2013/09/15

J・G・バラードの小説のタイトルを借りてきてます。このタイトルが本当にぴったりの、今回は真っ赤な写真。
これ、クロスプロセスで現像したフィルムでした。真っ赤になってるのは、後で書くようにかなり思惑外れだったんだけど、そのイレギュラーな現像の結果となります。
クロスプロセスについてちょっと説明すると、これは最近のデジカメでもアートフィルターといった形で効果を適用できるような機能がついてるのが一杯市場に出てると思うけど、フィルムのほうはデジタル処理じゃなくて実際にフィルム上で化学反応として実現させる特殊な効果ということになります。
その前にフィルムのことも少し書いておかなければならないんだけど、カラー、モノクロの違いのほかに、一般的な用途で売られてるフィルムには大まかにネガフィルムとポジ(リバーサル)フィルムの二種類があって、ネガは反転した画像としてフィルムに定着、ポジはそのまま普通の画像としてフィルムの上に定着させることが出来ます。
だからポジフィルムは最終的にフィルムそのものが小さな写真の繋がったものになり、一応そこからネガのようにプリントも出来るんだけど、フィルムそのものをルーペで鑑賞したり、スライドとして大きく投影したりして写真を鑑賞するような形になることが多いです。わたしは基本的に紙媒体の上にプリントされ、何の補助もなく多数の人間がそれを鑑賞できるというのが本来的なあり方だと思ってるので、ルーペで覗くような写真との接し方は、覗きこむことは以前の記事でも書いたように結構好きな視覚体験ではあったりするんだけど、この場合はわたしが考える写真のあり方とはちょっと違うと感じるところもあります。撮影行為が孤独な行為であるのに、何も出来上がってからも、手軽に共有体験できずに、個の中に閉じてしまうような見方をすることもないだろうと、フィルムを使い出して短いなりにももう何年にもなるけど、ポジフィルムは今に至るもほとんど使ったことがありません。
さて、クロスプロセスというのは、このポジフィルムを使って撮影したものに対して行う処理なんですが、どういうことをやるかというと、ポジフィルムの現像を、使う薬品も違うネガ現像の方法で処理するということをやります。ネガ・ポジの異なった現像プロセスをクロスさせると。これは手順としては完璧に間違った手順なんだけどその間違った手順をあえてやることで通常だと手に入れられないイメージを得ようとする方法です。
クロスプロセスの結果は極端な色転び、ハイコントラスト化、粗い粒子状の画像といった特徴として現れることになります。
共通してこういう特徴が出てくるけど、だからといってポジフィルムだと全部同じような結果になるかというと、実はそうでもなくて、特に色の転び方でかなり個性が出てきます。わたしはこのクロスプロセスをするためのフィルムを選ぶ時にこういうことをあまりよく知りませんでした。どれでもポジフィルムだったら良いんだろうとしか思わなくて、目の前に並んでるポジフィルムから適当なのを一本選んだだけ。
その時選んだフィルムはフジフィルムが出してるベルビアというポジフィルムだったんですが、一般的にクロスプロセスの色転びは黄色か緑へのシフトという形で現れるのに、このフィルムはとにかく赤に転んでしまうのが特徴のフィルムでした。
一般的に予想される色転びとはかなり異質で強烈な結果となるので、そういうことを知らずにベルビアを使った人は失敗した!と思う人が多いとか。
わたしは失敗したとまでは思わなかったけど、買ってからこれは赤に転ぶフィルムだと知り、ネットで真っ赤になったサンプルを見てはいったいどうなるんだろうと、撮ってる間からサスペンスフルな気分を味わっていました。
おそらく非現実感で一杯の写真になると思ったから、日常から離れたようなところで写真撮るのが良いだろうと思い、荒涼としたものを撮った宇治川の河川敷へ行って、一日でベルビア一本撮りきってます。クロスプロセスは現像液が痛むから普通の現像所では受け付けてくれない場合がほとんどだったりするので、その後現像はいつものフォトハウスKじゃなく、どちらかというとクロスプロセスを推奨してるようなロモグラフィーのラボに郵送で頼みました。ネットではクロスプロセスを受けてくれるところがいくつかあって、ロモラボもその一つ。このベルビアのあともう一本、今度は違うポジを使ったクロスプロセスをやったんですけど、その時はポパイカメラというまた違うところで処理してもらってます。


ロモラボから帰ってきたフィルムとプリントを見ると、予想通り全体に赤いフィルターをかけたように真っ赤。黄色から緑色辺りで色転びするのを期待してやってみようと思ったのとは、最初に書いたように全く思惑外れの結果となってました。
一応その結果から、赤になったのがわりと写真内容に効果的だと思ったものを今回載せてます。
眺めてみた感じでは夢の中で見る光景のようだとか、まるで二昔前くらいの実験映画にでも出てきそうなイメージだなぁというのが第一の印象でした。極彩色ではないけどサイケデリックといえばサイケデリックな映像。だから最初の思惑から外れてはいたけど、これはこれで面白い結果になったんじゃないかと思います。とはいうもののもうベルビアをクロスプロセスに使おうとは思わないけど。
一番上のは木の陰の細かいところが全部赤の細かい濃淡になってかなり強烈なイメージになってるのがかっこいいです。
工場の煙突のは電線がちょうど煙の位置にかかってしまったのがどうなんだろうと、ちょっと判断できない形になってます。画面にこんな形で入っていても良いのか、電線はなかったほうが良かったのか。ただこの写真宇治川の土手の上から京阪の線路や道路を挟んで向こう側にある工場を撮る形になって、立ち位置を自由に変更できなかったから、電線を避けることは不可能に近い状態でした。
土手の石段は実物はどうってことのない石段なんだけど、ハイコントラスト、目立つ粒子といったものも相まってなんだか凄く意味ありげなイメージになってると思います。

フィルムの性質上、その中の特定の駒だけをイレギュラーな処理にするということが出来なくて、とにかく一本全部がその処理の元におかれることになります。だからこういうことをするときはクロスプロセスにしたら面白そうと思うものだけを撮っていくほうが良いかもしれないと、そんなことが出来るかどうかは別にして思ったりしました。
それと、撮影そのものは普通に写してるわけで、普通に現像したら普通の写真が出来上がるんだけど、こういうイレギュラーな現像をするとその時点で普通に写っていたはずの写真は全部破棄されてしまうことになります。このフィルムで撮った写真が本来的にどう写っていたのかはクロスプロセスをやった時点でもうどうやっても確認することは出来なくなってしまいます。
いうならば完全不可逆の一発勝負になるわけで、こういうところが、クロスプロセス・フィルターをかけてみたけどいまひとつだから元に戻そうというようなことが可能なデジタル処理と大きく違うところだと思います。
でも一見こういうことってフィルムの弱点のように見えるけど、使ってみて思うのは実はこういう不可逆性というのはむしろフィルムで写真を撮ることの面白さを支えてるんじゃないかということ。
いつでも一回きりのチャンスで後戻りできずに、失敗してるかもしれないということが必ず寄り添ってるフィルムという存在は、使うたびにスリリングな体験をさせてくれる存在でもあります。
LOMO LC-A +MINITAR1 2.8 / 32mm
今回の写真はフィルムからのスキャンじゃなくて、ラボでCD化してもらったものからコピーしてます。
☆ ☆ ☆
Faye Wong 夢中人
ウォン・カーウァイ監督の映画「恋する惑星」のテーマ、でいいのかな、劇中とエンドクレジットのところで流れる曲。この映画の音楽としてはむしろパパス・アンド・ママスの「夢のカリフォルニア」のほうが耳に残ると思うけど。
映画の内容に良くあった、不思議少女を演じたフェイ・ウォンのキャラクターそのもののようなキュートでワクワクするポップソング。全体的にこの映画の音楽セレクトはセンスが良いです。もとはクランベリーズの曲でこれはそのカバーになるんだけど、フェイ・ウォンのために書かれたような印象になってます。
映画のほうは返還前の香港で生活する2組の男女の恋物語をアジアの猥雑な都市を舞台にまるでフランス映画のようなスタイリッシュな映像で綴っていく映画でした。前半のカップル、若い金城武が演じてるんだけど、そのカップルの話が後半のトニー・レオンとフェイ・ウォンの物語とちっとも絡まないで終わってしまうというところとか、あるいは自分の部屋を勝手に改ざんされてるのにまるで気がつかないトニー・レオンの不自然なほどの鈍感さだとか、あまり出来がいいシナリオとは思えないんだけど、全体の洒落た映像と音楽と気の利いたせりふで見せきってしまうタイプの映画。映画の中で体験する空間や時間のリズムがとにかく目と耳に刺激を与えて放さないといった類の映画でした。
タイトルもいいんですよね。簡潔で、特別な言葉を使ってるわけでもないのに、一度見たら絶対に忘れないようなタイトルになってる。その上映画の内容も上手く含めてるし、しかもお洒落。
もとは「重慶森林」なんていうタイトルなんだけど、この「恋する惑星」っていう邦題を考えた人は本当に凄い。
普通恋愛映画に「惑星」なんていう単語、頭に浮かびもしないです。