってしまったけれどブラジルの外交官であり詩人であった人。近代ブラジル音楽、ボサノヴァの誕生に関わった人々のうちの一人で、ブラジルのミュージシャンから最大限の敬意を表されている人物でもあります。有名どころではイパネマの娘の作詞をやってるのがこの人。
曲は歌手でありギタリストであるトッキーニョと、同じく歌手でありソングライターでもあるシコ・ブアルキの二人の共作となっています。歌ってるのもこの二人。トッキーニョは歌手としての顔のほうが目立つ感じがするけど実力的にはギタリストのほうが数段上の感じがします。それとヴィニシウス・ヂ・モライスが軍事政権によって外交官の職を追われた後、音楽活動をする時に親身になってサポートし続けた人でもあります。

ちょっと押さえ気味ではあるけど十分に踊れるようなサンバの熱狂感とメランコリックなサウダージ感が上手いバランスで共存しているような曲。ブラジル音楽の典型的な要素を上手く纏め上げてる曲だと思います。
それと、日本語とは違うんですけど「サラヴァ」と入るのがかっこいいです。「あなたに幸あれ」っていうような意味だから、日本語で「さらば!」という時とまるっきり違う方向の言葉というわけでもないのも何処か親近感を覚えたりします。




☆ ☆ ☆




Art Forms in Nature: The Prints of Ernst Haeckel (Monographs)Art Forms in Nature: The Prints of Ernst Haeckel (Monographs)
(1998/08)
Ernst Haeckel

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